「ユチ・サンクアリイイイイ! 貴様は今日を持って、追放だああああ! 無能スキル持ちの親不孝者めええええ! 我がサンクアリ伯爵家の面汚しも甚だしいいいい! 今すぐ、出て行けええええ!」
「ち、父上! ちょっと、待ってくれよ! それに関しては何度も説明してるって! 俺のスキル<全自動サンクチュアリ>は、自分の周りが聖域になる能力で……」
「黙れええええ、黙れええええ、黙らんかああああ!」
「うわっ! 父上、やめてくれ! 危ないから!」
目の前の男は、俺に向かって灰皿やら何やらを投げてきた。
残念なことに、知り合いなんだなぁ、これが。
というか、俺の父親だ。
オーガスト王国のサンクアリ伯爵家当主、エラブル・サンクアリ。
物を投げてくる度、でっぷり太った顔から汗が滴っている。
「このおおおっ! このおおおっ! 貴様こそ、私の領地経営に口出しするなと何でも言っているだろおおおお!」
「いや、だから、それはあまりにも税金が重すぎると領民も辛いって話で……いってえ!」
父親は永遠に、俺を跡取りと認めようとしなかった。
色んな社交界にも連れ出さなかったし、俺をずっと屋敷の中に閉じ込めていた。
父親は俺の出自が気に入らんのだ。
俺は正妻の息子。
正妻が嫌いだった父親は、俺を何かと目の敵にしていた。
俺は長男ましてや正妻の子なので、おいそれと追い出したりできなかったのだ。
だが、今日父親は名実ともに俺を追放できるようになった。
それは……。
「クソ兄者ぁぁぁ、いい加減認めろよぉぉぉ。自分が無能でぇぇぇ、次期当主の資格が無いってことをさぁぁぁ」
「ク、クッテネルング……!」
部屋に入ってきたのは、父親と同じようにでっぷりと太った男――クッテネルングだ。
こいつは俺の弟。
といっても、母親違いだから異母弟だ。
いつものように、クチャクチャと何かを食べている。
「クソ兄者は用無しになったんだよぉぉぉ。僕ちゃまに、最高最強のスキル<ドラゴンテイマー>が出たんだからねぇぇぇ」
今日で14歳になったクッテネルングは、スキルの判定を受けた。
その結果、<ドラゴンテイマー>という皆が羨む能力だったというわけだ。
「本当に愚かだなぁぁぁ。クソ兄者はさぁぁぁ」
こいつは父親が手を出した侍女から生まれた。
そして、その侍女はちゃっかり伯爵家夫人となった。
これがまた奔放な人で、しょっちゅう買い物やら旅行やら行っている。
今もどこかで豪遊しているんだろう。
「こんなヤツが僕ちゃまの兄なんて、恥ずかしくて仕方がないなぁぁぁ。スキル無しのクソ無能兄者がよぉぉぉ」
父親に似てクッテネルングも、語尾が伸びる話し方をする。
それはさすがにやめた方がいい、と俺は何度も注意した。
だが結局、こいつは聞く耳を持たなかった。
「だから、俺は<全自動サンクチュアリ>で、家中の瘴気を浄化してるっての!」
何度言ったかわからないセリフを叫ぶ。
二人はギャハハハハアアアア! と大笑いしていた。
とても貴族とは思えん。
まぁ、その辺りは俺も人のことは言えんのだが。
どうしても、丁寧な言葉遣いとやらが身につかんのだ。
「だったらああああ、その瘴気とやらを見せてみろおおおお!」
「言い逃れしようなんて見苦しいぞぉぉぉ」
「ちょうど、父上とクッテネルングの肩に乗っかっているよ!」
父親と異母弟の両肩には、黒い塊が乗っている。
瘴気だ。
厄介なことに、心まで瘴気に汚染された人間には見えないのだ。
「そんなもの無いではないかああああ!」
「クソ兄者は嘘も下手だなぁぁぁ」
「何度も言ってるけど、実際に教会でも判定されたじゃん!」
「また、そのような嘘を抜かすのかあああ! 貴様はどこまで不届き者なんだあああ!」
瘴気は悪い心や邪な心に吸い寄せられる。
ほったらかしにしておくと、憑りつかれた人間や作物は病気になってしまう。
サンクアリ家は、とにかく瘴気が集まりやすかった。
まぁ、父親と異母弟がアレだからな。
どんなに俺が屋敷中を聖域化しても、次の日には瘴気まみれになっていた。
――父上とクッテネルングの心は、どこまで汚れているんだ……。
スキルは14歳で授けられる。
だから、俺は今日までずっと屋敷の瘴気を浄化する日々を送っていた。
その結果がこれだ。
「そうだあああ。役立たずのお前にも、仕事を与えてやろううう。広大な我が領地の辺境にある、デサーレチの領主だあああ」
父親に言われても、大して驚かなかった。
どうせそんなことだろうと思っていたからな。
俺を辺境の領主に就任させ、都合よく厄介払いしたいのだろう。
死の荒れ地デサーレチ――通称、クソ土地。
ひび割れた大地、どんな作物も育たない畑、汚水の川……良いところが一つもない領地だ。
おまけに、魔王領に近いときた。
まぁ、あまりの土地の悪さに、魔王軍ですら見向きもしないのだが。
「聞いているのかああああ、ユチ・サンクチアリイイイイ! 貴様は今日でサンクアリ家から出て行けと言っているのだああああ!」
「ショックで口も利けなくなっちゃったのかなぁぁぁ? みっともないぞぉぉぉ、クソ兄者ぁぁぁ」
「はいはい、わかりましたよ。デサーレチに行きますよ」
俺の座右の銘は、“人生なるようになる”だ。
きっと、貴族生活も向いてなかったんだろ。
なにせ、家から追い出されるくらいだ。
ぶっちゃけ、俺は清々していた。
言葉遣いやら、しきたりやら、堅苦しくて仕方なかったからな。
家族仲も良くなかったし。
むしろ、自由の身になれて嬉しいくらいだ。
「二度と戻ってくるなああ。この無能おおお」
「じゃあなぁぁぁ、クソ兄者ぁぁぁ。泣きついてきてもしらねえぞぉぉぉ」
石やらゴミやらを投げられながら、俺はサンクアリ家を後にした。
まぁ、何とかなるだろ。
人生なるようにしかならないさ。
□□□
「さて、さっさとこの街からもおさらばするか」
俺は街の大通りを歩いていた。
デサーレチに向かう馬車を手配するためだ。
「お待ちください、ユチ様」
歩いていると、聞き覚えのある声がした。
振り返ると、メイド服をきちっと着た女性が立っている。
燃えるような真っ赤な髪に、凛々しくて力強い青と緑のオッドアイ。
とても目を引くような美人だ。
それは……。
「あれ? ルージュじゃないか、どうしてここに」
サンクアリ家メイドのルージュだ。
いや、そう言うと語弊があるな。
ある日を境に、俺の専属的なメイドになってしまった。
「先ほど、お屋敷を辞めて参りました」
「え! 辞めちゃったの!? あんなに気に入っていたのに……」
「私はユチ様のお世話をするのが生きがいなのです!!」
「いや、ほら、そういう話は外でするなって……」
道行く人が、不審な目で俺を見ている。
ルージュの方が背が高いし年上だ。
見知らぬ人が見たら、姉弟と思うかもしれない。
弟の世話が生きがいの姉。
何らかのプレイと思われかねない。
「あの日の恩義を、私は忘れたことがございません」
ある出来事をきっかけに、ルージュは俺をとても慕ってくれるようになった。
無論、俺も忘れたことはない。
「でも、俺が行くのはあの“デサーレチ”だぞ? ルージュなら、もっと良い就職先があると思うんだが。そういえば、冒険者ライセンスだって持ってなかったっけ?」
「Sランクでございます」
「なんだって!? Sランク!? マジかよ……」
「マジでございます」
屋敷に来る前は冒険者だったと聞いていたが、まさかSランクとは。
「だったら、ギルドとかに行った方が……」
「ギルドなど行きません。私めはユチ様と一緒に行きたいのでございます。ユチ様がいらっしゃるところ、ルージュもまたいるのです。それこそ、来世の来世まで」
どうやら、ルージュは本当についてきてくれるらしい。
なんだか、とてつもなく重いことを言われた気もするが。
でも、仲間がいてくれるのは心強い。
「ありがとうよ、ルージュ。じゃあ、さっそく行こうか」
「はい、どこまでもお供いたします。来世の来世まで」
「……俺たち死ぬの?」
適当な馬車を見つけて、俺たちは“デサーレチ”に向かって行った。
◆◆◆(三人称視点)
「これで、サンクアリ家も安泰だなああああ!」
「邪魔なクソ兄者を追い出してせいせいしたぜぇぇぇ」
エラブルとクッテネルングは、祝杯を挙げていた。
顔も赤らんでおり、すでに相当酔っていることがわかる。
「よしいいいい、とっておきのワインを開けるぞおおおお!」
「こんなに高い酒をクソ兄者は一生飲めないんだなぁぁぁ。ハハハハハァァァ」
二人は上機嫌で高価な酒を飲む。
楽しい日々の予感に胸を躍らしていた。
さっそく、おびただしい数の瘴気が迫っていることを、彼らは知る由もない。
「ここが“デサーレチ”か……ヤベぇな」
「はい、ウワサ通りのクソ土地でございますね」
しばらく馬車に乗って、俺たちは“デサーレチ”に着いた。
想像以上に荒れ果てている。
地面はひび割れ、木々はやせ細り、たまに出てくる動物たちもやせ細っている。
生命力の象徴である雑草ですら、ぐったりだった。
そして……。
――瘴気だらけじゃねえか。
そこかしこに瘴気が這いずり回っている。
土地が荒れているのもそれが原因だろうな。
「ほ、ほんとにこんなところに村があるのか?」
「はい、それは間違いございません。ユチ様、あちらをご覧くださいませ。小汚い小屋が見られます」
確かに、向こうの方にチラホラと小屋が見えた。
しかし、めっちゃボロい。
息を吹きかけただけで壊れそうだ。
というか、俺のせいでルージュまで口が悪くなってきた気がする。
「こ、こんにちは。“デサーレチ”の領主になったユチ・サンクアリですが……」
村の入り口らしきところで声をかける。
だが、全然反応がない。
――りょ、領民は死んじまったのか……?
すると、村人に付き添われてヨボヨボの婆さんが歩いてきた。
背中がめっちゃ曲がっていて、見るからに死にかけだ。
杖ですら持つのが大変そうだった。
いや、周りの領民たちも具合が悪そうだな。
頬はやせこけていて、手足だって棒のように細い。
「ワシは村長のソロモンと申します。旅人の方ですかな? あいにくと、ここには何もございませんが」
名前を聞いた瞬間、俺とルージュは顔を見合わせる。
ちょっと待て、ソロモンって。
「もしかして、あの伝説の大賢者のソロモンさんですか?」
にわかには信じられなかった。
古の超魔法の使い手として知られる伝説の大賢者だ。
「いかにも、ワシは伝説の大賢者のソロモンですじゃ。今となっては、見る影もないですがの」
「そ、そうだったんですか……俺はユチ・サンクアリです。この度、デサーレチの領主に任命されました。こっちはメイドのルージュです」
「ルージュでございます」
俺たちは握手を交わす。
「領主様でしたか、これは失礼しました。しかし、死ぬ前に領主様が見られるとは……これでワシも心置きなく逝けるというものです」
ソロモンさんは、にこぉ……と優しい笑顔になった。
その顔の周りには、天使の幻覚が見える。
ソロモンさんは、ゴホゴホッと咳をしていた。
しきりに胸の辺りを押さえたりと、とにかく具合が悪そうだ。
「あ、あの、体調が悪いんですかね? すみませんね、そんな時に来ちまって」
「気にせんでください。もう残り時間も尽きるってことですな」
ソロモンさんは達観した様子でハハハと笑っている。
頼むから残り時間とか言わないでくれ。
冗談に聞こえないから。
そのとき、ソロモンさんの背中に何かが引っ付いているのに気づいた。
見覚えのある黒い塊だ。
――あれ? 瘴気?
サンクアリ家にいたヤツより、ずっとどす黒い。
ソロモンさんの体を這いずり回っていた。
そうか、こいつが原因で体調が悪いのだ。
「では、ワシはそろそろ失礼しますかな。お迎えが来たみたいですじゃ」
ソロモンさんは心を決めた様子で固まる。
その顔は怖いくらいに満足気だ。
天使がソロモンさんの体から魂を引っ張っていく……。
「ちょーっと待ってください!」
俺は慌ててソロモンさんを掴んだ。
天使の幻影がパチン! と消える。
「なんですかな、領主様。もう少しでしたのに」
「も、もう少しとか言わないでください! 俺のスキルで瘴気を浄化できるんですよ!」
ソロモンさんや領民はポカンとした。
「領主様に歯向かうようですが、それは不可能でございます。ワシはこれでも魔法に精通しておりましてな。あらゆる魔法や秘薬を試したのですが、全く効き目が無かったのですわ」
「それがなんとかなるんですよ! 俺は<全自動サンクチュアリ>ってスキルを持ってまして、自分の周りを聖域化できるんです!」
簡単にスキルのことを説明する。
「そんなスキルが……」
「ですので、俺の近くに来てください」
「は、はあ……」
俺はソロモンさんを近くに寄せる。
聖域化できるのは、だいたい両手を広げた範囲くらいだからな。
さっそく、魔力を込める。
『ギ、ギギギギィ!』
すると、瘴気が苦しそうに悶え始めた。
よしよし、いい感じだ。
と思ったら、ソロモンさんが目を見開いた。
いや、領民たちも驚いている。
「ま、まさか……どんな魔法でも効き目が無かった瘴気が……こんな簡単に……」
聖域化するときは魔力を使うが、別に大したことはない。
今まで疲れることなんか無かったしな。
俺は淡々と魔力を込める。
――よし、そのまま消えちまえ。
『ギギギギ……キャアア!』
瘴気が灰のようになり、パラパラと消えていった。
俺の聖域に耐えられず、浄化されたんだろう。
ぐぐぐ……と、ソロモンさんの背筋が伸びていく。
「ソ、ソロモンさん、具合はいかがですか?」
「す……すごい……呼吸がとてつもなく楽になりましたですじゃ! 胸の苦しさも無くなったじゃー!」
ソロモンさんは大喜びして走り回っている。
ちょ、ちょっと待ってくれ。
すげえロリ幼女になったんだが。
顔もツヤッツヤになって、さっきまでの死にかけ婆とはまるで別人だ。
そして、今気づいたが俺の足元だけ楽園のようになっていた。
ふんわりとした草が生い茂り、かわいい花が咲いている。
「な、なんだ、これ?」
「ユチ様のスキルによって、大地が聖域化したのです」
「な、なるほど」
そのとき、荒れ地の方から数匹のゴブリンが走ってくるのが見えた。
村を襲うつもりらしい。
「ヤ、ヤバい! ゴブリンだ!」
「僕たちを襲う気だ!」
「み、みんな戦いの準備をするんだ!」
領民たちは慌てて戦闘準備をする。
「ユチ様はお下がりください。ここは私めが……」
「いいえ、ワシにお任せを!」
ソロモンさんが颯爽と前に出る。
「<古の超魔法・エンシェントギガフレア>!」
『ピギイイイイイ!』
ソロモンさんが言うと、ゴブリンたちが業火の柱に包まれた。
空高くまでそびえ立つような、とんでもない大きさの業火だ。
大きすぎて柱の先っぽが見えない。
こ、これが古の超魔法かよ。
あまりにもオーバーキル過ぎる。
ソロモンさんはマジの大賢者だった。
業火が静まったとき、ソロモンさんが叫んだ。
「ワ、ワシの力が戻ったじゃー! 領主様! なんとお礼を言えばいいのかわかりませんぞ!」
ソロモンさんは大喜びで俺の手をブンブン振り回す。
「見ましたか、皆さま! これがユチ様のお力なのです! 神が姿を変え、この地に舞い降りたのです! このお方は生き神様なのです!」
いつの間にか、ルージュが石の上に乗って演説していた。
いかに俺がすごいかを、力強く訴えている。
その顔は充実感溢れた感じで光輝いていた。
「「うおおおおおお! ユーチ! ユーチ! ユーチ!」」
ルージュに煽られ、領民たちが俺の名前をコールする。
さっきまでみんな死にそうだったのに、力に満ち溢れていた。
「き、奇跡じゃー! 神が舞い降りた! 領主様は生き神様だったのじゃー!」
ソロモンさんはテンションが爆上がりで変な踊りを踊っている。
「生き神様! 次は私を浄化してください!」
「その次は僕を!」
「俺もお願いします! 生き神様ー!」
あっという間に、領民たちに囲まれてしまった。
「あっ、いやっ、ちょっ……」
「皆さま、順番通りにお並びください! ユチ様は全ての方に御業を授けてくださいます!」
「「はい!」」
ルージュの号令で、領民はいっせいに一列に並ぶ。
村が歓喜に包まれる中、俺は領民たちを浄化していった。
――――――――――――――――――――
【生き神様の領地のまとめ】
◆大賢者ソロモン
伝説の古文書に書かれていた、古の超魔法を扱える唯一無二の大賢者。
世界に二人といない、無詠唱魔法の使い手。
古の魔法を研究しているうち、体が幼児化してしまった。
瘴気のせいで弱っていたが、ユチのおかげでかつてのパワーを取り戻した。
人生はもう終盤だが、超魔法の爽快感にハマりつつある。
推定年齢数百歳のロリババア。
◆デサーレチの領民たち
劣悪な環境下でも、毎日逞しく生きていた善良な人たち。
瘴気に汚染され弱っていたが、ユチのおかげで復活した。
新しい生活の始まりに胸がワクワクしている。
「ゲッホオオオ! ガッハアアアア! 咳が止まらんなあああ!」
ゴミ愚息を追い出してから少しして、突然咳き込むようになった。
咳だけではない、お湯が沸きそうな程の高い熱を出し、頭蓋骨が割れるほどに頭は痛く、胃はねじ切れるように痛み、心臓は張り裂けそうになり、関節に至ってはわずかに動かすだけで悲鳴をあげる……体の不調を挙げればキリがなかった。
はっきり言って気絶しそうなほど苦しい。
「ク、クッテネルングウウウウ。どこにいるうううう。さっさと来ないかああああ」
「はぁぁぁぁ……はぁぁぁぁ……こ、ここだぁぁぁ……」
しばらく呼んでいると、クッテネルングがノロノロやってきた。
見るからに具合が悪そうだ。
顔は熱っぽく息も絶え絶えで、ダラダラと脂汗をかいている。
歩いた後が絨毯のシミになっていた。
「なんだああああ。貴様も体調が悪いのかあああ」
「オ、オヤジこそ具合が悪そうじゃないかぁぁぁ」
二人でハアハアしていると、使用人がやってきた。
ビクビクしながら歩いてくる。
まるで、何か汚い物を避けようとしているみたいだ。
「だ、旦那様、クッテネルング様、お休みになられていた方が……」
使用人は私たちを見ると、ゾッとした顔をした。
その無礼な態度で猛烈に腹が立つ。
「貴様ああああ! なんだ、その顔はああああ! 失礼にもほどがあるだろうがああああ!」
「ハンサムな僕ちゃまにはもっと可愛い顔を見せろぉぉぉぉ」
「も、申し訳ございません! 旦那様が瘴気まみれになっておりまして! すぐに医術師を……!」
使用人まで瘴気がうんぬんと言っている。
無論、そんな物はどこにもない。
部屋の中は至って正常、それどころか清潔極まりない。
「だから、瘴気などどこにもないではないかああああ!」
「お前まで僕ちゃまたちをバカにするのかぁぁぁ」
私たちが近づくと凄い勢いで後ずさる。
「け、決してそのようなことではなくて、本当に瘴気が……!」
「黙れええええ! さっさと食事の用意をしろおおおお!」
「か、かしこまりました!」
使用人は大慌てで出ていった。
「全く、どいつもこいつも使えんなああああ! それでもサンクアリ家の使用人かああああ! ゲッホオオオオ!」
「次期当主の僕ちゃまにはもっと誠意を持って接しろぉぉぉぉ……ガッハァァァ」
興奮したせいか、フラフラしてきた。
私とクッテネルングは二人そろって咳込みまくる。
肺が壊れそうなほど痛かった。
早く横になって休みたい。
だが、寝込んでいるわけにはいかなかった。
これから大事な商談があるのだ。
「ゲッハアアア……こ、こんなことをしている場合ではないいいい……クッテネルングウウウ、準備しろおおおお」
「わ、わかってるよぉぉぉ……ゲホォォォ」
フラフラする身体に鞭打って準備を進める。
今日の相手はオーガスト王国のセリアウス侯爵だ。
王族とも繋がりのある有力者であり、我が領地で収穫した作物の重要な取引相手だった。
半分以上買ってくれているので上客も上客だ。
今日はクッテネルングを次期当主として紹介する、ものすごく大切な日だった。
「いいかああああ、クッテネルングウウウウ。絶対に失礼のないようにしろよおおお。お前を売り込めばサンクアリ家の評価も上がるのだああああ」
「わ、わかってるよぉぉぉぉ。大丈夫だってぇぇぇぇ」
クッテネルングの目は虚ろで、アンデットのなりかけのようだ。
こんなんじゃ上手くいくことも上手くいかない。
せめて化粧だけでもした方が良いかもしれない。
「セ、セリアウス侯爵様がいらっしゃいました!」
使用人が玄関の方で叫んでいる。
クソッ、もう着いてしまったか。
もう少し休んでいたかったが仕方ない。
「い、行くぞおおおお。クッテネルングウウウウ」
「あ、ああぁぁぁ。わかってるよぉぉぉ」
私たちは足を引きずりながら玄関へ向かう。
ちょうど、セリアウス侯爵の馬車が着いたところだった。
「ようこそおいでくださいましたあああ。セリアウス侯爵うううう。こちらは息子のクッテネルングでございますうううう」
「ク、クッテネルングと申しますぅぅぅ。以後お見知りおきをぉぉぉ」
セリアウス侯爵は細身で背が高い。
美男子のなごりが残っていて、私より年上なのに若く見える。
「これはこれはエラブル殿。今日はお忙しいところ……ぐっ!」
セリアウス侯爵はうっ! と一瞬顔をしかめた。
だが、次の瞬間には真顔に戻った。
私の見間違いだろう。
「どうかなさいましたかああああ?」
「い、いや、今日の取引はやめておきましょう。エラブル殿も体調が悪いようですからな。クッテネルング殿も汗がダラダラではありませんか」
「ご心配なくうううう。私たちは健康ですうううう」
「僕ちゃまは汗っかきなんですよぉぉぉ」
私たちはセリアウス侯爵を半ば無理矢理招き入れる。
「さあ、立ち話もなんですので中にお入りくださいいいいい」
「準備も整っておりますよぉぉぉぉ」
「あっ、ちょっと! エラブル殿、クッテネルング殿!」
一度屋敷に入れてしまえばこっちのもんだ。
いつものように、調度品を自慢しながら応接室へ案内する。
「……この壺は最近発掘された遺跡の物でええええ、こっちの皿はああああ……」
「は、はあ、相変わらず素晴らしいですな」
なぜかセリアウス侯爵もやたらビクビクしていた。
そう、まるで汚い物を避けるように。
「さあ、部屋に着きましたぞおおおお、セリアウス侯爵うううう」
応接室に招き入れても、セリアウス侯爵は険しい表情のままだった。
おそらく、さっきの使えない使用人が失礼を働いたのだろう。
後で叱りつけておかねばならん。
「では、こちらの椅子にお座りくださいいい」
「え、ええ……」
「本日の商談の件でございますがああああ……」
突然、私とクッテネルングは咳が止まらなくなった。
「ゴッホオオオオ! ブホオオオオ! ゲッフウウウウ!」
「ゴホゴホゴホォォォ。ブヘェェェ」
「うわあ!」
セリアウス侯爵は大慌てで身を引く。
汚物を見るような目でこちらを見ていた。
「申し訳ございませんなあああ。朝から咳が止まらなくてええええ」
「大したことはないので、お気になさらずぅぅぅ」
セリアウス侯爵は硬い表情で顔をしかめている。
きっと、私たちの体調を気遣ってくれているのだろう。
「……」
セリアウス侯爵は口を真一文字に閉じていた。
厳しい表情のまま押し黙っている。
「ど、どうされたのですかああああ? さっそく、商談の方をおおおお……」
「……貴殿との取引を全て解消させていただきたい」
その口から出てきた言葉は、想像もしないことだった。
「セ、セリアウス侯爵うううう? いったいどうされたのですかあああ?」
「人を瘴気の中に連れ込んでおいて、よくもそんなことが言えますな」
セリアウス侯爵まで瘴気がどうのこうのと言っている。
「どこに瘴気があるのですかあああ?」
「僕ちゃまにも見えませんよぉぉぉ」
「ですから! そこら中に蔓延っているじゃないですか!? あなた達の体にも! 本当に見えないのですか!?」
辺りを見回すがそんな物は何もなかった。
もちろん、私たちの体にもない。
いきなりどうしたのだ?
ポカンとしていると、セリアウス侯爵はさらに言葉を続ける。
「屋敷の管理もできない人とは、大切な商売の取引などできるはずもありません。話し方もおかしいし、貴殿のような変人と取引していた私が愚かだった。もうこの瘴気屋敷に来ることもないでしょう」
セリアウス侯爵は逃げるように出て行くと、あっという間に帰ってしまった。
取り残された私たちは呆然と佇む。
しょ、商談が失敗……?
セリアウス侯爵はもう二度と来ないと言っていた。
……領地の収入はどうなってしまうのだ?
脂汗とは別に、冷や汗が溢れて来る。
私の対応に落ち度はなかった。
普段と違ったのは……。
「クッテネルングウウウウ! 貴様が虚ろな目をしているからだああああ! 責任とれええええ!」
「や、やめてくれぇぇぇ。僕ちゃまのどこが悪いんだよぉぉぉ。というか、父ちゃまのせいだろぉぉぉ」
私たちは取っ組み合いの喧嘩を始めた。
だが、体力は底を付いているので、まともな喧嘩にはならない。
少し戦っただけですぐに疲れ果ててしまった。
クッテネルングと一緒に床に転がる。
「ち、ちくしょうぅぅぅ。クソ兄者めぇぇぇ。自分だけノコノコ逃げやがってぇぇぇ」
クッテネルングのボヤキを聞いた時、私は全てを理解した。
「そうだあああ! これも全部ユチのせいだあああ! あのゴミ愚息めええええ!」
思い返せば、ユチを追放してからおかしくなった。
あいつは出て行く時、何か魔法をかけていったに違いない。
その晩からどうやってゴミ愚息に復讐してやろうか考えだした。
「さてと、まずは領地を見てみないとな。一通り歩いてみるか」
「私もお供いたします、ユチ様」
瘴気に憑りつかれた領民は、みんな浄化できた。
だが、いくら領民が元気でも食料を確保しないとまずい。
デサーレチは辺境にあるから、自給自足が必須だ。
「お待ちくださいませ、生き神様!」
歩き出したところで、ソロモンさんが走ってきた。
大賢者なのに走るフォームがとても美しい。
初対面のヨボヨボ婆さんとはまるで違った。
「ワシが領地を案内させていただきますぞ。せっかく、生き神様に見ていただくわけですからな。これくらいしないと申し訳なくて仕方ないですじゃ」
「あ、ありがとうございます。じゃあお願いできますか。それと、生き神様って言うのを辞めていただきたいのですが……」
「承知しましたですじゃ、生き神様」
たぶんそうだろうと思っていたが、ソロモンさんは承知してくれなかった。
呼び名の件はまた今度話し合うか。
生き神様とか言われると、恥ずかしくて仕方ないのだ。
ソロモンさんに案内され、領地を歩くこととする。
「村の中もやっぱり荒れ果てていますね。建物も傷んでいるし、地面もひび割れているし……」
小さな瘴気がチラホラある。
その周りが特に傷んでいた。
そのうち、瘴気の出どころも探さねえとな。
「まずは、村の畑にご案内しますじゃ。ワシらの貴重な食料でしてな。生き神様には、ぜひ見ていただきたいのですじゃ」
「はい、お願いします」
いっそのこと、領地全部を聖域化しちまうか。
どうせ、ここは俺の領地なんだ。
それくらい問題ないだろ。
俺は魔力を込めながら、歩を進める。
「ユチ様、後ろをご覧くださいませ」
「うん? 後ろ?」
ルージュに言われ、後ろを見る。
「え……なにこれ」
気が付いたら、俺が歩いたところはめっちゃ緑豊かになっていた。
フサッフサの草が生えていて、寝転がるとすぐに眠れそうだ。
黄色や赤色の小さい花まで咲いている。
キラキラエフェクトまで出ていて、特別感があふれ出ていた。
そこら辺に生えている花ですら、サンクアリ家で育てている物よりすごそうだ。
「歩くだけで大地が浄化されておる! これぞ生き神様の御業じゃー!」
ソロモンさんが騒ぎ出して、領民も集まってきた。
「みんな見ろよ! 地面に草が生えているぞ!」
「こんなに緑豊かになったのは初めてじゃないか!?」
「こっちには可愛い花が咲いているわ! これも全部生き神様のおかげね!」
領民たちはそれはそれはありがたそうに、草や花の匂いを嗅いでいる。
「俺はちょっと魔力を込めただけなのに……」
「ユチ様のスキルは途方もなく強力なのでございます」
それにしても、俺のスキルはこんなに効果があるのか。
実家にいたときは、ここまでじゃなかった。
床が少しキレイになるくらいだった気がする。
そのうち、広い畑に出てきた。
「あっ、畑だ」
「これもまたクソ畑でございますね」
「ル、ルージュ、そういうことは……」
目の前の畑は大きいことは大きい。
だが、ここの土もひび割れていて、作物も申し訳程度にしか生えていなかった。
一応、色んな種類が植わっているようだ。
見た感じ、米とか小麦、トマト、レタスなどだ。
どれもヒョロヒョロでやせ細っている。
栄養なんてまるで無さそうだ。
「この畑で育つ作物が、ワシらの貴重な食料でございます。ですが、なにぶん育ちが悪く……まともな作物が育たないのですわ。ワシらはもはや諦めて、死の畑デスガーデンと呼んでおります」
ソロモンさんは、がっかりした感じでうつむく。
「ワシらも必死に水をやったり、肥料をやったりしてはいるんですがの……これが精一杯なんですじゃ。ワシの魔法でさえ瘴気には効果がないのですわ」
お決まりの瘴気がうじゃうじゃはびこっていた。
我が物顔で土の上を這いずり回っている。
作物にもしがみついたりしてやりたい放題だ。
これじゃ、いくら手間暇かけても育つわけがない。
――まったく、憎たらしい瘴気どもだな。
ちょうど今は、畑担当の領民もいないみたいだし。
静かに浄化できそうだな。
「皆さま! ただいまより、ユチ様が畑を浄化してくださいます! ぜひ、その御業をご覧くださいませ!」
「え、いや、ちょっ、ルージュ! やめなさいって!」
と、思ったら、ルージュが演説し始めた。
良く通る声を張り上げる。
「おい、みんな! 生き神様が御業を見せてくれるってよ!」
「こうしちゃいられねえ! 急いで畑に行くぞ!」
「生き神様の御業なんて、他のどんな作業より優先しないとな!」
瞬く間に、領民たちが集合してくる。
ルージュのせいで、静かに浄化する作戦が台無しになった。
いつの間にか、ルージュは大きな石の上に立っている。
どうして、そう都合よく台があるんだ。
みんな、キラキラした目で俺を見る。
それはそれは期待のこもった瞳だ。
「じゃ、じゃあ、とりあえず歩いてみますかね」
俺は魔力を込めながら畑を歩く。
瘴気どもは慌ててジリジリと逃げる。
だが、俺が近くに行くと苦しそうに消えていった。
そして、歩いたところは一瞬で作物が育っていく。
あんなにひなびていたのに、俺の背丈くらいまでグングン伸びる。
ソロモンさんを筆頭に、領民たちもめちゃくちゃ驚いていた。
「な、なんということじゃ……ワシがどんな魔法を使っても、不可能だったことが……こんな簡単に……」
ソロモンさんは、あんぐりと口を開けていた。
俺はただ歩いているだけなのに、領民たちはうっとり見ている。
「生き神様は歩くお姿も神々しいです。ほら、坊や。あなたもあのような立派な人に育つのよ」
「こんなすごいこと、世界中でも絶対にここでしか見られねえよ」
「俺、感動しちゃったよ……涙が止まらねえや。デサーレチに住んでて本当に良かった……」
領民の中には泣き出す者までいる。
その中をただ一人歩く俺。
それを満足げに眺めているルージュ。
もはや、何らかのプレイだ。
おまけに、畑は意外と広いのでなかなか浄化が終わらない。
「ユチ様、お疲れはございませんか!? 何でしたら、私めがマッサージを致します! 特製ミルクオイルをご用意しておりますよ!」
「しなくていいからね!」
やがて、畑はジャングルみたいに作物で溢れかえった。
歓喜の声が鳴り響く。
「す、すごい! 今までこんなに作物が育つことなんて無かったのに!」
「どれもこれも、なんて美味しそうなんだ!」
「ゆ、夢じゃねえよな! ……いてっ! 夢じゃない……夢じゃねえよー!」
さっそく、領民たちは作物の収穫を始めた。
「生っき神っ様のおっかげでっ! ワシらの人っ生っ! あっかるくなーる! わー!」
ソロモンさんはまた謎の踊りを踊っていた。
みんな、本当に嬉しいのだろう。
涙を流しながらの収穫だ。
「畑の作物は後で見せてもらうとするか」
「ユチ様も今日はお疲れでしょう。ゆっくりお休みくださいませ」
嬉しそうな領民たちを邪魔しちゃ悪い。
待ちに待った収穫だからな。
俺たちは静かに畑を後にする。
とりま、食糧問題はなんとかなりそうだ。
「ユチ様、先ほどはお疲れ様でございました。さあ、そこに横になってくださいまし」
「いや、もういいから……」
その後、俺はあてがわれた家でルージュのマッサージを受けていた。
というより、俺の体はヌルヌルにされている。
なんでも、彼女が開発した特製のオイルらしい。
おまけに、服はほとんどルージュに脱がされてしまった。
パンツ一枚でなんとか下半身を死守している状況だ。
「さあ、まだまだこれからでございますよ」
ルージュは半裸の俺をこれでもかと揉みこむ。
確かに疲れは消えていく。
だが、絵面がヤバすぎるのだ。
「ああ、なんと嘆かわしや。ユチ様のおみ足がこわばっております」
ルージュは額に手を当ててクラクラしている。
まぁ、結構歩きはしたがそこまでじゃないだろ。
「いや、ほんと大丈夫だから」
「ユチ様、まだ終わっておりませぬ」
一瞬の隙をついて逃げようとするが、すぐに捕まってしまった。
さすがはSランクの元冒険者だ。
「ただ歩いただけだから、そんなに疲れてないからね」
「何をおっしゃいますか。ユチ様は全世界の宝ですので、常にケアが必要なのですよ」
ルージュは嬉々として、俺の体を撫でまわす。
手つきが非常に怪しい。
かなり際どいところを攻めてくる。
こんなところを領民に見られたら、変なウワサが立ちそうだった。
着任早々、悪趣味な領主ってことになっちまう。
俺はそんなの絶対にイヤだぞ。
「生き神様、収穫した作物を見てくださいな! 畑がとんでもないことになっておりますのじゃ!」
いきなり、ソロモンさんが家に入ってきた。
俺たちを見てギョッとしている。
目がバシャバシャ泳ぎまくっていた。
「あっ! こ、これはただのマッサージでして……」
「いいえ、ユチ様専用のト・ク・ベ・ツ・なマッサージでございます」
「これは失礼いたしました。せっかくのところをお邪魔してしまいましたな。どうぞお楽しみくださいですじゃ。では、お邪魔虫はこれにて失礼……」
「ちょーっと待ってください!」
さっさと出て行きそうなソロモンさんを慌てて呼び止めた。
何としてでも誤解を解かねばまずい。
「大丈夫、わかっておりますぞ! こう見えても、ワシは色々経験しておりますのじゃ!」
ソロモンさんはウインクしながらグッジョブしてきた。
誇らしいほどのドヤ顔だ。
「ソ、ソロモンさん! わかってないです!」
「さ! そんなことより、生き神様もお早く!」
「あっ、いやっ、ちょっ……! せめて、服を……!」
「ユチ様はそのままでも素敵でございます」
「いや、そうじゃなくてね!」
結局、俺はほとんど裸でオイルまみれのまま畑に駆り出された。
「え……ウソでしょ……」
「ユチ様……あのクソ畑が楽園のようになっております」
畑に出たとき、俺たちはとにかく驚いた。
恐ろしく豊かになっているのだ。
米はずっしりと実り、トマトは光り輝き、レタスなんかは水も滴るほど瑞々しい。
中でも特筆すべきは、その成長速度だった。
どの作物もグングングングン育っている。
まるで、ちょっとしたジャングルみたいだ。
「ええ、すご……」
「まさか、これほどとは……」
領民たちが採っても採っても、すぐに新しい作物が育っていく。
ワンチャン無限に収穫できるんじゃなかろうか。
そんなことあり得ないのだが、本当にそう思うほどだった。
やがて、領民たちがこちらに気付いた。
「生き神様、そのオイルも御業の賜物ですか!?」
「おお、ありがたや、ありがたや!」
「私たちにも触らせてくださいませんか?」
あっという間に囲まれ、四方八方から手が伸びてくる。
それを避けるのは至難の業だった。
ソロモンさんも俺の手を握ってブンブンと振り回す。
「あのひなびた畑が、今やこんなに豊かな畑になりました。これも全部、領主様の御業のおかげですじゃ」
そのうち、領民たちが両手にいっぱいの作物を持ってきた。
「生き神様! 御業のおかげで大豊作でございますよ! こんなことは村の歴史上でも初めてです!」
「紛れもない奇跡でございます!」
「見てください、これが採れた作物ですよ!」
俺は裸のオイルまみれだが、そんなことはどうでもいいらしい。
領民たちが差し出した作物を見て、俺たちはさらに驚いた。
「いや、マジか……」
「これほどとは、私めも予想しておりませんでした」
そこには激レア作物がてんこ盛りだった。
<フレイムトマト>
レア度:★8
燃えたぎる炎のように赤いトマト。食べると少しずつ炎に強くなっていく。耐性力が最高まで上がると、溶岩の中を泳いでも火傷しないほどになる。
<ムーン人参>
レア度:★7
月で栽培されていたと伝わる人参。食べると体が軽くなり、数時間空を飛ぶことも可能。
<フレッシュブルレタス>
レア度:★8
水が滴るほど瑞々しさに溢れているレタス。一枚食べるだけで、一日分の水分を補給できる。
<電々ナス>
レア度:★9
弱い雷をまとったナス。食すとその魔力によって、身体が軽快に動くようになっていく。
<原初の古代米>
レア度:★10
古代世紀に絶滅したとされていた米。今は古代大陸の奥地にわずかに生息しているとされている。体に元々備わる治癒力を増強し、食べるたび不老不死に近づいていく。火を通すと腐らなくなるので、保存食としても優れている。
「この畑だけでどれくらいの価値があるんだ……こんなの王都でも手に入らないぞ。しかも、こんなにたくさんあるなんて」
「もしかしたら、どこからか種が飛んできたのかもしれませんね」
普通の作物のレア度は1とか2だ。
6を超えて、ようやく王族に献上されるレベルになる。
とんでもない高ランクの作物ばかりだった。
「「今日採れたこれらは、全て生き神様への供物でございます!」」
「え!?」
領民たちは俺に作物を押し付けて来る。
全部喰え、ということらしい。
「い、いや、せっかくなので、みんなで食べましょうよ」
「なんと、生き神様は私たちにも恵んでくださるのですか!?」
「あなた様はどこまで慈悲深いお方なんですか!?」
「これぞ我らが生き神様です!」
急遽、収穫した作物を使ってどんちゃん騒ぎが開かれることになった。
「生き神様、ここでは貴重なキレイな水でございますじゃ。どうぞお飲みくださいですじゃ」
ソロモンさんが透明な水を持ってきてくれた。
と言っても、何の変哲もない普通の水だ。
「ありがとうございます。貴重なキレイな水って、どういうことですか?」
「この辺りには水源があるんですがな。いつも汚れているのですじゃ」
マジか、そりゃ大変だわな。
「でしたら、早めにその水源ごと浄化しないとですね」
「是非ともお願いしますじゃ! 水分不足でほとほと困っておりましての!」
やがて宴も終わり、俺たちは家に帰ってきた。
「じゃあ、そろそろ寝るかな。お休み、ルージュ」
「お休みなさいませ、ユチ様」
領主として追放されたけど、この調子ならなんとかなりそうだな。
領民たちもみんな良い人そうだし。
むしろ、実家から追い出されて良かったぜ。
俺は心地よい眠りに落ちていく。
……ちょっと待て。
「いや、なんで、俺のベッドに入っているの?」
「それはもちろん、護衛のためでございます」
ルージュは俺にピッタリくっついている。
彼女の部屋もあるはずなのに……。
「やっぱりさ、別々に寝ようよ。だって、俺たちは別に……」
「お断りいたします。お休みなさいませ」
しかし、ピシリと断られてしまった。
すぐさま、ルージュはスヤスヤと寝始める。
こうなると、もうダメだ。
彼女の意思でないと、目覚めることはない。
着任早々、メイドを部屋にたらしこむなんて悪徳領主も甚だしい。
だが、今日はもうしゃーねえ。
その辺は明日なんとかしよう。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか俺も寝ていた。
――――――――――――――――
【生き神様の領地のまとめ】
◆“キレイな”死の畑デスガーデン
村の中にある大きな畑。
領民が共同で耕している。
多種多様な作物が育っていたが、瘴気のせいでちっとも収穫できなかった。
ユチの聖域化により本来の貴重な作物が育つように。
成長スピードが異常に速く、ジャングルのような畑。
「こんにちはコン~って、何があったコン! えええ!? ここがあのクソ土地で有名な“デサーレチ”!? えええ!?」
俺とルージュが畑に行こうとしたときだった。
村の入り口で誰かが叫んでいる。
「ユチ様、来客のようでございます」
「へぇ~、こんなところにも誰か来るんだね」
「うるさいですね。追い返しますか?」
「いやいやいや!」
俺たちが入り口に行くと、小さな女の子がポツンと立っていた。
背丈は俺よりだいぶ低くて幼女みたいだ。
少し大きめのリュックを背負っている。
「もしかして、迷子か? だったら、心配だな。近くに親がいればいいけど……」
「子どもが一人でうろついているのは、それはそれで怪しいでございます」
女の子は村の様子を見ては、しきりに驚いている。
頭の上から、狐みたいな耳が生えていた。
といことは、獣人の狐人族だ。
「こりゃぁ、おったまげたコン! まさか、あのクソ土地がこんなことになるなんてコン! はぁ~、おったまげたコン!」
俺は少し緊張しながら話しかける。
「あ、あの……何かご用ですかね?」
「え? あんた誰コン? こんなヒョロ男、今までいなかったような……ぐぎぃ!」
ルージュが女の子を片手でつまみ上げた。
「ユチ様にそのようなことをおっしゃるとは、良い度胸でございますね。子どもとはいえ、容赦はいたしません」
ルージュはめっちゃ冷たい目をしている。
視線だけで殺せそうだった。
「あ、あちしはフォキシーというコン! 見ての通り、行商で生計を立てているコンよ! こう見えて、もう大人コン! 離してくれコン!」
フォキシーはジタバタして暴れる。
だが、ルージュは知らぬ存ぜぬだった。
「ほ、ほら、ルージュ。この子も悪気があったわけじゃないんだからさ」
「……ユチ様が仰るならば仕方ありませんね」
ルージュが下ろすとフォキシーはホッとしていた。
そのまま、とりあえず家に案内する。
「ゲホッコン。あちしは王都にあるフォックス・ル・ナール商会の会長であるコンよ!」
フォキシーはドンッ! と胸を張った。
その名前は俺も聞いたことがある。
「フォックス・ル・ナール商会と言えば、王国でも三本の指に入るくらいだよな」
「本当にこのクソガキが商会長なのでしょうか?」
「ル、ルージュ!?」
「ク、クソガキって言われたコン! こう見えても、あちしは王宮入りの行商人でもあるコンよ!」
フォキシーは短い手足を振り回して怒っていた。
「え!? 王宮入りってマジ!?」
「マジだコン」
フォキシーは一枚の紙を見せてくれた。
めちゃくちゃドヤ顔している。
「……ホントだ。王様の印が押してあるじゃん。王宮入りの商人なんて、初めて見たな」
「ありがたくしていると良いコン……ぐぎい!」
「ほ、ほら、ルージュ! 持ち上げないでって!」
「……仕方ありませんね」
ルージュはフォキシーを下ろす。
「まったく、油断も隙もないコンね」
「あっ、そうだ。ちょうど作物がたくさん採れたんだが。いくつか買い取ってくれないか?」
しまっておいた作物を出す。
<フレイムトマト>、<ムーン人参>、<フレッシュブルレタス>、<電々ナス>、<原初の古代米>……。
まぁ、今はこんなもんしかねえけど、しゃーねえよな。
「コッ……!」
フォキシーは目を見開いて絶句している。
目玉が飛び出てきそうだ。
というか、半分飛び出ていた。
息も絶え絶えになるくらい興奮している。
「ど、どうした?」
「こ……これは……偉いこっちゃコンね」
そして、うちの畑で採れた作物がどれくらい凄いのか、めっちゃ早口で教えてくれた。
身を思いっきり乗り出してくるので、俺の背中がギンギンにのけぞる。
「この<フレイムトマト>なんて、Aランクダンジョン“ラーバの溶岩洞窟”の最深部に行かないと手に入らないコンよ!」
「お、おお、そうだったんだ……」
「<ムーン人参>はBランクモンスターのキャロットラビットの住処にしかないから、採りに行くには袋叩きを覚悟しないといけないコン!」
「こ、こえ~」
「<フレッシュブルレタス>もAランクダンジョン“ヒンターランドジャングル”を奥に奥に奥に奥に奥に行って、ようやくゲットできるコン!」
「め、めっちゃ奥地にあるんだね」
「こっちの<電々ナス>は生息地にSランクモンスターの雷電ドレイクが住んでいるせいで、滅多に手に入らないコン! 採取に向かった冒険者だって何人も死んでいるコンよ!」
「そ、そいつはヤバいじゃないか」
「<原初の古代米>にいたっては、古代大陸にしか育っていないコン! どうして、ここにあるんだコン!」
フォキシーは感動しているようで、目がウルウルしている。
レアな作物だとは知っていたが、まさかそこまでとはな。
「ど、どうやって、手に入れたコンか? しかも、こんなに状態の良い物を……」
「普通にそこの畑で採れるよ」
「え!? えええええ!? 畑で採れるって、えええええ!?」
フォキシーはさらに驚きまくる。
いや、これ以上驚けるってすげえな。
「み、み、み、見せていただいてもよろしいコンか?」
「ああ良いよ」
「ユチ様に失礼なことはしないように」
俺たちはフォキシーを畑に連れて行った。
領民たちがせっせと収穫している。
相変わらずジャングルみたいになっていた。
「まぁ、見ての通りだな。ぶっちゃけ、採っても採っても減らないんだ」
いきなり、フォキシーはへにゃへにゃと座り込んでしまった。
「お、おい、どうした。大丈夫か?」
「こ、腰が抜けてしまったコン。これは……とんでもない畑でコンよ」
ふーん、デサーレチは思っていたよりすごかったんだな。
ということで、余っている作物は買ってもらうことにした。
「<フレイムトマト>は1つ200万エーン、<ムーン人参>は1本80万エーン、<フレッシュブルレタス>は1個150万エーン、<電々ナス>は1つ300万エーン、<原初の古代米>は1ギラム35万エーンで良いコンか……?」
当然のようにとんでもなく高い金額を言ってきたので、めちゃくちゃビビった。
「たっか! いくら何でも高すぎだろ!?」
「いいえコン! 商売に限っては、あちしはふざけたことはないコンよ! 適正も適正の価格を提示しているコン!」
フォキシーは真剣なようだ。
確かに、王宮入りの商人がウソを吐くとも思えない。
「ル、ルージュ、本当にそんな高値で買ってくれるのかな」
「信じてもよろしいかと」
「じゃ、じゃあ売ろうかな」
「ありがとうコン! これであちしは大儲けコンよ!」
フォキシーは両手を上げて喜んでいる。
「そ、それで、作物はこのまま渡しちゃっていいのか?」
フォキシーは適度な大きさのリュックしか持っていない。
どうやって持って帰るのだろう。
「そのまま頂きたいコン! あちしは収納スキルを持ってるコンから簡単に運べるコン。今、お金渡すコンね」
フォキシーは不思議な空間からお金を出した。
ドサッと札束を置いて、その代わりに作物をしまっていく。
「それでは、あっしはこれで失礼するコンよ。また来るコン」
フォキシーは、ほっくほくの顔をしている。
良い品が手に入って嬉しいようだ。
「ああ、気をつけて帰れよ」
「お帰りなさいませ。次来る時は礼儀をわきまえるように」
「ちょっと待ちたまえ、行商人のお方」
フォキシーが出て行こうとしたら、ソロモンさんが出てきた。
一枚の札を彼女に渡す。
「この紙は何ですかコン?」
「ワシが開発した魔法札じゃよ。転送の印が刻まれているから、破くとここに転送されるぞよ」
「これはまた、素晴らしいおもてなしをありがとうございますコン。それでは、今度こそ失礼するコン」
「お待ちなさい、行商人のお方」
またもやソロモンさんが止める。
「ワシが王都まで転送してしんぜようぞ」
「て……転送までしてくれるコンか!? ……こんなに待遇の良い村だったなんて、知らなったコン」
フォキシーは深く感動しているようだ。
涙をダラダラ流している。
「これも全部、こちらにいらっしゃるユチ様のおかげでございます。王都へ帰ったら色んな人に言いなさい」
「ル、ルージュ!? そういうのは良いから……!」
「了解したコン! こんなに素晴らしいおもてなしをしてくれたコンから、それくらいはお安い御用だコン!」
「<超魔法・エンシェントテレポート>! この者を王都に送りたまえ!」
ということで、フォキシーは笑顔で王都に転送された。
ソロモンさんは満足げな表情だ。
それどころか爽やかな汗までかいている。
「ありがとうございます、ソロモンさん。魔法札だけじゃなく、超魔法まで使っていただいて」
「いや、お礼を言うのはワシの方ですじゃ」
「え? どういうことですか?」
別に、感謝されるようなことはしていないのだが……。
「古の超魔法は気分がスカッとするのですじゃ。しかし、やっぱり攻撃魔法の方が良いですな。どれ、モンスターどもはおらんかな。一発ぶっ放したいのですが……」
ソロモンさんはワクワクした感じで荒れ地の方を見ている。
あの超魔法をぶっぱされたら、村まで吹っ飛びかねない。
「ま、まぁ、それはまた今度でお願いしますね」
◆◆◆(三人称視点)
「いやぁ、あんなに素晴らしい村だとは思わなかったコン」
フォキシーは上機嫌で王宮に向かっていた。
こんなに商売がうまくいったことは、今回が初めてだった。
道に迷ったときはどうなるかと思っていたが、怪我の功名というヤツだ。
「過去最高の売上になるのは間違いないコンね」
何と言っても、最高品質のレア作物を大量に確保できた。
王宮であれば買値の3倍で売れる。
「それどころか、王都まで転送してくれるなんて……こんなの初めてだコンよ」
おまけに、転送費用はタダ。
魔法札までいただいてしまった。
未だに、フォキシーはその破格の待遇に震えていた。
――こりゃあもう、宣伝しまくるしかないコンね。
「知ってるかコン? クソ土地と言われてたデサーレチは、とんでもない豊かな土地だったコン。中でも領主のユチ殿は……」
フォキシーはデサーレチの話を、王宮はおろか王都の商店街まで言いに言いまくった。
住民たちはその話を興味深く聞いては感嘆する。
そして、うわさはサンクアリ家にも届くのであった。
「ゲッヘェェェ。ブエェェェ。こ、こんなにしつこい風邪は始めてだぁぁぁ」
全然体が治らない。
頭はいつも熱でぼんやりしているし、目はチカチカしていて、少し動いただけでものすごく疲れた。
良くなるどころか、毎日悪くなっている気がする。
どうして治らないんだ。
1日6回のおやつだって5回に減らしているし、苦い薬だって砂糖をたくさん入れて甘くして頑張って飲んでいるのに……。
でも、僕ちゃまは朝からウキウキしていた。
「今日はエフラルちゃんと初めて会う日だぁぁぁ~。実物はどんなにかわいいのか楽しみだなぁぁぁ~」
僕ちゃまの婚約者――ポリティカ男爵家のエフラルちゃん。
14歳になった時、父ちゃまが見つけてきてくれた。
まだ肖像画しか見たことないけど、僕ちゃまの好みにピッタリだった。
透き通るような白い肌に、眩しいくらいの金髪。
くるりとしたブルーの瞳が本当にかわいい。
気がついたら、デヘヘヘェェェと涎が出ていた。
「クッテネルング様、エフラル様がお着きになりました」
エフラルちゃんが着いたと聞いて、体の不調が吹っ飛んだように軽くなる。
ルンルンしながら玄関へ向かった。
こじんまりとした馬車から、妖精みたいな女の子が降りてくる。
肖像画で見たよりもずっと儚い雰囲気だった。
「ク、クッテネルング様……お初にお目にかかります……エフラル・ポリティカでございます……」
うっひょー、なんて可愛い声なんだ。
小鳥がさえずるような声って、こういうことを言うんだな。
もっと聞きたくなる。
「僕ちゃまはサンクアリ家のクッテネルングだぁぁぁ。よろしくぅぅぅ」
「は、はい……よろしくお願いいたします……」
エフラルちゃんの表情は暗い。
きっと、僕ちゃまに会うのが待ち遠しくて、待ちくたびれてしまったのだろう。
使用人たちも哀れみの表情でエフラルちゃんを見ている。
でも、もう大丈夫だ。
僕ちゃまはここにいるぞ。
「お、お父様、本当に行かなくてはいけませんの……!」
「エフラル。私も悪いと思っている。頼む、ポリティカ男爵家のために頑張ってくれ」
エフラルちゃんとポリティカ男爵は涙ながらに見つめ合っている。
まるで、今生の別れみたいな雰囲気だ。
何も今日結婚するというわけでもないのに大袈裟だな。
まぁ、僕ちゃまが幸せにするから安心してよ。
「……ぐすっ」
エフラルちゃんが涙を拭きながらやってくる。
僕ちゃまに会えて、そんなに嬉しいんだね。
「さあぁぁぁ、外でお茶でも飲もうかぁぁぁ」
「は、はい……ぐすっ」
僕ちゃまはテラスに案内する。
屋敷の部屋でお茶会する予定だったけど気分が変わった。
サンクアリ家の領地を見せびらかそう。
しかし、テラスには何の用意もされていなかった。
「コラァァァ! どういうことだぁぁぁ! ちゃんとお茶の用意をしておけよぉぉぉ!」
怒鳴り散らしていると、使用人たちが慌ててやってきた。
「ク、クッテネルング様!? しかし、お茶会はお部屋でやると昨日……!」
「なんだぁぁぁ!? 口答えするのかぁぁぁ!? 貴様をクビにしてやってもいいんだぉぉぉ!」
「も、申し訳ございません! 今すぐ用意いたします!」
怒鳴りながらもエフラルちゃんに向かって得意げな顔をして見せる。
使用人に厳しい次期当主。
カッコイイでしょ?
そのうち、使用人が大慌てでお茶やら軽食やらを持ってきた。
相変わらず、エフラルちゃんを憐れんでいるようだ。
だから、もうその必要はないんだよ。
僕ちゃまに会えたんだからさ。
一通り準備は整ったが、キャンディースティックが無い。
僕ちゃまのお気に入りのお菓子だ。
「おいぃぃぃ! どうして、キャンディースティックがないんだよぉぉぉ!」
僕ちゃまは使用人たちをめちゃくちゃに怒鳴りつける。
エフラルちゃんにカッコイイところを見せるのだ。
「し、失礼いたしました、クッテネルング様。持って参りました」
ようやく、キャンディースティックがやってきた。
「ああぁぁぁ、美味いなぁぁぁ」
僕ちゃまはキャンディースティックを、上から下まで思いっきり舐めまわす。
エフラルちゃんが釘付けになっていた。
食べ方のカッコよさに夢中になっているのだ。
「エフラルちゃんも食べるぅぅぅ?」
僕ちゃまは食べかけのキャンディースティックを差し出した。
せっかくだから少し分けてあげる。
これぞ紳士の振る舞いだ。
だが、エフラルちゃんは石像のように固まった。
「い、いえっ……! け、結構でございますわっ……! あ、甘い物は控えておりますのでっ……!」
顔の前で両手をブンブン振って断られた。
そうか、そんなに甘い物が嫌いなのか。
「クッテネルング様……肖像画を拝見してから、ずっとお伝えできなかったことがありますの……ですが、今その決心がつきました……」
「何かなぁぁぁ? エフラルちゃ~んんん?」
さりげなく近寄ったけど、さささっと身を引かれた。
そんなに気を使わなくてもいいのに。
「あ……」
「あぁぁぁ?」
エフラルちゃんは何かを言いかけたまま動かない。
何やら、覚悟を決めているような気がする。
そうだ、わかったぞ。
あなた様のことが好きで好きでたまらないのです、って言いたいんだな。
――やれやれ、モテる男は辛いなぁぁぁ。
モテる僕ちゃまだが、こんな可愛い娘に面と向かって言われたら、さすがに緊張する。
深呼吸して告白を受け止める準備をした。
心なしか体調も良くなってきた気がするぞ。
さあ、エフラルちゃん。
思いっきり僕ちゃまの胸に飛び込んでおいで。
「あ……あなた様との婚約を破棄させていただきますわ!」
…………え? 今なんて言った? 婚約破棄……?
「アハハハハァァァ、エフラルちゃんんん。そんな冗談は良くないよぉぉぉ」
僕ちゃまは紳士だから怒ったりなんかしない。
大丈夫わかっているよ。
これは貴族ギャグだよね。
エフラルちゃんは意外にもこういうギャグが好きらしい。
「じょ、冗談ではありませんわ! あなた様と結婚など……ぜ、絶対にイヤでございます!」
エフラルちゃんは、さらにキツい声で言ってきた。
至って真剣な表情だ。
ま、まさか……本気で言っているの……?
「エフラルちゃんんん、どうしてそんなことを言うのぉぉぉ? 僕ちゃまはサンクアリ伯爵家の次期当主で、<ドラゴンテイマー>のスキルだってあるんだよぉぉぉ」
「は、話し方も気持ち悪いですし、瘴気まみれで汚いですし、こんな方と結婚などしたくありません!」
「エ、エフラルちゃんんん? だから、冗談はやめてってぇぇぇ……」
エフラルちゃんまで瘴気がうんぬんと言ってきた。
長旅で幻覚を見てしまっているんだ。
キスして目を覚まさせて上げないと。
慌てて近づくけど、エフラルちゃんはすごい勢いで逃げる。
「近寄らないでくださいます!? 汚くて仕方ありませんわ!」
ど、どうしよう……そうだ!
キャンディースティックを上げて機嫌を直してもらおう。
ずいっとエフラルちゃんに差し出す。
もちろん、僕ちゃまの唾でしっかりコーティングしてね。
「ほらぁぁぁ、エフラルちゃんんん。美味しいお菓子だよぉぉぉ」
「もういやーー!」
エフラルちゃんは猛スピードで玄関へ走って行く。
だから、どうして逃げるのさ。
僕ちゃまも痛む身体を引きずるようにして追いかける。
「ま、待ってよぉぉぉ、エフラルちゃんんん、なんで婚約破棄しちゃうのぉぉぉ」
「ついてこないでー! 助けて、お父様ー!」
そのまま、ポリティカ男爵に抱きつく。
「お父様、ごめんなさい! 私もう耐えられません! この方との結婚だけはできません! お願いです、お家に帰らせてください!」
「エフラル! 私も悪かった! 辛い思いをさせてしまったな! さあ、家に帰ろう! クッテネルング殿! この話は無かったことで!」
「ちょ、ちょっとポリティカ男爵ぅぅぅ、エフラルちゃんんん」
馬車はエフラルちゃんたちを乗せると、あっという間に走り去っていく。
僕ちゃまはポツンと取り残された。
ぼんやりした頭では、何が起きているのか全く分からない。
モテる僕ちゃまがフラれるなんて有り得ない。
いったい、どうして……?
そういえば、クソ兄者を追い出してから色々おかしくなってきているような……。
その瞬間、賢い僕ちゃまは全てを理解した。
「そうだぁぁぁ! クソ兄者だぁぁぁ! 出て行くとき変な魔法をかけたんだぁぁぁ! そうに決まっているぅぅぅ! 父ちゃまも言っていたじゃないかぁぁぁ!」
今さら謝ってきても絶対に許さない。
可愛い可愛いエフラルちゃんとの結婚を台無しにされたのだ。
何があっても復讐してやるぞ!
「とりあえず、食料はなんとかなりそうだけど飲み水がなぁ」
「おっしゃる通りでございます」
畑から作物は採れるわけだが、水はどうするかな。
領民たちも喉が渇いたらキレイな水を飲みたいだろうし。
「ソロモンさん、みんなはどうやって飲み水を確保していたんですか?」
「一応、川があることにはあるのですが、ひどく汚れておりましてな。畑に使うくらいしかできなかったのですじゃ。ワシらは雨水を溜めてなんとか生き永らえておりました。ワシも身体が弱って、魔法が全然使えなかったですからな」
「そうだったんですか……それはまた大変でしたね」
ソロモンさんに案内されて、俺たちは川に着いた。
「うっ……こいつはやべぇな」
「これほど汚いクソ川は、私めも初めてでございます」
「ワシらは死の川デスリバーと呼んでおりますじゃ」
村近くの川は黒っぽい茶色に汚れていた。
まるで、大雨が降った後のようだ。
だが、見ただけでその原因がわかる。
思った通り、この川も瘴気まみれだ。
だが、これだけ汚れているとなると……。
「たぶん、上流の水源がそもそも汚れているんじゃないですか?」
「さすがは、生き神様ですじゃ。おっしゃる通り、水源地が汚れているのです。しかし、近寄ろうとすると体が動かなくなってきてどうにもならんのですじゃ。川の水源地は、あの山の中にありますじゃ」
ソロモンさんは川の上流にある山を指した。
そこもまた瘴気が漂っていてヤバそうだ。
さっそく向かうわけだが、今度こそ静かに浄化したい。
「皆さま、お集まりください! ただいまより、ユチ様が御業を披露してくださいますよ!」
「いやっ、ちょっ」
いきなり、ルージュが叫び出した。
あっという間に、領民たちが集まってくる。
そのせいで、“水源地を静かに聖域化計画”が一瞬で破綻した。
「生き神様! 御業を使われるときは教えてくださいよ! 毎日楽しみにしているんですから!」
「生き神様の御業を見るだけで、私たちは元気になるんです!」
「おい、みんな! 作業を中断して、すぐに生き神様のところへ来るんだ!」
領民たちは勢揃いして並ぶ。
みんな目がキラキラしていた。
ここまでされたら、さすがに追い返したりはできない。
「じゃ、じゃあ、俺の後ろについてきてください」
どうせなら、ここら辺も聖域化しながら向かうか。
全身に魔力をちょっと込めながら歩き出す。
俺が歩いたところは、土が潤い、草が生え、花が咲き、どんどん様変わりしていく。
「なんて素晴らしい光景だ……これぞ神の力だな」
「生き神様こそ、神様の中の神様だ」
「同じ時代に生まれて本当に良かった……」
領民たちの恍惚とした声が聞こえてくる。
そんなすごいことでもないと思うんだが……。
村の中はあらかた聖域化できたけど、いずれは外の方も聖域化しないとなぁ。
デサーレチは結構広いから、意外と大変かもしれんぞ。
しばらく歩くと水源に着いた。
「うっ……きたねえ」
「これもまたクソ水源地でございますね」
川の水源は小さな泉だった。
中心部から、こんこんと水が湧き出ている。
だが、瘴気が溜まりまくっていてもはや汚水だ。
「さっそくユチ様の御業をお見せくださいませ」
「よし」
と、なったところで、俺は少し迷った。
どうやって聖域化しようかな。
泉を丸ごと浄化しないと意味ない気がする。
「いかがされましたか、ユチ様。何かお悩みでございますか?」
「いや、どうやろうかなと思って」
「それなら良い案がございます。泉の真ん中で御業を使われるのです」
確かに、それなら効果的だ。
だが、しかし……。
「じゃ、じゃあ、みんなを向こうの方に追いやってくれるかな。さすがに恥ずかしいし」
小さいといっても、泉の真ん中は遠くにある。
服を脱ぐ必要がありそうだ。
「何をおっしゃいますか、ユチ様! ユチ様の御業を見られないなんて、悲しすぎて仕方ありません!」
ルージュが騒いでいると、領民たちも騒ぎ出した。
「生き神様! 私たちを追い払わないでください!」
「御業をぜひ見せてください!」
「一日一回は見ないと気が済まないんですよ!」
四方八方から必死に訴えられる。
「い、いや、でも服が……」
「「ユチ様(生き神様)の魅力を感じるには、服などもはや不要でございます!」」
力強い瞳で言われ断り切れなくなってしまった。
領民たちが見守る中、俺は上衣を脱ぐ。
下には何も着ていないので、もちろん裸だ。
領民たちはうっとりした感じで、俺のことを見ている。
「ああ、なんて美しいのでしょう」
「本当に神様が人間の姿になったようだ」
「いつ見ても素晴らしい肉体だ」
そのまま、俺は泉の中に入っていく。
冷たいが凍えるほどではなかった。
深さは俺の腹くらいまでかな。
湧き水が出てくるところに、一番瘴気が溜まっていた。
そこからちぎれるようにして、ヤツらは川へ流れていく。
魔力を込めていると、黒い塊が苦しみだした。
苦しそうにプルプル震えている。
『ギギギギギィ……!』
俺は早く終わらせたかった。
老若男女に見つめられているので、恥ずかしくて仕方がない。
まったく、さっさと消えろよな。
『ギギギギ……キャアアア!』
畑の時と同じように、瘴気はふわぁ……と消えちまった。
すると、すぐに水にも変化が現れた。
さっきまでの黒い汚水は消えて、透き通った水になっていく。
水の吹き出し口を丸ごと聖域化したから、そこから新しく出てくる水も聖域化されているんだろう。
瘴気に汚染された水を浄化しながら流れていく。
「みんな見ろ! 水がキレイになっていくぞ!」
「やったー! これでいつでもキレイな水が飲めるぞー! こんなことがあり得るのか!?」
「なんという奇跡なんだ!」
俺は早くこのプレイから解放されたい。
だが、まだ泉からは上がれない。
念のため、もう少し聖域化させた方が良いかもしれない。
「皆さん、ご覧いただきましたか!? ユチ様の御業は、水にも効果的なのであります!」
すかさず、ルージュが演説を始めた。
相変わらず良く通る声だ。
今度は倒れた木の上に立っている。
どうして、そう都合よく台があるのか……。
俺は半ば諦めていた。
「さあ、皆さん! 今こそユチ様のご功績を讃えるのです! 天に向かって叫びましょう! ユチ様のお名前を!」
「「うおおおお! ユーチ! ユーチ! ユーチ!」」
自分の名前がコールされる中、俺はただただ泉に浸かっていた。
□□□
「さて……」
あらかた聖域化が終わり、俺は泉からあがる。
散々晒されたので、ある意味達観の境地に入っていた。
「お疲れ様でございました、ユチ様。皆さま、大変喜んでらっしゃいます」
まわりの領民は川の水をがぶがぶ飲んでいる。
「生き神様! こんなに美味しい水を飲んだのは始めてですよ!」
「一生雨水しか飲めないのかと覚悟していました!」
「まるで生き返ったような気分になります! 感謝してもしきれません!」
ソロモンさんも大喜びで走り回っていた。
「あのデスリバーがここまでキレイになるなんて、ワシも想像できなかったですじゃよ!」
そして、みんなで嬉しそうに魚やら何やらを採り始めた。
何だかんだ俺は安心していた。
これで飲み水問題も大丈夫そうだな。
――――――――――――――――
【生き神様の領地のまとめ】
◆“キレイな”死の川デスリバー
デサーレチの主要な水源。
元は非常に透明度の高い川だった。
だが、瘴気に水源地を汚染され想像を絶する汚水となっていた。
水量は多いが水深は浅く、全体的に穏やかな流れ。
何が採れるかはお楽しみ。