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紫紺様の邸宅も、凄い門構えの大きな屋敷だった。

それでも、本宅ではない紫紺様の邸宅は、柘榴様邸より、少し小さかった。

普通に考えたら充分に豪邸なんだけれど、柘榴様邸に先にお邪魔して驚きを消化していたお陰か、さほど震えないで済んだ。

私がちゃんと紫紺様の花姫だとわかる姿で、初めての挨拶をしたかったので、紫紺様の家に向かう前に、紗代ちゃんの家で、用意してきた花紋がちゃんと見える服に着替えさせて貰い、羽織を羽織っていた。

車を降りる前に、羽織りを脱いで、玄関に足を踏み入れた。

沢山の使用人の方に出迎えられ、視線がいっきに鎖骨の辺りに集中するのを感じて、穴が開くかもしれないな…と思ったけど、

道忠さんが、事前に、紫紺様を説得して、執事の実忠さんに花紋の画像を送り、皆んなに見せておいてくれたせいか、花紋があると確認したら、皆あっさりと受け入れてくれたようで、ホッとした。

挨拶を済ませると、私の専属の使用人を紹介された。

私専用の使用人と言われて、ちょっと前まで、小間使いみたいだった私には、畏れ多いと思ってびくついてしまったけど、紹介させたのは、花姫会の龍咲さんと昨日までずっと一緒にいた櫻葉さんだった。

『どうして花姫会の龍咲さんと櫻葉さんが?』

『私たちは、3年程前から、未来の紫紺様の花姫につかえるように、悠然様に雇われて、花姫会で働いていましたので。
この日をやっと迎えられて嬉しく思います。』

『父さんのやりそうなことだよ。嫌だったら本家に帰すぞ。どうする。』

『ダメ。ダメ。返しちゃダメ。
どうしても専属の使用人がいるなら、龍咲さんと櫻葉さんがいい。』
と焦って言ったら、紫紺様が、

『だそうだ。良かったな。』
と悪戯っぽく言った。

その後、櫻葉さんに、用意してある私の部屋に案内された。

日当たりのいいベランダ付きの広々とした部屋に、ウォークインクローゼットとサニタリールームがあって、桃色を基調にした可愛らしい部屋だった。

広いウォークインクローゼットには、椅子や姿見、着替えスペースもあり、洋服や靴や鞄がかなりの量、既に、置いてあった。

『えっと、中の服や鞄は?』

『忍葉様のものです。何も無いと困りますから。最小限は、こちらで揃えさせて頂きました。お気に召しませんでした?』

…最小限…?

『いいえ。そんなことは全く‼︎一杯あって、驚いただけです。』

お祖父ちゃんの家に行く時に用意して貰った物だけで、十分だったから、驚いてしまった。

サニタリールームは、客室じゃないせいか、流石に、お風呂とトイレはなかったけど、
シャワー付きの洗面台に、化粧スペースまでついていた。

これが私の部屋…?

雲の上を歩いている気分になって来た。

慣れるのかな?というか、こんな贅沢に慣れていいの? あっ、でも、紫紺様と生きて行くって決めたから、慣れた方がいいんだよね?
いや、でもこれは…と、暫く葛藤してしまった。

暫く頭の中で押し問答をした結果、なるようになるから、棚上げして置くことにした。

部屋の確認が済んだら、紫紺様との生活スペースに案内して貰うと、
リビングに紫紺様がいた。

『部屋は、もう見てきたか?』

『はい。何もかも揃っているし、広すぎてビックリしたけど、可愛かったです。』

『そうか。気に入ったなら良かった。』

『ここは俺が案内するから、下がっていいぞ。』

『はい。失礼します。』
と言って、櫻葉さんが、リビングから出て行った。

広いリビングの奥に柘榴様邸にはなかったキッチンがあった。

『わあ〜凄い。キッチンがある。きっと柘榴様の家みたいに料理人がいるから、キッチンは無いと思ってた。IHが3口もある。すごい、すごい‼︎
…アレ。でもこれ…、新品じゃない?』

まさか?と思って紫紺様を見る。

『忍葉が、出汁の取り方を教わっていると聞いて、用意した。間に合って良かった。』

『えっ‼︎それだけで…?こんな凄いキッチンを…⁉︎』

『一般家庭とそう変わらないだろう?』

『えっ‼︎設備が最新だよ。それに、ファミリー向けの大きさじゃない。2人なのに。』

『家族はいずれ増えるだろう?それも見越して作った。あの出汁は、忍葉の家庭の味なんだろ?なら子どもにも食べさせたいんじゃないかと思ったんだが、違ったか?』

『えっ⁈こっこども…。』

全く考えていなかった次元の言葉に、衝撃を受けつつも、

『うん。食べさせたい。

小さい頃、ご飯を美味しいねっ。って食べた温かくて幸せな気持ちと出汁の味は繋がってた。

病院で、料理長の辰ちゃんが作ってくれたお弁当を食べたとき、愛されていて、ここに居ていいって安心してた気持ちを思い出した。

お祖母ちゃんは、昔からずっとあの出汁で料理を作っていたから。

あの出汁で作った料理を食べると、ホッとする。あ〜家だって。
そういう思いを子どもにもして欲しい。』

『あー、これで味噌汁も、茶碗蒸しも作れる。本当は、昨日か、今日、作って、紫紺様に食べて貰うつもりだったけど…、色々あったから…。もう機会はないと思ってた…。
嬉しい、ありがとう。紫紺様。』

『そんなに喜んでくれるなら、作って良かった。忍葉の作った料理食べたいしな。楽しみだ。』

ちょっと待って…アレ…?
プロの料理人が作った料理を食べてる紫紺様に私が料理を作っていいの?
口に合うの?

しまった…そこを考えてなかった…。

『どうした忍葉?』

『えっ、あっ、私の作った料理で、紫紺様の口に合うか急に気になって…。』

『祖父母の家で食べてただろう。あそこの家の料理はなんでも美味いぞ。忍葉が作れば、もっと美味いはずだ。
俺は、忍葉の作ったものならなんでも食べたいんだから、そんなことを気にする必要はない。』

相変わらず、紫紺様は表現がストレート過ぎてこちらが、タジタジする。

それに本人を前に、惚気てる気がするけど…、紫紺様は、気づいているのかな…。

とりあえず、そこは放っておこう…。
放ってばっかだけど…。

『うん。作りたいものを作って、紫紺様にも食べて貰う。』

『それでいい。』
と言って頭をヨシヨシしてくれた。

撫でてくれるタイミングがわかってきて、自然と期待するようになってる自分がいる。

撫でられると、心地よさと満たされた気持ちがして、恥ずかしいけど、なんだかいい気分だった。

『失礼します。』
と言って、道忠さんが来た。

『準備はできたか?』

『はい。それで少しお話を。』

『わかった。』

『忍葉。話があるこっちにおいで。』

そう言って手を引かれて、ソファに座った。
隣に紫紺様も座った。

多分、お母さんたちのことだと思ったから、黙って従った。

道忠さんが座るとすぐ、口を開いた。

『忍葉様のご両親と法的に関わらないようにする為の手続きと、三枝夫妻との養子縁組について準備が整いましたので、説明と忍葉様の希望に合っているか確認させて頂きます。』

『はい。お願いします。』

『まず、少々、お話しにくいことから、話させて頂きますが、宜しいでしょうか?』

何だろうと不安になりつつ、
『はい。構いません。』
と答えた。

『裁判をしなくても、養子縁組の必要書類に、忍葉様のご両親と三枝夫妻のサインをいただいて裁判所に提出すれば、養子縁組はできるのですが、

その方法ですと、率直に申し上げますが、
忍葉様のご両親は、常識が通じない方々なので、後々、忍葉様を花王子家に奪われたと騒ぎ兼ねません。』

道忠さんの言葉を聞いて、もっと凄いことを切り出されると思っていたので、
ああ、そのことか…と変に安心した。

『気を遣わせてしまって、ごめ…、気を使って頂いてありがとうございます。
でも、もう大丈夫です。
私もそれは今回でよくわかりました。道忠さんの言う通りだと思います。』

道忠さんがホッとしたのがわかった。

『安心しました。
忍葉様のご希望は、ご両親と関わりになりたくないということでしたね。』

『はい。』

『まずここから説明した方が宜しいと思うのですが、ご両親と関わらないための法的な手続は、ややこしいんです。

簡単に説明しますと、
花姫の歴史は400年と長いのですが、時折、忍葉様のように両親に問題がある花姫様が現れることがあり、特に戦後からですが、
歴代の神獣人五族の当主たちが、親子関係に関わる法律や、親に虐待されている子どもの保護問題に取り組んで来ました。

神獣人は、表には出ませんから知られていませんが…。

手続きは私が致しますので心配いりませんが、古い法律の上に、ケース、ケースに合わせて色々な法律を作ってあるので、少々、ややこしいんです。

でも、こちらの状況に合うようにすることが可能ですので、忍葉様に合う方法で準備を致しました。

ザックリとどうするかの説明をまずさせて頂きます。

戸籍上、実親、実子となっていると、様々な生活の場面で関わりが出てきますので、
まず、親権と養育権を親から奪い、国に移し、戸籍から忍葉様を抜いて、国の保護下の状態にします。
もうこの地点で戸籍上、忍葉様とご両親は他人になります。
その後すぐ、三枝夫妻との養子縁組をします。
そうすれば、忍葉様が誰と養子縁組をしても、ご両親が口を出す権利はありません。

そのためにまず、
ご両親が親権と養育権を持っていることで、忍葉様の権利が奪われていることを訴えて、
親から国の保護下にするための裁判を起こします。こちらの準備はもう出来ています。

そうしておけば裁判記録は残りますから、後々、ご両親が不当に子どもを奪われたと騒いでも、 こちらの正当性は証明できますから問題にならなくなります。

ここまでしておきたいのは、紫紺様が、神獣人一族を纏める麒麟の次期当主であることが大きな理由になります。

花姫は国の宝と言われていますし、国民の大半は好意的ではありますが、

花姫は、花紋が現れるとすぐ、花王子家に入ります。警備上仕方ありませんし、
花王子、花姫は結びつきが強いので、
ご本人達やご本人たちをよく見ている周りの親族は、問題にしませんが、

古い慣習で、現代に合わない、花姫や花姫家族の権利を脅かしているとする反対派もいますし、
神獣人は、財力も権利もありますから、隙があれば潰そうと狙っている輩は常にいます。

紫紺様は、上位ですから尚です。

花姫を不当に奪ったと訴える両親がいれば、そこに漬け込んで、悪巧みをする連中も出て来ないとは言えません。

そういう意味でも、ご両親に親の権利が何もない状態になって頂いていた方が、悪巧みをする連中にご両親を抱き込まれる心配がなくなりますから、安心できますし、

神獣人は秀でてますから、叩ける材料が出てくれば、ここぞとばかりに叩かれますから、

面倒ではありますが、法に則って、きちんと手続きをしておけば、風評被害も最小限に留められます。

こちらの方法で進めますが、宜しいですか?』

『はい。それでお願いします。』

『そうですか。ホッとしました。

花紋の件も、今回の件もですが、花王子家に入れば、忍葉様には、人間社会には無かった神獣人社会や黄竜門家の事情を汲んで頂かないといけない場合が多くございます。

大丈夫でしょうか?』

『大丈夫かどうか、正直わかりません。
ただ、私はここに根付くと決めてきました。
だから、大丈夫じゃなくても、大丈夫になるように頑張ります。…それじゃ駄目ですか?』

『充分です。』

道忠さんにその言われてホッとした。

『あの〜、養子縁組をするのと同時にもう一つしたいことがあるんですが…』

『なんでしょう?』

『何だ?』

道忠さんと紫紺様が同時に聞いた。

言っていいものか迷っていると、

『大丈夫だから言ってみろ。』
と紫紺様が心配そうに見つめる。

『うん。あの…、名前を変えたいの。』

美羽(みう)にか?』

『うん…。

お祖母ちゃん…、一緒に住んでいた方のお祖母ちゃんが、

『お前はみっともないから、葉っぱに隠れるように忍んで生きろ。って、名前を忍葉とお母さんがつけたんだ。誰にも見えないように小さくなってな。家の恥なんだから。』
ってよく言ってた。

先週、お祖父ちゃんたちに色々、話を聞いたでしょ。

生まれる前、お母さんは、私の名前を美しく羽ばたくように、美羽って付けるって決めてたって。

普通とは違う姿で生まれた私を見て、忍葉に変えたって。

それ聞いて、お祖母ちゃんが言っていたのは、あーそういうことだったんだ。
って納得がいった。

それでも、生まれる前の私には、
愛や期待を持って美羽って付けようとしたお母さんはいたんだ。
と思って嬉しくもあったし、

美咲も美月も、「美」が付いてるでしょ。
ちゃんと姉妹だったんだって。
本当は、私は、美羽だったんだって、思ったらしっくりした。

名前を美羽に変えたら、また、お母さんがやっぱり私のことを思っているのね。
とか調子のいいことを思い込んで厄介になるかと思って悩んで諦めてたけど、

紗代ちゃんたちの養子になる‼︎
って思った時に、何かが吹っ切れた。

親が何をしてくるかを考えてしたいことをしないのを辞めようって思った。

名前を変えるなら、紗代ちゃんたちの養子になる時がいい。
紗代ちゃんと和君の娘で、三枝 美羽。
それが私だとしっくりくる。
だからそうしたいけどできますか?
何か問題があるなら無理にとは言いません。』

『忍葉がそうしたいなら。俺はいい。
これからずっとお前の名前を呼ぶんだ。
お前が自分だと思える名前で呼んだ方がいい。』

『戸籍の名前を変えるならまず、変えたい名前を使うのがいいです。
それはいつからでもできますからね。
常用した年数と、名前を変えたい事情次第で認められるかどうか違いますから、調べてみますね。 』

道忠さんの言葉を聞いたら、
檻からやっと解放される気がして、自然と顔が綻んだ。

『お願いします。』

『今から使うか?』

『沙夜ちゃんたちの養子になった日からにしたい。』

『その方がいいですね。』

『そうだな。』

『他に何かありますか?』

『美咲の花紋が消えたってどういうことですか?お母さん、元に戻らない以外教えてくれなかった。』

紫紺様と道忠さんが顔を見合わせた。

『俺たちにもわからない。ただ、消えたことは確かみたいだ。医師の神蛇か、父さんか、柘榴様なら何か知っているかも知れない。

丁度、明日、一緒に本家に挨拶に行こうと思っていたから、ついでに聞いてみるか?』

『うん。聞きたい。…挨拶…‼︎大丈夫かな。』

『忍葉は俺の花姫だ。皆んな歓迎する。大丈夫だ。』

『…そうならいいけど。』

『紫紺様のご両親も、本家の連中も、忍葉様に花紋が現れたと聞いて、大喜びしてましたから、大歓迎されますよ。

それでは、私はこれで。』

『ああ。』

道忠さんが出ていくとすぐ、櫻葉さんが来た。

『夕食の準備ができています。お運びして構いませんか?』

『ああ、頼む。』

気づけば外は真っ暗だった。