壱成さんはよく、私のことを優しくていい子だと言う。でも実際は、壱成さんと出会うまではどうして私ばっかりってずっと思ってた。お母さんとお父さんが怖かったから素直に従っていた。私が悪いことをして、お兄ちゃんの影響だと言われるのも嫌だったから。

私は優しくない。
いい子なんかじゃない。
ただ両親に従わなければと。

本当の私は、家に帰りたくなくて壱成さん達に迷惑をかけた。
壱成さんに助けを求めた。
壱成さんという逃げ場を作った。
私は壱成さんやお兄ちゃんに甘えているだけなのに。

このまま時間が経過して、お母さんの存在を忘れていく甘さを、持ったままではいけない。

お父さんのことは壱成さんがいたから解決できた……。お母さんは、私がなんとかしなくちゃ。いつまでも逃げ場を作り、壱成さんやお兄ちゃんに甘えてはいけない。

そう決意したのに、お母さんの料理は、怖くて食べられない自分がいる。お母さんの料理をお母さんの前で食べることが出来れば解決するのだろうか?
もし、口に含むことが出来ても、私の中の恐怖感が消えるのだろうか?

考えて考えて、無意識に思い出すのは壱成さんの笑っている顔だった。壱成さんはいつも私が何かを作ると喜んでくれる。

────お母さんも、私が作れば、喜んでくれるのだろうか?





実家に戻り、リビングに行く。そこにはお母さんとお兄ちゃんがいた。キッチンではお母さんが料理を作っていた。
「おかえり」と言ってくれるお兄ちゃんは、スマホを触りながらソファに座っていた。

カウンターには4人分の皿が、並べられていた。私が帰ってくることを知っているお母さんは、きっと私の分も作ってくれているのだろう。食べないことを分かっていて。


「……お母さん、」


キッチンの中に入り、私はお母さんに紙袋を差し出した。
ちらりと見たお母さんは、料理を作る手を止めた。


「作ってきたの、食べて欲しい」


お母さんは何も言わず、紙袋を受け取ると、中に入っていたタッパーを手に取った。


「私……、ショックだった。アレルギーになって、お母さんの美味しい料理が食べられなくなるの、すごくショックだったの」


お母さんは、鍋の火を止めた。


「もう今は食べれるのに、食べられない自分がすごく嫌で……。作ってくれるお母さんに申し訳ないって……」

「……」

「……ごめんなさい、今は、食べることができません……」

「……」

「で、でも、お母さんが作る料理は本当に美味しいって分かってるの」

「……」

「だから、私の作った料理を食べて欲しい」

「……」

「基礎は教わったけど、まだまだ、お母さんの味には程遠いから……」

「……」

「食べて、何が足りないか教えて欲しい……」


もう、これ以上言えなかった。
言ってしまえば泣きそうだった。

お母さんがタッパーを開ける。新しいお箸をとって、私が作った筑前煮の1つの人参を口にした。
お箸を置き、私の作った料理を食べるお母さんが、人参を喉の奥に入れ。


「…どれぐらい煮たの?」

「柔らかくなるぐらい…」

「少し柔らかくすぎるわね。醤油のタイミングは?」

「みりんと、酒と、砂糖と一緒に」

「料理の本を見て?」

「うん、図書館で借りたの」

「少し砂糖が多い、醤油は具材が柔らかくなって最後に入れて冷ましていく方が味が染み込むの。料理の本も地域によって作り方は違うから、料理の本にとらわれず好きに作りなさい。けど、基礎な味付けは本だからね」

「うん」

「出汁は?」

「カツオと昆布を……」

「しいたけの戻し汁を使った方がいいわ。それからどの料理でも初めは顆粒出汁を使いなさい。初めから難しい料理に挑む必要性はないの」

「難しい料理……?」

「料理が楽しくなってきたら、調味料を増やしていくの。初めはその方がいいわ」

「うん、分かった……」

「……」

「……」

「……」

「……お母さん、あの」

「……」

「……また持ってきてもいい?」


お母さんが、口元を手のひらでおさえた。
そのまま少し頭を下げ、……お母さんの肩が震えたような気がした。

──静かに泣いているお母さんは、「……ごめんね、よしの……」と、小さく呟いた。
そうすれば私も、涙腺が熱くなり涙が込み上げてきた。


2人して泣いていると、「お前が作ったの?」とお兄ちゃんがキッチンの中に入ってきて。箸を取り出し、鶏肉を口にした。


「え、美味いじゃん。お前今すぐ結婚すれば?」と、冗談を言いながら場を和ませてきた。きっと私もよりも、お兄ちゃんの方が優しい……。


「まだ高校生だよ……」

「結婚していい歳だろ?」

「もう、」

「あ、そうだ、壱成さんに引退おめでとうございますって伝えておいてくれよ」