好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


「紅亜様とよく似ていらっしゃるだろう。だが、性格は真反対というべきか。紅亜様のように穏やかな気性ではなく、荒々しく物々しい母だ」

「も、物々しいの?」

それって性格に対する評価でいいの?

「ああ。短気だ」

今度は一言で片づけられた。

どんな人なのだろう。ママと同じ顔の、双児の妹さん――

「逢ってみたい」

「うん?」

「私、紅緒様に逢ってみたい」

私の言葉に、黒藤さんは片眉をあげた。


「――――っ⁉」

血が、逆流する。

いきなり襲って来た感覚に、胸元を摑んで膝を折ってしまった。

場所が院長秘書室だったのは幸いか。病棟でこんなことになっていたら……。

今は誰もいない。院長である澪の父も、澪も、院長秘書も。土曜日の昼の少し前の時間、一人で雑務をしていた。

な、んだ? これは……。

血が焼かれているようだ。思わず咳込んでしまう。

手で口を押さえようとして、はっとした。

――……血?

口を押さえた手が、まだらに紅く染まっている。

咳込みは続く。手では押さえきれなくなって、一際大きく咳込んだとき、床にまで飛び散るほどの血がこぼれた。

血が焼かれていく。もしかして今、真紅の血が覚醒されたのだろうか。

「……は……」

思わず苦笑がもれる。

短い時間でさえ、あの子の傍は許されなかったのか。

桜城の家とは縁切りして、退鬼されるまでの少しの時間でも傍にいられたらと願った。真紅に出逢えたことだけでも幸福だと思って、死ぬことに諦めるつもりだった。

だが、そうするなと本人が厳しく言って来た。


真紅の言葉を願いと受け取って、真紅がかけてきた将来の言葉を約束にしたくて、血に抗おうと思っていた矢先にこのこと。

俺がこのまま果てれば、真紅は自分を責めてしまうだろう。

そんなこと、全然ないんだ。ただ、自分が勝手に、真紅に生きてほしいと思ったから。

いずれはこうなることは覚悟していた。でも、少しでも真紅と一緒にいたくて、いえをすてた。あんな偶発的なであいではなく、自分のいしで、また逢いたかった。だからもう少し、だけ……ここ、に、

こんなに、早いんなら、もっと……たくさん、逢いに―――……。

意識は、最後まで言葉を繰れずに闇に落ちた。


「……母上……?」

ふと、黒藤さんの声が揺れた。

「黒ちゃん? どうしたの?」

ママが呼びかける。

水鏡を見つめる黒藤さんは、だんだん目を見開いてゆく。ママには水鏡は視えない。私は、黒藤さんが何に驚いているのかと、もう一度水鏡を覗き込んだ。

そこに映るのはさっきまでと変わらず、ママと同じ顔をした女性――え? 今……

「くろとさん……紅緒様が……」

「………」

黒藤さんは私には答えず、拳を握って水鏡を消した。水滴は床に落ちることなく空中で霧散した。

「真紅、紅亜様、病院に行く」

「病院?」

「黒ちゃん? 紅緒がどうかしたの?」

黒藤さんは先に歩き出してしまう。私たちは戸惑って顔を見合わせたあと、すぐに追うことにした。

「今、水鏡の向こうで母上が目を覚まそうとしている」

玄関まで来ると、黒藤さんがいきなりそう言った。

「目を覚ますって……それは明日じゃないの?」

戸惑いを隠せないママに、黒藤さんは肯いた。

「母上の算段では、そうでした。ですが、それを決断された当時の母上は、無涯を失い傷心でもあられた。どこかに隙があったのかもしれない。……母上の予定とは、時間がずれたようです」


「では――真紅ちゃんはどうなるの? 紅緒が目覚めたら……」

「母上の目覚めとともに真紅の力への封じは解かれるという術です。真紅の力は一気に戻るでしょう。封じられていたものに桜木の血があれば効力も目覚め、その反動は黎のところへ行く。退鬼の力が黎の身を駆ける。紅亜様は申し訳ありませんが、見鬼でない者を涙雨の力で送ることは出来ない。真紅と先に病院へ行っておりますので、縁とともにいらしてください。――涙雨」

黒藤さんが式の名を呼ぶと、玄関先に人よりも大きな、それこそ鳳凰のような金色の鳥が現れた。

「――るうちゃん?」

私はただ、その姿に驚きの目を見開く。

『若君、お嬢。涙雨はばっちしおうけいじゃ。涙雨の翼に寄れ。一息にびょういんまでゆくぞ』

そう、るうちゃんの声が聞こえて、鳥は翼を広げた。黒藤さんが金色の鳥の羽に手を載せる。

「涙雨は時空を駆ける妖異だ。一秒後には病院にいる」





るうちゃんの翼に掴まって、その周りを突風が巻いたかと思うと、すぐに『お嬢よ』とるうちゃんの声がした。

風の勢いで瞑った目を開ければ、そこはいつか、黎と話した病院の中庭だった。

「ほんとに来ちゃっ……」

――ドクンッ

自分の呟きが終わる前に、心臓が一際大きく脈打った。思わず胸の辺りを押さえる。同時に、真昼を告げるまちの放送の鐘が鳴った。

――正午。私が生まれた、ちょうど一日前だ。

「――――!?」

全身をつんざくように襲って来たあまりの痛みに、今度は両手で頭を押さえた。

頭の中を風が駆け抜ける。何かが思い起こされていく。記憶、断片、集まって『真紅』になっていく。

――桜木真紅は、ここにいる。


『紅(くれない)のちい姫』

見えてくる映像の端々に映る、月の色をした女性の口がそう囁いた。

そして一番大きく、ママと同じ顔をした、けれど別の人が私に向けて手を差し伸べる映像が見えた。

――私は、その手を取った。

「桜木真紅っ?」

現実から聞こえた声に呼び戻されるように、私の意識は一気にクリアになった。

痛みは引いている。見えるのは黒藤さんと――知らない青年だった。中性的な容姿だけど、白ちゃんのときにもわかったように、彼は男性だとわかる。

「澪」

黒藤さんがその名を呼ぶと、青年は萎縮したように顔を強張らせた。けど、すぐに私を見て来た。そして大きく舌打ちをした。

「若君! これは一体どういうことですか!」

「黎に異変か」

「血を吐いて倒れました。その血は、蒸発するように消えました」

血が、蒸発……? 今、黎が倒れたって――? 背筋が冷えあがる。そんな―――

「真紅、行くぞ」

意識がはっきりしてなお、知らないはずの映像が頭の中を流れた浮遊感の残る私の腕を引いたのは、白い陰陽師だった。

「はくちゃ……」

「白。情勢は」

「ここに来るまでに頭(かしら)を捕らえて来た。やはり真紅を狙ったのは烏天狗だ」

いつの間に来たのか、白ちゃんと黒藤さんが話している。

白ちゃんに手を引かれてあげた視界には、白ちゃんの式の天音さん、無炎さん、そして金色の大鳥のままのるうちゃんと、紫色の髪をした青年――黒藤さんと無炎さんによく似た造形だから、この人が『無月』さんだろう――がいた。

天音さんは身の丈より長い大きな鎌を、無炎は日本刀を手にしている。――何かと戦闘があったのが見てとれる。


「真紅、危急の事態、気分が回復しないのはすまないが、行くぞ」

「うん……」

黎に、何かあったんだ。切羽詰った様子は、この場にいる全員からわかる。

「天音、無炎、残党がいるかもしれん。総て捕らえておいてくれ」

「承知した」

「承りましたわ」

「無月は無炎たちと一緒に。涙雨、お前は縁のところへ。紅亜様をお護りしてお連れしろ」

「ああ」

『あいわかった』

白ちゃんと黒藤さんは、それぞれ式に命を出した。

「白ちゃん……何があったの?」

白ちゃんは、まだふらつきの残る私の手を引いて走る。先導するのは『みお』と呼ばれた青年。非常階段を駆け上がる。

「真紅を狙う一番の危難は退治てきた。しばらくは妖異に狙われる心配はしなくていい」

それが、先ほど話していた烏天狗という妖異のことだろうか。

「だが、黎明のは状況ははっきりしない。とにかく、行くしかない」

「若君、御門の主、こちらです!」

みおさんは非常階段から棟内へ繋がる扉を開けた。そして一番近くにあった部屋へ導く。

「父さん、若君たちが」

「ああ」

部屋の中にいたのは壮年の白衣の男性。その傍にはソファがあって、黎が横たわっていた。

「黎!」

白ちゃんの手を離れて駆けよった私は、勢いのまま膝をついてその頬へ手を当てた。冷た――くはない。むしろ、緩やだが鼓動が伝わってくる。

「黎! 黎! ごめん、なさい……っ」

まだ命が続いていると言っても、血を吐いて倒れたんだ。そして同時間に私に起きたこと。無関係なはずはない。

「ごめんなさい……黎……!」

視界が涙で揺らぐ。

指が、黎の口元に残った血に触れた。その瞬間、血は弾けるように消えた。そして――

「っ……まこ………?」

大すきな、声が自分の名前を呼んだ。


「れい……?」

大きく目を見開くと、目元に溜まった涙が一気に流れ落ちた。

「真紅? ……どうした、そんなに泣いて……」

かすれた声。そっと、黎の指が私の頬を拭った。これは……夢? それとも、神様とかいう存在が二人にくれた最期の時間だろうか――。

そんな思考が浮かんでしまい、それを否定しようとしたとき、黒藤さんから笑声がもれた。

「黒!」

白ちゃんが叱責するけど、黒藤さんは肩を震わせている。

「いや、すまない。真紅、黎。なあ、白。俺たちは始祖の転生の力を甘く見過ぎていたようだ」

「黒藤さん……?」

どういう、意味だろう……。

「若君、どういうことです? 現に、黎は吐血して倒れたんですよ?」

「ああ。不要な血を吐いて倒れたんだ」

不要な血? 黒藤さんを見返すと、白ちゃんが歩み寄って来て、私の隣に片膝をついた。

「黎明の、身体は起こせるか?」

「え? ああ……」

黎が上体を起こすのを、反射的に背に手を添えて手伝った。白ちゃんは、黎の手首辺りに触れた。

「うん。心音に問題はない。脈拍も正常だな。真紅、心配しなくていい。黎明のの命と世界は、生きる道を選んだよ」

「……どういうこと? 黎は……大丈夫なの?」

「黎。お前、その近さにいて真紅の血がほしいと思わないのか? 一度飲んだんだろう?」

黒藤さんが投げた質問に、みおさんと白衣の男性はぎょっとした。

「黎!? お前そんなことを!?」

「まさか、影小路の姫の血を飲んだのか!?」

同時に怒鳴られて私がびくっとしてしまった。矛先を向けられている黎は平然としている。黒藤さんの問いかけへの返事でも考えているようだ。

そして、じっと私の顔を見て来た。銀色の瞳。また、その瞳に映ることが出来た――

その感慨に泣きそうになっていると、黎は私の手に触れて来た。

「……血より、こっちのがいいな」


言って、反対の手を私の後頭部に廻して引き寄せた。唇が重なる。

「⁉」

黎のいきなりな行動に思いっきり硬直してしまった。

少しして黎が顔を離すまで、されるがままだった。

「うん。やっぱりこっちだな」

「れ、黎明の! 女性にいきなり何するんだお前は!」

「ヤローにいきなりこんなことする方が問題じゃないか? 御門の主」

「そういう問題じゃない!」

と泡喰っていきり立つ白ちゃんを、進み出た黒藤さんが抑えた。

「黎。白は純粋なんだ。急に目の前でいちゃつかれても困る。それに――真紅に至っては魂抜けちまってるんじゃないのか?」

私は硬直が融けないでいたけど、名前を黎に呼ばれて直後に顔を真赤にさせた。熱さが昨夜の比ではない。沸騰するんじゃないだろうか。

黒藤さんが呟いた。

「黎の鬼性(きしょう)だけを浄化したか。変わった退鬼の法もあったものだな」

一人納得する黒藤さん。黎との間に割って入られて、背後に廻された白ちゃんはやっと落ち着いて来た。

「どういうことです? 若君。影小路の姫の血を吸って――黎は無事なのですか?」

みおさんが訊ねる。黒藤さんは「うん」と肯いた。

「真紅は、今は滅んだ退鬼師・桜木の末裔(まつえい)でもある。黎が真紅の血を吸ったっていうのは、妖異に襲われて失血死しそうだったところを、黎が助けた際のことだ。黎が真紅の血を吸った時、反対に真紅に黎の血を送ったんだろう? それで真紅の身体は、異物である黎の血の、鬼性を浄化したんだ。それに呼応されて、黎自信の血からも鬼性が退治られた。黎、真紅の血を吸ってから一度でも他の血を欲したか?」

「いや――それを考えるとむしろ吐き気がして……真紅の血をもらったのが最後だ」

「澪、その間、黎の体調に問題は?」

「ない、です。……祖父が、実験的に間隔を伸ばしているものと思っていました」