異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ書籍③巻発売中!
書籍ネタバレ感想などは活動報告や作者マシュマロなどにどうぞ。
前回のあらすじ
洗ってない犬のにおいがする女を洗う回(二度目)。
リリオの時よりひどかったそうな。
パールさんの話を聞いた私たちは、大急ぎで養蜂組合の建物にやってきました。
「おう、パールさん見違えたな。初日から見張りさぼった甲斐があったかね」
「大変耳が痛いんですけれど、どうもそれどころではないようでして」
「フムン?」
組合長で村長のアントーノさんからさっそくお小言をいただいてしまいました。
そう……そうなんですよねえ。森から行き倒れが現れたということで介抱してました、まではまだ仕事の範疇と言えなくもないですけれど、その後は三人とも持ち場を放棄してパールさん洗いに数時間姿を消してましたからね。
とはいえ、言い訳もそこそこにパールさんから聞き出した羆蜂の報を知らせると、村長さんはすぐにも部屋を用意して、村の主だった面子を集めてくれました。
「羆蜂だって?」
「そうなんですよぉ。森の生態系がどんな風に変わってるのかなあ~って思ってぇ、お弁当持って出かけたんですねぇ。それで森の奥に入っていったらぁ、あー、木の皮がはげてるなぁ、これは熊がよくやるなわばりの目印なんだよなぁって思ってですねぇ、このあたりには熊がいるんだなぁってですねぇ」
「つまりなんだって?」
「森の奥に、羆蜂の群れができているようです。それも巣作りをしているとか」
「ばかな。羆蜂は群れを作ったりはしないぞ、普通」
一番の専門家であり、実際に現地を見てきたはずのパールさんの証言があまりにもまだるっこしいので、早々にこちらに振られてしまいました。
一応聞きだしたことはお伝えできるのですけれど、あいにくと羆蜂なる熊はこのあたりの固有種のようで、私たちも知らない熊です。詳しいことはわかりません。
「ん、そうか。他の地方にはいないのか……まあ、羆蜂ってのは熊だよ。それも羆だ。雀蜂でもある羆だ。そこの蜜熊蜂がそのままバカでかくなって狂暴になったもんと思ってだいたい差し支えない」
アントーノさんが雑紙に手早く描いてくれた図は、簡単なものではありますが特徴をとらえた絵でした。
ずんぐりとした六肢の大型の熊で、確かに蜜熊蜂の大きさ違いとも言えます。
しかし、蜜熊蜂が丸っこく、頭も大きく、幼児体型めいたぬいぐるみじみた姿をしているのと比べて、羆蜂は明確に攻撃的な爪や、はっきり大きな顎など、かわいいとは感じられないような造形です。
「羆蜂はかなり羆らしい熊で、普通は群れを作らない。単独で動き回り、木の実や茸、魚、それに鹿だのも食う。狼どころかおなじ熊でも狩り殺すくらいには凶暴で、天敵らしい天敵はない。猟師だって好んで狩りたい相手じゃあないね」
聞く限りは、普通の羆のような生態のようです。森の頂点捕食者であり、個体数は比較的少なく、増えづらいけど減りづらい、という感じですね。
それくらいですと、たまに人里に下りてきて被害が出る、という程度のように思えますが。
「その群れない羆蜂が群れてるってのが、まずい」
「しかも巣まで作ってるとなりゃあ、間違いない。女王個体が生まれちまったようだ」
「女王個体、ですか?」
猟師頭だという土蜘蛛の女性が苦り切った顔で説明してくれました。
「羆蜂は羆であり雀蜂でもある。普段は羆としての生態だが、極端に餌が減って、地域の個体数が減ったりすると、地域で一等デカいメスが女王個体になる。蜜蜂みたいに蜜の違いで女王になるんじゃない。飢餓から生まれるんだ」
「……もしや冬の影響で?」
「いや、もう群れが巣づくりしてるってことは、あるいはもっと早かっただろう。森ってのは複雑な条件で木の実を付けたり付けなかったりするもんだが、ここ数年は実りが微妙だった。……そういやあ、恵みが少ない割には鹿や猪の食害が少なかったんだ。被害がなくてよかったなんて思ってたが、ありゃ羆蜂が女王個体のために狩り集めてたんだな」
「もっと早く気づけていれば……いや、どうしようもなかったか。人里の巣箱まで狙ってきてるのは、森の中の餌じゃ足りなくなってるんだろう。遅かれ早かれだった」
女王個体が発生すると、羆蜂は女王を中心とした群れを形成するそうです。それまで単独で暮らしていた羆蜂たちが、女王個体の発する特殊なにおい物質に引き寄せられて行動が切り替わり、群れに加わるのだとか。
女王個体は洞窟などにこもり、働き熊たちが巣材を集め、餌を集め、女王が卵を産むのに適した環境づくりに従事するそうです。
ただでさえ凶暴な羆蜂が、自分が食べる分以上の量のえさを求めて、際限なく渉猟して狩りに励むので、大変厄介なことになるのだとか。
「…………餌がないのになんで卵たくさん産むの?」
「ふふふ、ウルウ、それはですね。なんででしょうね?」
「なんで一瞬わかるみたいな空気出した?」
「おもしろいですよねぇ、変わった生態ですよねぇ。文献などにぃよりますとぉ、羆蜂の群れは数年以内で崩壊してぇ、また単独生活に戻るみたいなんですけれどぉ、おもしろいことにぃ、それまでとぉ生存地域に変動がみられるんですねぇ。つまりですねぇ、たくさん産んでぇ、たくさん育ててぇ、そうするとぉ近場じゃご飯が取れなくてぇ、遠くまでぇ行くことになるん、ですねぇ。ある程度遠くに行くとぉ、女王個体のぉにおい物質がぁ届かなくなってですねぇ、働き熊もぉその影響から抜け出してぇ、新しい地域でぇ生き始めるんですねぇ。地域が変わればぁ、餌不足もぉ解決することがあるのでぇ、自ら淘汰圧ぅ……を生み出してぇ、遠方まで強制的にぃ移動させてるんじゃないかな~っていう説がですねぇ、あるんですねぇ。もちろんですねぇ、餌がないから移動するぅ……っていうのはぁ、別に群れを形成しなくてもぉ、やるものなのでぇ、他にも理由があるんじゃないかな~っていう考えもぉあってですねぇ、あのあのぉ、卵をですねぇ、卵をたくさん産むんですけどぉ、卵って栄養満点でぇ、吸収効率も良くてぇ、でも無防備で食べやすいのでぇ、女王の生んだ卵をですねぇ、非常食ぅ……みたいにしてぇ、生き延びやすくしてるんじゃないかなあ~っていう、説がですねぇ、あるんですねぇ」
パールさんがぽややんと解説してくれたので、ウルウも深くうなずきました。
そして私を見下ろします。
「つまり?」
「なんか生存に有利に働くみたいです」
「カスみたいなまとめありがとう」
「どういたし……カスみたいって言いましたいま?」
「お役に立ちましたか? とか言われたら手が出てたかもしんない」
「どういう??」
ともあれ、さすがに群れが崩壊するまで数年も待てません。被害が大きすぎます。
仮に村に下りてくる羆蜂すべてを撃退したところで、羆蜂は森の中のあらゆるものを根こそぎ食い荒らしていくでしょうから、村人は森の恵みを得られません。ちょっと薪を拾いに行くだけでも、羆蜂に襲われることを恐れて、がちがちに武装していかなければいけないかもしれません。
さすがにそれは現実的ではありませんね。
「昨年の調査でもぉ、羆蜂がぁ熊害の原因だというのはわかっていたのでぇ、羆蜂のぉ、行動圏がですねぇ、村にまで広がってる理由……をですねぇ、探ろうと思ってぇ、調査してたんですねぇ。餌不足はぁ、予想できてましたけどぉ、外来種による淘汰圧ぅ……とかぁ、病気の流行ぅ……とかぁ、そういう可能性もありましたしぃ、あとはぁ、なんでかなあ~って言うのの他にぃ、どこから来てるのかなあ~っていうのも気になっててぇ、出所がわかったらいいなあ~……って森に入ったんですよぉ。そしたらぁ、運よくですねぇ、羆蜂の痕跡が見つかってぇ、よかったぁ、おもしろいなぁって、」
「パールさんや、もうちょっとまとめて頼めるかい」
「はぁい~……ええとぉ…………奥まで行ったらぁ、羆蜂の巣ぅ……みたいなのぉ……多分ですけどぉ、見つけましてぇ、せっかくなので中も拝見しようかなあ~って思ってたらぁ、働き熊に見つかりましてぇ。あ~、まずいなあ~、って思ってたらぁ、この子たちが担いでぇ、逃げてくれたんですねぇ」
「このひと学者さんなんですよね?」
「大学とかでもこの調子で相手にされなくて、ひとりで野外調査ばっかりしてるんじゃないのかねえ」
「それはもうなんかそういう趣味のひとなのでは……?」
とにかく、パールさんの調査のおかげで、羆蜂が群れを作っていること、そしてその巣の場所も判明した、ということでしょう。
だいぶぽややんとしてて正直なんかこう、信頼できるかというとはなはだ怪しい感じではあるんですけれど、まあ、一応証言は証言ということで。
「さて参ったね。最悪の場合、増えに増えた羆蜂の群れが村を襲撃する、なんてこともあり得るわけだ」
「実際、すでに何度も巣箱を荒らされてんだ。蜂蜜がたっぷりあるってわかってるだろうよ。来るか来ないかじゃなく、あとはもういつ来るかって段階だと思うぜ」
「いまから柵を補強したところでたいしたものはできないし、かといって猟師でどうこうできるもんでもない。さすがに領主案件かねえ……」
アントーノさんと猟師頭さんが頭を抱えるなか、パールさんはぽややんとしながらも、本人なりの真顔で私たちに訴えかけました。
「わたしぃ、この村の人たちにはぁ、とてもぉ、とてもよくしてもらったんですぅ……わたしにはぁ、どうしたらいいかわかんないんですけどぉ……でもぉ、なんとかしてあげられるならぁ、なんとかしてあげたいんですねぇ」
よそ者であり、帰る場所もあるであろうパールさんは、しかしこの村に残り、なにかしてあげたいと、そう考えているようでした。自分のかかわったことならば、できる限りはしたいという、責任感が感じられます。
きちんと身ぎれいにして真剣な顔をしたパールさんに、どうしようもないひとに対する庇護欲ではなく、ひとりの人間として助けになってやりたいという気持ちがわいてきます。
「フムン…………羆蜂の群れというのは、女王個体のにおい物質によって引き起こされる、ということでしたね」
「はいぃ、そうですねぇ」
「女王個体が死亡した場合はどうなりますか?」
「はあぁ……そうですねぇ…………女王個体がぁ、女王個体を生むという事例はないですのでぇ……おそらくですけどぉ、女王が死んでぇ、におい物質が途切れればぁ、羆蜂たちもぉ影響から脱してぇ、元の生活に戻るぅ……とぉ思いますねぇ」
となれば、話は決まりですね。
羆蜂の群れを相手にすると考えれば対策は不可能ですけれど、たった一頭の羆蜂を倒せばいいのであれば、可能性は見えてきます。
女王個体討伐。
それを、私たち《三輪百合》が請け負う。
その提案は、アントーノさんたちを深く考え込ませる程度には心を動かしたようです。
「ううむ……我々は羆蜂が本当にそういう生態なのかはわからん。しかし、そうであるならば……託してみるのもいいか?」
「だが村長、女王個体も無防備ってわけじゃなかろう。少なくとも数頭の羆蜂を相手にせにゃならんだろう。うまくやれたとしても、羆蜂たちがすぐに正気付くわけでもなかろうし、危険が過ぎるんじゃないかね」
「なら猟師連中を集めて挑むかい」
「馬鹿言え。猟師であって兵隊じゃあないんだぞ」
「だが、本当の兵隊を引っ張ってきたんじゃあ、いまは助かっても、今後は領主の口出しがうるさくなるだろう」
「生き延びると思えば、しかたなかろう」
「ま、ま、ま、ご心配なさる気持ちもわかります」
もめはじめる村長さんと猟師頭さんの間に入ります。
「若い娘三人となれば不安も感じるでしょう。しかしご安心ください。私は辺境から旅立ち、武者修行をしている身です。トルンペートも飛竜紋の武装女中で、二等の位をいただいております」
「へ、辺境といやぁ、熊も泣いて命乞いするばんぞ……い、いや、そりゃあ、それが本当なら心強いがよ」
「フムン。辺境の獣たちはみな大きく、太古のままに生きてると聞くがね……実際、熊狩りの心得はあるのかい?」
「熊狩りは辺境令嬢のたしなみですよ」
「大きく出たじゃないか」
「それに私たちには馬もいます。熊も恐れぬ大熊犬が」
「ほう……大熊犬なら確かに熊を恐れない。反撃もできるし、逃げもできるだろうね。よし、いいだろう。やってみな。だが死なれて情報もなしじゃこっちも困る。生きて帰ることを優先するんだよ」
「もちろんです!」
村長さんが頷く決め手は、ボイでした。
大熊犬は東部原産。おとぎ話めいた辺境人の噂より、地元の馬の方が信頼できたのかもしれません。
「さて、話が決まったなら急ぎましょう!」
「気持ちはわかるけどね。もう夜だ。いまから行ったんじゃあかえって危ない」
「…………まあ、はい、そうですね」
「歯を磨いて、お風呂も入らないと。お風呂あります?」
「共用のがあるよ。神官が浸かってるから好きに使うといい」
「ウルウってこういうときまでお風呂なんですね……」
そういうことになりました。
用語解説
・羆蜂(Ursovespo)
ヒグマバチ。蟲獣。六肢の羆。大型の雀蜂。ヒグマとはつくが体長的にはツキノワグマ程度。肉食性寄りの雑食であり、狼や熊まで喰らう。また他種の蜂の巣を襲い、好んで蜂蜜を摂取する。人間を警戒はするが、十分に捕食対象であり、迂闊に接近するべきではない。通常は単独生活をとるが、餌不足などにより個体が減ると、地域で最も大きな個体が女王となり、そのフェロモンにより一時的に群れを形成する。周囲の食物を食いつくしながら行動範囲を広げていき、さらなる餌不足や女王個体の死をきっかけに数年程度で緩やかに崩壊する。
・大熊犬
オオクマイヌ。東部原産の馬。大型の四つ足の犬。犬というより熊のようなサイズである。
性格は賢く大人しく、食性は雑食。北から南まで様々な環境に対応でき、戦闘能力も高い。
丙種魔獣相手に十分に戦え、乙種相手でも相性による。
書籍ネタバレ感想などは活動報告や作者マシュマロなどにどうぞ。
前回のあらすじ
洗ってない犬のにおいがする女を洗う回(二度目)。
リリオの時よりひどかったそうな。
パールさんの話を聞いた私たちは、大急ぎで養蜂組合の建物にやってきました。
「おう、パールさん見違えたな。初日から見張りさぼった甲斐があったかね」
「大変耳が痛いんですけれど、どうもそれどころではないようでして」
「フムン?」
組合長で村長のアントーノさんからさっそくお小言をいただいてしまいました。
そう……そうなんですよねえ。森から行き倒れが現れたということで介抱してました、まではまだ仕事の範疇と言えなくもないですけれど、その後は三人とも持ち場を放棄してパールさん洗いに数時間姿を消してましたからね。
とはいえ、言い訳もそこそこにパールさんから聞き出した羆蜂の報を知らせると、村長さんはすぐにも部屋を用意して、村の主だった面子を集めてくれました。
「羆蜂だって?」
「そうなんですよぉ。森の生態系がどんな風に変わってるのかなあ~って思ってぇ、お弁当持って出かけたんですねぇ。それで森の奥に入っていったらぁ、あー、木の皮がはげてるなぁ、これは熊がよくやるなわばりの目印なんだよなぁって思ってですねぇ、このあたりには熊がいるんだなぁってですねぇ」
「つまりなんだって?」
「森の奥に、羆蜂の群れができているようです。それも巣作りをしているとか」
「ばかな。羆蜂は群れを作ったりはしないぞ、普通」
一番の専門家であり、実際に現地を見てきたはずのパールさんの証言があまりにもまだるっこしいので、早々にこちらに振られてしまいました。
一応聞きだしたことはお伝えできるのですけれど、あいにくと羆蜂なる熊はこのあたりの固有種のようで、私たちも知らない熊です。詳しいことはわかりません。
「ん、そうか。他の地方にはいないのか……まあ、羆蜂ってのは熊だよ。それも羆だ。雀蜂でもある羆だ。そこの蜜熊蜂がそのままバカでかくなって狂暴になったもんと思ってだいたい差し支えない」
アントーノさんが雑紙に手早く描いてくれた図は、簡単なものではありますが特徴をとらえた絵でした。
ずんぐりとした六肢の大型の熊で、確かに蜜熊蜂の大きさ違いとも言えます。
しかし、蜜熊蜂が丸っこく、頭も大きく、幼児体型めいたぬいぐるみじみた姿をしているのと比べて、羆蜂は明確に攻撃的な爪や、はっきり大きな顎など、かわいいとは感じられないような造形です。
「羆蜂はかなり羆らしい熊で、普通は群れを作らない。単独で動き回り、木の実や茸、魚、それに鹿だのも食う。狼どころかおなじ熊でも狩り殺すくらいには凶暴で、天敵らしい天敵はない。猟師だって好んで狩りたい相手じゃあないね」
聞く限りは、普通の羆のような生態のようです。森の頂点捕食者であり、個体数は比較的少なく、増えづらいけど減りづらい、という感じですね。
それくらいですと、たまに人里に下りてきて被害が出る、という程度のように思えますが。
「その群れない羆蜂が群れてるってのが、まずい」
「しかも巣まで作ってるとなりゃあ、間違いない。女王個体が生まれちまったようだ」
「女王個体、ですか?」
猟師頭だという土蜘蛛の女性が苦り切った顔で説明してくれました。
「羆蜂は羆であり雀蜂でもある。普段は羆としての生態だが、極端に餌が減って、地域の個体数が減ったりすると、地域で一等デカいメスが女王個体になる。蜜蜂みたいに蜜の違いで女王になるんじゃない。飢餓から生まれるんだ」
「……もしや冬の影響で?」
「いや、もう群れが巣づくりしてるってことは、あるいはもっと早かっただろう。森ってのは複雑な条件で木の実を付けたり付けなかったりするもんだが、ここ数年は実りが微妙だった。……そういやあ、恵みが少ない割には鹿や猪の食害が少なかったんだ。被害がなくてよかったなんて思ってたが、ありゃ羆蜂が女王個体のために狩り集めてたんだな」
「もっと早く気づけていれば……いや、どうしようもなかったか。人里の巣箱まで狙ってきてるのは、森の中の餌じゃ足りなくなってるんだろう。遅かれ早かれだった」
女王個体が発生すると、羆蜂は女王を中心とした群れを形成するそうです。それまで単独で暮らしていた羆蜂たちが、女王個体の発する特殊なにおい物質に引き寄せられて行動が切り替わり、群れに加わるのだとか。
女王個体は洞窟などにこもり、働き熊たちが巣材を集め、餌を集め、女王が卵を産むのに適した環境づくりに従事するそうです。
ただでさえ凶暴な羆蜂が、自分が食べる分以上の量のえさを求めて、際限なく渉猟して狩りに励むので、大変厄介なことになるのだとか。
「…………餌がないのになんで卵たくさん産むの?」
「ふふふ、ウルウ、それはですね。なんででしょうね?」
「なんで一瞬わかるみたいな空気出した?」
「おもしろいですよねぇ、変わった生態ですよねぇ。文献などにぃよりますとぉ、羆蜂の群れは数年以内で崩壊してぇ、また単独生活に戻るみたいなんですけれどぉ、おもしろいことにぃ、それまでとぉ生存地域に変動がみられるんですねぇ。つまりですねぇ、たくさん産んでぇ、たくさん育ててぇ、そうするとぉ近場じゃご飯が取れなくてぇ、遠くまでぇ行くことになるん、ですねぇ。ある程度遠くに行くとぉ、女王個体のぉにおい物質がぁ届かなくなってですねぇ、働き熊もぉその影響から抜け出してぇ、新しい地域でぇ生き始めるんですねぇ。地域が変わればぁ、餌不足もぉ解決することがあるのでぇ、自ら淘汰圧ぅ……を生み出してぇ、遠方まで強制的にぃ移動させてるんじゃないかな~っていう説がですねぇ、あるんですねぇ。もちろんですねぇ、餌がないから移動するぅ……っていうのはぁ、別に群れを形成しなくてもぉ、やるものなのでぇ、他にも理由があるんじゃないかな~っていう考えもぉあってですねぇ、あのあのぉ、卵をですねぇ、卵をたくさん産むんですけどぉ、卵って栄養満点でぇ、吸収効率も良くてぇ、でも無防備で食べやすいのでぇ、女王の生んだ卵をですねぇ、非常食ぅ……みたいにしてぇ、生き延びやすくしてるんじゃないかなあ~っていう、説がですねぇ、あるんですねぇ」
パールさんがぽややんと解説してくれたので、ウルウも深くうなずきました。
そして私を見下ろします。
「つまり?」
「なんか生存に有利に働くみたいです」
「カスみたいなまとめありがとう」
「どういたし……カスみたいって言いましたいま?」
「お役に立ちましたか? とか言われたら手が出てたかもしんない」
「どういう??」
ともあれ、さすがに群れが崩壊するまで数年も待てません。被害が大きすぎます。
仮に村に下りてくる羆蜂すべてを撃退したところで、羆蜂は森の中のあらゆるものを根こそぎ食い荒らしていくでしょうから、村人は森の恵みを得られません。ちょっと薪を拾いに行くだけでも、羆蜂に襲われることを恐れて、がちがちに武装していかなければいけないかもしれません。
さすがにそれは現実的ではありませんね。
「昨年の調査でもぉ、羆蜂がぁ熊害の原因だというのはわかっていたのでぇ、羆蜂のぉ、行動圏がですねぇ、村にまで広がってる理由……をですねぇ、探ろうと思ってぇ、調査してたんですねぇ。餌不足はぁ、予想できてましたけどぉ、外来種による淘汰圧ぅ……とかぁ、病気の流行ぅ……とかぁ、そういう可能性もありましたしぃ、あとはぁ、なんでかなあ~って言うのの他にぃ、どこから来てるのかなあ~っていうのも気になっててぇ、出所がわかったらいいなあ~……って森に入ったんですよぉ。そしたらぁ、運よくですねぇ、羆蜂の痕跡が見つかってぇ、よかったぁ、おもしろいなぁって、」
「パールさんや、もうちょっとまとめて頼めるかい」
「はぁい~……ええとぉ…………奥まで行ったらぁ、羆蜂の巣ぅ……みたいなのぉ……多分ですけどぉ、見つけましてぇ、せっかくなので中も拝見しようかなあ~って思ってたらぁ、働き熊に見つかりましてぇ。あ~、まずいなあ~、って思ってたらぁ、この子たちが担いでぇ、逃げてくれたんですねぇ」
「このひと学者さんなんですよね?」
「大学とかでもこの調子で相手にされなくて、ひとりで野外調査ばっかりしてるんじゃないのかねえ」
「それはもうなんかそういう趣味のひとなのでは……?」
とにかく、パールさんの調査のおかげで、羆蜂が群れを作っていること、そしてその巣の場所も判明した、ということでしょう。
だいぶぽややんとしてて正直なんかこう、信頼できるかというとはなはだ怪しい感じではあるんですけれど、まあ、一応証言は証言ということで。
「さて参ったね。最悪の場合、増えに増えた羆蜂の群れが村を襲撃する、なんてこともあり得るわけだ」
「実際、すでに何度も巣箱を荒らされてんだ。蜂蜜がたっぷりあるってわかってるだろうよ。来るか来ないかじゃなく、あとはもういつ来るかって段階だと思うぜ」
「いまから柵を補強したところでたいしたものはできないし、かといって猟師でどうこうできるもんでもない。さすがに領主案件かねえ……」
アントーノさんと猟師頭さんが頭を抱えるなか、パールさんはぽややんとしながらも、本人なりの真顔で私たちに訴えかけました。
「わたしぃ、この村の人たちにはぁ、とてもぉ、とてもよくしてもらったんですぅ……わたしにはぁ、どうしたらいいかわかんないんですけどぉ……でもぉ、なんとかしてあげられるならぁ、なんとかしてあげたいんですねぇ」
よそ者であり、帰る場所もあるであろうパールさんは、しかしこの村に残り、なにかしてあげたいと、そう考えているようでした。自分のかかわったことならば、できる限りはしたいという、責任感が感じられます。
きちんと身ぎれいにして真剣な顔をしたパールさんに、どうしようもないひとに対する庇護欲ではなく、ひとりの人間として助けになってやりたいという気持ちがわいてきます。
「フムン…………羆蜂の群れというのは、女王個体のにおい物質によって引き起こされる、ということでしたね」
「はいぃ、そうですねぇ」
「女王個体が死亡した場合はどうなりますか?」
「はあぁ……そうですねぇ…………女王個体がぁ、女王個体を生むという事例はないですのでぇ……おそらくですけどぉ、女王が死んでぇ、におい物質が途切れればぁ、羆蜂たちもぉ影響から脱してぇ、元の生活に戻るぅ……とぉ思いますねぇ」
となれば、話は決まりですね。
羆蜂の群れを相手にすると考えれば対策は不可能ですけれど、たった一頭の羆蜂を倒せばいいのであれば、可能性は見えてきます。
女王個体討伐。
それを、私たち《三輪百合》が請け負う。
その提案は、アントーノさんたちを深く考え込ませる程度には心を動かしたようです。
「ううむ……我々は羆蜂が本当にそういう生態なのかはわからん。しかし、そうであるならば……託してみるのもいいか?」
「だが村長、女王個体も無防備ってわけじゃなかろう。少なくとも数頭の羆蜂を相手にせにゃならんだろう。うまくやれたとしても、羆蜂たちがすぐに正気付くわけでもなかろうし、危険が過ぎるんじゃないかね」
「なら猟師連中を集めて挑むかい」
「馬鹿言え。猟師であって兵隊じゃあないんだぞ」
「だが、本当の兵隊を引っ張ってきたんじゃあ、いまは助かっても、今後は領主の口出しがうるさくなるだろう」
「生き延びると思えば、しかたなかろう」
「ま、ま、ま、ご心配なさる気持ちもわかります」
もめはじめる村長さんと猟師頭さんの間に入ります。
「若い娘三人となれば不安も感じるでしょう。しかしご安心ください。私は辺境から旅立ち、武者修行をしている身です。トルンペートも飛竜紋の武装女中で、二等の位をいただいております」
「へ、辺境といやぁ、熊も泣いて命乞いするばんぞ……い、いや、そりゃあ、それが本当なら心強いがよ」
「フムン。辺境の獣たちはみな大きく、太古のままに生きてると聞くがね……実際、熊狩りの心得はあるのかい?」
「熊狩りは辺境令嬢のたしなみですよ」
「大きく出たじゃないか」
「それに私たちには馬もいます。熊も恐れぬ大熊犬が」
「ほう……大熊犬なら確かに熊を恐れない。反撃もできるし、逃げもできるだろうね。よし、いいだろう。やってみな。だが死なれて情報もなしじゃこっちも困る。生きて帰ることを優先するんだよ」
「もちろんです!」
村長さんが頷く決め手は、ボイでした。
大熊犬は東部原産。おとぎ話めいた辺境人の噂より、地元の馬の方が信頼できたのかもしれません。
「さて、話が決まったなら急ぎましょう!」
「気持ちはわかるけどね。もう夜だ。いまから行ったんじゃあかえって危ない」
「…………まあ、はい、そうですね」
「歯を磨いて、お風呂も入らないと。お風呂あります?」
「共用のがあるよ。神官が浸かってるから好きに使うといい」
「ウルウってこういうときまでお風呂なんですね……」
そういうことになりました。
用語解説
・羆蜂(Ursovespo)
ヒグマバチ。蟲獣。六肢の羆。大型の雀蜂。ヒグマとはつくが体長的にはツキノワグマ程度。肉食性寄りの雑食であり、狼や熊まで喰らう。また他種の蜂の巣を襲い、好んで蜂蜜を摂取する。人間を警戒はするが、十分に捕食対象であり、迂闊に接近するべきではない。通常は単独生活をとるが、餌不足などにより個体が減ると、地域で最も大きな個体が女王となり、そのフェロモンにより一時的に群れを形成する。周囲の食物を食いつくしながら行動範囲を広げていき、さらなる餌不足や女王個体の死をきっかけに数年程度で緩やかに崩壊する。
・大熊犬
オオクマイヌ。東部原産の馬。大型の四つ足の犬。犬というより熊のようなサイズである。
性格は賢く大人しく、食性は雑食。北から南まで様々な環境に対応でき、戦闘能力も高い。
丙種魔獣相手に十分に戦え、乙種相手でも相性による。


