今期から体操のおにいさんとおねえさんも入ります。私は一瞬耳を疑った。この番組はうたのおにいさんとおねえさん2人だけで構成してきた歴史がある。いきなり体操、ですか? 音楽番組ですよ。
「体操のおにいさんのジローです」
「体操のおねえさんのマリです」
ジロー兄は若い細マッチョ。優しそう。
マリ姉はグラビア系の美人。お色気担当?
「新しい人、入れるの?」
ナル兄がプロデューサーの山田さんに確認した。
「実はね、マリちゃんがうたのおねえさんという話もあったんだよね。今回はやる気のあるおねえさんがほしかったから、のどかちゃんにお願いしたけど、マリちゃんの事務所と揉めてね……体操枠を急遽、作ったんだよね」
プロデューサーの山田さんが冷汗をふきながら説明した。
「マリ、歌には自信があるんだけどね。ざんね~ん。ダンスには自信あるんで~、ナルおにいさま、よろしくお願いしまーす。お仕事ご一緒できてうれしいでーす」
なんとなく裏表ありそうな、マリ姉。体操担当。
「俺、巨乳大歓迎。よろしく」
ナル兄がマリに話しかけた。
今、ナルお兄様、巨乳って言いましたよね? うたのおにいさんが……なんて発言……。全国民が残念な気持ちになりますよ。
山田さんが文章を配った。
「あと、確認だけど、SNSとかブログは禁止ね。恋愛や結婚も在職中はだめだよ。人目に付く場所でのパチンコなどのギャンブルや飲酒もだめだよ。子供の夢をこわさないでね。あと、運転や飛行機もだめだから」
その紙には箇条書きで色々書いてあった。信号無視禁止、立ち食い禁止、イメージ崩壊行為禁止という項目は少し笑えた。
「プライベートも厳しいですね……僕らに人権はないのでしょうか」
ジローが天井に向かって叫ぶ。ちょっと壊れているみたいだ。
「えぇ? SNSとかダメなの? 飲み会も?」
マリは開いた口がふさがらない。
「恋人がいる人は別れないと落ちるって事務所からいわれて……。彼氏とは別れたけど、まだ色々あるの?」
マリは青ざめた。
「嫌な奴は辞めろ。すぐ拡散される時代だ。イメージダウンのリスクが高い。でも、ばれないようにやれば問題ないけどな。まぁ、俺はこの世界で生き残るために、スキャンダルはゼロで卒業するつもりだ」
ナル兄は適当そうなのに仕事に対しては実直だ。
ギャップ萌えのような変な気持ちになる。子供は嫌いだけど、うたのおにいさんは業界で生き残るべく仕事をする。この強い意志があるから、いまの人気があるのだろう。この人……何を考えているのか、全くわからない。
ナルおにいさんは、適当でいいかげんな性格なのに、うたのおにいさんの仕事に対してはかなり厳しい一面がある。自分に意外と厳しいのだ。
なぜこんなに自他共に厳しいのか? なぜそこまでして芸能界で生き残りたいのか? それは彼の生い立ち、生育環境にあるようだ。
♢♢
俺は有名音楽一家の息子だ。音楽大学の大学教授をしている両親と兄弟もプロの音楽家だ。血筋もいいが、彼の学歴もあの有名大学大学院の声楽専攻を卒業している。プロの音楽家として仕事をせずに、子供向けのおにいさんとして活躍することは彼の両親は反対していた。両親は 堅実な仕事をしてほしかったらしい。若い時にしか仕事がない、うたのおにいさんは将来的に心配だ。大学で教鞭をとったほうが安定している。芸能界なんて辞めてほしい。
親の敷いたレールの上を走る電車男にはなりたくない。もっと自由に生きるために、こんな不自由なうたのおにいさんを選んだ。一見矛盾しているように思えるが、俺にとってはこの仕事は自由なのだ。だからこの仕事をできる限り長くやって、世の中にみとめられて、芸能界に残れるように、俺は最大限の努力をする。
高視聴率を目指しているのに、あのキッズソングオタク娘が入ってきたせいで、番組人気が心配だ。
しかし……あのいじめがいのある変な娘が少し俺の息抜きになっているのは確かだ。スキのない美人よりも、純粋でどこか抜けているほうが毒を持っている男には心地いい。イジリ甲斐があるってもんだ。俺は毒を持っていると自覚している。俺の息抜きは毒舌だ。その言葉で相手を攻めることは快感となる。
とりあえず、全力で仕事をする。証拠の残るスキャンダルは起こさない。俺は人生を賭けてうたのおにいさんを全うするのだ。
昨日、夢の中にあの娘が出てきた。俺のプライベートに潜入するとはいい度胸だ。そもそも、仕事の仲間が夢に出てきたのは初めてだ。
あのオタク娘に連絡先を渡したら、反応が面白いだろうな。毎晩、あいつをいじり倒したいな、いじり甲斐のあるやつだからな。俺の見えない鎖であいつを束縛してみたい。よくわからない欲望が俺の中に芽生えていた。
それは、収録中の出来事だった。
「これ、渡しておく」
そういわれて渡されたメモだけど、何だろう?
電話番号とメールアドレス、これ、ナル兄の連絡先? 私は驚いてすぐに隠した。
連絡しろってこと? 本人に確認してみないと。
「あの、さっきの……?」
「あれ? 俺のファンじゃなかった? のどかおねえさん」
意地悪そうなほほえみ。この人の笑顔は反則だ。
「でも、私、恋愛する気もないですし」
「なんだその、すぐ恋愛とかいう発想。幼稚だな」
「用事ないですから」
「夜、さびしくなったらメッセージを送ればいい。毎日俺らは会えるけどな。俺、基本仕事仲間とは連絡しないから」
「前任のおねえさんにも連絡していますよね?」
ネット上で話題になった、おねえさんとおにいさんの恋愛。
「俺、連絡先教えてないし知らないから」
ええええ?
何? 私にだけ教えたの? どっきりか? からかいだとしか思えない。私の心拍数は上がった。
「俺、おまえみたいな純粋で真っすぐな人を見ると、つい、いじめたくなるんだよな」
「小学生の男子ですか?」
「小学生の男子って気になる人をいじめるっていう習性あるだろ」
「……?」
「とりあえず、今夜メッセージ送れよ」
そして、突然何事もなかったかのように仕事モードになる。なんて器用な男なのだろう。不器用な人間から見るとうらやましい。
私の胸はどきどき高鳴る。メッセージなんて送ろう? もう私はメッセージのことで頭がいっぱいだ。私は既におにいさんに毒の鎖で巻かれているのかもしれない。何を送信してもあの人の毒牙が向けられそうで怖いけれど――近づきたい。複雑だ。
私のスマートフォンから音が鳴った。あまり、普段なることがないので、画面をチェックすると――
『今から出かけるから、テレビ局近くの公園前まで来るべし。これは、休日出勤。命令だ。車で迎えに行くから、待ってろ』
というナル兄からのメッセージが。どういうこと?
そのメッセージは突然だった。命令口調というまさにナル兄らしい誘い方で、休日出勤をを命じられたのだ。私の歌い方がダメだったのかな。もしかしたら、踊りを合わせる練習をするとか? 完璧なナル兄は収録までに私に叩き込みたいのかもしれない。
まさに、先輩からの洗礼なのかもしれない。きっとダメだしされるんだろうな。そう、ネガティブに落ち込んでいた。久々の休日なのに鬼監督に合わなければいけないとは、ちょっと災難だ。私はファン目線ではなくなっていた。同じステージに立つ同士としての足りない部分を説教されることを覚悟して、メイクをして向かうことにした。でも、どこで振り付けの練習するのかな。そんなことをあれこれ考えていた。
公園に行ってみると、入り口脇にナル兄らしき人が乗っている高級な車があった。
「車の運転っていいの? 禁止事項に書いてあったような」
「本当は禁止だけれど、まぁいいかなって。お前と組んでからちょっと肩の荷が下りたんだよな。今まで張りつめていたものがちょっと抜けた感じがする。歴代最長でおにいさんやっているから、もう、いつ辞めてもいいくらいだし、何年も息を殺して生活していると息が詰まってさ」
たしかに、プライベートの自由を奪われている大人はなかなかいない。みんな自由の中で生きている。恋愛禁止なんて、今時アイドルでもそうはいないと思う。
「今日は、どの曲の振り付けをするのかな?」
私は一応、持ってきた振り付けの説明の紙と楽譜を取り出しながら指示待った。すると、ナル兄が笑った。
「休日にまで、楽譜持ってきたのか? 仕事やる気満々だな。でも、あいにく今日は俺が仕事モードはオフなんだよな」
「え? じゃあなんで? こんなところに呼び出したの?」
思わず思ったことを口にしてみた。
だって、仕事しないならば、私たちが会う必要はないのだから。
「仕事抜きで会うのは嫌か?」
ちょっとむっとした顔をするナル兄。
「そういう意味ではないのだけれど……」
「どうせ暇人だろ。彼氏もいないし」
「彼氏は禁止されているから」
「まぁ、お前みたいな女と付き合いたいなんていうのはかなり物好きだろうな」
「ひどーい。でも、二人で会うのってまずくないのかな?」
一番気になる点を聞いてみた。
「仕事の打ち合わせで、いいだろ。真剣交際だから、文句言わせないとかは?」
「何それ、真剣交際?」
「あぁ、結婚すれば交際じゃないから問題ないよな?」
「そーいうことじゃないでしょ」
私の頬が少し熱くなるのがわかる。
ナル兄の顔色は全然変わらない。
私をからかっているだけなのだろう、くやしい。
ふと見ると、横にいる男性はずっと大ファンだった人で……
やっぱりかっこいい顔立ちで、私の好みで……。
ナル兄は、シャープなフェイスライン、きれいな瞳、きめ細かい肌、うらやましいくらいの小顔を持ち合わせていて、運転をする横顔に、つい見とれてしまった。
「俺にみとれてんじゃないぞ」
この人は私のことを掌で転がしているとしか思えない。
だいたい、ナル兄は暇なのだろうか?
私のことをなんで会わなくてもいい休日に誘ったのだろうか?
疑問点は多々あった。しかし、私はあまり深く考えない性格なので、今日の天気の良さに心地よくなっていた。風が優しく包んでくれる日差しのやわらかい午後。私は、大好きだった人の隣にいる。一応過去形だ。今は、大好きというよりは、迷惑をかけたくないという気持ちのほうが強い。ただ見ているだけだったほうがずっと気楽で幸せだったのかもしれない。
今思えば、湯気がでるほど恥ずかしい長文ファンレターをこの人あてに送ったこともあったし、番組あてにも感想と提案も長文で送っていた。私の青春は歌に捧げたと言っても過言ではない。それは、今の仕事をしたいから、歌を学んだのだし、何よりも音楽と子供が大好きだった。ナル兄は思った人とは違うけれど、テレビでは見せない根性とかプロ意識は楽屋でこそ感じられるし、やぱり良かった。この仕事ができて。
そんなことを考えていると眠くなってしまった。大きなあくびをすると、
「海まで運転するから寝ててもいいぞ。いびきかいても知らんがな」
どうして、若い女性にそんなこと言えるのかな。本当に嫌味な人だ。
「ナル兄は、マリ姉のこと、どう思う?」
「いい胸していると思う」
真剣な顔で答えるので、突っ込むべきか迷ってしまう。
「そうじゃなくて、マリ姉はナル兄のファンなんだよ」
「そりゃ、幻滅されないかという不安しかないな」
「自分のことわかっているのね。マリ姉のことは、誘ったりしてるの?」
ずっと不安だった。もしかしたら、交代交代でマリ姉を誘ったり、私を誘ったりしているのではないか、と思ったからだ。暇つぶしはやはり同僚が基本というわけで。
「心配するな。マリのことは誘ったこともないし、連絡先も知らないから。俺は、胸の大きさで女に声をかける男じゃないからな」
「なにそれ」
私のこと、どの程度好きっていう気持ちがあるのかな。
同僚として好き、友達として好き、どちらだろう。
でも、よくよく考えると、どちらも好きの程度はあまり大差ないことに気づいてしまう。そんなことを考えているうちに海の見える場所までやってきた。
この時期は人が誰もいない。それはまるで、私たちだけのために海が待っていてくれたかのように錯覚してしまう。そんなはずはないことは承知だけれど。だれもいない海は、天気はいいけれど、少し肌寒かった。潮の香りが漂う海の風はしょっぱくてきもちがいい。髪の毛が風で揺れる。
「なんで、海に来たの?」
「疲れたら、海だろ」
「なによ、その理屈」
「俺の場合は、広い海が癒されるんだよ。おまえも仕事に疲れが出る時期だろ。海に癒してもらえ」
もしかして、この人なりのねぎらいの行動なのかな?
たしかに、新人は特に疲れが出やすい時期だ。五月病という言葉があるくらい、少し慣れてきたこの時期がどっと疲れが出るのだ。意外と、気配り上手な上司みたいで、純粋にうれしい。
「叫びたい事があれば、海に向かって叫ぶと、わりとすっきりするけどな」
「ナル兄は絶対ストレスたまらなそうな気がするけれど……」
「俺は、繊細な音楽家だ。ストレスだらけだけど、最高のパフォーマンスを見せるために、最年長でもがんばっているんだっつーの」
そうか、そうなのか。この人の魅力は、いつも全力で仕事に立ち向かっているから視聴者に愛されているのかもしれない。プロとしての取り組みがお茶の間まで伝わっているからこんなに人気者になったのだろう。
長年おにいさんをやっていたら、疲れるときもあるし、いらいらするときも、体調の悪い時もきっとあると思う。それでも、毎日笑顔を作っている影には努力と苦労がきっとあるのだと私は横顔を見て悟ってしまった。
長年ファンをやっているのに、ナル兄のこと、何もわかっていなかったのは私なのかもしれない。
「今日は、たっぷり海と私に癒されてちょうだいね」
茶目っ気たっぷりに言ってみる。
「いや、おまえに癒しは求めていないがな」
真面目な顔で、否定された。
本当に素直じゃないんだから、ナル兄は。
私たちのつかの間の休日は滞りなくあっという間に過ぎ去った。
そして、また、明日から嫌でもこの人と顔を突き合わせて真剣にお仕事だ。のどのケアを怠らないようにしないと。私は、帰宅すると加湿器のスイッチをオンにした。
夏休みスペシャルのために、夏になる前に肌寒い季節に海で撮影することになった。ロケバスで海に行き合宿撮影だった。こんな風景、一年前には想像もできなかった。
ナル兄は腹筋が割れていて、体を鍛えていることが水着になるとよくわかる。お母さんたちは、羨望のまなざしであの腹筋を見るに違いないと思った。
春の寒空の海で、常夏気分で踊れ歌えの無茶ぶりだった。
うたのおねえさんの仕事を舐めていたかもしれない――。
思ったより 体力的にきつい。それを顔に出さずに、まるで真夏の空の下で歌うかのようなナル兄はすごい。声は、後に撮り直すみたいだがそのまま使っても問題ないクオリティーだ。
撮影の時はいつも肩と肩が密着する。変にうたのおにいさんとおねえさんが離れているのは不自然なので、いつもくっついてくださいと言われる。正直、心臓の音を聞かれてしまわないか――ドキドキしてさらに心拍数が上がる。
私の右には、いつもうたのおにいさんがいる。撮影が終わると、瞬時に離れるのだが、なかなか肩と肩が密着するという行為に慣れずにいた。
部屋は個室で、窓の外の星空を眺めていた。星降る夜に肩を寄せ合って一緒にいられたらどんなに幸せだろうか。
すると、ノックの音がする。まさかのおにいさんが私の部屋にやってきたのだ。
人刺し指を一本たてにして「しーっ」といいながら入ってきた。
私は声にならずに、部屋着のまま立ち尽くしていた。メイクも落としてしまい、ノーメイクのままでこの人に会ってしまうとは。
「何しに来たの?」
「お前の顔を見に遊びに来たんだって」
「ノーメイクの顔を……?」
思わず本音が出てしまった。
「おまえはメイクしてもしなくても、かわらないな」
それは褒められているのか? けなされているのか?
突然おにいさんが壁ドンをする。少女漫画ならば胸キュンポイントだが、いまいち自分の立ち位置がわからない私としては、どうすればいいのか何が目的なのか、わからないでいた。
「なんで連絡してこない?」
「文章が思いつかなくって……毎日会うから直接話せばいいし」
「俺の連絡先知っているのは、超貴重だぞ」
「個人的に連絡とりあうのって、やっぱりうたのおねえさんとしては失格だと思うし」
「なんでお前はそんなに馬鹿まじめなんだろうな……。おまえなんか、大嫌いだけどな」
なんたる発言。こんなこと言われたら普通幻滅するのだろうが――
相手は超美形男子。何を言われても私のような恋愛初心者は心を許してしまう。
「なんで……?」
切れ長の瞳がきれいで、目力が鋭く刃のごとく切り刻まれそうだった。なぜかはわからないけど、この危険オーラ爆発のおにいさんに好かれてしまったのだろうか?
かなり物好きなおにいさん……これは運命だと勘違いしてもいいものだろうか?
でも、この曲者と恋愛初心者の私が交際するのは――至難の業だろう。
かなり大変なのではないのだろうか??
「つきあうつもりはないから」
何――その急に天国から地獄に振り落とすようなセリフ。
あからさまにがっかりな表情をしてしまった。
「うたのおにいさんを卒業したら、つきあうか?」
え……? 何、その提案?
「俺のこと好きだろ?」
「好きじゃないよ」
「痛っ……」デコピンされた。キスではなかった。
期待した私が馬鹿だった。
「ちゃんと連絡しろよな、待っているからな」
右肩が触れるだけで、緊張していたのに――
こんなことがあるなんて――
「卒業したらよろしくお願いします」
大好きな人の顔が間近にあったせいで、私は顔が火照った状態で返事をした。
「よし」
まるで私への扱いはペットだ。ペットのように私の髪を撫でる。
おにいさんの瞳は美しいけれど、どこか氷のような冷たさを秘めていた。
もし、この人の氷を解かすことができれば――彼に本当の幸せを与えられるのかもしれない。でも、私たちは 禁断の愛だ。この恋は絶対秘密事項だ。