前回のあらすじ
妛原閠は考察する。この世界の真実を。
つまり人類は滅亡する!
な、なんだってー!
という話ではなかったな。
まあ実際のところ、だからどうしたという話でしかないんだよね、これ。
よくある異世界テンプレに突っ込みいれてみましたみたいな無粋な話でしかない。
強いていうならば、私がこの世界に来たのは、特に意味なんてない神様の気まぐれか、軽いテコ入れ程度でしかないという、それだけのお話に過ぎない。
だからまあ、期待はしていなかったのだけれど。
「迷える子羊よ──焼き方はレアですか、ミディアムですか?」
出てきちゃうんだもんなあ。
不自然なほど人気のない礼拝堂で状況整理することしばし。
一区切りついた実にタイミングの良いあたりで、その声は響いた。
「迷える子羊って言い回し、こっちにはなかった気がするけど」
「あら、そうでしたっけ。でもまあ、羊も人も大差ありませんわ」
それはこの世界ではそれなりに見かける、柔らかな布を用いた神官服を身にまとった女性だった。恐らく女性だった。
年の頃はよくわからない。若いと言えば幼さの残る少女のようにも見えるし、年経ていると言えば老獪な魔女のようにも思える。
豊かな髪は鮮やかな金にも見えたし、艶やかな黒にも見えたし、年経た白髪にも見えた。角度により時間により色合いを変える何色とも形容しがたい深い色の瞳ははじめてお目にかかる。
完全記憶能力者であるこの私ですら顔の形をうまく認識できないのに、笑っているということばかりは伝わる感情の読めないにこやかな微笑みは、人間としてこれ以上ない完璧さゆえにかえって非人間的ですらあった。
「まあ、それはそれとして、ようこそここへ、妛原閠さん」
瑞々しく若々しく、がらがらと涸れ果てた、或いはそのどちらとも言えない声に、極めて正確な発音で名乗ってもいない名前を呼ばれて、私は警戒が無意味であることを悟った。
人間相手にはそうそう負ける気はしない。魔獣とやら相手にも今のところ負けなしだ。
しかし、宇宙的恐怖を前にして私にできることなどありはしまい。
これはもう目星など振るのは手遅れだな。時すでに時間切れ。楽しい楽しいSAN値チェックの時間だ。
「それで、なんでしたかしら。答え合わせがお望みかしら?」
「何の?」
「全ての」
思わずため息が出る。ご親切な事だと思うべきか、それとも余程暇なのかと思うべきか。
「一応確認しておくけれど、あなたが、掛巻も畏き境、間の大神でいいのかな」
「そんなに仰々しく他人行儀に呼ばれると悲しいわ」
「……プルプラ様」
「プルプラちゃんでもいいわよ」
どこまでも軽薄な態度は友好的ととってもいいのかもしれない。
それにつられて傾き過ぎて、深淵に落っこちるのははなはだごめんだが。
ああ、なるほど。
覗き込んだ深淵が見返してきているというのは、或いはこのような感覚なのかもしれない。
やれやれ。少なくとも、これで相手が恐れ多くも神の名を名乗る狂人か、その恐れ多き神そのものであるかという最悪の二択に絞れた。どちらにしろこちらの正気度ががりがり削れそうだが。
「じゃあプルプラちゃん」
「あら、本当にそうお呼びになるのね」
「お願いだから私の心臓をこれ以上痛めつけないでやってくださいな」
「仕方ない子ね」
ころころと笑う相手に頭痛がして目をつむりたくなるが、そうするともはや相手がどこに立っているのかすらわからなくなる恐怖に、それすらできない。
こうしてしかと見つめていてさえ、相手が本当にそこにあるのか、それとも全てまやかしに過ぎないのか、確信が持てない。立っているのか。座っているのか。歩いているのか。近いのか、遠いのか。何もかもがうまく認識できない。
「これだけ参拝客が少ないから、暇潰しに私を招いたんですかね」
「それもある――と言いたいけれど、参拝客がいないわけではありませんわ。単にすこしずらしているから見えないだけ」
「そうまでしてくれたのは、説明責任を果たそうと?」
「責任? 私にそんなものがあるとでも?」
まあ、ありはしないだろうさ。神様と人との間には、それだけの較差がある。
それでも。
「責任はなくても、好意と暇はおありかな、と」
「賢い子は好きよ。でも賢過ぎる子は困るわ」
程よく愚かなくらいがちょうどよい、と神は笑う。
「でもそうね、あなたが忘れてしまっているから、かわいそうに思って」
「忘れる? 私が?」
「ああ、そうね、そうだったわ。あなたは忘れることのない娘。だから、そう、これは最初から覚えることのできなかった出来事」
「覚えることが、できなかった?」
私は生まれてからすべての出来事を覚えている。嫌なことも、苦しいことも、忘れたいことも。
そんな私が覚えていることのできないものなど限られている。深い酩酊。深い睡眠。そして。
「誰しも死んでいる間のことは覚えていられないわ」
脳がその役目を果たせない時。
神の言葉に私は思い出す。脳ではなく魂に刻まれた物語を思い出す。
ああ、そうだ。そうだった。
あのとき私は、妛原閠は確かにその生涯を終えたのだった。
ぐるり、と視点が裏返る。
鮮烈な記憶に圧迫されて、意識が暗転する。
あの日、あの時、あの瞬間が、私という存在を塗りつぶすように思い出されていく。
ああ、そうだ、あれは、
用語解説
・プルプラちゃん
境界の神プルプラは、他の神と比較するまでもなく対人露出が多い神であるとされる。
それというのも他の神と違って決まった姿を持たないため、何かあったらこの神のせいにするパターンが多いのもあるし、実際にあまりにも気軽にホイホイ現れたりするからでもある。
妛原閠は考察する。この世界の真実を。
つまり人類は滅亡する!
な、なんだってー!
という話ではなかったな。
まあ実際のところ、だからどうしたという話でしかないんだよね、これ。
よくある異世界テンプレに突っ込みいれてみましたみたいな無粋な話でしかない。
強いていうならば、私がこの世界に来たのは、特に意味なんてない神様の気まぐれか、軽いテコ入れ程度でしかないという、それだけのお話に過ぎない。
だからまあ、期待はしていなかったのだけれど。
「迷える子羊よ──焼き方はレアですか、ミディアムですか?」
出てきちゃうんだもんなあ。
不自然なほど人気のない礼拝堂で状況整理することしばし。
一区切りついた実にタイミングの良いあたりで、その声は響いた。
「迷える子羊って言い回し、こっちにはなかった気がするけど」
「あら、そうでしたっけ。でもまあ、羊も人も大差ありませんわ」
それはこの世界ではそれなりに見かける、柔らかな布を用いた神官服を身にまとった女性だった。恐らく女性だった。
年の頃はよくわからない。若いと言えば幼さの残る少女のようにも見えるし、年経ていると言えば老獪な魔女のようにも思える。
豊かな髪は鮮やかな金にも見えたし、艶やかな黒にも見えたし、年経た白髪にも見えた。角度により時間により色合いを変える何色とも形容しがたい深い色の瞳ははじめてお目にかかる。
完全記憶能力者であるこの私ですら顔の形をうまく認識できないのに、笑っているということばかりは伝わる感情の読めないにこやかな微笑みは、人間としてこれ以上ない完璧さゆえにかえって非人間的ですらあった。
「まあ、それはそれとして、ようこそここへ、妛原閠さん」
瑞々しく若々しく、がらがらと涸れ果てた、或いはそのどちらとも言えない声に、極めて正確な発音で名乗ってもいない名前を呼ばれて、私は警戒が無意味であることを悟った。
人間相手にはそうそう負ける気はしない。魔獣とやら相手にも今のところ負けなしだ。
しかし、宇宙的恐怖を前にして私にできることなどありはしまい。
これはもう目星など振るのは手遅れだな。時すでに時間切れ。楽しい楽しいSAN値チェックの時間だ。
「それで、なんでしたかしら。答え合わせがお望みかしら?」
「何の?」
「全ての」
思わずため息が出る。ご親切な事だと思うべきか、それとも余程暇なのかと思うべきか。
「一応確認しておくけれど、あなたが、掛巻も畏き境、間の大神でいいのかな」
「そんなに仰々しく他人行儀に呼ばれると悲しいわ」
「……プルプラ様」
「プルプラちゃんでもいいわよ」
どこまでも軽薄な態度は友好的ととってもいいのかもしれない。
それにつられて傾き過ぎて、深淵に落っこちるのははなはだごめんだが。
ああ、なるほど。
覗き込んだ深淵が見返してきているというのは、或いはこのような感覚なのかもしれない。
やれやれ。少なくとも、これで相手が恐れ多くも神の名を名乗る狂人か、その恐れ多き神そのものであるかという最悪の二択に絞れた。どちらにしろこちらの正気度ががりがり削れそうだが。
「じゃあプルプラちゃん」
「あら、本当にそうお呼びになるのね」
「お願いだから私の心臓をこれ以上痛めつけないでやってくださいな」
「仕方ない子ね」
ころころと笑う相手に頭痛がして目をつむりたくなるが、そうするともはや相手がどこに立っているのかすらわからなくなる恐怖に、それすらできない。
こうしてしかと見つめていてさえ、相手が本当にそこにあるのか、それとも全てまやかしに過ぎないのか、確信が持てない。立っているのか。座っているのか。歩いているのか。近いのか、遠いのか。何もかもがうまく認識できない。
「これだけ参拝客が少ないから、暇潰しに私を招いたんですかね」
「それもある――と言いたいけれど、参拝客がいないわけではありませんわ。単にすこしずらしているから見えないだけ」
「そうまでしてくれたのは、説明責任を果たそうと?」
「責任? 私にそんなものがあるとでも?」
まあ、ありはしないだろうさ。神様と人との間には、それだけの較差がある。
それでも。
「責任はなくても、好意と暇はおありかな、と」
「賢い子は好きよ。でも賢過ぎる子は困るわ」
程よく愚かなくらいがちょうどよい、と神は笑う。
「でもそうね、あなたが忘れてしまっているから、かわいそうに思って」
「忘れる? 私が?」
「ああ、そうね、そうだったわ。あなたは忘れることのない娘。だから、そう、これは最初から覚えることのできなかった出来事」
「覚えることが、できなかった?」
私は生まれてからすべての出来事を覚えている。嫌なことも、苦しいことも、忘れたいことも。
そんな私が覚えていることのできないものなど限られている。深い酩酊。深い睡眠。そして。
「誰しも死んでいる間のことは覚えていられないわ」
脳がその役目を果たせない時。
神の言葉に私は思い出す。脳ではなく魂に刻まれた物語を思い出す。
ああ、そうだ。そうだった。
あのとき私は、妛原閠は確かにその生涯を終えたのだった。
ぐるり、と視点が裏返る。
鮮烈な記憶に圧迫されて、意識が暗転する。
あの日、あの時、あの瞬間が、私という存在を塗りつぶすように思い出されていく。
ああ、そうだ、あれは、
用語解説
・プルプラちゃん
境界の神プルプラは、他の神と比較するまでもなく対人露出が多い神であるとされる。
それというのも他の神と違って決まった姿を持たないため、何かあったらこの神のせいにするパターンが多いのもあるし、実際にあまりにも気軽にホイホイ現れたりするからでもある。