「だから服を脱げと言ってるだろうが!」
「この状況で誰が脱ぐか! 変態!」
「この状況だから言ってんだろ! 血まみれで帰る気か、バカ!」
とんでもないことを言うヤツを前に、私は自分の身体を抱きしめるようにして叫びかえす。
なんでか知らないけど、私は病院からの帰り道の林道で倒れていて、意識が戻ったら血だらけで、目の前には見知らぬ男がいて、こんな変態なことを言ってくるんだ。まさかこいつ……通り魔とか⁉
に、逃げなくちゃ……そう思うのに、私は服を真赤に染めて、しかし立ち上がれもしない。出血が多すぎるのか、目の前がぐらぐらしている。
そんな私の前に座り込んでいるのは、月でも切り取ったようなパッと見は美麗な男。言っていることだけ聞いたら通報モノの不審者だけど。
私と不審者が叫び合う――この状況の理由も、実はよくわからない。
海雨(みう)の病院から帰って来た記憶はある。でも、途中で意識と記憶がふっと途切れている。
そして目が覚めた私の服は赤黒い血で染められていて、背中に走っている傷の痛み。
この不審者の手を借りなければ、眩暈(めまい)が非道くて座っていることも出来ない状態だ。
実際、今も自分を抱きしめている片腕を、不審者に掴まえられていてやっと倒れないでいられるくらい。
意識を失っている間にどうやら私は、目の前のムカつくくらい、本当に腹が立つほどの、こんな状況でさえなかったら見惚れていたような――美麗な『鬼』に助けられてしまったらしい。
私はついさっきまで、……死にかけていた。いや、正しくは殺されかけていた。……ようだ。
「てかあんま叫ぶな! ……ほら」
こんどは呆れたような口調で言われた。ぐらりと視界が回って、座っていても倒れてしまった。……美形不審者の腕に抱きとめられてしまう。不審者はため息を吐く。
「ただでさえ血ぃねえんだから、無駄に使うな」
「……うぅ」
不審者は、不審者のくせに、心配するように言ってくれるけど私は悔しくて悪態をつく。
こんな間抜け姿を見せる醜態が悔しい。
……心配されるような口調をされると、困る。どうしていいのかわからないから。
言動は思いっきりヤバい人なのに、助けられているみたいに思えちゃうから。
「寒いのは我慢しろよ」
そう言って、服の背中をめくりあげられた。
………。
傷に、素肌に、手が触れている。
不審者の。
「……ギャーッ! 何すんだ色魔! 変態!」
「傷治ってるか見るだけだ。騒ぐな。人気(ひとけ)がないからって人がいないわけじゃねえんだ。見つかったら恥ずかしいのはお前だぞ?」
「恥ずかしい原因作ってる奴が言うな!」
な……何なんだこれ! 何の仕打ち!?
「ひゃっ!」
急に背中に手を当てられてびくりとしてしまった。冷たっ! 手が滅茶苦茶冷たい! こいつどれだけ外にいたの!?
「結構深く斬られているな。……いや? これって……」
何やら独り言ちているけれど……何でもいいから早く服を着させてーっ!
「うう……あんまりだよ……何が哀しくてこんな醜態……」
「騒ぐな」
この状況で大人しくしてる余裕なんかない!
「おい。お前……」
「何!? 何してんの今!?」
「……元気だな」
貧血でも、不審者に質問も許さないくらいに叫ぶことは出来た。
「ひぎゃっ!」
「痛っ」
不審者の頭に私の拳が当たった。裏拳? なんでそんな低い位置に頭があるのかと思ったけど、背中の傷を見るために身をかがめていたみたいだ。
お、思いっきり殴っちゃった……けど不審者は怒ることもなく、ヒットした右側頭部を手でおさえながら言った。
「悪かったよ。もう触んねえから。あとは血を拭き取るだけだから」
「………」
不審者……男の人は言ったけど、おびえてしまった私は近くの樹にしがみついて震えるしか出来ない。
「………」
男の人はどうしたものかとでも考えているのか、難しい顔をしている。私は、今は自分の身を護るのに必死だ。なんだか流れとしてはこの男の人に助けられたみたいだけど、状況に頭が追いつかない。
「こっち来い」
「………」
私は返事が出来ない。
じーっと睨んでいると、男の人は何かを諦めたように、ふっと口の端をゆるめて立ち上がり私に歩み寄った。私はびくりと身体を震わせたけど、咄嗟に動けなかった。まだ目の前がぐらぐらする……。
「元気なのはいいけど、無理はするなよ」
……あ、限界だ。男の人が差し出した腕に、私は倒れこんだ。
「すぐに戻してやるから。……少し待ってろよ」
少しだけ待っていろ。遠のく私の意識に、言葉がかけられた。
「生きろよ」
そして、首筋に牙を当てた。
あー……。
うん。声は出ない。
視界もぼやけている。
あー、そっか、私………。
自分から死ぬことだけは避けて来た。自殺だけはしないと選んできた。
だから、今なら。
殺されて逝こうとしている、今なら。
もう、いーよね……。
疲れたかも、しれないから。
「なー、その血いらねえんなら俺にくんない?」
暗い林道に倒れ伏したわたし。
背中を斬りつけられ、血が流れ出ている。
喋ることも、瞬くことも出来ないほど意識に霞がかかっている。
――月を背にした彼が現れるまでは。
「……ほしい……の…?」
あれ、音が出る。しゃべってる?
「そー。マズい血、飲まされてるから。あんたからいいにおいするし、美味そうだし」
そう言って、その人はわたしの脇に膝をつき、首元に触れた。手……冷たい。
「なあ、いい?」
「……いい、よ……わたし、を、しなせて……くれるなら………」
「ちゃんと送るよ。一度きりの餌にはしねえ。じゃあ――」
その人は、わたしの頭に手を添えて少しだけ持ち上げた。
「いただきます」
牙――が、首に突き刺さった。
+++
この命というものは、本来はいらないもので。
だから、生きて来られたの。
トクトク……静かな音……波の音? 樹を渡る風? ……何だかとても、大きな自然のような音が耳に届く。私は、朝、目が覚めるように瞼をあげた。
「ん、起きたか?」
誰かがいた。真上から声がする。その後ろに銀の月を背負っている。焦点の合わない視界のせいか、光が、翼のように散漫している。
「……てんし……?」
「あ? 何寝惚けてんだ。俺がそんなもんに見えるか?」
見えるよ。
とっても綺麗ね、あなたは……。
「悪いけど、俺は鬼だ」
そう言って薄く開いた口元からこぼれる――鋭利な、牙。あ―――
「おに?」
「そ。ほら」
言って、その人が私の首筋に触れた。どくりと鼓動の音が頭に響いた。そこには確かにある、二つの傷跡――牙の跡。
ちをすわれた。
「あ……っ!」
背中に走る痛み。何? 何があった?
「動くな。お前、死ぬレベルの出血してたんだ。――って」
「………」
急に起こした身体は支えられなく、倒れこんだところに腕があった。
「言うこと聞けよ」
呆れ気味に言われ、悔しさに顔を歪めた。
「……別に私、助けなんて呼んでない」
……取りあえず、逃げることは無理みたい。全然動けないよ。
「んー。腹空かしてたらいい匂いがしてな。来てみたらお前がいた。名前は?」
「……お腹空かして……で、私の血……? え、鬼って、何、吸血鬼、とかなの?」
信じる気はないけど、あの一瞬は死ぬのだとわかった私の命が生きている。……これのおかげなのだろう。首にある、深い牙の痕。
「半分はな。俺は混血。でも、お前に当たって正解。ほんと、かぐわしいくらいの香りがする」
言って、自称吸血鬼は私の長い黒髪の先を掬い取った。その動作がまた美麗で、思わず動けなかった……。吸血鬼の、夜闇を切り取ったような髪に、月の光を浴びて銀色に輝く瞳――本当に、ただの人間ではなさそうだ。
「え、私におうの?」
そこ、ショックだった。これでも一応女子高生。
「いや? におうっつーか、俺みたいな奴しかわかんないと思うけど……すごく、食べたくなるいいにおい」
「食べ……!? 吸血鬼じゃなくて食人鬼だったの!?」
ダーマーとかああいったタイプ!? 私が叫ぶと、「騒ぐな」と呆れ気味に言われた。
「俺は混血だけど、人肉食はしない。吸血もそんな必要ねーし」
「それはさらに胡散臭さが増すんだけど」
「そりゃそーだ。ま、いいや。傷見せろ。治療、途中だから」
「……はい?」
「傷。出血は止めて俺の血を容れたから、もう死ぬことはないけど、傷があったままだと痛みはあるだろ? その傷跡消しなら出来る」
「傷……」
って、背中と首筋?
「ほら、服脱げ」
「………。! ギャーッ!」
そして冒頭に戻る。
+
「名前、何だっけ?」
私は今、姫抱っこで吸血鬼に運ばれていた。マイペースな鬼だった。何だかもの凄く疲れたので、もう抵抗しない。何度も言われている通り、気力を起こす血がないみたいだ。
「……まこ。真紅(しんく)って、書く」
「真紅、ね」
「そっちは?」
「小埜黎(おの れい)。黎明の黎」
「れいめい?」
「『黒』って意味だ」
「黎、で黒なの?」
「黒、つまり夜が明ける、で夜明けって意味合いで『黎明』らしいぞ」
「ふーん?」
「真紅……なんかお前やたら軽いから、家帰ったらすぐ寝ろよ? 貧血みたいな状態だから。あ、それともメシ食った方がいいのか?」
「……女子相手に体重の話とかデリカシーない」
「そういう問題じゃねえだろ、今の真紅は。……睨むなよ。わーかった。悪かった。女の子に失礼だったよな」
「………」
な、と柔らかい顔で顔を覗き込まれて、思わず目を逸らした。お、女たらしとはこういうのを言うのか……。そして自分のペースに巻き込んでしまうタイプなのだろうか。どんなに突き放してもびくともしない。マイペース強い。
「あのさ」
「んー?」
「色々と訊きたいことはあるんだけど」
「訊いてくれていいぞ?」
「……どうやって帰ってるの? てか、どこに帰るの?」
「真紅の家だけど?」
「何で知ってるの?」
「においがする」
「犬か!」
「犬じゃねえけど。ほらまあ、血のにおいとかはよくわかるって。吸血鬼って理由で納得出来んだろ? そんだけだ」
「てきとーだね」
結構大雑把だった。
「あ、心音は落ち着いてきたな」
「……耳までいいの?」
「いや、こーくっついてると脈拍も直に伝わってくる」
「変態!」
「だから叫ぶな。……あーなんかいいなあ、この感じ。あったかいなあ。真紅はあつあつだなあ」
「私が一人で沸騰してるみたいな言わないでっ」
「じゃあ俺といるからあったかいのか?」
「普通の人間の体温だよ!」
「へー? でもほんと叫ぶなよ? まー俺はもっと抱きしめられるからいいけど」
「……ちくしょ」
また眩暈がして、声が小さくなった。叫び過ぎたかな……。
「はいはい。てか真紅って不良? こんな時間に出歩いていいのか?」
「……友達のお見舞い行ってたの。一人暮らししてるから言われることもないし」
「友達すきなんだな。でも、いくら親がいなくても遅くの出歩きは気を付けろよ? 俺だったからいいけど、変な奴に遭ったら」
「………親はいるよ。てゆか、吸血鬼とか名乗る変人に遭ったのも難だよ」
「俺のはほんとなんだからしょうないだろ」
「はいはい。ねえ
「ここかな」
黎が立ち止ったのは、旧いアパート。さすがにびっくりだ。意識を失っているとき、ゆらゆら揺れを感じながら眠っている心地だったら、黎はもう歩いていた。家の場所は全く教えていないのに、着いたのは私の住まい。
「あんた……ストーカーとかじゃないよね?」
不安になってきた。と言うか、今更ながら現実感がわいてきた。今まではふわふわ夢の中のような気持ちだったから、吸血鬼だのファンタジー話を流しながら聞いていたけど、家まで当てられると……。
「んなわけあるか。お前とは今日が初対面だ」
「だよね。……じゃあ、ほんとににおうの?」
「うん。すっげーいいにおい」
「……それは血のにおい?」
「真紅のにおいだよ」
「……どんなにおい?」
ここまでにおいの話をされると気になってしまう。一応、おなごだし。黎が階段をあがっていく。
「月のにおい」
「……つき?」
「桜色の月のにおい、だな。春の、夜桜が舞ってる中ってーのかな。すきなにおい」
「………」
天性のタラシだ。
私は汗がダラダラだ。
恥ずかしげもなくこんなことを言う奴が現存するのか。いや、過去にいた保証もないけれど。あぶないあぶない。いくら助けられた身と言えど、気をつけなくちゃ。
でも。
「……ありがと」
すきだと言われて悪い気はしない。私も、桜も月もすきだ。
「桜木……?」
「私の苗字だけど?」
アパートの一室。そう名の書かれた部屋の前で黎は足を停めた。ドンピシャで私の部屋だった。
でも、本当にどんなにおいがしているんだろう。抽象的な言い方だったからはっきりとはわからなかった。
「親いないって言ってたけど、ここで降ろすか?」
「警察を呼ぶべき事態になる?」
「ならねーよ」
言い、黎はドアを開けた。