平賀さんはヒーラーなんですけど!?

前回のあらすじ
そして現れたダークソーン。
激闘の末、結弦はこれを取り逃してしまうが……。



 傷ついた人々を癒し、そして思い出したように自分の体を癒し、それから結弦は改めてダークソーンの犠牲となった男性のむくろに首を垂れた。もう少し早ければ、あるいは救えたかもしれない。それは傲慢な考え方かもしれなかったが、しかし切実な思いでもあった。

「あの方はどうなりますか」
「冥府の神の神殿で弔われるだろう」
「冥府の神?」
「そうだ。冥府の神の御許では、全ての魂は安らぎのうちに眠ることを許されるという」

 アルコの説明をぼんやりと聞きながら、丁重に運ばれていく男のむくろを結弦は見送った。
 どうあれ、あの男性はもう終わってしまったのだった。もう笑わず、もう怒らず、もう迷わず、もう思わない。突きつけられた終わりは、結弦の肩にズシリと重たく降りかかった。

 魔法少女をやっていると、人の死とも触れ合うようになる。
 いつも救えればそれでいいが、救えなかった多くの死を積み重ねて、ようやく魔法少女たちはいくばくかの命を救えている。そう言う事実がある。

 もともと、ダークソーンが正体を現すのは、成熟して種をまく寸前だ。そうしてようやく魔法少女はその存在を感知し、駆けつけることができる。種をまく前に退治できればいい方で、少なからず取り逃すか、本体は退治しても、種は飛び散った後だったりした。宿主となったものはどうなるかと言えば、御察しだ。

 対処が早ければ、生き残る者たちもいる。しかしそう言った者たちも多くは、心の毒を過剰に吸い取られ、生気や気力と言ったものに著しく欠ける状況にまで追い込まれ、病院のベッドから自力で立ち上がれるものはまれだ。失われた心の毒は、回復魔法でも癒すことはできない。

 今回、結弦を狙って現れたのは、魔法少女としても絶好の機会だったのだ。結弦がもっと早くダークソーンを退治できていれば、あの男性は今も生きていたかもしれない。そのことが結弦の胸に刺さっていた。

「ユヅル、あんなことがあったんだ。少し休んだ方がいい」
「でも……」
「施療所が襲われて、人々も不安がっている。君がみんなの心の支えなんだ」

 アルコの言葉は、とにかく結弦を休ませようとするための方便であることがすぐに察して取れた。
 しかしそれでも結弦はその言葉に従って体を休めた。言葉を信じたからではない。ただ、どうしようもなく疲れて、疲れて、たまらなかったからだ。

 寝台に横になって、目を閉じて眠りにおちようとしても、疲れた心身とは裏腹に、どこか昂った気持ちがおさまらず、結弦は何度も煩悶するように寝返りを打った。もはや目をつぶっていることさえ苦痛だった。落ち着かなかった。
 自分にできることが何もないのだとわかっていて、それでも居ても立ってもいられない気持ちがあった。

『ユヅル、君は頑張った。よくやったよ』
「慰めのつもりなら、やめて」
『ごめん。でも……ううん、ごめん』
「わたしこそ、ごめん」

 夜更けごろにようやく薄い眠りが訪れ、何度か短い眠りを繰り返しているうちに東の空が白々と明けてきて、結局そのまま結弦は起き出した。眠気はやはりなかったが、しかし酷く体が重たかった。魔法で癒してみても、疲れは取れても疲れた気持ちは晴れなかった。魔法では、心までは癒せない。

 ぼんやりとしながら施療所の準備を整えてみたが、今日は客足がぱったりと途絶えていた。
 なんとなく窓から外を見てみるが、通りかかる人はいても、施療所を見ると、どこか敬遠するようにして、そそくさと足早に離れていってしまう。町全体がそのような調子で、普段は賑やかな施療所の前が、今日はどこまでも空々しくしんと静まり返っていた。

「そりゃあ、そっか。あんなことがあったもんね」

 結弦は自虐するようにつぶやいた。
 町を密かに脅かしている茨の魔物が暴れに暴れた現場がここなのだ。怪我人も出た。死人も出た。野次馬はいるかもしれない。でも、わざわざそんな現場の施療所に顔を出すほどの急患は、この街にはもういないのだろう。
 そうだ。
 近頃は、怪我などほとんど口実のようなもので、人当たりの良い結弦と、その与えてくれる温かい癒しの光を求めて人々はやってきていたのだ。
 それは何でもない日に足を運ぶにはちょうど良い理由かもしれない。
 しかし恐ろしさと不安をかき分けてまでやってくる理由にはならない。

「それにあの時、わたし、必死だったもんなあ」

 恐ろしい形相だったと思う。恐ろしい剣幕だったと思う。
 服も肌もずたずたに切り裂かれながら、血まみれになってダークソーンにしがみつき、普段の温厚さなどどこへやらの大立ち回りをして見せたのだ。
 傷つきながら癒し、癒しながら傷つき、自分の体などかえりみずもせずに襲い掛かる姿は、どちらが化物だという話だ。

「はは、は、もうちょっと、スマートに戦う練習、するんだったな」

 昼前ごろに、幼子が施療所を訪れて、花を差し出していった。結弦が受け取ると、母親と思しき人が血相を変えて子供を抱きかかえ、何度も頭を下げて去っていった。
 手元に残った野の花と、その光景とがずっと頭の中で繰り返されて、結局施療所は昼になる前に閉めた。

 昼になると、屋敷の人が昼食を持ってきてくれたが、その顔にはおそれとも不安とも、何とも言えぬ表情が浮かんでいた。結弦はこれを受け取ったが、どうにも食欲が出ず、少しだけ口にして、後はノマラにやった。ノマラは食べないと疲れてしまうよと言ったが、もうすでにすっかり疲れていた。

 眠くもないのに寝台に転がり、疲れているのにいやに覚めた目で室内を見回して、陰に半分溶けこんだノマラを見つけた。

「ねえ、ノマラ」
『なあに、ユヅル』
「わたし、もう駄目かなあ」
『駄目って、何がさ』
「わたし、がんばったよ。わたしなりにさ、頑張ってきたんだよ」
『うん』
「こんな慣れない場所でさ、見慣れない顔の人たちに囲まれて、それでも、なんとか馴染もうって、頑張ったよ」
『うん』
「でも、もう、駄目かなあ。みんなもう、怖くて来てくれないかな。私のこと怖がって、来てくれないかな」
『そんなことはないよ』
「だってわたし、あれじゃあ、ダークソーンと変わらないよ。腕がちぎれても、目が潰れても、それでも平気だなんて、化け物じゃない」
『そんなことはないよ』
「もうみんな、わたしのこと、必要としてくれないのかな。要らないって言われたら、わたし、どうしたらいいんだろう」
『大丈夫だよ、ユヅル』
「アルコさんも、どう思っただろう。ダークソーンは、明らかにわたしを狙ってたもんね。わたしのことも、怪しんでるんじゃないかな」
『大丈夫だよ、ユヅル』
「やっと……やっと、慣れてきたのになあ……」

 ここでの生活もまた失われるのだろうか。かつて魔法少女となって、日常が滅茶苦茶になってしまったように。そう思うと結弦の心に殺伐とした気持ちが去来した。もうどうにでもなってしまえ。だって、もうわたしはどうしようもないんだから。

 だが、結弦は再び立ち上がっていた。杖を手に、立ち上がっていた。

「ダークソーン……!」

 その気配に、結弦は立ち上がらずにはいられなかった。
 恐怖に震え、不安に震え、どうしようもなく震えに震えて、それでも立ち上がらずにはいられなかった。

 何故ならば。

「私は、魔法少女だもん……!」





用語解説

・冥府の神
 古き神の一柱。世界で最初に死んだ山椒魚人プラオであるとされる。

前回のあらすじ
苦悩する結弦。
しかし、それでも彼女は魔法少女だった。



 結弦が施療所を飛び出した時、すでにそこではアルコがダークソーンと対峙しているところだった。

「ユヅル!? 駄目だ、まだ休んでないと!」
「もう大丈夫です! それより、そいつをどうにかしないと!」

 ダークソーンは、今度は中年の女性を宿主にしているようだった。先の男性のようにぐったりと脱力しているが、心の毒はまだ吸い取られ切っていないようで、肌には血色が見られ、まだ絶望的ではない。
 しかしその代わり、ダークソーンもまた意気軒高だった。ダメージを負っても、すぐに心の毒を吸い上げて回復できるのだから。

 アルコは先程から茨を鋭く矢で射貫こうとしているようだったが、その度にダークソーンは回復し、より強力な茨の鞭で襲ってくるようだった。

「私が抑え込みます! その隙に!」
「駄目だ!」

 結弦が昨日と同じように、と駆け出そうとした瞬間、アルコが鋭くそれを止める。

「駄目だ! あんな、自分で自分を傷つけるようなこと、させられない!」
「でも! それじゃあ!」
「私たちはみんな、君に頼りすぎてたんだ!」

 唐突な言葉に、結弦は困惑した。

「君が与えてくれる癒しを当たり前と思って無邪気に享受していた。君の存在を当たり前と思って、搾取していたんだ!」
「それは、そんなの、」
「昨日の君の献身を見て、我が身を振り返らなかったものが一人でもいるものか!」

 アルコは語った。人々は、自分が小さな少女に守られていることを、痛く羞じたのだという。日頃からひどく安い料金で癒しを与えてくれ、怪我がなくとも話を聞いてくれ、そして逃げ出そうとしていた自分たちを守るために、傷だらけになりながらも必死で茨の魔物を押さえつけてくれたことに、人々は、そしてアルコもまた、大いに羞じたという。

「一人の少女に何もかもをおっかぶせて、自分たちは見ているだけなどというのはあまりにも格好が悪すぎるだろう!」
「おお!」
「いまこそ聖女様にご恩返しを!」

 アルコの叫びに呼応するように、周囲を取り囲む人込みから、分厚い鎧を着こんだ兵士たちが、茨に向かって切りかかった。

「茨が修復するならばそれよりも早く切りこめ! 宿主から切り離せ!」

 それがひどく原始的な戦法だった。しかし数という確実な力によって、ダークソーンの茨が抑え込まれているのは確かだった。鎧によって茨を防ぎ、剣によってこれを刈り取り、宿主から分断しようというのだった。少ないながらも実戦から、ダークソーンの特徴をつかんで戦術を編んできているのである。

 やがてダークソーンの根が宿主から切り離され、宿主の体が速やかに引き離された。仮にダークソーンに喉があったならば、激しく絶叫していただろうという具合にもだえ苦しむ。これを見て兵士たちは、そうしてアルコは勝利を確信したようだった。

 しかし、結弦だけは知っていた。

「駄目です! すぐに逃げて!」
「なにっ!?」

 宿主を失ったダークソーンは、まず次の宿主を探す。しかし自分に対して敵意をもって向かってくる強い心の持ち主には取り付けない。そう言ったものに囲まれて宿主が得られないとなると、ダークソーンは力技でこの包囲を突破すべく、強力な攻撃をお見舞いしてくるのである。

 このダークソーンはぎゅう、と瞬間的に内側に丸まると球のように変化し、そして唐突にそれを開放した。視覚的に、それは真っ黒な爆発のように見えた。鋭い茨の棘が、周囲に向けて弾丸のような速度で打ち出されたのである。

「ぐあっ!」
「がああっ!」

 兵士たちの鎧を容易く貫通し、茨は荒々しく肉を裂き、骨を砕く。そして兵士たちが身構える隙も与えずに再度球状に変化し、今度は余力のあるものを狙って、正確に、単発の茨をお見舞いしてくる。これには兵士たちも迂闊に近づけず、包囲の輪が広まらざるを得なかった。

 いまはまだ、包囲を警戒してダークソーンもじりじりと間合いを計っている。しかしこれが焦れて暴れ出したとなれば、今度こそ兵隊たちも無事では済まない。

「くそ、応援を、応援を呼べ!」

 早速応援が呼ばれたが、すぐに間に合うものでもない。

「いや……今なら的は小さい! 私が!」

 アルコがさっと飛び出し、茨が打ち出される。これを身軽に避けるのだが、茨は一発だけではない。避けたならば避けた先に、撃ち落されたならばさらにその先に、アルコが近づけば近づくほどに茨の嵐は苛烈になり、そしてついにその足を貫いた。

「ぐうっ!」

 アルコも遍歴の騎士として痛みには慣れている。しかしそれは剣で切られる痛み、矢で射られる痛みであり、茨のように鋭い棘が、傷口をずたずたに引き裂ていく痛みというのは初めてだった。ましてそれが鋼鉄のような硬さともなれば。

 ダークソーンはアルコの機動力を奪うと、次に肩を狙って攻撃力を封じた。そしてとどめを刺せばいいのにそのまま傷口を抉ることに終始する。これは明らかに救助が来ることを狙っているのである。その救助者をさらに襲うために。
 それがわかっていて、わかっているから、兵士たちも迂闊には手が出せない。

 結弦もまた、ただ飛び込めばいいものではないということを痛感させられていた。
 ただ飛び込んで、押さえつけられるのならばそれでよい。しかしダークソーンは昨日の件でそれを学んだのか、徹底的にアウトレンジで戦おうとして来ている。見た目こそ無生物のような外見ではあるが、ダークソーンは確かに学習し、成長する生き物なのだ。

「ノマラ、何か、何かないの!?」
『ユヅル。それは私に聞くべきことじゃあない』
「なんで! 早くしないと、アルコさんが!」
『ユヅル。魔法少女の力は心の力だ。君が回復魔法しか使えないのは、才能だからじゃない。君がそれ以外を望まないからだ』
「そんな、そんなことない!」
『君の回復魔法は、ワタシを助けたいというその一心で開花した、純粋な祈りの結果だ。でもそれから魔法が発達したのは、君が傷つきたくない、変わりたくないと願い続けてきたネガティブな祈りの成果でもある』
「そんな………そんな……!」
『魔法はポジティブなものでもネガティブなものでもない。善でも悪でもない。ただ君の強い祈りだけがそれを開花させるんだ』
「わたしの……いのり……」
『そうだ、魔法少女ヒラガユヅル。譲れないものが確かにそこにあるのならば、叫ぶんだ! 君の心を!』
「わたしの、こころ……!」
『そうだ、解き放て。君の心の毒を!』

 結弦は駆けだした。
 そうだ。結弦の中にはとっくの昔にあったのだ。その熱量が恐ろしくて、()()()()()()、触れることさえも拒んで、胸の奥底にしまい込んでいたものが、それでも確かにそこにあったのだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もうどんな準備も要らない。魔法の杖も、不思議な呪文も。
 呪文は叫びだ。心の叫びだ。そして結弦の呪文は、()()だった。

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 それは叫びだった。純然たる、欠片ほども混じりけのない、結弦の心の底からの叫びだった。
 そこにド畜生とつけてもいいし、腐れ仏陀とつけてもいいし、古今東西ありとあらゆる罵倒語を添えてやっても構わない。実際、結弦の心中は、結弦の知る限りの罵倒語で満たされていた。そしてそれはやはりこの一言に集約されるのだ。

「ふざけるな」と。

 それはすべての障害に対する「ふざけるな」であり、全ての理不尽を殴りつける「ふざけるな」であり、全ての不条理を蹴り飛ばす「ふざけるな」であり、ありとあらゆる面倒事に対して中指を突き付ける「ふざけるな」であった。

 その呪文を引き金に、結弦の心の深いところ、魔法少女のコアは応じる。心臓を引き裂き、ずぶりずぶりと漆黒の()()が顔を出す。

 ()()はしいて言うならば剣に似た姿をしていた。柄も刀身も区別がつかず、ただ出鱈目に棘を突き出しては、破裂しそうな内側の熱量を吐き出し続ける、金属の塊のようですらあったが、それは体裁的には剣であった。もっとも原始的な、剣の形であった。

 つまり、()()()()()()()()()という、もっとも原始的な熱量の発散の形であった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 乙女のあげていい声を大幅に逸脱した、そしてそれ故に何よりも心の叫びを最大限に響かせた怒声とともに、結弦は新たな魔法の武器、魔法の剣を胸から引き出し、それを振りかぶってダークソーンに迫った。

 異常を察したダークソーンが速やかに迎撃準備を整えて、鋭い茨の砲撃を打ち出したが、時すでに遅し。
 ()()()()()()()()()()()()()に対して、それはあまりにも弱々しい攻撃だった。
 肌を引き裂かれ、骨を砕かれ、それでも結弦の歩みは止まらない。怒りが、不条理に対する怒りが、痛みを超越し、回復速度を極度に速め、そして攻撃されたということに対する怒りがさらに魔法の剣を巨大化させた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もはや言葉にもならない叫びとともに、魔剣の凶悪極まる刃が無造作に振り下ろされ、そしてダークソーンはその存在の核ごと真っ二つに切り裂かれ、朝日に掻き消える影のように霧散した。
 それと同時に、役目を終えた魔剣もぴしぴしと端から欠け落ちては消滅していく。その様はどちらが悪魔だと言わんばかりの邪悪さである。

 周囲を盛大に置いていった果ての勝利は、結弦にとって初めてと言っていい勝利は、しかし、あまりにもいろいろなものを犠牲にしていったのだった。

「……お、鬼か……」





用語解説

・心の毒
 極端な話、魔法少女の魔力と呼ばれるものと、ダークソーンが扱う心の毒と呼ばれるものは同一のものである。
 その本質は、抗おうとする力であるとされる。

・ザッケンナ・ブレード(仮)
 この世の全ての不条理に対する叛逆。心の毒のあふれ出した形。
 ふざけるなという叫びの塊。
 心の毒の塊で作られた魔剣であり、同じ心の毒でできたダークソーンに対して致命的な破壊力を有する。
 ただし、使用者である結弦自身に心の毒が溜まっていなければ大した威力は出せない。

前回のあらすじ

ザ ッ ケ ン ナ オ ラ ー !



 ダークソーンの脅威が排され、感極まった挙句、いろいろな緊張が解けて男泣きもとい乙女泣きに泣きだしてしまった結弦が落ち着き、作戦に参加した兵士たちが怯えながら回復魔法を受けてしばらく。

 いま、結弦の身柄は代官屋敷の立派な応接室にあった。
 ふかふかのソファはかつての世界でもそうお目にかかったことのない上等な物だったし、触れるだけで割れるのではないかと思うほど薄い高級なカップに注がれた茶は、香りだけで結弦のお小遣いが丸まるとんでいきそうなほどの上物だ。

 勿論そんな環境に放り込まれた結弦は今にも死にそうである。
 むしろ殺してくれと言わんばかりのところを、かろうじてノマラが支えてやっているのである。

「この度は、我が街に忍び込んだ茨の魔物を討伐していただき、感謝の言葉もありませぬ」

 そしてこの、代官である郷士(ヒダールゴ)ジェトランツォ・ハリアエート直々の感謝の言葉に、感性自体は小市民でしかない、むしろ半端な小市民よりよほど卑屈な結弦は逆に頭を下げそうになったほどである。というか、実際下げて、ノマラのしっぽではたかれて慌てて頭を上げた。

「い、いえいえ、たまたまと言いますか」
「ふっふっふ、たまたま我が町を訪れ、たまたま街を救ってくださったか」
「あう、いえ、そのう……」
「これも何かの縁だったのでありましょう。或いは神々の思し召しかもしれませんな」

 神々の思し召しという言葉には、結弦もそうかもしれないと密かに頷いた。何しろこの世界には実際に神がいるらしいというのは、言葉の神エスペラントの加護を受けて実感したところである。或いは結弦がこの世界に来たのも、またダークソーンがこの世界にいるのも、全ては神々のもたらしたことなのかもしれないと、少し思うようになっていた。

「ともあれ、癒しの術と言い、此度の件と言い、ユヅル殿には大いに借りを作ってしまった。何かお礼をと思うのだが」

 礼と言われて反射的に断りそうになったが、ノマラのしっぽが頭を叩いたので、結弦は我に返った。
 貰えるものは貰っておくべきである。少なくとも、先の知れないこの異世界においては。

 結弦はゆっくりと考えて、それから答えた。

「では市民権を」
「なに?」
「いまのわたしは、アルコさんが保護し、そしてまた郷士(ヒダールゴ)様が保護してくださっている身分にすぎません。市民権を得て、いましばらく施療所を続けたいと思います」
「かまいませぬが……」

 郷士(ヒダールゴ)は困惑した。
 というのも、市民権くらいは代官からすればどうとでもなることで、いままで市民権を特別与えていなかったのも、代官の客人という立場は余程強力にその身分を保証するものだったからである。
 むしろ、今回のような件があった後となっては、郷士(ヒダールゴ)の方が頭を下げて、街に残ってくれることを願い出たかったほどである。それをしなかったのはあくまでも郷士(ヒダールゴ)の人の好さからくるものでしかない。

「あれが最後の茨の魔物であったという保証はありません。それにどこからやってくるかもわかったものではありません。できることであれば、責任を持って対処したく思います」
「責任とな」

 結弦は少し迷ってから、しかし腹をくくって自身の本当の事情を話した。
 つまり、自分は異世界からやってきて、ダークソーンもまたその異世界の魔物であるということである。

 異世界などという突拍子もない言葉に郷士(ヒダールゴ)もアルコもしばらく困惑していたが、しかし、結弦がダークソーンに対抗する術をもつこと、またダークソーンに関して詳しいことなど、少なくともダークソーンが元居た場所から来たというのは、嘘ではないように思われた。

「では、茨の魔物はユヅル殿が連れてきたと申すか」
「それはわかりません。わたしがやってくるよりも先に、ダークソーン、茨の魔物はやってきていたようですから」
「それでは逆かもしれん」
「逆?」
「ユヅル殿、そなたがために茨の魔物がやってきたのではなく、茨の魔物に対抗するために、神々がそなたを呼び寄せて遣わしてくれたのかもしれぬ」
「それは……それはわたしにはわかりません」
「わからぬことは、そうだと言っても差し支えまい」
「ええ?」
「その方が、郷士(ヒダールゴ)にとっても都合がいいのさ」
「ええ?」

 結弦がわけがわからないという顔をしていると、アルコが笑った。

「身元不詳の少女が代官の兵士を差し置いて茨の魔物を撃退してくれたというより、神々の遣わしてくれた奇跡の聖女様がやってくれたという方がずっと聞こえがいいのさ」
「で、でもわたし、聖女様なんかじゃ」
「そう言っているのは君だけさ」
「ええ?」

 郷士(ヒダールゴ)もまたくすくすとおかしそうに笑った。

「街の施療院でも癒せなかった病人や怪我人を、いともたやすく癒してしまったということで、すでにユヅル殿は方々で聖女と呼ばれ始めておったのですよ」
「えっ」
「それが今回の茨も魔物の件で、傷だらけになりながら人々を救おうとする姿を見て、ますます聖女の株は上がったというわけさ」
「あ、あれでですか」
「人は見たいように見るものさ」

 悪鬼羅刹のような形相でダークソーンに挑んだのを目の当たりにしているアルコは夢も幻想もないようだが、市民にとってはそうでもないようである。聞けば、聖女様がまばゆい光とともに茨の魔物を消し去ってしまったとか、そのように捏造されているようである。傷だらけの下りはどこへ消えたのか。

「その聖女様が我が街に滞在してくれるというのならば、こちらこそお願いしたいところだ。施療所も茨の魔物退治も、これからもよろしくお願いしたい」
「あ、その件なんですが」
「と、申すと」
「施療所なんですが、他の施療院のお手伝いもできないかな、と」

 というのは、最初にダークソーンの宿主となって訪れた男性が、話を聞く限り施療院に勤めるもので、結弦の施療所が優秀過ぎるために風評被害を受けていたということが分かったからである。

「わたしには医療の心得はありませんから、大したことはできませんが」
「ふーむ、どうしたものかな」
「いけませんか?」
郷士(ヒダールゴ)殿は聖女様を安売りするかどうか悩んでおられるのさ」
「えっ?」
「これこれアルコ殿、商売のように言わんでおくれ」
「これは失敬」
「しかし、実際、そうなのだ」

 郷士(ヒダールゴ)が言うには、まず施療所の格を上げて、本当に重篤な者だけ治療するという風にした方が、結弦の聖女としての格が上がるのではないかと考えている事。しかしまた一方で、どんなものにでも献身的に治療してくれた姿こそが聖女としてのいまの結弦を作っているのも確かであること。
 聖女という看板を掲げていきたい郷士(ヒダールゴ)としては、悩むところであるという。

「わたしとしては、今まで通りやっていきたいだけなんですけれど……」
「うーむ。まあ、ユヅル殿もそう仰ることですからな」

 なによりもユヅルの意思を尊重するということで、こうなった。
 つまり、いままで通りに施療所を続けると同時に、いままでは距離の問題でなかなか来ることもできなかった患者たちのためにも、各地の施療院の声に応じて往診をすることにしたのである。

 郷士(ヒダールゴ)との面会を辞して、ずいぶん馴染んだ施療所に帰り付き、結弦はすっかり脱力して座り込んだ。

「ふえぇ……疲れたぁ……」
『はいはい、もう少し慣れないとね聖女様』

 ついにはノマラにまで聖女扱いされて、結弦は叫んだ。

「わたし、ヒーラーなんですけど!?」





用語解説

・ヒーラー
 信じようと信じまいと、私はヒーラー。
前回のあらすじ

聖女として担ぎ上げられてしまったヒーラー。
認めないのは本人ばかりであった。




#リプされた酒をキャラが飲む小説書く ホットカンパリを飲む平賀結弦
2019-04-13

「どうしてこうなっちゃったかなー……」

 結弦の何度目かの呟きは、酒場の喧騒にかき消されていった。
 困惑と、諦念と、不安に、瞳は落ち着かずに揺れ、テーブルの下でつま先が何度も踊った。

 年齢的に酒を供する店舗というのは、大人と行った居酒屋くらいのものである結弦にとって、このファンタジー感あふれるいわゆる酒場というものは、異世界ここに極まれりというくらいに落ち着かない場所だった。

 たぶん、結弦一人だったら絶対に立ち入らないだろう類の場所だ。

 そんな店の、よりにもよって奥も奥、上座と言っていいほどの上席に据えられて、たっぷりのごちそうと酒杯、それに飲めや歌えやの大騒ぎに興じる酔っぱらいどもに囲まれているのが今の結弦だった。

 そもそもの始まりは善意であった。好意であった。感謝であった。つまり地獄への直通路の舗装材だった。

 勢いのままにダークソーンを退治して、気づけば聖女などと持ち上げられる羽目になった結弦は、ほとぼりが冷めるまではおとなしく、おとなしーく過ごそうと思っていた。
 思っていたのだが、安い賃金でかいがいしく働き、施療所を渡り歩いて傷病人の面倒を見て、文句の一つもなく癒しの業をふるうというのは、この世界の人々にとっておとなしいとは言えない所業であった。

「どうしてこうなっちゃったかなー……」
『自業自得だと思うけどね』
「私、何にも悪いことしてないのに……」
『してないからだと思うけど』

 そんな結弦を歓迎し、感謝をこめて開かれたのがこの宴会だった。
 記念すべき茨の魔物討伐の祝勝会でもある。
 もちろん、主賓の結弦は欠席できようはずもなかった。

 頼りのノマラは黒豹の姿で傍に侍り、一応悪質な酔っぱらい除けはしてくれているけれど、挨拶に来たり感謝を述べに来たりする善意の人々を追い払ってはくれない。
 そりゃあそういうのは結弦自身が対応しなければいけないとは思うけれど、作り笑顔は引きつりそうだし、見知らぬ人々に囲まれてお腹はきゅうきゅうするし、たまったものではない。

 せっかくのおいしそうなご馳走もなかなかのどを通らないし、楽しげな喧騒は居心地が悪い。特に酔っぱらいは怖さすら感じる。
 結弦とて、楽しそうなのは良いことだと思うし、笑顔に満ちていることは素晴らしいことだと思う。
 でもその空間に存在することを楽しめるかどうかというのは全くの別問題だった。

 人見知りで引っ込み思案で、コートの中でしかスタンガンを人のみぞおちにねじ込めない何事にも控えめな結弦としては、こういう場はむしろ苦痛でさえあった。
 人は慣れるものだと大人は言う。
 でも結弦としてはもう少しハードルを低くしてほしいというか、段階を踏んでほしい。

『それでもぎりぎりこなせちゃうのが、ユヅルの不憫な所だよね』
「わかってるならどうにかしてよう……!」
『挨拶の波もひと段落ついたよ。ひっそりしてれば勝手に騒いでるさ』
「だといいんだけど……」

 ノマラは頼りになるが、けれどいつでも助けてくれるわけではない。本当に危険な時や、結弦がどうしても譲れないときは必ず寄り添ってくれるが、そうでないときは放任主義だ。
 本猫いわくところの自由意思を重んじるというやつだ。

「やあやあ、楽しんでるかい? というのは君にはちょっと酷だったかな」
「あ、アルコさぁん……」
「いやぁ、悪いね、放っておいちゃって。挨拶周りが忙しくてね」
「アルコ様は女の子口説いてただけでしょう」
「アルコさん……」
「人聞きが悪いなあ。だけではないさ」
「口説いてたことは否定しないんですね……」

 酒場の喧騒を潜り抜けてやってきてくれたのは、顔見知りの遍歴の騎士アルコ・フォン・ロマーノとその従者フラーニョであった。
 とはいえ、アルコはすでに酒精が回って頬を染めているし、化粧気が無いくせにおしろいの匂いを胸元からさせている。しっかりもののフラーニョはフラーニョで、参加費分は元を取ると言わんばかりに料理を皿に盛っている。

「大変かもしれないが、人慣れしておくのは大事だよ、ユヅルちゃん」
「何しろ『聖女様』ですから、否応なしに人付き合いはしていくことになるでしょうからね」
「お仕事としての付き合いなら大丈夫なんですけど……」
「おっと何気に薄暗いものを感じる発言な気がするぞ」

 結弦とて、人付き合いが完全に駄目というわけではない。
 ただ苦手なのだ。笑顔を作るのも、会話を取捨選択していくのも、労力が必要なのだ。
 仕事として割り切れば、それも乗り切れる。
 しかしこういう、仕事とも言い切れず、かといってお友達というわけでもない、いわゆる社交というものは、難しい。

 うんうんと唸る結弦に、アルコは気を利かせて何やら注文してきた。
 木製のマグにたっぷりと注がれて静かな湯気を立てるそれは、不思議な香りと、そして確かにアルコールを感じさせた。

「え、これお酒じゃ……」
「ユヅルちゃん、子供っぽいけど成人しているんだろう?」

 この国では成人は十四歳であるらしいことを知ったのはこの時だった。

「緊張すると体が冷えるんだ。だから逆に、体を温めると緊張がほぐれるんだよ」
「そうなんですか?」
「気を付けてくださいね、この人の常套手段ですから」
「今日は純粋に親切心だよ」
「いつもは違うんですね……」
「おっと、そういう目で見るのはやめてくれ」

 ついつい冷ややかな目で見てしまったが、しかし断り切れず、結弦はあたたかなマグを両手で受け取った。少し鼻につくアルコールの感じに、どこか甘い香り。それに薬っぽいような、ハーブのような複雑な香りがした。

「なんだか、お酒って感じがしませんね」
香甜酒(リクヴォーロ)はもともと薬として造られたからね。いまはもっぱらおいしくいただくためのものだけど」

 最初は嗅ぎ慣れずに困惑した香りも、慣れてくるとなんだかすがすがしくさわやかなものに感じられてくる。そしてまた、甘酸っぱいような香りが柔らかく、酒と聞いてイメージするものよりもずっと優しいもののように思われた。

 しかし、それでもお酒はお酒だ。
 戸惑い、ためらう結弦に、ノマラがそっと耳打ちした。

『いいんじゃないかな』
「ええ……?」
『ここの法律じゃ問題ないみたいだし、せっかく善意ですすめてくれるんだし』
「う、うーん……」
『頑張った自分へのご褒美ってやつだよ、ユヅル』
「そ、そう、かな。そう、だね」

 甘い香りにすでにだいぶ傾いていた弱いメンタルは、悪魔のささやきにも似たすすめに従い、そっとマグに口をつけた。

 それは初めての味わいだった。
 ほろ苦く、不思議な香りが、温かな湯気に乗ってふわりと口の中に膨らんでいく。そしてとろりと舌の上に流れていくのは、結弦を思ってだろう、甘めに作られた味わいで、そこにさっぱりとした酸味が寄り添っている。
 はちみつレモンみたい、と結弦はぼんやり思った。ハーブの香りのするはちみつレモンだ。
 複雑な香りを乗り越えてしまえば口当たりはよく、緊張して冷え切ったところにぬくもりが心地よく、気づけば結弦はマグを傾けていた。

 その後のことを、結弦はよく覚えていない。
 なのでこの後、聖女様禁酒令が密やかに発令されていたことも知らないのだった。






用語解説

香甜酒(リクヴォーロ)(rikvoro)
 蒸留酒に薬草や果実を加えて香りを移し、砂糖や香料、着色料を加えた混成酒。
 もとは薬用であったが、やがて風味や味わいを重視したものが作られるようになっていった。
 今回結弦が飲んだものは、ホットカンパリのようなものであったと考えられる。

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