前回のあらすじ
強固な鱗に凶悪な牙、いまだかつてない強敵バナナワニを前に、リリオは覚悟を決めるのだった。
……バナナワニってお前。
ウルウが何か言ったらしく、リリオが変にやる気を出してしまって困る。
どうせウルウならあのくらいの奴一人で倒せるだろうし、さっさとやってもらいたいのに。あたしはなにしろ無理なものは無理だし矜持より効率の方が大事な人間だから、こういうのは無駄としか思えない。
それでもやらせるからにはどうにかなるという見通しなんだろうけれど、人間は一仕事終えてそこまでってんじゃなくて、その後があることをよくよく考えてほしい。
ここでこいつを全身全霊で倒したって、そのあともあたしたちは調査を続けないといけないし、何なら帰るまでが遠足だ。どうせ陸上じゃ遅いみたいだから、通路を走って逃げればいいし、水路を追いかけてきたらその都度撒けばいい。
真面目に真正面からぶつかる相手じゃあないのだ。
「トルンペート、時間稼ぎを」
「どれくらい?」
「三十秒――いえ、一分」
「高くつくわよ」
「雪糕を奢ります」
「とびっきりのを頼むわよ!」
だから、そう、これは仕方なくなのだ。
頼られれば答えざるを得ない、武装女中の性がそうさせる、仕方のない衝動なのだ。
主に頼られて、嬉しいと全身の細胞が沸き立つ喜びなのだから。
とはいえ、いまや目の前まで迫ったこの化け物相手に、どうしたも、の、――
「おわっ!」
ぞりん、と空を削るようにして、凶悪なあぎとが先程まであたしがいた場所をかみちぎる。そしてそれをかわせば即座に次の噛みつき。
移動速度は遅いけど、噛み付いてくる速度はとてもこの巨体とは思えない。
噛みつきの速度をそのまま突進に流用して、ヴァリヴァリと虚空をかみ砕き、通路を暴れまわるバナナワニ。
ちゃっかり逃げている野伏と亡霊はこの際放っておくとして、なるほどこれは時間稼ぎが必要だわね。
あたしは前掛けから短刀を抜き取る。
とはいえ、まともな投擲が鱗を抜けないのは実証済み。
となれば狙いやすいのは。
「刺激物がお気に召さないんなら、これならどうよ!」
大口開けて噛みつきにかかるその一瞬を狙って、喉の奥めがけて投擲すれば、確かに刺さる。
刺さるけど、
「ぐぎぃいいぎぎゃぎゃぎゃああああああッ!」
「怒るわよね、そりゃ!」
大したダメージでもなく、むしろ怒りの炎に油を注いで、バリバリベキベキムシャムシャゴクンと短刀を飲み込み、あたしめがけて噛みついてくる。
いやもう、これは噛みついてくるなんて軽いものじゃない。空間を削り取ろうとするような勢いだ。なまじ手足がないだけに、全身のひねりを噛み付きに回してくるから、一撃一撃がとにかく速くて、重い。
避けたはずがしびれるほどの強烈な衝撃が、牙と牙を打ち鳴らす轟音に秘められている。
そして危険なのは牙だけじゃあない。その牙を繰り出す全身のひねりが、ついでとばかりに通路を震わせながら突き進んでくる。まるで陸地を泳いでるようだ。跳ね飛ばされれば、私など粉々だろう。
飛竜と向き合うような恐怖に、じっとりとした汗がにじんでくる。
たかが一分が、まるで無限にも思えてくる。
けれど、飛竜と向き合うほどじゃあないって安堵が、あたしの心臓をドクンドクンと一定に保ってくれる。
そうだ。こんなものはなんともない。辺境を襲う飛竜はもっと恐ろしい。そんな飛竜をおやつとしか思ってない辺境の連中より怖くない。そんな辺境の連中の一人である、リリオなんかより全然怖くない!
そうだ、そのリリオが後ろにいるんだ。そのリリオがこいつを倒してやるっていうんだ。そのリリオが、あたしに頼むっていうんだ。
ならあたしにとって、無限とはたかが六十秒だ。
そしてその無限は、今、――終わる。
「トルンペート!」
「はい!」
合図とともにあたしはわき目もふらずに逃げ出す。
何から?
決まっている。
リリオのもたらす、決定的な破滅からだ。
逃げ出す一瞬に見えたリリオは、輝いていた。
格好良くて輝いて見えるってんじゃない。たとえ知性の眼鏡がなくたって、闇の中でバチバチと光り輝いていた。
有り余る魔力を貪り食って、雷精がリリオの全身を踊り狂って喜び悶えている。
刀身は赤熱し、白熱し、そしてそれを通り過ぎて青白い光にしか見えない。
光り輝くリリオの全身は、見る者の目を灼くいかずちの化身だ。
視界の端で確かに何かが光り、あたしはウルウの言葉を思い出して、咄嗟にそうしていた。
つまり、目玉が飛び出ないように目を閉じ、鼓膜がつぶれないように耳を閉じて、衝撃で内臓が破れないように口を開け、巻き込まれないよう必死で逃げ出していた。
瞬間、何もかもが吹き飛んでしまった。
ような気がした。
用語解説
・青白い光
ファンタジーでよく見るなんかすごい強そうな光。
色温度で考えると一万ケルビン程度だろうか。タングステンの沸点が五八二八ケルビンだから、えーと、とにかくすごい熱い。
強固な鱗に凶悪な牙、いまだかつてない強敵バナナワニを前に、リリオは覚悟を決めるのだった。
……バナナワニってお前。
ウルウが何か言ったらしく、リリオが変にやる気を出してしまって困る。
どうせウルウならあのくらいの奴一人で倒せるだろうし、さっさとやってもらいたいのに。あたしはなにしろ無理なものは無理だし矜持より効率の方が大事な人間だから、こういうのは無駄としか思えない。
それでもやらせるからにはどうにかなるという見通しなんだろうけれど、人間は一仕事終えてそこまでってんじゃなくて、その後があることをよくよく考えてほしい。
ここでこいつを全身全霊で倒したって、そのあともあたしたちは調査を続けないといけないし、何なら帰るまでが遠足だ。どうせ陸上じゃ遅いみたいだから、通路を走って逃げればいいし、水路を追いかけてきたらその都度撒けばいい。
真面目に真正面からぶつかる相手じゃあないのだ。
「トルンペート、時間稼ぎを」
「どれくらい?」
「三十秒――いえ、一分」
「高くつくわよ」
「雪糕を奢ります」
「とびっきりのを頼むわよ!」
だから、そう、これは仕方なくなのだ。
頼られれば答えざるを得ない、武装女中の性がそうさせる、仕方のない衝動なのだ。
主に頼られて、嬉しいと全身の細胞が沸き立つ喜びなのだから。
とはいえ、いまや目の前まで迫ったこの化け物相手に、どうしたも、の、――
「おわっ!」
ぞりん、と空を削るようにして、凶悪なあぎとが先程まであたしがいた場所をかみちぎる。そしてそれをかわせば即座に次の噛みつき。
移動速度は遅いけど、噛み付いてくる速度はとてもこの巨体とは思えない。
噛みつきの速度をそのまま突進に流用して、ヴァリヴァリと虚空をかみ砕き、通路を暴れまわるバナナワニ。
ちゃっかり逃げている野伏と亡霊はこの際放っておくとして、なるほどこれは時間稼ぎが必要だわね。
あたしは前掛けから短刀を抜き取る。
とはいえ、まともな投擲が鱗を抜けないのは実証済み。
となれば狙いやすいのは。
「刺激物がお気に召さないんなら、これならどうよ!」
大口開けて噛みつきにかかるその一瞬を狙って、喉の奥めがけて投擲すれば、確かに刺さる。
刺さるけど、
「ぐぎぃいいぎぎゃぎゃぎゃああああああッ!」
「怒るわよね、そりゃ!」
大したダメージでもなく、むしろ怒りの炎に油を注いで、バリバリベキベキムシャムシャゴクンと短刀を飲み込み、あたしめがけて噛みついてくる。
いやもう、これは噛みついてくるなんて軽いものじゃない。空間を削り取ろうとするような勢いだ。なまじ手足がないだけに、全身のひねりを噛み付きに回してくるから、一撃一撃がとにかく速くて、重い。
避けたはずがしびれるほどの強烈な衝撃が、牙と牙を打ち鳴らす轟音に秘められている。
そして危険なのは牙だけじゃあない。その牙を繰り出す全身のひねりが、ついでとばかりに通路を震わせながら突き進んでくる。まるで陸地を泳いでるようだ。跳ね飛ばされれば、私など粉々だろう。
飛竜と向き合うような恐怖に、じっとりとした汗がにじんでくる。
たかが一分が、まるで無限にも思えてくる。
けれど、飛竜と向き合うほどじゃあないって安堵が、あたしの心臓をドクンドクンと一定に保ってくれる。
そうだ。こんなものはなんともない。辺境を襲う飛竜はもっと恐ろしい。そんな飛竜をおやつとしか思ってない辺境の連中より怖くない。そんな辺境の連中の一人である、リリオなんかより全然怖くない!
そうだ、そのリリオが後ろにいるんだ。そのリリオがこいつを倒してやるっていうんだ。そのリリオが、あたしに頼むっていうんだ。
ならあたしにとって、無限とはたかが六十秒だ。
そしてその無限は、今、――終わる。
「トルンペート!」
「はい!」
合図とともにあたしはわき目もふらずに逃げ出す。
何から?
決まっている。
リリオのもたらす、決定的な破滅からだ。
逃げ出す一瞬に見えたリリオは、輝いていた。
格好良くて輝いて見えるってんじゃない。たとえ知性の眼鏡がなくたって、闇の中でバチバチと光り輝いていた。
有り余る魔力を貪り食って、雷精がリリオの全身を踊り狂って喜び悶えている。
刀身は赤熱し、白熱し、そしてそれを通り過ぎて青白い光にしか見えない。
光り輝くリリオの全身は、見る者の目を灼くいかずちの化身だ。
視界の端で確かに何かが光り、あたしはウルウの言葉を思い出して、咄嗟にそうしていた。
つまり、目玉が飛び出ないように目を閉じ、鼓膜がつぶれないように耳を閉じて、衝撃で内臓が破れないように口を開け、巻き込まれないよう必死で逃げ出していた。
瞬間、何もかもが吹き飛んでしまった。
ような気がした。
用語解説
・青白い光
ファンタジーでよく見るなんかすごい強そうな光。
色温度で考えると一万ケルビン程度だろうか。タングステンの沸点が五八二八ケルビンだから、えーと、とにかくすごい熱い。