壱成さんは本当になにも望まない。──ただ、私がそばにいてくれるだけでいいと言う壱成さんは、私に尽くしてくれる。

私が願えば、助けを求めれば助けてくれる。


壱成さんは毎朝私を迎えに来てくれた。お弁当を持って。──冬休み前に入る頃、壱成さんは卒業間近だから少し忙しいみたいで、夕方はあまり会えなくなった。それでも毎朝迎えに来てくれるし、毎晩電話もくれる。


『おやすみ、また明日の朝に』


そう言ってくる壱成さんは、お父さんが仕事に行く前に必ず家に来て、仕事へ出かけるお父さんにずっと頭を下げていた。


そんなお父さんが「佳乃」と話しかけてきたのは、寒い日の夜だった。自室にいる私の扉をノックしたお父さんは、そのまま中に入ってくる。

この数ヶ月、お父さんとの会話は無かった。


「…お母さんの飯を食ってないそうだな」


お母さんのご飯……。


「飯はどうしてるんだ?」


机で勉強をしていた私は、やましいことは無いと、お父さんに視線を向けた。


「壱成さんがお弁当を作ってくれてる…。夜はお兄ちゃんが買ってきてくれる」

「……それは、お母さんの作る飯に何が入ってるか分からないからか?」

「……ごめんなさい」

「あの男が、佳乃に弁当を?」

「壱成さんっていう名前だよ、あの男なんて言わないで……」

「あの男は暴走族に入っている、お前は──」

「…優しいよ、壱成さんは凄く私を好きでいてくれる。私とお父さんと何があったか知ってるのに、お父さんに毎朝挨拶してくれるしっかりとした人だよ」

「……」

「あの男なんて言わないで…」

「あの男とはどこまで進んでる?」


言わないでと言っているのに、お父さんはまだ壱成さんを〝あの男〟と呼ぶ。


「…どこまでって、」


なにが、
お父さんにまだ一緒に住む話はしていない。
まさか、体の関係はどこまで進んでいるということだろうか?
どうしてそんなことを聞いてくるの。

そこまで壱成さんを信じてないの…?


「……やましい関係はないよ」

「……」

「壱成さんは、お父さんたちの許可を得ないと、そういうことをしない人だよ」

「……」

「朝、この2ヶ月ずっと壱成さんはお父さんに頭を下げ続けた。お父さんは、そんな壱成さんを見て誠実だなって思わない……?」


お父さんは何も言わなかった。ただ最後に、「お母さんのご飯、食べてあげなさい」と言ってきた。

そのことに私は何も言えなくて。
部屋から出ていくお父さんの後ろ姿を見送った。

──食べてあげなさい、なんて。お母さんの気持ちも分かる。それでも怖いことを、どうしてお父さんに伝わらないんだろう。

握っていたシャーペンを置き、私はお父さんを追いかけた。階段をおりている最中のお父さんは、私が追いかける足音で気づいたらしい。顔だけを私の方に向けた。


「なんだ?」

「お父さん、あの……」

「……」

「お母さんの薬と、お父さんの暴力が怖くて、……──お兄ちゃんと一緒に、お兄ちゃんが卒業したら家から出ていこうと思ってた」


お父さんは、何も言わない。
表情も変えない。


「思ってたの……」

「……」

「それでも、私が、限界に来て……、家に帰りたくなくて。どこにいるか分からない私を壱成さんたちが、探してくれた。……壱成さんに助けを求めたのは、私なの……」

「……」

「壱成さんはずっと私を助けてくれる……、壱成さんは見返りを求めない、ずっと傍にいるだけでいいって……それだけで」

「……」

「今の私の状況を知っているから──……、壱成さんが次の3月で卒業すれば、一緒に住もうって。壱成さんが働いて、私を養ってくれるって……」

「……」

「白鳥高校を辞めるつもりだった私に、友達がいるなら思い出作りに辞めるなって…。学費はお兄ちゃんが出すって……」

「……」

「この状況が変わらないなら、私は壱成さんと一緒になりたいって思ってる…、でもそれは、お父さんたちに反対されるって分かってる。でも、…もう、耐えられない。私はお父さんお母さんが好き、だからちゃんと許可を得たい…」

「……」

「子供が何を言い出す?って思ってる?だけど、私はお父さんとお母さんが思っているより子供じゃない」

「……」

「お願いだから、お父さん、資料だけの情報じゃなくて壱成さんのことを見てほしい」

「……」

「本当に、優しい人だから……」