好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


「いるよ。人間ではないモノってのは、案外多い。姿かたちがよく似ているから、普通の人間には見分けがつかないんだろうな。鬼は人間より長命だったり、死ににくかったり、あとは個人にもよるけど突出する才の幅が大きい」

「へー」

「疑わないのか?」

「なにを?」

「俺のこととか、話していることとか。普通に聞いたらただのヤバい奴だろ」

「あ、確かに。……でも、助けられた、のは本当だし……」

すっと、真紅の首筋に指先を触れさせた。

「ごめんな」

「へ?」

「牙痕(がこん)。これだけは俺にも消せなくて……女の子なのに、傷つけて悪かった」

最初は、血を頂くつもりで噛み付いた。でも、生かしたいと思って、噛み付いた場所から自分の血を入れた。俺の血が人間に馴染むかは賭けだったけど……真紅は、目を覚ました。

「いや、本当に命を救われたのは私だから。だから……」

「どうした?」

「……ちょっと、頭の中こんがらがってて……考えるから、時間ちょうだい?」

頭の中? 何か不安なこと……真紅を襲ったモノのことだろうか。

「考えなくていい。今思ってることを言ってくれれば」

今、思っていることを。俺も、真紅と話す傍ら考えていた。あれは――

「全然、知らないから、不安」

? 知らない?

「何を?」

「黎のこと。私を助けてくれたとか、人間じゃないとか、わかったけど……全然知らない人を、すきになることって……あるのかな?」

見上げる真紅の瞳の色に、どきりとした。

色がある瞳。放つ光彩が、虹のように綺麗だ。

そして、音にされた言葉。

「……さあな」


誤魔化すしか、なかった。真紅は真っ直ぐに問うてくれたのに。

「そこは答えてくれなくちゃ」

「真紅の気持ちは真紅にしかわからんだろ」

「……そりゃそうだ。それがね、今ぐるぐるまわってて、整理がつかない」

「………」

真紅は、自分を襲って殺しかけたものを、怖いとか、そういう風には思っていないのか?

死にかけたことは理解しているようだ。でも、その犯人のことは、原因のことは、一度も口にしていない。……防衛本能が、口にすることを拒否しているのだろうか。

「……な。真紅は今、俺に反抗出来ないだろ?」

「へ?」

急に変わった話題にか、言葉にか、驚いたように振り仰いできた。俺は瞳を細める。

「俺の血を容れたから、それが完全に《真紅》のものになるまでは真紅に俺は必要なんだ。例えでも俺が死んだりしたら、一緒に俺の血も死ぬ。死なないために、俺がすることに、しようとすることに抵抗しない。例えば――」

真紅の肩を抱き寄せると、勢いのまま俺の肩口に真紅の額がぶつかった。

「いきなりこんなことされても、抵抗しようとか思わないだろ?」

「と言うか……今何が起きている? あれ? 黎どこにいんの? 目の前が真っ暗で……え? 私目ぇ瞑ってる?」

「……さらにお前は鈍くさいようだな」

「どういう意味だおい」

「勝気なとこは好みだ」

「………。私はどうすればいいの」

「嫌なことは嫌って言えばいい」

そっと、肩を押して体を離す。急に瞳に入って来た月明かりが眩しかったのか、真紅は目を細める。

「今――真紅が俺に抱(いだ)いているのが好意だったら、それは真紅の生存本能がそうさせているだけだ。俺はそれに乗じて真紅を――弄んでるだけかもな」

アパートを出てからずっと手や肩と、真紅に触れていた手が離れた。

「真紅が天命待って死ぬときに逢いに行く。それまで、ちゃんと生きろよ」

「れ――

「生きて恋して、生涯の伴侶を持って、子に恵まれて、俺が憧れるような生き方をしてくれ」


「え……黎、もう逢えないの……? さっき、一緒に生きるって……」

「最期のときには逢う。でも、真紅は俺みたいな奴とは近づかない方がいいんだよ。それが人間の生き方だ」

「でも、さっき――私の血だけって……」

「言ったけど、正直俺はあんま血ぃいらないんだよ。半分だけだからかな」

「でも、まずい血を飲まされてたって」

「俺を支配下に置くために、な。血を与える、それは俺にとって主みたいなモンになるから、そいつがそういう存在である限り、俺はそいつらに反旗を翻せない。そういう意味」

「……もう、逢えないの……?」

淋しいよ。真紅の唇は小さく動いた。

「……それは、今だけしか思わない。暁(あかつき)になれば消える。だからな、真紅。……少しだけ、楽しかったよ」

「れ

「最期のときに、また逢おう」

真紅の目の辺りに手をかざして、影を作る。

「俺はお前に憧れたよ。綺麗な子」

――ふっと、真紅は意識を失って俺の腕に倒れて来た。

半分だけの吸血鬼。

こんなに綺麗な血をした子は、こんなに綺麗な心は、知らなかった。真紅が小埜の一族の中にいればよかったのにと思う。そうしたら俺は迷わず真紅を主に選んで、一生を傍にいたのに。

でも、真紅は人間。徒人(ただびと)。血をもらうなんて、それは禁忌。殺してしまいかねない。俺は純血の母と違って混血だから、吸血した相手を吸血鬼にすることがない。ただの人間を主にして血を求めれば、いつか殺してしまうかもしれない。主にした相手が吸血鬼ならば、不死の能力を持つ吸血鬼ならば、問題は薄れてくるけど。

恋しい人は求めても飽き足りない。殺してしまうほど、愛するしかない吸血鬼。愛する人の血を。

……血を失えば、人間は死んでしまう。ならば真紅は死なせたくない。恋しいから。慕わしいから。……愛しいから。

すきになりかけているかもしれないと言われたときは、それこそ心臓が止まるかと思った。自分が真紅に惹かれている理由は、その血だけだと思っていたから。


吸血鬼が主を得るとき、対象に恋させることが手っ取り早い。体面上は主従関係になるが、恋した相手を死なせたくないと思うのも人の心というものだ。

だから、真紅が自分をすきになってくれるのなら、それを利用して真紅を生涯の主に出来るかもしれない。……そんな邪な思いが身の内を過って、しかし頭を振った。駄目だ。俺はこの子を失いたくない。失いたくないから、離れていなければ――離れなければ。

憧れた少女。生きて恋して、自分じゃない生涯の伴侶を持って、その人との子を授かって、憧れた生き方をしてくれ。そして最期の時だけ、俺のもの。

最期に手をつないでいるのは、俺だ。

……それだけの約束があれば、俺は生きていけると思うんだ。

もしも今、自分の中にある感情に名前がつくのなら。

感情に名前がつく前に、ここを去らなければ。

……結ばれない多くの恋の中に、今、沈もう。


泣いていた。

やわらかな熱が離れていくのが淋しくて。

あたたかな瞳が閉ざされるのが淋しくて。

その熱で手を握って。

その瞳に私を映して。

それだけが、今の気持ち。今の私の全部。

全部全部、私は黎だけになっていた。

朝は当たり前のように来た。夜が続くことを願ったのは初めてだ。遮光カーテンの向こうに見えた朝焼けの色に、絶望の光もあるのだと教えられた。

離れることを嫌だと思った人と出逢ったのは、夜だった。

逢いたい。逢いたい。

でも、あの人が私に架けた願い。人間として、生きる。……それも叶えたい。

「真紅ちゃん、顔色悪いよ?」

「え? あ、おはよう」

義務感? わからないけれど、多分彼はこういう人間の生活はしていなかったのだろう。ならば私が叶えなくては。だって、ね。

「おはよう。昨日も梨実(なしみ)さんのとこ?」

登校途中の私の隣に立って歩くのは、苗字が同じというだけでよく構われて、それがちょっと迷惑なクラスメイト、桜城架(さくらぎ かける)くん。

と言っても、彼に問題があって迷惑しているわけではない。明るく社交的な性格で友達は多く、サッカー部の人気者。つまりは人目を集める容姿と性格と才覚のため、架くんを好きな女子生徒は多くて、その中に含まれない私は、構われるとついでに女子の嫉妬というおまけもついてきてしまうので困惑している。

架くんを拒絶してしまうのは申し訳ないし、かと言って女子たちの嫌がらせを甘んじて受けているのもしんどい。彼氏でもいれば女子たちの誤解は解けるのかもしれない――

――黎が彼氏になってくれたらいいのに。

そうだと名案が思い付いて、その一秒後には絶望の朝に還ってしまう。黎には逢わないと言われてしまった。そんな人にどうやって彼氏なってほしいと言えるの。

どこにいるのかもわからない人なのに。

背中には引っ掻き傷一つない。ただ、首筋に残った牙の痕しか、私にはない。

「真紅ちゃん、怪我した?」


ふと、架くんが顔を覗き込んできた。はっと意識を現実に戻せば、学校の門は間近。架くんは心配そうな顔をしている。怪我? それなら昨日、致死量の怪我をしたみたいだ。黎によって綺麗に消されたけれど。

「ううん。ないけど?」

あの傷は、何と説明していいのかわからない。あまりにも大きな問題なので、あの死にかけた傷はなかったものにしよう。あるのは、生かしてくれた黎の証だけでいい。

「そう? ならいいんだけど」

そこで、架くんに取り巻く女子生徒たちが見えたので、私は先生に呼ばれているからと適当に理由をつけて一人足早に校門をくぐった。


+++


「桜城くん? 別に来なくてもいいけど」

「だからすきだよ、海雨(みう)」

放課後、私は病院にいた。私立でかなり大きな病院。入院している幼馴染に逢うためだ。

梨実海雨(なしみ みう)。私の幼稚園からの友達。

海雨は今、ドナーを待つ身。元々身体が弱く、高校に入学しても入退院を繰り返していた。薬治療をしているが、根本解決するなら器官を取り換えるしかない。

私はその、適合者だった。

医者を脅して調べさせた。医者は半泣きだった。私は強きだった。海雨のためならそのくらい何のそのだった。

窓の方を見るように、ベッドのふちに並んで腰かける。海雨は髪を左肩に寄せて緩い三つ編みにしていた。

「んー、イケメンなのはわかるけど、何であそこまで騒ぐんだろうね」

「優れた遺伝子どうのってんじゃないの? わかんないけど」

私は、海雨とはこういったところで気が合うからすきだった。騒ぐところが似ている分、騒がないところも似ている。

「でも真紅、桜城くんに変なことされてるわけじゃないんだよね?」

「変なこと?」

「言い寄られたりしてない? 口説かれたり」

「いや、あるわけないでしょ」

「そうかなー? 一応用心しなよ? 真紅、フリーなんだから」

「用心する理由もないと思うけどなー」

もうすきな人はいるし。


…………。あれ?

今サラリと思ったけど、あれは――やっぱり黎は、私の中で『すきな人』にカテゴリーされている? だって今、そう思っちゃったし。

……けれど黎は、違うと言った。

私のその感情――黎に抱いているもの――は、生存本能がそうさせるのだと。

……でも、誰かを『すきだ』って思ったの、初めてなんだよ。誰かを、恋愛対象として。

「真紅? どした?」

「………」

どうしよう……どうしようもなくやっぱりすきだ。暁なんかで消えてはくれなかったんだよ。

言われた通りじゃないと言い張りたい。本当に、すきなのだと。大すきなのだと。

一緒にいたいのは最期のときだけじゃなくて――

「真紅―? 大丈夫? どっか痛い?」

「……えっ?」

痛そうな顔をしているのは海雨だった。

私の顔を覗き込んでいる。

「……うん。怪我はしてないよ」

「……真紅?」

私のヘンにに落ち着いた表情と声に、海雨は不安げな声を出した。

「真紅……すきな人でも出来た?」

「……うえっ!?」

いきなり核心を衝かれて、それまでの平静が消えた。海雨は俄然ノリノリだ。

「ねえっ、そうだよねっ? 真紅恋してるよねっ? 誰? あたし知ってる人? もしかして桜城くん? だからあんなこと訊いてきたの?」

矢継ぎ早な質問に、顔が火照るのばかりを感じる。海雨の目は鋭い。

たった今気づいた自分の心は、もう親友に見透かされている。

「~~っ、わ、私飲物買ってくる!」

「あっ! 逃げるなー!」

逃げさせてくれー!

心の中で叫んで、海雨の病室を飛び出した。



「はー……」

時間を稼ぐためと、同じ階にいては海雨に見つかってしまうと思ったので、自販機で買うのではなく売店のある一階まで降りた。はー……困った。

海雨の分もお水買っていこ。

海雨は過度の糖度やカフェインの摂取が制限されているので、ミネラルウォーターを選ぶ。

自分も同じもの手にして、会計を済ませた。けど、海雨も普通の女子なんだよねぇ。

恋バナ大すきか。

でも、まさか黎のことは何と説明していいのだろうか。助けられた、だけなら言えるけど……。

海雨のことだから、いつ、どこでどんな状況で――と話を掘り下げてくるだろう。

そうしたら言える言葉がない。

もう逢えない人なのだと。

どこにいるかも知らない人なのだと。

「え」

思わず声を出してしまった。

すれ違った人がいた。

「れ」

背中しか見えない。でも、

追いかけた。

「………いな、い……?」

その先には誰もいない。

「ま……そだよね……」

こんな偶然で都合よく逢えるわけがない。

そんな物語の中を生きてはいない。

そこに大すきな人がいるなんて。

妄想が見せた幻だろう。

………。

どこにいるの?

淋しく、そう思う。


背中を張り付けた壁に、自分の脈動が移ってしまったようだ。

今目にした、愛しい子。

「何でここにいんだ……」

ここは紛れもなく病院。しかもかなりの病床数を誇る大病院だ。

「まさか……傷、治らなかったとか……」

いや、あの折の傷は完治させたし、今も調子が悪そうなところはなかった。

「にしても」

何で。

逢わないと決めた子に、逢ってしまうのだろう。

そこにいたのは間違いなく真紅だった。

昨日、気紛れに見つけて本心から助けた子。

真紅に似た長い黒髪を見ただけで心臓が跳ねた。まさか本人ではないだろうと思って、でも真紅だったら……そんなことを思い、書類に顔を伏せ気味に廊下の端を通り抜けた。

真紅は何やら売店の袋を下げて、憂い気な顔をしていた。

……もしかして自分を?

そんなことを思ってしまった。

あの憂いの理由が自分だったら?

もう逢えないものと思っているから? ――いや、だからそんなことを。

考えるな。

考えては駄目だ。

あの子とは一緒にいてはいけない。

恋しいなら、愛しいなら。

だからあの子に逢うことは出来ない。

愛したら殺してしまいかねない自分の血。

もう、感情についた名前は知っている。だから、ここで止まれ。