異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ書籍③巻発売中!
書籍ネタバレ感想などは活動報告や作者マシュマロなどにどうぞ。
前回のあらすじ
デート回。
「なんかすごーくいいところを見逃した気がします……!」
ウルウとトルンペートを見送った私は、養蜂場の見張りについていました。
白飛竜革の鎧を着こみ、腰には大具足裾払の甲殻を削りだした剣を佩き、そして頭には鍔広帽子に網を垂らした蜂避け。うーん、ちょっと格好悪いかもです。
いつ来るかもわからない、そもそも確実に来るわけでもない熊を警戒して見張るお仕事。
そう……わりと暇で退屈なお仕事です。
冒険屋にもいろんな人がいて、こういう一見して何もすることがなくて暇なお仕事が平気な人もいれば、苦手な人もいます。一日中椅子に座ってじっと集中を絶やさない人もいれば、ほんの数分じっとしていることにだって耐えられないというせっかちさんもいます。
この辺りはもう、本人の気質としか言えないもので、自分に合わない仕事を無理に請けるべきではないということでもありますね。
商店とかの夜間見張りとかは、まあ座って本読んでても最低限どうにかなる感じはありますけれど。侵入経路が限られている倉庫や金庫室の前に陣取る場合は、暇つぶしの手段をどうするかが大事になりますからね。
もちろん、暇で退屈といっても、実際には「いつか」がきた瞬間にすみやかに対応できなくてはならないわけであり、さぼりながら適当にやっていていい、というものではないんですけれど。
かといってずっと集中しっぱなし、気を張りっぱなしで一日もつわけではありません。
ネクターロ村の養蜂場見張りの場合。
村側としてはもう被害が出るのは仕方ないものとして織り込み済みです。
もちろん熊が下りてこないのがいちばんですけれど、水際ならぬ森際で追い払うのはほとんど不可能です。養蜂場は広く森に面しているため、すべてを同時に対応することはできないからです。一応柵はあるものの、熊なら簡単に超えられる程度でしかありません。
ならもっと頑丈な柵を用意する……となると労力も資材も必要となりますし、村人の森への出入りが大変になります。
ウルウは、「熊が増えてるのに森に入るの?」と言っていましたが、実に都会のひとの考え方という感じですね。木の実や茸、山菜、また野兎や野鳥といった食料以外にも、薪を拾ったり家畜のえさをやったりと、このような村において、森の恵みなくして生活は回らないのです。
そんなわけですので、冒険屋、つまり私たちに期待しているのは、実際に熊が出た後に、どれだけ迅速にこれを追い払えるかということです。
熊が出没したら、物見櫓から見下ろしている若衆や、養蜂場で働いている村人が、警鐘を鳴らすなり大声で叫ぶなりします。そこで私たちが全速力で駆けつけて熊をどうにかする、というのが今回の依頼の大まかなやり方です。
私が自分の脚で走ってもいいのですけれど、さすがに限度がありますので、許可を取ってボイちゃんの背に乗って柵沿いに行ったり来たりしながら見張りを行います。
ボイの脚ならすぐに駆け付けられますし、大熊犬の巨体なら熊相手にもひるみません。
また、養蜂場には蜜蜂が多くいますけれど、ボイの毛皮は分厚く、刺されてもどうということもありませんからね。それに毛色も明るい飴色で、落ち着いてゆっくり歩いてくれるので、蜜蜂をあまり警戒させません。
ボイの背の上から森を窺ってみますと、木々は適度に開け、地面もしっかりとして歩きやすいように見えます。私たちがしばしば無計画に突っ込むような森ではなく、人里の一部としての森ですね。
というより、だいたい見える範囲の木は全て針槐で、養蜂場のために全面植林されたらしいですね。人工林です。
針槐は見た目もよくて観光客も喜びますし、蜜源として優秀。生育も早いので木材や燃料としても利用しているそうです。
でも大きくならないので建築材などには向きません。食用としては微妙で、花は揚げたり漬けたりと食べられるそうなんですけれど、他は基本的に有毒。豆の仲間なのか鞘付きの実をつけるんですけれど、これも食べられません。
なので蜜蜂たちが楽に均一に蜜を集められる一方で、村人はわざわざ奥まで分け入って薪拾いとかするそうです。蜜蜂優先なんですね……まあ村の主要財源ですから、ある程度は仕方ないのでしょう。
見回りをしている間も、何人かの村人が大きな籠を背負ったりして、柵をひょいと乗り越えて森に向かう姿が見えました。
がらんがらんと大きな音を立てる熊鈴を下げていますが、ひと慣れした熊の場合、どこまで通用するか……まあ、旅の冒険屋に過ぎない私があれこれ口出しできるものでもありません。危険を承知で、かれらは日々の生活のために森に行かなければならないのです。
さて、反対側、村のほうを見てみれば、そこには養蜂箱がずらりと並んでいます。
品質の安定のため、《白の森》銘柄として売る蜂蜜をあつめる養蜂箱はみんなここに並べられているそうです。
熊が増える前は、あの針槐の木々の中にも養蜂箱が並べられ、蜜蜂がぶんぶん行きかっていたそうです。防護服を着たまま森に入るのはやはり大変なようで、実は今の方が仕事はしやすいんだよね、とおじさんが苦笑いしていました。
暑いし蒸れるし、視界は制限される防護服のままでは、いくら慣れていても森の中は大変でしょう。私もさすがにその状態で動き回れるか自信はありません。
見回りをする私のそばを蜜蜂が何度も行きかいますし、時々は体に止まってしばらくなにかを探すようにもそもそ動いたりもします。
ボイの毛並みの上にも時々止まるので、刺されはしないし、刺されても大したことはないとはいえ、微妙にくすぐったいのか時々身震いしていますね。
戯れに伸ばしてみた指先に一頭の蜜蜂が止まりましたので少し眺めてみましたけれど、こうして刺される心配もなく観察してみると、なんだかかわいく見えてきます。
ウルウは虫が苦手なので羽音がするだけでびくりとしますけれど、蜜蜂のこの愛くるしさと言ったらどうです。大きな目に、ふわふわの毛。細い足でちまちまと歩いて、薄く透き通った羽でプインと飛んで。体つきで言えば蠅と大差ないはずなのですけれど、蠅には感じない愛くるしさがあります。
まあ、これは私が虫に慣れていて、怖がらないからそう思えるだけであって、たぶんウルウが実物を見ながらこのような講釈を耳にしたところで頷けはしないことでしょう。
せっかくなので私はボイの毛並みに止まった蜜蜂を、近くですくしょしておきます。飴色の毛並みに埋もれる蜜蜂、かわいいと思うんですよ。
私がそんな風にちょっと戯れている間もボイは休まず歩き、蜜蜂たちもせわしなく森と養蜂箱を行き来しています。
常に羽音が響いていて、それが時に大きくなったり、小さくなったり、高くなったり、低くなったり、なんだか波のようです。
どこを見ても常に視界に蜜蜂が入るので、十分以上に養蜂場は稼働できているのでは……と思ったのですけれど、これでもだいぶ活動が鈍っているようです。
蜜蜂たちは針槐の花を求めて森に入りますけれど、なにを警戒してか森の奥までは行きたがらず、結果としてあまり蜜が集まらないようです。
蜜蜂たち自体の病気とか体調不良とかも考えたそうですけれど、森に行きたがらないだけで、村の畑など、少し遠くても花があるところには平気で飛んでいくようです。
そうした蜜が多く混じると針槐主体の《白の森》銘柄とは呼べず、お安い百花蜜というあつかいになってしまうので、養蜂家のみなさんも困っているとか。
蜜蜂には蜜を集めるというわかりやすい働きだけでなく、受粉を助けるという目立たない、しかしとても大切な働きがあるので、そちらはそちらで別に百花蜜用の養蜂箱が畑の近くにあるようですね。
畑を耕したことのない都会のひとにはピンとこない話かもしれませんけれど、実は農作物というものは種をまけば勝手に育って実を付けるようなものではありません。まあ農耕神にたくさん供物を捧げればそういうのもできますけれど、当然割に合いません。土地も狂いやすくなります。
人間の手でどうにかなる範囲は人間の手でやるしかないのです。
大雑把に言いますと、まず土を耕し、種をまき、芽が出て、茎をのばして葉を広げ、蕾がついて花が咲き、ここ。ここです。いろいろと必要な作業とか何やらを飛ばしましたけれど、花が咲いたら、受粉させないといけません。
植物というものは動物と違って自分では動くことができません。まぐわうことができないので、このままでは子孫を残せません。そこで花を持つ植物は、この花でまぐわいます。おしべの花粉がめしべにたどり着くことでようやく実になるのです。
風に任せるものもありますけれど、多くは動物に頼ります。動けないので、動けるものに頼るんですね。そのために花は目立つ美しい姿で咲き誇り、甘い蜜で誘って花粉に触れさせ、次の花に届けてもらうのです。
こうした受粉の媒介者には蝶や蛾、蠅や蟻などといった虫の例もありますけれど、多くは蜜蜂が助けてくれています。南方だと鳥や蝙蝠なども花の蜜を吸いに来るので、助けになるとか。
そういう媒介者がいないときは農家さんがおしべ切り取って自力で受粉させるという涙ぐましい努力もいるとか。
……こういう蘊蓄はウルウがいるときに話したいのですけれど、なかなかうまくいきませんね。まあでもウルウはウルウで物知りな時もあるので、もしかしたら知っていたかもしれません。
ウルウって知識に偏りがあるというか、妙なことは知っているのに、当たり前のことを知らなかったりしますからね。
「蜜蜂が花粉を媒介してくれることは知ってても、その蜜蜂を騙して蜜を奪う蜂の巣騙しとかは知らなさそうですよね」
別名をミツガセバナといい、この方がみなさんもご存じかもしれませんね。ほら、こんなところに蜂の巣ができたのかな、と警戒してみたら実はミツガセバナだったってやつです。見つけたら蜜吸ったりしますよね。
実は辺境にも咲いているんですよ。辺境のは内地のとはけっこう違う感じなんですけれど、狙う蜂が蜜蜂ではなく花蜂の仲間だからでしょうね。
普通はそういう、野の花のほうがまだ知っているもので、受粉という植物の不思議なやりとりなんて、実際に植物に触れる専門家や学者さんでもないとよく知らないところです。私も領地の視察についていったときに教わったので知っているだけです。
まあ都会育ちならどちらも知らないかもですけれど。
せっかくですからそういうのでウルウを驚かせてあげたいんですけれど、なかなか、難しいんですよねえ。私にとってのあたりまえがウルウにとって不思議なものであったりするので、ついつい見落としてしまうんですよ。
おっととと。
こんなふうに気もそぞろでは、熊が出ても見落としてしまうかもしれません。
私は気を取り直してぐるりを見渡し、ちらと視界になにか色が見えたような気がして、もう一度頭を巡らせます。
見えた。
気のせいではありませんでした。
鮮やかな橙色が森の中に見えます。
ボイもそれに気づいたようで、鼻を鳴らしてにおいをしきりに嗅ぎながら、そちらへと歩みを進めます。
あのような鮮やかな色は、針槐ばかりの《白の森》にはない色です。かといって動物の色というにも違和感が。南国の鳥などはああいう色をするとも聞きますけれど。
もちろん、熊にあのような色のものは…………私の知る限りではいなかったと思います。
なにものか。
判断がつかないまま、一応警戒のために剣の柄に手をかけたまま急げば、それは、その橙色は。
「…………ひと?」
ひと。それも、人族でしょうか。手足は合わせて四本。飾り羽もなし。尾もなし。
鮮やかな橙色は、その人物が着こんだつなぎのような服の色のようでした。随分派手で目立つ色なのに、装飾などはなく、飾り気のない作業服のようなものでした。
その橙色のつなぎを着たひとが、なにやら妙な体勢でうごうごとうごめいている……違う。
「おや、なにかが……熊? のような……?」
咄嗟に剣を掴んでボイから降りましたけれど、妙な人物の陰から顔を出したのは、まるで大き目のぬいぐるみといった風情の、小さな毛むくじゃらの生き物でした。鮮やかな黄色と黒の体毛をした、小さな熊のような生き物。それが何頭かで協力して、この橙色のつなぎの人物を抱えて運んできた様子でした。
「み゙」
「思ったより渋めの鳴き声」
「み゙、み゙、み゙」
「み゙ーみ゙」
「ま゙ー」
私に気づいたらしい小熊? は、見た目の愛らしさに似合わない低めの渋い声でこちらに鳴きかけてきます。たぶん、もともと鳴き声で交流するような生き物ではないのでしょうね。
私が黙って見ていると、小熊たちは橙色のつなぎの人物をおろして、私のほうに差しだしてきました。差し出したというか、転がしたというか。
小熊たちが大人しくしているのを確認し、念のためボイに目配せしながらつなぎの人物を検めます。
もさもさぼさぼさとしてぜんぜん櫛を入れた様子もなく、べたっと脂っぽい茶髪。目立つ橙色のつなぎは土で汚れ、襟ぐりや袖は皮脂でも汚れているように見えます。靴や作業手袋もあますところなく汚れていて、転げまわったり四つ足で這い回りでもしなければこうも全身まんべんなく汚れないだろうというほどに薄汚れていました。
そしてその薄汚れた姿の人物の顔を検めてみますと、まだらに日焼けして、目元鼻元に染みとそばかす。化粧気はありませんが、人族女性とみてよいでしょう。年頃はなんとも判断しづらいですね……子供っぽいようなあどけなさも感じますけれど、十代ではないでしょう。二十代……三十まではいかないくらいでしょうか。東部人っぽい顔立ちではありませんね……どちらかというと帝都系の感じかもしれません。なんとなくですけれど。一応、首筋に指を当てて脈を確かめ、鼻に手をやって呼吸を確かめてみますと、特に問題はなさそうです。気を失っている……というよりは眠ってしまっているように思えます。疲労か、衰弱か……森歩きの最中で力尽きて、小熊たちに運んでもらったのでしょうか。そもそもこの小熊たちは何なのか……。猛獣遣いなどといった力強さや指揮力を必要とする技能を持っているようには見えません。もっと頼りないというか、何事も危ういようなそんな気さえします。体つきも、つなぎではっきりとは見て取れませんけれど、骨格からして骨太とはいえなさそうですし、肉置きもあまりよろしくなさそうです。脂肪も筋肉も。動物を従えるというよりはむしろ、あまりにも見ていられなくなった動物にさえ保護されそうな。
「…………? ……なにか…………?」
ボイが一声吼えたので、私は頭をひとつふり、つなぎの人物をあらためて見下ろします。くったりと脱力しきって、意識が戻る兆候はありません。呼吸も安定しているのですぐすぐの危険はなさそうですけれど、放置していい、ということにはならないでしょう。
「とにかく、これは助けなければならないでしょう」
ボイの背に乗せるために、つなぎの人物を抱き上げます。
薄汚れたつなぎからは土のにおいに、苔のにおい……それにどこか、甘い香りがした。
ような気がしました。
用語解説
・すくしょ
ウルウはこのときまだスクリーンショットを確認できることに気づいておらず、リリオたちパーティメンバーのスクショが記録されることも知らない。かわいい自撮りに身もだえすると同時に、リリオの「かわいいもの」セレクションに悲鳴を上げる瞬間は遠くないかもしれない。
・蜂の巣騙し(Falsa abelujo)
ハチノスダマシ。民間ではミツガセバナ(貢がせ花)とも。
蜂の巣に似た構造の花から疑似フェロモンを発し、蜜蜂はこの花を巣と勘違いして貯蜜してしまう。ハチノスダマシは自ら蜜を作ることはなく、だまし取った蜜を餌に多くの昆虫を誘い受粉に利用する。また果実も蜂の巣に似ており、熊などの蜂の巣を狙う動物に食べさせ、種子散布に利用する。
辺境ではハナバチを対象とするためか、地表近くに咲く。
書籍ネタバレ感想などは活動報告や作者マシュマロなどにどうぞ。
前回のあらすじ
デート回。
「なんかすごーくいいところを見逃した気がします……!」
ウルウとトルンペートを見送った私は、養蜂場の見張りについていました。
白飛竜革の鎧を着こみ、腰には大具足裾払の甲殻を削りだした剣を佩き、そして頭には鍔広帽子に網を垂らした蜂避け。うーん、ちょっと格好悪いかもです。
いつ来るかもわからない、そもそも確実に来るわけでもない熊を警戒して見張るお仕事。
そう……わりと暇で退屈なお仕事です。
冒険屋にもいろんな人がいて、こういう一見して何もすることがなくて暇なお仕事が平気な人もいれば、苦手な人もいます。一日中椅子に座ってじっと集中を絶やさない人もいれば、ほんの数分じっとしていることにだって耐えられないというせっかちさんもいます。
この辺りはもう、本人の気質としか言えないもので、自分に合わない仕事を無理に請けるべきではないということでもありますね。
商店とかの夜間見張りとかは、まあ座って本読んでても最低限どうにかなる感じはありますけれど。侵入経路が限られている倉庫や金庫室の前に陣取る場合は、暇つぶしの手段をどうするかが大事になりますからね。
もちろん、暇で退屈といっても、実際には「いつか」がきた瞬間にすみやかに対応できなくてはならないわけであり、さぼりながら適当にやっていていい、というものではないんですけれど。
かといってずっと集中しっぱなし、気を張りっぱなしで一日もつわけではありません。
ネクターロ村の養蜂場見張りの場合。
村側としてはもう被害が出るのは仕方ないものとして織り込み済みです。
もちろん熊が下りてこないのがいちばんですけれど、水際ならぬ森際で追い払うのはほとんど不可能です。養蜂場は広く森に面しているため、すべてを同時に対応することはできないからです。一応柵はあるものの、熊なら簡単に超えられる程度でしかありません。
ならもっと頑丈な柵を用意する……となると労力も資材も必要となりますし、村人の森への出入りが大変になります。
ウルウは、「熊が増えてるのに森に入るの?」と言っていましたが、実に都会のひとの考え方という感じですね。木の実や茸、山菜、また野兎や野鳥といった食料以外にも、薪を拾ったり家畜のえさをやったりと、このような村において、森の恵みなくして生活は回らないのです。
そんなわけですので、冒険屋、つまり私たちに期待しているのは、実際に熊が出た後に、どれだけ迅速にこれを追い払えるかということです。
熊が出没したら、物見櫓から見下ろしている若衆や、養蜂場で働いている村人が、警鐘を鳴らすなり大声で叫ぶなりします。そこで私たちが全速力で駆けつけて熊をどうにかする、というのが今回の依頼の大まかなやり方です。
私が自分の脚で走ってもいいのですけれど、さすがに限度がありますので、許可を取ってボイちゃんの背に乗って柵沿いに行ったり来たりしながら見張りを行います。
ボイの脚ならすぐに駆け付けられますし、大熊犬の巨体なら熊相手にもひるみません。
また、養蜂場には蜜蜂が多くいますけれど、ボイの毛皮は分厚く、刺されてもどうということもありませんからね。それに毛色も明るい飴色で、落ち着いてゆっくり歩いてくれるので、蜜蜂をあまり警戒させません。
ボイの背の上から森を窺ってみますと、木々は適度に開け、地面もしっかりとして歩きやすいように見えます。私たちがしばしば無計画に突っ込むような森ではなく、人里の一部としての森ですね。
というより、だいたい見える範囲の木は全て針槐で、養蜂場のために全面植林されたらしいですね。人工林です。
針槐は見た目もよくて観光客も喜びますし、蜜源として優秀。生育も早いので木材や燃料としても利用しているそうです。
でも大きくならないので建築材などには向きません。食用としては微妙で、花は揚げたり漬けたりと食べられるそうなんですけれど、他は基本的に有毒。豆の仲間なのか鞘付きの実をつけるんですけれど、これも食べられません。
なので蜜蜂たちが楽に均一に蜜を集められる一方で、村人はわざわざ奥まで分け入って薪拾いとかするそうです。蜜蜂優先なんですね……まあ村の主要財源ですから、ある程度は仕方ないのでしょう。
見回りをしている間も、何人かの村人が大きな籠を背負ったりして、柵をひょいと乗り越えて森に向かう姿が見えました。
がらんがらんと大きな音を立てる熊鈴を下げていますが、ひと慣れした熊の場合、どこまで通用するか……まあ、旅の冒険屋に過ぎない私があれこれ口出しできるものでもありません。危険を承知で、かれらは日々の生活のために森に行かなければならないのです。
さて、反対側、村のほうを見てみれば、そこには養蜂箱がずらりと並んでいます。
品質の安定のため、《白の森》銘柄として売る蜂蜜をあつめる養蜂箱はみんなここに並べられているそうです。
熊が増える前は、あの針槐の木々の中にも養蜂箱が並べられ、蜜蜂がぶんぶん行きかっていたそうです。防護服を着たまま森に入るのはやはり大変なようで、実は今の方が仕事はしやすいんだよね、とおじさんが苦笑いしていました。
暑いし蒸れるし、視界は制限される防護服のままでは、いくら慣れていても森の中は大変でしょう。私もさすがにその状態で動き回れるか自信はありません。
見回りをする私のそばを蜜蜂が何度も行きかいますし、時々は体に止まってしばらくなにかを探すようにもそもそ動いたりもします。
ボイの毛並みの上にも時々止まるので、刺されはしないし、刺されても大したことはないとはいえ、微妙にくすぐったいのか時々身震いしていますね。
戯れに伸ばしてみた指先に一頭の蜜蜂が止まりましたので少し眺めてみましたけれど、こうして刺される心配もなく観察してみると、なんだかかわいく見えてきます。
ウルウは虫が苦手なので羽音がするだけでびくりとしますけれど、蜜蜂のこの愛くるしさと言ったらどうです。大きな目に、ふわふわの毛。細い足でちまちまと歩いて、薄く透き通った羽でプインと飛んで。体つきで言えば蠅と大差ないはずなのですけれど、蠅には感じない愛くるしさがあります。
まあ、これは私が虫に慣れていて、怖がらないからそう思えるだけであって、たぶんウルウが実物を見ながらこのような講釈を耳にしたところで頷けはしないことでしょう。
せっかくなので私はボイの毛並みに止まった蜜蜂を、近くですくしょしておきます。飴色の毛並みに埋もれる蜜蜂、かわいいと思うんですよ。
私がそんな風にちょっと戯れている間もボイは休まず歩き、蜜蜂たちもせわしなく森と養蜂箱を行き来しています。
常に羽音が響いていて、それが時に大きくなったり、小さくなったり、高くなったり、低くなったり、なんだか波のようです。
どこを見ても常に視界に蜜蜂が入るので、十分以上に養蜂場は稼働できているのでは……と思ったのですけれど、これでもだいぶ活動が鈍っているようです。
蜜蜂たちは針槐の花を求めて森に入りますけれど、なにを警戒してか森の奥までは行きたがらず、結果としてあまり蜜が集まらないようです。
蜜蜂たち自体の病気とか体調不良とかも考えたそうですけれど、森に行きたがらないだけで、村の畑など、少し遠くても花があるところには平気で飛んでいくようです。
そうした蜜が多く混じると針槐主体の《白の森》銘柄とは呼べず、お安い百花蜜というあつかいになってしまうので、養蜂家のみなさんも困っているとか。
蜜蜂には蜜を集めるというわかりやすい働きだけでなく、受粉を助けるという目立たない、しかしとても大切な働きがあるので、そちらはそちらで別に百花蜜用の養蜂箱が畑の近くにあるようですね。
畑を耕したことのない都会のひとにはピンとこない話かもしれませんけれど、実は農作物というものは種をまけば勝手に育って実を付けるようなものではありません。まあ農耕神にたくさん供物を捧げればそういうのもできますけれど、当然割に合いません。土地も狂いやすくなります。
人間の手でどうにかなる範囲は人間の手でやるしかないのです。
大雑把に言いますと、まず土を耕し、種をまき、芽が出て、茎をのばして葉を広げ、蕾がついて花が咲き、ここ。ここです。いろいろと必要な作業とか何やらを飛ばしましたけれど、花が咲いたら、受粉させないといけません。
植物というものは動物と違って自分では動くことができません。まぐわうことができないので、このままでは子孫を残せません。そこで花を持つ植物は、この花でまぐわいます。おしべの花粉がめしべにたどり着くことでようやく実になるのです。
風に任せるものもありますけれど、多くは動物に頼ります。動けないので、動けるものに頼るんですね。そのために花は目立つ美しい姿で咲き誇り、甘い蜜で誘って花粉に触れさせ、次の花に届けてもらうのです。
こうした受粉の媒介者には蝶や蛾、蠅や蟻などといった虫の例もありますけれど、多くは蜜蜂が助けてくれています。南方だと鳥や蝙蝠なども花の蜜を吸いに来るので、助けになるとか。
そういう媒介者がいないときは農家さんがおしべ切り取って自力で受粉させるという涙ぐましい努力もいるとか。
……こういう蘊蓄はウルウがいるときに話したいのですけれど、なかなかうまくいきませんね。まあでもウルウはウルウで物知りな時もあるので、もしかしたら知っていたかもしれません。
ウルウって知識に偏りがあるというか、妙なことは知っているのに、当たり前のことを知らなかったりしますからね。
「蜜蜂が花粉を媒介してくれることは知ってても、その蜜蜂を騙して蜜を奪う蜂の巣騙しとかは知らなさそうですよね」
別名をミツガセバナといい、この方がみなさんもご存じかもしれませんね。ほら、こんなところに蜂の巣ができたのかな、と警戒してみたら実はミツガセバナだったってやつです。見つけたら蜜吸ったりしますよね。
実は辺境にも咲いているんですよ。辺境のは内地のとはけっこう違う感じなんですけれど、狙う蜂が蜜蜂ではなく花蜂の仲間だからでしょうね。
普通はそういう、野の花のほうがまだ知っているもので、受粉という植物の不思議なやりとりなんて、実際に植物に触れる専門家や学者さんでもないとよく知らないところです。私も領地の視察についていったときに教わったので知っているだけです。
まあ都会育ちならどちらも知らないかもですけれど。
せっかくですからそういうのでウルウを驚かせてあげたいんですけれど、なかなか、難しいんですよねえ。私にとってのあたりまえがウルウにとって不思議なものであったりするので、ついつい見落としてしまうんですよ。
おっととと。
こんなふうに気もそぞろでは、熊が出ても見落としてしまうかもしれません。
私は気を取り直してぐるりを見渡し、ちらと視界になにか色が見えたような気がして、もう一度頭を巡らせます。
見えた。
気のせいではありませんでした。
鮮やかな橙色が森の中に見えます。
ボイもそれに気づいたようで、鼻を鳴らしてにおいをしきりに嗅ぎながら、そちらへと歩みを進めます。
あのような鮮やかな色は、針槐ばかりの《白の森》にはない色です。かといって動物の色というにも違和感が。南国の鳥などはああいう色をするとも聞きますけれど。
もちろん、熊にあのような色のものは…………私の知る限りではいなかったと思います。
なにものか。
判断がつかないまま、一応警戒のために剣の柄に手をかけたまま急げば、それは、その橙色は。
「…………ひと?」
ひと。それも、人族でしょうか。手足は合わせて四本。飾り羽もなし。尾もなし。
鮮やかな橙色は、その人物が着こんだつなぎのような服の色のようでした。随分派手で目立つ色なのに、装飾などはなく、飾り気のない作業服のようなものでした。
その橙色のつなぎを着たひとが、なにやら妙な体勢でうごうごとうごめいている……違う。
「おや、なにかが……熊? のような……?」
咄嗟に剣を掴んでボイから降りましたけれど、妙な人物の陰から顔を出したのは、まるで大き目のぬいぐるみといった風情の、小さな毛むくじゃらの生き物でした。鮮やかな黄色と黒の体毛をした、小さな熊のような生き物。それが何頭かで協力して、この橙色のつなぎの人物を抱えて運んできた様子でした。
「み゙」
「思ったより渋めの鳴き声」
「み゙、み゙、み゙」
「み゙ーみ゙」
「ま゙ー」
私に気づいたらしい小熊? は、見た目の愛らしさに似合わない低めの渋い声でこちらに鳴きかけてきます。たぶん、もともと鳴き声で交流するような生き物ではないのでしょうね。
私が黙って見ていると、小熊たちは橙色のつなぎの人物をおろして、私のほうに差しだしてきました。差し出したというか、転がしたというか。
小熊たちが大人しくしているのを確認し、念のためボイに目配せしながらつなぎの人物を検めます。
もさもさぼさぼさとしてぜんぜん櫛を入れた様子もなく、べたっと脂っぽい茶髪。目立つ橙色のつなぎは土で汚れ、襟ぐりや袖は皮脂でも汚れているように見えます。靴や作業手袋もあますところなく汚れていて、転げまわったり四つ足で這い回りでもしなければこうも全身まんべんなく汚れないだろうというほどに薄汚れていました。
そしてその薄汚れた姿の人物の顔を検めてみますと、まだらに日焼けして、目元鼻元に染みとそばかす。化粧気はありませんが、人族女性とみてよいでしょう。年頃はなんとも判断しづらいですね……子供っぽいようなあどけなさも感じますけれど、十代ではないでしょう。二十代……三十まではいかないくらいでしょうか。東部人っぽい顔立ちではありませんね……どちらかというと帝都系の感じかもしれません。なんとなくですけれど。一応、首筋に指を当てて脈を確かめ、鼻に手をやって呼吸を確かめてみますと、特に問題はなさそうです。気を失っている……というよりは眠ってしまっているように思えます。疲労か、衰弱か……森歩きの最中で力尽きて、小熊たちに運んでもらったのでしょうか。そもそもこの小熊たちは何なのか……。猛獣遣いなどといった力強さや指揮力を必要とする技能を持っているようには見えません。もっと頼りないというか、何事も危ういようなそんな気さえします。体つきも、つなぎではっきりとは見て取れませんけれど、骨格からして骨太とはいえなさそうですし、肉置きもあまりよろしくなさそうです。脂肪も筋肉も。動物を従えるというよりはむしろ、あまりにも見ていられなくなった動物にさえ保護されそうな。
「…………? ……なにか…………?」
ボイが一声吼えたので、私は頭をひとつふり、つなぎの人物をあらためて見下ろします。くったりと脱力しきって、意識が戻る兆候はありません。呼吸も安定しているのですぐすぐの危険はなさそうですけれど、放置していい、ということにはならないでしょう。
「とにかく、これは助けなければならないでしょう」
ボイの背に乗せるために、つなぎの人物を抱き上げます。
薄汚れたつなぎからは土のにおいに、苔のにおい……それにどこか、甘い香りがした。
ような気がしました。
用語解説
・すくしょ
ウルウはこのときまだスクリーンショットを確認できることに気づいておらず、リリオたちパーティメンバーのスクショが記録されることも知らない。かわいい自撮りに身もだえすると同時に、リリオの「かわいいもの」セレクションに悲鳴を上げる瞬間は遠くないかもしれない。
・蜂の巣騙し(Falsa abelujo)
ハチノスダマシ。民間ではミツガセバナ(貢がせ花)とも。
蜂の巣に似た構造の花から疑似フェロモンを発し、蜜蜂はこの花を巣と勘違いして貯蜜してしまう。ハチノスダマシは自ら蜜を作ることはなく、だまし取った蜜を餌に多くの昆虫を誘い受粉に利用する。また果実も蜂の巣に似ており、熊などの蜂の巣を狙う動物に食べさせ、種子散布に利用する。
辺境ではハナバチを対象とするためか、地表近くに咲く。


