古めかしい言い方をするならば、姫川美月はサークルに入会したその日からずっと俺たちのマドンナだった。先輩も後輩も動機も皆、美月の虜だった。
それは美月が博士課程に進学し27歳になった今も変わらない。8歳年下の新入生も、30越えて高頻度でサークルに遊びに来る老害OBも皆、美月に惚れては玉砕していた。最初に美月を「かぐや姫」に喩えたのは誰だったか、今や覚えていない。
美月がもしもモテる目的で大して興味のないオタサーに入部するような女だったら、こうもみんなを魅了することはなかっただろう。美月は誰よりも活動熱心だった。我が大学のパズルサークル創部以来最強と言われた彼女は修士課程の頃に全日本パズル選手権を優勝し、三連覇中だ。通り名「孤高のかぐや姫」は、サークルの枠を飛び越えて司会が選手紹介のフレーズとして使うようになった。
本業の学業を疎かにする連中が多い中、彼女は理工学部の学年主席として卒業生代表挨拶を務めた。宇宙工学に関する修論が海外の教授に高く評価されたことも記憶に新しい。さらに、親が海外を飛び回る仕事だったからか、三か国語が堪能だ。
美月は運動神経も良かった。合宿で海に行って戯れにビーチバレーをすれば、文化系オタク男子の俺たちは誰も美月に敵わない。男に媚びないカッコよさにますます惚れ込んだ野郎どもは合宿の夜、次々と美月に告白しては玉砕した。
宿泊行事でテンションが上がった若人は、勢い任せに告白しがちだ。卒業間近の今日、東京で行われる全国パズル選手権に地方から俺たちは遠征してきている。今年は美月がついに大学院を去るということもあり、大会前日だというのに恋に現を抜かした会員が何人か美月に告白した。
「美月先輩、僕と付き合ってください!」
「ごめんね。付き合えない」
「どうしてもダメですか?」
「じゃあ、明日の大会で私に勝ったらもう一度考えてみるよ」
大会前夜。宿の廊下で、偶然後輩が告白している現場を目撃してしまった。「あの」噂は本当だったんだと9年目にして知った。後輩が走り去った後、美月が僕に向かって言った。
「覗き見なんていい趣味とは言えないのでなくて、晴臣くん?」
「ごめん、そんなつもりなかったんだけど、美月のこと探してたらたまたま先客がいて……」
「私に用事?」
つい、口を滑らせてしまった。こんな言い方をしたら、今から何をしようとしていたかバレバレではないか。しかし、うだうだしていたら邪魔が入るかもしれない。俺は単刀直入に言った。
「俺、美月のことがずっと好きだった」
ずっと秘めてきた想い。俺も結局他の男たちと変わらない。世間では告白は両想いの確認作業だと言うが、玉砕覚悟で告白してしまうバカな男の1人なのだ。
「俺の恋人になってくれませんか?」
緊張で美月の顔が直視できない。遅すぎた初恋を拗らせている自覚はある。美月の返答までの数秒が永遠にも感じられた。
「私、かぐや姫だから月に帰っちゃうけどそれでもいいの?」
自分のあだ名になぞらえた美月なりのユーモアなのかもしれない。でも、恋愛には疎い俺でさえ遠回しに振られているということは分かる。それでも、縋りたかった。
「それでもいい!お試しでもなんでもいいから、俺と付き合ってください!」
声が震えているのは自分でも分かった。美月はすーっと息を吸い込むと、先ほど後輩に言ったのと同じセリフを言った。
「私に勝ったら、いいよ」
勝負の世界で「孤高のかぐや姫」なんて二つ名をつけられても、普段の美月は可愛くて人当たりが良い。サークル外の男たちからもモテた。ミスターキャンパスや学祭で一目惚れした他大生、彼らは皆同じ言葉で振られた。
「パズルで私に勝ったらね」
当然、誰も日本チャンピオンの美月に勝てるはずもない。美月は極力傷つけないような言い方で彼らの愛を受け流した。
それでも、確かに言質をとったのだ。勝てば、美月の恋人になれる。
「俺、勝つよ」
「私は負けないよ。じゃあ、また明日。お互い頑張ろうね」
美月は俺に手を振って部屋に戻った。俺が部屋に戻るとテレビが点いていて、ニュースキャスターがNASAの宇宙開発について報じていた。月面の写真が画面いっぱいに映ったところで、明日に備えてテレビを消して眠りについた。
ここまでが昨日のことであり、既に今日俺たちは激闘を終え、あとは結果発表を残すのみである。時刻はもう夜で、窓の外には満月が見える。
「ミルクパズル、難しかったよな」
「それな」
既に社会人となった元同期と話しながら発表を待つ。ミルクパズルとは真っ白なジグソーパズルのことだ。俺は比較的得意な方だが、それでも今回は難しいと感じた。
「俺さ、昨日美月に告白した」
「ついにか、で、どうだった?」
「私に勝ったらいいよって」
「それ俺も4年前に言われた!まっ、絶対負けない自信があるからそう言ってるんだろうけどさ。みんなも孤高のかぐや姫には勝てないって分かってるからスパッと諦められるんだよ」
「……それと、私は月に帰っちゃうよって」
「何だよ、それ。笑えるんだけど。美月だから許されるけど、他のやつが言ってたら地雷女確定だろ」
「お前は言われてないの?」
「晴臣、お前絶対からかわれてるよ。可哀想に。まともにとりあってもらえなかったんだな。明日にでも残念会してやるよ、自称美月のライバル君」
小声のボーイズトークを遮るように司会が登壇する。いよいよ発表だ。
俺の告白は、他の奴らとは重みが違うと勝手に思っている。俺は分かっていて告白した。美月が「私に勝ったらね」と言うことを。
俺の現在日本ランク4位。サークル内ではずっと美月に次いで2位。その差は簡単にひっくり返せるものではないとはいえ、100万分の1くらいは美月に勝つ可能性があると信じている。
その100万回に1回の確率を今日ひくために全力を尽くした。手ごたえは充分。他の奴がどうだか知らないが、俺は美月に勝つつもりで今日ここに来た。
美月は高嶺の花だと分かっている。それでも、俺はライバルを自称し続けてきたんだ。
それは美月が博士課程に進学し27歳になった今も変わらない。8歳年下の新入生も、30越えて高頻度でサークルに遊びに来る老害OBも皆、美月に惚れては玉砕していた。最初に美月を「かぐや姫」に喩えたのは誰だったか、今や覚えていない。
美月がもしもモテる目的で大して興味のないオタサーに入部するような女だったら、こうもみんなを魅了することはなかっただろう。美月は誰よりも活動熱心だった。我が大学のパズルサークル創部以来最強と言われた彼女は修士課程の頃に全日本パズル選手権を優勝し、三連覇中だ。通り名「孤高のかぐや姫」は、サークルの枠を飛び越えて司会が選手紹介のフレーズとして使うようになった。
本業の学業を疎かにする連中が多い中、彼女は理工学部の学年主席として卒業生代表挨拶を務めた。宇宙工学に関する修論が海外の教授に高く評価されたことも記憶に新しい。さらに、親が海外を飛び回る仕事だったからか、三か国語が堪能だ。
美月は運動神経も良かった。合宿で海に行って戯れにビーチバレーをすれば、文化系オタク男子の俺たちは誰も美月に敵わない。男に媚びないカッコよさにますます惚れ込んだ野郎どもは合宿の夜、次々と美月に告白しては玉砕した。
宿泊行事でテンションが上がった若人は、勢い任せに告白しがちだ。卒業間近の今日、東京で行われる全国パズル選手権に地方から俺たちは遠征してきている。今年は美月がついに大学院を去るということもあり、大会前日だというのに恋に現を抜かした会員が何人か美月に告白した。
「美月先輩、僕と付き合ってください!」
「ごめんね。付き合えない」
「どうしてもダメですか?」
「じゃあ、明日の大会で私に勝ったらもう一度考えてみるよ」
大会前夜。宿の廊下で、偶然後輩が告白している現場を目撃してしまった。「あの」噂は本当だったんだと9年目にして知った。後輩が走り去った後、美月が僕に向かって言った。
「覗き見なんていい趣味とは言えないのでなくて、晴臣くん?」
「ごめん、そんなつもりなかったんだけど、美月のこと探してたらたまたま先客がいて……」
「私に用事?」
つい、口を滑らせてしまった。こんな言い方をしたら、今から何をしようとしていたかバレバレではないか。しかし、うだうだしていたら邪魔が入るかもしれない。俺は単刀直入に言った。
「俺、美月のことがずっと好きだった」
ずっと秘めてきた想い。俺も結局他の男たちと変わらない。世間では告白は両想いの確認作業だと言うが、玉砕覚悟で告白してしまうバカな男の1人なのだ。
「俺の恋人になってくれませんか?」
緊張で美月の顔が直視できない。遅すぎた初恋を拗らせている自覚はある。美月の返答までの数秒が永遠にも感じられた。
「私、かぐや姫だから月に帰っちゃうけどそれでもいいの?」
自分のあだ名になぞらえた美月なりのユーモアなのかもしれない。でも、恋愛には疎い俺でさえ遠回しに振られているということは分かる。それでも、縋りたかった。
「それでもいい!お試しでもなんでもいいから、俺と付き合ってください!」
声が震えているのは自分でも分かった。美月はすーっと息を吸い込むと、先ほど後輩に言ったのと同じセリフを言った。
「私に勝ったら、いいよ」
勝負の世界で「孤高のかぐや姫」なんて二つ名をつけられても、普段の美月は可愛くて人当たりが良い。サークル外の男たちからもモテた。ミスターキャンパスや学祭で一目惚れした他大生、彼らは皆同じ言葉で振られた。
「パズルで私に勝ったらね」
当然、誰も日本チャンピオンの美月に勝てるはずもない。美月は極力傷つけないような言い方で彼らの愛を受け流した。
それでも、確かに言質をとったのだ。勝てば、美月の恋人になれる。
「俺、勝つよ」
「私は負けないよ。じゃあ、また明日。お互い頑張ろうね」
美月は俺に手を振って部屋に戻った。俺が部屋に戻るとテレビが点いていて、ニュースキャスターがNASAの宇宙開発について報じていた。月面の写真が画面いっぱいに映ったところで、明日に備えてテレビを消して眠りについた。
ここまでが昨日のことであり、既に今日俺たちは激闘を終え、あとは結果発表を残すのみである。時刻はもう夜で、窓の外には満月が見える。
「ミルクパズル、難しかったよな」
「それな」
既に社会人となった元同期と話しながら発表を待つ。ミルクパズルとは真っ白なジグソーパズルのことだ。俺は比較的得意な方だが、それでも今回は難しいと感じた。
「俺さ、昨日美月に告白した」
「ついにか、で、どうだった?」
「私に勝ったらいいよって」
「それ俺も4年前に言われた!まっ、絶対負けない自信があるからそう言ってるんだろうけどさ。みんなも孤高のかぐや姫には勝てないって分かってるからスパッと諦められるんだよ」
「……それと、私は月に帰っちゃうよって」
「何だよ、それ。笑えるんだけど。美月だから許されるけど、他のやつが言ってたら地雷女確定だろ」
「お前は言われてないの?」
「晴臣、お前絶対からかわれてるよ。可哀想に。まともにとりあってもらえなかったんだな。明日にでも残念会してやるよ、自称美月のライバル君」
小声のボーイズトークを遮るように司会が登壇する。いよいよ発表だ。
俺の告白は、他の奴らとは重みが違うと勝手に思っている。俺は分かっていて告白した。美月が「私に勝ったらね」と言うことを。
俺の現在日本ランク4位。サークル内ではずっと美月に次いで2位。その差は簡単にひっくり返せるものではないとはいえ、100万分の1くらいは美月に勝つ可能性があると信じている。
その100万回に1回の確率を今日ひくために全力を尽くした。手ごたえは充分。他の奴がどうだか知らないが、俺は美月に勝つつもりで今日ここに来た。
美月は高嶺の花だと分かっている。それでも、俺はライバルを自称し続けてきたんだ。