異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ

異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ書籍③巻発売中!
書籍ネタバレ感想などは活動報告や作者マシュマロなどにどうぞ。



前回のあらすじ

見回り中のリリオが発見したのは、森から引きずり出された女性だった。
ひどく衰弱した彼女はいったい……?





 なんか、普通に、普通の、デートみたいなことしてしまった。
 普通ってなんだ、とは思うけど、でもああいうのを普通のデートっていうのだと思う。トルンペート風に言うなら逢引だ。いやでも逢引ではなくないか。そういう……なんか、不倫とか、密会みたいな、そういうやつではないはずだ。
 私たちは、一応結婚……しているのだから。まあ、ちゃんと結婚式挙げてないけど、でも祝福はされたし。すること……もしたし。
 いやでもリリオを置いてデートしてるのは、なんかこう、あれか。そういう要素があるのかな……。

 思春期の小娘みたいなことを悶々と考えてしまったけど、こちとら二十六年ものの純潔を初恋で散らしてしまったばかりの二十七歳ぼんくらなのだ。しかたない。これはしかたない煩悶(はんもん)なのだ。

 などともにょもにょしながら養蜂場に帰ってくると、なにやらざわついていた。
 養蜂箱から離れた作業小屋のあたりに人だかりができていて、作業途中らしい防護服を着たひとや、野良仕事の途中で駆けつけてきたような具合の人たちもいる。

 若干ぴりついたような空気に、さすがにとぼけてた私も頭が冷える。
 見下ろせば、トルンペートも真剣な顔で周囲に注意を払っていた。
 養蜂箱は壊れてないし、荒れたような感じもない。血の匂いもしないし、集まった人たちも心配そうではあるけれど、怒ったり慌てたりではなさそう。

 緊急……ではないのかな。でもなにかがあった。

 私たちは人込みをかき分けて進み、その先にリリオの白色を見つけた。
 なにがあったのか尋ねようとさらに進み、

「は?」
「顔、顔」
「顔がなに? ついてるよ?」
「顔がついてなかったら怖いわよ」

 目にした光景に思わず飛び出たかたい声。
 トルンペートがたしなめるように手を引いてくる。別に何もないけど? と反発しそうになるけど、その時点で動揺してる。私は自分の動揺を自覚しなければならない。
 深呼吸、だ。
 息を吸う。息を吐く。息を吸う。息を吐く。意識して、呼吸を、深く、繰り返す。

 人だかりの中心にはリリオがいた。リリオのそばには、ぐったりと椅子にもたれた、色気も減ったくれもないオレンジ色のつなぎを着た女性がいた。
 つなぎのせいで体型はわかりづらいけれど、あまりしっかりした体つきにも見えない。野良仕事してる娘さんにすら負けている可能性がある。
 かといって深窓のご令嬢というわけでもないらしく、肌はまだらに日焼けしてるし、染み・そばかすもたぶん野歩きが多いからだろう。

 リリオはその女性にかいがいしく食事を与えているようだった。
 膝をつき、なにかの煮込みを冷ますように丁寧に息を吹きかけ、ほとんど慈しむような微笑みとともに、匙を差し出す。

「なにこれ?」
「顔、顔」
「ついてるよ」
「見たことない顔がついてるわよ」

 どんな顔だ。

『トロフィーを獲得しました!:緑色の目』

 陽気な幻聴もうっさい。はったおすぞ。

 私は意識して深く息を吐き、顔面をこねくり回した。表情筋がこわばっているのを感じる。
 介護だ、あれは。見知らぬ誰かに対してもリリオは優しい。なんで村のひとじゃなくリリオが甲斐甲斐しくお世話してるのかは知らないけど、でも、まあ、解釈の範囲内だ。そう。うん。
 やけに親しそうに見えるし距離が近いけど、そもそもリリオは誰とでもすぐ仲良くなるし距離が近い傾向にある。それはわかっているはずだ。

 私は自分がわかりやすく嫉妬しているのではないかという荒唐無稽な仮説に行き着いたが、それはまったくばかばかしい論理だった。単に情緒不安定な二十七歳メンタルガタガタ女があまり見ない光景に不安を覚えているに過ぎない。
 自分でもあまり説得力のない説明を心の中で述べ、私は一応心を落ち着ける。

「リリオ」
「あ、ウルウ! トルンペートも!」
「そちらの…………方は?」
「行き倒れさんです!」
「うう、ぱ、パールと言いますぅ……面目ないですぅ……」

 椅子の上でぐったりして、リリオの差しだす匙をもごもごと受け入れる女性は、パールと名乗った。
 そして衰弱しているらしい彼女に変わってリリオが説明してくれたことによれば、パールさんとかいう人はどうにも、空腹で行き倒れていたらしい。

「ハラペコキャラがハラペコキャラの介護してる……」
「失敬な! 私は森の中で空腹になることはそんなにありませんよ!」
「まあ、リリオってなんでも食べるものね」
「私と遭遇したときはだいぶ飢えてたけど……」
「あれは心が参っていたからです!」

 そんな胸を張られても。
 ともあれ、パールさんのへにょへにょと力ない説明と、リリオの勢いはあるけど要領を得ない補足によれば、パールさんは森の中を歩き回っていたらしい。それはもう、食事も忘れてうろついていたらしい。放っておいたらそのままいつまでも歩き回っていただろうけれど、連れの熊がそろそろ戻ろうと引き戻してくれたらしい。連れの熊とは??

「あ、こちらの熊さんたちです」
「こちらの熊さんたちかあ……」

 ひょっこり。
 パールさんの陰から顔を出したのは、三頭の小さな熊? だった。少なくとも彼女たちが主張するところによればそれは熊らしかった。

「熊……………熊、かなあ……?」
「熊、ですぅ……」
「熊らしいですよ」
「小型の熊、かしら。あるいは大型の蜜蜂ともいえるね」
「ごめんちょっと情報量多いからあとで考えるね」

 この熊? に関して私はいったん考えるのをやめた。異世界における常識は、時々地球生まれの平凡な私の常識と衝突(コンフリクト)を引き起こしてしまう。そういうとき考えすぎても疲れるだけだ。
 異常な現実を前に正気を保つためには、まっすぐ見つめてはいけない。半分目をそらしていなければ。
 っていうかリリオとトルンペートもこの種の熊? ははじめて見るっぽいのに順応し過ぎでしょ。多いのかな、こういう事例。
 とりあえず、忘れよう。いったん。わりとかわいいめではある、と思う。そういう雑な認識でいい。

 リリオが食事を与え終えるのと同じくらいに、村長さんがやってきた。
 パールさんの姿を確認するなり、安堵と、なんかこう呆れみたいなのが見えるのは、もしかしたらこういうシチュエーションに慣れっこなのかもしれない。

「おお、パールさん。また行き倒れたのかね。情けない」
「ううぅ、村長さん……面目ないですぅ……」
「腹が減る前に戻ってきなさいといっているのに……」
「気づいたときには手遅れだったんですぅ……」

 本当にいつものことだったみたいだ。
 村長さんはすっかりあきれ顔だけど、それでも見捨てないあたりにひとの良さが伺える。

 村長さんによると、パールさんなる人は、帝都のほうから来た生物学者だという。学問の詳しいことはわからないが、なんでも適度に人が入った里山の生態分布などを調査するために、森の中を日々歩き回っているらしい。フィールドワークというやつかな。

「その割に細いというか……」
「見た目より体力はあるんですぅ…………でもよくご飯食べるの忘れちゃうのでぇ……」

 単純に摂取カロリーが低すぎるのかな。
 研究者は寝食を忘れがちというけど、このひともそういう感じっぽい。身体使うフィールドワーカーがそれはまずいと思うけど、このひといままでよく生きてこれたな。
 いや、生きてこれなかったのか。周りの介護がないと。

 なんともぽやっとして頼りなくて、へにゃりと笑う顔も情けない感じなんだけど、それが妙に庇護欲を誘うのかもしれない。村のみなさんの目もなんだかやさしい。気もする。
 行き倒れ報告ひとつでこれだけのひとが集まってくれるのも、ある種の人徳……になるのかな。
 それにしても、これだけ頼りないひとなのだから、そこまで気にかけてあげるなら森歩きの護衛とか助手とかもつけてあげたほうがいいのでは……村の子どもとか……なんか性癖歪むかな……。
 なんて思ってたら、その護衛というのがちっちゃな熊らしかった。

「私らも最初は心配で心配で、村の若衆やら暇してる爺やら婆やらを付けてたんだがね。なにしろ森にこもると、一週間でも二週間でも平気でこもっちまうから、村のもんもさすがに面倒見切れんでな。様子見ながら、放し飼いみたいなもんだよ」
「放し飼いて」

 それでも心配していたらしいんだけど、ある日のこと。

「いつもみたいにふらっと森に入ったと思ったらね、この蜜熊蜂(ウルソアベロ)たちを連れて戻ってきてね」
「んだんだ。最初は悪さしに来た熊どもに追いかけられてんだと思って俺たちも鍬だの鉈だの持って駆け付けたんだがよ」
「追いかけられるどころか、ハー、ふらふらヨタヨタの腹減り虫が小熊どもに担がれて運ばれてくるんだもんよ。小熊どもも甲斐甲斐しいもんで、蜜だの木の実だの食わせようとしててよ。ついにこん人ァ、熊にまで哀れまれて介護されてんだなァって、一同妙に感心したもんだ」

 飼い慣らしたとか手懐(てなづ)けたとかではなく、あわれまれて面倒見てもらっている、らしい。
 動物に好かれるとかそういうのではないよなあ、これ……動物に育てられた赤ん坊の話とかたまに都市伝説であるけど、あんまりにもどうしようもない生き物を見ると、野生動物も判断が狂うのかなあ……。

「会ったばかりころのウルウもたいがい生活感狂ってましたよね」
「ご飯食べなったわよねえ、放っておくと」
「なんか気分のらない時は、一日中座ってぼうっとしてましたよね」
「それでちょっと出歩いたりするようになったと思ったら、今度は一日中、本読んでたり」
「ご飯できたって言っても生返事で、トルンペートに引きずり出されてましたよね」
「私が悪かったけどあれと同じ扱いされるのは納得いかない」

 まあ、確かにこの世界に来たばかりの私はいろいろとよろしくなかったとは思う。どうしようもない生き物だったと思う。共同生活が頻繁に苦しくなって夜中に抜け出してたりもしてたし。

「えっそれは知らないんですけれど」
「たまにしてたわよ」
「トルンペートに気づかれてたのは私も知らないんだけど」
「気配消して抜け出したつもりだったんだろうけど、それまであったでっかい女の気配が急に消えるのは普通に違和感でかすぎるのよ」
「武装女中こっわ……」

 こうして見ている間も、パールさんとやらはリリオに食事の世話をされ、三頭の小熊たちも器用に靴を脱がせてやったり、村人が寄越してくれたお水を運んだりしている。
 一応自分でもやろうとするけれど、力がうまく入らなくてこぼしたり、してもらったことには一つ一つ感謝の言葉を述べて、へにゃりと情けないけど笑みも絶やさず……なんか、まあ、介護したくなる気持ちもなんとなくわかるような気もする。

 私でさえ、いい年した大人がここまでなにもできないのを見ると、お世話しなければという気持ちがわいてくる。道で倒れた人を見かけたらとりあえず声掛けたほうがいいのかなって迷うのと同じ感じだ。
 そして私でさえそんな気持ちがわいてくるということは、お世話大好き人間であるトルンペートなどはもうふらふらと引き寄せられるようにしてお世話に加わってしまった。すさまじい引力である。

 なんか、みんなしてお世話に参加し始めたし、私も黙って見下ろしてるのもよろしくないよなあ、となんかお手伝いできることを探そうと近寄って、ふと。
 ふと、気づいた。気づいてしまった。

 パールさんのぼさっとした茶髪……手入れしていない髪……そこに見える白っぽい粉のような……そしてまた艶はないけどなんかぺっとりとして脂ぎった髪………。
 特に理由はないけどなんとなーく見つめてみた指先。爪はボロボロで、ぎざぎざで、土やら皮脂やらなんやらわからないもので茶色いのが詰まっていて。

 で、極めつけは、近寄ったときに感じた、湿度にも似た空気の重さ。
 まずぺとっとしたにおい。酸っぱいにおいも。甘ったるいようなにおいもする。スパイシーなにおいも。なにかが腐ったようなにおいも。汗のにおいもそれが酸化したにおいも。鼻孔にこびりつくような重さのあるにおい。鼻だけでなく、目にくるにおい。
 ええ……この人たちこれを突破してお世話してるの……?

「えー……パールさん」
「はいぃ……なんですぅ……?」
「最後に……」

 とろんとした目が見上げてくる。その眼もとに目やに。目じりからも乾いたそれがぽろぽろ落ちる。肌もがさついているうえに、皮脂でてかってる。
 口を開いて声を出すと、空気にのってただよってくるものがある。あまり女性に向けたくはない類いの文言が浮かんでくる。私は内心の言葉さえ慎重に制限する。柔らかめに言って、内臓腐った?

「最後にお風呂に入ったのはいつ?」
「おふろ……」
「水浴びとか、顔洗ったのでも……あと歯を磨いたのも……」

 ぽややんとした顔で、ぽややんと虚空になにかを見つめるように視線をさまよわせ、それからなんかぽややんと指折り数え始めたので、私の中のなんかが耐えきれずぽっきりいった。
 むり。平均的農村のみなさまの平均的な汚れ具合を超過した腐れ具合に、私の中の遠慮とか常識とかはグッバイした。

「リリオ、トルンペート」
「えっ、あっ、はい」
「な、なによ」
「お風呂を沸かします」

 宣言。そして実行。
 場所を選ぶ精神的余裕さえなく、私はこの地に風呂を構築することを決定した。
 ただちに、遅滞なく。
 洗っていない犬のにおいがする女は、これ以上いらない。





用語解説

・生物学者
 非常におおざっぱなくくりであり、実際にはこの下にもっと詳細な区分がある。
 パール女史の場合は生態学や動物行動学などが専門と思われるが、学者・研究者はしばしば複数の分野にまたがることもあり、正確な説明を諦めて代表的な言葉を用いることがある。