祐奈の葬式は一つの問題なく進行した。
 俺は全身から気が抜けたように、ただ俯いて座っていた。
 この現実を、祐奈が居ないこの世界を受け入れることができなかった。
 祐奈が居ない世界なんて、なんも価値がない。

「透夜くん……」
「…………はい」

 顔を上げると、目の前には祐奈の母親が居た。
 目を真っ赤にして、鼻を啜りながら俺の名前を呼んだ。

「今まで、本当にありがとうございます。透夜くんに何てお礼をして良いか……」

 目のハンカチを当てながら、俺に感謝の言葉を言い続けた。
 やめてくれ。
 俺は感謝なんてされるべきじゃない。もっと祐奈の体調を気にしていたら。あの時ナースコールを押していたら、祐奈は今日の夕暮れも見ることができたかもしれない。

「祐奈から、透夜くんに伝えてと……」
「祐奈から……」
「『ほら、笑顔だよ、透夜。これからの人生、笑顔で楽しく、後悔しないように過ごしてね』と伝えてくれとお願いされました」
「うっ……」

 泣いちゃダメだ。今泣いたら、ダメだ。
 目の前の祐奈の母親の方が悲しいに決まっているのに、俺の方が泣くなんて、祐奈の願いも守らないで。

 「それと、これを渡してくれと言われました」

 すると俺に一冊のノートを渡してきた。
 見覚えがある。あの時に机の上に置いてあったノートだ。
 ノートの表紙には『特別な人、氷室透夜くんへ』と書かれていた。

「恥ずかしいから、一人の時に呼んでねとの事でした」
「……わかり、ました……」

 俺はノートを受け取り、大事に家まで持って行った。
 真薄暗い部屋で俺はベッドの上でしゃがんだ。
 ここなら、誰にも見られない……。

『泣いちゃダメだよ』

「ッ‼」

 ふと、頭の中に祐奈の声がした。
 祐奈は俺にずっと見てるよと伝えてきた。

「分かったよ。特別な人との約束なら守らないとダメだな」

 俺は深呼吸を何度もして、震える手でノートを開いた。

「ッ‼ うっ……」


 四月二十九日。
 透夜とテーマパークに行った! 
 透夜がジェットコースター苦手なのは意外だったな~。逆にお化けとか苦手そうだと思った! けど平気だった。
 そして許せない事をしてきた! お化け屋敷の中で透夜が私を驚かしてきたの! 怖いのは苦手って言ったのに……透夜のバカ。
 最後に観覧車に乗った! 頂上からの景色は一生の思い出です!


 ノートの下半分には、祐奈の綺麗な字で日記が綴られていた。
 そして、その上には――――俺と撮った写真が貼られていた。
 ……アルバムだ。
 俺は震える手でページをめくった。


 四月三十日。
 水族館に行った!
 マイワシのトルネードは迫力満点! ペンギンは凄く可愛かった!
 イルカのショーでは透夜とびしょびしょになった。透夜は嫌じゃなかった?
 水族館を出る時にお土産屋さんで透夜とお揃いのキーホルダーを買った! 一番大きな写真に写ってるやつ!
 そしてそして! 透夜からプレゼントまで貰っちゃった! ありがとう、透夜。一生大切にする!
 そして最後に海も見た! 綺麗な海で脚だけ海に入った。透夜も一緒に入ってほしかったな。 
 でも明日一日私の彼氏になってくれるから許してあげよう!
 ありがとう、透夜。


 五月一日。
 今日は透夜と一日恋人同士!
 透夜はショッピングモールよりももっと別の場所に行きたかったかな?
 でも透夜は笑顔で居てくれたから良っか!
 映画も見えたし満足満足! 私も病気じゃなかったら映画みたいな恋ができたのかな……? 
 帰りには温泉に行って体の芯までポカポカ。
 温泉を出たら透夜がコーヒー牛乳を飲んでて私も飲みたくなった!
 今日は昨日と一昨日よりは特別感のない場所だったけど、透夜と夕飯も一緒に食べれたから私にとっては今までで一番特別な日! 
 でも、もう会えないかな。

 
 五月二日。
 ごめんなさい。透夜にあんな酷い事言っちゃった。
 今まで私のお願いも、我儘も聞いてくれたのに。あんな酷い事……。
 私最低だ……。
 もう透夜とは会えない。自分で言っておいて涙が止まらない……。
 ……おばあちゃんの家に行こう。透夜の事おばあちゃんに話そう。
 そしたらおばあちゃん、凄く喜んで涙まで流しちゃった。
 嬉しいな、おばあちゃんに喜んでもらえて。
 でも、嬉しい事はそれだけじゃなかった。
 透夜が来てくれた……。
 ありがとう、透夜。私に逢いに来てくれて。
 


 そして、次のページを開いた。

「え?」

 次のページを開くと、他のページとは違った。
 写真が貼っていなかった。


 五月三日。
 約束を守れなくてごめんなさい。
 私の容態が悪くなっちゃって、透夜との約束守れなかった。
 突然ですが、この日記は今日で終わりにします!
 手先が痺れて、ペンを持つのも難しいから。
 そしてこのページだけ写真が貼られてないの、気になってるでしょ⁉
 私はもう病院から出るのも厳しいしいから、透夜に任せます!
 透夜のスマホに入っている写真を現像して貼って、このアルバムを完成させてください!
 次のページは、少し恥ずかしいから一人で読んでね。

 
「俺が……完成させる……」

 次のページを開こうとするが、中々開けない。
 これでもかというほど手が震えている。
 涙が零れないように、上を向く。
 そして、ゆっくりと次のページを開く。


 大好きな透夜へ!
 透夜と初めて会った時、なんでこんなに暗い表情をしているんだろうって思って、声をかけちゃった。
 透夜は凄く不思議な表情で私を見ていたよね? もしかして厄介なやつって思った? でも透夜は私の手を握ってくれた。 嬉しかったよ。
 
 それから三日連続で遊びに出掛けたね。
 どうだった? 透夜にとってちゃんと思い出になった? つまらなかったって言われたら私拗ねるからね?
 透夜にとって、私と過ごした時間が一生の思い出になってくれたら凄く嬉しいです!
 
 あのね。
 私は透夜とまだ一緒に居たかった。
 死にたくない。もっと、もっと透夜といろんな場所に出掛けたかった。
 透夜とせっかく恋人になれたのに。どこも出かけることなく透夜の前から居なくなっちゃう。そんなの嫌だよ……。
 私、透夜と結婚したかった。ウエディングドレスも着たかったし、透夜との子供も欲しかった。
 幸せな家庭を築きたかった。
 でも、そんな私の願いは絶対に叶いません。
 
 だから、透夜はこれからの人生、私の分まで楽しんで、笑顔で、幸せに過ごしてください。
 新しい彼女ができたら私にも報告してね! できればいち早くにね!
 絶対だよ? 
 
 それと私から透夜に最後のお願い。
 沢山あるけどちゃんと聞いてね。

 一つ目は私の行きたかった場所に透夜が行くことになったら、このノートを一緒に持って行ってください。
 このノートを私だと思って、一緒に連れてってください。
 
 二つ目は辛いことがあっても笑顔で居てください。
 私は透夜の泣く姿なんて見たくないもん。
 辛いことがあっても、笑顔で居たら何とかなります!
 私はずっと透夜の事を見守ってます。だから泣いたら直ぐにわかっちゃうんだから!
 
 三つ目は私の事を忘れないでください。
 新しい彼女ができても、結婚しても、おじいさんになっても、私の事を忘れないでください。
 忘れたら怒るからね! 

 これらの約束は絶対に守ること! 分かった?
 返事!


「…………分かったよ」


 返事してくれたと信じて、よろしい!
 
 透夜、私は透夜と出会えて幸せでした。
 あの時、屋上に行っていなかったら。あの時、透夜が屋上に居なかったら、私はこんな幸せな日々を送ることはできませんでした。
 透夜には凄く感謝しています!
 私の我儘も沢山聞いてくれて、私のやりたいことに一つも文句言わないで一緒にやってくれて。透夜じゃなかったら、多分私は今以上に悔いを残してこの世を去っていたと思います。
 もっと書きたいこと、透夜に伝えたいことは沢山あります。
 でも、もう……手に力が入らなくなってきちゃったので、これで終わりにします。最後に――

 大好きだよ、透夜。
 永遠に、大好き。

 
「うっ……ああぁっ」

 ノートを読み終えた時には、涙が止まらなかった。
 我慢していたのに……。

「ごめん。ごめん。――君との約束を破ってしまった」

 泣かないって約束をしたのに、涙が止まらない。
 でも、こんな約束守れないよ……。

「何でだよ! なんで祐奈が……ああぁっ…………あの時に、あの時に戻りたい」

 俺は未完成のノートに顔をうずめた。
 大事な、大事な。この世で一冊しかない、もう二度と作ることのできないノートに。





 五月二十九日。俺の家に呼び鈴の音が響いた。
 誰かと思いドアを開けてみると、そこには祐奈の母親が立っていた。

「お久しぶりです、透夜くん」
「お、お久しぶりです……」

 祐奈の母親とはあの日以降一度も会っていない。
 祐奈を失ってからは何もやる気が起きず、学校にも行かないで引きこもっていた。
 祐奈の母親が学校側にも、父親にも事を話してくれたらしく、父親は同じく大切な人をなくしているから俺の気持ちを理解してくれて、ゆっくりで良いと言ってくれた。
 学校側も、祐奈を笑顔に、最期まで一緒に居てあげてくれたからと、父親と一緒でゆっくりで良いと言ってくれた。

「どうしたんですか?」
「透夜くんに渡したい物があって。祐奈から今日透夜くんにこれを渡してほしいって頼まれちゃったから」

 そう言って俺に一つのUSBを渡してきた。

「どうか、見てあげてください。失礼します」

 そう言って祐奈の母親は玄関のドアを閉め、帰って行った。

「祐奈から……祐奈……」

 俺は直ぐにパソコンにUSBを挿し込んだ。
 するとそこには――大好きな透夜、誕生日おめでとう。と書かれたファイルがあった。
 ファイルを開くと、一つの動画があった。
 クリックして動画を再生する。

『やっほー、透夜。見えてる?』

「祐奈……ううっ」

『誕生日は必ず祝うって言ったよね? でも私はそんなに生きていけるとは思えないから、こんな形だけど透夜の誕生日を祝います! おめでとう、透夜! 最高の一年にしてね! こういうの何をしゃべれば良いのか分からないからちょっと緊張しちゃうな……。もしかして私の事忘れてないよね⁉』

「忘れるわけないよ……忘れれるわけないじゃないか」

 気づいたら、頬に涙が伝っていた。

『まぁ忘れてない事を祈ります! 本当は直接おめでとうって言ってあげたかったけど、こんな形になっちゃってごめんね。あ、あのノート完成させてくれた? 絶対完成させてね? 頑張って作ったのに未完成のままなんて嫌だからね? それじゃあ最後に、お誕生日おめでとう。大好きだよ、透夜!』

 祐奈は満面の笑みをしたまま、動画は終わった。

「完成、させなくちゃ……」

 まだ、君との約束を守れていない。

 



 クリスマスイブ、俺は祐奈と初めて出かけた時に来たテーマパークへとやって来た。
 テーマパークの中心にはこれでもかと大きなクリスマスツリーが、そして周りにはイルミネーションが輝いている。
 クリスマスツリーの下には大きなプレゼントがいくつも置かれている。

「来たよ、祐奈。約束通り」

 俺は完成されたノートに話しかけた。
 
「今度は約束守れたよ」

 次は、どこに行きたい?