・前回のゴスリリ
山盛りの朝食
リリオのお手紙
飛脚を相手にビビって隠れるウルウ、の三本でお送りしました。
旅籠でたっぷりと朝食を頂いて、軽くなったお財布の分、いえ、それ以上の満足を覚えながらさっそく出発、の前に飛脚問屋に向かいます。
ヴォーストの街にいるおじさんには、事前に向かいますよというお手紙を出してはいるのですけれど、大体の時期は伝えてあっても何しろ旅は不測の事態で溢れています。何月何日何時ごろにつきますよとはなかなか言えないものです。
なので近くまで来たのでこうして改めてお手紙を出して先ぶれしておくのです。そうすればおじさんが用事で出かけていても事務所の人に話は通じますし、慌てて出迎えの準備をさせることもなく済むわけです。
飛脚問屋は朝早いということもあって盛況でした。
大抵の場合飛脚は朝の内から出発して少しでも距離を稼ぐので、朝が一番依頼が多いのです。
勿論、この規模の宿場町ならある程度の人員はどの時間帯でも必ず常駐しているので、よっぽど繁忙期でもないと飛脚がいなくて手紙が出せない、ということはそうそうないのですけれど。
少し並んで受付に手紙を出し、重量と時間に合わせた金額を支払い、気の良さそうな飛脚のお兄さんに手紙を預けます。
飛脚は言ってみれば郵便専門の冒険屋で、足も速く、ある程度の自衛もできて、そして公務員なので信頼もおけます。
ただの冒険屋に頼むときは失敗することや依頼をほっぽり出すことも考えて何通か別口で出しますけれど、飛脚にはそういった心配はまずありません。信用が命の商売ですからね。
さて、お手紙も出しましたしさっそくおじいさんと合流しましょうか、と問屋を出ましたが、振り向けばウルウがまた半透明になっています。
はいぢんぐとかくろぉきんぐとかいう、不思議な魔術で、一緒に旅をしている私には少し見えるけれど、他の人には全く見えなくなってしまうのです。
やっていることはものすごい気がするのですけれど、それを人混みがつらいとかいろいろ面倒になってとかそういう理由で使うのでなんだかあんまりすごく感じません。
しかし、ある程度混んでいたとはいえそこまで辛かったのでしょうか。
不思議に思って見上げると、ウルウはたったかと軽快に走っていく飛脚のお兄さんの背をしばらく眺めて、それからゆっくり外套でも脱ぐようなしぐさをして術を解きました。
そして少しの間悩むようにして眉間をさすって、私に小声で訪ねてきました。
「……ああいうのって普通なの?」
「ああいうの?」
「その……四つ足で四つ腕っていうのは」
ウルウの質問を少しの間咀嚼して、私は、ああ、と得心しました。
またウルウの世間知らずが出たのです。
「もしかして、土蜘蛛の人を見るのは初めてですか?」
「ろんが……なんだって?」
土蜘蛛、というのは隣人種のひとつで、山の神ウヌオクルロが従属種として連れてきた種族と言われています。
氏族によって多少外観は変わりますけれど、四本の足と四本の腕、それに八つの目を持つ種族ですね。
多くは鉱山などに住んで掘削と鍛冶を得意としていて、一部森に棲む氏族は狩りを得意としています。
飛脚問屋に多く勤めている足高という氏族は、もともとは西部に広く住んでいた氏族なんですけれど、足がとても速いことから飛脚業務で重宝されて、帝国全土に広まったという経緯があるそうです。
人族に比べると確かに数は少ないですけれど、思わず姿を隠す勢いで驚くなんて、もしかしたらウルウは隣人種とほとんど縁がないような生活を送ってきたのでしょうか。
帝国で生活している以上まずそんなことはないと思うのですけれど……謎です。
まさか聖王国から密入国してきたとも思えませんし。謎です。
でもまあ、気にするのも野暮ですよね。うん。
足高の人たちは大体気のいい人たちばかりですよと言っておきましたけれど、ウルウはまだ落ち着かないようです。
私は子供のころから隣人の人たちとは身近に育ってきたのであまり違和感はないのですけれど、そんなに不思議なものでしょうか。
ともあれ、私たちは旅を共にしてきた商人のおじいさんと合流して、また車上の人となりました。
おじいさんは昨日のことを何にも聞いてきませんでした。そしてそのうえで、態度も変えないでくれました。
私だけでなくウルウにも何でもないように話しかけ、素っ気ない対応にも鷹揚に笑ってくれます。胆の太い方です。
幸い、道中で野盗に襲われるようなことはなく、馬車に揺られながら旅籠で包んでもらったお昼ご飯を頂くような余裕もあり、ずいぶん楽な旅をさせてもらいました。
これが乗合馬車で行こうとすればもっと時間がかかったでしょうし、なによりお金がかかりました。
大して仕事もしないで乗せてもらうのも悪いなと、やっぱりいくらか包もうと思ったのですけれど、やんわりと止められました。
「娘さんには野盗を追い払ってもらったさ。それに、一生ものの珍しいものも見せてもらった。こっちがお釣りを払いたいくらいさ」
ひげをしごきながらにこにこと笑う姿は全くのんきな楽隠居といった具合で、あのような異常事態を笑って見過ごしてくれるというのです。年をとったらこのようになりたいと思うような、実に見事な貫禄です。
まあその貫禄も、ウルウがでも悪いからと霊薬を一本取りだすと、頼むからやめてくれとすぐに大慌てで取り下げられましたけれど。
そりゃあ売れば相当な金額にはなりそうですけれど、それ以上にとてつもない大騒ぎになりそうですから、商人としては売るよりもまずかかわりたくないというのが本音でしょう。
そうして昼過ぎ頃に、私たちはヴォーストの街にたどり着きました。
竜の尾。
それは恐ろしき竜たちの棲まう封印の地を覆い隠す臥龍山脈、そこからするりと内陸へ伸びた峰美しき山々の連なりのことであり、そしてその麓に構えられた街の名前でもあります。
竜の尾に寄り添うこの街は、武骨な石垣の街壁を白々と陽光にさらしながら、旅人たちの訪れを待ち構えているのでした。
ヴォーストの街は東西南北の四つの門があり、その内の南北の門は街を貫く河川に合わせて作られた水門で、これは船が出入りするものでした。
私たちをのせた馬車は東の門に並び、その堂々たる作りの街壁を見上げながら門をくぐるのでした。
「ようこそヴォースト・デ・ドラーコへ。用向きは?」
「商いで。荷はレーンで仕入れた亜麻仁油と飛竜革だ」
「確かに。通商手形は?」
「こいつだ」
「確かに」
衛兵も手慣れていて、おじいさんの馬車の検問はすぐに済みました。
私たちは馬車から降り、別口で検問を受けます。
「ようこそヴォースト・デ・ドラーコへ。用向きは?」
「成人の儀にて諸国漫遊の旅路にございます」
衛兵はぴくりと眉を上げると、ウルウをちらと見ました。
「お連れは一人で。通行手形は?」
「こちらに」
「確かに」
胸元から銅板の割符を出して見せれば衛兵は一つ頷き、それから少し顔を寄せて笑いかけてきました。
「兄君はお元気ですかな」
「ティグロをご存知ですか?」
「兄君の成人の頃にも私がここに仕えていました。お顔が似ていらっしゃる」
「兄妹ともどもお世話になります」
「ふっふっふ。兄君にお会いしたらお伝え願いたい。『東門のグレゴリオが金砕棒構えて待っている』とね」
「あー……その節はご迷惑を?」
「ふっふっふ」
どうも兄はここでそれなりのやんちゃをしでかしたようです。
ちょっと怖い笑顔の衛兵に頭を下げて、ウルウと連れ立って門をくぐりました。
門をくぐった先の街並みに、ウルウはちょっと息をのんだようでした。
それは街並みの見事さと、そして人の多さにかもしれません。
ヴォーストは辺境の街とはいえ、エージゲ領ではまず一等大きな街です。
先の宿場町もそれなりに人の通りは多かったですけれど、ここはその人々が集まり、暮らしている街なのです。
門の傍ということで旅人たちを待ち構えるように宿が並び、宿が並べば飯屋も並び、飯屋に続いて旅の道具に水や食料の商いにと、まず街の中で一等騒がしいのがこのあたりなのです。
「娘さん、娘さん」
「ああ、おじいさん」
「娘さん方はこの街に残るんだったね」
「ええ、ええ」
「わしは一泊するが、そのあとはもうすぐに次の街へ旅立つからね、ここでお別れという訳だ」
「随分お世話になりました」
「なあになに、こっちこそ随分楽しい旅だった。この年になっても旅商人は続けるものだ」
「ふふふ。ではこの後の旅もお達者で。旅の神ヘルバクセーノのご加護を」
「娘さんもな。冒険の神ヴィヴァンタシュトノのご加護を」
私たちはそれぞれの旅の無事を祈って別れました。
するとウルウが、人込みで騒がしいからでしょう、少し屈んで私の耳元に尋ねました。
「今のは?」
「はい?」
「旅の神とか、冒険の神とか」
「ああ、まあ、旅の挨拶みたいなものですよ」
旅の神ハルベクセーノは、風の神の眷属で、旅する者たちの守護神であり、旅を愛する神様です。一つ所に落ち着かない神様で、その神殿も基本的にはどこかに居を構えることのない移動し続けのものと聞いたことがあります。
旅人や旅商人は慣習的にこの神の加護を祈って別れるのです。
また冒険の神ヴィヴァンタストノは冒険屋の元祖である人神で、様々な冒険で神々を楽しませ、その功をもって陞神したとされています。非常に破天荒で型破りだったとされ、その加護もよくわからないところが多いのですけれど、冒険屋にとっては崇めておいて損のない神様です。
「冒険屋?」
「あれ、言ってなかったでしたっけ」
小首を傾げるウルウに、私も小首を傾げます。
「私、冒険屋になりにこの街に来たんですよ」
用語解説
・土蜘蛛
足の長い人の意味。
隣人種の一種。
山の神ウヌオクルロの従属種。
四つ足四つ腕で、人間のような二つの目の他に、頭部に六つの宝石様の目、合わせて八つの目を持つ。
人間によく似ているが、皮膚はやや硬く、卵胎生。
氏族によって形態や生態は異なる。
・山の神ウヌオクルロ
境界の神、火の神に次いで三番目にこの地に訪れた天津神。製鉄や鍛冶の神でもあり、山に住まう土蜘蛛達は特に強くこの神の加護を受けている。
不定形の泥でできた、決して開かれない一つ目を持つ巨人とされるが、その詳細な姿は想起することさえ狂気を呼ぶ。
・足高
土蜘蛛の氏族の一つ。遊牧民。足の速い家畜たちとともに平原を移動する氏族。
非常に足が速く、弓を得意とする狩猟民族でもある。
主に西部の平原地帯に住んでいるが、帝国の宿場制度と飛脚制度が広まるにつれてその足の速さを徴用され安定した公務員として就職するものも多い。
・通商手形
商人たちが関所や街門を通過するために使用する手形。領主の許可証という形だが、実際には各町村の役所・役場で発行される。
・通行手形
商売を目的としない旅人の使用する手形。こちらも役所・役場で発行されるのが普通。
・成人の儀にて諸国漫遊の旅路
貴族の子息・子女が成人すると、近隣の領地に旅に出すのが帝国の慣習である。
これは目的のひとつに他領のやり方を見て学ぶことがあり、またひとつに他領の不正などを見つけこれを報告し健全化を図ることがある。
その家によって、はっきりと世人の儀式であると明らかにして大々的に旅をするもの、立場を隠して一介の旅人として見て回るものなどがあり、リリオの場合はどちらかと言えば後者のようだ。
・金砕棒
凶器。鬼の金棒をイメージするのが一番わかりやすいと思われる。
・旅の神ヘルバクセーノ
人神。初めて大陸を歩き回って制覇した天狗が陞神したとされる。この神を信奉するものは旅の便宜を図られ、よい縁に恵まれるという。その代わり、ひとところにとどまると加護は遠のくという。
・冒険の神ヴィヴァンタシュトノ
人神。後に冒険屋と呼ばれることになる人々の走り。冒険卿とも。貴族の身でありながらとにかく冒険を好み、陸地では臥龍山脈の登頂、極地の踏破、海に在っては眠れる海神の都の発見など伝説に事欠かない。この神を信奉するものは冒険において多大なる加護を得るも、ハプニングやトラブルに見舞われるという。
・冒険屋
いわゆる何でも屋。下はドブさらいから上は竜退治まで、報酬次第で様々なことを請け負う便利屋。
きっちりとした資格という訳ではなく、殺しはしないというポリシーを持つものや、ほとんど殺し屋まがいの裏家業ものまで幅広い。
山盛りの朝食
リリオのお手紙
飛脚を相手にビビって隠れるウルウ、の三本でお送りしました。
旅籠でたっぷりと朝食を頂いて、軽くなったお財布の分、いえ、それ以上の満足を覚えながらさっそく出発、の前に飛脚問屋に向かいます。
ヴォーストの街にいるおじさんには、事前に向かいますよというお手紙を出してはいるのですけれど、大体の時期は伝えてあっても何しろ旅は不測の事態で溢れています。何月何日何時ごろにつきますよとはなかなか言えないものです。
なので近くまで来たのでこうして改めてお手紙を出して先ぶれしておくのです。そうすればおじさんが用事で出かけていても事務所の人に話は通じますし、慌てて出迎えの準備をさせることもなく済むわけです。
飛脚問屋は朝早いということもあって盛況でした。
大抵の場合飛脚は朝の内から出発して少しでも距離を稼ぐので、朝が一番依頼が多いのです。
勿論、この規模の宿場町ならある程度の人員はどの時間帯でも必ず常駐しているので、よっぽど繁忙期でもないと飛脚がいなくて手紙が出せない、ということはそうそうないのですけれど。
少し並んで受付に手紙を出し、重量と時間に合わせた金額を支払い、気の良さそうな飛脚のお兄さんに手紙を預けます。
飛脚は言ってみれば郵便専門の冒険屋で、足も速く、ある程度の自衛もできて、そして公務員なので信頼もおけます。
ただの冒険屋に頼むときは失敗することや依頼をほっぽり出すことも考えて何通か別口で出しますけれど、飛脚にはそういった心配はまずありません。信用が命の商売ですからね。
さて、お手紙も出しましたしさっそくおじいさんと合流しましょうか、と問屋を出ましたが、振り向けばウルウがまた半透明になっています。
はいぢんぐとかくろぉきんぐとかいう、不思議な魔術で、一緒に旅をしている私には少し見えるけれど、他の人には全く見えなくなってしまうのです。
やっていることはものすごい気がするのですけれど、それを人混みがつらいとかいろいろ面倒になってとかそういう理由で使うのでなんだかあんまりすごく感じません。
しかし、ある程度混んでいたとはいえそこまで辛かったのでしょうか。
不思議に思って見上げると、ウルウはたったかと軽快に走っていく飛脚のお兄さんの背をしばらく眺めて、それからゆっくり外套でも脱ぐようなしぐさをして術を解きました。
そして少しの間悩むようにして眉間をさすって、私に小声で訪ねてきました。
「……ああいうのって普通なの?」
「ああいうの?」
「その……四つ足で四つ腕っていうのは」
ウルウの質問を少しの間咀嚼して、私は、ああ、と得心しました。
またウルウの世間知らずが出たのです。
「もしかして、土蜘蛛の人を見るのは初めてですか?」
「ろんが……なんだって?」
土蜘蛛、というのは隣人種のひとつで、山の神ウヌオクルロが従属種として連れてきた種族と言われています。
氏族によって多少外観は変わりますけれど、四本の足と四本の腕、それに八つの目を持つ種族ですね。
多くは鉱山などに住んで掘削と鍛冶を得意としていて、一部森に棲む氏族は狩りを得意としています。
飛脚問屋に多く勤めている足高という氏族は、もともとは西部に広く住んでいた氏族なんですけれど、足がとても速いことから飛脚業務で重宝されて、帝国全土に広まったという経緯があるそうです。
人族に比べると確かに数は少ないですけれど、思わず姿を隠す勢いで驚くなんて、もしかしたらウルウは隣人種とほとんど縁がないような生活を送ってきたのでしょうか。
帝国で生活している以上まずそんなことはないと思うのですけれど……謎です。
まさか聖王国から密入国してきたとも思えませんし。謎です。
でもまあ、気にするのも野暮ですよね。うん。
足高の人たちは大体気のいい人たちばかりですよと言っておきましたけれど、ウルウはまだ落ち着かないようです。
私は子供のころから隣人の人たちとは身近に育ってきたのであまり違和感はないのですけれど、そんなに不思議なものでしょうか。
ともあれ、私たちは旅を共にしてきた商人のおじいさんと合流して、また車上の人となりました。
おじいさんは昨日のことを何にも聞いてきませんでした。そしてそのうえで、態度も変えないでくれました。
私だけでなくウルウにも何でもないように話しかけ、素っ気ない対応にも鷹揚に笑ってくれます。胆の太い方です。
幸い、道中で野盗に襲われるようなことはなく、馬車に揺られながら旅籠で包んでもらったお昼ご飯を頂くような余裕もあり、ずいぶん楽な旅をさせてもらいました。
これが乗合馬車で行こうとすればもっと時間がかかったでしょうし、なによりお金がかかりました。
大して仕事もしないで乗せてもらうのも悪いなと、やっぱりいくらか包もうと思ったのですけれど、やんわりと止められました。
「娘さんには野盗を追い払ってもらったさ。それに、一生ものの珍しいものも見せてもらった。こっちがお釣りを払いたいくらいさ」
ひげをしごきながらにこにこと笑う姿は全くのんきな楽隠居といった具合で、あのような異常事態を笑って見過ごしてくれるというのです。年をとったらこのようになりたいと思うような、実に見事な貫禄です。
まあその貫禄も、ウルウがでも悪いからと霊薬を一本取りだすと、頼むからやめてくれとすぐに大慌てで取り下げられましたけれど。
そりゃあ売れば相当な金額にはなりそうですけれど、それ以上にとてつもない大騒ぎになりそうですから、商人としては売るよりもまずかかわりたくないというのが本音でしょう。
そうして昼過ぎ頃に、私たちはヴォーストの街にたどり着きました。
竜の尾。
それは恐ろしき竜たちの棲まう封印の地を覆い隠す臥龍山脈、そこからするりと内陸へ伸びた峰美しき山々の連なりのことであり、そしてその麓に構えられた街の名前でもあります。
竜の尾に寄り添うこの街は、武骨な石垣の街壁を白々と陽光にさらしながら、旅人たちの訪れを待ち構えているのでした。
ヴォーストの街は東西南北の四つの門があり、その内の南北の門は街を貫く河川に合わせて作られた水門で、これは船が出入りするものでした。
私たちをのせた馬車は東の門に並び、その堂々たる作りの街壁を見上げながら門をくぐるのでした。
「ようこそヴォースト・デ・ドラーコへ。用向きは?」
「商いで。荷はレーンで仕入れた亜麻仁油と飛竜革だ」
「確かに。通商手形は?」
「こいつだ」
「確かに」
衛兵も手慣れていて、おじいさんの馬車の検問はすぐに済みました。
私たちは馬車から降り、別口で検問を受けます。
「ようこそヴォースト・デ・ドラーコへ。用向きは?」
「成人の儀にて諸国漫遊の旅路にございます」
衛兵はぴくりと眉を上げると、ウルウをちらと見ました。
「お連れは一人で。通行手形は?」
「こちらに」
「確かに」
胸元から銅板の割符を出して見せれば衛兵は一つ頷き、それから少し顔を寄せて笑いかけてきました。
「兄君はお元気ですかな」
「ティグロをご存知ですか?」
「兄君の成人の頃にも私がここに仕えていました。お顔が似ていらっしゃる」
「兄妹ともどもお世話になります」
「ふっふっふ。兄君にお会いしたらお伝え願いたい。『東門のグレゴリオが金砕棒構えて待っている』とね」
「あー……その節はご迷惑を?」
「ふっふっふ」
どうも兄はここでそれなりのやんちゃをしでかしたようです。
ちょっと怖い笑顔の衛兵に頭を下げて、ウルウと連れ立って門をくぐりました。
門をくぐった先の街並みに、ウルウはちょっと息をのんだようでした。
それは街並みの見事さと、そして人の多さにかもしれません。
ヴォーストは辺境の街とはいえ、エージゲ領ではまず一等大きな街です。
先の宿場町もそれなりに人の通りは多かったですけれど、ここはその人々が集まり、暮らしている街なのです。
門の傍ということで旅人たちを待ち構えるように宿が並び、宿が並べば飯屋も並び、飯屋に続いて旅の道具に水や食料の商いにと、まず街の中で一等騒がしいのがこのあたりなのです。
「娘さん、娘さん」
「ああ、おじいさん」
「娘さん方はこの街に残るんだったね」
「ええ、ええ」
「わしは一泊するが、そのあとはもうすぐに次の街へ旅立つからね、ここでお別れという訳だ」
「随分お世話になりました」
「なあになに、こっちこそ随分楽しい旅だった。この年になっても旅商人は続けるものだ」
「ふふふ。ではこの後の旅もお達者で。旅の神ヘルバクセーノのご加護を」
「娘さんもな。冒険の神ヴィヴァンタシュトノのご加護を」
私たちはそれぞれの旅の無事を祈って別れました。
するとウルウが、人込みで騒がしいからでしょう、少し屈んで私の耳元に尋ねました。
「今のは?」
「はい?」
「旅の神とか、冒険の神とか」
「ああ、まあ、旅の挨拶みたいなものですよ」
旅の神ハルベクセーノは、風の神の眷属で、旅する者たちの守護神であり、旅を愛する神様です。一つ所に落ち着かない神様で、その神殿も基本的にはどこかに居を構えることのない移動し続けのものと聞いたことがあります。
旅人や旅商人は慣習的にこの神の加護を祈って別れるのです。
また冒険の神ヴィヴァンタストノは冒険屋の元祖である人神で、様々な冒険で神々を楽しませ、その功をもって陞神したとされています。非常に破天荒で型破りだったとされ、その加護もよくわからないところが多いのですけれど、冒険屋にとっては崇めておいて損のない神様です。
「冒険屋?」
「あれ、言ってなかったでしたっけ」
小首を傾げるウルウに、私も小首を傾げます。
「私、冒険屋になりにこの街に来たんですよ」
用語解説
・土蜘蛛
足の長い人の意味。
隣人種の一種。
山の神ウヌオクルロの従属種。
四つ足四つ腕で、人間のような二つの目の他に、頭部に六つの宝石様の目、合わせて八つの目を持つ。
人間によく似ているが、皮膚はやや硬く、卵胎生。
氏族によって形態や生態は異なる。
・山の神ウヌオクルロ
境界の神、火の神に次いで三番目にこの地に訪れた天津神。製鉄や鍛冶の神でもあり、山に住まう土蜘蛛達は特に強くこの神の加護を受けている。
不定形の泥でできた、決して開かれない一つ目を持つ巨人とされるが、その詳細な姿は想起することさえ狂気を呼ぶ。
・足高
土蜘蛛の氏族の一つ。遊牧民。足の速い家畜たちとともに平原を移動する氏族。
非常に足が速く、弓を得意とする狩猟民族でもある。
主に西部の平原地帯に住んでいるが、帝国の宿場制度と飛脚制度が広まるにつれてその足の速さを徴用され安定した公務員として就職するものも多い。
・通商手形
商人たちが関所や街門を通過するために使用する手形。領主の許可証という形だが、実際には各町村の役所・役場で発行される。
・通行手形
商売を目的としない旅人の使用する手形。こちらも役所・役場で発行されるのが普通。
・成人の儀にて諸国漫遊の旅路
貴族の子息・子女が成人すると、近隣の領地に旅に出すのが帝国の慣習である。
これは目的のひとつに他領のやり方を見て学ぶことがあり、またひとつに他領の不正などを見つけこれを報告し健全化を図ることがある。
その家によって、はっきりと世人の儀式であると明らかにして大々的に旅をするもの、立場を隠して一介の旅人として見て回るものなどがあり、リリオの場合はどちらかと言えば後者のようだ。
・金砕棒
凶器。鬼の金棒をイメージするのが一番わかりやすいと思われる。
・旅の神ヘルバクセーノ
人神。初めて大陸を歩き回って制覇した天狗が陞神したとされる。この神を信奉するものは旅の便宜を図られ、よい縁に恵まれるという。その代わり、ひとところにとどまると加護は遠のくという。
・冒険の神ヴィヴァンタシュトノ
人神。後に冒険屋と呼ばれることになる人々の走り。冒険卿とも。貴族の身でありながらとにかく冒険を好み、陸地では臥龍山脈の登頂、極地の踏破、海に在っては眠れる海神の都の発見など伝説に事欠かない。この神を信奉するものは冒険において多大なる加護を得るも、ハプニングやトラブルに見舞われるという。
・冒険屋
いわゆる何でも屋。下はドブさらいから上は竜退治まで、報酬次第で様々なことを請け負う便利屋。
きっちりとした資格という訳ではなく、殺しはしないというポリシーを持つものや、ほとんど殺し屋まがいの裏家業ものまで幅広い。