異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ書籍③巻発売中!
書籍ネタバレ感想などは活動報告や作者マシュマロなどにどうぞ。
前回のあらすじ
養蜂箱と採蜜の様子を見学させてもらった一行。
《白の森》にはおいしいものがたくさん。
ざっくり養蜂場を見学したところで、あたしたちは本命の観光に出た。
そもそもあたしたちは、観光でこの村に来たんだから。
でも仕事を請けちゃったからには全員で遊びまわるってわけにもいかないし、率先して手を挙げたリリオが養蜂場に残って見張りをして、あたしはウルウと二人で村を回ることにした。
「さあって、観光……もとい視察よ」
「別に言い直さなくてよくない?」
「一応仕事の一環ってことにすれば、経費で落ちそうじゃない」
「その経費を出すのも一党のお財布なんだけどね……」
冒険屋は自営業だものねえ。ま、戯言よ。
メザーガの事務所にいたときは事務所のお財布に頼れたけど、旅をしているときはそうもいかない。
市民税とか固定資産税とかはかからないけど、町に入ればその都度関税がかかるし、橋とか道中の関所でも税金かかるから、どっちにが安いかっていうのは考えない方がこころの健康にいいわね。
高名な蜂蜜の産地である《白の森》を有するネクターロ村は、規模としてはそれほど大きな村じゃない。城壁もなく、村を囲う柵もない。
主要産業は養蜂業だけど、農業や畜産ももちろんしていて、村の自給自足には問題がなさそうね。
養蜂箱は被害が出てるって言うけど、家畜に被害が出たって話は聞かないから、ほんと、森の中とか、そばでだけ熊害が出てるみたいね。
熊はおいしいものを覚えるとそればっかり食べるとも聞くし、それだけ蜂蜜に味を占めたのかしら。まあ、美味しくて満足度も高いものが無防備にあったら、それを放置してまで家畜を襲いにはいかないわよね。
あ、そうそう。
養蜂業で名が知れてお客さんがよく来るから、観光業も立派な収入になっているとか。
村の規模に対して立派な宿とか商店、食堂もあって、厩舎や馬車留めもある。
「あれって普通はないの?」
「そりゃそうよ。普通の村に馬車が何台もしょっちゅう来ると思う?」
「フムン」
あたしたちは観光目的で旅してて、特に名所とかない村には寄らないから忘れがちだけど、本当に普通の村って、なんにもないのよ。
いやまあ、村に必要なものはもちろんあるわよ。でも立ち寄る馬車が行商人くらいしかないような村に、立派な厩舎も馬車留めもいらないじゃない。
このあたりの感覚は、実際にそういう村で過ごしてみないとわかんないわよね。ウルウも思い出の中のいわゆる「普通の村」を思い起こして、そういえばそうだったかもなんて言ってる。
なんだったっけ。「覚えていることと意識していることは別」みたいなこと言ってたわね。景色を寫眞みたいに鮮明に覚えてても、そこに生えてる木の数だとか種類をいちいち数えたり見分けてるわけじゃない、みたいな。
村をちょっと歩いてみると、ちょっと時機を過ぎたとはいえ、まだ針槐の咲く時期だからか、観光客の姿をちらほら見かける。
でも観光地として考えると、ちょっと寂しい感じかもしれない。
わざわざくる、というか来れるくらいだからそこそこお金持ちで時間もあるような人たちなんでしょうけど、それでも商店に並ぶ値札とかを見て顔を引きつらせてるわね。気持ちはよーくわかるわ。
それでも来ちゃったし、お土産用にって買わざるを得ない気持ちもね。
観光って、本人が楽しむのも大事なんだけど、お金持ちとかにとっては、帰ってから土産話をするのも大事な社交なのよ。自分が見識のある人間だって示せるし、見聞を広めるっていう名目で人も集められるし、高級で希少な土産品はそのまま自分の財力や交渉力の証明にもなる。
そしてその土産を誰に渡すか、どう渡すかもその後につながる布石になる。
もとが貧乏旅とかなら高すぎて買えなかったよなんて笑い話も立派な土産になるけど、お金持ちや貴族となるとそういうわけにもいかないから大変ね。
たぶん、もともとの値段だったら箱とかで購入してくれただろうに、さすがに財布のひもが固くなっちゃってて、商品の出が渋いわね。
輸出品の分だけはなんとか確保したって話だったから、もしかしたら輸出品の値段は多少の割増し程度で済んでるかもしれない。そう考えたら、村で買った方が高い、なんてのもあり得るでしょうしね。
「まあ、あたしたちは普通に買うけどね」
「フムン? てっきり渋るかと」
「そりゃ高いわよ。高いけど、観光なのよ。旅先での買い物をケチるのは、旅そのものにケチつけるみたいでイヤじゃない」
「なるほど……じゃあ」
「樽では買わないわよ」
「はい」
ウルウ、普段はあんまり物買わないくせに、気に入ったものがあると樽とか箱で買おうとするのよね……「イチゴイ=チエ」とかいう宗教? 哲学? みたいなやつみたいで。そのときを逃したら二度と手に入らないとかなんとか。
まあ、なんとなくわかるわ。わかるけど箱で買うのはどうかと思う。
結局こいつのクソデカ容量の《自在蔵》に突っ込むんだし、お金も自分で出すんだから、あんまり言わない。
あんまり言わないけど、《自在蔵》に入れっぱなしでたいして使いもしないのは、なんかなあとは思う。石鹸とか水とか温泉の水精晶とか醤油とかは消耗品として大量に使うけど、趣味で買ったものは全然出てこない。買った時点で満足してるのよね、きっと。
売店を覗いて見ると、なにやら人気商品と銘打った一角があった。
売上低下に悩む村人もいろいろ考えて企画しているらしく、実際のこの一角の商品は売れ行きがよかった。見ている間も何組か買っていく。
「……なにこれ?」
「お目が高い! これはいま人気の『飲む蜂蜜』です!」
「確かに瞬間的に流行りそうな名前だ……」
それは大き目の瓶に、少しだけ蜂蜜が入ってる不思議な商品だった。
蜂蜜の量は少なくて、お値段もそれ相応。でもいくらなんでも瓶と中身の量が釣り合ってない。だいたい三分の一か、四分の一くらいしか入ってないのよ。これじゃ瓶がかさばるばっかりで邪魔っけだ。
「だから『飲む蜂蜜』なんですね! ここ、ここに線が入っていますでしょう! この規定の線まで水を注いでいただいて、蜂蜜を溶かして飲む、そういう商品なんですね!」
「フムン……? まあ、安定した味にはなるでしょうけど……」
そんなの、別に蜂蜜をすくって水に溶かすだけでいいんじゃないのって思うんだけど。
あたしが首をかしげていると、瓶の但し書きを丁寧に読んでいた文字中毒のウルウが「アー」と息の漏れるような声を出した。納得の感情を示したり、単に言葉のつなぎに使うウルウ語ね。
「これ、似たようなやつ見たことある。ブドウ……葡萄で」
「なんだってのよ?」
「注意書きがあるんだ。読むね。『開封後、ほこりなどが入らないように気を付け、きれいな水を既定の線まで加えてよく混ぜてお飲みください。一度水を混ぜた後は、すぐに飲まないからと言って再び栓をせず、必ずすぐ飲み切ってください。空気が入らないよう針金等でかたく固定してもいけません。腐敗または発酵の原因となります。甘さに満足がいかなくても、干し葡萄や砂糖を添加しないでください。腐敗または発酵の原因となります。栓をして安定してあたたかい場所に放置しないでください。夏なら一週間、冬なら三週間程度で腐敗または発酵してしまいます』」
「けっこう細かく指定してくるのね」
「この指示を全部破ると蜂蜜酒になる、んだと思うよ」
「えっ」
あたしが思わず店員さんの顔を見ると、いっそ清々しいまでの笑顔で無言を貫く姿が。
あれだけ元気よく売り文句を口にしていたのに、いまはなにも聞こえなくなってしまったかのように虚空を見つめてる。
そっか……沈黙こそが正解、というわけね。
帝国には酒税法って言って、お酒を造るときと売るときに税金がかかるようになっている。
そう、自家製のお酒は、密造酒になるのよ。
まあ、それでも田舎とかで、家で自分が飲む程度をこっそり作るくらいは、いちいち調べ立てて捕まえるっていうのは現実的じゃないから放置されがちだけど……それでも、例えば衛兵がうっかり見つけちゃったらつかまえないといけない程度には、歴とした違法行為だ。
ちらっと蜂蜜酒の棚のほうを見ると、これも蜂蜜不足のあおりを受けてお高い。そしてこっちの『飲む蜂蜜』。瓶の大きさはだいたい同じだ。でもお値段は安い。蜂蜜が高騰しているとしても、酒税と加工費分、こっちのほうがお安い。
蜂蜜単体だと、値上げをせざるを得ない現状では売れ行きがよくない。蜂蜜酒もやっぱり値上がりしてるから、出が悪い。売れたところで、酒税の分、利率はたいしてよくない。
しかし? でも? 酒税のかからないお酒があったら……? お酒になる可能性があるけどお酒ではないものがあれば……?
店側はただ注意書きしただけだ。変なことすると密造酒になってしまいますよと。蜂蜜に水を加えて飲む飲料という構造上、注意書きは極めて自然なこと。店の過失になっちゃうかもしれないのでちゃんと注意しておきましたよ。うちはやっちゃダメってちゃんと言ってるんで。ダメなことをする人なんているわけがないじゃないですか。
ねえ?
店員さんは黙して語らない。
注意書きに書いてあることがすべてであり、そこにはなんの裏も意図もない、知らない、わからない、そういうことなのね。
そして、そういうのを察した人や、純粋に『飲む蜂蜜』だと思った人が買っていくわけか……。
「賢いというかなんというか……」
「しかもこれ、失敗しても文句付けられないやつだしね……」
ウルウは本当に最悪の方向によく気の付く女だ。ウルウの妖精郷ってやっぱり地獄みたいなところなのかしら。謎ね。
蜂蜜酒ってのはもともと、蜂蜜を水で薄めたら勝手に醸されるような、天然自然のうちに発生した最古のお酒のひとつとも言われるお手軽なお酒なのよ。でもお酒ってけっこう条件が厳しくて、蜂蜜酒だってうまくいかないことはある。発酵が進まなかったり、別の菌がはびこって腐っちゃったり。
でもこれはただの蜂蜜飲料手作り瓶でしかないので、うまくいかなくて腐らせてしまったとしても、それは単に注意書きを守らず放置しただけですよね、ちょっとなに言ってるかわかんないですねって言えるわけだ。
ちょっと面白かったのでいくつか購入して、とりあえずウルウに預ける。ウルウの《自在蔵》はいくらでも放り込めるけど、なぜか発酵とかは進まないみたいなので、蜂蜜酒作るときはちょっとやり方考えないといけないわね。
さて、売店をうろついてほかにもいくつか面白そうなものを冷やかしたり買ってみたり。
あたし的に面白かったのは『飲む蜂蜜』とほとんど同じだけど、瓶がすごく高級そうなやつ。実際、《白の森》の高級蜂蜜の瓶らしい。でも中身は少ない。これもおんなじことかと思ったけど注意書きはないし、立派な箱にも詰めてくれる。
つまりこれは、ひと瓶買うとさすがにお高いけど、お土産にして自慢したい人向けなのだ。贈答用には使えないけど、茶会とかでさりげなく見せびらかして使うわけだ。
純粋にお土産としては未開封のほうがいいんだろうけど、そこは「うちではこういう高級品も普段遣いなんですよ」という顔で誤魔化すんだろう。開封済みなら中身が減っててもおかしくないし。
ウルウが気に入ったらしいのは、お安い陶器の壺に入ったお安い蜂蜜だった。別に珍しくもない意匠で、なにか特別な蜂蜜ってわけでもない。
「100エーカーの森で見たやつ……!」
なにがツボにはまったのかわかんないけど、ウルウって謎の完成してるから、しかたないわね。
でも嬉しそうに壺を抱えてるのはとてもかわいい。でっかい女がちっちゃい壺胸元に抱えてる図。なにこれかわいい。あたしの感性もすっかりこいつに壊されちゃった。
あたしはリリオの……大本はウルウのまねをして、指で四角の枠を作ってウルウに向ける。
「ちーず」
「なにそれ?」
「あんたのまねじゃない」
「私、はたからはそう見えるんだ……」
「どう見えてるのよ」
「ちょっと間抜けで、かわいい」
「だいたい合ってるわよ」
あたしかわいい。あんたかわいい。完璧ね。
なんか、すくしょとかいうおまじないらしいわね。たぶん寫眞機の真似みたいな感じなのよね。その瞬間を切り取って思い出に残りやすくするみたいな。
そんなことしなくてもウルウは全部覚えてるらしいけど、それでも特に印象深い時にこういうことをたまにやってる。
リリオと見て回る分も残そう、という程度で切り上げて、あたしたちは村の食堂にも顔を出した。
大きくない村だ。観光客目当ての大きな食堂がひとつあるきりだったけど、蜂蜜を使った料理が何種類も提供されてるみたいだった。
「煮魚、焼き魚、肉料理も……砂糖の代わりに蜂蜜を使ってるって感じみたいだね」
「このお肉なんかは、あんたのテリヤキみたいな感じかもね」
「蜂蜜でやったことはないなあ……」
そんなに目新しい料理はない。もとからある料理に蜂蜜を組み込んだようなやつばっかりだ。でもまあ、蜂蜜を使ったまったく新しい料理を、って言われても、あたしだって思いつかない。
「季節の野菜の蜜蝋煮……これはさすがに想像つかないわね」
「溶かした蜜蝋で、ゆっくり低温加熱したお野菜……に、溶けた乾酪と蜂蜜かけて食べるんだって」
「たぶん、おいしいわよね……?」
「たぶん……?」
蜜蝋を直接調理に使うのって、あんまり想像つかないのよね。お菓子に練りこんだりはなんとなく想像つくけど。
「ああほら、蜂蜜パンとかあるわね。これは普通においしいでしょ」
「はちみつ漬けってあるんだ。無花果、檸檬、あ、くるみとかもある。……お野菜も漬けるの?」
「聞いたことあるわね。大根のはちみつ漬けって喉にいいらしいわよ」
「で、味は?」
「さあ……?」
なんでもかんでも蜂蜜尽くしでもう想像が追い付かないけど、とにかく甘そう。
甘いもの好きとはいえ、ちょっと胸焼けしそう。
持ち帰りできるものもあるみたいだから、リリオへのお土産に適当に見繕って包んでもらうとして。
「あたしたちはなんか食べてきましょうか。ちょっと小腹も空いたし」
「巣蜜薄鍋餅」
「え?」
「巣蜜薄鍋餅あるよ。おじさんが言ってたやつ。『座布団みてえにでっけえ薄鍋餅のふかふかのやつ』」
「……そういえば言ってたわね」
「『蜂蜜はトロッと流れ始めて、蜜蝋も熱でゆるゆるとろける。とろけるけど、すぐに蜜みたいに流れるわけじゃねえ。熱でじんわりあっためられた、ねっちりした歯ごたえを残したゆるやわの甘いのがよ、ここだよ、ここを切り取って、一口にやるのさ』」
「あんたの声で囁かれると別の意味になりそうなんだけど」
「別の意味とは??」
ウルウの耳元囁きごちそうさまでした。
違う。
あたしたちはおじさんの宣伝文句に負けることにした。ウルウは焼き立ての巣蜜薄鍋餅を注文した。あたしは巣蜜格子餅。かりふわのやつ。
蜂蜜不足でお値段はえらいことになってたし、追加でお付けできますよーってすすめられた追い蜂蜜も気軽に頼めない額だったけど、まあ、観光地料金と思って支払おう。ついでに甘茶も頼んで、蜂蜜を垂らしちゃう。
「おお……ふかふかの分厚いタイプだ……こっちであんまり見なかったやつ」
「なんか膨らし粉とか言うのがいるらしいわね。まだあんまり出回ってなくて、お高いのよね」
「巣蜜も……本当にもろというか、蜂の巣まんまだね」
「ほら、あったかいうちに食べちゃいましょうよ」
「そうだね」
この巣蜜というやつは、まったくすさまじい甘さだった。
あたしはこの手のお菓子には乳酪をかけるものだという頭だったけど、巣蜜ってのは脂気と甘さとを一緒に持ってくるようなものだ。甘い脂といってもいい。まだ冷めてるところはねっちりとしていて、とろけたところは蜜のよう。
それが格子餅の格子のくぼみにたまって、しみしみのところとそうでもないところと、食感と味の違いが楽しめる。かりふわ。もちもち。しみしみ。
ウルウもまさしく『座布団みてえに』分厚い巣蜜薄鍋餅をほおばって目を輝かせている。あの目が死んでた痩せぎすの亡霊みたいなデカ女が、すっかり変わったものね。いまは肉置きもよくなって頬の艶も出て、唇を蜜でてからせるでっかい幼女だ。
髪も、ほら、こいつ髪が長いじゃない。きれいで艶も出てきた髪。でもご飯の時には邪魔なわけよ。最初の頃はいちいち邪魔そうに手でよけたり、雑に噛み紐でくくったりしてたんだけどね。リリオがかわいいからってでっかいお花のついた髪飾り買ってきたら、しかたないからって顔しながら、ずっと大事に使ってるのよ。多分あれ子ども用のやつなんだけど。
かわいいなあ。
なんか変な方向に需要出てきそうねえ。
ってなんとなく眺めてたら、こいつ、しかたないなあって半眼で、薄鍋餅キコキコ切り分けるのよ。で、巣蜜をたっぷり絡めて差し出してくるの。
「はい、あーん」
「は????」
「えっ、なんで怒られ……?」
「怒ってないわよ。全然怒ってない」
「ええ……? じゃあ、あーん……?」
「は?? かわいいんだけど??」
「ええ……?」
なんなのかしらねこいつ。
リリオのせいかもしれない。ひとが見てると、欲しがってると思って分けてくるのよ。それはそれとしてあーんさせるのに慣れ切ってるところがもうなんかこう脳のダメなところがダメになってくるのを感じるわ。
こいつはたぶん子どもに食べさせてるようなそんな考えなんでしょうけど、それもうリリオにしつけられてるわよ。そういうのに対する感覚を麻痺させられてきてるわよあんた。出会った頃のあんたはもっと尖ってたでしょ。あーんとかさせようとしたら冷たい目で見てくるようなやつだったでしょ。おなじ食器とか口つけたやつとか露骨に嫌がる女だったでしょいいわよもっとやれ。
ともあれ、あーんしてもらった薄鍋餅はおいしかった。あーんの分を差し引いてもすごく甘くておいしい。ふかふかの分厚い薄鍋餅ってこんなにおいしいのね。あったかくてやわらかくて、上等なパンともまた違う。そこに巣蜜がしみ込んで、得も言われぬ甘さがある。これは、膨らし粉、探して買ってみてもいいかもしれないわね。
で、堪能してたら、なんか手持無沙汰というか、もの言いたげというか、意味もなく薄鍋餅をいじりながら、ちらちら見てくるのよ。かわいいか? かわいいが?
わかってる。わかってるわよ。こいつ、リリオに無意識のうちにしつけられちゃったせいで、お返しを待ってるのよ。
あたしは冷静を装いながら格子餅を切り分け、たっぷり巣蜜をまぶして差し出してやる。
「ほら、あーん」
「あーん」
あーん言うんかい。あざといが過ぎるわよ???
そしてこの構図ってなんかグッとくるわよね。なにがとは言わないけど。
「ワッフルもおいしい……これ焼くやつ買ってもいいかも」
「絶対滅多に使わないじゃないの……まあいいけど」
それにしても、ふたりでぶらついて、甘いもの食べさせ合って。
なんかこう、逢引みたいね。実際逢引といってもいいんでしょうけど。あたしたち婦々なわけで。こいつあたしの嫁なわけで。あたしこいつの嫁なわけで。嫁一人置いてきちゃってるけど。
「そういえば、あんた、またなんかこう妖精郷のおいしいものないの?」
「蜂蜜使ったやつ? あんまり食べてなかったからなあ……ソフトクリーム……氷菓の類いにかけたり」
「フムン。おいしいでしょうね」
「あとは蜂蜜と、柚子とかレモンとか柑橘系合わせた飲み物とか」
「甘すぎずさっぱりした感じになりそうね」
「蜂蜜って栄養豊富だから、疲れも取れるらしくてね。運動の時によく飲んでたかも」
「そういえば蜂蜜って薬とも言われるくらいだものね」
蜂蜜入りの甘茶に、甘すぎるかもって顔してるウルウに、つい悪戯心。
「精力剤にもなるそうね」
「ブフッ」
むせて、赤面。かわいいわね。
実際、栄養たっぷりで、甘いからすぐ力にも変わって。元気は出るわよね。
「なに想像したのよ。むっつりねえ」
「君がね!」
ぷんすかしながらも、なんだか気にしちゃって、巣蜜を口に入れるのを躊躇してるウルウ。
にやにやして見てたら、卓の下で脛を思いっきり蹴られた。ウルウの照れ隠しって殺意に似てるわよね。それはそれとして普通に滅茶苦茶痛い。
「……お、折れてないわよね……」
「そ、そこまで強くは蹴ってない……はず」
「あんたの足の長さはそれだけで凶器なのよ……!」
用語解説
・注意書き
アメリカの悪名高き禁酒法時代、困ったブドウ農園がしかけたかなんとか。
実際のところ本当にあったのか、またこれで捕まらなかったのかなど詳細は不明。
また注意書きに関しては、あまり詳細に書いて実際に試されても困るので、本編では大雑把な表記にとどめてある。絶対に真似しないように。本書は一切の責任を負いかねます。絶対にしないでね。絶対。
・100エーカーの森で見たやつ
諸事情により詳しく申し上げられないがぬいぐるみのあのアレ。
・精力剤
性的能力を高める薬として認知されがちだが、栄養剤、滋養強壮剤と大差ないものが多い。
蜂蜜に性的能力を高めたり性的欲求をもたらす効果がるかは科学的に証明されていないが、栄養失調や食生活のバランスが悪いことにより心身に不調が出ていることはよくあるため、栄養のあるものとってしっかり睡眠をとりあたたかくしておけばある程度「元気」になるのは確かだ。
書籍ネタバレ感想などは活動報告や作者マシュマロなどにどうぞ。
前回のあらすじ
養蜂箱と採蜜の様子を見学させてもらった一行。
《白の森》にはおいしいものがたくさん。
ざっくり養蜂場を見学したところで、あたしたちは本命の観光に出た。
そもそもあたしたちは、観光でこの村に来たんだから。
でも仕事を請けちゃったからには全員で遊びまわるってわけにもいかないし、率先して手を挙げたリリオが養蜂場に残って見張りをして、あたしはウルウと二人で村を回ることにした。
「さあって、観光……もとい視察よ」
「別に言い直さなくてよくない?」
「一応仕事の一環ってことにすれば、経費で落ちそうじゃない」
「その経費を出すのも一党のお財布なんだけどね……」
冒険屋は自営業だものねえ。ま、戯言よ。
メザーガの事務所にいたときは事務所のお財布に頼れたけど、旅をしているときはそうもいかない。
市民税とか固定資産税とかはかからないけど、町に入ればその都度関税がかかるし、橋とか道中の関所でも税金かかるから、どっちにが安いかっていうのは考えない方がこころの健康にいいわね。
高名な蜂蜜の産地である《白の森》を有するネクターロ村は、規模としてはそれほど大きな村じゃない。城壁もなく、村を囲う柵もない。
主要産業は養蜂業だけど、農業や畜産ももちろんしていて、村の自給自足には問題がなさそうね。
養蜂箱は被害が出てるって言うけど、家畜に被害が出たって話は聞かないから、ほんと、森の中とか、そばでだけ熊害が出てるみたいね。
熊はおいしいものを覚えるとそればっかり食べるとも聞くし、それだけ蜂蜜に味を占めたのかしら。まあ、美味しくて満足度も高いものが無防備にあったら、それを放置してまで家畜を襲いにはいかないわよね。
あ、そうそう。
養蜂業で名が知れてお客さんがよく来るから、観光業も立派な収入になっているとか。
村の規模に対して立派な宿とか商店、食堂もあって、厩舎や馬車留めもある。
「あれって普通はないの?」
「そりゃそうよ。普通の村に馬車が何台もしょっちゅう来ると思う?」
「フムン」
あたしたちは観光目的で旅してて、特に名所とかない村には寄らないから忘れがちだけど、本当に普通の村って、なんにもないのよ。
いやまあ、村に必要なものはもちろんあるわよ。でも立ち寄る馬車が行商人くらいしかないような村に、立派な厩舎も馬車留めもいらないじゃない。
このあたりの感覚は、実際にそういう村で過ごしてみないとわかんないわよね。ウルウも思い出の中のいわゆる「普通の村」を思い起こして、そういえばそうだったかもなんて言ってる。
なんだったっけ。「覚えていることと意識していることは別」みたいなこと言ってたわね。景色を寫眞みたいに鮮明に覚えてても、そこに生えてる木の数だとか種類をいちいち数えたり見分けてるわけじゃない、みたいな。
村をちょっと歩いてみると、ちょっと時機を過ぎたとはいえ、まだ針槐の咲く時期だからか、観光客の姿をちらほら見かける。
でも観光地として考えると、ちょっと寂しい感じかもしれない。
わざわざくる、というか来れるくらいだからそこそこお金持ちで時間もあるような人たちなんでしょうけど、それでも商店に並ぶ値札とかを見て顔を引きつらせてるわね。気持ちはよーくわかるわ。
それでも来ちゃったし、お土産用にって買わざるを得ない気持ちもね。
観光って、本人が楽しむのも大事なんだけど、お金持ちとかにとっては、帰ってから土産話をするのも大事な社交なのよ。自分が見識のある人間だって示せるし、見聞を広めるっていう名目で人も集められるし、高級で希少な土産品はそのまま自分の財力や交渉力の証明にもなる。
そしてその土産を誰に渡すか、どう渡すかもその後につながる布石になる。
もとが貧乏旅とかなら高すぎて買えなかったよなんて笑い話も立派な土産になるけど、お金持ちや貴族となるとそういうわけにもいかないから大変ね。
たぶん、もともとの値段だったら箱とかで購入してくれただろうに、さすがに財布のひもが固くなっちゃってて、商品の出が渋いわね。
輸出品の分だけはなんとか確保したって話だったから、もしかしたら輸出品の値段は多少の割増し程度で済んでるかもしれない。そう考えたら、村で買った方が高い、なんてのもあり得るでしょうしね。
「まあ、あたしたちは普通に買うけどね」
「フムン? てっきり渋るかと」
「そりゃ高いわよ。高いけど、観光なのよ。旅先での買い物をケチるのは、旅そのものにケチつけるみたいでイヤじゃない」
「なるほど……じゃあ」
「樽では買わないわよ」
「はい」
ウルウ、普段はあんまり物買わないくせに、気に入ったものがあると樽とか箱で買おうとするのよね……「イチゴイ=チエ」とかいう宗教? 哲学? みたいなやつみたいで。そのときを逃したら二度と手に入らないとかなんとか。
まあ、なんとなくわかるわ。わかるけど箱で買うのはどうかと思う。
結局こいつのクソデカ容量の《自在蔵》に突っ込むんだし、お金も自分で出すんだから、あんまり言わない。
あんまり言わないけど、《自在蔵》に入れっぱなしでたいして使いもしないのは、なんかなあとは思う。石鹸とか水とか温泉の水精晶とか醤油とかは消耗品として大量に使うけど、趣味で買ったものは全然出てこない。買った時点で満足してるのよね、きっと。
売店を覗いて見ると、なにやら人気商品と銘打った一角があった。
売上低下に悩む村人もいろいろ考えて企画しているらしく、実際のこの一角の商品は売れ行きがよかった。見ている間も何組か買っていく。
「……なにこれ?」
「お目が高い! これはいま人気の『飲む蜂蜜』です!」
「確かに瞬間的に流行りそうな名前だ……」
それは大き目の瓶に、少しだけ蜂蜜が入ってる不思議な商品だった。
蜂蜜の量は少なくて、お値段もそれ相応。でもいくらなんでも瓶と中身の量が釣り合ってない。だいたい三分の一か、四分の一くらいしか入ってないのよ。これじゃ瓶がかさばるばっかりで邪魔っけだ。
「だから『飲む蜂蜜』なんですね! ここ、ここに線が入っていますでしょう! この規定の線まで水を注いでいただいて、蜂蜜を溶かして飲む、そういう商品なんですね!」
「フムン……? まあ、安定した味にはなるでしょうけど……」
そんなの、別に蜂蜜をすくって水に溶かすだけでいいんじゃないのって思うんだけど。
あたしが首をかしげていると、瓶の但し書きを丁寧に読んでいた文字中毒のウルウが「アー」と息の漏れるような声を出した。納得の感情を示したり、単に言葉のつなぎに使うウルウ語ね。
「これ、似たようなやつ見たことある。ブドウ……葡萄で」
「なんだってのよ?」
「注意書きがあるんだ。読むね。『開封後、ほこりなどが入らないように気を付け、きれいな水を既定の線まで加えてよく混ぜてお飲みください。一度水を混ぜた後は、すぐに飲まないからと言って再び栓をせず、必ずすぐ飲み切ってください。空気が入らないよう針金等でかたく固定してもいけません。腐敗または発酵の原因となります。甘さに満足がいかなくても、干し葡萄や砂糖を添加しないでください。腐敗または発酵の原因となります。栓をして安定してあたたかい場所に放置しないでください。夏なら一週間、冬なら三週間程度で腐敗または発酵してしまいます』」
「けっこう細かく指定してくるのね」
「この指示を全部破ると蜂蜜酒になる、んだと思うよ」
「えっ」
あたしが思わず店員さんの顔を見ると、いっそ清々しいまでの笑顔で無言を貫く姿が。
あれだけ元気よく売り文句を口にしていたのに、いまはなにも聞こえなくなってしまったかのように虚空を見つめてる。
そっか……沈黙こそが正解、というわけね。
帝国には酒税法って言って、お酒を造るときと売るときに税金がかかるようになっている。
そう、自家製のお酒は、密造酒になるのよ。
まあ、それでも田舎とかで、家で自分が飲む程度をこっそり作るくらいは、いちいち調べ立てて捕まえるっていうのは現実的じゃないから放置されがちだけど……それでも、例えば衛兵がうっかり見つけちゃったらつかまえないといけない程度には、歴とした違法行為だ。
ちらっと蜂蜜酒の棚のほうを見ると、これも蜂蜜不足のあおりを受けてお高い。そしてこっちの『飲む蜂蜜』。瓶の大きさはだいたい同じだ。でもお値段は安い。蜂蜜が高騰しているとしても、酒税と加工費分、こっちのほうがお安い。
蜂蜜単体だと、値上げをせざるを得ない現状では売れ行きがよくない。蜂蜜酒もやっぱり値上がりしてるから、出が悪い。売れたところで、酒税の分、利率はたいしてよくない。
しかし? でも? 酒税のかからないお酒があったら……? お酒になる可能性があるけどお酒ではないものがあれば……?
店側はただ注意書きしただけだ。変なことすると密造酒になってしまいますよと。蜂蜜に水を加えて飲む飲料という構造上、注意書きは極めて自然なこと。店の過失になっちゃうかもしれないのでちゃんと注意しておきましたよ。うちはやっちゃダメってちゃんと言ってるんで。ダメなことをする人なんているわけがないじゃないですか。
ねえ?
店員さんは黙して語らない。
注意書きに書いてあることがすべてであり、そこにはなんの裏も意図もない、知らない、わからない、そういうことなのね。
そして、そういうのを察した人や、純粋に『飲む蜂蜜』だと思った人が買っていくわけか……。
「賢いというかなんというか……」
「しかもこれ、失敗しても文句付けられないやつだしね……」
ウルウは本当に最悪の方向によく気の付く女だ。ウルウの妖精郷ってやっぱり地獄みたいなところなのかしら。謎ね。
蜂蜜酒ってのはもともと、蜂蜜を水で薄めたら勝手に醸されるような、天然自然のうちに発生した最古のお酒のひとつとも言われるお手軽なお酒なのよ。でもお酒ってけっこう条件が厳しくて、蜂蜜酒だってうまくいかないことはある。発酵が進まなかったり、別の菌がはびこって腐っちゃったり。
でもこれはただの蜂蜜飲料手作り瓶でしかないので、うまくいかなくて腐らせてしまったとしても、それは単に注意書きを守らず放置しただけですよね、ちょっとなに言ってるかわかんないですねって言えるわけだ。
ちょっと面白かったのでいくつか購入して、とりあえずウルウに預ける。ウルウの《自在蔵》はいくらでも放り込めるけど、なぜか発酵とかは進まないみたいなので、蜂蜜酒作るときはちょっとやり方考えないといけないわね。
さて、売店をうろついてほかにもいくつか面白そうなものを冷やかしたり買ってみたり。
あたし的に面白かったのは『飲む蜂蜜』とほとんど同じだけど、瓶がすごく高級そうなやつ。実際、《白の森》の高級蜂蜜の瓶らしい。でも中身は少ない。これもおんなじことかと思ったけど注意書きはないし、立派な箱にも詰めてくれる。
つまりこれは、ひと瓶買うとさすがにお高いけど、お土産にして自慢したい人向けなのだ。贈答用には使えないけど、茶会とかでさりげなく見せびらかして使うわけだ。
純粋にお土産としては未開封のほうがいいんだろうけど、そこは「うちではこういう高級品も普段遣いなんですよ」という顔で誤魔化すんだろう。開封済みなら中身が減っててもおかしくないし。
ウルウが気に入ったらしいのは、お安い陶器の壺に入ったお安い蜂蜜だった。別に珍しくもない意匠で、なにか特別な蜂蜜ってわけでもない。
「100エーカーの森で見たやつ……!」
なにがツボにはまったのかわかんないけど、ウルウって謎の完成してるから、しかたないわね。
でも嬉しそうに壺を抱えてるのはとてもかわいい。でっかい女がちっちゃい壺胸元に抱えてる図。なにこれかわいい。あたしの感性もすっかりこいつに壊されちゃった。
あたしはリリオの……大本はウルウのまねをして、指で四角の枠を作ってウルウに向ける。
「ちーず」
「なにそれ?」
「あんたのまねじゃない」
「私、はたからはそう見えるんだ……」
「どう見えてるのよ」
「ちょっと間抜けで、かわいい」
「だいたい合ってるわよ」
あたしかわいい。あんたかわいい。完璧ね。
なんか、すくしょとかいうおまじないらしいわね。たぶん寫眞機の真似みたいな感じなのよね。その瞬間を切り取って思い出に残りやすくするみたいな。
そんなことしなくてもウルウは全部覚えてるらしいけど、それでも特に印象深い時にこういうことをたまにやってる。
リリオと見て回る分も残そう、という程度で切り上げて、あたしたちは村の食堂にも顔を出した。
大きくない村だ。観光客目当ての大きな食堂がひとつあるきりだったけど、蜂蜜を使った料理が何種類も提供されてるみたいだった。
「煮魚、焼き魚、肉料理も……砂糖の代わりに蜂蜜を使ってるって感じみたいだね」
「このお肉なんかは、あんたのテリヤキみたいな感じかもね」
「蜂蜜でやったことはないなあ……」
そんなに目新しい料理はない。もとからある料理に蜂蜜を組み込んだようなやつばっかりだ。でもまあ、蜂蜜を使ったまったく新しい料理を、って言われても、あたしだって思いつかない。
「季節の野菜の蜜蝋煮……これはさすがに想像つかないわね」
「溶かした蜜蝋で、ゆっくり低温加熱したお野菜……に、溶けた乾酪と蜂蜜かけて食べるんだって」
「たぶん、おいしいわよね……?」
「たぶん……?」
蜜蝋を直接調理に使うのって、あんまり想像つかないのよね。お菓子に練りこんだりはなんとなく想像つくけど。
「ああほら、蜂蜜パンとかあるわね。これは普通においしいでしょ」
「はちみつ漬けってあるんだ。無花果、檸檬、あ、くるみとかもある。……お野菜も漬けるの?」
「聞いたことあるわね。大根のはちみつ漬けって喉にいいらしいわよ」
「で、味は?」
「さあ……?」
なんでもかんでも蜂蜜尽くしでもう想像が追い付かないけど、とにかく甘そう。
甘いもの好きとはいえ、ちょっと胸焼けしそう。
持ち帰りできるものもあるみたいだから、リリオへのお土産に適当に見繕って包んでもらうとして。
「あたしたちはなんか食べてきましょうか。ちょっと小腹も空いたし」
「巣蜜薄鍋餅」
「え?」
「巣蜜薄鍋餅あるよ。おじさんが言ってたやつ。『座布団みてえにでっけえ薄鍋餅のふかふかのやつ』」
「……そういえば言ってたわね」
「『蜂蜜はトロッと流れ始めて、蜜蝋も熱でゆるゆるとろける。とろけるけど、すぐに蜜みたいに流れるわけじゃねえ。熱でじんわりあっためられた、ねっちりした歯ごたえを残したゆるやわの甘いのがよ、ここだよ、ここを切り取って、一口にやるのさ』」
「あんたの声で囁かれると別の意味になりそうなんだけど」
「別の意味とは??」
ウルウの耳元囁きごちそうさまでした。
違う。
あたしたちはおじさんの宣伝文句に負けることにした。ウルウは焼き立ての巣蜜薄鍋餅を注文した。あたしは巣蜜格子餅。かりふわのやつ。
蜂蜜不足でお値段はえらいことになってたし、追加でお付けできますよーってすすめられた追い蜂蜜も気軽に頼めない額だったけど、まあ、観光地料金と思って支払おう。ついでに甘茶も頼んで、蜂蜜を垂らしちゃう。
「おお……ふかふかの分厚いタイプだ……こっちであんまり見なかったやつ」
「なんか膨らし粉とか言うのがいるらしいわね。まだあんまり出回ってなくて、お高いのよね」
「巣蜜も……本当にもろというか、蜂の巣まんまだね」
「ほら、あったかいうちに食べちゃいましょうよ」
「そうだね」
この巣蜜というやつは、まったくすさまじい甘さだった。
あたしはこの手のお菓子には乳酪をかけるものだという頭だったけど、巣蜜ってのは脂気と甘さとを一緒に持ってくるようなものだ。甘い脂といってもいい。まだ冷めてるところはねっちりとしていて、とろけたところは蜜のよう。
それが格子餅の格子のくぼみにたまって、しみしみのところとそうでもないところと、食感と味の違いが楽しめる。かりふわ。もちもち。しみしみ。
ウルウもまさしく『座布団みてえに』分厚い巣蜜薄鍋餅をほおばって目を輝かせている。あの目が死んでた痩せぎすの亡霊みたいなデカ女が、すっかり変わったものね。いまは肉置きもよくなって頬の艶も出て、唇を蜜でてからせるでっかい幼女だ。
髪も、ほら、こいつ髪が長いじゃない。きれいで艶も出てきた髪。でもご飯の時には邪魔なわけよ。最初の頃はいちいち邪魔そうに手でよけたり、雑に噛み紐でくくったりしてたんだけどね。リリオがかわいいからってでっかいお花のついた髪飾り買ってきたら、しかたないからって顔しながら、ずっと大事に使ってるのよ。多分あれ子ども用のやつなんだけど。
かわいいなあ。
なんか変な方向に需要出てきそうねえ。
ってなんとなく眺めてたら、こいつ、しかたないなあって半眼で、薄鍋餅キコキコ切り分けるのよ。で、巣蜜をたっぷり絡めて差し出してくるの。
「はい、あーん」
「は????」
「えっ、なんで怒られ……?」
「怒ってないわよ。全然怒ってない」
「ええ……? じゃあ、あーん……?」
「は?? かわいいんだけど??」
「ええ……?」
なんなのかしらねこいつ。
リリオのせいかもしれない。ひとが見てると、欲しがってると思って分けてくるのよ。それはそれとしてあーんさせるのに慣れ切ってるところがもうなんかこう脳のダメなところがダメになってくるのを感じるわ。
こいつはたぶん子どもに食べさせてるようなそんな考えなんでしょうけど、それもうリリオにしつけられてるわよ。そういうのに対する感覚を麻痺させられてきてるわよあんた。出会った頃のあんたはもっと尖ってたでしょ。あーんとかさせようとしたら冷たい目で見てくるようなやつだったでしょ。おなじ食器とか口つけたやつとか露骨に嫌がる女だったでしょいいわよもっとやれ。
ともあれ、あーんしてもらった薄鍋餅はおいしかった。あーんの分を差し引いてもすごく甘くておいしい。ふかふかの分厚い薄鍋餅ってこんなにおいしいのね。あったかくてやわらかくて、上等なパンともまた違う。そこに巣蜜がしみ込んで、得も言われぬ甘さがある。これは、膨らし粉、探して買ってみてもいいかもしれないわね。
で、堪能してたら、なんか手持無沙汰というか、もの言いたげというか、意味もなく薄鍋餅をいじりながら、ちらちら見てくるのよ。かわいいか? かわいいが?
わかってる。わかってるわよ。こいつ、リリオに無意識のうちにしつけられちゃったせいで、お返しを待ってるのよ。
あたしは冷静を装いながら格子餅を切り分け、たっぷり巣蜜をまぶして差し出してやる。
「ほら、あーん」
「あーん」
あーん言うんかい。あざといが過ぎるわよ???
そしてこの構図ってなんかグッとくるわよね。なにがとは言わないけど。
「ワッフルもおいしい……これ焼くやつ買ってもいいかも」
「絶対滅多に使わないじゃないの……まあいいけど」
それにしても、ふたりでぶらついて、甘いもの食べさせ合って。
なんかこう、逢引みたいね。実際逢引といってもいいんでしょうけど。あたしたち婦々なわけで。こいつあたしの嫁なわけで。あたしこいつの嫁なわけで。嫁一人置いてきちゃってるけど。
「そういえば、あんた、またなんかこう妖精郷のおいしいものないの?」
「蜂蜜使ったやつ? あんまり食べてなかったからなあ……ソフトクリーム……氷菓の類いにかけたり」
「フムン。おいしいでしょうね」
「あとは蜂蜜と、柚子とかレモンとか柑橘系合わせた飲み物とか」
「甘すぎずさっぱりした感じになりそうね」
「蜂蜜って栄養豊富だから、疲れも取れるらしくてね。運動の時によく飲んでたかも」
「そういえば蜂蜜って薬とも言われるくらいだものね」
蜂蜜入りの甘茶に、甘すぎるかもって顔してるウルウに、つい悪戯心。
「精力剤にもなるそうね」
「ブフッ」
むせて、赤面。かわいいわね。
実際、栄養たっぷりで、甘いからすぐ力にも変わって。元気は出るわよね。
「なに想像したのよ。むっつりねえ」
「君がね!」
ぷんすかしながらも、なんだか気にしちゃって、巣蜜を口に入れるのを躊躇してるウルウ。
にやにやして見てたら、卓の下で脛を思いっきり蹴られた。ウルウの照れ隠しって殺意に似てるわよね。それはそれとして普通に滅茶苦茶痛い。
「……お、折れてないわよね……」
「そ、そこまで強くは蹴ってない……はず」
「あんたの足の長さはそれだけで凶器なのよ……!」
用語解説
・注意書き
アメリカの悪名高き禁酒法時代、困ったブドウ農園がしかけたかなんとか。
実際のところ本当にあったのか、またこれで捕まらなかったのかなど詳細は不明。
また注意書きに関しては、あまり詳細に書いて実際に試されても困るので、本編では大雑把な表記にとどめてある。絶対に真似しないように。本書は一切の責任を負いかねます。絶対にしないでね。絶対。
・100エーカーの森で見たやつ
諸事情により詳しく申し上げられないがぬいぐるみのあのアレ。
・精力剤
性的能力を高める薬として認知されがちだが、栄養剤、滋養強壮剤と大差ないものが多い。
蜂蜜に性的能力を高めたり性的欲求をもたらす効果がるかは科学的に証明されていないが、栄養失調や食生活のバランスが悪いことにより心身に不調が出ていることはよくあるため、栄養のあるものとってしっかり睡眠をとりあたたかくしておけばある程度「元気」になるのは確かだ。


