「瑞歯別皇子、何とも大変な事になりましたね」
「どの村の女達も、皆とても怯えております。この宮にも沢山の娘が仕えてるので、油断が出来ません。何しろ狙われるのは皆若くて美しい娘ばかりとの事」
「特に采女の女達は、皆美しい娘ばかりなので、本当に心配ですね」
ここ最近頻発している娘の誘拐事件について、瑞歯別皇子は家臣と共に話し合いをしていた。
「とりあえず、この宮を中心に周りの村への見張りを強化するよう言ってある。近辺の村は、その村の男達が交代で見るようだ」
(一体この誘拐の連中の目的は何なんだ。どこか遠くに連れて行って奴隷にでもするつもりか)
今までの誘拐の経緯から、娘が1人になった時を狙って誘拐されているようだ。であれば、まずは娘が1人にならないように行動する必要がある。
「でも今回は、皇子自らが率先してこの問題に取り組んでいるのは誠に素晴らしい。宮の女達もとても喜んでおられますよ」
宮の家臣達は、今回の瑞歯別皇子の対応にとても驚いていた。政り事に関しては優秀だが、こんな問題にも直接1つ1つ動いているからだ。
「この宮の主として、また大王の弟としても当たり前の事をしているまでだ。何をそんなに驚く事か」
瑞歯別皇子は少し呆れて感じで家臣にそう言った。彼からしてみれば至って普通に対応しているに過ぎない。
(それに、そうしないと宮の女達も安心して生活出来ないだろうに)
「いえいえ、そのお心遣いが大変素晴らしいのです。まるで先の大王のようだ」
家臣達は瑞歯別皇子をとても尊敬の目で見ていた。
(誘拐された女達も、以前佐由良が襲われかけた時のような扱いを受けてなければ良いが)
以前とは、前に葛城の嵯多彦がやって来た時の事だ。あの出来事は、皇子自身今でも鮮明に覚えている。
(あの時の事は、今思い返しても本当に腹が立ってくる……)
「とにかく、これから見張りをしっかりと強化しろ。何かあれば直ぐに俺に知らせるように」
「皇子承知しました」
家臣の1人が代表して答えた。
「この宮から1人も娘が拐われないよう、十分に見張りを強化します」
(あとはその犯人をどうやって捕まえるかだな。誰かをおとりにする訳にも行かないだろうから)
瑞歯別皇子は宮の内部を歩いていた。
「しかし犯人は一瞬で娘をさらって行くと言っていた。相手の足が相当に早いのか、もしくは馬に乗っていたのだろうか。だが女達は普段馬に乗り慣れていないし」
そんな時だった。 彼の目の先で、采女の胡吐野が何やらソワソワしていた。
「おい、お前どうかしたのか」
瑞歯別皇子が胡吐野に声を掛けた。
「これは瑞歯別皇子、実は今日遠方から届く、米や野菜がまだ来てなくて」
「何、まだ来ていない?」
(何か遅れでもあったのだろうか)
「今日は佐由良が当番で、受け取り場で荷物の確認をする予定です。佐由良からもまだ何も返事を聞いてなくて」
「ふーん、まぁ受け取り場にも見張りがいるから、何かあれば連絡は入るのか」
「でも荷物が多い時は、少し離れた所に置いて、そこで荷物の確認をする事もあります」
それを聞いた瞬間、瑞歯別皇子は嫌な予感がした。
「おい、それがあいつらの手口なんじゃ」
「皇子、それって例の誘拐の?」
「その荷物の中に娘を入れれば簡単に運ぶ事が出来る」
「ま、まさか佐由良が」
その瞬間、瑞歯別皇子はその受け取り場に向かって走り出した。
「お、お待ち下さい。皇子ー!」
胡吐野はその場で叫んだが、彼は気にも止めずに行ってしまった。
(くそ、佐由良無事でいてくれ)
瑞歯別皇子が受け取り場の方へ向かって行っていると、1人の娘がこちらに歩いて来ていた。
「あれは……佐由良!」
佐由良は向こうから走って来る人が瑞歯別皇子だと分かると驚いた。
(瑞歯別皇子、どうしたんだろう?)
とりあえず皇子がこっちに向かって来ているので、1度その場で彼女は足を止めた。
そして彼は佐由良の前まで来ると、彼女を思わず抱きしめた。
(えー、瑞歯別皇子!!)
佐由良には皇子にいきなり抱きしめられて、何が何だかさっぱり分からない。
「皇子、一体どうしたんですか?」
(瑞歯別皇子のこの必死さから見て、何かあったのかしら?)
「佐由良、無事で良かった……」
瑞歯別皇子は、彼女が無事だった事を無事確認し、心底良かったと思った。
(お前は誘拐されていなかった)
瑞歯別皇子はそれから一旦佐由良を離した。そして息を「ぜーはー」しながら言った。
「お前が受け取り場まで行ってると聞いて」
「あぁ、今日届く食料ですね。それが私別の仕事が入って、今日は伊久売が代わりに見に行きました」
(何?伊久売が)
確かに今日は、元々佐由良が受け取り場に荷物を確認しに行く予定になっていた。だがどうしても急な仕事が入ってしまい、困っていた所に丁度伊久売が通りかかった。
それで事情を説明した所、伊久売が代わりを買って出てくれていたのだ。
「皇子一体何があったのですか?」
この皇子の慌てようが何なのか、佐由良にはさっぱり分からなかった。
「実はその食料を運んでる奴らが、今騒ぎになっている若い娘の誘拐をしている可能がある」
佐由良は無事だったが、荷物がまだ届いていないとなると、伊久売が誘拐に巻き込まれた可能性があると皇子は思った。
「そんなまさか……」
とりあえず、今はまず現場に行って確かめるのが確実だろう。
「とにかく受け取り場に行ってみるぞ」
瑞歯別皇子と佐由良は急いで、受け取り場へと向かった。
2人が受け取り場に着くと、瑞歯別皇子は受け取り場で見張りをしている男に声を掛けた。
「おい、ここに食料を持って来たやつはおるか?」
「瑞歯別皇子!今丁度皇子にお伝えしようと思ってた所でした」
その男はそう話すと、先ほど起った事を説明し始めた。
「実は今日は荷物が多いので、ちょっと離れた所で確認して欲しいと言われまして。それで采女の女が行ったんですが、何故か全然戻ってきません。それで心配になり、離れまで他の者が見に行ったら、その配達の者も采女の女もいなくなっていて……」
この男の子話しを聞いた皇子と佐由良は、やはり伊久売は誘拐されたと思った。
「やはり、今若い娘の誘拐しているのは、そいつらの仕業か」
「そんな、伊久売が……」
佐由良は、どうして良いか分からずただただ怯えていた。1歩間違えば自分が誘拐されていたはずだ。
すると、見張りの男が急に言い出した。
「皇子、そいつらが消えてからまだそんなに時間が立ってないので、恐らくまだこの近くにいると思われます」
「そうか、では急いで追いかけて……って。いや待てよ。そいつらの跡をついて行けば、奴らのアジトにたどり着ける」
「なる程ー、皇子その手がありますね!」
見張りの男はとても感心して皇子にそう言った。
「しかし、問題は誰に跡を追わせるべきか?」
丁度その時、瑞歯別皇子達の元に1人の青年がやって来た。
「瑞歯別皇子、こちらにいらしたんですね」
「お前は稚田彦。今戻ったのか!」
瑞歯別皇子は直ぐ彼の側に寄った。どうやら割と気心の知れた間柄のようだ。
(この人は誰だろう)
佐由良は不思議そうにその青年を見た。歳は瑞歯別皇子と同じぐらいだろうか。
(こんなに瑞歯別皇子が気さくに接する男性は初めて見たわ)
すると稚田彦は佐由良の方を見た。
「皇子、こちらの女性は初めて見ます。新しい采女の方ですか?」
「吉備国海部の佐由良だ」
「あぁ、あなたが噂の。話には聞いておりました。私は瑞歯別皇子の補佐をしている稚田彦と申します」
「始めまして、佐由良です」
佐由良は頭を下げた。
「今回は大和近辺の偵察に行ってまして、先程戻って来た所なんですよ」
「こいつの父親が、先の大王の異母兄弟に当たる。こいつも一応皇族の者だが、皇子の資格は有してない。だがかなり優秀なので、俺の補佐をしてもらっている」
瑞歯別皇子が横から説明した。
「まぁ、それは凄い方なんですね」
佐由良はとても感心げに言った。
「そうだ稚田彦、宮に戻って来てすぐで申し訳ないが、お前に頼みたい事がある」
瑞歯別皇子は、今回の若い娘の誘拐の事件の事を彼に説明した。
「なる程、では私にそいつらの後を追って欲しいと言う事ですね。それは構いませんが、ただ私1人が後を追っていたら、もしかすると相手に怪しまれてしまう可能性が」
(確かにそれは言えてるかしれない)
佐由良も彼の意見に同調した。
(後を追って怪しまれずに済むには……)
「そうだわ!では私も一緒について行きます。男女の組み合わせなら、若い夫婦が旅してるって感じに見えるでしょうから」
「確かに、それなら怪しまれにくいですね」
稚田彦は「なるほどー」と頷いた。
「何が、なるほどーだ!俺はそんなの認めないぞ!!」
(佐由良、自分の言ってる事の意味分かってるのか。そんな危険な事)
瑞歯別皇子はいきなり血相を変えて突っかかってきた。
「でも皇子、伊久売が心配で宮で待ってるなんて私には出来ません!それに私、こう見えて馬にも多少乗れます。なので私が同行するのが得策だと思うのですが」
「馬に乗れるのは有り難い。と言うより、早くしないとそいつらを見失ってしまいますが、どうします皇子?」
「うぅ......分かった。それなら俺も一緒に行く。佐由良、お前は俺の馬に一緒に乗れ」
「そんな、もし皇子にもしもの事があったら」
佐由良は不安げに言った。
「まぁ、稚田彦程ではないが、俺もそれなりに剣が使える。万が一の時も何とかなるはずだ」
「それは、そうですが……」
稚田彦はやれやれといった感じだ。
そして結局、この3人で後を追う事になった。
見張りの者には、家臣に連絡だけするよう伝えた。家臣達に相談すれば、絶対に反対されると皇子達は思ったからだ。
「では、2人共行きますよ」
稚田彦がそう言うと、3人は後を追うために向かった。
佐由良も馬には多少乗れると言っていただけあって、サッと馬に乗る事が出来た。
(お前、吉備では本当に馬にも乗っていたのか)
瑞歯別皇子はそんな彼女を見て、改めて他の普通の姫とは違うなと思った。
そして3人が馬で必死で追っていると、しばらくしてれらしき人物の男が米や野菜等を運んでいるのが見えた。
(きっとあの荷物の中に伊久売が詰め込まれてるんだわ)
「とりあえず、追いつきましたので、これからはペースを落としてあとを追います。毎回この近辺の村の娘を盗んでいるとなると、恐らく奴らのアジトもこの近くにあるはずです」
そうして、馬に乗りながらゆっくりと後を追った。
流石に後ろから馬でゆっくりと後を付けられているので、その男も後ろをチラチラと見ていた。
「やっぱり私達怪しまれてますね」
稚田彦が少し緊張気味に言った。
佐由良もどうしようと、後ろの瑞歯別皇子をチラッと見た。2人で乗っている為、佐由良と瑞歯別皇子の距離はかなり近い。
瑞歯別皇子もどうしたものかと考え込んでいた。
「うーん、これは仕方ないか。佐由良俺の方を向け」
そう言って瑞歯別皇子が強引に佐由良を自分の方に向かせた。
(え、なに?)
そして皇子は、いきなり佐由良に口付けた。
「ん! んんっ... !」
佐由良は余りの事に、とっさに瑞歯別皇子から離れようとした。
(皇子、ちょっとやだ!)
だが皇子は馬の手綱を握ったまま、佐由良を強く抱き寄せ、逃げようとする佐由良の唇を追って、さらに強引に口付けをし続けた。
「んんっ... ...! っう... ... !」
(皇子、何て大胆な……)
流石に稚田彦も呆気にとられた。
前を歩いてる男も2人の長い口付けを見て、流石に目のやり場に困ったらしく、すぐ様前を向いた。
その様子を確認した瑞歯別皇子は、やっと佐由良から唇を離した。
「ふぅー、何とか誤魔化せたみたいだな」
「皇子も思い切った事しますね」
「まぁ、これで大丈夫だろう。先を進めるぞ」
佐由良は余りのショックに言葉を無くした。
(皇子の唇の感触がまだ残ってる......いくら伊久売を助けるとは言え、心が付いて行かない)
瑞歯別皇子は余りに佐由良が無口なので、彼女の耳元に話しかけた。
「おい、佐由良大丈夫か」
(皇子はどうして平気なの)
「はい、大丈夫です。お気遣いなく」
佐由良は思わず下を向いた。先程あんな事があったばかりなのに、全く動じてない彼に対して、何ともやるせない思いがしていた。
そんな佐由良の心境に皇子は特に気付いているふうでもなく、彼女の耳元で小さくささやいた。
「もしかして、さっきの口付けでは満足出来なかったのか」
「そ、そんな事ありません!」
思わず佐由良はその場で叫んだ。
「うん、佐由良どうかしましたか?」
稚田彦は心配して彼女に訪ねた。
「いや、何でもない。気にするな」
瑞歯別皇子は何事も無かったかのように、平然と答えた。
(私初めてだったのに...皇子はきっと経験あるんだろうな)
そうして更に後を追っていると、前を歩いている男は森の中へと進み出した。
「まずい、これ以上は馬を降りて進もう」
瑞歯別皇子がそう言った為、3人は馬を降りて、前の男に気づかれないように歩いて向かった。
しばらくすると簡単に出来た集落を見つけた。遠くから見ると集落の1箇所に若い女達が、集められていた。そして皆ビクビクしていて、とても怯えている様子である。
「連中は14、5人ぐらいで、囚われた女は大体20人ぐらいのようだ」
そこに前を歩いていた男が、荷物の中から1人若い女を引っ張り出した。
「あれは伊久売だわ」
佐由良はしっかりと伊久売の姿を確認する事が出来た。
「よし、稚田彦。ここは俺が見張ってるから、佐由良を連れて宮に戻って20数名程兵を連れて来てくれ」
するとそれを聞いた佐由良が言った。
「皇子にもしもの事があってはいけません。私もここに残ります。それにちょとでも早く宮に戻るなら、稚田彦様1 人で戻った方が早いです」
それを聞いた瑞歯別皇子は肩を落として、言った。
「あぁー、くそ。稚田彦、済まないが1人で急いで宮に戻ってくれ」
それを聞いた稚田彦は答えた。
「分かりました。では急いで戻ります。お二人は、くれぐれも無理はしないで下さい」
「あぁ、分かっている」
それを聞いた稚田彦は「では」と言って、森の外に向かって走っていった。
瑞歯別皇子と佐由良はとりあえず草むらに隠れて、集落の方を見ていた。
(お願い、伊久売無事でいてね)
そうしていると、瑞歯別皇子が佐由良の手を握って言った。
「良いか佐由良、絶対俺の側を離れるなよ」
佐由良も思わず「は、はい」と答えた。
先程の馬に乗っていた時程ではないが、2人の距離はとても近かった。
(こうやって近くで見ると、皇子ってやっぱり体つきがしっかりしていて、凄い男しい……)
すると先程の瑞歯別皇子との口付けを思い出し、急に胸がドキドキして来た。
(バカ、今は伊久売達を助けるのが先決。何変な事考えてるのよ)
佐由良は頭をブンブンさせた。
「稚多彦の速さなら、もうそろそろ宮に着いた頃か。はぁー本当に何でこんな厄介な事に巻き込まれるんだ」
瑞歯別皇子は佐由良を近くに引き寄せて、イライラしながら言った。
「でも、皇子のお陰で犯人のアジトも見つかりました。捕まった娘達もこれで助けられそうですし」
それを聞いた皇子は、佐由良に向かって言った。
「だが佐由良、今後はくれぐれもこんな無茶はしないでくれよ。今回は仕方が無かったとは言え、本当はお前をこんな所に連れて来たくは無かったんだ」
「それは、本当に済みません」
佐由良は、それには言い返す言葉が無かった。
すると瑞歯別皇子は、佐由良を自分の方へ向けて真っ直ぐ彼女の目を見て言った。
「とにかく、お前の事は俺が絶対に守ってやる」
(瑞歯別皇子……)
その時だった。また急に不思議な光景が見えた。
そこにはまた2人の若い男女がいた。
「これは前に見た2人だわ」
そしてこの2人がいるのは、何と吉備の海部だった。
佐由良がふと女性を見ると、その女性は佐由良に非常に良く似ていた。今の彼女よりも、何歳か年上に見える。
そして一緒にいる男性が、その女性に何かを渡している。
「あれは、私が持ってる勾玉の首飾りだわ」
彼女がそう思った瞬間、そこでその光景は終わってしまった。