夢から醒めて、逢いに行くから


「そういえばリュウガ先輩、二週間前に会ったときと髪型変わりましたね。前もかっこよかったですけど、私にはやっぱり夢の中で何度も見てきた今の髪型のほうがしっくりきます。その髪型、似合ってますよね」

 大内優芽に横から顔を覗き込まれて、俺は少し身を引きながら頭の後ろに手をあてた。

 今の髪型のほうが何度も見てきてしっくりくるってどういうことだ……? 

 入学ガイダンスの日から二週間は会っていなかったはずなのに、大内優芽はその間、俺のことをどこかから見てたのか?

 俺が美容室に行ったのは一週間前。茶色に染めていた頭のてっぺんから黒い地毛が見え始めていたから元よりワントーン明るい色に染め直し、いつも担当してもらっている美容師さんに勧められて、ノリでゆるくパーマをかけた。

 同じ学部の友人たちからは「似合ってるけど、なんか見た目がチャラくなった」と褒められたんだかけなされてんだがわからない評価を受けた髪を撫でつつ、大内優芽を見下ろして顔をしかめる。

「初めて会ったときから、あんたがずっと言ってる夢って何? 本気で俺の気を惹きたいくて言ってるんだとしたら、その妄想はヤバい。引く。ていうか、怖い。二週間ぶりに会ったのに、今の俺の髪型のほうが何度も見てきてしっくりくるってどういうこと? あんた、ほんとうはどこで俺のこと知ったの? ストーカー的なやつ? そうだとしたら、まずは学生課に相談に行くけど」

 思わず声を尖らせると、大内優芽の顔から笑みが消えた。


 やっと俺が本気で迷惑がっていることが伝わったか。

 黙り込んでしまった大内優芽から顔を背けて離れようとすると、彼女が俺のTシャツの裾をつかんでて引っ張ってきた。

「待って、リュウガ先輩」 

 あれだけ言ってまだ引き止めてくるとか、どんだけメンタル強いんだ。

 眉をしかめて振り向くと、大内優芽がやけに真っ直ぐな目で俺を見上げてくる。

 おかしなことを言ってくる変な女なのに。できるかぎり関わり合いを持ちたくないのに。

 黒目がちの純粋そうな瞳にジッと見つめられて、不覚にも俺の心臓がドクンと大きく脈打つ。大内優芽は変な女だけど、黙っていれば見た目は可愛い系の美人なのだ。

「なに? まだ何か用があるなら、本気で学生課に……」

「困らせてごめんなさい」

 胸に過る動揺を抑えるように眉間にぎゅっと力を入れると、大内優芽が眉尻を下げて困ったように微笑んだ。その表情が一瞬泣き顔に見えてドキッとする。

 つきまとわれて迷惑だし、できれば彼女を遠ざけたいけど、泣かせようとまで思っていたわけじゃない。


「わかってもらえればそれでいいよ。俺、もう帰るし」

 大内優芽につかまれているTシャツを引っ張る。

 だけど彼女は、くっきりとシワが寄るくらい力強さで俺のTシャツを握りしめて離してくれなかった。

「いい加減、離せって。伸びる」

 俺の話を分かってくれたんじゃないのか。大内優芽の矛盾する行動に若干苛立っていると、彼女が一度きゅっと噛み締めてから唇を開いた。

「ごめんなさい。リュウガ先輩には、私の話なんてきっと意味不明ですよね」

「だから、初めからずっとそう言ってる……」

「夢の中で助けてくれたリュウガ先輩は、かっこいい私のヒーローでした。この半年の間、夢の中に何度も出てきてくれたリュウガ先輩に、私は本気で恋してたんです」

 大内優芽が、真面目な顔付でまたわけのわからないことを言い出す。

「私、半年前まで、自分の人生も将来もどうでもよかったんです。だけど、大学生になった自分がリュウガ先輩と過ごす夢を見ているうちに、ちゃんと考えようって思えるようになりました。この大学を受験しようと決めてホームページを見たら、講堂やカフェテリアが夢で見たのと同じで驚きました。さすがにリュウガ先輩までは実在しないだろうと思ってたから、二週間前に現実で巡り会えたときはほんとうに嬉しくてびっくりしたんです」

「ちょっと待って。夢がどうとかって話はあんたの作り話だろ。俺の話、分かってくれたんじゃなかったのかよ」 

「はい。あの夢を見ていたのは私だけで、現実のリュウガ先輩には何も共有されていないんだなということが改めてよくわかりました。でも私が半年間ずっと見てきた夢は嘘なんかじゃないし、何かの暗示だったと思うんです」

「は?」 

「どうせ夢の中でも片想いだったんです。だからこれから、リアルのリュウガ先輩に好きになってもらえるように頑張ります」

 大内優芽が、俺のTシャツの裾をきつく握りしめて宣言する。

 にこっと笑いかけてくる彼女は、俺が心配しなくても心折れてなんかいなかったし、諦めてもいなかった。

 授業が空いていた三限目に、山口と一緒にカフェテリアで昼ごはんを食べていると、入り口から大内優芽が入ってくるのが見えた。

「ヤバい……」

 彼女に見つかる前に食べ終えて、ここから出なければ。まだ三分の一ほどしか食べ終えていない日替わり定食の唐揚げとごはんを急いで掻き込んでいると、コンビニで買ったパンを食べていた山口が「あ」とつぶやく。

「悪い。俺、今、大内さんと目が合った」

「お前の顔目立つんだから、しっかり気配消しとけよ……」

 どこにいても目付きと人相の悪さが目立つ山口にぶつくさと文句を言っていると、「リュウガ先輩!」と横から声をかけられた。

「お昼、ご一緒してもいいですか?」

 いつのまにか近付いてきていた大内優芽が、にこっと笑いかけてくる。

「いや、俺ら、もう食べ終わるし」

 素っ気なく断ったつもりなのに、大内優芽が俺の隣の席に座る。

「じゃあ、リュウガ先輩が食べ終わるまでの少しの間だけでもご一緒させてください」

 俺の言葉を笑顔でスルーした彼女が、カバンの中から弁当箱を取り出す。

「他にも席空いてるけど」

「知ってますけど、私はここがいいので」

 空いている他の席を指差して追い払おうとする俺に、大内優芽が笑顔で主張する。


「ていうかさ、弁当持ってるなら、わざわざここ利用しなくてもよくない? 教室とか中庭とか、食べる場所は他にもあるだろ」

「そうですけど、私はリュウガ先輩と一緒にお昼を食べたいので」

「俺は全然一緒に食べたくない……」

 ぼそりと言ってみたが、大内優芽は俺のつぶやきを無視して弁当箱を開くと「いただきまーす」と手を合わせた。

「ほんとうに、毎日何なんだよ……」

 俺の愚痴など気にも留めず、機嫌良く弁当を食べ始める大内優芽。そんな彼女を横目で睨む俺に、山口が同情の眼差しを向けてきた。

「今日もなつかれてるな」

「絡まれてんだよ」

 低い声でぼやいて、舌打ちする。ついでにこれみよがしに大きなため息をついてみたけど、大内優芽は何も言ってこなかった。

 俺のため息だったり、否定的な言葉だったり、都合の悪いものは全部聞こえないフリでスルーする彼女のメンタルの強さに呆れを通り越して感心する。

 大内優芽に連絡先を教えるのを断って以来、彼女は昼時のカフェテリアや大学の図書館、サークルの部室、経済学部の教室と。毎日、隙を見つけて俺を探しにやってくる。

 そうしているうちに、少しずつ俺の行動パターンが読まれてしまっているようで。キャンパス内で彼女に見つかる確率が日に日に高くなってきている。

 授業の空き時間に大内優芽とカフェテリアで遭遇するのだって、今週でもう三度目だ。


「三限目、授業ないの?」

 からあげに箸を突き刺しながら若干苛立った声で訊ねると、大内優芽がぱっと俺を振り向いて目を輝かせた。

「なに……?」

 眉根をよせつつ身を引くと、大内優芽が頬を薄っすらと赤く染めて首を横に振る。

「リュウガ先輩が、少しでも私に興味を持ってくれたことが嬉しくて」

「いや、興味は持ってない。三限目授業ないのか聞いただけ」

「でも、いつもは私がこうして隣に座ってごはん食べてても、何も聞いてくれないじゃないですか」

「だって、興味ないし」

「じゃあ、どうして今日は聞いてくれたんですか? あ、ちなみに今日の三限は教授が研究会のため休講で、四限に出たあと帰宅します」

 大内優芽が弁当を食べる手を止めて、期待のこもったキラキラした目で俺を見てくる。

「あんたの予定が気になったわけではなくて、授業休んでまで俺のことストーカーしにきてるならこえーなって思っただけ。ていうか、ほぼ毎日のように俺と昼メシ食ってるけど、学部に友達とかいないの?」

「それなりに親しい人はいますよ」

「じゃあ、そっちと食べればいいのに」

「私が誰とどこで昼ごはんを食べるかは私の自由でしょう。それに夢の中でも、文句を言われながらも一緒にお昼を食べてるうちに、リュウガ先輩と親しくなれましたから」

 出会ってからずっと一貫して大内優芽が口にする夢の話を、俺は苦笑いで聞き流す。何度も聞かされているうちに、彼女が言う夢の話が本当か嘘かなんてどうでもよくなってきたのだ。


「俺なんかより、もっと同じ学部のやつとか先輩と親しくなれるように努力しろよ。学部が違ったらテストの情報共有もしてやれないし、今後ゼミに入ることも考えたら、同じ学部の知り合いがいたほうがなにかと便利だと思うけど」

 定食の唐揚げを齧りながらぼやくように話していると、横顔に大内優芽の視線を感じた。何だ、と思って怪訝なまなざしを向けると、彼女がさっきよりもキラキラとした目で俺を見てくる。

「私のこと心配してくれてるんですか? ありがとうございます」

「ちげーよ!」

 どっちかというと、毎日付き纏ってくる大内優芽への嫌味のつもりで言ったのに。都合のいいところだけ切り取って喜ぶ彼女はポジティブというか……。なんというか、だいぶ頭がおめでたい。

「なあ、山口。こいつ、なんとかして」

 ため息混じりに助けを求めたが、向かいに座る山口は、人相の悪い顔に引きつった笑みを浮かべるだけでなんの解決策も出してくれない。

「あ、そうだ。山口先輩、私と連絡先を交換してくれませんか?」

 俺と山口が話していたら、大内優芽が突然そんなことを言い出した。

 今日まで俺に対して「好きだ」とか「連絡先を教えてほしい」とか言って付き纏ってきたくせに。そんな俺の前で堂々と他の男の連絡先も聞こうとしている大内優芽の軽薄さになぜか少しイラッとする。


「今度は山口に夢の中で会って好きになった、って迫るつもり? 気が多すぎるんじゃねーの? ていうか、山口に彼女いるの知ってるよな」

 カバンから出したスマホを山口のほうに向けている大内優芽を睨むと、彼女が俺を見上げてきょとんと首を傾げる。

「何怒ってるんですか? リュウガ先輩」

「別に、怒ってはない」

「じゃあ、ヤキモチだ。私がリュウガ先輩を差し置いて山口先輩の連絡先を聞こうとしてるから」

 大内優芽がニヒッと口角をあげる。俺を揶揄うみたいな彼女の笑い方が癇に障った。

「そんなわけねーだろ。ふざけんな」

 マジな低い声を出すと、大内優芽と山口がちょっとびっくりしたように瞬きする。そんなふたりの反応を見て、俺は急に大きな声を出してしまった自分が恥ずかしくなった。

 なんで俺は、大内優芽にちょっとからかわれたくらいでマジになってるんだ……。


「どうしたんだよ、琉駕。急にびっくりするんだけど」

「そうですよ。私はただ、山口先輩に連絡先を聞いとけば、大学内を探し回らなくてもリュウガ先輩が見つけられるから便利だなって思っただけなのに。リュウガ先輩、全然連絡先教えてくれないから……」

 大内優芽が口先を尖らせてぶつぶつ言っている。それを聞いて、「なんだ、そうか」と妙に安心している自分がいて。大内優芽のせいで、俺まで変になりかかっているんじゃないかと焦る。

「山口、ぜったいに連絡先教えんなよ」

 大内優芽からふいっと顔をそらして不機嫌な声を出す俺に、山口が「もう、諦めて教えてやればいいのに」と苦笑いする。

 無言でじろっと睨むと、山口が小さく肩を竦めて唇を歪める。ちょっと意味ありげな山口の引きつった笑みに、俺は軽く舌打ちをした。

 付き纏われて迷惑だと思っているはずの大内優芽の言葉に動揺させられている自分が信じられないし、俺が大内優芽に絆されかけていると山口に勘違いされていることも、なんかムカつく。