前回のあらすじ
行方不明の村人を探せ。
よくある冒険クエストを受注した《三輪百合》一行。
いざ小鬼退治へ。
明けて翌日。
夜明けとともに目を覚まし、たっぷりの南方穀の粥を朝餉にいただき、特製弁当を携えて私たちは森へと進みました。
ボイは宿でお留守番です。多少の危険ならどうとでもしてしまえる子ですけれど、馬車を曳いて森の中に入っていけば動きが悪くなりますからね。
とはいえ、慣れない森の中で、鼻のきくボイなしでは道を見失いかねませんから、私たちはひとまず《竜骸塔》を目指して街道を進んでみることにしました。
《竜骸塔》が森の奥にある以上、森の異変を探っていけば必然的にそちらに向かうことにもなりますし、近づけばその巨大であるらしい塔の姿も目印になってくれることでしょう。
さすがに、なんの手がかりもなしに馴染みのない森の中を無計画に歩き回っても、なにかが見つかるとは思えませんし。
「はあ……異世界倫理奇々怪々って気分」
昨夜は結構遅くまでだらだらとおしゃべりしていたせいか、ウルウはまだ昨日の話題を引きずっているようでした。
まあ、野盗と小鬼の違いというのはなかなか興味深い題材でしたね。
たとえ言葉が通じようとも、人に害をなす畜生であれば小鬼と大差ないのではないかと。うーん、テツガクを感じます。
「まあ、神話の時代、まだ言葉の神エスペラントが顕れる前のころは、いま隣人種と呼ばれるひとびともみな、言葉の通じない異形の怪物であったと言いますしね」
「異形の怪物ってのは聞いてなかったかも」
「そうでしたか? ええっと…………隣人種たちが、天津神の連れてきた従僕たちの子孫であるというところはわかりますよね?」
「それは知ってる」
神話によれば、いまの世界が整えられたあと、天津神たちが従僕を引き連れて降り立ち、野に、空に、海に放ち、それぞれに競り合いながらも栄えていったそうです。
しかし人間の神であったケッタコッタは神々の協定を欺いて許される以上の加護を与え、他の種族を虐げて押しのけようとしました。ここで大繁栄したのが古代聖王国ですね。
でも天津神たちはこれに怒り、従僕たちに命じて人間の国を攻めました。この時の争いが、神話に残る古代聖王国の大陥落に至るわけです。
「言葉の神エスペラントの奇跡で言葉が通じるようになった従僕たちは、言葉によって分かり合えた一部の人族たちと力を合わせて人間の国を落とし、永遠に凍り付いた北極へと追いやりました。そして神ケッタコッタは人間に注いでいた加護をはぎ取られ、それらは神々によってほかの種族に分配されたのです」
「まあ、そのときの影響で、隣人種はみんななにかしら人間に通じる特徴を持つようになったってわけ」
「辺境で遊んだフォルノシードは、その加護が薄いというか、祖先の血が色濃く出た先祖返りというわけですね」
フォルノシードは特等武装女中の一人で、土蜘蛛としての特徴が色濃く出た先祖返りでした。甲殻は甚だしく、また蜘蛛のように膨らんだ腹部を持ち、脚部もかなりごつめですね。
お顔は人間よりですけれど、大きく口を開けるとご先祖の血が色濃く出ていますね。
あれでもまだ「軽い」先祖返りであって、ご先祖様はかなり、こう……強そうだったみたいですよ? 詳しくは知りませんけれど。
「ってことは、それまでは姿も全然違ったのか……まあやけに人間っぽすぎるというか、ケモ度が低いなとは思ってたけど」
「けもどってなによ」
「こう……動物っぽさの比率的なやつ」
「あー……獣人の度合いみたいな話? 狼耳だけのやつもいればほぼ二足歩行の狼もいるみたいな」
「だいたいそんな感じ」
よくわからないウルウ用語が出てきましたけれど、納得してもらえたようです。
まあそんな感じで、大昔は言葉も通じてなくて、お互いに獲物として狩っては素材剥いでたような関係ですので、言葉が通じるようになったからにはお互い尊重し合おうというのはまあ、ご先祖様の理性というか、相互安全保障的な暗黙の了解だったのかもしれませんね。
古代の工芸品とかがたまに見つかるんですけれど、だいたい闇とか裏とかつく方面に流れるらしいですね。私も見たことあります。革張りの椅子とか。
まあ、でも言葉が通じてもひどいことをする人もいますし、言葉が通じない動物相手にやさしくする人もいるわけで、そのあたりは一通りではありませんね。
こういう、倫理とか道徳に関する問題に明確な答えというのはなく、考え続けるということが大事らしいですよ。いつも自分の考えをまとめておけば、いざというときだれを斬るか迷わなくて済みますからね。
「そうかな……そうかも……」
ウルウは飲み下しにくいものを何とか飲み込むような顔で頷いたようでした。
そしてそのなけなしの納得も、不意に訪れた奇妙な遭遇を前にどこかへ消えてしまったようでした。
森の奥からがさりがさりと藪をかき分ける音がしたのに、誰からともなく気づいていました。
いくら小鬼たちが阿呆だからと言って、ここまで間抜けに接近してくるものだろうか、こざかしく陽動でもしているのではないか、そのように周囲を警戒しながらその襲撃を待ち構えていたところに、それは現れました。
「ぎ、ぎぃ……」
「ぉああ……おおぉおお……」
「…………緑色ではないけど」
「小鬼じゃないですよこれ」
「豚鬼ってわけでもないよね」
「どっちでもないっていうか…………村人? よね?」
がさがさと茂みを抜けてきたのは、ありふれた麻の服を着た、ありふれた男の姿でした。
ただ、半開きにした口からうめき声を漏らし、ふらふらとおぼつかない足取りをしている様子から、どうもありふれた様子とは言えないようでしたけれど。
「朝方の飲み屋街でこういうひと見かけたことあるなあ……」
「なんで朝方の飲み屋街うろついてんのよ」
「朝方まで仕事してた帰りだったからだけど」
「当たり前でしょみたいな口ぶりに闇を感じますね」
どうにも普通ではない様子は、ウルウの言うように酩酊してまともに頭の働いていないようにも見えましたし、あるいは重度の薬物中毒者のようともいえたかもしれません。
とにかく、これが尋常のありさまだとはとても思えません。
「帰ってこなかったのは、こう…………帰れる状態じゃなかったってことかな」
「まあラリってたんでしょうね」
「人が配慮しようとしてるんだからさあ……」
森の奥で、いつぞやの甘き声のような幻覚植物でも繁茂してるのか、はたまた他の要因か、村人はそれの影響で正気を失ってしまった、というのが事の真相でしょうか。
まあ生きてるうちに発見できたのですから、とにかくまずは村に送り届けて事情を説明したら、今度は人員を増やして捜索隊組んだ方がいいかもしれませんね。
私たちはそのように考え、とりあえずこの村人を保護しようと歩み寄り、
「──離れてッ!」
「えっ」
一歩引いて見ていたウルウに首根っこひっつかまれていました。
ぐん、と後ろに引っ張られる中で見えたのは、顎が外れんばかりに大口を開いて、噛みつこうとしてくる村人の姿でした。
ウルウのおかげで不意打ちの初撃をかわした私はすぐに腰の剣を鞘ごとはずし、トルンペートも距離を取って《自在蔵》に手を差し入れました。
「なに、こいつ……幻覚でも見えてんのかしら」
「どうやら先におとなしくさせないといけないみたいですね」
私たちの接近に反応したのか、ぼんやりとしていた村人は急に暴れはじめたのでした。
歯をむき出しにして獣のように叫んだかと思えば、今度は腕を振り回して飛び掛かってきます。
もちろん、技術も駆け引きもないような突進ですから、いなすのもかわすのも簡単です。
しかし、これが小鬼ならいざ知らず、村人なのです。探しに来た村人を斬るわけにもいきません。たとえ正気を失っているとしても、彼は要救助者なのです。
「適当に暴れさせて、疲れたところを捕まえる、っていうのが定番ですけれど……」
「ラリってるなら疲労感もないかもしんないわよ」
「しかも力加減はなしとくるでしょうね……」
こちらは傷つけるわけにはいかないけれど、しかしむこうは自分が傷つくのも顧みずに襲ってくる。厄介な手合いです。これが衛兵などであれば、囲んで棒で叩いても職務の一環として言い訳が聞きますけれど、他に目撃者もいない森の中で、一介の冒険屋がそれをやると後々もめかねないのが怖いところです。
どうせ誰も見ていないんだから斬り殺してなかったことにする、というのもひとつの手ではあるのですけれど、うちには恐ろしく甘っちょろいもとい優しい心を持った一党の良心ことウルウがいますからね。
できるだけ格好いいところだけ見せていきたいところです。
「うーん…………多少は傷つけるのも仕方ないと思う」
「あれ。ウルウが暴力に寛容なのも珍しいですね」
「野盗相手とかだといつも割と寛容だと思うけど……そうじゃなくて、余裕がないかも」
ウルウが困惑したように視線を向ける先では、がさがさと茂みが音を立てていました。
それも一つや二つではありません。無造作に茂みをかき分ける音が、いくつも重なって近づいてくるではありませんか。
村人の攻撃をやり過ごしながら、そちらを警戒していれば、嫌な予感が当たるものと言いますか。
「ぉぉおお……」
「ぎっ……ひっ……ぎっ……」
「はぁーっ………はぁーっ………」
なんと、というか、やはり、と言うべきか、そこにはさきほど村人が吠え立てたのを聞きつけたのか、同じように正気を失った村人たちが続々と現れたではありませんか。
そして数が増えたことでわかってきたこともあります。
「ひどいにおいですね……!」
「血の匂い、腐ったにおい…………どうにもまともじゃあないわね」
「……………」
「あっ! ウルウがこらえてるわ! 吐くの!?」
「なんでちょっと嬉しそうなの…………あとで吐く、かも」
獣臭に腐臭、血の臭い、汚物の臭い。
まるで土葬してしばらくたった墓場を掘り返してしまったような、そんな悪臭。
ただでさえにおいに敏感なウルウがだいぶげんなりしてしまっていますね。
どうやら行方不明になった村人たちは、森の奥で正気を失ったままさまよい、中にはそのまま野垂れ死んでしまったものもいるのでしょう。その血臭や死臭を払うこともできず、垢にまみれ土にまみれ、藪で肌を切っては血にまみれ、ずっと、ずっと、こうして……。
それはあまりにもおぞましい光景で、そして哀れな有様でした。
「私が殴り倒します! トルンペートは投げもので牽制を! ウルウは……大丈夫ですか? 吐きます?」
「あとで吐く」
口呼吸に切り替えて何とか耐えているっぽいウルウには待機してもらい、私とトルンペートで正気を失った村人たちを相手取ります。まあ、ウルウが戦闘に参加しないのはいつものことというか、ウルウが出なきゃいけないのは本当に危ないときだけなので、ここは格好いい私たちを見守るのがウルウの役割です。
軽口をたたきながらざっと視線を巡らして戦力把握。
最初の一人もふくめて、人族男が六人、人族女が二人。土蜘蛛女が二人。天狗の、えーっと、男女の見分けは尽きませんけれどひとり。うち何人かは骨折を含む怪我をしています。
ひとりは草刈鎌を握りこんでいますけれど、すっかり錆びついて使いものにならないでしょう。
脅威ではない、とはいえ油断もできない数ですね。
私は腰から外した剣の鞘を握り込み、柄を相手に向けるようにして構えました。
このように大槌のように構えることで、斬るのではなく殴ったり引き倒したりして無力化しようというのです。
剣というものははたから見るとするすると引き抜かれるので、簡単に抜けるものだと思うかもしれませんが、それでは走ったり馬に乗るだけで簡単にすっぽ抜けてしまいます。
実際には良い剣というものは鞘とぴったり噛み合うようにこしらえられているので、両手でしっかりと引き抜かなければ外れるようなことはありません。
また、私の剣は留め金もついていますから、こうやって振り回してもそうそう抜けるということはありません。
このように構えて鍔で殴りつける、あるいは引き倒すという戦法は普通はつばぜり合いからの変形という形で用いることが多いですけれど、捕り物となれば最初からこの構えの方が気兼ねなく殴れるというものですね。
最初の村人が前に出て、大声で叫びながら滅茶苦茶に腕を振り回してくるのを、剣の鍔ではじいて牽制。なにが原因で譫妄状態にあるかわかりませんから、直接は触りたくありません。狂犬病のような病の可能性もあります。
あまり暴れられると傷つけないようにするのは大変ですけれど、逆に、先頭が腕を振り回せば後続も迂闊には近寄れないですから、そこでもたつけば、それはそのまま人数分の肉の障壁に、
「リリオ!」
「おっとぉ!」
違う。
私はとっさに飛びずさりました。
トルンペートはそれに先んじて、すでにウルウ仕込みのボーラを投げていました。
それにからめとられて後続の一人が転倒しましたけれど、村人たちはそんなことを気にも留めずに私に迫ろうとして、先頭の一人ともつれ、あるいは転倒したひとりにつまずき、しかしてそんなことでは止まらず互いを踏みつけ押しのけながら襲い掛かります。
そうです。
彼らはいま、正気ではないのです。
阿呆の小鬼たちでさえものを考えることはしますけれど、今の彼らにはそんなことさえできないのです。互いに互いを攻撃しない理由はわかりませんけれど、とにかく彼らの頭には私たちに襲い掛かることだけがあって、自分が傷つくことも、仲間が傷つくことも考えていないのです。
転倒して他の村人に押しつぶされそうになった一人を見かねて、私は剣の鍔で村人の首あたりをひっかけて、乱暴に引き倒して遠ざけます。
そしてその隙をつくように足元から這い寄ってきた一人の頭を蹴り飛ばすと、ちょっとヤバ目の音がして焦りました。鉄板仕込んでるんでした。まあ、まだ動いてるので大丈夫でしょう。たぶん。
「というか、いくらなんでもお元気過ぎませんかねえっ!」
トルンペートがボーラに続いて投石で牽制してくれていますけれど、村人たちがひるむ様子はありません。かなり痛そうな音がしてしますし、私だって遠慮なしに石を投げられたらひるむくらいはするんですけれど。
ただの村人が、正気を失っているというだけでここまで厄介になるとは。
考えてみると小鬼とかの厄介さもそういうところかもしれません。村人は小鬼と違って殺すわけにいかないのがさらに厄介です。
「ギャァアアアァアッ!! ギャッギャアアアッ!」
「オウッオウッオッ、オギャアアアアアアアッ!!」
打ち倒しても打ち倒しても、かえって大声で叫びながら暴れまわり、涎や血をまき散らすのでこれも困ります。まじめに狂犬病その他が不安になってきたので、鎧に魔力を通して矢避けの加護を使っているほどです。こういうしぶきとか小さくて軽いものを防ぐのにも使えるというのは、便利な裏技的な使い方ですね。魔力消費は大きいですけれど。揚げ物してる時に思いつきました。
「しかし、痛みを感じていないというか……」
「狂乱状態っていうのかしらね。悪い薬物でもキメたみたいだわ」
狂乱。
なるほど、狂戦士の様相と言ってもいいかもしれません。
見れば、先ほど蹴り飛ばした村人も痛みを感じた様子もなく立ち上がってきています。他の面々もふくめて、どう見ても血まみれで骨が折れているのですけれど、全く気にせず叫び、こちらに寄ってきます。
むき出しになった歯と舌がネバづいた唾液をまき散らし、土と垢とその他もろもろで汚れた爪が空を掻きます。
「どーしましょっかね。痛みを気にしないんじゃ、あたしじゃ牽制はできないわよ」
「ええ、しかたありませんね」
狂乱の小鬼と豚鬼の群れを前に、私たちは諦めを口にしました。
そうです。これは無理です。
殺さずに十一人からの人族を取り押さえるというのは、困難が過ぎます。
それが薬物か病かわかりませんけれど、えんがちょで触りたくないのならばなおさら。
ですので、諦めます。
「簡単な手段にしましょう」
「そうねー」
いい感じの立ち回りは、無理でした。
私は腰の《自在蔵》から投網を取り出し、トルンペートが投石でいい感じに一か所にまとめてくれた村人たちにとうりゃとぶん投げました。
投網は空中で広がり、村人たちに覆いかぶさり、絡めとりました。落ち着いて下から這い出れば抜け出すのは難しくないのですけれど、当然のように暴れまわった村人たちは勝手にどんどん絡まって団子になってしまいました。
なんということでしょう。
なんの見せ場もなく終わってしまいました。
ウルウもこれにはがっかりでしょう。
「いや、私こういう血腥い雑魚戦にまでいろいろ求めないんだけど」
「いつでも格好いい私を見て欲しいんです!」
「いつでも見てるけど……」
「あたしも見なさいよ!」
「トルンペートはたまに変なの見せてくるし……」
まあ、ぶっちゃけてしまうと、正気を失ってるとか、できるだけ傷つけてはいけないとかの条件があるから困るだけで、いまさら特にに鍛えてもいない一般人が十人そこらで襲ってきてもあんまり脅威じゃないんですよね。
それこそ旅に出たばかりの私であれば、いまみたいに襲われたらだいぶ苦戦したかもしれませんけれど、ウルウと旅をし始めてから、自分でもびっくりするくらい成長してしまったんですよね。背は伸びてませんけれど。
辺境の野盗だったらさすがにもう少し苦戦したんですけれど、内地の一般村人(狂)ではこんなものでしょうか。
さすがにもうちょっと見せ場が作れるとは思ったんですけれど、狂戦士って言うほどでもなかったですね。
鍛えた技があるわけでもなく、優れた身体能力があるわけでもなく、なにかしらの作戦があるわけでもなく。
唯一、病気とかだったら感染するの嫌だなっていうのがあって腰が引けましたけれど、まあ、それも対処すればこんなものでしょうか。
「うーん……驕りたくはありませんけれど、いささか消化不良と言いますか。なんだか物足りないですね」
「まあ、私もいまさら君たちが一般人相手にどうこうなるとは思ってないけど……うん?」
「どうしたのよ」
「こいつら、なんか変じゃない?」
「だからさっきから変って言ってるじゃない」
「いや、なんかこう……」
ウルウがおかしいと感じたのは、暴れていた時の狂乱振りではなく、団子になっている村人たちそのものでした。
私も改めて捕まえた村人たちを眺めてみましたけれど………。
「うん? 私こんなに殴ってないですよね?」
「全身が妙に傷だらけだね……そのわりに、思ったほど出血は少ないな」
「っていうか折れた骨が突き出てるわよね……?」
おとなしくさせると言う大義名分もあったので割と遠慮なくぶん殴ってしまったんですけれど、それでも思った以上にあっけなく骨が折れています。もしくはもともと折れていたのか。錯乱したお仲間に噛まれたのか、なにやら噛み傷みたいなのもあります。
よく見れば肌もあちこちスリ傷だらけで、たぶん藪とか茂みとかを抜けるときに傷ついてそのままだったんでしょうけれど……なぜかどの傷も塞がってはいないけれど、どろっと濁った血が垂れています。私が殴ったことでできた傷以外の、古そうに見える傷もそうなのです。
折れた骨が肌を突き破っているような大怪我なんて、それこそ出血がひどくて止血しないとすぐ死んでしまうでしょうに……。
「……みんなおんなじだわ……なんていうのかしら。出血はあるけど血が吹き出ないっていうか」
「よく見れば肌もかさかさだね。顔色も相当悪いし」
「妙に暴れてたし、なんか妙な病気なんじゃないかしら。脳に潜り込む寄生虫とか」
「トルンペート、しれっと怖いこと言いますよね……まあ私も狂犬病とかかとは思いましたけれど」
「この世界、マジでそういうのいそうでやだなあ……」
なんじゃこれ、なんじゃこれと三人であれこれ言っていると、ウルウが不意にこんなことを言い出しました。
「この人たちもしかして死んでるんじゃないの?」
「いえ、普通に襲い掛かってきましたよね?」
「だからその、死にながら襲ってきたんじゃないかなって」
「うーん…………生き物は生まれながらに死に突き進んでいるとかいうそう言う……?」
「哲学じゃなくて! ゾンビとか……アンデッドじゃないの?」
きょとん、と思わずトルンペートと顔を見合わせてしまいました。
「ぞんび? あんでっど?」
「なんですかそれ?」
「えーと、死んでるけど死んでないっていうか……動く死体っていうか、そういうやつ」
まーたウルウがウルウ語録を持ち出してきましたよ。
という顔でトルンペートを見ると。
まーたウルウがウルウ語録持ち出してきたわね。
という顔で振り向いてきました。
「あのですね、ウルウ。死体は死んでるから死体なんですよ」
「子どもをさとすかのように!!」
「そりゃまあ、早すぎた埋葬とか、死亡判定が間違ってたってのはたまに聞くけど」
「そういうのが伝承の元とは聞くけど! そういうのでもなくて!」
要は、ウルウの言うあんでっどとかいうのは、死体が動いたり、死んだ者が蘇って人を襲ったり、そういう魔物のお話なのでした。
「もしかしてアンデッドいないの?」
「いるわけないでしょ。そんなのおとぎ話とか、肝試しの怪談とかの類じゃないの」
「まあまあ、ウルウの妖精郷にはそういうのがいるかもしれませんし」
「妖精郷言うな。まあ、私の住んでたとこでもおとぎ話の類ではあったよ」
「じゃあ完全におとぎ話じゃないですか」
「でもこっちに来てるなら、たぶん知り合いのアンデッドがいるんだよね」
「はあ?」
いよいよウルウも妖精発言が増し増しになってきましたね……なんて思ってたら、トルンペートも呆れたように肩をすくめています。
ですよね。わかります。
そしてその後ろで村人もグラグラ頭を揺らしています。
そうですよね。
そうですよね?
うん?
「ギギギギゲェェエエゲゲゲッ」
「おわーッ!?」
「色気がなさすぎる悲鳴!」
「ダメだしすな!」
それは新手の村人(狂)でした。
私たちが捕獲した村人を前に無防備にだべっている間に接近してきていたようです。
驚きのあまりウルウは叫び、トルンペートは突っ込み、私は手加減なしに顔面ぶん殴ってしまったんですけれどこれ不可抗力ってことで行けますよね?
動揺と混乱のあまり私が保身に走りかけていると、村人はむっくりと起き上がりました。
ああ、よかった、まだ生きていた、と安堵しかけた私の目に映ったものは、どう見ても首が折れている村人の姿でした。
首が完全に九十度超えてへし折れて肩と平行になってますけどここから入れる保険あります?
「人間ってこんなに可動域広いんでしたっけ……?」
「リリオが現実逃避しちゃってる…………そんなわけないでしょリリオ! さんざんあたしのこと壊して勉強したでしょ!」
「はっ、そうでした! 人間は壊すと死ぬんですよ!」
「思わず冷静になっちゃうようなヤバ目の辺境人アピールやめて?」
私たちがこわごわと見守っている間に、首折れ村人はふらふらとしばらく体を揺らして、振動のためか首がさらに折れ曲がって胸元に口付けるようになって、ようやく倒れました。
べちゃりと倒れた首折れ村人は、今度こそ本当に死んでしまったのでしょうか。いや、でもまだ微妙に動いてますね……死後痙攣とか、でしょうか?
しかし私も、トルンペートも、そしてウルウも、気づけば身を寄せ合うようにしながら、死体から距離を取っていました。
もしかしたらまだ立ち上がるのではないか。
そんなバカげた不安が頭をよぎっていました。
「い、生きてたのかしらね。まだ。首なしで動く鶏がいたって話もあるし……」
「人間でそういう話は聞いたことなんですけれど……」
「いや……死んでた。絶対死んでた。はず」
動揺しながらも軽口をたたいたトルンペートに、ウルウが首を振ります。その目は奇妙な色彩に輝いていました。
「私の目は生命を見通すことができる。理屈はわからないけど」
「ウルウのまじない、理屈わかんないのばっかよね」
「茶化さないの。とにかく、こいつは死んでたはずなんだ。リリオが殺しちゃったと思って確かめたんだ。個体としては確かに死んでる、なのに…………動いてた。首が折れてもしばらくは」
「ま、まあ斬首してもしばらく意識が残ってるって話も」
「他の村人も見た」
しん、と思わず三人が三人、黙り込んでしまいました。
ウルウがはっきりとは言わなかったことを、私とトルンペートはじっくりと時間をかけて理解しつつありました。
この話の流れで、そんなことを言う、ということは。
「つまり……なによ? この人たちは死んでて、死んでるのに、動いてるっていうの?」
「……………そう、なる」
私たちにはウルウのまじないがどのようなものかわかりません。
しかし、ウルウがそんな冗談を言うような人ではないことはよくわかっています。
険しい表情でじっと死体を見つめる横顔に、嘘はありませんでした。
動く死体。死なず者。
「ねえ、アンデッドって本当にいないの?」
「いないわよ。いるはずないでしょ」
「そうです。いるはずがありません。いるとしたら……」
いるとしたら、それは本当に大変なことなのでした。
ウルウの目には死体に映るという村人たちのうめき声が、森の静寂を汚していました。
用語解説
・フォルノシード(Fornosido)
土蜘蛛、荒絹氏族の特等武装女中。三十六歳女性。
先祖返りが甚だしく、他の土蜘蛛より甲殻が顕著で、また腰から下が蜘蛛の腹部のように肥大化し、脚部も強靭。
美しく豊かな容姿だが、戦闘においては冷徹で残酷。
・ケモ度
あるキャラクターにどの程度の動物的特徴があるかを示す造語。
ひとによって度合いや好みは異なる。
度合いによって優劣や高低などがあるわけではない点に注意。
・甘き声
乙種魔獣。夢魔。キノコの一種で、地中に広く菌床を広げる。子実体は普通のキノコと変わりない地味なものだが、周囲の水分に混ぜ込んで靄のようにして胞子を放ち、吸い込んだものを深い眠りに落とす。
夢の中で甘き声はその者の抱える心の傷を掘り出し、その痛みを吸い取って心を癒す。
程々であれば治療にもなるが、人はやがて苦痛から解放されることで心をぐずぐずに溶かされ、最終的には廃人となり、その肉体は苗床となる。
・知り合いのアンデッド
MMORPG《エンズビル・オンライン》で閠が所属していたギルド《選りすぐりの浪漫狂》のギルドマスターはリッチというアンデッド種族だった。通称は《軍団ひとり》。
・動く死体(Sorĉkadavro)/死なず者(Malmortulo)
亡霊などの怪談話は広く語られているが、少なくとも帝国においてアンデッド系統の実在は現在認められていない。
死霊術と言った技術系統も現在存在しない。
行方不明の村人を探せ。
よくある冒険クエストを受注した《三輪百合》一行。
いざ小鬼退治へ。
明けて翌日。
夜明けとともに目を覚まし、たっぷりの南方穀の粥を朝餉にいただき、特製弁当を携えて私たちは森へと進みました。
ボイは宿でお留守番です。多少の危険ならどうとでもしてしまえる子ですけれど、馬車を曳いて森の中に入っていけば動きが悪くなりますからね。
とはいえ、慣れない森の中で、鼻のきくボイなしでは道を見失いかねませんから、私たちはひとまず《竜骸塔》を目指して街道を進んでみることにしました。
《竜骸塔》が森の奥にある以上、森の異変を探っていけば必然的にそちらに向かうことにもなりますし、近づけばその巨大であるらしい塔の姿も目印になってくれることでしょう。
さすがに、なんの手がかりもなしに馴染みのない森の中を無計画に歩き回っても、なにかが見つかるとは思えませんし。
「はあ……異世界倫理奇々怪々って気分」
昨夜は結構遅くまでだらだらとおしゃべりしていたせいか、ウルウはまだ昨日の話題を引きずっているようでした。
まあ、野盗と小鬼の違いというのはなかなか興味深い題材でしたね。
たとえ言葉が通じようとも、人に害をなす畜生であれば小鬼と大差ないのではないかと。うーん、テツガクを感じます。
「まあ、神話の時代、まだ言葉の神エスペラントが顕れる前のころは、いま隣人種と呼ばれるひとびともみな、言葉の通じない異形の怪物であったと言いますしね」
「異形の怪物ってのは聞いてなかったかも」
「そうでしたか? ええっと…………隣人種たちが、天津神の連れてきた従僕たちの子孫であるというところはわかりますよね?」
「それは知ってる」
神話によれば、いまの世界が整えられたあと、天津神たちが従僕を引き連れて降り立ち、野に、空に、海に放ち、それぞれに競り合いながらも栄えていったそうです。
しかし人間の神であったケッタコッタは神々の協定を欺いて許される以上の加護を与え、他の種族を虐げて押しのけようとしました。ここで大繁栄したのが古代聖王国ですね。
でも天津神たちはこれに怒り、従僕たちに命じて人間の国を攻めました。この時の争いが、神話に残る古代聖王国の大陥落に至るわけです。
「言葉の神エスペラントの奇跡で言葉が通じるようになった従僕たちは、言葉によって分かり合えた一部の人族たちと力を合わせて人間の国を落とし、永遠に凍り付いた北極へと追いやりました。そして神ケッタコッタは人間に注いでいた加護をはぎ取られ、それらは神々によってほかの種族に分配されたのです」
「まあ、そのときの影響で、隣人種はみんななにかしら人間に通じる特徴を持つようになったってわけ」
「辺境で遊んだフォルノシードは、その加護が薄いというか、祖先の血が色濃く出た先祖返りというわけですね」
フォルノシードは特等武装女中の一人で、土蜘蛛としての特徴が色濃く出た先祖返りでした。甲殻は甚だしく、また蜘蛛のように膨らんだ腹部を持ち、脚部もかなりごつめですね。
お顔は人間よりですけれど、大きく口を開けるとご先祖の血が色濃く出ていますね。
あれでもまだ「軽い」先祖返りであって、ご先祖様はかなり、こう……強そうだったみたいですよ? 詳しくは知りませんけれど。
「ってことは、それまでは姿も全然違ったのか……まあやけに人間っぽすぎるというか、ケモ度が低いなとは思ってたけど」
「けもどってなによ」
「こう……動物っぽさの比率的なやつ」
「あー……獣人の度合いみたいな話? 狼耳だけのやつもいればほぼ二足歩行の狼もいるみたいな」
「だいたいそんな感じ」
よくわからないウルウ用語が出てきましたけれど、納得してもらえたようです。
まあそんな感じで、大昔は言葉も通じてなくて、お互いに獲物として狩っては素材剥いでたような関係ですので、言葉が通じるようになったからにはお互い尊重し合おうというのはまあ、ご先祖様の理性というか、相互安全保障的な暗黙の了解だったのかもしれませんね。
古代の工芸品とかがたまに見つかるんですけれど、だいたい闇とか裏とかつく方面に流れるらしいですね。私も見たことあります。革張りの椅子とか。
まあ、でも言葉が通じてもひどいことをする人もいますし、言葉が通じない動物相手にやさしくする人もいるわけで、そのあたりは一通りではありませんね。
こういう、倫理とか道徳に関する問題に明確な答えというのはなく、考え続けるということが大事らしいですよ。いつも自分の考えをまとめておけば、いざというときだれを斬るか迷わなくて済みますからね。
「そうかな……そうかも……」
ウルウは飲み下しにくいものを何とか飲み込むような顔で頷いたようでした。
そしてそのなけなしの納得も、不意に訪れた奇妙な遭遇を前にどこかへ消えてしまったようでした。
森の奥からがさりがさりと藪をかき分ける音がしたのに、誰からともなく気づいていました。
いくら小鬼たちが阿呆だからと言って、ここまで間抜けに接近してくるものだろうか、こざかしく陽動でもしているのではないか、そのように周囲を警戒しながらその襲撃を待ち構えていたところに、それは現れました。
「ぎ、ぎぃ……」
「ぉああ……おおぉおお……」
「…………緑色ではないけど」
「小鬼じゃないですよこれ」
「豚鬼ってわけでもないよね」
「どっちでもないっていうか…………村人? よね?」
がさがさと茂みを抜けてきたのは、ありふれた麻の服を着た、ありふれた男の姿でした。
ただ、半開きにした口からうめき声を漏らし、ふらふらとおぼつかない足取りをしている様子から、どうもありふれた様子とは言えないようでしたけれど。
「朝方の飲み屋街でこういうひと見かけたことあるなあ……」
「なんで朝方の飲み屋街うろついてんのよ」
「朝方まで仕事してた帰りだったからだけど」
「当たり前でしょみたいな口ぶりに闇を感じますね」
どうにも普通ではない様子は、ウルウの言うように酩酊してまともに頭の働いていないようにも見えましたし、あるいは重度の薬物中毒者のようともいえたかもしれません。
とにかく、これが尋常のありさまだとはとても思えません。
「帰ってこなかったのは、こう…………帰れる状態じゃなかったってことかな」
「まあラリってたんでしょうね」
「人が配慮しようとしてるんだからさあ……」
森の奥で、いつぞやの甘き声のような幻覚植物でも繁茂してるのか、はたまた他の要因か、村人はそれの影響で正気を失ってしまった、というのが事の真相でしょうか。
まあ生きてるうちに発見できたのですから、とにかくまずは村に送り届けて事情を説明したら、今度は人員を増やして捜索隊組んだ方がいいかもしれませんね。
私たちはそのように考え、とりあえずこの村人を保護しようと歩み寄り、
「──離れてッ!」
「えっ」
一歩引いて見ていたウルウに首根っこひっつかまれていました。
ぐん、と後ろに引っ張られる中で見えたのは、顎が外れんばかりに大口を開いて、噛みつこうとしてくる村人の姿でした。
ウルウのおかげで不意打ちの初撃をかわした私はすぐに腰の剣を鞘ごとはずし、トルンペートも距離を取って《自在蔵》に手を差し入れました。
「なに、こいつ……幻覚でも見えてんのかしら」
「どうやら先におとなしくさせないといけないみたいですね」
私たちの接近に反応したのか、ぼんやりとしていた村人は急に暴れはじめたのでした。
歯をむき出しにして獣のように叫んだかと思えば、今度は腕を振り回して飛び掛かってきます。
もちろん、技術も駆け引きもないような突進ですから、いなすのもかわすのも簡単です。
しかし、これが小鬼ならいざ知らず、村人なのです。探しに来た村人を斬るわけにもいきません。たとえ正気を失っているとしても、彼は要救助者なのです。
「適当に暴れさせて、疲れたところを捕まえる、っていうのが定番ですけれど……」
「ラリってるなら疲労感もないかもしんないわよ」
「しかも力加減はなしとくるでしょうね……」
こちらは傷つけるわけにはいかないけれど、しかしむこうは自分が傷つくのも顧みずに襲ってくる。厄介な手合いです。これが衛兵などであれば、囲んで棒で叩いても職務の一環として言い訳が聞きますけれど、他に目撃者もいない森の中で、一介の冒険屋がそれをやると後々もめかねないのが怖いところです。
どうせ誰も見ていないんだから斬り殺してなかったことにする、というのもひとつの手ではあるのですけれど、うちには恐ろしく甘っちょろいもとい優しい心を持った一党の良心ことウルウがいますからね。
できるだけ格好いいところだけ見せていきたいところです。
「うーん…………多少は傷つけるのも仕方ないと思う」
「あれ。ウルウが暴力に寛容なのも珍しいですね」
「野盗相手とかだといつも割と寛容だと思うけど……そうじゃなくて、余裕がないかも」
ウルウが困惑したように視線を向ける先では、がさがさと茂みが音を立てていました。
それも一つや二つではありません。無造作に茂みをかき分ける音が、いくつも重なって近づいてくるではありませんか。
村人の攻撃をやり過ごしながら、そちらを警戒していれば、嫌な予感が当たるものと言いますか。
「ぉぉおお……」
「ぎっ……ひっ……ぎっ……」
「はぁーっ………はぁーっ………」
なんと、というか、やはり、と言うべきか、そこにはさきほど村人が吠え立てたのを聞きつけたのか、同じように正気を失った村人たちが続々と現れたではありませんか。
そして数が増えたことでわかってきたこともあります。
「ひどいにおいですね……!」
「血の匂い、腐ったにおい…………どうにもまともじゃあないわね」
「……………」
「あっ! ウルウがこらえてるわ! 吐くの!?」
「なんでちょっと嬉しそうなの…………あとで吐く、かも」
獣臭に腐臭、血の臭い、汚物の臭い。
まるで土葬してしばらくたった墓場を掘り返してしまったような、そんな悪臭。
ただでさえにおいに敏感なウルウがだいぶげんなりしてしまっていますね。
どうやら行方不明になった村人たちは、森の奥で正気を失ったままさまよい、中にはそのまま野垂れ死んでしまったものもいるのでしょう。その血臭や死臭を払うこともできず、垢にまみれ土にまみれ、藪で肌を切っては血にまみれ、ずっと、ずっと、こうして……。
それはあまりにもおぞましい光景で、そして哀れな有様でした。
「私が殴り倒します! トルンペートは投げもので牽制を! ウルウは……大丈夫ですか? 吐きます?」
「あとで吐く」
口呼吸に切り替えて何とか耐えているっぽいウルウには待機してもらい、私とトルンペートで正気を失った村人たちを相手取ります。まあ、ウルウが戦闘に参加しないのはいつものことというか、ウルウが出なきゃいけないのは本当に危ないときだけなので、ここは格好いい私たちを見守るのがウルウの役割です。
軽口をたたきながらざっと視線を巡らして戦力把握。
最初の一人もふくめて、人族男が六人、人族女が二人。土蜘蛛女が二人。天狗の、えーっと、男女の見分けは尽きませんけれどひとり。うち何人かは骨折を含む怪我をしています。
ひとりは草刈鎌を握りこんでいますけれど、すっかり錆びついて使いものにならないでしょう。
脅威ではない、とはいえ油断もできない数ですね。
私は腰から外した剣の鞘を握り込み、柄を相手に向けるようにして構えました。
このように大槌のように構えることで、斬るのではなく殴ったり引き倒したりして無力化しようというのです。
剣というものははたから見るとするすると引き抜かれるので、簡単に抜けるものだと思うかもしれませんが、それでは走ったり馬に乗るだけで簡単にすっぽ抜けてしまいます。
実際には良い剣というものは鞘とぴったり噛み合うようにこしらえられているので、両手でしっかりと引き抜かなければ外れるようなことはありません。
また、私の剣は留め金もついていますから、こうやって振り回してもそうそう抜けるということはありません。
このように構えて鍔で殴りつける、あるいは引き倒すという戦法は普通はつばぜり合いからの変形という形で用いることが多いですけれど、捕り物となれば最初からこの構えの方が気兼ねなく殴れるというものですね。
最初の村人が前に出て、大声で叫びながら滅茶苦茶に腕を振り回してくるのを、剣の鍔ではじいて牽制。なにが原因で譫妄状態にあるかわかりませんから、直接は触りたくありません。狂犬病のような病の可能性もあります。
あまり暴れられると傷つけないようにするのは大変ですけれど、逆に、先頭が腕を振り回せば後続も迂闊には近寄れないですから、そこでもたつけば、それはそのまま人数分の肉の障壁に、
「リリオ!」
「おっとぉ!」
違う。
私はとっさに飛びずさりました。
トルンペートはそれに先んじて、すでにウルウ仕込みのボーラを投げていました。
それにからめとられて後続の一人が転倒しましたけれど、村人たちはそんなことを気にも留めずに私に迫ろうとして、先頭の一人ともつれ、あるいは転倒したひとりにつまずき、しかしてそんなことでは止まらず互いを踏みつけ押しのけながら襲い掛かります。
そうです。
彼らはいま、正気ではないのです。
阿呆の小鬼たちでさえものを考えることはしますけれど、今の彼らにはそんなことさえできないのです。互いに互いを攻撃しない理由はわかりませんけれど、とにかく彼らの頭には私たちに襲い掛かることだけがあって、自分が傷つくことも、仲間が傷つくことも考えていないのです。
転倒して他の村人に押しつぶされそうになった一人を見かねて、私は剣の鍔で村人の首あたりをひっかけて、乱暴に引き倒して遠ざけます。
そしてその隙をつくように足元から這い寄ってきた一人の頭を蹴り飛ばすと、ちょっとヤバ目の音がして焦りました。鉄板仕込んでるんでした。まあ、まだ動いてるので大丈夫でしょう。たぶん。
「というか、いくらなんでもお元気過ぎませんかねえっ!」
トルンペートがボーラに続いて投石で牽制してくれていますけれど、村人たちがひるむ様子はありません。かなり痛そうな音がしてしますし、私だって遠慮なしに石を投げられたらひるむくらいはするんですけれど。
ただの村人が、正気を失っているというだけでここまで厄介になるとは。
考えてみると小鬼とかの厄介さもそういうところかもしれません。村人は小鬼と違って殺すわけにいかないのがさらに厄介です。
「ギャァアアアァアッ!! ギャッギャアアアッ!」
「オウッオウッオッ、オギャアアアアアアアッ!!」
打ち倒しても打ち倒しても、かえって大声で叫びながら暴れまわり、涎や血をまき散らすのでこれも困ります。まじめに狂犬病その他が不安になってきたので、鎧に魔力を通して矢避けの加護を使っているほどです。こういうしぶきとか小さくて軽いものを防ぐのにも使えるというのは、便利な裏技的な使い方ですね。魔力消費は大きいですけれど。揚げ物してる時に思いつきました。
「しかし、痛みを感じていないというか……」
「狂乱状態っていうのかしらね。悪い薬物でもキメたみたいだわ」
狂乱。
なるほど、狂戦士の様相と言ってもいいかもしれません。
見れば、先ほど蹴り飛ばした村人も痛みを感じた様子もなく立ち上がってきています。他の面々もふくめて、どう見ても血まみれで骨が折れているのですけれど、全く気にせず叫び、こちらに寄ってきます。
むき出しになった歯と舌がネバづいた唾液をまき散らし、土と垢とその他もろもろで汚れた爪が空を掻きます。
「どーしましょっかね。痛みを気にしないんじゃ、あたしじゃ牽制はできないわよ」
「ええ、しかたありませんね」
狂乱の小鬼と豚鬼の群れを前に、私たちは諦めを口にしました。
そうです。これは無理です。
殺さずに十一人からの人族を取り押さえるというのは、困難が過ぎます。
それが薬物か病かわかりませんけれど、えんがちょで触りたくないのならばなおさら。
ですので、諦めます。
「簡単な手段にしましょう」
「そうねー」
いい感じの立ち回りは、無理でした。
私は腰の《自在蔵》から投網を取り出し、トルンペートが投石でいい感じに一か所にまとめてくれた村人たちにとうりゃとぶん投げました。
投網は空中で広がり、村人たちに覆いかぶさり、絡めとりました。落ち着いて下から這い出れば抜け出すのは難しくないのですけれど、当然のように暴れまわった村人たちは勝手にどんどん絡まって団子になってしまいました。
なんということでしょう。
なんの見せ場もなく終わってしまいました。
ウルウもこれにはがっかりでしょう。
「いや、私こういう血腥い雑魚戦にまでいろいろ求めないんだけど」
「いつでも格好いい私を見て欲しいんです!」
「いつでも見てるけど……」
「あたしも見なさいよ!」
「トルンペートはたまに変なの見せてくるし……」
まあ、ぶっちゃけてしまうと、正気を失ってるとか、できるだけ傷つけてはいけないとかの条件があるから困るだけで、いまさら特にに鍛えてもいない一般人が十人そこらで襲ってきてもあんまり脅威じゃないんですよね。
それこそ旅に出たばかりの私であれば、いまみたいに襲われたらだいぶ苦戦したかもしれませんけれど、ウルウと旅をし始めてから、自分でもびっくりするくらい成長してしまったんですよね。背は伸びてませんけれど。
辺境の野盗だったらさすがにもう少し苦戦したんですけれど、内地の一般村人(狂)ではこんなものでしょうか。
さすがにもうちょっと見せ場が作れるとは思ったんですけれど、狂戦士って言うほどでもなかったですね。
鍛えた技があるわけでもなく、優れた身体能力があるわけでもなく、なにかしらの作戦があるわけでもなく。
唯一、病気とかだったら感染するの嫌だなっていうのがあって腰が引けましたけれど、まあ、それも対処すればこんなものでしょうか。
「うーん……驕りたくはありませんけれど、いささか消化不良と言いますか。なんだか物足りないですね」
「まあ、私もいまさら君たちが一般人相手にどうこうなるとは思ってないけど……うん?」
「どうしたのよ」
「こいつら、なんか変じゃない?」
「だからさっきから変って言ってるじゃない」
「いや、なんかこう……」
ウルウがおかしいと感じたのは、暴れていた時の狂乱振りではなく、団子になっている村人たちそのものでした。
私も改めて捕まえた村人たちを眺めてみましたけれど………。
「うん? 私こんなに殴ってないですよね?」
「全身が妙に傷だらけだね……そのわりに、思ったほど出血は少ないな」
「っていうか折れた骨が突き出てるわよね……?」
おとなしくさせると言う大義名分もあったので割と遠慮なくぶん殴ってしまったんですけれど、それでも思った以上にあっけなく骨が折れています。もしくはもともと折れていたのか。錯乱したお仲間に噛まれたのか、なにやら噛み傷みたいなのもあります。
よく見れば肌もあちこちスリ傷だらけで、たぶん藪とか茂みとかを抜けるときに傷ついてそのままだったんでしょうけれど……なぜかどの傷も塞がってはいないけれど、どろっと濁った血が垂れています。私が殴ったことでできた傷以外の、古そうに見える傷もそうなのです。
折れた骨が肌を突き破っているような大怪我なんて、それこそ出血がひどくて止血しないとすぐ死んでしまうでしょうに……。
「……みんなおんなじだわ……なんていうのかしら。出血はあるけど血が吹き出ないっていうか」
「よく見れば肌もかさかさだね。顔色も相当悪いし」
「妙に暴れてたし、なんか妙な病気なんじゃないかしら。脳に潜り込む寄生虫とか」
「トルンペート、しれっと怖いこと言いますよね……まあ私も狂犬病とかかとは思いましたけれど」
「この世界、マジでそういうのいそうでやだなあ……」
なんじゃこれ、なんじゃこれと三人であれこれ言っていると、ウルウが不意にこんなことを言い出しました。
「この人たちもしかして死んでるんじゃないの?」
「いえ、普通に襲い掛かってきましたよね?」
「だからその、死にながら襲ってきたんじゃないかなって」
「うーん…………生き物は生まれながらに死に突き進んでいるとかいうそう言う……?」
「哲学じゃなくて! ゾンビとか……アンデッドじゃないの?」
きょとん、と思わずトルンペートと顔を見合わせてしまいました。
「ぞんび? あんでっど?」
「なんですかそれ?」
「えーと、死んでるけど死んでないっていうか……動く死体っていうか、そういうやつ」
まーたウルウがウルウ語録を持ち出してきましたよ。
という顔でトルンペートを見ると。
まーたウルウがウルウ語録持ち出してきたわね。
という顔で振り向いてきました。
「あのですね、ウルウ。死体は死んでるから死体なんですよ」
「子どもをさとすかのように!!」
「そりゃまあ、早すぎた埋葬とか、死亡判定が間違ってたってのはたまに聞くけど」
「そういうのが伝承の元とは聞くけど! そういうのでもなくて!」
要は、ウルウの言うあんでっどとかいうのは、死体が動いたり、死んだ者が蘇って人を襲ったり、そういう魔物のお話なのでした。
「もしかしてアンデッドいないの?」
「いるわけないでしょ。そんなのおとぎ話とか、肝試しの怪談とかの類じゃないの」
「まあまあ、ウルウの妖精郷にはそういうのがいるかもしれませんし」
「妖精郷言うな。まあ、私の住んでたとこでもおとぎ話の類ではあったよ」
「じゃあ完全におとぎ話じゃないですか」
「でもこっちに来てるなら、たぶん知り合いのアンデッドがいるんだよね」
「はあ?」
いよいよウルウも妖精発言が増し増しになってきましたね……なんて思ってたら、トルンペートも呆れたように肩をすくめています。
ですよね。わかります。
そしてその後ろで村人もグラグラ頭を揺らしています。
そうですよね。
そうですよね?
うん?
「ギギギギゲェェエエゲゲゲッ」
「おわーッ!?」
「色気がなさすぎる悲鳴!」
「ダメだしすな!」
それは新手の村人(狂)でした。
私たちが捕獲した村人を前に無防備にだべっている間に接近してきていたようです。
驚きのあまりウルウは叫び、トルンペートは突っ込み、私は手加減なしに顔面ぶん殴ってしまったんですけれどこれ不可抗力ってことで行けますよね?
動揺と混乱のあまり私が保身に走りかけていると、村人はむっくりと起き上がりました。
ああ、よかった、まだ生きていた、と安堵しかけた私の目に映ったものは、どう見ても首が折れている村人の姿でした。
首が完全に九十度超えてへし折れて肩と平行になってますけどここから入れる保険あります?
「人間ってこんなに可動域広いんでしたっけ……?」
「リリオが現実逃避しちゃってる…………そんなわけないでしょリリオ! さんざんあたしのこと壊して勉強したでしょ!」
「はっ、そうでした! 人間は壊すと死ぬんですよ!」
「思わず冷静になっちゃうようなヤバ目の辺境人アピールやめて?」
私たちがこわごわと見守っている間に、首折れ村人はふらふらとしばらく体を揺らして、振動のためか首がさらに折れ曲がって胸元に口付けるようになって、ようやく倒れました。
べちゃりと倒れた首折れ村人は、今度こそ本当に死んでしまったのでしょうか。いや、でもまだ微妙に動いてますね……死後痙攣とか、でしょうか?
しかし私も、トルンペートも、そしてウルウも、気づけば身を寄せ合うようにしながら、死体から距離を取っていました。
もしかしたらまだ立ち上がるのではないか。
そんなバカげた不安が頭をよぎっていました。
「い、生きてたのかしらね。まだ。首なしで動く鶏がいたって話もあるし……」
「人間でそういう話は聞いたことなんですけれど……」
「いや……死んでた。絶対死んでた。はず」
動揺しながらも軽口をたたいたトルンペートに、ウルウが首を振ります。その目は奇妙な色彩に輝いていました。
「私の目は生命を見通すことができる。理屈はわからないけど」
「ウルウのまじない、理屈わかんないのばっかよね」
「茶化さないの。とにかく、こいつは死んでたはずなんだ。リリオが殺しちゃったと思って確かめたんだ。個体としては確かに死んでる、なのに…………動いてた。首が折れてもしばらくは」
「ま、まあ斬首してもしばらく意識が残ってるって話も」
「他の村人も見た」
しん、と思わず三人が三人、黙り込んでしまいました。
ウルウがはっきりとは言わなかったことを、私とトルンペートはじっくりと時間をかけて理解しつつありました。
この話の流れで、そんなことを言う、ということは。
「つまり……なによ? この人たちは死んでて、死んでるのに、動いてるっていうの?」
「……………そう、なる」
私たちにはウルウのまじないがどのようなものかわかりません。
しかし、ウルウがそんな冗談を言うような人ではないことはよくわかっています。
険しい表情でじっと死体を見つめる横顔に、嘘はありませんでした。
動く死体。死なず者。
「ねえ、アンデッドって本当にいないの?」
「いないわよ。いるはずないでしょ」
「そうです。いるはずがありません。いるとしたら……」
いるとしたら、それは本当に大変なことなのでした。
ウルウの目には死体に映るという村人たちのうめき声が、森の静寂を汚していました。
用語解説
・フォルノシード(Fornosido)
土蜘蛛、荒絹氏族の特等武装女中。三十六歳女性。
先祖返りが甚だしく、他の土蜘蛛より甲殻が顕著で、また腰から下が蜘蛛の腹部のように肥大化し、脚部も強靭。
美しく豊かな容姿だが、戦闘においては冷徹で残酷。
・ケモ度
あるキャラクターにどの程度の動物的特徴があるかを示す造語。
ひとによって度合いや好みは異なる。
度合いによって優劣や高低などがあるわけではない点に注意。
・甘き声
乙種魔獣。夢魔。キノコの一種で、地中に広く菌床を広げる。子実体は普通のキノコと変わりない地味なものだが、周囲の水分に混ぜ込んで靄のようにして胞子を放ち、吸い込んだものを深い眠りに落とす。
夢の中で甘き声はその者の抱える心の傷を掘り出し、その痛みを吸い取って心を癒す。
程々であれば治療にもなるが、人はやがて苦痛から解放されることで心をぐずぐずに溶かされ、最終的には廃人となり、その肉体は苗床となる。
・知り合いのアンデッド
MMORPG《エンズビル・オンライン》で閠が所属していたギルド《選りすぐりの浪漫狂》のギルドマスターはリッチというアンデッド種族だった。通称は《軍団ひとり》。
・動く死体(Sorĉkadavro)/死なず者(Malmortulo)
亡霊などの怪談話は広く語られているが、少なくとも帝国においてアンデッド系統の実在は現在認められていない。
死霊術と言った技術系統も現在存在しない。


