「菊花様、大丈夫ですか?」

「……くぅ!」

 アンダードレスなるものを着せられ、コルセットという拘束具のような服で体を締め上げられる。
 見守る柚安(ゆあん)に、菊花(きっか)ではなくリリーベルが爽やかな笑顔とともに「大丈夫さ」と答えた。

「だいじょうぶじゃ、ない」

 うっぷ。
 菊花は締め上げられてくびれができた腰を撫でさすりながら、胃がせり上がってくるような感覚に涙を浮かべた。

 宮女候補の最終試験であるお茶会まで、二週間を切った。

 最終試験の内容が告知されて以来、菊花は一度も香樹(こうじゅ)に呼ばれていない。
 母のような愛を捧げるつもりだった菊花に、求めているものは別の感情だと行動で示してからは、毎日のようにお呼びの声がかかっていたというのに。

 最終試験の裏側で行われる黄家屋敷の捜索に向けて、多忙な日々を送っているからだと理解していても、なんだか肩透かしを食ったような気分になる。

(でもまぁ、考える時間をもらったと思えば……)

 毎日毎日、考える間もなく「愛い」だの「良い匂い」だの言われて全身を撫で回されていた。
 そうされると菊花は、羞恥のせいなのか、それとも別の何かなのか、頭が沸くような判断しがたい謎の気持ちに支配されて、考えることができなくなる。
 最終的には酒に酔ったように頭がぼんやりして、ぽっぽと火照った体を大事そうに抱きかかえられながら意識を失うというのが常だった。

 香樹のことは、大切だと思っている。幼馴染みとして、親友として、家族として。
 だけれど最近は、それだけでは収まらない域に達している気がする。

(例えば、そう。恋人、とか)

 菊花の頬がほんのりと赤らむ。
 恋人。なんて甘美な響きだろう。

(私は香樹のことが、好き……なのかしら?)

 白蛇時代の香樹を、好きだと思ったことは何度もあった。
 綺麗な見た目が好き。優しい目が好き。なにより、懐いてくれたのが嬉しかった。
 一番の親友で、大切な存在だ。

 だけれど今は。
 それだけではない、と思った。

 姿が見えれば嬉しくて、そばにいたらもっと嬉しくて、見えなければ無性に会いたくてたまらなくなる。
 現に今も、菊花は香樹に会いたいと思っていた。
 ()の国の衣装に身を包んだ自分を見て、かわいいって言ってほしい……なんて思っている。

 こんな気持ちは、初めてだ。
 なんだか気恥ずかしくて、胸がきゅうっと締め付けられる。

(これは本当に、恋というものなのかしら?)

 いまいち、よく分からない。
 なにせ菊花は、恋愛経験がないのである。

 齢十六になるまで両親は町へ菊花を行かせなかったし、両親が亡くなってからは生きることで必死だった。
 恋愛がどういうものなのか、教えてくれる人もいなかった。
 だから、この感情が恋というものなのか、菊花には分かりかねている。

「ぐふぅ……」

「はいはい、菊花。そんな声、出さない。これでも緩くしているくらいだからね? 戌の国じゃ、もっとギュッと締め上げるのだから。おっ! いいねぇ。きみの胸が強調されて、実にエロティックだ」

「えっ、えろ?」

「官能的、という意味さ」

「官能的⁉︎ 私が?」

 烏の濡れ羽色の髪も、射干玉(ぬばたま)色の目もないのに。

 そっと視線を落とせば、ぎゅむっと押し上げられた見事な胸元がそこにある。
 そういえば白蛇時代の香樹はよく胸元に入り込んでいたなぁと思い出して、菊花は猛烈に恥ずかしくなった。

(え……まさか香樹は、そういうつもりで胸にいたわけじゃないよね?)

 香樹はまもなく二十二歳になる。
 白蛇だった香樹が菊花と一緒にいたのは、たぶん、十七歳くらいまで。
 となると、そういったことに興味津々な時期を彼は菊花と過ごしていたわけで──。

(ひえぇぇぇぇ)

「菊花は胸も大きくて綺麗な形をしているよね。普段着ている服もさ、もう少し胸を強調するようにしたら、もっとかわいくなると思うんだよなぁ」

 普段は、上衣の襟を交差して重ねている。
 それを交差させずに並行にして、(スカート)を胸の上まで引き上げたらどうか、とリリーベルは言った。
 そうすると、視線が胸元にいって、足長効果があるらしい。

「リリーベル様。菊花様、苦しそうですよ? 顔が赤いです」

「んー……これはコルセットのせいだけじゃないと思うなぁ。おおかた、香樹様とのあまぁいひとときでも思い出しているのではないかな?」

「そうでしょうか」

 菊花は考え事をしていたので、柚安とリリーベルの破廉恥な会話を聞いていなかった。
 聞いていなくて良かったのかもしれない。聞いていたらきっと、とてもではないけれど、この場にはいられなかっただろうから。