愛しさくらの君へー桜の鬼・現代編-【完】


教会を見上げている人影を見つけた。

「あれ? りぃちゃん?」

休日の昼下がり。壱川桜葉は、幼馴染の冬森氷室と並んで歩いていた途中で、学校でよく見る姿をそこに見かけた。

氷室も桜葉と同じ方を見ているが、なぜか首を傾げている。

「誰だ、あれ……」

「りぃちゃんだよ。保健の」

「岬先生? それはわかっけど……あの紅い」

「りぃちゃーん!」

言いかけた氷室を遮って、桜葉はぶんぶん手を振る。大声で呼ばれて、李(すもも)はすぐに気づいて桜葉の方を見た。

「あ、桜葉ちゃん、氷室くん」

岬李(みさき すもも)は朗らかな笑みを浮かべる。今日の李は初めて見るスカート姿だった。ピンク色はシャーベットカラーで、トップスはホワイトの記事に黒のドット模様と黒いボウタイ。桜葉は、わー、りぃちゃんのおめかしだーと何やら嬉しくなった。

岬李は桜葉と氷室の通う高校の保険医だ。柔和な物腰なので、桜葉なんかは不調でなくてもお邪魔してしまう先生だ。李は二人を見てにこりとした。

「もしかしくても二人でデートですか?」

幼馴染二人の仲は、学内ではほぼ公認だ。遊び訪問で保健室常連の桜葉と親友の空橋結優人(そらはし ゆうり)を、一つ先輩の氷室と、いつもつるでいる海野戒(うみの かい)の二人が迎えに来ることもよくあることだった。

「……はは」

「そこは肯定しろよ、桜葉。岬先生もですか?」

肯定……出来るまで、いっていないのが桜葉だった。氷室はバリバリ肯定してもらいたいのだが。


「えっ? りぃちゃん彼氏いたのっ?」

「違いますよ。桜を見にきただけですよ」

あはは、と笑う李。李はカッコいい系のパンツスーツスタイルが多いけれど、しゃべってみるとほんわりしていて可愛い人だ。

「ええっ、りぃちゃん可愛いのに~。わた」

「お前と付き合うのは俺だけだ」

またもや危険発言をしかけた桜葉を抱き寄せて黙らせる氷室。一応氷室、桜葉に告白はしているのだが……幼馴染というよくある壁にぶつかって、付き合うまでは至っていない。なので押しまくっているところだ。

「氷室くん!」

「岬先生だからいいだろ? でも先生、今何か紅い人いませんでした?」

「あかいひと? 氷室くん何わけわからないこと言ってるの」

「紅い人、ですか……?」

変な氷室の言葉に桜葉は眉根を寄せて、李も何度も瞬く。誰の事を言っているのか、二人にはわからないようだった。

「どこにもいないよ?」

きょろきょろする桜葉。桜の古木が薄紅を降らせる教会の庭には、三人以外の誰もいなかった。

「……あれ?」

今度は氷室が首を傾げる。桜葉は氷室の見間違いだろうと結論付けて、李に向き直った。

「りぃちゃん。ここよく来るの?」

「はい。ここ、あたしのお守りなんですよ」


「教会が?」

「ではなくて、この桜です。ここ、元は夏桜院っていう旧家のお屋敷があったとこなんですよ。あたし、この樹に護られてるようなもんですから、ここ大すきなんです」

ふわりと笑う李は、やはりものすごく可愛い女性だった。でも、そんな樹をお守りと言うなんて、李はその「かおういん」に関係しているのだろうか。ってか旧家? え、すご。

「あ、桜葉ちゃん。いいこと教えますよ」

来い来いと手招かれて、桜葉は李に近寄った。李が桜葉の耳元に口を寄せて、こそっとささやく。

「この教会、すごく素敵な場所です。愛を誓うにはうってつけですよ」

「……! りぃちゃん! 教え子に何言ってんの!」

「あたし、キューピッドさん得意ですから」

李は楽しそうに鼻歌を歌いながらくるりと踵を返した。

桜の古木の方を向いて、桜葉に背を向けてしまった。桜葉は目下進行中の問題であることにもつながるそのセリフに、なんと返していいかわからず顔を真っ赤にさせるだけだった。

「桜葉、何言われたんだ?」

「~~~、氷室くんには教えない!」

「……桜葉の意地悪」

「べっ、別にそんなんじゃないよ! りぃちゃんにからかわれたの!」

「なら教えてくれてもいいじゃん」

問答する二人をちらっと見て、李は唇に力を入れた。氷室のあの眼差し。夢で見てきたものとよく似ている。李の大切な桜の記憶たち。

――もう、逃がさないんだ。桜葉を腕から失った時の喪失感は、俺の時間を止めるほどだ。だから、この手は離さない。


「紅い人って、もしかして俺か?」

「ほかに誰がいるんですか。そんな紅い髪、今どきヤンキーでも抵抗ありますよ。それにそんな着流しで一緒にいたらあたしまで変人に見られるじゃないですか」

「実際変だろ、李」

「紅髪鬼に言われたくないです。それより櫻(さくら)――」

「……ああ、わかってるよ」

櫻と呼ばれた、長身で紅髪、着流しの男は去っていく二人の幼馴染を見ていた。

「俺が見えたってことは……ちょっと危ないな……」

「……あたし、先生ですけどそちらまでは干渉出来ないです。櫻……あたし、二人には幸せになってほしいですよ」

切なげに瞳を細める李の頭を、櫻は軽く撫でた。

+++

「桜葉ちゃん、ちょっとは家に帰っても大丈夫よ?」

「……いえ、氷室くんの傍にいたいです」

顔を蒼白くさせた桜葉は、氷室の母にそう答えていた。見る先には紅く光る「手術中」の文字。その部屋の中に今……氷室がいる。

「桜葉ちゃん……」

氷室の祖母が皺の深く刻まれた手で、桜葉の手をそっと握る。……桜葉の手は、驚くほど冷えていた。

「桜葉ちゃんや、桜葉ちゃんまで身体を壊したら、わしらが氷室に怒られる。……ちょっとは休んできな?」

氷室の祖父まで桜葉を案ずる。桜葉は一晩寝ずに氷室の帰りを待っていた。

……氷室が、事故に遭った。

判然としない意識で警察に聞いた経緯によると、信号無視で交差点に入って来たトラックに轢かれたらしい。子供を助けて……とか言っていたが、そのあたりはよくわからなかった。

氷室が今、死にかけている―――……。

その事実しか、桜葉の頭にはない。

氷室くん……嘘だよね? 私を置いていかないよね? だって、すきって伝えてないんだよ? 私……氷室くんに、一度もすきって言ってないの。何で言わなかったんだろう。いやいや、何を考えているんだ自分。これじゃあ、まるで、氷室が―――

ふっと、紅いランプが消えた。

自動ドアが開いて、医師が姿を見せる。椅子から立ちあがった氷室の母が駆け寄り、桜葉は腰をあげその奥に氷室の姿を探した。

「手術は終わりました。ですが……」

医師は言葉を濁す。ふっと、桜葉の意識が途切れた。

氷室の姿を、見ないまま……。


「……あれ?」

目覚めた氷室は、ぽけっとした。周りをぐるりと見廻す。……あれ?

「何だ、もう来てしまったのか」

声が耳に入って、そちらを向く――

「……紅い人……」

紅い髪に着流しの男が腕を組んで立っていた。場所は――桜葉と来た、桜の古木のある教会だった。時間は夜。教会のライトアップで、桜吹雪が神秘的に輝いている。……何でこんなところにいるんだ?

「あー、やっぱ俺視えてたんだ」

赤髪の男は、雑に髪を掻き上げる。

「……あの、何で俺ここに? いや、何で俺……」

何で自分がここにいるかなんて、訊いてもわからないだろうに。男性は、ん? と首を廻らした。

「何でっつったら、まあ、李に言われたから呼んだんだけどな?」

「……すもも?」

果物に呼ばれたのか、俺は。

「あー、違う違う。岬李。お前んとこの……『保健室の人』とか言ってたっけか?」

「岬……先生?」

「そう。それだ」

「じゃあ、あなたはやっぱり……」

「李の……なんだ? 保護者っつーか先祖っつーか……李の父でも祖父でもないんだけど、とりあえず李は俺の子孫だ」

「はあ?」

ものすっごい胡乱な目で見られた。男も男で、自己紹介が怪しすぎる自覚はあった。伊達に長年この存在やってない。


「簡単に言うなら、俺は鬼だ。名前は櫻。貝を二つ並べる方だ」

「え? 何か言いました?」

「お前聞こえただろ」

氷室の態度が対不審者モードだった。櫻は脳内でうーんとうなる。李に頼まれていたから連れてきてしまったが、これ後であいつらにマジ怒りされるよなあ。しばらく顕現禁止とかされそう。

ま、いっか。

「氷室、ちょっと手を出してみろ」

「………」

怪しい人を見る目の氷室は、安易には応じなかった、

「……まあ、お前の反応も当然か。氷室、ちょっとこれ見てみろ」

と、櫻は教会の壁に手をついた――ように見えたが、手が埋まった。

「……え」

「さっきも言った通り、俺は鬼で、しかも櫻という鬼の一部に過ぎない残留思念体なんだ。実体がない。お前もちょっと壁触ってみろ」

「え……うん」

現実ではありえない光景に心が動いたのか、氷室は櫻からは距離をとりつつ、教会の壁を触ろうとした――できなかった。腕がするりと通過してしまった。吞み込まれたように、埋まったように、手のひらが壁に触れることはなかった。

「え……何、これ……」

ついさっき櫻が壁に手を当てたときと同じ状態だ。氷室の背筋が冷えた。こんなのあり得ない。普通じゃない。鬼とか名乗る奴と同じくらい普通じゃない。

壁から手を引っこ抜いて――感覚が何もないから、何もない場所に手を伸ばしていた感覚だが――、自分の両手を見つめた。俺……どうしちゃったんだ……。

「俺……」


「今のお前は、幽鬼(ゆうき)という状態だ。幽霊体であり、鬼の俺が無理につなぎとめたから鬼の構成要素もある」

淡々と語る櫻を見て、氷室は表情をなくす。

「……幽霊? ……鬼?」

氷室は呆然とつぶやく。呑み込めない単語ばかりだ。櫻は、はあ、と息をついた。

「お前、事故に遭ったんだよ。憶えてないか?」

事故? そんなことあったっけ――

「…………あ」

そういえば。子供が歩いているところに車が突っ込んできたから、そこに飛び出してしまったことは憶えている。しかし、その後は真っ暗だ。

「……んじゃ、何で俺……」

改めて自分を見てみると、怪我どころか服に汚れひとつついていない。それに何でこんな離れた場所でぼけっと突っ立っていたのだ? ……謎が謎を呼ぶばかりだ。

「えーっと、何て言ったかなあ……李が言ってたんだけど……。あ、そうだ。氷室は今、『植物状態』ってやつなんだと」

「……しょくぶつじょうたい?」

「そう。脳だか心臓だかが止まっているって言ってた。んで、」

「幽体離脱!」

「……うん。まあ、そんな感じだ。で、」

「俺は幽霊であり鬼のあなたが繋ぎ止めたから鬼でもあると……」

「…………うん。で、」

「あなたは岬先生の先祖で鬼……。ってことは岬先生も何らかの異種である可能性が高い……」

「うん、俺の話聞かないでそこまで推察出来るお前すげえけど話聞けよ! 頭いいって聞いてたけど面倒くせえなお前!」

「よく言われます」

「照れ照れ言うんじゃねえよ! 何で俺が突っ込みキャラになってんだガラじゃねえ! いいか、お前は現在死にかけている。魂が完全に離れてしまう前に俺がこの世界に繋ぎとめるためにお前を俺の眷族(けんぞく)にしたんだ。だからお前は今、人間じゃなく幽鬼だ。そして、鬼でもあるからお前の体はまだ死んでいない。―――わかったか?」