前回のあらすじ

聖女として担ぎ上げられてしまったヒーラー。
認めないのは本人ばかりであった。




#リプされた酒をキャラが飲む小説書く ホットカンパリを飲む平賀結弦
2019-04-13

「どうしてこうなっちゃったかなー……」

 結弦の何度目かの呟きは、酒場の喧騒にかき消されていった。
 困惑と、諦念と、不安に、瞳は落ち着かずに揺れ、テーブルの下でつま先が何度も踊った。

 年齢的に酒を供する店舗というのは、大人と行った居酒屋くらいのものである結弦にとって、このファンタジー感あふれるいわゆる酒場というものは、異世界ここに極まれりというくらいに落ち着かない場所だった。

 たぶん、結弦一人だったら絶対に立ち入らないだろう類の場所だ。

 そんな店の、よりにもよって奥も奥、上座と言っていいほどの上席に据えられて、たっぷりのごちそうと酒杯、それに飲めや歌えやの大騒ぎに興じる酔っぱらいどもに囲まれているのが今の結弦だった。

 そもそもの始まりは善意であった。好意であった。感謝であった。つまり地獄への直通路の舗装材だった。

 勢いのままにダークソーンを退治して、気づけば聖女などと持ち上げられる羽目になった結弦は、ほとぼりが冷めるまではおとなしく、おとなしーく過ごそうと思っていた。
 思っていたのだが、安い賃金でかいがいしく働き、施療所を渡り歩いて傷病人の面倒を見て、文句の一つもなく癒しの業をふるうというのは、この世界の人々にとっておとなしいとは言えない所業であった。

「どうしてこうなっちゃったかなー……」
『自業自得だと思うけどね』
「私、何にも悪いことしてないのに……」
『してないからだと思うけど』

 そんな結弦を歓迎し、感謝をこめて開かれたのがこの宴会だった。
 記念すべき茨の魔物討伐の祝勝会でもある。
 もちろん、主賓の結弦は欠席できようはずもなかった。

 頼りのノマラは黒豹の姿で傍に侍り、一応悪質な酔っぱらい除けはしてくれているけれど、挨拶に来たり感謝を述べに来たりする善意の人々を追い払ってはくれない。
 そりゃあそういうのは結弦自身が対応しなければいけないとは思うけれど、作り笑顔は引きつりそうだし、見知らぬ人々に囲まれてお腹はきゅうきゅうするし、たまったものではない。

 せっかくのおいしそうなご馳走もなかなかのどを通らないし、楽しげな喧騒は居心地が悪い。特に酔っぱらいは怖さすら感じる。
 結弦とて、楽しそうなのは良いことだと思うし、笑顔に満ちていることは素晴らしいことだと思う。
 でもその空間に存在することを楽しめるかどうかというのは全くの別問題だった。

 人見知りで引っ込み思案で、コートの中でしかスタンガンを人のみぞおちにねじ込めない何事にも控えめな結弦としては、こういう場はむしろ苦痛でさえあった。
 人は慣れるものだと大人は言う。
 でも結弦としてはもう少しハードルを低くしてほしいというか、段階を踏んでほしい。

『それでもぎりぎりこなせちゃうのが、ユヅルの不憫な所だよね』
「わかってるならどうにかしてよう……!」
『挨拶の波もひと段落ついたよ。ひっそりしてれば勝手に騒いでるさ』
「だといいんだけど……」

 ノマラは頼りになるが、けれどいつでも助けてくれるわけではない。本当に危険な時や、結弦がどうしても譲れないときは必ず寄り添ってくれるが、そうでないときは放任主義だ。
 本猫いわくところの自由意思を重んじるというやつだ。

「やあやあ、楽しんでるかい? というのは君にはちょっと酷だったかな」
「あ、アルコさぁん……」
「いやぁ、悪いね、放っておいちゃって。挨拶周りが忙しくてね」
「アルコ様は女の子口説いてただけでしょう」
「アルコさん……」
「人聞きが悪いなあ。だけではないさ」
「口説いてたことは否定しないんですね……」

 酒場の喧騒を潜り抜けてやってきてくれたのは、顔見知りの遍歴の騎士アルコ・フォン・ロマーノとその従者フラーニョであった。
 とはいえ、アルコはすでに酒精が回って頬を染めているし、化粧気が無いくせにおしろいの匂いを胸元からさせている。しっかりもののフラーニョはフラーニョで、参加費分は元を取ると言わんばかりに料理を皿に盛っている。

「大変かもしれないが、人慣れしておくのは大事だよ、ユヅルちゃん」
「何しろ『聖女様』ですから、否応なしに人付き合いはしていくことになるでしょうからね」
「お仕事としての付き合いなら大丈夫なんですけど……」
「おっと何気に薄暗いものを感じる発言な気がするぞ」

 結弦とて、人付き合いが完全に駄目というわけではない。
 ただ苦手なのだ。笑顔を作るのも、会話を取捨選択していくのも、労力が必要なのだ。
 仕事として割り切れば、それも乗り切れる。
 しかしこういう、仕事とも言い切れず、かといってお友達というわけでもない、いわゆる社交というものは、難しい。

 うんうんと唸る結弦に、アルコは気を利かせて何やら注文してきた。
 木製のマグにたっぷりと注がれて静かな湯気を立てるそれは、不思議な香りと、そして確かにアルコールを感じさせた。

「え、これお酒じゃ……」
「ユヅルちゃん、子供っぽいけど成人しているんだろう?」

 この国では成人は十四歳であるらしいことを知ったのはこの時だった。

「緊張すると体が冷えるんだ。だから逆に、体を温めると緊張がほぐれるんだよ」
「そうなんですか?」
「気を付けてくださいね、この人の常套手段ですから」
「今日は純粋に親切心だよ」
「いつもは違うんですね……」
「おっと、そういう目で見るのはやめてくれ」

 ついつい冷ややかな目で見てしまったが、しかし断り切れず、結弦はあたたかなマグを両手で受け取った。少し鼻につくアルコールの感じに、どこか甘い香り。それに薬っぽいような、ハーブのような複雑な香りがした。

「なんだか、お酒って感じがしませんね」
香甜酒(リクヴォーロ)はもともと薬として造られたからね。いまはもっぱらおいしくいただくためのものだけど」

 最初は嗅ぎ慣れずに困惑した香りも、慣れてくるとなんだかすがすがしくさわやかなものに感じられてくる。そしてまた、甘酸っぱいような香りが柔らかく、酒と聞いてイメージするものよりもずっと優しいもののように思われた。

 しかし、それでもお酒はお酒だ。
 戸惑い、ためらう結弦に、ノマラがそっと耳打ちした。

『いいんじゃないかな』
「ええ……?」
『ここの法律じゃ問題ないみたいだし、せっかく善意ですすめてくれるんだし』
「う、うーん……」
『頑張った自分へのご褒美ってやつだよ、ユヅル』
「そ、そう、かな。そう、だね」

 甘い香りにすでにだいぶ傾いていた弱いメンタルは、悪魔のささやきにも似たすすめに従い、そっとマグに口をつけた。

 それは初めての味わいだった。
 ほろ苦く、不思議な香りが、温かな湯気に乗ってふわりと口の中に膨らんでいく。そしてとろりと舌の上に流れていくのは、結弦を思ってだろう、甘めに作られた味わいで、そこにさっぱりとした酸味が寄り添っている。
 はちみつレモンみたい、と結弦はぼんやり思った。ハーブの香りのするはちみつレモンだ。
 複雑な香りを乗り越えてしまえば口当たりはよく、緊張して冷え切ったところにぬくもりが心地よく、気づけば結弦はマグを傾けていた。

 その後のことを、結弦はよく覚えていない。
 なのでこの後、聖女様禁酒令が密やかに発令されていたことも知らないのだった。






用語解説

香甜酒(リクヴォーロ)(rikvoro)
 蒸留酒に薬草や果実を加えて香りを移し、砂糖や香料、着色料を加えた混成酒。
 もとは薬用であったが、やがて風味や味わいを重視したものが作られるようになっていった。
 今回結弦が飲んだものは、ホットカンパリのようなものであったと考えられる。