前回のあらすじ

かわいいかわいいカイコ見学。
ぬいぐるみ化してもいいのよ?




 村長自慢の、いえいえ、村の誇りでもあり宝でもある蚕を見せていただいた私たちは、その愛らしくも哀れな生き物の生活を妨げないように、そっと一階に戻りました。
 そっと差し出された一番真新しいであろう茣蓙に腰を下ろして、あたたかな囲炉裏の火にあたっていると、ブランクハーラの家で戦争鱈(ミリタガード)の鍋を食べていたことを思い出します。
 しっかりと厚着はしていましたけれど、やはり冬の辺境は寒いですからね。遠慮なく暖まりましょう。
 火に手をかざして、表裏を炙るように温めながら、私はウルウの様子を伺います。

「ただの蚕じゃないだろうとは思ってたけど……やっぱり蜘蛛の仲間か……」

 ウルウは好奇心で生きているようなところがあるので、見るは見ましたし、説明もきちんと聞いていましたけれど、やっぱり足の多い生き物はあまり得意ではないようです。
 でも犬は慣れましたし、それから比べたら脚なんてないに等しい蚕もすぐになれるのではないでしょうか。

「まあ、パッと見た感じはぬいぐるみみたいでかわいいかもってなるんだけど、後ろ足とか口元とかがもろに虫だったからね……覚悟しておいたら大丈夫かもしれないけど、正面からは見たくない」

 成程。
 そう言えば犬も、毛並みとかは大丈夫でしたけど、口元はあんまり覗き込みたくない感じでしたね、ウルウ。
 まあ普通の獣とかと比べると蟲獣は露骨に造りが違いますから、慣れない人はなんだか不思議な、異界の生き物のようにも見えるのかもしれません。
 日常的に狩りなどで接しているとあんまり感じるところもないのですけれど、食材の形でしか見たことのない内地の貴族なんかは、もとの形を見たこともないし、恐ろしく感じることもあると以前聞いたことがあります。
 随分やわだなあと思ったものですけれど、ウルウのそういうところを見ると、可愛らしいなあと思ってしまうのでこれはもはや処置なしです。

 ウルウは蚕にちょっとげんなりしてるみたいですけれど、絹は辺境では貴重な収入源です。
 どれくらい貴重かというと、蚕を盗んだものは一族郎党、体を内側から溶かす土蜘蛛(ロンガクルルロ)の消化液を流し込まれて死ぬまで晒し者にし、死んだ後は潰して家畜の餌か肥料にするという処刑方法が一般的なくらいです。
 もう少し軽い例で行くと、絹糸を盗んだものは同じ重さの肉を生きたまま虫の餌にするとか、絹布を盗んだものは同じ面積の皮膚を生きたまま剥ぐとか、そういう感じですね。

 見学してきたような形で作られた絹は、総監督でもあり検査役でもある土蜘蛛(ロンガクルルロ)の氏族、荒絹(フーリオーリ)がしっかりと検めて、少しの瑕も許さず徹底的に弾いていき、ようやく市場に流れます。
 その流通も、それぞれの村が勝手に売るのではなく、村々を取りまとめる郷士(ヒダールゴ)たちが集め、全てを全て辺境印の絹として管理した上でのものとなります。
 これも一つの公共事業といってもいいでしょうね。
 作物の実りが乏しい辺境においては、この絹が財源となって民を生かしているのです。

 辺境産の絹は、単なる希少性や美しさだけでなく、その丈夫なことと魔力の乗りが良いことが高い評価を受けています。
 非常にもったいない使い方ですけれど、重ねれば鋭い剣も刃が止まり、矢も徹らずという程です。勿論、衝撃は逃せませんし、結構重ねなければなりませんけれど、非常に軽く、通気性や保温性も良く、肌触りも良いという布としての品質も非常に高いので、貴族や要人の衣服にはもってこいというわけです。

 同じ繊維系としては、トルンペートたち武装女中のお仕着せとか、騎士の鎧下とかに使われている硝子蓑蟲(ヴィトラサクラルヴォ)の糸が文句なしの最上級品なんですけれど、これは蚕のようにたくさんは糸を出してくれませんし、扱いも難しいんですよね。
 並の刃物では傷ひとつつかない、つまりは糸一本切るのも大変なわけで。
 ぶっちゃけた話、完全装備の全身金属鎧とか、飛竜革の鎧と比べても、武装女中のお仕着せって割高だったりします。
 最悪、汚れたら火にくべれば汚れだけ燃えて本体は無傷って話しましたっけ。してないですよね。
 純粋に防御力で考えたら飛竜革鎧の方がずっといいんですけど、見栄えよく美しくを全く損なわずに並の鎧以上の性能を持たせるとかいう、辺境人をして頭おかしいと思える性能してますからね。

 そのようなことを話しているうちに、囲炉裏にかけられていた鋳物の鉄瓶が沸き、村長がすりおろした生姜(ジンギブル)を加えて、さらに匙でとろりとした琥珀色を混ぜ入れ、最後に水溶き芋粉でとろみをつけます。
 そうして、温かい生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)が不揃いな湯飲みに注がれました。
 ありがたく受け取ってみると、ふわりと立ち上るのは甘く薫り高い湯気でした。

「……これは……もしかして、楓の蜜?」
「そうです。生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)に楓蜜を入れるのが辺境流ですね」

 場合によっては、生姜(ジンギブル)甘茶(ドルチャテオ)もないので白湯に楓蜜と芋粉を溶いただけのこともありますね。
楓蜜は糖分や、様々な滋養に富んでいますので、ただ白湯を飲んで暖まるよりもずっと効果があります。
 それに、甘いものを飲むと人間誰しもほっとするものですからね。

 蜂蜜の生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)も美味しいものですけれど、やっぱり楓蜜の生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)はほっとします。生姜(ジンギブル)のぴりりとした辛さに、楓蜜の濃い薫り。
 冬の辺境の味ですね。
 冷めにくいよう芋粉でとろみをつけた生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)は、私たちの身も心もほっと温めてくれたのでした。

「ざっくりと見ただけですけれど、辺境の村は大体どこもこんな感じですね。どうでしたか?」
「うん……他の地域の人から魔境とか地獄とか散々言われてたけど」
「言われてましたね」
「暮らしてるのは普通の人たちで、普通にもてなしてくれて、普通の人だなって」
「フムン」
「雪もすごいし、生活も大変そうではあるけど、でも偏見でものを言うのはよくないなって思ったよ」
「ふふふ。ウルウも辺境に慣れてくれれば幸いです」

 まあ。
 なんです。
 旅情を満喫しているウルウが可愛そうですので、その普通の人たちは熊とか鉈一本で狩ってくるし、人一人当たりの命のお値段が安いし、時々野盗とか他の村と小競り合いして容赦なく手足とか命とか切り捨ててるってことは言わないでおきましょう。
 内地の人の想像する魔境が、現実の辺境と比べるといくらか平和だっていうのも伝えないでおきましょう。

 知らない。わからない。見てない。聞いてない。
 大事ですね。

 生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)を頂いてほんわかしているウルウを生暖かい目で見守り、今後目にするであろう辺境の現実に思いをはせるのでした。

 ところで早速やってきた辺境の現実その一は、夕食として振舞われた蕎麦粥(ファゴピラカーチョ)でした。

 寒くて雨の少ない辺境でも育ってくれる蕎麦(ファゴピロ)は辺境では主食として広く栽培されています。
 なにしろ収穫までも早いですし、小麦の育たない土地でも実をつけますから、辺境の胃袋を支える貴重な作物です。
 辺境自慢は蕎麦(ファゴピロ)自慢なんて言うくらい、辺境では蕎麦(ファゴピロ)がよく食卓に上がるんですよ。
 他にも黒麦や大麦も良く育てられ、大麦からはご存知麦酒(エーロ)がたくさん作られますね。

 さて、蕎麦粥(ファゴピラカーチョ)はその蕎麦(ファゴピロ)の実をひきわりにして、乳と乳酪(ブテーロ)、場合によっては肉や野菜の出汁で粥にしたものなのです。
 単に(カーチョ)といった場合この蕎麦粥(ファゴピラカーチョ)を指すくらい、辺境では一般的な、ありふれた食事の一つですね。
 これがですね、うん、まあ、なんというか。

「…………味がしない」
「しないわけではないんですけどね」

 これ、塩を全然使わないんですよ。
 蕎麦粥(ファゴピラカーチョ)に限らず、塩気がかなり少ないものが多いです。
 塩湖であるペクラージョ湖で製塩はしていますけれど、何しろ一年の半分が雪に閉ざされる辺境では流通が大変でして、農村では塩が貴重なんですよ、やっぱり。
 保存食づくりとかにもがっつり使うので、普段の食事にはなかなか。
 逆に言えばそう言った保存食と合わせればまあ何とかという感じでもありますけど、辺境ではこういう時に使うものがあります。

「……それさあ。そのお粥にかけてるのさあ」
「お察しの通りです」
「塩とかじゃないの、ここは」
「塩より安いんですよ、辺境だと」

 粥の上にとろりとかけられて行く琥珀色。
 そう、楓蜜です。お好みでどうぞ。
 私は割と好きなんですけど、なかなか好みの分かれるところですね、甘い(カーチョ)
 いかがでしょう。

「……メープルシロップの味がする虚無」

 言っている意味はよくわかりませんが言わんとしていることは何となくわかります。
 半端に楓蜜をけちると、あまり味のない蕎麦(ファゴピロ)の存在感がすごいんですよ。味がないのに。
 成程食べる虚無です。
 でも蜜をしっかり絡めてやればちゃんと甘いので甘い味がします。言ってることもまた虚無な気がしますけど、他に言いようがありません。

 いや、もっとこう、肉桂(ツィナーモ)とかの香辛料を利かせたり、乳酪(ブテーロ)たっぷり入れたり、干した果物入れたり、果醤(マルメラド)入れたりすればかなり美味しくなるんですよ。
 でもそれを貧しい農村に期待されても困るんですよ。
 楓蜜かけるだけ味覚に対して良心的といっていいでしょうね。

 庶民に愛される蕎麦粥(ファゴピラカーチョ)は、一部では蕎麦(ファゴピロ)を消費するための楓蜜とか、楓蜜を食べるための塊とか言われたりもしてますけれど、うん、まあ、これが辺境の味、の一つなのです。

 楓蜜を多めにかけてしっかりかき回し、甘い味の虚無を頂くのでした。

「……もしかして辺境ご飯ってずっとこんな感じ?」
「お楽しみに!」
「ねえ」
「お楽しみに!!」

 お楽しみに!!!




用語解説

荒絹(フーリオーリ)(HouriOri)
 土蜘蛛(ロンガクルルロ)の中でも機織と服飾に長けた氏族。
 蚕を家畜化し、この世界に持ち込んだとされる。
 自らも色鮮やかな金の糸を吐き、編み、織り、刺し、様々な細工を凝らす。
 美しい見た目、美しい技術を持つが、見た目以上の怪力で絡ませた糸を引っ張り木を根元から引き抜いたという逸話もある。
 古代には空を舞う天狗(ウルカ)さえも捕らえていたとか。
 聖王国の台頭に伴い、絹糸や織物を狙われて乱獲され、辺境に落ち延びたとされる。
 現在も辺境から出るものは稀で、出てきたとしても蚕と絹は決して外に漏らすことはない。

生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)
 生姜のすりおろしや絞り汁ををお湯やお茶に溶かしこんだもの。砂糖を加えたりする。
 この日のものは、甘茶(ドルチャテオ)に生姜を摩り下ろして入れ、蜂蜜を加えたものだった。
 体が温まる。

・芋粉
 馬鈴薯(テルポーモ)から生成されるでんぷん。
 北部や辺境でよく栽培され、よく精製される。

蕎麦(ファゴピロ)
 いわゆるソバ。寒く、乾燥した地帯でも生育する。北部でも多く育てている。
 西方では所謂麺類としての蕎麦として食べられることもあるが、帝国の一般としては蕎麦粥やガレットなどのような形で食されているようだ。

蕎麦粥(ファゴピラカーチョ)(Fagopira kaĉo)
 蕎麦の実をあらびきやひきわりにして、乳や出汁で煮たもの。
 好みでバターや砂糖などを加える。
 辺境人は黒麦の麺麭(パーノ)と蕎麦粥で出来ているというくらいありふれた主食。
 作り方次第で美味しくなるのだが、冬場は贅沢は言えない。

肉桂(ツィナーモ)(cinamo)
 シナモン。ニッキ。
 ニッケイ属の樹木の樹皮からとれる香辛料。
 体を温める作用があり、胃にもよいとされる。
 独特の甘みと香り、そしてわずかな辛みがある。
 菓子の類のほか、料理にも幅広く使われる。