「ありがとう。透夜くん」

 お礼を言われた。
 祐奈にもう会いたくないと言われて病室を後にし、待合室で一人座っていると祐奈の母親からお礼を言われた。
 何故お礼を言われているのか理解ができなかった。
 
「なんで……お礼なんて」
「…………あの子から沢山話しは聞いているの。テーマパークに行ったことも水族館に行った事も、ペンギンのぬいぐるみをプレゼントされたことも。全部嬉しそうに、本当に……嬉しそうに話してくれて」

 祐奈の母親は嬉しそうな、悲しいような、なんとも言えない表情で話してきた。
 俺との思い出をそんな嬉しそうに話してくれていたのか……。
 俺は俯き、さっきの言葉を思い出す。

『バイバイ』

 本音なわけがない。本音なわけがないんだ。
 祐奈の啜り泣く声が聞こえて、あんな辛そうに声を絞り出していたのだから。
 
「あんなに嬉しそうな、楽しそうな祐奈初めて見たの。だからありがとう、透夜くん。あの子と仲良くしてくれて」
「…………でも、もう会いたくないって言われちゃいました」
「ッ⁉」

 俺の言葉に、祐奈の母親は勿論驚いた。
 
「ご、ごめんなさい。あの子がそんな事……で、でも! 絶対に本心ではありません。私はあの子の母親です。あの子の事は十分理解しているつもりです」
「分かってます。祐奈、俺にそう言う時に凄く辛そうな声色だったので。それに、俺に表情を見せないために窓の外を見つめながら言いました」
「お願いします。あの子を、祐奈を……幸せにしてあげてください。祐奈をあれだけ笑顔にできた透夜くんなら、きっと祐奈の人生を幸せにしてあげれるはずです。正直、私は祐奈と居たいけれど、辛くて……祐奈が、祐奈が……」
「はい。分かっています。俺はまだ祐奈と居たいので、会いに来ますよ」











 祐奈からもう会いたくないと言われてた次の日。
 俺は祐奈に一通の連絡をした。

『おはよう』

 そんな短い文章を送った。
 既読が付くのを今か今かと待っている。
 こんな事祐奈に知られたら、君の方が子供っぽいなんて揶揄われるんだろうな。
 けれど、既読は一向に付かない。
 
「約束が違うだろ」

 俺はスマホを強く握り締め、そう呟いた。
 初めて出会った時、祐奈が言った言葉、ゴールデンウィークを一日たりとも無駄にしない。そしてそんな私に付いてこないか。
 
「まだゴールデンウィークは折り返しにもなってないだろ」

 一日たりとも無駄にしない。
 もしかしたら今日もどこかに出かけているのかもしれない。
 気づいたら俺は着替えて家を出ていた。
 とりあえず十時まで駅前で立ち、祐奈が来るか待ってみた。

「来ない……」

 けれど祐奈の姿は見当たらない。
 テーマパ―ク、水族館、ショッピングモールに温泉。他に祐奈が行きたがりそうな場所なんて思いつかない。
 
「……母親なら」

 祐奈の母親ならもしかしたら祐奈がどこにいるのか、何をしているのか知っているかもしれない。
 連絡先なんて知っているわけがない俺は祐奈の家へと向かった。

「あら、透夜くん。いらっしゃい」
「すみません、祐奈が今何をしているのか分かりますか?」
「…………ごめんね、知らないの」
「え?」

 表情を見る限り、嘘ではないのだろう。
 でも、母親にすら何も言わずにどこかに行ったのか?

「出かけに行ってくる。それだけ書かれたメッセージが届いてから既読が付かないんです」
「じゃあ、本当に分からないんですか……。じゃあ見当とかは」
「ごめんなさい。全然分からないの」
 
 結局、祐奈の母親からは出かけているとしか手がかりが得られなかった。
 やみくもに探し回るより、病院に行って祐奈の担当をしている人に聞いた方が可能性があるかもしれない。
 気づいたら俺は病院へと向かっていた。

「すみません! 祐奈を、石橋祐奈が今日どこに出掛けたかとか聞いてませんか⁉」
 
 俺は病院に着くと直ぐ近くに居た看護師さんにそう聞いた。
 
「石橋……祐奈さん。ちょっと待っててね」

 そう言って看護師の人は他の看護師の人に話をしに行った。
 待合室の椅子に座って待っていると、白衣を着た男の人がやって来た。

「君が石橋さんを探している子かい?」
「はい。そうです」

 するとその人は直ぐに結論を出した。

「ごめんね、僕もどこに行ったのかまでは分からないんだ」
「そう、ですか……」
「でも、夜の八時くらいには病院に居るから、どうしても会いたかったらその時間においで」
「八時……分かりました」

 俺はお礼を言って病院を後にした。
 それから家に帰り、自身のベッドで仰向けになり、祐奈とのメッセージを見つめた。
 まだ既読はついていない。けど、八時になれば会える。
 でも……もし祐奈が帰ってこなかったら? 母親も、病院の人さえ居場所が分からない。必ず戻って来るとは限らないんじゃないか。
 不安で押しつぶされそうだ。
 でも、祐奈が約束を破るとは思えない。たった数日しか祐奈とは一緒に過ごしていないけれど、祐奈は約束を破ったりなんてするような子じゃない。
 でも、それはあくまで俺の勝手な妄想で、願望なだけ。
 そう思うと再び不安が襲ってくる。

「長い……」

 いつもならいつの間にか日が暮れて、一日が終わってしまうのに、今日は一日が長い。
 まだか、まだ八時にならないのか。
 心の中で何度もその言葉が巡る。

「ダメだ、もう寝た方が良いかもしれない」
 
 俺はゆっくりと目を瞑り、眠りにつくことに挑戦した。
 当り目だが、寝た方が時間の進みは早く感じる。
 だが、結局七時まで俺は眠りにつくことができなかった。
 一時間前には家を出ようと思っていたため、七時には家を出た。
 
「お願いだ、帰っていてくれ」

 何度も願い、病院へと足を運んだ。
 俺は早歩きで祐奈の病室へとやってきた。
 ドアの前に立つが、ドアノブを掴む手が伸びない。
 この時を待っていたはずなのに、何故か伸びない。
 もし祐奈がいなかったら? それがどうしても怖かった。
 でも確かめないわけにはいかない。
 それこそ、もし祐奈が居なかったら大変な事だ。早く探さなければいけない。
 俺は重く震えた手でドアをつかんだ。

「…………え?」

 ドアを開けると、そこには昨日と同じ光景があった。
 病院のベッドで横になっている祐奈の姿が、目の前にあった。

「祐奈!」
 
 俺が祐奈の名前を呼ぶと、祐奈は俺から視線を逸らし、窓の外を見つめた。
 俺の顔を見たくないという意味だろう。
 でも、俺は祐奈の目の前に立った。

「どうして……どうして来たの? もう会いたくないって言ったはずだけど」

 祐奈は俺と目を合わせることなく、今度は俯いて話し始めた。

「言われた。言われたけど俺は会いたい。だから来た」
「なに……それ」
 
 結奈はベッドのシーツを強く握った。
 皺が付きそうなほど強く。
 
「なぁ、今日どこに行ってたんだ?」
「…………」
「祐奈の母親にも、病院の担当医にも聞いたけどどこに出掛けたかは知らないって」
「……おばあちゃんの所に行ってた。あまり会えていなかったから。急に会いたくなって」
「……そっか」

 正直、それが本当だろうが嘘だろうがどうでも良かった。
 祐奈が無事で、帰ってきたのならどこに行ってようがどうでもいい。
 
「それが聞きたかったの? じゃあもう帰って」

 冷たくそう告げる祐奈。だけどどうしても本音には思えなかった。
 本音だと思いたくないからってわけじゃない。

「帰らないよ」
「なんで……」
「まだゴールデンウィークは終わってない。付いてこないかって手を差し伸べてきたのは祐奈だろ。俺は今日まだ一度も楽しい思いをしていない。だからまだ帰らない。祐奈ともっと一緒に居ないと楽しい一日だったなんて思えない」

 すると祐奈はようやく俺と目を合わせてくれた。
 そして次第に祐奈の目が潤うのが分かった。

「逢いたかった、逢いたかったよ」

 俺の服を掴み、胸に顔をうずめながら祐奈は訴えた。

「本当は逢いたかった。今日も透夜と一緒におばあちゃんの所に行って、おばあちゃんに透夜の事紹介して、透夜におばあちゃんを紹介したかった。私、凄いおばあちゃんっ子で、私が病院に居ないといけないのに学校に、透夜と出かけれてるのはおばあちゃんのおかげでもあるの」
「え?」
「病院の人とお母さん、お父さんはずっと反対してたの。多分、私への体の負荷を考えての事だと思うけど、でもおばあちゃんがそんな私を見てか泣きながら一緒に必死に訴えてくれたの。それでようやく二人とも条件付きでだけど許可してくれて。おばあちゃんのおかげで透夜と出会えたようなものだから、おばあちゃんにおかげで透夜と会えたよって、私凄く幸せだよって言いたかった」

 祐奈は俺の服を強く握り、泣きながらそう話す。
 
「だけど……だけど……透夜と居ると辛いの。辛くて、辛くて」
「辛い?」
「透夜とずっと一緒に居たいって、透夜ともっといろんなところに、県外にも出かけたいって思って、でも私にはそれができないから、透夜と一緒に居るのが辛いの。もう覚悟はしてたのに、後悔はしないように毎日を全力で生きたのに。透夜と過ごす毎日が凄く楽しくて、幸せで……もっと生きたいって思っちゃうから」

 祐奈は、ただただ残酷な話を俺に話した。
 怒りが俺の心を蝕んだ。
 どうして祐奈は、どうして……。
 これほどまで神を恨んだことなんて今まで出なかった。
 なんでよりによって祐奈なんだよ、なんで俺じゃないんだよ。代わりたい。
 こんな今まで無駄に一日を浪費し続けてきただけの俺じゃなくて、なんで神はこんなにも毎日を楽しそうに、全力で生きている祐奈に残酷な運命を背負わせたんだ。

「透夜……」

 気づけば俺の頬に一滴の涙が伝っていた。
 
「な、泣かないで。ごめん、私が泣いちゃったからだよね。笑顔、笑顔にならないと」

 そう言いながら祐奈は涙を流しながら俺に不器用な笑顔を見せてきた。
 
「明日は……」
「え?」
「明日は絶対に祐奈と過ごす。明後日も、その次の日も一緒に過ごそう。ゴールデンウィークが終わってもずっと、これからの人生もずっと」

 俺の言葉に、祐奈は驚いたような表情で俺を見つめた。
 すると祐奈は次第に笑い出した。

「あはは、それってもう告白じゃん!」

 そうだ。こんなの殆ど告白だ。
 だけどそれが今の俺の気持ちだ。
 伝えなければ後悔する。そう思うから。
 すると祐奈は再び俺の胸に顔をうずめた。

「うん。明日は一緒に過ごそう。もうあんなこと言わないから。私のそばにいて。ずっと、ずっとそばにいて。それが私の返事だよ」

 顔をあげた祐奈は顔を赤くして、でも笑顔で美しかった。
 
「こほっ、こほっ」

 すると突然祐奈が咳き込んだ。

「だ、大丈夫か!?」
「ご、ごめんね」
 
 すると祐奈は胸を押さえながら苦しそうにそう言った。
 
「な、ナースコール」

 俺がナースコールを押そうとすると、祐奈が止めてきた。

「もう少しだけ、もう少しだけこのままで居させて」
 
 そう言って祐奈は俺の胸に顔をうずめた。

「いや、ダメだって。もし祐奈に何かあったらどうするんだよ!」

 こればかりは祐奈の願いを聞いてあげることができなかった。
 しばらくすると、担当医の人がやってきた。

「どうかしましたか?」
「祐奈が胸を押さえて、咳もして苦しそうで」
「分かりました」

 そう言って担当医の人は直ぐに祐奈の診察を始めた。
 
「申し訳ありません。もうすぐお時間になりますので」
 
 担当医に付き添っていた看護師が俺にそう告げた。
 祐奈にまた明日ねと一言告げて、病室を出ようとすると、祐奈が「明日、いつもの場所にいつもの時間ね」と俺に言った。

「ああ。分かった」

 俺はそう言って病室を出た。

 だが、この約束を果たすことはなかった。