前回のあらすじ
技術屋の面倒臭さに触れて何となくほんわかとした閠であったが、結局面倒臭いのは面倒くさいのでさっさと後にするのであった。
取り敢えず腹が空いていたので、さっと出してくれて美味い飯屋と頼んで辻馬車に乗せられていった先は、なかなか当たりだった。
商店街の表通りからちょっと路地を抜けた先のこじんまりとした小料理屋で、辻馬車屋達がよく利用する、知る人ぞ知る名店だという。
屋号は《銀のドアノブ亭》。少しくすんでいるが洒落た装飾のドアノブが粋だ。
店内はカウンター席が五席にテーブルが二つと小作りで、店主が一人で切り盛りできる程度ということらしかった。
私がカウンター席に着くと、よく冷えた水に酸い柑橘を軽く絞った檸檬水のようなものが出され、なににしましょうかと渋い声が聞いてくる。
少し考えて、とにかく腹が減っているのでさっと出せるものをと頼むと、少ししてさっそく一皿出てくる。
「運河獲れのアラ煮です」
見れば深皿の中では魚のかまや、ぶつ切りになった骨身、内臓のようなものがちらほら、それに根菜の類が見える。深い琥珀色の煮汁だが、味付けは塩のようだった。
漁師街で食べた魚介の漁師風煮込みと似ているが、食べてみればなるほど、ずっと洗練されている。香草の類が使われているようなのだが、これが嫌味にならない程度の本当にあっさりとした利き具合で、魚の嫌な感じを綺麗に取り除いているのに、香り自体は全然邪魔にならない。
骨についた身もほろりと崩れる、崩れるけれど、しっかりと形を保っている。しかし口に含むと、やはりほろほろ崩れる。
根菜がまた、憎い。
魚のうまみをたっぷりと吸い込んでいる大根のような根菜と、人参のような根菜。大根は実に素直な味わいで、旨味をたっぷり吸いこんで、そのままに口の中で溢れさせてくる。人参はこれがまた驚くほど甘い。魚のうまみを確かにのせて、しかしそれに相乗してふわりと甘さを広げてくる。
あしらいの香草をかじってみると、ぴりりとする。このぴりりが、ふわっと広がったアラ煮のうまみを、しゅうと引き締めてくれる。逃がしはしない、しかし絞めつけもしない。塩梅、というやつだ。
そうして味わっていると、ぱちぱちと油のはねる音がする。見ればたっぷりの脂が満たされた鍋の中で、黄金色に何かが躍っている。
揚げ物だ。
私がアラ煮を平らげるのとほとんど同時に、さっとその揚げ物の皿が出される。
「跳ね鮒の刻み揚げです」
皿の上では細引きのパン粉をつけて黄金色に揚げられた楕円形の揚げ物が三つ並び、後はあしらいに葉物がそっと添えられているだけで、潔い。またこの金色と緑とが織りなす鮮烈な色合いの中、揚げ物にさっとかけられた琥珀色のソースが全体を引き締めてくれている。
跳ね鮒とは何かと聞けば、運河で獲れる魚の一つで、水面まで出てきては、踊るように跳ねるので跳ね鮒と呼ぶそうだった。
では刻み揚げとは何かというのは、食べて確かめてみることにした。
ナイフの刃を入れる、このザクリとした感触がまずたまらない。思えばパン粉を使った料理は、この異世界に来てから初めてかもしれない。見慣れた粗目のものではなく、細挽きではあるのだが、それでもフライはフライだ。
あえて断面をよく見ずに、ソースのかかっていない部分をかじってみると、思いの外にふわりとした触感が口の中で踊る。ザクリ、とした衣の中に、ふわっとした身が詰まっている。ただの魚の身としては、これはあんまり柔い。
何かとみてみればなるほど、これはある種のメンチカツなのだ。
白身魚を少し粗目に叩いたひき肉を、香草などと一緒に丸めて、衣をつけて揚げたものなのだ。この粗目というのが肝心で、すっかりすり身にしてしまっては、ふわっとするより、むしろつなぎで硬くなってぶりんぶりんとしてしまうか、あるいはもっと柔くなってしまう。
あえて少し粗目に叩くことで、身と身の離れが良くなって、口の中でほろりふわっと崩れる。崩れるけれど、確かに歯応えがある。
そしてまた香草の使い方が、やはり、うまい。
臭み消しという役目だけでなく、全体がぼけてしまいがちな白身の淡白な所に、味ではなく香りで引き締めにかかっている。
では味が弱いかというと、そんなこともない。下味がしっかりしているのはもちろんだが、この上にかかったソースがいい。
とろみがかったこのソースは、じわじわと衣にしみこんで歯応えを変えて楽しませてくれるだけでなく、ピリッとした僅かな辛味と、そして爽やかな酸味を与えてくれる。
久しぶりのフライに舌鼓を打って、気づけば一皿平らげていた。
「もう一皿、何かおつくりしましょうか」
そういわれて少し考えるけれど、さてどうしたものか。
満腹だ、というほどではない。しかし心地よい満たされ方だ。正しく腹八分なのだろうか。
酒でも入れていたら、まったくこれ以上満ち足りることはないだろうなという程度に適切な量だ。
そう答える前に、もう顔色で答えはわかっていたのだろう、小さなカップに、濃いめの豆茶がそっと淹れられていた。
くっと口に含んでみれば、爽やかな苦みが口の中の脂を綺麗に洗い流してくれた。
《銀のドアノブ亭》を後にした私は、腹ごなしにぶらりと歩いていくことにした。
あの辻馬車屋もいい店を教えてくれた。味は良いし、心遣いも良い、腹の具合も良い、そして驚くほど、安い。やっていけるのかと思ったが、食材自体はみな安いものらしい。技術料をもっととればよいのにと言ってみたが、金気は包丁を錆びさせますので、とストイックな事を返されてしまった。
ぶらりぶらりと最初は錬金術師街に向かおうとも思ったのだが、思えば特に用事もないし、第一折角美味しいもので満たされた後にあのケミカルな光景を見るのもよろしくないなと思い直し、私はのんびり北に向かった。
ヴォーストの街の北西部には、一角丸まる神殿だけが立ち並ぶ神殿街があることを思い出したのだった。
この世界は多神教らしく、そしてまた神様が実在する世界らしく、どこでも大きめの街には必ず、主要な神様を祀った神殿が立ち並ぶ神殿街があるそうで、一度見に行こうと思っていたのだ。
鍛冶屋街や錬金術師街が、それでも何となくほかの建物と緩やかに繋がっていたのに比べると、神殿街ははっきりと、ここからここまで神域ですよと言わんばかりに他と区別されていた。
神殿はみな似たような作りをしていたけれど、掲げるシンボルがみな違って、人々は目的の神様の神殿がどこなのか間違えることなく行き来しているようだった。
私は神様のことなど全く知らないので、どのシンボルがどの神様を示すのか全く分からず最初は困ったが、神殿街入ってすぐの神殿を尋ねてみたところ、シンボルを、また神殿の配置を書き連ねた小さな地図を一部頂けた。料金、違った、御布施は一部五十三角貨。
ぼったじゃなかろうかとも思ったが、宗教関係でケチをつけても仕方がない。観光気分で行こう。
なおその神殿は何を祀っているかと言えば、商売の神様だった。
神殿はみな似たような作りとは言ったけれど、やはり信者の数に従ってそのサイズに違いはあって、例えばこの世界の最初の神様である海の神は、そのくせ主要な信者がほとんど内陸にいないので小さかったり、土蜘蛛の祖神である山の神ウヌオクルロの神殿は、鍛冶屋街に土蜘蛛がたくさんいるだけあってそこそこ大きい。
以前話を聞いた風呂の神マルメドゥーゾの神殿はまあぼちぼちといった大きさだが、その内改築するかもということだった。風呂は私にとって欠かせないものだからと思ってお参りしてみたが、中の作りはもろに公衆浴場だった。
うん。入浴が礼拝と同じようなものって言ってたしな、あのバーノバーノとかいう神官。
入口付近では石鹸とか盥とか入浴セットを売ってたし、私の中の神殿観が崩れそうだ。
ひとつひとつ見て回ってみたが、どれも作りは似ているが中身はそれぞれの神様に由来する特色にあふれていて、下手な観光地よりも見甲斐がある。
一通り見て回り、観光がてらいくらか気になったものを購入した。
そして私は最後に目的の神殿に辿り着き、礼拝堂らしきところの長椅子にどっかりと腰を下ろした。面白いは面白いし楽しいは楽しいが、人の多いところは、やはり疲れる。《隠蓑》で隠れていても、いるということは変えられないのだ。
一つ溜息をついて、私は礼拝堂の奥に掲げられた三日月形のシンボルを見つめる。
多分、ここであっているはずなのだ。
だから、私はここを考えを整理するための場所だと決めたのだった。
「境界の神プルプラ。シンボルは月。異界よりやってきた天津神。多分、あんたが答えだと思うんだけど」
用語解説
・《銀のドアノブ亭》
初老の男性が経営しているこじんまりとした小料理屋。
安い素材を確かな腕前で調理して安価で提供してくれる、はやい、やすい、うまいと三拍子そろった店。
表通りから離れているため、まさに知る人ぞ知る名店である。
・跳ね鮒
運河で獲れる魚の一つ。水上に跳ね上がる習性をもつ。その理由は水上の虫を食べるためだとか、より高く飛べるものが優秀な雄だという雌へのアピールだとか、体表についた寄生虫や汚れを取るためだとか言われているが正確な所はわかっていない。
・境界の神プルプラ
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技術屋の面倒臭さに触れて何となくほんわかとした閠であったが、結局面倒臭いのは面倒くさいのでさっさと後にするのであった。
取り敢えず腹が空いていたので、さっと出してくれて美味い飯屋と頼んで辻馬車に乗せられていった先は、なかなか当たりだった。
商店街の表通りからちょっと路地を抜けた先のこじんまりとした小料理屋で、辻馬車屋達がよく利用する、知る人ぞ知る名店だという。
屋号は《銀のドアノブ亭》。少しくすんでいるが洒落た装飾のドアノブが粋だ。
店内はカウンター席が五席にテーブルが二つと小作りで、店主が一人で切り盛りできる程度ということらしかった。
私がカウンター席に着くと、よく冷えた水に酸い柑橘を軽く絞った檸檬水のようなものが出され、なににしましょうかと渋い声が聞いてくる。
少し考えて、とにかく腹が減っているのでさっと出せるものをと頼むと、少ししてさっそく一皿出てくる。
「運河獲れのアラ煮です」
見れば深皿の中では魚のかまや、ぶつ切りになった骨身、内臓のようなものがちらほら、それに根菜の類が見える。深い琥珀色の煮汁だが、味付けは塩のようだった。
漁師街で食べた魚介の漁師風煮込みと似ているが、食べてみればなるほど、ずっと洗練されている。香草の類が使われているようなのだが、これが嫌味にならない程度の本当にあっさりとした利き具合で、魚の嫌な感じを綺麗に取り除いているのに、香り自体は全然邪魔にならない。
骨についた身もほろりと崩れる、崩れるけれど、しっかりと形を保っている。しかし口に含むと、やはりほろほろ崩れる。
根菜がまた、憎い。
魚のうまみをたっぷりと吸い込んでいる大根のような根菜と、人参のような根菜。大根は実に素直な味わいで、旨味をたっぷり吸いこんで、そのままに口の中で溢れさせてくる。人参はこれがまた驚くほど甘い。魚のうまみを確かにのせて、しかしそれに相乗してふわりと甘さを広げてくる。
あしらいの香草をかじってみると、ぴりりとする。このぴりりが、ふわっと広がったアラ煮のうまみを、しゅうと引き締めてくれる。逃がしはしない、しかし絞めつけもしない。塩梅、というやつだ。
そうして味わっていると、ぱちぱちと油のはねる音がする。見ればたっぷりの脂が満たされた鍋の中で、黄金色に何かが躍っている。
揚げ物だ。
私がアラ煮を平らげるのとほとんど同時に、さっとその揚げ物の皿が出される。
「跳ね鮒の刻み揚げです」
皿の上では細引きのパン粉をつけて黄金色に揚げられた楕円形の揚げ物が三つ並び、後はあしらいに葉物がそっと添えられているだけで、潔い。またこの金色と緑とが織りなす鮮烈な色合いの中、揚げ物にさっとかけられた琥珀色のソースが全体を引き締めてくれている。
跳ね鮒とは何かと聞けば、運河で獲れる魚の一つで、水面まで出てきては、踊るように跳ねるので跳ね鮒と呼ぶそうだった。
では刻み揚げとは何かというのは、食べて確かめてみることにした。
ナイフの刃を入れる、このザクリとした感触がまずたまらない。思えばパン粉を使った料理は、この異世界に来てから初めてかもしれない。見慣れた粗目のものではなく、細挽きではあるのだが、それでもフライはフライだ。
あえて断面をよく見ずに、ソースのかかっていない部分をかじってみると、思いの外にふわりとした触感が口の中で踊る。ザクリ、とした衣の中に、ふわっとした身が詰まっている。ただの魚の身としては、これはあんまり柔い。
何かとみてみればなるほど、これはある種のメンチカツなのだ。
白身魚を少し粗目に叩いたひき肉を、香草などと一緒に丸めて、衣をつけて揚げたものなのだ。この粗目というのが肝心で、すっかりすり身にしてしまっては、ふわっとするより、むしろつなぎで硬くなってぶりんぶりんとしてしまうか、あるいはもっと柔くなってしまう。
あえて少し粗目に叩くことで、身と身の離れが良くなって、口の中でほろりふわっと崩れる。崩れるけれど、確かに歯応えがある。
そしてまた香草の使い方が、やはり、うまい。
臭み消しという役目だけでなく、全体がぼけてしまいがちな白身の淡白な所に、味ではなく香りで引き締めにかかっている。
では味が弱いかというと、そんなこともない。下味がしっかりしているのはもちろんだが、この上にかかったソースがいい。
とろみがかったこのソースは、じわじわと衣にしみこんで歯応えを変えて楽しませてくれるだけでなく、ピリッとした僅かな辛味と、そして爽やかな酸味を与えてくれる。
久しぶりのフライに舌鼓を打って、気づけば一皿平らげていた。
「もう一皿、何かおつくりしましょうか」
そういわれて少し考えるけれど、さてどうしたものか。
満腹だ、というほどではない。しかし心地よい満たされ方だ。正しく腹八分なのだろうか。
酒でも入れていたら、まったくこれ以上満ち足りることはないだろうなという程度に適切な量だ。
そう答える前に、もう顔色で答えはわかっていたのだろう、小さなカップに、濃いめの豆茶がそっと淹れられていた。
くっと口に含んでみれば、爽やかな苦みが口の中の脂を綺麗に洗い流してくれた。
《銀のドアノブ亭》を後にした私は、腹ごなしにぶらりと歩いていくことにした。
あの辻馬車屋もいい店を教えてくれた。味は良いし、心遣いも良い、腹の具合も良い、そして驚くほど、安い。やっていけるのかと思ったが、食材自体はみな安いものらしい。技術料をもっととればよいのにと言ってみたが、金気は包丁を錆びさせますので、とストイックな事を返されてしまった。
ぶらりぶらりと最初は錬金術師街に向かおうとも思ったのだが、思えば特に用事もないし、第一折角美味しいもので満たされた後にあのケミカルな光景を見るのもよろしくないなと思い直し、私はのんびり北に向かった。
ヴォーストの街の北西部には、一角丸まる神殿だけが立ち並ぶ神殿街があることを思い出したのだった。
この世界は多神教らしく、そしてまた神様が実在する世界らしく、どこでも大きめの街には必ず、主要な神様を祀った神殿が立ち並ぶ神殿街があるそうで、一度見に行こうと思っていたのだ。
鍛冶屋街や錬金術師街が、それでも何となくほかの建物と緩やかに繋がっていたのに比べると、神殿街ははっきりと、ここからここまで神域ですよと言わんばかりに他と区別されていた。
神殿はみな似たような作りをしていたけれど、掲げるシンボルがみな違って、人々は目的の神様の神殿がどこなのか間違えることなく行き来しているようだった。
私は神様のことなど全く知らないので、どのシンボルがどの神様を示すのか全く分からず最初は困ったが、神殿街入ってすぐの神殿を尋ねてみたところ、シンボルを、また神殿の配置を書き連ねた小さな地図を一部頂けた。料金、違った、御布施は一部五十三角貨。
ぼったじゃなかろうかとも思ったが、宗教関係でケチをつけても仕方がない。観光気分で行こう。
なおその神殿は何を祀っているかと言えば、商売の神様だった。
神殿はみな似たような作りとは言ったけれど、やはり信者の数に従ってそのサイズに違いはあって、例えばこの世界の最初の神様である海の神は、そのくせ主要な信者がほとんど内陸にいないので小さかったり、土蜘蛛の祖神である山の神ウヌオクルロの神殿は、鍛冶屋街に土蜘蛛がたくさんいるだけあってそこそこ大きい。
以前話を聞いた風呂の神マルメドゥーゾの神殿はまあぼちぼちといった大きさだが、その内改築するかもということだった。風呂は私にとって欠かせないものだからと思ってお参りしてみたが、中の作りはもろに公衆浴場だった。
うん。入浴が礼拝と同じようなものって言ってたしな、あのバーノバーノとかいう神官。
入口付近では石鹸とか盥とか入浴セットを売ってたし、私の中の神殿観が崩れそうだ。
ひとつひとつ見て回ってみたが、どれも作りは似ているが中身はそれぞれの神様に由来する特色にあふれていて、下手な観光地よりも見甲斐がある。
一通り見て回り、観光がてらいくらか気になったものを購入した。
そして私は最後に目的の神殿に辿り着き、礼拝堂らしきところの長椅子にどっかりと腰を下ろした。面白いは面白いし楽しいは楽しいが、人の多いところは、やはり疲れる。《隠蓑》で隠れていても、いるということは変えられないのだ。
一つ溜息をついて、私は礼拝堂の奥に掲げられた三日月形のシンボルを見つめる。
多分、ここであっているはずなのだ。
だから、私はここを考えを整理するための場所だと決めたのだった。
「境界の神プルプラ。シンボルは月。異界よりやってきた天津神。多分、あんたが答えだと思うんだけど」
用語解説
・《銀のドアノブ亭》
初老の男性が経営しているこじんまりとした小料理屋。
安い素材を確かな腕前で調理して安価で提供してくれる、はやい、やすい、うまいと三拍子そろった店。
表通りから離れているため、まさに知る人ぞ知る名店である。
・跳ね鮒
運河で獲れる魚の一つ。水上に跳ね上がる習性をもつ。その理由は水上の虫を食べるためだとか、より高く飛べるものが優秀な雄だという雌へのアピールだとか、体表についた寄生虫や汚れを取るためだとか言われているが正確な所はわかっていない。
・境界の神プルプラ
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