前回のあらすじ
いろんな意味でドキドキの入浴回で、ウルウは真面目に吐き気を催したのだった。
お風呂自体は喜んでくれたけれど人がいっぱいいる空間は苦手なウルウの扱いがまだ難しくて困ります。人間が嫌いって最初に言っていましたけれど、これ完全に人見知りじゃないでしょうか。人付き合いが苦手な人じゃないでしょうか。私に関してはそこそこ慣れてきてくれた感じがしますけれど、慣れれば慣れるほど扱いがぞんざいになるあたりも、これ完全に人間関係が嫌いな人ですよね。
お喋りとか新しい出会いとか好きな私にはちょっとわからない感覚なのですけれど、ウルウみたいな人は話しかけられるのも嫌だしお喋りするのもすっごく疲れるっていう感じらしいです。
私はどうしても人と接することが多くなりますから、ウルウが面倒くさくなって姿を隠してしまうのはまあ仕方がないとは思いますけれど、もしそれが原因でお別れになってしまったらつらいものがあります。
私が原因でウルウが離れていってしまったらそれはそれで辛いものがありますけれど、人が多いから無理って言われたら余程きついものがあるじゃないですか。
そうなってしまったらもうウルウがついていける相手って森の中に一人で住んでいる隠者とか、下手すると野良犬とかになるかもしれません。なんだかんだ潔癖症で要求水準の高いウルウが他所にいってやっていけるとは思えません。私が守ってあげないと。
そんなことをぼんやり考えていると、なにやらえらくノリのいい女の人が会話に割り込んできました。
バーノバーノと名乗ったこの女性はなんでも風呂の神マルメドゥーゾの神官だそうで、このお風呂屋さんのお湯はすべてこの人が沸かしているそうです。まだ三十歳かそこら辺くらいのお歳に見えるのに、なかなかのお点前です。体型的にもお肌の張り的にも。
ふと視線の圧力を感じて横を見れば、ウルウがじっと見つめてきています。呆れとか面倒くさそうとかそういう色に交じって、訝しげな色が見て取れます。これはあれですね。箱入り娘さんらしいウルウが知らないものを見聞きした時に見せる「リリオ教えてくれるかな」っていう期待のまなざしですね。だいぶ好意的に翻訳しましたけど。多分実際のところは「何言ってるんだろうこいつら。関わり合いになりたくないけどこれ知らなかったあとで困るやつかなあ」といったところだと思います。
「ウルウ」
「神官って何」
息もぴったりですね。会話という意味ではこれ以上なく減点だと思いますけど。
「えーとですね。神様にお仕えする人たちのことで、信仰している神様に祈りを捧げたりして、代わりに神様の加護を得たり、神様の力を借りた術が使えるんです」
「神様っているんだ」
なんか物凄いこと言われました。
ウルウはどうも箱入りどころか外国の人なんじゃないかという位物知らずな所が多々見受けられましたけれど、さすがに神様の存在を疑う人は初めて見ました。聖王国の人なんかは一柱の神様だけを信仰していて他はぼろくそに言っているらしいですけれど、それでもその存在を前提とした敵対視であって、存在そのものを認識していないという人はまずいないと思います。
「いるわよー」
「風呂の神様とかいうのも」
「勿論いるわよー」
寄りにも寄って神に仕える神官相手にそんな物言いするのはウルウぐらいだと思います。バーノバーノさんはとてもおおらかなようで笑って流していますが、人によってはぶん殴られてもおかしくないと思います。何を言い出すのかというはらはらと、あのウルウが他所の人とお話しできているという感動で、私もどうしたらよいかわかりません。
「神様というのを見たことがないからなあ」
「普通はまず見たことないものですよう」
「見たことないのに信じるの?」
「うえあ」
そういわれると困ります。神様を見たことはなくても神様の奇跡やご加護はあるわけでして。
「それって壁に映った影を見て想像しているのと何が違うの」
「あうあうあ」
ウルウの視線がつらいです。ウルウ自身には否定するつもりなんか欠片もない純粋に疑問だけを抱いて放り投げてくる質問が切り返しづらいです。だって言われてみるとそうだよなってなっちゃいますもん。私神学者でも何でもないのでそういうこと考えたことありませんし。
「ふふふ、どうやらお困りのようね!」
あっ、普段だったら絶対面倒くさくて目を合わせたくない感じのノリですけどこういう時にはとても頼りになる感じがします。バーノバーノさんが豊かなお乳を大きく揺らして胸を張り、お姉さんに任せなさいと微笑みます。この人暇なんですね、きっと。でも私が説明するより本職の方に説明してもらった方が助かるのは事実です。
「バーノバーノさんの神様講座はっじまっるよー」
「わーぱちぱちー」
しかもウルウの死んだ魚のような目にも堪えず平然と続ける凄まじい精神力の持ち主のようです。
「じゃあ一番最初のところから。昔々の大昔、まだこの世界が永遠の海と浅瀬だけだった頃のお話から」
それは帝国に住むものなら、みな子供のころから聞かされるお話でした。
「そのころ世界は、海の神や空の神、またその眷属たる小神たちといった国津神たちが治めていて、山椒魚人たち最初の人々だけが暮らしていたの。そんな中、ある日、天津神たちが虚空天を旅してやってきて、ここに住まわせてほしいと頼んできたの。国津神たちは穏やかなばかりの日々に飽いていて、賑やかになることを喜んでこれを受け入れたわ。こうして天津神たちは自分の住処を整え、島を生み、陸を盛り、山を積んで木々を萌やし、そうして各々の従僕を地に放ったわ。これが私たちや隣人たちのご先祖様」
とても大雑把な説明ですけれど、これが国作りの神話です。私たち隣人種はみなそれぞれの祖神である天津神を信仰しています。人間はちょっと違うんですけど、そのあたりは複雑です。
「新しくできた島や陸や山や森にはそれぞれ新しい神々が生まれ、また地に満ちた人々の中でも神々の目に留まった者たちは高みに引き上げられて人神になっていったわ。今でも時々神々の目に留まって陞神するものや、神々の祝福を受けた半神たちが見られるわね」
ウルウはゆっくりかみ砕くように少しの間考えて、それから小首を傾げました。
「結局、『神』っていうのはなんなの?」
バーノバーノさんはうーんと少し考えて、こうおっしゃいました。
「『すごいもの』よ」
「雑い」
実際雑です。
「神っていうのは、なんにでも宿っているわ。大きな山にも宿るし、一陣の風にも宿るし、道端の石ころにも宿るし、私たちにも宿る。でも山そのものではないし、風そのものでもないし、石ころでもなければ私たちでもない。そこにあるけれどそこには見えない。天地の諸々の神様のことでもあるし、木石や鳥獣に宿る力のことでもあるし、私たちを生かす魂でもある。私たち人の力や知恵の及ばない常ならぬもので、尊く畏きもの。善も悪もない、私たちの既知の外にあるもの」
つまりは、とバーノバーノさんは困ったように笑いました。
「『すごいもの』としか言いようのないものなのよ」
私はなんだかいい加減というか曖昧だなあと思ったのですけれど、ウルウはなんだか納得したように小さく頷いて、「コシントウみたいな考え方だ」とまたウルウ一流のよくわからない理解をしていました。まあウルウが納得してくれればそれでいいのです。
「それでね。例えば私が信仰している風呂の神マルメドゥーゾの場合だと、祈りを捧げるものにお風呂や温泉にまつわる力を授けてくれるの。ここで私がお仕事しているみたいにね」
バーノバーノさんの話ではここのお湯は循環式になっていて、流れたお湯は一度貯水槽に集められて、そこで法術による浄化を行って綺麗にするそうです。そこからさらに温め直し、浴槽へと流すという過程を経ているようですが、これだけの莫大な水量をひたすら浄化して温めてということを一日中繰り返せるというのは並大抵のことではありません。何人か交代要員がいるそうですけれど、それにしたって馬鹿馬鹿しい程の消費になるはずです。
という説明を改めてウルウにしてみたところ、具体的な例を出したためか、このいかにもちゃらんぽらんそうで頭の軽そうなお姉さんも実はかなりの実力者なのだということを納得いただけたようです。
「人間ボイラーで人間ジョウスイキなわけだ」
「はい?」
「凄いってことだよ。いや全く凄い。大したもんだ」
ものすごい棒読みでウルウが褒めます。これはあれですね。好奇心が満たされたのでそろそろ相手するのが面倒くさくなってきましたね。私くらいになるとそのあたりの機微も自然と察せられるというかいやでも思い知らされてきたわけですけれど、バーノバーノさんの方は慣れていないようで、いやそんな大したことないのよえへへへへぇと相好を崩しています。ちょろすぎます。
「実際のところはね、風呂の神の神官って、入浴することで祈りを捧げるわけよ。だからこうして湯船につかっているだけで祈り捧げてるみたいなものなの。その状態で法術使う訳だから、燃費もいいってわけね」
聞いてみれば成程、そのような理屈があったようです。お風呂屋さんでの勤務となればそれだけでお風呂に接する機会も増えますし、そりゃあ法術の腕も磨かれるわけです。
「だから私も神官って言ってもね、勤め始めてから伸び始めた促成神官って訳なのよ」
そういって照れ臭そうに笑うお姉さんでした。こうして公衆浴場が増える以前は風呂の神様ってそこまで信仰を集めてなかったわけで、神官もそんなにいなかったわけで、今みたいにしっかり仕事として認めてもらえて、能力の伸びを感じるっていうのは、かなり嬉しいものなのかもしれません。そして公衆浴場が増えて、仕える神官も増えて、一般の人からの認知も増えると、その分神様の力も強くなります。そのうち一大風呂時代が訪れるかもしれませんね。
ウルウが興味を失ってきていることが分かったのか、バーノバーノさんは少し膨れて、神様のことが分かったんだからもう少しありがたがってもいいと思うわとぼやきました。それが神官として神をないがしろにされて怒っているのか、すごい神官であるところの自分の扱いがぞんざいだから怒っているのかは定かではありませんけれど、大概面倒くさい人です。
いい大人なのにとも思いますけれど、基本的に神官はより神の力に触れる、つまり既知外の神の感性に触れることの多い、能力の高いひとほどちょっとアレな所があります。人によっては言葉は通じるのに会話は通じません。
バーノバーノさんはそのあたりまだ常識人ですけれど、気軽に法術を使う位にはちょっとアレな人のようです。
指をくるくるっと回すと、さすがに自慢するだけあって祝詞もなしに法術を使ったようで、湯面の一部がきらきらと黄金色に輝きはじめるではありませんか。一見ちゃらんぽらんで中身も大概残念なお姉さんと思っていましたが、技術は本物のようです。
「どうかしら? これが風呂の神マルメドゥーゾのお力を借りた浄化の法じゅ」
「えい」
「ちょまっ、ななな何してるのだめよそれ触っちゃ!」
「なにこれ」
バーノバーノさんのうざったいもとい自慢気なセリフを遮るように、ウルウが突然虚空に手を伸ばし、何かを掴みます。私には何も見えないのですけれど、なにかびちびちと跳ねているようでウルウの手が左右に揺れます。
「あなた精霊が見えるの!? しかも触れるって!」
「精霊?」
「えーと、大雑把に言えば神様のすっごい弱い奴!」
「これがぁ?」
「それがよ! いま浄化の術に力を貸してくれてるありがたーいお風呂の精霊なんだから掴んじゃ駄目よ! ぽいしなさいぽい!」
「ぽいて」
ウルウが呆れたように手を離すと、確かに湯面に何かが溶け込んだように思えましたけれど、やっぱり何も見えませんでした。
「ウルウ、ウルウ、なにが見えたのですか?」
「なんかこう……不細工なウーパールーパーみたいなの」
「うーぱー?」
「不細工って何よ! 可愛いじゃない!」
「なんかぬるっとした」
「そこがいいんじゃない!」
よくわかりませんけれど、温厚そうなバーノバーノさんがぷんすこと怒るようなことをしれっとやってのけたようです。それにしても不細工やら可愛いやら、私も見てみたいです。ウルウが視線をあちこち向けるのでそのあたりにいるとは思うのですけれど、私にはさっぱり見えません。
「普通は見えないのよ。魔術師とか、神官とか、ちゃんと見える訓練した人じゃないと。ましてや触るだなんて」
全く非常識な人ねとバーノバーノさんは言っていますが、私もそう思います。でも非常識でもいいので私も見てみたいですし触ってみたいです。むうと唇を尖らせると、ウルウはゆらゆらと見えない何かに視線を向けながら、どうでもよさそうに言いました。
「好かれてはいるみたいだけどね」
私の肩のあたりを見ながら言いますけど、見えなければ意味がないのです!
用語解説
・山椒魚人
最初の人たちとも称される、この世界の最初の住人。海の神を崇め奉り、主に水辺や浅瀬に住まう隣人。肌が湿っていないと呼吸ができないが、水の精霊に愛されており、よほどの乾燥地帯でもなければ普通に移動できる。極めてマイペースで鈍感。好奇心旺盛でいろいろなことに興味を示すが、一方で空気は読めず機微にもうとい。
・国津神
もともとこの世界に在った神々。海の神や空の神、またその眷属など。山椒魚人たちの用いる古い言葉でのみ名を呼ばれ、現在一般的に使われている公益共通語では表すことも発音することもできない古い神々。海の神は最も深い海の底の谷で微睡んでいるとされ、空の神は大洋の果てに聳える大雲の中心に住まうとも、その雲そのものであるとも言われている。
・天津神
虚空天、つまり果てしなき空の果てからやってきたとされる神々。蕃神。海と浅瀬しかなかった世界に陸地をつくり、各々がもともと住んでいた土地の生き物を連れてきて住まわせたとされる。夢や神託を通して時折人々に声をかけるとされるが、その寝息でさえ人々を狂気に陥らせるとされる、既知外の存在である。
・隣人種
隣人。人々。祈り持つ者たち。知恵ある者ども。言葉を交わし祈りを捧げ、時に争いながらも同じ世界に住まう様々な種族の人々のこと。一定以上の知性を持つことが条件であるとされる。
・祖神
神々の中でもそれぞれの種族を連れてやってきた神のことを、その種族のものが指して敬う呼び方。この世界に住まうことを保証するおおもとの神。
・新しい神々
山や森など、新しくできたものには新しく神が宿る。自然神の類。人格は無いか希薄ではあるが、祈りに応えて加護を与えることもある。
・人神
隣人種たちのうち、神に目をかけられたり、その優れた才覚や行跡が信仰を集め、神の高みに至った者たち。武の神や芸術の神、鍛冶の神など幅広い神々がいる。元が人であるだけに祈りに対してよく応えてくれ、神託も心を病ませるようなことはあまりない。人から神になることを陞神という。
・半神
神々の強い祝福を受けたり、人の身で強い信仰を集めたものが、現世にいながら神に近い力を得た生き物。現人神。祝福や信仰が途切れない限り不死であり、地上で奇跡を振るうとされる。
・法術
神々の力を借りて奇跡を起こす術。精霊術。魔術より強力なものが多いが、信仰する神によって権能が違い制限が多く、また信仰の乏しい神の神官などでは、その神の信仰されている地域でしか法術が使えなかったり、特定の条件をそろえなくてはいけなかったりする。
・精霊
神の内、とても低級なもの。万物に宿る力が形をとったもの。弱いものはただそうであるようにふるまうが、力の強いものはある程度の人格を持ち、低級神や小神と呼ばれたりする。
・好かれてはいる
精霊に好かれるものは魔術や法術の才があるとされる。
いろんな意味でドキドキの入浴回で、ウルウは真面目に吐き気を催したのだった。
お風呂自体は喜んでくれたけれど人がいっぱいいる空間は苦手なウルウの扱いがまだ難しくて困ります。人間が嫌いって最初に言っていましたけれど、これ完全に人見知りじゃないでしょうか。人付き合いが苦手な人じゃないでしょうか。私に関してはそこそこ慣れてきてくれた感じがしますけれど、慣れれば慣れるほど扱いがぞんざいになるあたりも、これ完全に人間関係が嫌いな人ですよね。
お喋りとか新しい出会いとか好きな私にはちょっとわからない感覚なのですけれど、ウルウみたいな人は話しかけられるのも嫌だしお喋りするのもすっごく疲れるっていう感じらしいです。
私はどうしても人と接することが多くなりますから、ウルウが面倒くさくなって姿を隠してしまうのはまあ仕方がないとは思いますけれど、もしそれが原因でお別れになってしまったらつらいものがあります。
私が原因でウルウが離れていってしまったらそれはそれで辛いものがありますけれど、人が多いから無理って言われたら余程きついものがあるじゃないですか。
そうなってしまったらもうウルウがついていける相手って森の中に一人で住んでいる隠者とか、下手すると野良犬とかになるかもしれません。なんだかんだ潔癖症で要求水準の高いウルウが他所にいってやっていけるとは思えません。私が守ってあげないと。
そんなことをぼんやり考えていると、なにやらえらくノリのいい女の人が会話に割り込んできました。
バーノバーノと名乗ったこの女性はなんでも風呂の神マルメドゥーゾの神官だそうで、このお風呂屋さんのお湯はすべてこの人が沸かしているそうです。まだ三十歳かそこら辺くらいのお歳に見えるのに、なかなかのお点前です。体型的にもお肌の張り的にも。
ふと視線の圧力を感じて横を見れば、ウルウがじっと見つめてきています。呆れとか面倒くさそうとかそういう色に交じって、訝しげな色が見て取れます。これはあれですね。箱入り娘さんらしいウルウが知らないものを見聞きした時に見せる「リリオ教えてくれるかな」っていう期待のまなざしですね。だいぶ好意的に翻訳しましたけど。多分実際のところは「何言ってるんだろうこいつら。関わり合いになりたくないけどこれ知らなかったあとで困るやつかなあ」といったところだと思います。
「ウルウ」
「神官って何」
息もぴったりですね。会話という意味ではこれ以上なく減点だと思いますけど。
「えーとですね。神様にお仕えする人たちのことで、信仰している神様に祈りを捧げたりして、代わりに神様の加護を得たり、神様の力を借りた術が使えるんです」
「神様っているんだ」
なんか物凄いこと言われました。
ウルウはどうも箱入りどころか外国の人なんじゃないかという位物知らずな所が多々見受けられましたけれど、さすがに神様の存在を疑う人は初めて見ました。聖王国の人なんかは一柱の神様だけを信仰していて他はぼろくそに言っているらしいですけれど、それでもその存在を前提とした敵対視であって、存在そのものを認識していないという人はまずいないと思います。
「いるわよー」
「風呂の神様とかいうのも」
「勿論いるわよー」
寄りにも寄って神に仕える神官相手にそんな物言いするのはウルウぐらいだと思います。バーノバーノさんはとてもおおらかなようで笑って流していますが、人によってはぶん殴られてもおかしくないと思います。何を言い出すのかというはらはらと、あのウルウが他所の人とお話しできているという感動で、私もどうしたらよいかわかりません。
「神様というのを見たことがないからなあ」
「普通はまず見たことないものですよう」
「見たことないのに信じるの?」
「うえあ」
そういわれると困ります。神様を見たことはなくても神様の奇跡やご加護はあるわけでして。
「それって壁に映った影を見て想像しているのと何が違うの」
「あうあうあ」
ウルウの視線がつらいです。ウルウ自身には否定するつもりなんか欠片もない純粋に疑問だけを抱いて放り投げてくる質問が切り返しづらいです。だって言われてみるとそうだよなってなっちゃいますもん。私神学者でも何でもないのでそういうこと考えたことありませんし。
「ふふふ、どうやらお困りのようね!」
あっ、普段だったら絶対面倒くさくて目を合わせたくない感じのノリですけどこういう時にはとても頼りになる感じがします。バーノバーノさんが豊かなお乳を大きく揺らして胸を張り、お姉さんに任せなさいと微笑みます。この人暇なんですね、きっと。でも私が説明するより本職の方に説明してもらった方が助かるのは事実です。
「バーノバーノさんの神様講座はっじまっるよー」
「わーぱちぱちー」
しかもウルウの死んだ魚のような目にも堪えず平然と続ける凄まじい精神力の持ち主のようです。
「じゃあ一番最初のところから。昔々の大昔、まだこの世界が永遠の海と浅瀬だけだった頃のお話から」
それは帝国に住むものなら、みな子供のころから聞かされるお話でした。
「そのころ世界は、海の神や空の神、またその眷属たる小神たちといった国津神たちが治めていて、山椒魚人たち最初の人々だけが暮らしていたの。そんな中、ある日、天津神たちが虚空天を旅してやってきて、ここに住まわせてほしいと頼んできたの。国津神たちは穏やかなばかりの日々に飽いていて、賑やかになることを喜んでこれを受け入れたわ。こうして天津神たちは自分の住処を整え、島を生み、陸を盛り、山を積んで木々を萌やし、そうして各々の従僕を地に放ったわ。これが私たちや隣人たちのご先祖様」
とても大雑把な説明ですけれど、これが国作りの神話です。私たち隣人種はみなそれぞれの祖神である天津神を信仰しています。人間はちょっと違うんですけど、そのあたりは複雑です。
「新しくできた島や陸や山や森にはそれぞれ新しい神々が生まれ、また地に満ちた人々の中でも神々の目に留まった者たちは高みに引き上げられて人神になっていったわ。今でも時々神々の目に留まって陞神するものや、神々の祝福を受けた半神たちが見られるわね」
ウルウはゆっくりかみ砕くように少しの間考えて、それから小首を傾げました。
「結局、『神』っていうのはなんなの?」
バーノバーノさんはうーんと少し考えて、こうおっしゃいました。
「『すごいもの』よ」
「雑い」
実際雑です。
「神っていうのは、なんにでも宿っているわ。大きな山にも宿るし、一陣の風にも宿るし、道端の石ころにも宿るし、私たちにも宿る。でも山そのものではないし、風そのものでもないし、石ころでもなければ私たちでもない。そこにあるけれどそこには見えない。天地の諸々の神様のことでもあるし、木石や鳥獣に宿る力のことでもあるし、私たちを生かす魂でもある。私たち人の力や知恵の及ばない常ならぬもので、尊く畏きもの。善も悪もない、私たちの既知の外にあるもの」
つまりは、とバーノバーノさんは困ったように笑いました。
「『すごいもの』としか言いようのないものなのよ」
私はなんだかいい加減というか曖昧だなあと思ったのですけれど、ウルウはなんだか納得したように小さく頷いて、「コシントウみたいな考え方だ」とまたウルウ一流のよくわからない理解をしていました。まあウルウが納得してくれればそれでいいのです。
「それでね。例えば私が信仰している風呂の神マルメドゥーゾの場合だと、祈りを捧げるものにお風呂や温泉にまつわる力を授けてくれるの。ここで私がお仕事しているみたいにね」
バーノバーノさんの話ではここのお湯は循環式になっていて、流れたお湯は一度貯水槽に集められて、そこで法術による浄化を行って綺麗にするそうです。そこからさらに温め直し、浴槽へと流すという過程を経ているようですが、これだけの莫大な水量をひたすら浄化して温めてということを一日中繰り返せるというのは並大抵のことではありません。何人か交代要員がいるそうですけれど、それにしたって馬鹿馬鹿しい程の消費になるはずです。
という説明を改めてウルウにしてみたところ、具体的な例を出したためか、このいかにもちゃらんぽらんそうで頭の軽そうなお姉さんも実はかなりの実力者なのだということを納得いただけたようです。
「人間ボイラーで人間ジョウスイキなわけだ」
「はい?」
「凄いってことだよ。いや全く凄い。大したもんだ」
ものすごい棒読みでウルウが褒めます。これはあれですね。好奇心が満たされたのでそろそろ相手するのが面倒くさくなってきましたね。私くらいになるとそのあたりの機微も自然と察せられるというかいやでも思い知らされてきたわけですけれど、バーノバーノさんの方は慣れていないようで、いやそんな大したことないのよえへへへへぇと相好を崩しています。ちょろすぎます。
「実際のところはね、風呂の神の神官って、入浴することで祈りを捧げるわけよ。だからこうして湯船につかっているだけで祈り捧げてるみたいなものなの。その状態で法術使う訳だから、燃費もいいってわけね」
聞いてみれば成程、そのような理屈があったようです。お風呂屋さんでの勤務となればそれだけでお風呂に接する機会も増えますし、そりゃあ法術の腕も磨かれるわけです。
「だから私も神官って言ってもね、勤め始めてから伸び始めた促成神官って訳なのよ」
そういって照れ臭そうに笑うお姉さんでした。こうして公衆浴場が増える以前は風呂の神様ってそこまで信仰を集めてなかったわけで、神官もそんなにいなかったわけで、今みたいにしっかり仕事として認めてもらえて、能力の伸びを感じるっていうのは、かなり嬉しいものなのかもしれません。そして公衆浴場が増えて、仕える神官も増えて、一般の人からの認知も増えると、その分神様の力も強くなります。そのうち一大風呂時代が訪れるかもしれませんね。
ウルウが興味を失ってきていることが分かったのか、バーノバーノさんは少し膨れて、神様のことが分かったんだからもう少しありがたがってもいいと思うわとぼやきました。それが神官として神をないがしろにされて怒っているのか、すごい神官であるところの自分の扱いがぞんざいだから怒っているのかは定かではありませんけれど、大概面倒くさい人です。
いい大人なのにとも思いますけれど、基本的に神官はより神の力に触れる、つまり既知外の神の感性に触れることの多い、能力の高いひとほどちょっとアレな所があります。人によっては言葉は通じるのに会話は通じません。
バーノバーノさんはそのあたりまだ常識人ですけれど、気軽に法術を使う位にはちょっとアレな人のようです。
指をくるくるっと回すと、さすがに自慢するだけあって祝詞もなしに法術を使ったようで、湯面の一部がきらきらと黄金色に輝きはじめるではありませんか。一見ちゃらんぽらんで中身も大概残念なお姉さんと思っていましたが、技術は本物のようです。
「どうかしら? これが風呂の神マルメドゥーゾのお力を借りた浄化の法じゅ」
「えい」
「ちょまっ、ななな何してるのだめよそれ触っちゃ!」
「なにこれ」
バーノバーノさんのうざったいもとい自慢気なセリフを遮るように、ウルウが突然虚空に手を伸ばし、何かを掴みます。私には何も見えないのですけれど、なにかびちびちと跳ねているようでウルウの手が左右に揺れます。
「あなた精霊が見えるの!? しかも触れるって!」
「精霊?」
「えーと、大雑把に言えば神様のすっごい弱い奴!」
「これがぁ?」
「それがよ! いま浄化の術に力を貸してくれてるありがたーいお風呂の精霊なんだから掴んじゃ駄目よ! ぽいしなさいぽい!」
「ぽいて」
ウルウが呆れたように手を離すと、確かに湯面に何かが溶け込んだように思えましたけれど、やっぱり何も見えませんでした。
「ウルウ、ウルウ、なにが見えたのですか?」
「なんかこう……不細工なウーパールーパーみたいなの」
「うーぱー?」
「不細工って何よ! 可愛いじゃない!」
「なんかぬるっとした」
「そこがいいんじゃない!」
よくわかりませんけれど、温厚そうなバーノバーノさんがぷんすこと怒るようなことをしれっとやってのけたようです。それにしても不細工やら可愛いやら、私も見てみたいです。ウルウが視線をあちこち向けるのでそのあたりにいるとは思うのですけれど、私にはさっぱり見えません。
「普通は見えないのよ。魔術師とか、神官とか、ちゃんと見える訓練した人じゃないと。ましてや触るだなんて」
全く非常識な人ねとバーノバーノさんは言っていますが、私もそう思います。でも非常識でもいいので私も見てみたいですし触ってみたいです。むうと唇を尖らせると、ウルウはゆらゆらと見えない何かに視線を向けながら、どうでもよさそうに言いました。
「好かれてはいるみたいだけどね」
私の肩のあたりを見ながら言いますけど、見えなければ意味がないのです!
用語解説
・山椒魚人
最初の人たちとも称される、この世界の最初の住人。海の神を崇め奉り、主に水辺や浅瀬に住まう隣人。肌が湿っていないと呼吸ができないが、水の精霊に愛されており、よほどの乾燥地帯でもなければ普通に移動できる。極めてマイペースで鈍感。好奇心旺盛でいろいろなことに興味を示すが、一方で空気は読めず機微にもうとい。
・国津神
もともとこの世界に在った神々。海の神や空の神、またその眷属など。山椒魚人たちの用いる古い言葉でのみ名を呼ばれ、現在一般的に使われている公益共通語では表すことも発音することもできない古い神々。海の神は最も深い海の底の谷で微睡んでいるとされ、空の神は大洋の果てに聳える大雲の中心に住まうとも、その雲そのものであるとも言われている。
・天津神
虚空天、つまり果てしなき空の果てからやってきたとされる神々。蕃神。海と浅瀬しかなかった世界に陸地をつくり、各々がもともと住んでいた土地の生き物を連れてきて住まわせたとされる。夢や神託を通して時折人々に声をかけるとされるが、その寝息でさえ人々を狂気に陥らせるとされる、既知外の存在である。
・隣人種
隣人。人々。祈り持つ者たち。知恵ある者ども。言葉を交わし祈りを捧げ、時に争いながらも同じ世界に住まう様々な種族の人々のこと。一定以上の知性を持つことが条件であるとされる。
・祖神
神々の中でもそれぞれの種族を連れてやってきた神のことを、その種族のものが指して敬う呼び方。この世界に住まうことを保証するおおもとの神。
・新しい神々
山や森など、新しくできたものには新しく神が宿る。自然神の類。人格は無いか希薄ではあるが、祈りに応えて加護を与えることもある。
・人神
隣人種たちのうち、神に目をかけられたり、その優れた才覚や行跡が信仰を集め、神の高みに至った者たち。武の神や芸術の神、鍛冶の神など幅広い神々がいる。元が人であるだけに祈りに対してよく応えてくれ、神託も心を病ませるようなことはあまりない。人から神になることを陞神という。
・半神
神々の強い祝福を受けたり、人の身で強い信仰を集めたものが、現世にいながら神に近い力を得た生き物。現人神。祝福や信仰が途切れない限り不死であり、地上で奇跡を振るうとされる。
・法術
神々の力を借りて奇跡を起こす術。精霊術。魔術より強力なものが多いが、信仰する神によって権能が違い制限が多く、また信仰の乏しい神の神官などでは、その神の信仰されている地域でしか法術が使えなかったり、特定の条件をそろえなくてはいけなかったりする。
・精霊
神の内、とても低級なもの。万物に宿る力が形をとったもの。弱いものはただそうであるようにふるまうが、力の強いものはある程度の人格を持ち、低級神や小神と呼ばれたりする。
・好かれてはいる
精霊に好かれるものは魔術や法術の才があるとされる。