異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ

異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ書籍③巻発売中!
書籍ネタバレ感想などは活動報告や作者マシュマロなどにどうぞ。



前回のあらすじ

小娘ども、派手にやるじゃねえか!
これから毎日巣を焼こうぜ?





 命の燃える音がするキャンプダイヤ―を眺めながら、私たちは結局燃え尽きるまで一晩見張った。
 周囲が開けてるとはいえ延焼する可能性もなくはないし、万が一生き残った女王個体との戦闘、みたいのもあるかもしれなかったしね。

 椅子とかテーブルも出して、焚火もして、簡単な煮炊きをして食事もとって。
 で、お茶しながら特大キャンプファイヤーを眺める初夏の夜。

 まあ……お通夜状態だよね。

 パールさんはさすがに疲れたのかうとうとしてて、半分寝てる。
 蜜熊蜂(ウルソアベロ)たちはごうごうと燃え上がる炎に心底ビビってるのかパールさんにしがみついてた。

 トルンペートは早めに割り切ったみたいだけど、それでもたまに非難がましい視線が飛んでくるので、ちょっと痛い。それでも普通にお茶は沸かしてくれるし、軽食も用意してくれるし、マシュマロ焼いてチョコと一緒にビスケットに挟んでもくれる。
 そのマシュマロもチョコも帝都からの輸入品とか言うお高いのを私が買ったやつなんだけど、カツアゲされたので甘んじて提供した。

 リリオは一応剣をそばに置いて、飛び出してきた羆蜂(ウルソヴェスポ)とか、外から帰ってきた羆蜂(ウルソヴェスポ)に警戒してくれてたけど、その心配もなく。
 中から脱出しようとする動きは開始しばらくして止み、外から帰ってきてなんとか消火活動に挑んだ羆蜂(ウルソヴェスポ)も火勢を前に太刀打ちできず。
 そういう姿を死んだ目で見守りながら、たまにマシュマロ焼いてる。

 で、女王個体のフェロモンも炎で焼けちゃったのかな。まだ影響下にあるとはいえフェロモン供給が途絶えたらしい羆蜂(ウルソヴェスポ)たちは、無理に巣に突っ込むこともなく、でも離れるでもなく、巣のまわりに集まって棒立ちしていた。

 なんか、呆然としてるみたいだったよね。
 パールさんによれば羆蜂(ウルソヴェスポ)にはそういう高度な感情とか思考はないらしいんだけど、急に目的意識とか行動理念が失われて、フェロモンによる熱狂から急速に冷めていっている彼女たち(みんなメス化してるんだって)は、呆然としてるって表現してもいいと思う。

「いやまあ…………なんかごめん」
「いえ、まあ…………妥当ではありますので」
「妥当ではあるんでしょうけどねえ」
「謝りはするけど、最善だったとは思うよ」
「まあ、あたしたちもどうかなあ、とは思うけど、結局これがいちばんだとは思うわ」
「活躍したいという気持ちはありますけれど、実際問題としてわざわざ危険を冒してまでやるべきではなかったでしょうしね」
「うん……ごめんね?」
「いいわよ」
「ええ。気持ち的にもやっとするだけなので。はい」

 リリオもトルンペートも、こころから私を非難しているわけじゃない。
 理屈の上では納得してるんだと思う。燃やすか燻煙剤でもぶち込むか、さもなくば全滅するまでおびき出しては仕留めて、森から帰ってきたやつも仕留めて、という地獄の殲滅戦をやるかだっただろう。
 だからこうするしかなかった。これがいちばんだった。
 それはそれとして、冒険心に富んだ血気盛んな十代の子たちとしては、反撃も許さず生きたまま燃やし殺すというのは、あまりこう、教育上よろしくないのはわかる。
 地味でつまんないとかだけでなく、人としてどうなのかっていう。

 私だってリリオを活躍させてあげたいし、仮に一人で巣の中に突っ込んでも、きっとやり遂げてくれるだろうっていう信頼もある。
 でもさあ……狭い穴倉の中に潜り込んで、ひたすら熊を絞め殺すか刺し殺すか殴り殺すかを繰り返して、女王個体を追い詰めて殺すっていう、逆モンスターパニックみたいなやつを見たいかと言われるとちょっと……。

 このシチュエーションは、鮮やかに格好いい戦闘は無理だって。

 仮に羆蜂(ウルソヴェスポ)の巣がもっとこう、ダンジョンみたいに広くて、三人で挑んでも十分戦えるようなスペースがあれば、もっと見せ場はあったと思うんだけどね。

 また仮に、こいつらがもっとちゃんと熊っていうか、もっと哺乳類っぽかったら、私もこういう手には出づらかったかもしれない。ゴブリンみたいなやつでも、さすがに生きたまま丸焼きにするのは気がひけたかもしれない。
 でもまあ……虫だしなあ……。

 いくら大きくても、いくら毛が生えてても、顔が完全に虫なんだよね、羆蜂(ウルソヴェスポ)
 蜜熊蜂(ウルソアベロ)たちはまだ、丸っこくて、頭も目も大きく、毛もふわふわしてて、かわいい造形をしてる。口元とか、六本足とか、頭胸腹部に分かれた蜂の体型だったり、虫要素はあるけど、かわいさでマスキングされてるんだよね。振る舞いもなにかとかわいい。
 でも羆蜂(ウルソヴェスポ)はそういうのないからね。完全にでかい毛の生えた蜂。しかも感情とか感じられない完全効率重視の殺戮マシン。作画担当が違うのってくらい方向性が違う。

 個人の感情で生き物を区別するなんて! って非難されても仕方ないとは思う。私も小説とか読んでて、心優しい主人公が敵が虫だからってだけで平気で殺してたらどうかなとは思う。
 でもみんなわりとそういうところあるよねとも思う。自己弁護じゃなくてね。

 ほら、動物愛護週間とかはあるけど、魚類愛護週間はないじゃん。当然のように昆虫愛護週間もない。
 動物愛護に関する法律だって、「愛護動物」には魚類や両生類、昆虫なんかは含まれない。飼ってる人たくさんいるのにね。
 殺虫剤つくってる会社が慰霊碑建てたり一番虫に敬意払ってるよね。

 絶滅危惧種だって、かわいい猫みたいなのとか、愛嬌のある鳥なんかは、保護しましょうってたくさん寄付金が集まる。でも世界で年間何種類も絶滅していってる昆虫とかは気にもかけられない。そもそも危機にあることだって意識しない。興味がないんだもん。大多数のみんなは、私と一緒で。

 いや、まあ…………自己弁護か。
 そういうもんだからしかたないよねっていうのは。
 みんながそういう感じだからとか、人間はそういう生き物だからっていうんじゃないのね。
 私が生き物に優先順位付けて、私が感情で生き物を区別して、私がいま生き物を焼き殺してるんだ。
 食べるためでも、身を守るためでもなく、かたちのない「みんなのため」とか言う建前で。
 私が悪いんだよね、これは。そのことはちゃんと受け止めないといけない。
 私は殺す生き物を選別して、殺してもいいやって自分に許した。
 それが全てだ。

「…………私見張ってるし、寝ててもいいよ?」
「いえ。ウルウ一人には任せませんよ。交代で見張りましょう」
「そうね。あたしたちが火をつけたんだから、不始末があったんじゃ困るし」

 ふたりは私の妙な罪悪感とか責任感みたいなものを正しく把握できてるわけではないと思う。ふたりと私とでは、常識が違う。倫理が違う。考え方が違う。でも、なんだかもやってんなっていうのは、なんとなく察してくれて、特に解決できるような言葉があるわけではなくても、寄り添ってくれる。
 それがなんだか無性に堪えた。それは苦しみにも似ていた。痛みにも似ていた。でもその感情の名前は、たぶん喜びや嬉しみというのだろう。

「マシュマロもっと焼こうか」
「そうね。スモアはいくらあってもいいものよ」
「辺境にもスモア焼く文化あるの?」
「いえ、辺境ではマシュマロ自体なかなか入ってきませんでしたね」
「ヴォーストの冒険屋に教わったのよ。そいつらは帝都のほうの連中から知ったって」
「マシュマロも帝都のお菓子ですからね」
「これもまたちゃん様案件なのかな……」

 マシュマロは現地語……交易共通語(リンガフランカ)でもマシュマロって発音なんだよね。そしてスモアもスモア。なんでだろ。ちゃん様案件かもしれないけど、確定でちゃん様案件のコーヒーは豆茶(カーフォ)だし、チョコレートも楂古聿(チョコラード)なんだよね。
 だから別口なのかな……。
 さすがにこの世界のマシュマロの起源に関する資料とかは気軽に手に入らないから、帝都に行ったときに思い出せたら調べたいところ。

 結局、スモアと甘茶(ドルチャテオ)をおともに交代で仮眠をとりながら生命の尊厳焼き尽くしキャンプファイヤーを見守ること一晩。
 深夜にはあらかた燃え尽きて、呆然とたたずんでいた羆蜂(ウルソヴェスポ)たちも散り散りに散って森に帰っていったんだけど、熾火みたいにちらちら光が見えたし、酸素が供給されることで爆発的に燃え広がるバックドラフト現象みたいなのも怖いし、日が出るまでじっくり待った。

 それで、翌朝になって、ちゃんと手元もはっきり見えるくらいになってから、私たちは巣の解体作業に入った。上部の構造物はだいたい焼け落ちてたんだけど、中心に近いほど作りがしっかりしてて、木材以外の泥とか岩とかも多いからか、形はしっかり残ってた。
 まだほんのりあたたかいそれを、私たちは斧やスコップを用いて慎重に崩していった。

 火災跡、って考えると一酸化炭素中毒とかも怖いから、空気がきちんと通るように気を付けながら、そしてまた燃え残りが急に燃え上がることも警戒しつつ、打ち壊すことしばし。

「うーん…………たぶんこれよね、女王個体の部屋」
「そうですねぇ……働き熊が守ろうとしていた痕跡もありますしぃ、おそらくここかとぉ」

 鹿や猪がこんがりを通り越して炭になってしまった食糧庫なんかもあったけど、やはり中心に位置する場所が女王個体の部屋だったらしい。といっても、羆蜂(ウルソヴェスポ)の死体が折り重なってて、どれが女王個体だったのかもうわからないけど。
 パールさんも検分しようとしてくれたけど、さすがに炭化するレベルの焼死体が複数積み重なっているので、難しいようだった。
 けれど、ここまで燃えてしまえば中にいた羆蜂(ウルソヴェスポ)はすべて死んでしまったことは確実だし、今回の騒動の原因となっただろうフェロモンに関しても完全に焼失したと見ていい、とのことだった。

「まあ、ちょっと心配してた横穴みたいなのもないし、逃げたのはいなさそうだね」
「洞窟とかに巣を作ってたら、そのあたりの確認が面倒だったわね」
「うーん、なんとも無残というか、残酷なことをしてしまいましたけれど……これでこの件は解決した、と考えてよいのでしょうか?」
「そうですねぇ、女王個体のにおい物質が原因でぇ羆蜂(ウルソヴェスポ)たちの行動がぁ変化していたわけですからぁ、そのにおい物質がぁなくなってしまえばぁ、生き残りがいてもぉ、もう異常行動はとらないと思いますねぇ」

 パールさんのお墨付きもあり、私たちは撤収することにした。
 一応、焼け跡に水を撒いて延焼の可能性を減らし、忘れ物がないように荷物を片付け、村へ。
 その足取りは軽い……とも言えない、微妙な感じだ。眠気もあるし、なんかもやっとした気分もある。

「釈然としない気持ちはやっぱり残りますねえ」
「暴れ足りないってだけじゃないの?」
「私をなんだと思ってるんです?」
「まあまあ。今回は私が強引に進めちゃったしね……それに残った熊も問題だし」
「フムン? 羆蜂(ウルソヴェスポ)たちは正気に戻ったのでは?」
「群れは無くなったけどさ、羆蜂(ウルソヴェスポ)たちは人里の蜂蜜の味を覚えちゃったわけだしねえ」
「あー……そうねえ。羆蜂(ウルソヴェスポ)が全滅したわけじゃないのよね。けっこうな数がまだいるわけで」
「それが人里のことを覚えてるわけですからねえ。しかも女王個体のために乱獲もしたので、餌も減ってるでしょうし」

 これ、熊害(ゆうがい)のリスクはあんまり変わってないんじゃないの? っていう私たちの危惧に、パールさんはぽややんと答えてくれた。

「そうですねぇ、羆蜂(ウルソヴェスポ)のいくらかはぁ、また人里にぃ下りてきちゃうかもしれませんねぇ。でも異常行動中みたいなぁ、がむしゃらな餌集めはしませんのでぇ、何度か手痛い目にあえばぁ、人里は危ないって覚えてぇ、また落ち着くと思いますよぉ」
「なるほど。女王個体のために大量に餌を集めていたわけで、その目的がなくなったいまは、無理をする必要はないと」
「でも餌不足は変わらないんだから、村に下りてくるやつもなくなりはしないわよねえ」
「それなんですけどぉ、今回ぃ、ウルウさんのぉお香のおかげでぇ、羆蜂(ウルソヴェスポ)たちも忌避効果のあるにおいがあるとぉわかりましたのでぇ、その手の香草を集めて燻煙することでぇ、熊害(ゆうがい)を防げるかもしれませんねぇ」
「ほあー、そんなことができるんですか?」
「生物由来のぉにおい物質はぁ、私の専門でもありますのでぇ、なんとかなりそうですぅ」

 パールさんの提案は村にも伝えられ、認められた。
 有効成分がある程度はっきりするまで何度か試行錯誤する必要はあるみたいだけど、パールさんは蜂の仲間が忌避する成分についてある程度あたりがついてるみたいで、そんなにかからないとのことだった。
 私たちは熊除け香が完成するまでのあいだ、もう少しだけ村に滞在して護衛に努め、現物支給という名の蜂蜜払いを受けて、当初の目的を達成できたのだった。

「蜂蜜に蜂蜜酒(メディトリンコ)! しかも贈答用の巣蜜まで!」
「巣蜜の薄鍋餅(パトクーコ)、おいしかったですねえ。もうちょっと滞在してもよかったかもです」
「私はさすがにそろそろ飽きてきたかもだなあ……いくらおいしくても限度があるよ」
「まあ、村の食べ物、だいたい蜂蜜がらみだったものね」
「もてなしてくれるつもりだったんだろうけど、塩味が恋しくなっちゃったよ……」

 なんだかんだもやったりしつつも、《白の森》の熊害(ゆうがい)事件は一件落着。
 私たちは再び旅に戻り、目指すは《忘れられた都》、古代遺跡群発掘都市。
 果たして今度はどんな冒険が待っているのか、なんてね。

 …………ところで、村を離れてからちょっと肩が軽くなった気がして、ステータス・ウィンドウ開いてログを確認してみたんだよね。ん? そんなもんあったっけ。ステータス……? この前からなんかいつの間にか自然に使ってるな……なんか記憶がダブってる……またちゃん様案件かな。まあ便利だからいいけど。
 とにかく、そのログにね。
 びっしりとこう……

 Resist:魅了 状態異常を無効化しました。
 Resist:魅了 状態異常を無効化しました。
 Resist:魅了 状態異常を無効化しました。
 Resist:魅了 状態異常を無効化しました。
 Resist:魅了 状態異常を無効化しました。
 Resist:魅了 状態異常を無効化しました。
 Resist:魅了 状態異常を無効化しました。
 Resist:魅了 状態異常を無効化しました。
 ・
 ・
 ・

 ってね。
 なんか、いつの間にか状態異常喰らって、それを無効化してたみたいなんだよね……。
 ぜんぜん覚えがないってことは、完全に意識してないところで……。
 あの村の蜂蜜って、やばい成分とかないよね……?

 にこにこ笑顔で蜂蜜飴を舐るふたりに、ちょっと不安がつのったりもするのだった。





用語解説

・マシュマロ
 スモアとしての食べ方も含めて古代聖王国時代から存在していたものの、製法不明で長らく帝都でしか食べることのできない希少な菓子だった。何代か前の皇帝が非常にマシュマロを好み「安価な製造法」を募集したことで現在のマシュマロが誕生した。
 その際、なぜか大まかな材料(砂糖、卵白、ゼラチン、水飴)だけが公表され、既存の製造法は不明のままに民間に広く公募された。事情通によれば「帝国政府は製造法を知らないままにマシュマロを生産していた」とのことであり、ご禁制の古代遺物によって生産していたのではないかと疑問視されている。

































































 ネクターロ村で調香にいそしみながら、パールは今回の一件は大変だっだなあとぽややん述懐した。
 こんなに大事になるとは思わなかったなあ、とゆるゆる考えるのだが、その緊張感と危機感のなさは以前からパールの周囲に問題を振りまいていた。いままでなんとかなってきたのも、今回どうにかなったのも、周囲が問題を解決してくれたからであって、パール一人であれば問題は加速こそすれ解決はしなかったことだろう。

 悪意もなければ悪気もない、というのがパールの最悪なところであった。
 自分が原因であるということまでしっかりと理解しておきながら、パールにはそれをどうこうしようという自助努力に欠けていた。本人としてはしているつもりなのだが、なににも、どこにもつながらない努力はひたすらに行方不明だった。
 今回の件にしても、「注意が足りなかった」と漠然と問題点をあげ、次回からの改善方法は「気を付ける」という愚にもつかない定型文を沿えただけで、彼女の中の解決済みの棚に放り込まれてしまってる。
 根本的に問題解決に向いていない。

 でもしかたないですぅ、とパールは自己中心的な弁明にひたった。
 フェロモンがあんな風に作用してしまうなんて、想定できるようなことではなかったのだと。
 事前にわからなかったんだから、しかたないのだ。と。
 今後気を付けていけばいいよね、と。

 羆蜂(ウルソヴェスポ)の異常行動……女王個体の誕生とそれに付随する群れの形成の原因は、パールの迂闊な行動だった。

 故郷にはない大自然に浮かれて、好きに歩き回った結果にたどり着いたネクターロ村。特に理由があったわけではないが、しいて言うなら蜂蜜がおいしかったので滞在することになり、しばらくの拠点となったこの村。
 ここに腰を下ろして、しばらくはじっくり生態観察を楽しんで、趣味のフィールドワークにいそしもう。
 そんな軽い気持ちだった。

 そんな軽い気持ちで、特に深い考えもなく森に突っ込んだパールは、浮かれ気分でうろつきまわり、そして遭難した。普段から適当にうろついて、気づいたらうまく帰ってこれていたというだけなので、遭難のラインをどこにひくかは微妙だが。

 とにかく、その遭難中に、パールを助けてくれたのが一頭の羆蜂(ウルソヴェスポ)だった。
 羆蜂(ウルソヴェスポ)としては別に助けるとかなんとかではなく、なんかクソ目立つオレンジ色のよたよた動く間抜けな獲物がいたから、これ食べられるかなと寄ってきただけだったのだが、それが命取りだった。

 そのとき、歩き回って汗だくで、おまけに三日くらいろくに水浴びすらしていなかったパールは、相当に濃密なフェロモンをまとっていた。
 このフェロモンを真正面から無防備に喰らった羆蜂(ウルソヴェスポ)は、その瞬間に神経系にバチバチに干渉を受け、尊厳凌辱待ったなしのメス化を成し遂げ、パールを甲斐甲斐しく世話し始めた。
 哀れなこの羆蜂(ウルソヴェスポ)は、フェロモンによる暴力的な刺激を、女王個体のフェロモンと誤認してしまったのである。

 一頭の羆蜂(ウルソヴェスポ)が働き熊と化したことで、近隣一体の羆蜂(ウルソヴェスポ)もその微妙なフェロモン変化に敏感に反応し、迂闊に近寄りパールのフェロモンに汚染された。あとはもう芋づる式である。フェロモン交換によって情報をやり取りする蟲獣にとって、パールのフェロモンはあまりにも凶悪な汚染物質だった。

 つまり、女王個体など最初からいなかったのだ。
 女王個体が出現したと錯覚してしまった哀れな羆蜂(ウルソヴェスポ)たちが、ひたすら滑稽な見世物のように踊らされていただけに過ぎない。村人たちは被害者であるが、羆蜂(ウルソヴェスポ)たちもまた被害者なのである。
 被害者が被害者をうみ、そもそもの元凶はそれを「あー、またなんかやっちゃいましたぁ?」とぽややんと眺めていたのである。

 そのフェロモンは、パール自身の突然変異的な体質から開発された特殊な分子構造体であった。

 パールは生まれついて愛される体質だった。顔の造形か、声の波形か……誰もがパールに無意識のうちに好意を抱き、それはしばしば倫理観や常識を優越し、最終的には「破綻」という形で決着する。彼女の両親がそうなったように。彼女の友人がそうなったように。関わる全ての人が傷つけ合い殺し合い奪い合い破綻してしまったように。

 パールは自分を研究するうちにそれがある種のフェロモン用物質によって誘起されることに気づいた。そしてそれを再現し、改良することに成功した。
 彼女はそれを「みんなが優しくしてくれる魔法」と名付けた。

 それはパールが生きている限り自然に産出されるフェロモンの一種であり、パール自身が自らの肉体に施した強化改造によって、常に周囲に放散されるようになっていた。しかもそれは精妙なナノ生物工学によって、パールの体質を再現した事象操作コードを刻印された状態で生成される。

 細菌よりもウィルスよりも小さなその分子構造体は特殊なフィルターでもなければ平然とすり抜けて、ありとあらゆる生命の脳神経系を冒す。
 しかも付与のひとつひとつには些細な効果しかなく、複数の微小な概念が複雑に、かつ常に変化しながら莫大な組み合わせを生み出すことで、対象が慣れるということを許さない。それは生み出したパール自身にさえ把握できていない、解呪を前提としない究極の無責任。

 簡単に言えばそれは、あらゆる耐性を無効化する呪いを帯びた、あらゆる防御をすり抜ける微小物質群であった。
 端的に言えばそれは、あらゆる尊厳を貶める魅了の魔力であり、あらゆる理性も倫理も瓦解させる腐臭であった。

 そのフェロモンを生理的に生み出すパールは、いわばマジカルフェロモン放出人間だった。歩く生物兵器散布装置であり、無自覚テロリストだった。
 実際、パール自身は気づいてもいないが、被害の出た帝都方面ではすでに指名手配されている。混乱がひどいので追手がたどりつけていないだけである。なにしろそのフェロモンに破壊されつくした脳は、フェロモン影響下を脱してもなおパールの味方をするからである。
 重度の薬物中毒が脳の報酬系を破壊し、たとえ断薬しても完全に回復することが困難なように、その変化は不可逆なのだった。

 パール本人の極めてぽやっとしたカスみたいに漠然とした言語化能力によるところの「みんなが優しくしてくれる魔法」のフェロモンは、その低レベル極まる文章生成能力に比して著しく高度なナノ生物工学技術によって凶悪なまでの性能を誇っていた。

 最初は、なんかこの熊さんご飯くれるし優しいなあとかとぼけたことを考えていたパールだったが、なんかぽややんとしているうちに巣の建築が始まり、鹿だの猪だのが積み上げられてくると、あー、さすがにこれは生態系乱してるかもなあとゆるゆる思ったりもしたのだ。

 でも巣から離れようとすると働き熊に連れ戻されてしまうので、自然死した羆蜂(ウルソヴェスポ)の死体に濃い目のフェロモン(柔らかい言い方)を残して、自分は解体された猪の死骸をかぶって抜け出したのであった。
 問題を解決しようとしたわけではない。
 飽きたからである。
 見るものも見たしもう新しいこともなくなったからである。
 単に束縛がだるくなって、そろそろ帰ろって思ったからである。

 これだけでもだいぶ最悪だが、パールの本当に最悪なところは、このような事象を引き起こしてしまったことではなく、なんと村に帰ってからもしばらくだんまりを決め込んだことであった。
 そう、これは今回のことではなく、去年のことである。
 この女、まるまる一年のあいだ、あわよくばなんとならないかなーと問題を放置していたのである。なんなら半ば忘れてたし、春先になって熊害が増えてきてようやくそういえばって思い出したくらいである。

 実際にはなんともならずに、羆蜂(ウルソヴェスポ)たちは巣穴に残された濃い目のフェロモン(柔らかい言い方)を後生大事に守りながら、無駄極まる巣砦を懸命に築き上げ、なんのためにもならない餌を積み上げ、いよいよ村の養蜂箱まで襲うようになってしまったのである。
 風が通らない巣穴の中ではたっぷりと染み付き残留したフェロモンがなかなか抜けず、脳破壊されてしまった羆蜂(ウルソヴェスポ)たちは主の不在にも気づかず催眠洗脳ゾンビめいてひたすら無為を積み重ねてしまったのだ。
 あるいはもういくらか経ったらさすがにフェロモンも抜けて、よくわからんままに解散したかもしれないが、そうはならずに焼け死ぬ羽目になってしまった。
 まあ、そのほうがよかったかもしれない。巣にまだ残っていたような個体は、すでにフェロモンによる脳神経系への汚染が手遅れなほどに進んでいたので、もはや回復の余地はなかったからである。

 悪いことしたなあ、くらいには、パールもぼんやり罪悪感めいたものを感じていたりはするのだ。
 ただそれは、なにかこう、超自然の巡り合わせ的な悪さであって、本人に自分が悪いことをしたという認識はない。結果として悪いことになっただけと受け止めているので、悪意も悪気もないのだから悪事をなした認識もない。
 でもまあ、それでも村に迷惑かかってるし、それは自分の生活にもかかわるし、どう壊れたのかも気にはなったので、なんとかしないとなあとは思ったのである。

「好意的にしてもらえるのはいいんですけどぉ、ああいう形でも作用しちゃうのはぁ知りませんでしたねぇ。無自覚に出しちゃってるのでぇ、気を付けないとですねぇ」

 気を付けないと、などと口にはするが、そんなものはほとんどなにも言っていないのと同じである。「注意が足りていなかった」という問題提起に、「なので次からは注意する」と言っているだけなのだ。カスの危険予知活動である。

 しかしそれでも、パールはパールなりに真剣だった。
 パールはいまの生活が大事だった。かけがえなく大切だった。
 誰に憚られることもなく大自然を満喫でき、見たこともない生き物たちと触れ合え、観察でき、ごはんや寝床の面倒まで見てもらえるこの最高の環境は守らねばならないものだった。

 ネクターロ村の人たちは、本当にやさしいひとばかりだった。
 突然ふらっとやってきたパールを、「帝都のほうから来た学者」だと単に方角と自称を述べただけで信頼してくれたいい人たちだ。
 お金もないのに面倒を見てくれるし、お腹が空いたといえばご飯を分けてくれるし、汚れてきたらお風呂を貸してくれるし、広場で寝てたら家に上げて寝床も貸してくれる。
 なんてすばらしいホスピタリティだとパールは感激したほどだ。
 それが自分の発するフェロモンのおかげだということはあまり認識していない。「仲良くしてくれる」ものだと漠然と理解している。自分の発明なのに。
 おそろしいことにパール自身の脳はパールのフェロモンの効果を一切受けていない。もとからこれなのである。もとから人格も生活も破綻していたのである。しかし周囲が助けてくれてしまったために、こういうモンスターになってしまった。なってしまったというか、モンスターのまま大きくなれてしまった。

 ともあれ、パールはいまの生活に満足していて、やさしい村の人たちも大切にしたいのだ。
 村長さんも猟師さんたちも、農家さんも、村の若者も子供たちもみんな大好きだ。
 ご飯をくれ、甘いものをくれ、寝床も風呂もくれ、なにくれとなく優しくしてくれる。
 こんな未開文明においても、人々は優しさや助け合いの精神をはぐくめるのだと感動した。
 フェロモンの効きが悪い体質の若者がパールのことを悪く言ったときも、村の人たちは彼を引きずっていって、そして二度と戻らなくしてくれた。
 仲良くなった村人に求められた、生命資源産出を目的としない友好目的の身体接触や交配活動もとても興味深い文化だった。いまでは男の人も女の人も、老人も若者も子供たちとも、村のほとんどの人と仲良くなれた。聖王国ではそういう行為を無許可で行うと厳罰に処され、実際パールのお友達も何人か処罰されてしまって悲しい思いをしたものだ。とてもよくしてくれたのに。なんとかさんとか、ほにゃららくんとか。忘れてしまったのではない。そもそもふわっとしか覚えていないのである。

 パールは聖王国の暮らしを思い出す。
 割と裕福な家に生まれて、ちやほやしてもらいながらなんとなく生化学方面に勉強に興味が出て、なんとなくやってるうちにいろんな大人ともかかわるようになって、大人のひとに甘えたり仲良くしてもらったりその大人がなんでか急に来なくなったり両親が喧嘩しながらも甘やかしてくれたり、両親に甘えたり仲良くしたりしているうちに両親もつかまってしまったり、保護施設でもみんなに仲良くして貰ったり保護施設もつぶれたり、みんな優しいひとばかりだったけど、思い出は移ろい続けた。人生ってそういうものなんだろうなあと漠然と思っているが、パールによって人生が壊された人々はそれどころではなかった。

 施設でもその突出した能力は認められ、フェロモン技術の開発によって地位を得た後は、上司も同僚もみんな良くしてくれた。頑張って勉強して、がんばっていろんな人に頼って、フェロモンが完成したころには、《魔法使い(ウィザード)》にも推薦してもらってこうして国外に出ることができた。
 運がよかったし、みんながとても良くしてくれたおかげだ。
 顔も名前もよく覚えていないが、パールはふわっとした感謝をみんなに抱いていた。

 《母なる慈愛のウェヌス》。
 ちょっと畏れ多く感じていたその二つ名も、いまでは誇らしく感じている。

「…………そういえばぁ、ええとぉ、あのなんとかいうでっかい黒いひとはぁ、フェロモンの効きがよくなかったですねぇ」

 すでに名前を忘れてしまったでっかい黒いひとは、パールのフェロモンを至近で浴びていたのに、他のみんなのように仲良くなれたという手ごたえがなかった。
 たまにいるのだ。時間がかかったり、まるで反応がなかったりと、効きが悪いひとが。鼻づまりだったり、受容体が合致していなかったり、脳神経に差異があったり、まあ要は体質的なものだとパールは認識していた。
 実際には妛原閠のレベルが高すぎる上に人間嫌いが染みつきすぎたために、低レベルの魅了スキル扱いで軒並みレジストされてしまっていたのだが、当人たちはどちらもよくわかっていない。

「つぎあえたときは仲良くなれるようにぃ、もっと改良しないとですねぇ」

 重要な問題は解決しないまま、いらんことばかりしようとする。
 それはひとつの最悪の形だった。





用語解説

・《母なる慈愛のウェヌス》
 極めて高度なナノ生物工学者であるが、人格的には非常に問題がある。しかし自らの体質と、それを基に開発したフェロモンによって周囲の人間を魅了することで人間性の問題をごまかしてしまった。
 幼いころから倫理観も常識もなく享楽的に研究にいそしんでおり、フェロモンに暴露した関係者は彼女に異常な愛情を抱き、許可なき交配活動に至ったり、関係者同士で殺し合いに発展したりなどで、家庭に始まり、保護施設、教育機関までも崩壊に至った。

 研究室に在籍していたフェロモン耐性を持つ研究者が、その人間性とフェロモンに危機感を抱き、最高峰の事象操作技術者の称号であり、同時に帝国への出向義務を負わされる《魔法使い(ウィザード)》に推薦するかたちで国外への追放に成功。結果として今回の事件につながった。
 なお研究室はつつがなく閉鎖された。

・「みんなが優しくしてくれる魔法」
 ざっくり言えば魅了の効果を持ったフェロモンを放出する体質。
 嗅覚を媒介とする生理物質と、複雑に変化し続ける呪詛……魔術的汚染の性質を併せ持つため、多くの生物に効果を示し、特殊なフィルターなどで侵入そのものを防げない限り、どちらかの影響を受けてしまう。そしてウィルスよりもはるかに小さいフェロモンを完全に防ぎながらも呼吸を妨げないフィルターは帝国には存在しないため、もう宇宙服でも着ない限り防げない。
 ただし、塵よりも軽いので、実は矢避けの加護が効く。事前に使えればだが。