※(2022年12月24日追記)
このエピソードは「第一話この痛みの名は」からアタッチメントパーツ要素を取り除いた加筆修正版です。
大筋の内容は変更ありません。
「さっき読んだやつかな?」と思った方はさっき読んだやつとほぼ同じですので、間違い探しの要領でお楽しみください。ただし性癖には間違いなどないので、ご自分の楽しめる性癖を大事にしていきましょう。
前回のあらすじ
朝まで『交渉』した《三輪百合トリ・リリオイ》であった。
詳しい交渉内容については皆様のご想像にお任せする。
すごかった。
語彙力の死滅した説明で大変申し訳ないのだけれど、何しろ語彙力だけでなく思考力をはじめとしていろいろと死んでいるのでご配慮いただきたい。
幸いなのかなんなのか、境界の神プルプラちゃん様謹製と思しきこのボディは朝になるやぱっちりと目が覚めた。
ちょっと気だるいくらいで、なんなら寝起きで跳ね起きて陽気なラテンのリズムに乗って絶頂有頂天なブレイクダンスを決めることだって可能だろう。
あくまでカタログスペックであって、実際のご使用はお控え願いたいところだけど。
まあ、そんな具合に、極めて残念なことにフィジカルの方はむしろ元気なくらいなのだけれど、メンタルの方は何しろド畜生ブラック社畜あがりの二十六年間処女をこじらせていた死にぞこないなのだ。ちょっと荷が勝ちすぎた。
さて、まどろみを引きずらないすっぱりとした覚醒が必ずしも素晴らしい朝につながるかと言えば全然そんなことはなく、うっかり目覚めてしまった私は死にぞこないメンタルで惨憺たる様子の寝室、より正確に言うならばカーテンで閉め切られた天蓋付きのベッドを目撃してしまった。SAN値チェック待ったなし。
いや本当に、冗談抜きでベッドは酷い有様だった。
やけに頭の位置が低いなと思えば、枕がない。ずり落ちてしまったのかと頭上に手をやるも、空ぶるだけでその感触にはありつけない。枕投げをした記憶などないのだけれど、と少し思い返して、お目当てのブツが私の腰の下にあることを思い出してしまった。SAN値チェックどうぞ。
なんで腰の下にあるかって? 気配りのできるチビメイド様が私が腰を痛めないように気を遣ってくださったからだよこん畜生。なんで腰を痛めるのかわからない良い子はお母さんとお父さんには聞かずに然るべき年齢になったら信頼できる参考書を読みなさい。
私の腰の下でへたった枕の感触を感じながら、のっそりと体を起こす。すると私の右パイと左パイを分割統治していたらしいちみっ子どもがずり落ちた。名残惜し気にわきわきと両手が柔らかい脂肪を求めてさまようけど、そこはお腹だ。くすぐったいからやめろ。そもそも君たちのお求めのバストは私の固有の領土だ。
見下ろしたシーツはぐっちゃぐっちゃに波打っていて、むしろよくまあ頭の回っていなかった私たち三人が潜り込めたなという具合だった。
アホほど寒い辺境とは言え、というか辺境だからこそか、部屋の中はガンガンに暖房が利いて暖かく、カーテンを締め切ったベッドはなおさらで、その状態でアダルティック大運動会夜の部を開催したとあって、三人分の汗その他を吸ってやや湿り気さえあって、意識が覚醒した今はそこはかとなく気持ち悪い。
目を凝らせばとてもではないけど乾かなかったシミとかが見えてしまいそうで、《暗殺者》の夜目の良さが腹立たしくさえある。
すよすよとのんきに寝息を立てている両脇の二人が恨めしい。
いっそ私もすべて忘れて二度寝しようかと思ったけど、まあ、無理だった。潜り込もうとシーツを持ち上げた時点で、三人分の濃い体臭と汗のにおいと汗じゃないにおいとさらには血の匂いまでもがむわっと上がってきて、無理だった。無理寄りの無理っていうか無理しかなかった。
なんで昨日は気にならなかったんだろう。いや、気づいてはいたかな。でもこう、なんか、非日常な感じがバイブスアゲアゲなフットー気味の脳みそにはむしろ燃料投下みたいな役割を果たした可能性はある。よくおぼえていないけど。よくおぼえていないといったらよくおぼえていない。
シーツを下ろして昨夜の残り香を密閉しようとする試みは遅きに失したけど、まあ、でも、あえてまた開封する必要もないだろう。だってこのシーツの下、シーツの上よりもひどいことになってるもんな。シュレディンガーの猫も黙って首を振る、確定事項の大惨事がこの下にあるんだよ。
もうなんかしんどいやらいたたまれないやらで顔を覆うと、その手から、具体的には指先から二人の特殊な残り香がして死にたくなる。何度目だSAN値チェック。
駄目だ。このままでは私の正気が持たない。もう手遅れかもしれないけど。
二人を起こさないようにシーツから体を抜いて、カーテンをちょっと開いてベッドから抜け出す。
暖炉が良く利いていて、魔術織りだか何だかの絨毯の効果もあるのか、裸でも寒いということはなかった。
それにしても、下着はそもそも寝るときつけてないからいいんだけど、私のお気に入りの寝間着はどこに消えたのか。たぶんシーツの海のどっかにあるとは思うんだけど、どういう経緯で脱いだのか脱がされたのか、そして流れ去ったのか。いやまあ、思い出そうとすれば鮮明に思い出せるけど、思い出したくない。
うん、と伸びをしてみても、体は疲れていないけど、しかし、なんていうか、違和感は酷かった。
違和感というか、異物感というか。こうしてまっすぐ立とうとすると、脚の間にものすごい異物感が残っている。脚の間っていうか、うん、まあ、ね。綺麗に爪を整えた可愛らしいお手々で、二人がかりで可愛らしくないスキンシップをはかってくれやがったおかげで、私のお腹の中と外がひっくり返るんじゃないかと思った。外気に触れていい場所じゃないんだぞ、ここは。
まあここだけじゃなく、私の体中余すところなく、二人の指と唇が触れていないところなんてないんじゃなかろうかっていうくらい揉みくちゃにされたからね、ほんと。
窓から差し込む朝日に照らされた肌に点々と……点々ってレベルかこれ。集団暴行にでもあったのかっていうくらい鬱血の跡が残っててうんざりする。たぶん二人の肌にも数は少ないながら残っているだろうことを思うとかなりげんなりする。なんで鬱血が残るのかっていうのはママとパパに聞いたりしないで以下略、だ。
ベッドの上が酷いことになっている、なんて言ったけど、私自身も大概酷い有様だった。
リリオが切らないでほしいというので無駄に長いままの髪は、あっちへ行ったりこっちへ行ったり下敷きになったり抱きすくめられたりで滅茶苦茶に癖がついて大暴れしてるし、鼻が麻痺してるのではっきりとはわからないけど、たぶん匂いもついてしまっていることだろう。
肌はさっきも言ったとおり鬱血だらけで、おまけに汗でドロドロ、乾いた唾液やらなにやらでかぴかぴ。あいつら私の体を飴玉か何かかと勘違いしてるんじゃなかろうかってくらいだったから、思いもよらないところまでそんな感触がある。
その鬱血が全身でぴりぴり痛むし、やけに痛む首をさすってみると血がにじんできた。そう言えばリリオの馬鹿に噛みつかれもしたんだった。
喉もイガイガする……おまけにガラガラに嗄れている。妙なもん口にしたし、普段喋らないのにあんなに声を出したから……出しちゃったもんだから……ああくそ。この世界に来てからどころか、前の人生さかのぼってみても、あんなに声出したことないんじゃないのかな。
水差しの水をコップに半分くらい注いで呷る。うがいしたい位だけど、吐き出す先がないので、飲むしかない。飲み込むしかない。ああ、もう。変な味がするし、口の中変な感じだし。果たして何割が私自身の唾液なんだか。
あー、もう、ほんと。確認すればするほどダメージが後追いで来る。
しかも私は器用にそれを忘れるってことができないのだ。確認したら確認した分だけ、累積ダメージが積み重なっていく。呪いか毒だなこれは。
それにしても、朝か。
私は窓から差し込む朝日の角度に、呆れるというか、驚くというか、まあちょっとしたショックではあった。
いやだってさ、私たちが閉じ込められたのがお昼いただいた後でさ。それからまあ、顔面大噴火の自滅告白わめき散らし大合戦やらかして、着替えたり、爪切ったり、なんやかんや準備したにしても、言ってもその程度なわけで。
その後、晩御飯も忘れて朝方近くまで大人のおしくらまんじゅうアルティメットドッキングスペシャルに励んでいたのかと思うと、こいつらこの小さな体でどんな体力しているんだと。
体力もそうだし、それだけ私を求めるのってどういう趣味嗜好なんだ。こちとら賞味期限ぎりぎりアウトの半額シール付き行き遅れ傷み気味な社畜ブラック(特大Lサイズ)だぞ。胸か。バストか。そんなにおっぱいがいいのか。わからん。本当にわからん。
それにしても、お腹が減った。
前の人生では空腹という感覚を忘れるほどに、というか把握できないほどに疲弊しきっていた私は、当然のように朝から食欲がわくような健康的な生き方はしていなかった。活動するためにエネルギーを補充する、という感じだった。
それが今では、目覚めて少しもすればお腹が空きだすという実に健全かつ健康な体になってしまって、いやはや、人生何があるかわからないものだ。
お腹のことを思ったせいか、異物感がやばい。まだ入っている感じがするというか、指がまだ中で動いてるんじゃないかっていうか、そんな感じ。ぼんやり突っ一本二本はまあわかるけど、最終的に何本だっけ。二人がかりで粘土こねるか手でも洗うみたいに。思い出したら頭おかしくなりそう。
ぼんやり突っ立っていると、乾ききっていなかったまたぐらとか肌とかからなんかいろんな体液とか、いろんな香り付きの潤滑液とかが垂れてきて焦る。
このお高そうな絨毯汚すのもはばかられるので、とっさに取り出した《セコンド・タオル》でふき取っていった。同じくお高そうなシーツをさんざっぱら汚しちゃってるので今更と言えば今更だけど。
もそもそとタオルで足と股座をぬぐいながらベッドをチラ見するけど、起き出してくる気配はない。いい気なものだ。人の体を好きなだけいじくりまわして、なめ回して、あとはぐーすか寝てるとか。先に起きて綺麗に整えてくれるような甲斐性は、まだ期待できそうにない。
まあ、あれだけすることしたんだから疲れているのかも──などと頭をよぎってほんと何度目だSAN値チェック。なんどもその、されたんだよなあ。二人に何度も。私もちょっと。
まさかこの世界にあんなにたくさんの夜のグッズがあるとは思わなかった。
潤滑液っていうか、まあはっきり言ってローションの類は序の口で、それだって肌に塗るとあったかくなる奴だったり、暗闇で光る奴だったり、ちょっと敏感になる奴だったり。
あと、まあ、ほら。震える奴とか、入れたり出したりするやつとか、まあ、いろいろあるわけだ。
しかもそれがさあ、アングラなお店で売ってるものとかだけじゃなくて、神殿で買ってきたやつが結構あるらしいのがまた驚きだ。
豊穣の神様の眷属伸に、娼婦の守護神みたいなのがいるらしくて、その神殿がいろいろとまあお楽しみグッズを開発したり売り出したり自分で使ったりしてるんだけど、人の煩悩ってどこでも変わらないというか、欲望は人類の文化を加速させるというか、色々そろいすぎててビビる。
何のことかわからないピュアリー・ボーイ・アンド・ガールそしてその他のみんなはまかり間違ってもマミーとダディーに聞いちゃだめだからね。私は責任取れないんだから。
まあ幸いにも、というか幸いかどうか知らないけど、その守護神印のアダプターとかジョーク・グッズとかにはそういう病気とかにならないようにする加護もあるみたいなので、そこは安心と言えば安心だ。
いやいくら安心安全でも、やることやれば不可逆的な身体変化もあるわけで、かなり痛かったし一生に一度のことだし今後いいご縁なんてないだろうから何が何でも責任取ってもらわないと困るけど、ああ、もう、とにかく、今後もごあんしんで旅は続けられるってこと。
そのせいで遠慮なしにやられたわけだけど、まったく。
仮に私たちの冒険が書籍化されてもこのシーン載せられないだろうなあ。アニメ化などもってのほかだ。
ああ。
もう。
はあ。
現実逃避はこのくらいにして、いい加減に二人を起こさないといけない。
眠かろうと疲れていようと、何が何でも起きてもらわなければならない。
何故なら。
「おはようございます」
ノックの音とともに、メイドさんの声が忌々しいくらい爽やかに響いたからだった。
用語解説
・SAN値チェック
SANチェック、正気度ロールと言われることが多い。
クトゥルフ神話を題材にしたTRPG『クトゥルフの呼び声』または『クトゥルフ神話TRPG』において用いられるステータス及びそれに関連するシステムの呼称。
SANとは「正気」などを意味する英単語Sanityの略。
つまりプレイヤーの正気の度合いを示す数値のことなのだが、このゲーム、プレイ中にちょくちょくプレイヤーキャラクター(PC)の正気を削るイベントが発生する。
その際に行われるのがいわゆるSANチェックで、ダイスによって減少の度合いが決まる。
一度に減りすぎると狂気に陥り、行動に制限がかかったりする。ゼロになればPCは再起不能というわけ。
なおSAN値は基本的に劇中では回復しないので、減少したSAN値をもとに次のチェックが訪れるのでどんどん悪化していく。
その先に訪れる不可避の発狂に気づいたあなたはSANチェックどうぞ。成功で1、失敗で1D6の減少です。
・よくおぼえていない
この女、完全記憶能力者なのである。
・ここ
あそこだ。
・鬱血
→吸引性皮下出血
・《セコンド・タオル》
ゲームアイテム。戦闘中に敵モンスターに使用すると、攻撃を中止し、ヘイトを解除してくれる。ただしその状態でさらに攻撃を仕掛けると猛烈に反撃してくる上に二度と効果がなくなる。
実はこの世界にもタオルと同様の織物(毛巾)はあるのだが、手織りのため少々お高い上に、普及品は我々の知るタオルと比べると性能や肌触りがいまいちなので、閠はあまり使いたがらない。
『猛然と振るわれる拳を必死で耐えるボクサーに、セコンドは迷った。タオルを投げるべきか、否か。何しろ審判が最初に殴り殺されてから、止めるものがいないのだ』
・豊穣の神
正式名セマト(Semato)
天津神。農耕神。神話によれば、狐の姿をしているとも、狐を眷属に従えるともいう。
その身体から様々な作物を生み出すとされる。
地に広がった人々が慣れぬ土地で飢えにあえぐのを見かねた神々が、はるか虚空天より呼び寄せ、その四肢を裂いて四方に投げやり、そのはらわたを引き出して八方にばらまき、その血を絞って天より降らせ、肉と骨を大地に埋めて馴染ませたという。
これにより人々は大地より恵みを得て生きていくことができるようになったそうだ。
・娼婦の守護神
正式名称「親愛と交合の神アモーレローソ(Amoreroso)」。
さらに言うと娼婦の守護神ではなく「娼館と娼婦と男娼とその他仲良く気持ちよく健全にお楽しみするすべてのお友達」の守護神。公式声明である。
かつて日照りと飢饉に見舞われた土地で、雨と実りを求めて豊穣の神を祀る目的で、三日三晩に及ぶ過酷な聖婚の儀を成し遂げた少年が、豊穣の神に認められ陞神したとされる。
本神いわく「他にやることないし死にかけるとむらむらしちゃって、なんかまわりのやつらも目をギラギラさせちゃって、ご飯代稼ぎと思ってしゃぶったりしてるうちに盛り上がっちゃって、気づいたらみんな勃たなくなっててひとりでいんぐりもんぐりしてたら、空から『ふーんえっちじゃん』っておひねり投げられて神様になってた」とのこと。
例によって例のごとく神託を受けたものは発狂していて正確なことはわかっていない。
※(2022年12月24日追記)
このエピソードは「第一話この痛みの名は」のノン・アタッチメントパーツ版だけではもしかしたら物足りないのではと思い立って編集した、男女同権に配慮した性別逆転版です。
大筋の内容は変更ありません。
「さっき読んだやつかな?」と思った方はさっき読んだやつとトポロジー幾何学的にほぼ同じですので、間違い探しの要領でお楽しみください。ただし性癖には間違いなどないので、ご自分の楽しめる性癖を大事にしていきましょう。
存在しない前回のあらすじ
朝まで『交渉』した《三輪薔薇トリ・ローゾイ》であった。
詳しい交渉内容については皆様のご想像にお任せする。
すごかった。
語彙力の死滅した説明で大変申し訳ないが、何しろ語彙力だけでなく思考力をはじめとしていろいろと死んでいるのでご配慮いただきたい。
幸いなのかなんなのか、境界の神ことクソプルプラの野郎謹製と思しきこのボディは、朝になるやぱっちりと目が覚めた。
ちょっと気だるいくらいで、なんなら寝起きで跳ね起きて陽気なラテンのリズムに乗って絶頂有頂天なレゲエダンスを決めることだって可能だろう。
あくまでカタログスペックであって、実際のご使用はお控え願いたいところが。
まあ、そんな具合に、極めて残念なことにフィジカルの方はむしろ元気なくらいなのだが、メンタルの方は何しろド畜生ブラック社畜あがりの二十六年間童貞をこじらせていた死にぞこないなのだ。ちょっと荷が勝ちすぎた。
さて、まどろみを引きずらないすっぱりとした覚醒が必ずしも素晴らしい朝につながるかと言えば全然そんなことはなく、うっかり目覚めてしまった俺は死にぞこないメンタルで惨憺たる様子の寝室、より正確に言うならばカーテンで閉め切られた天蓋付きのベッドを目撃してしまった。SAN値チェック待ったなし。
いやマジで、冗談抜きでベッドは酷い有様だった。
やけに頭の位置が低いなと思えば、枕がない。ずり落ちてしまったのかと頭上に手をやるも、空ぶるだけでその感触にはありつけない。枕投げをした記憶などないのだが、と少し思い返して、お目当てのブツが俺の腰の下にあることを思い出してしまった。SAN値チェックどうぞ。
なんで腰の下にあるかって? 気配りのできるチビ従者様が俺が腰を痛めないように気を遣ってくださったからだよこん畜生。なんで腰を痛めるのかわからない良い子はお母さんとお父さんには聞かずに然るべき年齢になったら信頼できる参考書を読みなさい。
俺の腰の下でへたった枕の感触を感じながら、のっそりと体を起こす。すると俺の右乳首と左乳首を分割統治していたらしいちみっ子どもがずり落ちた。名残惜し気にわきわきと両手がコリコリした乳頭を求めてさまようが、、そこは腹だ。くすぐったいからやめろ。そもそもお前たちのお求めのニップルは俺の固有の領土だ。たとえいじられ過ぎて政変待ったなしだとしても。
見下ろしたシーツはぐっちゃぐっちゃに波打っていて、むしろよくまあ頭の回っていなかった俺たち三人が潜り込めたなという具合だった。
アホほど寒い辺境とは言え、というか辺境だからこそか、部屋の中はガンガンに暖房が利いて暖かく、カーテンを締め切ったベッドはなおさらで、その状態でアダルティック大運動会夜の部を開催したとあって、三人分の汗その他を吸ってやや湿り気さえあって、意識が覚醒した今はそこはかとなく気持ち悪い。
目を凝らせばとてもではないが乾かなかったシミとかが見えてしまいそうで、《暗殺者》の夜目の良さが腹立たしくさえある。
すよすよとのんきに寝息を立てている両脇の二人が恨めしい。
いっそ俺もすべて忘れて二度寝しようかと思ったけど、まあ、無理だった。潜り込もうとシーツを持ち上げた時点で、三人分の濃い体臭と汗のにおいと汗じゃないにおいとさらには血の匂いまでもがむわっと上がってきて、無理だった。無理寄りの無理っていうか無理しかなかった。
なんで昨日は気にならなかったんだろう。いや、気づいてはいたかな。でもこう、なんか、非日常な感じがバイブスアゲアゲなフットー気味の脳みそにはむしろ燃料投下みたいな役割を果たした可能性はある。よくおぼえていないが。よくおぼえていないといったらよくおぼえていない。
シーツを下ろして昨夜の残り香を密閉しようとする試みは遅きに失したが、まあ、でも、あえてまた開封する必要もないだろう。だってこのシーツの下、シーツの上よりもひどいことになってるもんな。シュレディンガーの猫も黙って首を振る、確定事項の大惨事がこの下にあるんだよ。
もうなんかしんどいやらいたたまれないやらで顔を覆うと、その手から、具体的には指先から二人の特殊な残り香がして死にたくなる。何度目だSAN値チェック。
駄目だ。このままでは俺の正気が持たない。もう手遅れかもしれないが。
二人を起こさないようにシーツから体を抜いて、カーテンをちょっと開いてベッドから抜け出す。
暖炉が良く利いていて、魔術織りだか何だかの絨毯の効果もあるのか、裸でも寒いということはなかった。
それにしても、俺の下着や寝間着はどこに消えやがったのか。たぶんシーツの海のどっかにあるとは思うんだが、どういう経緯で脱いだのか脱がされたのか、そして流れ去ったのか。いやまあ、思い出そうとすれば鮮明に思い出せるけど、思い出したくない。
うん、と伸びをしてみても、体は疲れていないが、しかし、なんというか、違和感は酷かった。
違和感というか、異物感というか。こうしてまっすぐ立とうとすると、脚の間にものすごい異物感が残っている。脚の間というか、うん、まあ、な。綺麗に爪を整えた可愛らしいお手々で、二人がかりで可愛らしくないスキンシップをはかってくれやがったおかげで、俺の腹の中と外がひっくり返るんじゃないかと思った。出すところであって入れるところではないんだぞ、ここは。
まあここだけじゃなく、俺の体中余すところなく、二人の指と唇が触れていないところなんてないんじゃなかろうかっていうくらい揉みくちゃにされたからな、マジで。
窓から差し込む朝日に照らされた肌に点々と……点々ってレベルかこれ。集団暴行にでもあったのかっていうくらい鬱血の跡が残っててうんざりする。たぶん二人の肌にも数は少ないながら残っているだろうことを思うとかなりげんなりする。なんで鬱血が残るのかっていうのはママとパパに聞いたりするなよ以下略、だ。
ベッドの上が酷いことになっている、なんて言ったが、俺自身も大概酷い有様だった。
リリオが(そのほうがそそるので)切らないでほしいというので無駄に長いままの髪は、あっちへ行ったりこっちへ行ったり下敷きになったり抱きすくめられたりで滅茶苦茶に癖がついて大暴れしてるし、鼻が麻痺してるのではっきりとはわからないけど、たぶん匂いもついちまっていることだろう。
肌はさっきも言ったとおり鬱血だらけで、おまけに汗でドロドロ、乾いた唾液やらなにやらでかぴかぴ。あいつら俺の体を飴玉か何かかと勘違いしてるんじゃなかろうかってくらいだったから、思いもよらないところまでそんな感触がある。
その鬱血が全身でぴりぴり痛むし、やけに痛む首をさすってみると血がにじんできた。そう言えばリリオの馬鹿に噛みつかれもしたんだった。
喉もイガイガする……おまけにガラガラに嗄れている。妙なもん口にしたし、普段喋らないのにあんなに声を出したから……出しちまったもんだから……ああくそ。この世界に来てからどころか、前の人生さかのぼってみても、あんなに声出したことないんじゃないのかな。
水差しの水をコップに半分くらい注いで呷る。うがいしたい位だが、吐き出す先がないので、飲むしかない。飲み込むしかない。ああ、もう。変な味がするし、口の中変な感じだし。果たして何割が俺自身の唾液なんだか。
あー、もう、ほんと。確認すればするほどダメージが後追いで来る。
しかも俺は器用にそれを忘れるってことができない。確認したら確認した分だけ、累積ダメージが積み重なっていく。呪いか毒だなこれは。
それにしても、朝か。
俺は窓から差し込む朝日の角度に、呆れるというか、驚くというか、まあちょっとしたショックではあった。
いやだってなあ、俺たちが閉じ込められたのが昼飯食った後でさ。それからまあ、顔面大噴火の自滅告白わめき散らし大合戦やらかして、着替えたり、爪切ったり、なんやかんや準備したにしても、言ってもその程度なわけで。
その後、晩飯も忘れて朝方近くまで大人のおしくらまんじゅうアルティメットドッキングスペシャルに励んでいたのかと思うと、こいつらこの小さな体でどんな体力しているんだと。
体力もそうだし、それだけ俺を求めるのってどういう趣味嗜好なんだ。こちとら賞味期限ぎりぎりアウトの半額シール付きアラサー傷み気味な社畜ブラック(特大Lサイズ)だぞ。尻か。ヒップか。そんなに運動不足で太り気味の尻がいいのか。わからん。本当にわからん。
それにしても、腹が減った。
前の人生では空腹という感覚を忘れるほどに、というか把握できないほどに疲弊しきっていた俺は、当然のように朝から食欲がわくような健康的な生き方はしていなかった。活動するためにエネルギーを補充する、という感じだった。
それが今では、目覚めて少しもすれば腹が空きだすという実に健全かつ健康な体になってしまって、いやはや、人生何があるかわからないものおーっとぉ。
空腹のせいで腹に気をやってしまったのがまずかった。変に力が入ったのか、その、なんだ。どろっとしたものが腹から流れ出て足を伝って落ちていく気持ちの悪い感触がががが。
ああ、そうだよなあ。胃袋は空いてるがそっちは一杯一杯だもんなあ、などと現実逃避したいところだが、このお高そうな絨毯汚すのもはばかられるので、とっさに取り出した《セコンド・タオル》でふき取っていく。同じくお高そうなシーツをさんざっぱら汚しちゃってるので今更と言えば今更だが。
もそもそとタオルで足と股座をぬぐいながらベッドをチラ見するが、起き出してくる気配はない。いい気なものだ。人の体を好きなだけいじくりまわして、出したいだけ出して、あとはぐーすか寝てるとか。先に起きて綺麗に整えてくれるような甲斐性は、まだ期待できそうにない。
まあ、あれだけ出したんだから疲れているのかも──などと頭をよぎってほんと何度目だSAN値チェック。そう、出されたんだよ。腹の中に。っていうか尻に。二人で何度も。
リリオがまさかあんなにでかくなるとは思わなかったし、トルンペートの舌があんなに奥まで届くなんて知らなかったし、俺の尻が俺の知らない奥行きと広がりを見せるとは知りたくもなかったし、触ってもいないのにあんな…………死にたくなってきた。
まさか男同士の恋愛どころかセッも割と普通な文化圏なうえに、やろうと思えばプルプラのクソの加護とかで平然と同性カップル間に血のつながった子供が埋めるとか、DLなsiteかな??
まあ理屈で言えば、過酷な自然環境のせいで死亡率高いので、この加護を使ってカップリングの幅を増やして産めや殖やせやしてるわけなんだろうが、そんな理屈くたばってしまえ。
何のことかわからないピュアリー・ボーイ・アンド・ガールそしてその他のみんなはまかり間違ってもマミーとダディーに聞いちゃだめだからな。俺は責任取れんぞ。
まあ幸いにも、というか幸いかどうか知らないけど、お排泄物様の加護には、あー、なんというか、純粋にお楽しみいただける加護もあるみたいなんで、責任取らないでもいいと言えばいいんだがいやかなり痛かったし一生に一度のことだし今後いいご縁なんてないだろうから何が何でも責任取ってもらわないと困るがでも子ども相手に責任を要求する三十路手前のおっさんっていうのもどうなのか、ああ、もう、とにかく、今後も旅は続けられるってことだな。
そのせいで遠慮なしにやられたわけだが、まったく。
仮に俺たちの冒険が書籍化されてもこのシーン載せられないだろうなあ。アニメ化などもってのほかだ。
ああ。
もう。
はあ。
現実逃避はこのくらいにして、いい加減に二人を起こさないといけない。
眠かろうと疲れていようと、何が何でも起きてもらわなければならない。
何故なら。
「おはようございます」
ノックの音とともに、メイドさんの声が忌々しいくらい爽やかに響いたからだった。
15-1-3
用語解説
・SAN値チェック
SANチェック、正気度ロールと言われることが多い。
クトゥルフ神話を題材にしたTRPG『クトゥルフの呼び声』または『クトゥルフ神話TRPG』において用いられるステータス及びそれに関連するシステムの呼称。
SANとは「正気」などを意味する英単語Sanityの略。
つまりプレイヤーの正気の度合いを示す数値のことなのだが、このゲーム、プレイ中にちょくちょくプレイヤーキャラクター(PC)の正気を削るイベントが発生する。
その際に行われるのがいわゆるSANチェックで、ダイスによって減少の度合いが決まる。
一度に減りすぎると狂気に陥り、行動に制限がかかったりする。ゼロになればPCは再起不能というわけ。
なおSAN値は基本的に劇中では回復しないので、減少したSAN値をもとに次のチェックが訪れるのでどんどん悪化していく。
その先に訪れる不可避の発狂に気づいたあなたはSANチェックどうぞ。成功で1、失敗で1D6の減少です。
・よくおぼえていない
この男、完全記憶能力者なのである。
・ここ
あそこだ。
・鬱血
→吸引性皮下出血
・《セコンド・タオル》
ゲームアイテム。戦闘中に敵モンスターに使用すると、攻撃を中止し、ヘイトを解除してくれる。ただしその状態でさらに攻撃を仕掛けると猛烈に反撃してくる上に二度と効果がなくなる。
実はこの世界にもタオルと同様の織物(毛巾)はあるのだが、手織りのため少々お高い上に、普及品は我々の知るタオルと比べると性能や肌触りがいまいちなので、閠はあまり使いたがらない。
『猛然と振るわれる拳を必死で耐えるボクサーに、セコンドは迷った。タオルを投げるべきか、否か。何しろ審判が最初に殴り殺されてから、止めるものがいないのだ』
・プルプラのクソの加護
実は境界の神プルプラの信者は、辺境以外ではあまり多くない。
神話の中でも登場率が非常に高く、親しみやすいとも言えるが、要するに「圧倒的上位から遊びでかき回してくる」という邪神ムーブもといトリックスターっぷりが厄介者扱いされているのだった。
そんな邪神の加護の中でも珍しく実用的なのが交わりに関するもので、同性間、異種族間で婚姻するものは、子をなすために神殿に祈りに行くのがならわしである。
いつも異界転生譚ゴースト・アンド・リリィをご愛読いただきありがとうございます。
作者の長串望です。
2019/12/11に公開いたしました第十五章第一話「亡霊とこの痛みの名」の内容について、皆様に大変お楽しみいただいたと同時に、一部の方からは疑念と不満の声も頂いております。
これは予想していたことでもありますけれど、今後も同様のことが十分にあり得ますことから、お詫びとご説明をさせていただきたいと思います。
お声を頂きましたのは、具体的には、少女たちがなかよしなかよしする内容を期待してくださった方々からで、本文中で唐突に示唆された真夜中超電磁ブレードの存在とそれを用いた辺境式マッスルドッキングトリオは、いささか好ましくないとも感じるというものでした。
特に前話にあたる第十四章最終話「処女雪」おいて、互いに互いの爪を切って事の準備をする少女たちという描写で盛り上げてからの、不意打ちよろしく出会い頭のコレジャナイタワー建立というかたちでしたので、期待されていらっしゃった方々にはお好みの形で提供できなかったことをお詫び申し上げます。
またもう一つお詫び申し上げますことといたしまして、先に申し上げましたように、異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ、ならびに同シリーズである異界転生譚シールド・アンド・マジックにおいても、今後同様の、または類似のことが十分にあり得ますことをここに改めてお知らせいたします。
これには、今回のような女性に対するアタッチメント・パーツの取り付けの他、男性に対するアタッチメント・パーツの取り付け、その他の性に対するアタッチメント・パーツの取り付け、同性恋愛・異性恋愛・異種族間恋愛の別にかかわらずすべての関係性の表現、男性の妊娠、世間一般に特殊とされる性質・嗜好・性癖などなどを含みます。
当方といたしましては本編中に十分にこれらの下地は示唆していたつもりでしたけれど、ご説明が足りず、困惑された方々には改めてお詫び申し上げます。
異界転生譚シリーズ、またわたくし長串望のスタンスは常に欲張り性癖盛り合わせセットとなっております。アレルギーや好みの問題からお得な選べる性癖セットをお求めの皆様には申し訳ありませんけれど、そっと該当部分から目をそらして半分だけでもお楽しみいただければ幸いです。
最後に、今回の問題点となった後付け接続端子の存在に関して、わたくし長串望の個人的な解釈をご説明させていただきたいと思います。
お昼過ぎから翌朝まで続くなかよしなかよしに関しまして、具体的な内容描写は控えさせていただきました。実際に行われた競技内容に関しては皆様のご想像のままです。
指と唇とでふやけるまでふやかし、主種様々な道具を用いて実績をアンロックしていく過程で、いわばそれらの数多くの道具の一つとして奥まで届く便利棒が使用された、とそうお考えいただくこともまた可能なのです。
大事なはじめてを自分の体の一部で達成したいという思いもあるかもしれません。
もちろんその逆に、ディスイズマイワイフ耐久コネクティング試験が変わりばんこに行われ続けそして朝にということも考えられるでしょう。
想像は自由なのです。
これがあくまでもわたくし個人の考え方であり、正しいというわけでも、強制するわけでもありますん。
どうしても駄目だ、匂わせるだけでもアウト、という方はいらっしゃると思いますので、これ以上は読んでいられないとお思いになられましたら、心の安寧のためにもそっと閉じていただくのがよろしいかと思います。
もしそれでも、他は面白いからと読んでいただけるようでしたら、幸甚の至りです。
どうか半分目をそらして、お付き合いいただければ幸いです。
くだくだしい語りにお付き合いいただきましたけれど、今後もよしなにお願い申し上げます。
長串望
※(2022年12月24日追記)
魚の小骨が喉に残ったようなもどかしさがいまなお残っていることは私の不徳の致すところでございます。
小骨と言えど、骨は骨。誤った処置をしたり、取り除かずに残っているとやがて傷口が炎症したり化膿したり最悪命にかかわることを思えば、ただ読者の皆様に一方的に寛大さをお求めするのも勝手だったかもしれません。
この問題を残したままゴスリリを終えることはできないなと、この度はさしでがましいようですがささやかなお詫びとしてごあんしんの「ノン・アタッチメントパーツ版」と「フル・アタッチメントパーツ版」こと「《三輪薔薇》版」を公開させていただきました。
大変申し訳ないことに、今までは苦手な方にはそっと目をそらしていただいておりましたが、今後は極力、できるだけ、まあぼちぼち、「騙して悪いが」ということはないように気を付けた上で、手を変え品を変え無理矢理にでも見せつけていきたいと存じます。
今後とも敬遠せずに異界転生譚シリーズを応援していただき、また忌憚なきご意見を頂けますと嬉しい限りでございます。
なおすべてのご意見が必ず反映されるわけではないということも、ここにまた明記しておきます。
よしなに。お願い申し上げます。
前回のあらすじ
すごかった。
正直怒られて修正を求められるのではないかと怯えているのであった。
すごかったわ。
何がっていうか、何もかもっていうか。
あんなにあんなだと思ってなかったって言うか。
そりゃあたしも、女中仲間に揉まれて鍛えられてきたわけだし、女同士で盛り上がればそう言う下世話な話もしてたし、子供じゃないんだから知識としては知ってたわ。でも、うん、知ってるだけだったんだなって今となっちゃ思うわ。
誰それがなにがしとくっついただとか、同期はみんな抱いたねとか、ナニが大きいだとか、締め付けの具合だとか、まあ、娯楽も少ない年頃の女が集まれば猥談でいくらでも盛り上がるのよ。
あたしもそう言うの聞いたり、話したりして、そういうもんかなーとか思ってたんだけど、実際経験しちゃうとそう言うのがみんなかすんじゃうくらいのすさまじさがあったわね。猥談語る経験者と自称経験者がすぐに態度で見分けられたの、こういうことだったのねって感じ。
猥談では滑稽だなって笑ってたのが、もう全然馬鹿にできないの。あんなにもすごいんだったら、そりゃ誰だってがっつくし、頭の中パーになるし、下半身でもの考えるようになるわよ。
何しろ三人とも初めてだし、突然のことだったし、ウルウはともかくアタシもリリオも完全に雰囲気にのまれてたっていうか、トサカに来てたっていうか、それこそがっついて頭の中パーになって身体でもの考えてたから、最初から最後まで滅茶苦茶だった、と思うわ。
まあ、最初の最初はほら、まだ正気だったのよ。正気っていうか、まあ、まだ落ち着いてたっていうか。
おぼこいお嬢ちゃんみたいにまずは口づけからしよっかって。
なんだか恥ずかしくなっちゃって、なんか顔が見れなくなっちゃって、ちらっちらって伺うみたいにして、目が合ったらなんだかいてもたってもいられなくなって顔を伏せたりして、自分がそんな恋する乙女みたいな真似するとは思わなかったわ。
で、覚悟を決めて、いざってなったら、はちあったわけよ。
あたしと、リリオと。
ほら、口づけするってなったら、向かい合って、唇と唇を重ねるわけよ。
それで、あたしとリリオはそれぞれウルウと口づけしようとしたわけ。そしたらほら、押しのけ合うことになるじゃない。何しろ頭に血が上ってるからなんだこいつぶっ殺すわよとまではいかないまでも、我が我がってなるわけよ。
なにしろ最初の口づけだもの。形があるものじゃないけど、やっぱり一番がいいじゃない。あたしが、いえ私が、って問答にもなるわ。
そりゃリリオが主であたしが従者ってのはあるけど、でも同じ女に懸想してるってことでは対等だもの。譲れないわよね、もちろん。
それで、いよいよ取っ組み合いで決めようかってなったら、ウルウが言うのよ。
別に私ははじめてじゃないしどっちでもって。
誰としたのよって詰め寄ったら、あいつ、こう言うのよ。お父さんとはしたことあるからって。
なんか、すっかり気が抜けちゃったわ。おかしくって。
それで、三人顔寄せ合って、ひとところに唇を集めてね、三人一緒に口づけしたの。
なんだかおかしかったわね。ほっぺたがぶつかり合って、額がぶつかり合って、口付けてるんだか何だかわかりゃあしなかったわよ。でも、うん、それでもねえ、最初は微笑ましかったんだけど、何度も唇を重ねてると、胸の中で好きだーっていうのが、どんどん積み重なって、勝手にどんどんおっきくなってくの。
で、誰かがね、もう誰だかわかりゃしないんだけど、ちょっと舌を出したのよ。湿った感触がして、びっくりして、あとはもう雪崩れ込むようだったわ。
まあ、そんな理性が月まで吹っ飛んだような具合だったからウルウにはずいぶん負担かけたと思うわ。鍛えてるあたしでも腰痛いし、普段使ってないような体のあちこちが軋むし。リリオがケロッとしてるのはもうなんも言わない。リリオだもの。
ああ、そう、リリオと言えば、普段食い気ばっかりのくせして、最近ウルウだよりで全然使ってなかった《自在蔵》にあれやこれやと忍ばせてたのには驚いたわね。何にも準備してなかったから助かったといえば助かったけど、いったいいつの間に買いそろえたのやら。
なんてことをぼんやり思い返している間にも、男爵家の女中は優秀なもので、下世話な顔一つ見せず、手早くあたしたちを盥の湯で清め、着替えさせてくれた。
お世話されるのに慣れてるリリオも、さすがに「あのあれ」の跡が散った肌を見られるのは堪えたようだった。
その上、実にさりげなくしかししっかりと窓を開け放って換気までされて、部屋にこもった、あー、よどんだ空気をね、自覚させられるとこう、さすがのあたしも取り繕うのに必死だった。
なおウルウは逃げた。
あたしたちを叩き起こすや否や、姿を消してしまう呪いで女中たちから隠れて、こっそりお湯を借りたりしながら身支度を整えてた。あたしたちにはそれがうすぼんやりとした影みたいな姿で見えるけど、そうもいかない女中たちはよめじょの姿が見えないので不思議そうにしていた。
よもや逃げられて主従で慰め合っていたのではとか言うクッソ不本意な目で見られちゃったけど、支度が済んだら何事もなかったかのように取りすました顔で現れてくれたので、女中を驚かせながらも誤解は解けたからよかった。
あたしたちばっかり恥ずかしい目にあって、一人だけ取り繕ってるのが腹立つけど。
「………ねえウルウ」
「なあに」
「今朝は髪結わないのね」
「うっさい」
腹いせというわけじゃないけど、軽い気持ちでからかってみたら水月に容赦のない貫き手をねじ込まれて死ぬかと思った。油断してたとは言えあたしが反応できないのってかなり本気だった。
感情との付き合い方がど素人のウルウは照れ隠しで人を殺しかねないらしいので、からかうときは気をつけないといけないわね。
でも、そりゃ馬鹿みたいに跡付けたあたしたちが悪いのは確かだけど、あたしだって跡が残ってるし、リリオだってそうだ。そのうちのいくつかはウルウがつけたものなんだから、お互い様だと思う。
なんなら背中と脇腹に爪の跡まで残ってるし血まで滲んでるんだけど、まあそれは言わないでやろう。トチ狂ったリリオが噛みついた分考えると確かにこっちの方がやらかしちゃってるし。
神経質そうに首元を気にし、髪ににおいがついていないか確かめ、落ち着かない様子のウルウは、冬眠明けの熊みたいだった。それが可愛く見えるのだからあたしも大概頭がやられている。
いやだって、仕方ないじゃない。
懐いてるのか懐いてないのか微妙な猫みたいな感じだったのに、くっきり爪痕残すくらいあたしを求めてくれたっていうのが、あたしの頭をふわんふわんに喜ばせているのだ。尽くすのが武装女中の性だけど、応えてもらえるのはその本能に深々と突き刺さるのだ。
そりゃあ嬉しくてにやつきもする。
するけど、あんまりからかうのもまずいか。
いつも通りのつもりだけど、調子に乗って距離感間違えてるかもしれない。
神経質な猫みたいに毛を逆立ててるウルウを見てると、ちょっと落ち着いてくる。
あたしはしあわせいっぱいで喜びいっぱいだけど、憮然とした顔のウルウはもしかしたらそうじゃないのかもってちょっと不安にもなる。
だってウルウだ。
物語を読んで物を知ったような顔をしている生き物であるところのウルウだ。
恋物語を読んで恋を知ったような生き方をしてきていても、おかしくはない。
そんなある意味お子様なウルウが大人の階段を一気に駆け上ってしまったら、その生々しさとか諸々に打ちのめされて、平気な振りした裏ではすっかり怯えてしまっているのかもしれないのだ。
朝食の席で男爵閣下と奥様に盛大にお祝いされても、こぎれいに取り繕った営業用の愛想笑いで受け流してしまったのも、なんだかちょっと不安だ。あの作り笑顔の裏で、もう触れてくれるなと念を放っているようでさえあるもの。
さすがにこれがずっと続くと、あたしはもとより、リリオがまずいかもしれない。どんな顔をしていいかわからずに表情筋が死に絶えて無表情になっているという大変珍しく面白いもとい重症なのだ。
めでたいめでたいと人のいい笑顔で人のよろしくない腹蔵を伺わせる男爵閣下と、無責任に朝から酒など口にしている奥様、二人の笑い声に紛れ込ませるように、そっとウルウをつついてみる。
「ねえ」
「……なあに」
「もしかしてその……嫌だっヴぇッ」
恐る恐る尋ねてみたら肋骨の隙間に的確に貫き手をねじ込まれた。あたしが体裁をとりつくろえる程度に加減しているあたりが恐ろしい。
これは相当怒っているのでは、と伺ってみると、ウルウはこちらを見てもくれない。もくもくと、あのハシとかいう二本の棒で、煮豆をひたすら一粒ずつつまんでは口に放り込んでいる。
駄目か、とうなだれそうになりながらも未練がましくチラ見してみると、なんか、よく見たら、耳が赤い。
「……嫌じゃないから困ってる」
ぼそぼそっと、隣にいるあたしたちだって聞き逃してしまいそうな小さな声が、酒も飲んでいないのにくらりとくるほど蠱惑的に響いたのだった。
うつむき気味の顔は長い髪で隠されて横からは伺えなかったけど、向かい側の奥様がニヤニヤしてたから、ああ、きっと、お察しってこと。
用語解説
・あれやこれや
ファンタジー世界特有であったりなかったりする様々な道具がいろいろあるらしい。
残念ながら本編ではお見せすることができないものもあるのでご想像にお任せする。
・あのあれ(umo)
物の名前が出てこないときに用いる語。
→鬱血
・よめじょ
嫁女と書くと思われる。
嫁に同じ。
・水月
ここではみぞおちのこと。
人体急所の一つで、ここに衝撃を与えると非常な痛みが走り、また横隔膜の動きが瞬間的に止まることがあり、呼吸困難に陥る。
・貫き手
手の指を握らずまっすぐ伸ばした状態で相手を突く技。
鍛えていないと指先を痛めるが、拳よりも小さい面積に力が集中するため、急所などを突くとより大きなダメージを与えることができるとされる。
閠が本気でやった場合、魔力の恩恵を受けていない人体程度なら貫通させられるかもしれない。
前回のあらすじ
すごかった(二回目)。
照れ隠しに暴力を振るう系ヒロインはいまもジャンルとして存在するのか。
すごかったです。
というのをいつまでもやっていると、さすがにウルウが本気で怒りそうなのでそろそろやめておきましょう。
いやほんと、ここだけの話、本当にすごかったんですけどね。
私もう、途中で頭の中がぐっちゃんぐっちゃんになって、それで、真っ白になって、ぐわーってなっちゃったんですけど、ぶん殴られて正気を取り戻すまで壊れなかったウルウってすごくありません?
あと私が噛みつくや否やためらいなくこめかみを棍棒でぶち抜くトルンペートすごくありません?
というか、私がぷっつんくるの見越して寝台に鈍器持ち込んでおくっていう気概がもうすごくありません?
なんか私だけすごさの基準が違う気がしてならないのですけれど、まあそれはそれとして。
正直なところ何を食べているのか全く味もわからないまま気もそぞろに山盛りの朝食を平らげたところで、おじさまは私たちにいくつかの贈り物をくださいました。旅の餞別と、そしてお祝いにと言って。
私たちの旅に必要なものだからというそれは、防寒具一揃いでした。
成程、確かにこれは必要なものでした。
移動中はずっと暖かくした竜車の中にいましたし、外に出る時も、辺境育ちの私やトルンペートにとってはまだ大した寒さでもなかったので、北部で買った上着でもどうにかしのげました。
お母様の飛行服は何しろ空の上を翔けるためのものですから防寒は言うまでもなく、ウルウに至っては多分なんかいつものまじないか道具のおかげかしれっとしてます。
でもさすがにどんどん冬も深まっていく中、辺境を奥へ奥へと旅するとなると、しっかりとした防寒着が必要になってきます。寒くて凍えるとかそんな話ではなく、率直に死ぬからです。凍って死にます。
いくら辺境育ちでも、辺境育ちだからこそ、辺境の極寒に対してはきちんと対策しないといけません。
私が辺境を出た時は初夏のことで、かさばる防寒着なんかはさすがに持ってきていなかったので、ここで手に入るなら、ありがたいことです。ありがたいというか、出発する前にどこかで買っていこうと思っていましたから、ちょうどよいですね。
おじさまが気前よく私たちに下さったのは、最高級の大箆雷鳥の防寒具でした。
それも真っ白な総冬毛の上等なものです。大箆雷鳥の毛皮は、暖かいだけでなく水をよく弾くので、雪が溶けても、中までしみ込んできません。よく手入れした大箆雷鳥の毛皮は、海を泳いでも大丈夫だというくらいです。
上下と手袋、長靴と揃えてあって、どれも文句なしに一級品です。
上着は縁を長い毛で縁取った頭巾がついていて、すっぽりかぶって口元までしっかりぼたんを留めると、外気を遮ってまつげや呼気が凍るのを防いでくれるようになっています。
下衣は着衣の上からでも履けて、足さばきも邪魔しない程度にゆったりした造りで、もふもふと暖かいけれど窮屈さがありません。
袖や裾はひもで絞れるようになっていて、外気が入り込まない造りですね。
手袋はさすがに分厚くて、ちょっと細かな作業はしづらくなりそうでしたけれど、手のひらのあたりから指先の方だけ開くようになっていて、そこから指を出せるようになっていました。これは便利です。
長靴の内側はもこもこの毛でおおわれて実に暖かです。おまけに底が最高。靴底です。なにしろ幅広で、滑り止めの細かな溝が入った護謨底なのでした。
内地の靴だと雪が染みますし、氷の上で滑りますし、辺境じゃやっていけません。その点、護謨底の辺境の靴は滑りにくく、雪も染みませんし、弾力があって疲れづらいですし、寒さにも強いです。
外付けの金属鉤をくっつけて氷に突き立てる靴もありますけれど、石畳の上じゃ却って危ないですから町中じゃ使えませんし、何しろ金属というのはよく冷えますから、うかうかしてると氷に刺さったまま凍り付いて抜けなくなるなんて時もあるんです。
その点、この護謨底はそんな心配がありません。
内地で買うとお高い護謨底の靴ですけれど、実はこの護謨、辺境特産だったりするんですよ。南大陸でも似たようなものが見つかってるらしいですけれど、安定した供給と品質の高さはまだまだ辺境護謨が頭一つ抜けているようです。
小柄な私たちだけじゃなく、ちょっとばかりでなく背の高いウルウにもぴったりのものをしれっと持ってくるあたり、もしかするとお母様から連絡があった時点から準備していたのかもしれません。
ちなみにそんな品々の中で私たちが一番喜んだのは、たっぷり用意してくださった替えの靴下でした。
毛糸で編んだ厚手の靴下は、ありふれたものではありましたけれど、何しろこれがあるとないとでは全く何もかもが変わってきますし、その癖穴があいたり擦り切れたりとすぐに駄目になってしまう消耗品なのです。
この素敵な贈り物をありがたくいただいて、おじさまと騎士たちに盛大に見送られながら私たちは竜車に乗り込んでいきました。
またか竜車と早速うんざりげんなりぐったりしているウルウでしたけれど、なんだかそんな姿ですらとてもいとおしく思えます。
その後ろ姿を眺めながら悦に入っていると、お母様に小突かれました。
「そろそろいい加減にしないと、ウルウちゃんも怒っちゃうかもしれないわよ」
「うぐ、それは困ります」
というか大本の元凶はお母様なんですけれど。
やっちゃったてへみたいな顔で、一歩間違えば大惨事の密室を作り出すとかどういう神経しているんでしょう。
親の顔が見たいと思いましたけど、ハヴェノでじっくり見てきましたし、なんなら実の娘が私です。
納得の顔。
まあでも、言っていることはもっともですので、気をつけなければいけませんね。
ただでさえ神経質なウルウです。
このあたりでちょっと冷静になって、切り替えなければなりません。
竜車は空高く飛びあがり、よく晴れた空を勢いよく駆け抜けていきます。
まあ私たちは締め切った竜車の中で、ウルウのこの世を呪うようなうめき声を聞きながらなのでいまいち格好がつきませんが。
なにはともあれ、私たちの旅はいよいよ辺境らしい辺境へと至ります。
龍の顎より来る竜たちを迎え撃つ天然の要塞。
吹雪を切り裂いて天翔ける飛竜乗りたちの根城。
対竜最終防衛線モンテートへと。
用語解説
・大箆雷鳥(Alko-lagopo)
オオヘラライチョウ。
大陸最大級の羽獣。辺境及び北部の一部に棲息。雄は箆状の巨大な角を有する。
成獣の体長は三メートル前後、肩高は二メートルに及ぶ。
記録では一トン越えの個体も見られる。
草食ではあるが、成獣は熊木菟をはじめとした大型肉食獣を追い払うないし殺傷することが可能である。
針葉樹林及び沿岸部でよく見られる。
夏は褐色、冬は純白の羽毛に換毛する。
羽獣としては珍しく足にも羽毛がある。
毛皮は防寒性、防水性、耐久性に優れ、肉も食用になるが、仕留めるのには危険が伴うため、傷の少ない毛皮は非常に希少。
・護謨(gumo)
いわゆる弾性ゴム。植物から採取されるラテックスを精製、凝固乾燥させた生ゴムに硫黄や炭素などを加えたもので、我々の知るゴムと大きな違いはない。
近年では南大陸の植民地で発見されたゴムノキの類からもラテックスが採られるが、輸送費、栽培数、加工法の問題などがあり、まだ主流ではない。
現在は辺境で栽培されている不凍華のラテックスが主に用いられている。
不凍華のゴムは、耐寒性に優れ、辺境の極寒でも柔軟性と弾性を失わないとされる
やや高価ではあるものの、一般に流通する程度には普及しており、冒険屋や騎士、また商人たちの靴に用いられることが多い。馬車の車輪に用いる例もある。
なお、最初に靴底にしようとしたのは冒険屋らしい。
・不凍華(nefrostaherbo)
辺境及び北部山岳地帯の一部でみられるキク科タンポポ属の植物。
濃い黄色の花をつけ、綿毛のついた種子を作る。葉は色濃く黒っぽい。
地表部は背が低いが、根は非常に長く、二メートル以上のものもザラ。
ゴム加工用の栽培種では品種改良が進み、この根が太く、乳液を多く含む。
生命力が強く大抵の場所に根付き、極寒の地である辺境において通年花を咲かせるため「凍らない花(草)」の名で呼ばれる。
この花が凍らない理由は乳液の持つ性質にあり、これは真冬の辺境においても凍結しない対低温性を示す。
辺境が帝国領に組み込まれた後、当時帝国側から派遣された総督がこの性質に目をつけ、特産として利用できないか研究した結果、酢酸を加えて凝固させた生ゴム、硫黄を加えた弾性ゴムの製法が確立された。
長々と語ったがお察しの通り今後この知識が本編で活用されることは多分ない。
・竜の顎
竜たちが住まうとされる北大陸と帝国との間にそびえる、臥龍山脈の切れ目。
飛竜たちはこのわずかな隙間を通って人界へとやってくるとされる。
現在は対竜最前線であるフロント辺境伯領がこれを塞ぐように要塞化している。
・モンテート
子爵領。対竜最終防衛線。
龍の顎を蓋するように広がる山岳地帯。
臥龍山脈ほどではないが険しい山々を要塞化する形で町ができている。
フロントを突破してきた飛竜はここで確実に撃墜される。
フロント要塞が完成する以前はここが竜殺しの最前線であり、竜の顎までの間に住み着いていた竜どもを根こそぎにすることで現在の辺境伯領が開拓されるようになった。
前回のあらすじ
すごかった(三回目)。
男爵から冬の装いを贈られ、いざ臨むは対竜最終防衛線モンテート。
すごかったすごかったってさんざん言ったけど、竜車に乗り込む頃には私たちはいつもの私たちになっていたように思う。
というか、結局のところ、私たちは私たちでしかなかったというか。
私は竜車に乗り込むなり早速げんなりし始めたし、トルンペートは毛布用意してくれたし、リリオはいつものいい声でどうでもいいおしゃべりして気を紛らわせてくれるし。
そりゃ、朝はまあ、ぎこちないところもあったし、気恥ずかしかったけど、いつもの面子で、いつものことしてるんだから、なんとなくいつも通りの空気になって、結局いつも通りやっていくんだよね、
別にいつもと違う話するわけじゃないし、バカップルみたいにいちゃいちゃしだすわけでもない。そうしたいとも特に思わない。
ただ、少し距離感が変わったっていうのかな。
溝ができたとか、そういうわけじゃないんだけど、でもまあちょっと、クッションの綿が寄ってしまったようなすわりの悪さがあって、でもそれはそんなに悪いものでもなくて、なんだか変な気持ちだ。
竜車の飛行が安定して、私もなんとか会話できるくらいになって、私たちはいつも通りに下らないお喋りをした。しようとした。してるつもりっていうか、うん。
いつも通り、普段通りを気にかけるように、装うように、全員が全員そんな風にふるまっているようではあった。
私も朝みたいにぴりぴりしてないし、トルンペートもそわそわしてなくて、リリオだってにやにや笑いはひっこめた。
でも、まあ、うん。
やっぱりまあ、 ちょっと落ち着かない。
私たちの関係は変わってしまったけれど、でもそれはいままでの関係がなくなったわけじゃない。
私たちは相変わらず友情を持ち合わせていたし、姉妹のように思う気持ちもあったし、冒険屋仲間としての仕事意識も、ちゃんとある。
そこに、今までになかった属性が、突然、ちょっと増えただけだ。
まあ、そのちょっとだけが、見えないところ、気づかないところで少しずつ違和感になって、つまずいたみたいに戸惑っている、のかもしれない。
私が雪道の歩き方にまだ慣れないように、それはきっといつか自然なものになる、のだろう。
なってくれないと、困る。
私だけじゃなく二人も、同じようなことを考えていたようで、暇つぶしにポーカーなんかしてる間も、気が付いたらなんだか目があっていて、私たちはなんだか照れ笑いしてしまった。
それは、やっぱりなんだか少しぎこちなくて、それから、やっぱり悪くない気持ちだった。
「うん、やっぱり、私たちには急すぎたかもしれませんね」
リリオが吹っ切るように笑った。
「まあ、あんまり突然すぎたからね」
「事故みたいなもんだったものね。事故では済まさないけど」
「それは勿論、まあ、今後の『交渉』次第ってことで」
「えーっと、それはつまり」
「辺境の蛮族式交渉は嫌だからね」
「ウルウって恋文とか交換日記とかする感じなの?」
「うっさい」
ただもう少し普通の付き合いを続けたいと言うだけだ。
そりゃ、あんなことしちゃったから、何が普通かって言うとあれだけど。
そんな私の複雑なのか面倒くさいだけなのかわけわかんないメンタルを酌んでくれたわけじゃないだろうけど、リリオはただ柔らかく微笑んだ。
「私たちは、私たちなりのやり方あり方を、少しずつ見つけていけばいいと思いますよ」
そう締めくくるリリオは、なんだかとてもすっきりしたような、いいこと言ってやったみたいな笑顔だけど。
「はいフラッシュ」
「ストレートフラッシュ」
「……役なしです」
順当にぼろ負けしていた。
その後も予定調和と言わんばかりにリリオをぼろっくそに負かして小遣いを巻き上げたのだが、まあ、なんだ。悪くないよ、やっぱり、こういうのは。
私も、リリオも、トルンペートも、別に変っちゃいない。変わっちゃあいないんだ。
ただ少し、ほんの少しだけ、私の中にある二人が、二人の割合が、増えたって言うだけなのかもしれない。属性のタグ付けが、一つ二つ増えたって言うだけかもしれない。
それで、それでさ、そのタグが、今まで使ったことのないやつで、ちょっと扱いに困ってるんだけど、でもまあ、そのうち、なんとなく馴染んでいくんじゃないかって、そう思う。今は自然と、そう思える。
変なのって、自分でも思う。
ほんと、変な気分だ。
以前の私なら、誰かとの関係が変わるのって、苦痛だった。
何も変わらないでほしかった。
生きているのがしんどくて、死んでいくほどの気力もなくて、楽しくもないような人生を、それでもこのまま続いてくれって、変わらないでくれって、そう祈ってた気がする。
変わることは怖いことだ。
自分が変わることも、周りが変わっていってしまうことも。
選択肢はいつもはいかいいえだけの二択であってほしかったし、いつも同じものを選ぶ実質一択であってほしかった。
生きていくことは変化の連続で、死ぬことさえ大きな変化で、いつだって怯えていた。
見ないふりして、知らないふりして、死んでないだけで生きていないような、当たり障りない人生を生きてきた。
でも、今はさ。
今は、昔ほど怖くない。
おっかなびっくり歩いてたら、馬鹿みたいに笑う声が聞こえるから。
それもまあ、悪くないかな、なんて。
そんな風に思うのだった。
まあ、そんな私のポエティックモノローグは誰に聞かせることもなく、朝食と胃液がブレンドされた虹色に規制されるだろう乙女塊とともに窓から不法投棄された。
空からの嘔吐は不思議な解放感と爽快感といつもの不快感とがあるけれど、真似するのはお勧めしない。吐かないに越したことはないのだ。
私がトルンペートにお腹をさすられながらリリオの子供っぽいけど心地よい声を聴いてなんとか人の形を保っているうちに、竜車は目的地にたどり着いたようで、マテンステロさんのアナウンスとともに容赦なく激しい揺れがおろろろろ。
相変わらず乱暴に竜車が着陸し、ようやく私はふわふわしない足場を得た。
二頭の飛竜が着地する音がそれに続き、私は二人の力を借りてなんとか身だしなみを整えた。
死にそうな顔はもうどうしようもないとして、せめてぼさぼさの髪はどうにかして、あと水で口もゆすいでおきたかったのだ。
今更《隠蓑》で隠れようとは思わない。
どうせ強制イベントなんだから腹をくくって精々楽しむとしよう。
竜車を降りた先は、カンパーロの竜車場とはまた趣が違った。
まず、クッソ寒い。
寒さに体を慣らしていこうと思って《ミスリル懐炉》はしまっておいたんだけど、後悔するレベル。
男爵さんにもらったもこもこ毛皮の上下とかのおかげで死ぬほど寒いとまでは言わないけど、さらしてる顔面が凍り付きそうだ。
フード被りたい。かぶって前締めきって閉じこもりたい。さすがにそうもいかないけど。
この寒さは、単にカンパーロより北だとかそういうことだけではなく、標高の違いがあるんだろう。
モンテートというのは山にへばりついた領地らしく、子爵の屋敷というか城もその山のただなかにおっ建てたものだそうで、つまりここは冬の北国の山の上なのだ。
そりゃ寒い。
そして空気が薄くてちょっと息苦しい、気もする。
今回竜車乗るときに、「慣らしとかないといけないから」とか言って気圧調整する仕掛けを止められてた時点で嫌な予感はしてたけど、さては結構な標高あるなここ。
この便利ボディでなければ結構きつかったと思う。
で、竜車場の造りは、カンパーロではほとんど雪の上に塗料で線引いただけの広場みたいだったけど、モンテートの竜車場は丁寧に雪かきされて、石畳かな、地面が見えているのだ。私にはよくわからない標識や停止線みたいな模様も書いてある。
すっかり日も暮れているけれど、かなり強い光源がいくつも、高所から照らしていた。
見上げれば、人工光じみた白い光が、金属製の細い柱の先で輝いている。
確か輝精晶とか光精晶とか呼ばれてる珍しい精霊晶だ。
それを惜しげもなく使った照明が、等間隔で並んで、広々とした竜車場を照らしているのだった。
降り立った私たちを迎えたのはやはり儀仗兵たちだったけれど、こちらもカンパーロとはまた違う。
カンパーロの出迎え儀仗兵たちは、飛竜革の鎧を着た騎士という感じだったけど、モンテートの儀仗兵たちはみな、マテンステロさんの着てる飛行服のようなスタイルなのだ。
マテンステロさんのものと違って、鮮やかな赤の飛竜革でできていて、胸甲などが施されて鎧に近い感じだ。造りもしっかりしていて、成程これが飛竜に乗っていたら格好よさそうだ。
まあ、マテンステロさんのはこれを参考に南部で手に入る素材で作ったものだから、見劣りするのも仕方ない話ではある。
儀仗兵たちで驚いたのは、飛行服だけでなく、掲げた武器もだった。
カンパーロではそれは槍だったけど、飛竜乗りたちが掲げるそれは、どうにも、見覚えがある。
それもこの世界ではなく、生前の話だ。
それはどう見ても銃剣に見えた。あの、銃の先っぽに刃物がついたやつ。
私は銃の類にはあんまり詳しくないのでよくわからないけど、テレビで見た猟銃とかみたいな形状だと思う。素材は何かわからないけど、飛行服に合わせてか赤く塗装されている。
「……銃あるんだ、この世界」
「ああ、投射器ですね。良く知ってましたね、ウルウ」
「うーん……私の知ってるのと同じかどうかはわからないけど」
まあでも、あれだけ形状が似てたら似たような用途の武器だとは思うけど。
機会があれば調べてみよう。
歓迎の楽団もカンパーロみたいに華やかな感じじゃなくて、規律の整ったマーチング・バンドって感じ。曲調も勇ましいもので、力強い。
雪が降っていないとはいえ、この極寒で演奏できるって言うんだから、楽器も演奏者もタフだ。
金管楽器なんか、下手すると呼気が凍り付いて唇はがれなくなるんじゃなかろうか。それ以前にこの空気の薄さでよくまあその肺活量維持できるものだ。
エクストリーム・マーチング・バンドかよ。
そんな盛大なお出迎えの中心人物が、モンテート子爵バンキーゾ・マルドルチャであるらしかった。
子爵さんは顔にすっかりしわの刻まれた高齢のようだったけど、私と同じくらい背は高く、がっしりとした骨太の体型だった。筋肉も太そうで、しわ以外はまるで老いを感じさせない。
雪国なのに随分日焼けしてると思ったけど、あれは雪焼けとやららしい。
「よく来た!」
野太い声が力強く響く。
言葉を飾らず、率直に端的にものをいう人のようだ。
「久しぶりだなマテンステロ! 息災のようだな!」
「ええ、お久しぶり。爺様も元気そうね」
「無論だ! おお、リリオ! 帰ったか! お前は相変わらず小さいな! 縮んだのではないか!」
「むがー! 少しは大きくなりましたよお爺様!」
「むわっはっはっは! 愛い奴め! おお! 武装女中のチビも生きておったか! 長生きしろよ!」
「閣下はそろそろご勇退召されては」
「相変わらず生意気なことよ! 善哉善哉!」
実に豪快に笑い、実に豪快に肩を叩いては再会を喜ぶ子爵さん。
身体もでかいけど、耳が遠いからなのではと疑うほど声もでかい。
なんというか、いよいよ蛮族らしい蛮族が出てきたなって感じ。
そしていよいよ私の番になったのだけど、なんか威圧感がすごい。
身長あんまり変わらないから見下ろされるわけじゃないけど、圧迫感がすごい。
あと顔が怖い。
「フーム。それで、貴様が婿殿か!」
またその流れか。
マテンステロさんほんと余計なことしかしないな。
しかしまあ、もはや否定もできない既成事実があるわけで、ここは粛々と、
「成人したてのリリオを傷物にしたからにはわかっとろうな!」
ああん?
「ひょろっこいナリしおって、まだ公界ン立たん、あずないリリオばだまくらかしてぎゃんにやがっとろう、ぬしゃ! かー! わしゃ、ぬしゃんごつおどくさか女がいっちょん好ーかん! くそごうわく!」
なんか、えらい勢いでまくしたてられている。
興奮しすぎてお国言葉が出てしまっているので何と言っているのかはわからないけど、これで褒め称えられているってことはないだろう。
いまにも殴り掛かってきそうな剣幕に、お付きの人が抑えにかかり、リリオとトルンペートも顔色を変えたけど、私はそっと制止する。
リリオの関係者にはご挨拶行脚する羽目になるだろうと思っていたけど、さすがにこの扱いは、頭にくる。
「傷物だって?」
「おーそがじゃ! わしゃ聞いとぉぞ! 小僧ン屋敷でこんげちゃんこか娘っ子に、」
「──傷物にされたのは私だ!」
「──あア?」
「こちとらその娘っ子に二十六年物の処女膜ぶち破られて泣かされてんだぞ訴えたら勝つからな!」
「な、なに? なんじゃとォ?」
「その通りでございます。面目次第もありません」
トサカに来た勢いで逆切れすれば、爺さんは目を白黒させて狼狽えた。
謝罪会見じみて死んだ目で犯行を認めるリリオに、爺さんは形容しがたい顔で固まった。
冷え切った石畳に、貴重な辺境貴族の土下座が披露されたのだった。
用語解説
・輝精晶
光精晶とも。非常に希少な光の精霊の結晶。古代王国の遺跡には、どういった手法で集めたのかこの結晶が多くみられる。
・投射器(Pafilo)
小銃のような見かけの兵器。
火薬の代わりに魔力で爆発を起こして銃弾を撃ち出す、または魔法そのものを撃ち出す火器。
ここでは魔法を撃ち出すもの。
強い指向性を与えることで、通常の魔法より射程や威力が向上する傾向にある。
ただし帝国で実用化されているのは大砲サイズで、魔導砲と呼ばれるもの。
銃のサイズだと気軽に装填できる実包や魔法式が用意できず、使用者は自前の魔力を流し込んで自分の魔法に指向性を持たせるという、魔法の発動媒体として用いなければならない。
実質的に高い魔力を持つ辺境人の専用武器と化している。
・モンテート子爵バンキーゾ・マルドルチャ(Bankizo Maldolĉa)
すでに老境に達しているが、バリバリ現役の武闘派。
いかにも肉弾戦が得意そうな見かけだが、当代一の飛竜乗りでもある。
・雪焼け
雪に反射した日光で強く日焼けを起こすこと。
・「ひょろっこいナリしおって、まだ公界ン立たん、あずないリリオばだまくらかしてぎゃんにやがっとろう、ぬしゃ! かー! わしゃ、ぬしゃんごつおどくさか女がいっちょん好ーかん! くそごうわく!」
(意訳:「筋肉もついておらず弱そうな姿をして、まだ世間知らずで、幼いリリオのことを騙してとても調子に乗っているだろう、お前は! かー! わしはお前のような生意気な女が一番嫌いなのだ! とても腹が立つ!」)
・「おーそがじゃ! わしゃ聞いとぉぞ! 小僧ン屋敷でこんげちゃんこか娘っ子に、」
(意訳:「おお、そうだ! わしは聞いているぞ! 小僧(注:モンテート男爵)の屋敷でこんなに小さな娘に、」)
前回のあらすじ
空から虹色のポエティックモノローグが降ってくる。
貴族は頭を下げない、なんて口さがない人々は言うらしいけど、辺境ではそんなこともない。
貴族と平民の距離が近いというか、近すぎるというか。
まあ内地と比べたらそもそも領地の広さに対して人口が少ないから、領民はみんな領主の顔を知ってるし、何だったら領主も主だった面子は見知ってるし何なら一緒にお酒飲んだこともあるって位には、近い。
勿論、辺境貴族と平民の間にだって歴とした格差があるけど、それはどちらかというと役割分担みたいなところがある。
古来、竜殺しを成し遂げることができたのは、当時まだ辺境貴族なんて呼び方をされていなかった、一部の英雄たちだけだった。
自然と英雄たちは竜の撃退と人々の守護を担うことになり、それができない人々は英雄を支える側に回った。
その関係がずっと続いていて、それが今の辺境貴族と平民につながってる。
だからか、できる人ができることをする、っていうのが、辺境の習わしなのよね。
竜を撃退できる人が竜を撃退し、畑を耕せる人が畑を耕し、古きを学び新しきを生み出せる人が学問に携わる。
だから人々はできないことを責めたりしないし、自分ができることを誇りに思う。
ただまあ、才能のない人間が夢を見ることに、とても厳しい環境であるのは確かなんだけど。
何の話だったかしら。
ああ、そうそう、辺境貴族は頭を下げるって話よ。
いくら竜を相手に戦えるくらい強いからって、辺境はそれだけで生きていけるほど甘い環境じゃない。
領主として祭り上げられた辺境貴族最大の敵は、いつか自分の背中を刺してくるかもしれない不和ってやつなのよね。
頭を下げて済むなら下げない方が損だ、なんて言葉があるくらいね。
まあ、それでも、初対面の素性も知れない相手に何のためらいもなく土下座かますのは他では見ないけど。
凍り付いた石畳に大柄な体を縮こまらせるようにして土下座した子爵閣下と、それを止めるでもなく「子爵がまたやらかしてるんだけど」と言わんばかりの呆れ顔で見下ろしているお付きの護衛。
いつものこと、なのよね。言っちゃえば。
「いや! げに! げに相済まんこつば言うたもんじゃ! こんげなチビのよめじょに来てござったんに、頭のはつからおらびよってからに、ハァ、ほんなこつはんかくしゃあとこば見せてしもうた!」
「いえ、あの、もう、本当にもういいですから」
石畳にひびが入る勢いの土下座に、珍しくプッツン来たウルウも、さすがにドン引きして落ち着いたみたいだった。
まあ、あの調子で謝られ続けたらかえって目立って恥の上塗りもいいとこだろう。
それに、ウルウからしたら謝ってるだろうってのはわかっても、辺境訛りがきつすぎて何言ってるかわかんないだろうし。
ウルウが何度か制止して、ばっちゃん──子爵付きの武装女中が抱き起して、ようやく閣下は気が済んだようだった。
抱き起してっていうか、脇腹に遠慮のない蹴りをかまして怯んだところを、腕を取って極めるようにひねり上げて、強制的に立ち上がらせたって感じだけど。
何してんだこいつって顔でウルウが凝視してたけど、ばっちゃんはしれっとしたおすまし顔だし、閣下も気にした様子はない。
いやまあ、他所の人間の感覚だとおかしいかもしれないけど、辺境貴族と辺境武装女中の関係としてはよくある光景なのよね。
ぶっちゃけ、護衛なんて必要ないくらいにはぶっちぎりで強生物であるところの辺境貴族だから、武装女中の主な仕事って主人の露払いとか身の回りの世話とかその程度で、残るのはこうしてあほほど頑強な主人の行動をいさめることになるのよね。
あたしがリリオの頭はたいたり、蹴り入れたり、極め技かけたりするのと一緒よ。
何しろ辺境貴族って何をするにしても力加減が必要な生き物だから、下手なことする前に近くの誰かが止めてやらないといけないのよね。
辺境の武装女中が強い理由の一つは、これよね。
どんな外敵より強い主人を力技で黙らせられるようにっていう。
「すまんかったな。いや、わしん中ではリリオはまだちゃんこい子供でな。その子供が相方を見定めて連れてくるなんぞと手紙が来たもんで、いや、てっきり。まさか、あのちゃんこいリリオが嫁とってくるとは……」
「本当に、もう、いいので。お願いします」
「いやはや、しかし、ハァ、まあ、よめじょとはのう」
閣下は昔からこういう、考えなしに吶喊しては、勘違いが原因でちょくちょく頭を下げている人なのだった。武装女中のあたしにさえ勘違いでやらかして頭を下げたことがあることを教えたら、ウルウも呆れ顔でため息をついた。
辺境貴族ってのは、まあ、良くも悪くもこういうところがある。
まあ一番呆れるべきは、一人で馬鹿笑いしてる奥様だけど。
大方奥様が、先触れの手紙に適当なことを書いて寄越したに違いないのだ。
あたしたちがジト目で睨んでみても、奥様はてんで気にした風もない。
言い訳さえも笑いながらだ。
「やだもう、そんな目で見ないで頂戴な。悪気があったわけじゃないのよ」
「悪戯っ気は大いにありそうなんですけど、お・か・あ・さ・ま?」
「確認しなかった私も悪いけど、でも確認するようなことでもないし、てっきりウルウちゃんが手引きしてあげると思ったんだもの。大人だものね」
「うぐ」
「それがまさかリリオに手を引かれて、それどころかトルンペートちゃんまでなんて」
「うぐぐ」
どう考えてもただからかって遊んでいるだけの奥様だけど、言ってることはまあ正論は正論なので、言い返すに言い返せない。というかウルウは完全に赤面して黙り込んじゃった。
まあ、こういうことに年齢は関係ない、こともないんだけど、でもまあ、成り行きに任せたらそうなっちゃったんだから仕方ないわよね。
まあ、嫁だなんだって言ったって、あたしたちはみんな女だし、そもそも三人一組だし、古式ゆかしく誰が嫁だの誰が旦那だのって分け方はあんまり具合が良くないわよね。
誰が上で誰が下ってのも──ああ、偉い偉くないっていう意味じゃなくて、つまり体勢の話だけど──、そりゃあそれぞれの向き不向きや好みもあるけど、いつもいつでもってわけじゃないかもしれないじゃない。
たまには趣向を変えてとか、今日はこういう気分だとか、そういう、ね。
だからあたしたちはみんなが嫁でみんなが旦那でって言い方もできるんだけど、まあ、便宜的に決めるなら、子爵の物言いも間違いではないわよね。
私たちの三人で誰が嫁かって決めるなら、間違いなくウルウだし、傷物にされたのもウルウだし、美味しくいただかれちゃったのもウルウだし。
うん、こりゃウルウが嫁だわ。
「大変遺憾なんだけど」
「世の中には甲斐性ってもんがあるのよ」
「私にはないとでも?」
「あるの?」
「あるとも言い難いけど、じゃあリリオにはあるの?」
「よし、この議論は止めましょ、不毛だわ」
「だよね」
「二人とも後でお話ですね」
まあ、こうしてじゃれ合ってる分には誰が嫁でっていうのもどうでもいい問題よね。
そういうのをはっきりさせたい人は自分たちの身内でやればいいし、議論したい人は議論したい人同士で議論すればいい。
あたしたちにとって大事なのはあたしたちの関係だけで、あたしにとって大事なのは、嫁っていう響きが存外悪くないわねってことだけだ。
あたしの嫁……いやまあ、あたしだけのってわけじゃないけど。
「ねえ嫁」
「なにさ嫁」
「そういう軽妙な漫談みたい返しを期待してたわけじゃないんだけど」
「軽妙な漫談みたいな返しをした覚えはないんだけど」
「私のことはぶるの止めませんか嫁たち」
「引っ込んでろ嫁」
「お呼びじゃないわよ嫁」
「何ですかこの軽妙な漫談みたいな返し」
なんだかこのまま永遠にじゃれ合っていてもいい気もしてきたけど、残念ながらいちゃつくのを楽しめるのは当人たちばかりでまわりは別に楽しくないのが問題ね。
適当な所で切り上げろやという圧迫感をばっちゃんが発してきたので、そろそろ大人しくしよう。
「まあ、こんなところで長話もなんじゃい。飛竜の旅も疲れるもんじゃし、腹も減ったろう。晩飯の用意はしとるから、飯にしようや」
きゅるる、と腹で返事をしたのは誰だったか。
用語解説
・「いや! げに! げに相済まんこつば言うたもんじゃ! こんげなチビのよめじょに来てござったんに、頭のはつからおらびよってからに、ハァ、ほんなこつはんかくしゃあとこば見せてしもうた!」
(意訳:「いや! 本当に! 本当に申し訳ないことを言ってしまったものだ! こんなチビの嫁に来て下さったのに、頭ごなしに怒鳴りつけてしまって、ハァ、本当にみっともない所を見せてしまった!」)
・ばっちゃん
モンテート子爵バンキーゾ・マルドルチャ付き一等武装女中プルイーノ(Prujno)。
子爵とは同年代で、爵位継承前から武装女中として付いており、付き合いは長い。
高齢ではあるが「このやんちゃ坊主が大人しく引っ込むまで」は現役で続けていくつもりらしい。
なにかと問題行動の多い主について回るため、手が早い。
遊びに来たリリオやトルンペートは子爵自ら対応(という名目で遊びまわ)していたので、気心は知れている。
・嫁
帝国法では婚姻の際に婚姻届けを領主に提出する決まりがあり、書式上「夫」、「妻」の項が存在する。
法律上、婚姻するものの性別を規定していないので、同性婚も多いが、その際は便宜上の「夫」、「妻」を決めることになる。とはいえ、名称以外に違いはないので、どちらがどちらを名乗ろうと何の問題もない。
前回のあらすじ
土下座する辺境貴族が見れるのは帝国でもここだけです。
なお現地ではよくみられる模様。
じじさま、子爵は辺境貴族から見ても非常に豪快で豪放で磊落な方なんですけれど、その行動力に思考が追いつかないことの多い方でもあります。
つまり勘違いで突っ走って盛大に事故ることの多い方なのです。
これがこと飛竜の襲撃だとかの緊急時ともなれば、即断即決の迅速な行動が速やかな迎撃へとつながりますし、経験に裏付けられた考えるよりも先に動く勘も鋭く、非常に優秀な方でもあるんですけれど。
殺しちゃった壊しちゃったでは取り返しがつかないのでそのあたりはある程度自制があるんですけれど、あるはずなんですけれど、あるとは思うんですけれど、まあ辺境貴族ですからね。私も人のことは言えません。
いや、私はちゃんと自制心ありますよ?
人一倍魔力の恩恵が強かった私は、成人の儀で旅立つ前に、徹底的に力加減を覚えこまされましたからね。
生卵を潰さないように握ったまま運動するとか、切れやすい細糸をあちこちに巻き付けて一本も切らないで生活するとか、とてもとても頑張りました。
なのでたまにしか壊しません。
小さい頃からさんざんトルンペートを壊しちゃいましたからね。
私は反省できる人種なのです。
「ね、辺境貴族でしょ?」
「そうだね。よく今まで生きてたね」
「壊すの得意なやつの周りには、直すの得意なやつが充実するみたいなのよ」
「成程」
なんか二人が言ってますけど、本当に私は辺境貴族の中ではまともな方だと思いますからね。
カンパーロの皆さんと比べられるとまあ、ちょっと辺境度が高いかなとは思いますけど。
まあ、私のことはいいとしまして。
じじさまはあれな人ですけれど、そんなじじさまを支える周りの人は必要以上にきちんとしっかりした人たちですので、万事滞りなく整えられています。
招待された食堂も、まあ山岳にしがみつくような要塞の中なので広さも豪華さもカンパーロほどではないんですけれど、石造りの武骨な造りの中に、趣のある調度品などが下品でない程度に散りばめられており、いぶし銀とでもいうべき渋みのある良さがあります。
貴族はお金がかかっていることを見せつけるのも仕事ではありますけれど、モンテートは軍事色の強い領地。むしろこのような控えめで、されど油断ならない具合というのが丁度よいのかもしれません。
まあそのように整えたのは代々の使用人たちであって、じじさま個人の好みは金ぴかに飾り立てたド派手な調度品とか、とにかくでっかい武具とか、大型の獣の剥製とかなんですけど。
じじさまの部屋なんかもう、観る分には楽しくても過ごす分には全く落ち着かない感じでしたからね。
飛竜の全身剥製が飾ってあるの、帝国広しといえど多分ここくらいですよ。
そんなじじさまの趣味的にはまあいささか地味な所のある、落ち着いた食堂で、私たちはもてなされました。
料理は主に馬鈴薯、玉葱、人参や豆類といった保存のきくもの、それにかなり強く塩漬けされた鰊や、甘藍、蕪の漬物といった保存食が並びます。
これは冬場だからと言うだけでなく、もともと急峻な山岳地帯でろくに作物が取れず、ふもとのわずかな農地から運んでこれるものを貯蔵して食料にしているからなんですね。
それでも見栄えよく給仕してくれる料理人の腕の良いこと。
供される種類は主に麦酒で、鮮度が悪く塩辛い塩漬けや漬物と釣り合いを取るために、とにかく大量に摂ります。何しろ飲料水も貴重なので、自然と薄めた麦酒を飲むことが多かったりします。
葡萄を育てるのも大変なので、葡萄酒はまず飲まれません。
蜂蜜酒はわずかに出回りますけれど、非常に高価です。
芋類や穀類を材料にした火酒は、寒さの中でも凍りませんからよく飲まれますけれど、さすがに強いので、水代わりとはいきません。
でも景気づけや、体を温めるのに飲んだりします。
この火酒、辺境では水酒と呼ばれています。水のように透明で、水のように癖がないからともいわれていますね。
これとですね、この水酒と、前菜に出された魚卵が実に合うんですよ。
この魚卵は、バージョで頂いた鮭の卵、つまり赤い魚卵とは違う、黒い魚卵という小粒の黒いものです。辺境で魚卵と言ったら普通はこっちですね。
辺境は海に面していないというか、海辺が残らず断崖絶壁なので漁のしようがないんですけど、実は塩湖があるんです。しょっぱい湖ですね。
ここに住む塩蝶鮫の魚卵が昔から現地の特産でして、辺境貴族も税として納めることを認めるくらいに美味しいんです。
内地ではこれがもう高値で高値で、びっくりするくらいの高値です。
宮殿に卸せるくらいの代物ですよ。
それをこう、「ウソッ」というくらいたっぷりと貝殻の匙にとって、ぱくり、と頂いちゃいます。
これがもう、たまらないのなんのって。
赤い魚卵と比べると小粒な黒い魚卵、歯ごたえもやや柔らかですね。ねっとりとした食感の中に深いコクがあり、独特な香りとともに力強いうまみが感じられます。
おまけにこれ、保存目当ての塩のきついものではなく、辺境でしか食べられない塩の薄いものです。塩がきついと、熟成されたこの香りとうまみが、台無しになってしまいますから、これは現地でないと食べられない贅沢な代物です。
そして、そしてですよ。
ただでさえ贅沢なこの味わいに、流し込むのは水酒!
すっきりとした味わいと、燃えるような酒精が、ともすればくどくなりかねないこってりとしたうまみを洗い流し、舌をもう一度楽しめる状態に回復してくれるわけです。
素晴らしい、素晴らしい味わいです。
これは延々と繰り返せますね。ダメ人間まっしぐらです。
しかしこれは前菜、前菜に過ぎないのです。
ここで満たされていては戦う前に負けたようなものです。
塩漬けばっかの食卓に飽きてきたウルウが、もうこれだけでいいかなみたいな顔し始めてますけど、駄目ですってば。
モンテートのとっておきは、なにしろすさまじいものです。
前菜を程よく楽しみ、会話が花開き始めたところで、思わず心惹かれてしまう香りとともにやってきたのが、主菜の大皿でした。
これがもう、昔ながらの豪快な一品で、とにかく肉、といった見た目です。
二人がかりで運んできた大きな皿の上には、どっしりとした塊肉の炙り焼きが、香草や香味野菜とともに鎮座ましましていました。
これは絶対美味しいというか、これで美味しくなかったら許さんぞという見た目の暴力ですよ、もはや。
この大きな炙り焼きの塊を、主人であるじじさまが大ぶりな包丁で客人に切り分けていくのですけれど、これがまた堂に入っています。
温められた皿に分厚く切られた肉がでんと載せられ、皿を運んできた料理人が添え物をいくつか添えて、女中たちが給仕してくれます。
ああ、この香り、たまらなく懐かしくなります。
うまみを閉じ込めるように外側はしっかりと焼き目が残り、しかし内側は薄い赤色を保ったままです。必要以上に加熱せず、しかし生というわけでもなくきちんと火は通っている。炙り焼きの最も上等な焼き方です。
これほど大きな肉の塊を、むらなく芯まで火を通すのは、料理人の腕の良さの証左です。
早速刃を入れると、焼いたとは思えぬほどの柔らかな切りごたえ。食用に調整された牛肉などと比べるとやや硬いですが、それも野趣と言えば野趣。
切り分けて口にすれば、力強い肉のうまみ。それにとろける脂。歯ごたえがややきつい所もありますけれど、まさしく肉を食べているなっていう感じがします。
独特な香りもむしろ、香草の利かせ方もあって、かえって食欲をそそりますね。
苔桃の甘酸っぱいたれがまた、塩気の利いた肉によく合うんです。
ああ、なんだか帰って来たなあっていう気がします。
懐かしのお味です。
なんて、ほっとしながら肉の塊を切り崩していく私の隣で、ウルウはしきりに首を傾げていました。
「どうしました?」
「ん……いや、食べたことないお肉だなあって。山じゃないと獲れない生き物?」
小首をかしげるウルウですけれど、まあ、それは、そうでしょうね。
山じゃないとというか、辺境じゃないと食べれません。
それも竜の顎かここくらいじゃないとまともに手に入りません。
「ふふん、美味しいでしょう。辺境名物ですよ」
「まあ、美味しいけどさ。何のお肉?」
「ウルウも見たことのある生き物ですよ」
「見たことある……って言っても。こんな大型の生き物……あ」
「そうです」
思いついたように手を止めて、まじまじと炙り焼きを見つめるウルウ。
多分正解ですね。
「これ、飛竜のお肉なんですよ」
用語解説
・水酒(Akveto)
芋類、穀類を原料とした蒸留酒。
白樺の炭で濾過したほぼ無味無臭のものが多いが、香草などで香り付けしたものもある。
・赤い魚卵(Ruĝa kaviaro)
イクラのこと。
鮭の熟した卵を一粒ごと小分けにしたもの。塩漬けやしょうゆ漬けにして食べる。
帝国内地でカヴィアーロと呼ぶのはこれのことで、もっぱら港町でのみ消費されてしまう高級品扱い。
・黒い魚卵(Nigra kaviaro)
ここでは塩蝶鮫の卵を塩漬けしたもの。
他のチョウザメの類の卵を用いた類似品はあれど、辺境の黒い魚卵は希少性・味ともに再高級品とされる。
なお生産地ではスープの浮き身にしたり、炒め物に調味料代わりに放り込んだり、粥に混ぜ込んだり、雑に消費されているとか。
・塩蝶鮫(Peklita Huzo)
辺境固有種。具体的に言うと「強い」。
ペクラージョ湖に棲息するチョウザメであることからのシンプルな名づけ。
鮫に似ているが鮫の仲間ではない。
産卵のために生まれた川に遡上する。
最大で十メートル程度まで育った個体が記録に残っているが、もっぱら獲られるのは二メートルから三メートルの個体である。
卵は魚卵として加工されるが、肉はあまり美味しくなく、一応保存食にするか、飼料か肥料になる。
・ペクラージョ湖(peklaĵo)
塩漬けを意味する言葉から名付けられた。
海水程度の塩分濃度を持つ塩湖。
その塩分濃度のためか、冬場でもめったに凍らない。
流入する河川はあるが出口となる河川がないという条件は満たしているものの、水分が活発に蒸発する乾燥地帯でもないため、なぜ塩分濃縮が起こっているのかわかっていない。
古来から辺境の貴重な塩田として利用されてきた。
閉ざされた環境では独自の生態系が築かれているとか。
前回のあらすじ
辺境名物を贅沢に頂いた晩餐。
飯ノルマこなしたみたいな空気である。
子爵さんの屋敷、というか、お城、というか、まあ聞いたところによればまさしく要塞であるというお住まいにお邪魔して、食堂に案内されたんだけど、これが結構立派だった。
華やかさという点ではカンパーロのお屋敷の方がいかにもって感じだったけど、こちらはなんていうのかな、中世のお城っていう感じがもろに出てる。
石造りで、武骨な造りで、明かりが蝋燭なので若干薄暗くて、ファンタジー漫画とか映画とかに出てくるスタイルそのものだ。
その中にも、勇壮な絵のつづられたタペストリーや、暖炉のレリーフ、ちょっとした装飾品など、見る人が見ればわかるだろう品の良さが見え隠れしている。
あのやかましく派手そうな子爵さんのセンスとは思えないな、というか多分周囲の人の見立てでやってるんだろうな。
要塞の主なのに、一番部屋に似合ってない。
自己主張が激しすぎるんだよなこの爺様。
騎士たちが並んでても違和感ない部屋だけど、この爺様がむわっはっはっはって笑う度に山賊の親玉にしか見えない。
まあ山賊は置いとくとして、落ち着いた雰囲気の食堂に好感度を抱いたところで、ふるまわれた食事はまずちょっとがっかり。
なにしろ標高も高めな山にへばりつくように建設された要塞だから、食料品は栽培などまともにできようはずもなく、ほとんど輸送して貯蔵したもの頼りなのだろう。
馬鈴薯とか玉葱とか豆とかの保存のききそうな野菜ばかりで、青物はあまりない。
で、大分塩気や酸味の強い、干し肉や干し魚、塩漬けに酢漬けに油漬け、そういったものを大量の薄めた麦酒でいただく感じが基本らしい。
この世界、冷蔵庫あるくらいだし、割と保存は利かせられると思うんだけど、多分輸送コストがかかるんだろうね。
聞いてみたところ、ほぼほぼ竜車でしか往来できないらしいので、輸送すべて竜車頼りってことになる。その竜車を引く飼育種の飛竜はピーちゃんキューちゃんの野生種より小柄で、馬力やタフネスで劣るので、一台の竜車に複数つくらしい。
貴重な戦力である飛竜を輸送に回さなければならないうえ、冬場の山風はかなり体力を奪うみたいで、そんなに頻繁に大量には運搬できないようだ。それに加えて、立地的に食料保存庫にそこまで広さを取れないんじゃないだろうか。
ああ、それに、人間の食糧だけじゃなく、その輸送に使う飛竜にも結構な量の餌が必要になる。
こうなるともう、仕方ないとしか言えないなあ。
まあ、仕方ないとはいえ。
料理人の腕がいいのか、盛り付けもきれいだし、味も美味しいんだけど、うん。
舌肥えちゃったかなーとは、思ったよね。
美味しいんだけど、ちょっと野暮ったいかなって。
もてなし用の振舞いなんだろうけれど、実用性が先立ってる感じが強い。
一応、ビタミン不足とかも気にしてか生の林檎やベリー類もあるんだけど、圧倒的に華やかさに欠けている。
色が主に、茶色い。
いや、けなしてるみたいだけど、実際美味しいは美味しいんだよ。
この世界、異世界転生ものでよく見かける「飯がまずい」展開がほぼないんだよね。
よほど食にこだわりがあるのか、こだわれるだけの余裕があるのか。
歴史的に考えると、大昔にかなり発展してた時期があるっぽいので、その時期のを部分的に継承したり、再発見してるみたいなところはあるけど。
ただまあ、なに?
冒険屋としては異例に小金持ちなせいでいいもの食べてきてしまったし、連れが料理上手だし、先日辺境とは言えモノホンの貴族様の食事も頂いちゃったし、かなり舌が肥えちゃってるなーと。
ものすごく腕がいいのはわかるんだけど、まあ前線基地の食事ですよねって感じ。
普段だったら普通に美味しいって満足してたんだけど、なまじ滅茶苦茶美味しい色とりどりな朝食頂いてきた後だから、なんか、こう、ねえ。
多分、旅を始めてきた頃の私が見たら全力でぶん殴りそうな嫌な奴だと思う、今の私。
ああ、でも、前菜で頂いたキャビアは美味しかった。
私の知るキャビアと同じものなのかは、そもそもキャビア食べたことないからよくわからないんだけど、鮫っぽい魚の魚卵の塩漬けみたいな説明だったから、おおむね似たような食べ物と思っていいだろう。
これが、また、美味しい。
塩漬けとはいっても、そこまで塩がきついわけでもなくて、むしろ素材の甘みが引き立つようでさえある。多分産地から飛竜便で直送って感じなんだろうね。
魚卵って言うからイクラとかとびっこみたいにプチプチした感じかなって思ったら、ねっとりとした歯ごたえで、味わいはかなりコクがある。
やや生臭いような、独特の香りはあるんだけど、熟成の結果なのかなんなのか、これがなかなか、悪くない。最初を乗り越えちゃえば、むしろ癖になるかもしれない。
私の貧相なイメージでは、キャビアってなんかこう、クラッカーとか黒パンに乗っけて食べてるのを想像してたんだけど、今回はかなり贅沢な食べ方だった。
私の手には、虹色にきらめく、多分大きな貝を削って作ったのかな、それだけでインテリアになりそうなスプーン。繊細な味わいを殺さないために純金のスプーンを使うって料理漫画で読んだことあるけど、化学反応を起こさないんなら貝でもいいわけだ。お値段的にもこれ結構しそうだし、見劣りしない。
その地味に高そうなスプーンで、リリオの真似してたっぷりと掬い取る。大皿からじゃないよ。一人一人につやつや輝く貝の器が行き渡ってて、そこに「こんなに!」というくらい盛られているんだ。
これを、口を大きく開けて、ぱくんと頂く。
贅沢さここにだけ偏りすぎてない?
ペース配分大丈夫?
って言いたくなるくらいの前菜だ。
北海道人だってイクラをこんな食べ方しないだろう、って一瞬思ったけど、多分してるな連中は。瓶からぞんさいに飯の上にかけたりして、「お母さんまだイクラあるの?」「もう飽きた」みたいなこと言って冷蔵庫に半端がいつまでも余ってるみたいな贅沢してるはずだ。
あいつら帰省するたびに土産にはホワイト・チョコ挟んだラング・ド・シャばっかり持ってきて、SNSでは蟹とかジンギスカンとか美味しそうなものばっかり載せるからな。
ネタ枠だったらしいジンギスカン風味キャラメルを「意外と悪くない」ってコメントしたら、SNSで笑いものにしたの知ってんだからな。
職場の同僚のアカウントなど知ってしまうものではない。
悪口言われてるくらいならまだしも、悪意の欠片もなく侮られ蔑まれ見下されていた日には認知が歪むからね。しかもその子が普通にいい子だったりすると脳髄がひずみそうになる。
それで私はSNS止めたくらいだからな。
三日後には再開したけど。
ブロックとミュート機能を採用したものに祝福あれ。
さて、もうこの前菜だけでいいかなあと思い始めたころ、まさかのメインの登場だった。
まず、かぐわしい香りとともにそれは運ばれてきた。
デーレンデーレンと聞こえてきたら鮫が現れ、ダダンダンダダンと聞こえたら未来から殺人ロボットがやってきて、デンドンデンドンと聞こえてきたら宇宙怪獣と戦うロボットが登場するくらいに、確実に「美味いものがやってきたぞ」と思わせる、そんな香りだった。
その大皿が二人がかりで運ばれてきたのを見た時のインパクトと言ったら、思わず拍手で出迎えたくなったほどだ。
それは肉だった。
もう、シンプルに肉だった。
大皿にドンと鎮座ましましている焼き目も香ばしい肉の塊だった。
以前テレビで、有名なビュッフェ・スタイルのレストランで、限定ローストビーフの塊を切り分けているのを見たことがあるけど、あれよりまだ大きいかもしれない。
これを、ホストである子爵さんが大ぶりな包丁で切り分けるんだけど、これがまた豪快だった。
よく見かけるような、お上品なスライスなんかではない。たっぷり厚みを持たせて、贅沢に切っていく。
単に豪快なだけのように見えて、子爵さんの包丁さばきは見事なものだった。
あれだけ太い肉の塊なのに、包丁は滑らかに肉に入っていき、のこぎりみたいに変に何度も往復させることなく、するりするりと何度か前後させるだけで綺麗にすとんと切り分けてしまう。
そしてその断面は美しいピンク色をさらしていて、乱れの一つもない。
見事なのはお肉の焼け具合と子爵さんの包丁さばきだけではなく、気配りもだった。
まず主客であるリリオ、次にその母親であるマテンステロさん、主客の伴侶となる私とトルンペート、という風に順番は厳格に定めているんだけど、でも主客に一番量を、あとはみんな一緒、みたいな頭でっかちじゃない。
よく食べるリリオにはとにかく分厚く、冒険屋でこれまたよく食べるマテンステロさんもほどほどに分厚く、背が高いのに小食であることを見抜いたのか聞き及んだのか私には少な目、トルンペートには程々といった具合に、それぞれの食べる量に合わせて切り分けてくれる。
それもこれくらいならいけそうかなって言うぎりぎりのあたりを見定めてきてくれる。
その上、皿を持ってきた料理人が盛り付けて、付け合わせを添えてくれるんだけれど、これがまた綺麗なのだ。
さて、温められた皿にサーブされたお肉を、早速いただくとしよう。
赤身も鮮やかなお肉だけれど、しっかり火は通っているようで、血がにじみ出ることもない。よくできたローストだ。ステーキみたいな厚さのローストって食べたことないけど。
これにナイフを入れてみると、やはり、柔らかい。生では切りづらいし、焼けすぎても硬い、でもこれは程よくやわらかで、心地よい手ごたえとともに肉が切れていく。
まずはこれを、そのままで一口。
少し硬めの歯ごたえは、旅の最中に狩ったジビエで慣れたものだ。
臭みとも取れる独特の香りも、最近ではすっかり慣れてきて、個性の一つとしてとらえることができるようになってきた。それにうまく香草が利いていて、むしろ味わいの一部として力強い。
噛みしめる度に舌に感じられる旨味はかなりしっかりとしていて、滋味深い。
脂身のあたりをちょっと頂いてみると、これもまた、驚くほど甘く、舌触りの良い脂だった。とろりととろけて、決してくどくない。
次に、かけられたソースに絡めてみる。この甘酸っぱさは、苔桃だったかな。
塩気のあるお肉と、甘いソースがこんなに合うんだってことをこの世界に来るまで知らなかったのが悔しいよね。まあ、生前にそんな知識があったところで、食べることに全く興味がなかったわけだけど。
そう言う意味では、むしろ食べることの楽しみを知ってからで良かったのかもしれないけど。
うん。美味しい、んだけど。
「どうしました?」
「ん……いや、食べたことないお肉だなあって。山じゃないと獲れない生き物?」
リリオと一緒に旅してると、ふらっと野山で適当に狩った獣とか食べることが多いんだけど、この味ははじめて食べる味だった。似たような味も知らない。
「ふふん、美味しいでしょう。辺境名物ですよ」
「まあ、美味しいけどさ。何のお肉?」
「ウルウも見たことのある生き物ですよ」
「見たことある……って言っても。こんな大型の生き物……あ」
なんかドヤ顔で遠回しに伝えようとしてくるの素直にイラっと来るんだけど、大人の態度で考えてみる。私が見たことはあるけど食べたことはなくて、これだけのお肉が取れる大型の生き物。辺境名物。
ふと、あの美しい生き物が頭をよぎった。
「そうです。これ、飛竜のお肉なんですよ」
マジか。
思わずまじまじとお肉を見つめてしまった。
飛竜って食べられるのか。そしてこんなに美味しいのか。
というかここの人たち飛竜乗りとかで飛竜を溺愛してる人たちらしいけど、それなのに飛竜食べるのか。
なんか一度に考えてしまって混乱した。
それはそれとして美味しいのでもう一口食べるけど。
「……えっ」
食べてから改めてこれが飛竜肉であることに混乱してしまった。
「えっと……飼育してる飛竜を食べてるんですか?」
「ぬわっはっはっはっは!」
素直な所を聞いてみたら大笑いされた。
「わしらが乗り回す飛竜は、老いたり、戦いで死んだら、乗り手がちっくとだけ頂いて、あとは素材ば剥いで、肉は塚に埋めよる。食用に別に育てるのは難しいのう。金がかかるし、気位が高い。人に懐くもんを掛け合わせてようやく飛竜乗りが乗り回せるようになったが、それでもな」
となると、このお肉の出どころは、野生、ということか。
「うむ、わしらが落とした飛竜は、素材ば剥いで、肉はわしらと飛竜とで食っとる。落とした分だけエサが増えると思えば飛竜も頑張る。乗り手もうまいもん食えるで、精出す。飛竜の肉は全然腐らんから、長々熟成させたもんをこうして宴に出しちょる。うまかろ?」
大変美味しかったけど、なんかキューちゃんピーちゃんをよこしまな目で見てしまいそうだ、などと思いながらもやっぱり美味しいのでもう一口頂くのだった。
用語解説
・北海道人だって~
おおむね偏見ではあるが、やや実体験交じりではある。
・ジンギスカン風味キャラメル
ジンギスカンとは言うが、原材料に仔羊は使用されていない。
なので実際のところは、ニンニクと玉葱ががっつり利いたタレの風味をエンチャントされた甘く香ばしいキャラメルという地獄の共演を果たした代物。
共演とは言うが、ジンギスカン風味は完全にキャラメルを殺しに来ている強さで、それにキャラメルが大人げなくあらがうという全面抗争に陥っているため、味覚も脳も盛大に混乱する。
食べた人によって評価が大いに変わる魔性のアイテムでもある。
・SNS
実話でも経験談でもないが、ありそうな話ではある。