私は、バカじゃない…。
もしかしたら、っていう考えが出来ないわけじゃない。


字を書くことが苦手な乙和くん。
そして、〝あの日〟、乙和くんは私が「消えたかと思った」と言ったり、得意な野球ボールをキャッチ出来なかったり、まるで空間認識がおかしくなっていた…。


頭はボールが直撃し、頭の検査をした乙和くん…。



そんな乙和くんが私に会いに来たのは、お昼休みだった。「ちょっといい?」と、その声は朝に聞いたような泣きそうなこえじゃなくて。


まるで私を拒絶したような声。


壁を作るようなその声に、喉がなった。


大好きな乙和くんが、私に本当の別れを告げようとしてる……。


人気のない廊下に私を連れてきた乙和くんは、眼鏡をかけたまま私を見つめてくる。

かっこいい乙和くんは、その眼鏡もよく似あっていた。
私を見下ろす彼は「…あの紙、迷惑だからやめて欲しい」と呟く。


2人きりの廊下では、乙和くんの声がよく響く。



「別れようって、言ったよな?」


久しぶりに、私に向けられる言葉が拒絶でも、こうして乙和くんに話しかれられるのが嬉しくて。


「もう関わらないでほしい」


嘘だって、分かってる。


「ノートもやめて」


分かってるけど、やっぱり辛い。


「あと勇心に、いろいろ聞くのもやめて」


泣きそうになる。


「俺が無理矢理、別れようって言ったのは悪いと思ってる。……でも、俺、そこまではるのこと好きじゃなかったから」


辛い。


「地味だし、眼鏡だし…可愛くないし」


きらい……。


「俺とは合わないと思ったから」


私は、乙和くんに信用されないほどだったのだろうか?
乙和くんはこのまま私を傷つけて、自分の体のことを言わないつもりなんだろうか?


「だから、別れてほしい」


私が、きっと、頼りないから。

私が頼りないから嘘をつかせているんだ。



ポロポロと泣き出す私を見て、乙和くんはどう思ってるのかな。


乙和くんは優しいから、〝こんな事言いたくない〟〝ごめん〟って、きっと思ってるんだろうなぁ…。

私が〝乙和くんは何かの病気かもしれない〟と思ってることに、乙和くんは気づいてる。


乙和くんの瞳は、よく分からなかった。
色つきの眼鏡で、隠れてしまっているから。

それでも乙和くんの心が泣いているような気がしたから。

乙和くんを笑わせるためには、どうすればいいんだろう?


別れたくない。
どうして私に言えないの?
教えて。
私がそばにいるから。
もっと頼って。
支えるから…。


そんなことを言えばいいんだろうか。

きっと、最後。
これが最後。

優しい乙和くんは、悪者になる…。


最後に私は、何をすればいいんだろうか。


乙和くんを安心させればいい?
もっと頼りにしていいんだよって、乙和くんに思わせればいいの?


分からないよ。


でも、私を想って、乙和くんが悪者になる必要なんてない。
乙和くんはずっとずっと私の好きな人なんだから。



ずっと黙り込んでいた私は、手の甲で涙をふいた。


「…とわくん、」


そして、乙和くんを見つめる。

私の気持ちはただ一つ。

この気持ちだけを伝えたい。

どうして私に言ってくれないの?という、そんな言葉よりも。


頑張って口角をあげて、目の奥が熱くなるのをこらえて、笑った。


「──……大好きだよ」



乙和くんの顔が、すごく歪んだのが分かり。
私はさっきまで乙和くんの顔を見つめていたのに、なぜか柔らかい場所で顔を埋めていた。


私に「別れてほしい」と言ったはずの乙和くんが、私を抱きしめる…。



「ごめん、」


乙和くんの声は泣いている。


「……やっぱり……気づいてる?…」


気づいてる…。
気づいてるよ?
だって優しい乙和くんが私を傷つけるはずないもの。


「……うん、気づいてるよ、理由は分からないけど乙和くんの気持ちは分かってるよ」


私はそう言って乙和くんの背中に手を回した。やっぱりどこか、乙和くんの体は痩せていた…。


「私のこと、好きだから…。私を想って別れようって言ってるのも、分かってるよ……」

「…はる、…」

「…、」

「ごめん…」

「うん…」

「はるに迷惑かけたくない…」

「分かってる……」

「はる、顔見せて…」



私の体をゆっくりと離した乙和くんは、自身の眼鏡を外すと、まるで私の顔を目に焼き付けるように見つめた。


ずっと見つめている乙和くんは、泣いていた……。


「もっと見せて」

「とわくん…」


乙和くんの手が、私の頬にふれる。


「……俺も好き、大好き……」

「っ、…」

「弱かった俺を許して……」

「と、わ…」



私の顔を至近距離で見つめていた乙和くんは、そのまま私にキスをしてくると、「かお、みせて…」と、何度も同じような言葉を呟いた。




乙和くんは、何があったのか、何の病気なのか、教えてくれなかった。


完全に私を断ち切った乙和くんとの関係は、終わった。