異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ

前回のあらすじ

ウルウ・ポエット。





「で、できた! うう、もう締め切りに苦しめられないで済みますねえ……!」

 窓を外から釘打ちされた狭苦しい屋根裏部屋、通称「缶詰」でトゥヤグラーモは喝采の声をあげた。その目はカフェインとまだ名前のついていない当然法的にもなんかこうふわっとした扱いのなにかしらのなんかの効果でギンギラギンに冴えわたって血走っていた。

 監禁を目的としたこの部屋と、執筆のためだけに調合されたなにかしらの何かの投与は明確に人権侵害だったが、この時代の帝国においては人権というものはしばしば軽視ないし無視される傾向にあったので何も問題はなかった。

 新進気鋭の若手冒険屋たちの活躍をまとめようという新企画のために奔走したトゥヤグラーモは、ほとんど帝国中(というには()()()()()足りないくらい)を飛び回った慰労のためにほんの三日ほど飲み歩いていただけなのに、官憲に飲酒飛行でとっつかまって殴られ、留置場に迎えに来てくれた社長兼編集長に四つの腕でそれぞれ殴られ、原稿待ちしていた文選工兼植字工兼現像工兼なんかもろもろの技師である囀石(バビルシュトノ)には額に愚か者(idioto)の六文字を印字され、そして出来上がるまで出さんと監禁されたのだった。

 しかしその地獄の缶詰生活もこれでおしまいである。締め切りをほんのちょっぴりオーバーしていたが、天狗(ウルカ)は締め切りという概念と仲が良くないから仕方ない。全く理解できないというと編集長に()()されるので、多少の理解は示すが。

 どうせあとで校正が細かなミスは拾ってくれるはずだったが、そのぶん御小言も増えるので、トゥヤグラーモはカフェインとなにかしらのなんかの有効成分が抜けきらない目で原稿をざらっと改めた。
 多くの天狗(ウルカ)は文章と相性が良くないと言い張り読み物を(いと)うが、トゥヤグラーモに言わせれば、天狗(ウルカ)の優れた視力・動体視力は文章を高速で追いかけるのに最適だ。
 あとはちゃんと意味を理解できていれば完璧だが、トゥヤグラーモは「完璧より完了」という言葉を知っているのでだいじょうぶだ。ごあんしん。
 天狗(ウルカ)はしばしばそのように自分の都合の良いように考える悪癖があったが、天狗(ウルカ)以外も多かれ少なかれそういうところがあるので問題は大ありだが特に問題はなかった。

「ややや……我ながら素晴らしい仕上がりですねえ。ちょっと綴りが怪しいところはありますが、そこは校正がなんとかするでしょうねえ」

 早速怪しいことを言いはじめたがいつものことなので何も問題はなかった。あとで校正に辞書で殴られるだけである。
 しかし最後まで改め終えたところで、トゥヤグラーモは重大なミスに気付いた。

「ややっ!? し、しまりましたねえ……見出しを考えていませんでしたねえ」

 見出しというのは記事のタイトルのようなものである。
 見出しを先に考えてそれに沿って書いていくものもいれば、最後に全体の印象からつけるものもいる。書いている途中でイメージが固まっていって決めるものもいる。
 トゥヤグラーモはこの見出しを考えるのが苦手だった。編集長などは多少誤解を招いても、目を引きやすい派手な見出しを好むが、トゥヤグラーモはできれば内容に即した見出しにしたかった。なぜならば天狗(ウルカ)はマジで見出ししか読まずに内容を判断する連中が多いということを身をもって知っているからである。清く正しいトゥーヤーちゃんとしてはそこで誤解を招きたくないのである。てめえ私の記事読んでねえのかクソがとなるからである。自分も見出ししか読んでないことは多々あるが、それはそれ、これはこれである。

 トゥヤグラーモはしかし、あまり考え込まずにとりあえず筆を動かした。
 思いついたいい感じのフレーズを片っ端から紙に書きだしたのである。ブレインストーミングなどという洒落た言い回しはこの時代にはまだなかったが、だいたいそんな感じである。

「ややややや……《三輪百合(トリ・リリオイ)》……華やか……愛すべき…………叙事詩……物語……………驚嘆すべき……奇想なる………うーん、凝り過ぎても鬱陶しくなりますかねえ」

 書き出した単語を眺めながらトゥヤグラーモは指で線を引いて、紙面にひと時だけの星座を描いては消していった。修飾を連ねるのはしばしば見られる手法だったが、どうにもすわりが悪い。内容が結構膨らんでしまったので、見出し自体はシンプルにまとめたかった。

 カフェインとなにかしらのなんかのまだはっきり判明していない薬効が薄れ始め、意識がもうろうとしてきたトゥヤグラーモは、書いた覚えのない単語を指がなぞるのを感じた。特に考えるでもなく、トゥヤグラーモは反射的にその語を読み上げる。

「異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ」

 風が吹いた。
 ような気がした。

 窓を見るが、もちろんそれは執拗に釘を打ち付けられ、未来永劫開閉という機能を封じられ殺されていた。それは生まれてきた意味すらも失った、形ばかりに窓という名を残すだけの、無意味で無用なオブジェに過ぎなかった。卓上のランプの灯がありもしない風に揺らされたように思えたがもちろんそれもただの気のせいだった。ランプが投げかける灯が小さな影を投げかけたように見えたのも、その影がなにかしらの形を持っていたように見えたのもすべて勘違いだった。
 落ち着かないまま、トゥヤグラーモは知らない筆跡で知らないうちに知らない言語で書かれたそのフレーズをもう一度眺めた。先程口にしたはずのその言葉を、その読み方を、トゥヤグラーモはもう思い出せずにいた。交易共通語(リンガフランカ)ではないその文字の連なりは奇妙に角ばって字というよりは絵のようであり、絵というよりは何かの儀式に用いられる遠い時代遠い国の冒涜的な呪文のようだった。

「なん……なに……」

 その文字の連なりを、指先がなぞる。トゥヤグラーモのものではない指先が。白い/黒い/細い/太い/幼い/節くれだった指先が。なぞりながら声が言う。トゥヤグラーモのものではない声がその文字を読む。若い/老いた/男の/女の/張りのある/しわがれた声が、耳元で叫ぶように/遠くで囁くように。それはトゥヤグラーモに聞かせながら、トゥヤグラーモには聞き取ることができない。彼女にはそれが理解できない。彼女はそれを理解できる立場にない。いや彼女の以外の誰であってもそれを理解することはできないそれを認められていない。脳が理解を拒むよりも先に理解が脳を拒んでいた。それは天と地のはざまにあるすべてそのどれにも理解されることをのぞんでいなかった。
 トゥヤグラーモはとっさにマグカップに手を伸ばし、冷めきった脱法薬物カクテルをあおった。意識を覚醒させるためではない。むしろオーバードーズによる速やかな昏倒をのぞんでいた。カフェインと法的に存在を認知されていないなにかしらのなんかの薬効が血流にのってトゥヤグラーモの脳に染み渡っていく。過覚醒に至る分量をさえ通り越して、脳は不明の活動によって酩酊に似た意識の混濁を呈し始める。それでいい。それでいいのだ。理解する必要はない。理解してはならない。お前はそれを理解しない。お前はなにも考えない。それは考える必要のないことなので、お前は速やかに思考を放棄する。お前はなにも見なかった。お前はなにも見なかった。お前はなにも見なかった。だがなにかはお前を見ている。なにかはお前を見ていた。なにかはお前を見るだろう。時制の混乱したあるいは超越したなにかをお前は後頭部にちりしりと走るなにかしらの信号から感じ取る。足りない。薬物が足りない。トゥヤグラーモは覚醒と酩酊の間で反復横跳びを繰り返す愉快な自分自身に信頼のできない暗算を試みさせる。カフェインと将来的に規制される見込みの高いなにかしらのなにかの摂取量と己の体重からなる計算式はまだいくばくかの余裕があることを示していた。死ぬまでにあと何ミリグラムという数値を余裕と呼んでいいのならばであるが。だがお前はそれを決断する。マグカップに残った琥珀色の液体を口中にほおばるように含む。舌の裏を泳がせてその薬効成分を粘膜から取り込む。そして飲み下す。
 虹色が爆ぜた。脳裏を走る虹色はトゥヤグラーモの眼球からほとばしり出て部屋中に広がった。すべてがあざやかだった。世界はこんなにも美しかった。波打つように、あるいは近づき遠ざかるように、万年筆が、マグカップが、原稿が、デスクが、大きくなり、小さくなり、輝き、脈動した。なんだか愉快な気持ちになってトゥヤグラーモは笑った。ひきつったような笑い声がぐわんぐわんと脳に響いて吐き気を催しながらそれでも笑った。笑った。笑った。笑った。笑え。笑った。笑う。笑え。かすれた笑い声に重なるつややかな/ひび割れた笑い声をかき消さなければ。お前は笑う。笑う。笑う。笑え。笑い給えよ。ああおかしい。面白かった。君、なんだっけ。いいよ。休み給えよ。

 気が付いた時には、トゥヤグラーモは見たことのないゲロを見つめていた。回復体位を取らされて、己のゲロが四つの腕でてきぱきと片付けられているのを眺めていた。編集長は脱法薬剤の処方を謝罪してくれた。しかし監禁したことに関しては特に謝罪がなかったのでたぶんまたやるのだろうと思う。新聞記者に人権はない。しかし生きがいはある。

 トゥヤグラーモが倒れている間に原稿は無事に活字の並びに変じて、輪転機とかいうしょっちゅう故障する機械によってなんとか印刷されたらしかった。彼女が撮影した寫眞も編集長が適当にセレクトしてあてはめてくれたようだった。
 なぜか長身の一人、ウルウなる人物の写真はやけに映りが悪かったが、トゥヤグラーモは速やかにカメラのせいにしたので問題はなかった。

「…………『愛すべき少女冒険屋《三輪百合》たちの物語』ねえ……」


 病床で多量の水と味気ない粥を食わされる日々を送りながら、トゥヤグラーモは見本誌をめくった。
 見出しは編集長がメモ書きから適当に見繕ったらしい。見出しを考えるのが面倒くさかったトゥヤグラーモに否やはないのだが、なんとなく、こう、しっくりこない感じがある。

「ややや……なんかこう……違う見出しだった気が……」

 夢の中で、聞いたような。トゥヤグラーモの目の奥でちかちかしたものが見えたような気がしたがそれは考えなくてよいことなのでトゥヤグラーモは考えるのをやめた。かすかな違和感が彼女に反射的に万年筆を握らせたがしかし考える必要がなかったのでその考えはどこかへ消えた。トゥヤグラーモはなぜ自分が万年筆を握っているのかよくわからないまましばらく自分の手を見下ろし、自分の行動を振り返ろうと試みたがそれは考えなくていいことだったので考えなかった。

 万年筆をおいて、清く正しいトゥーヤーちゃんは窓の外を見た。
 板を打ち付けられていない窓からは心地よい春の風が舞い込み、日差しは暖かで眠気を誘った。
 壁掛けのカレンダーに目をやれば、今日の日付が見て取れた。

「四月十八日…………今日が発売日ですねえ……」

 なんの?
 それは、そうだ。自分が書いた《三輪百合(トリ・リリオイ)》の記事、あれが乗った号に決まっている。他になにがあるだろうか。そんなことは考えなくていいことだったのでトゥヤグラーモは考えるのをやめた。なぜかなぜだかひどく疲れた頭を押さえて、トゥヤグラーモはまぶたを閉じる。おやすみ。おやすみなさい。
 四月十八日が発売日であることだけが、最後まで頭の中で響いた。





用語解説

・『愛すべき少女冒険屋《三輪百合》たちの物語』(Eposo de La Ĉarma Juna Aventuulinoj TriLilioj)
 冒険屋最盛期に当時の《光画新聞(フォトプラッチャ)》が発行した新進気鋭の若手冒険屋特集の一記事。最新技術である写真印刷、および一部は多色刷りを用いた華やかな紙面は当時の帝都市民を大いに沸かせたという。
 内容は非常に盛られているようで、当時の冒険屋に関する史料価値としては話半分に見るべきであるが、一部に歴史的事件の生の感想など興味深い記録も見られ、「少なくとも日付に関しては信用できる」とされるレベルの近世新聞界隈においては比較的信頼性が高いとされる。