前回のあらすじ
豊かな味わい。豊かな食文化。
しかしそれは感じることができなければどこまでも薄っぺらなものに過ぎない。
市の露店で思いのほかがっつりと昼食を摂ってしまい、腹ごなしにのんびり歩いていこうかと向かった先の住所は、かなりの郊外だった。郊外というかもう完全に街門から抜けて、町から離れていた。
腹ごなしという目的をすっかり超えて無心に歩いて行った先には、ちょっとした貴族のお屋敷のような立派な建物があった。私は貴族の屋敷というものを実際には見たことがないのだけれど、トルンペートに言わせれば一般的な貴族の屋敷より簡素で、武骨で、質実剛健とした造りであるということだった。
問題は屋敷より、屋敷の裏に広がる森であり、山だった。聞けばあれら全てがブランクハーラ家の持ち土地であるという。
「貴族じゃあないんだよね」
「多分爵位持ってないだけで、地元有力者ではあるんでしょうね」
まあ仮に過去で戦争か何かで武功を立てたとして、爵位なんか授けられそうになっても断りそうではある。何しろ、生粋の冒険屋といううたい文句だ。帝国の役に立つことはしてやるかもしれないけれど、帝国の機構に組み込まれるのは良しとしないと言い張ったとしても納得できる。
そしてこれは後から聞いたところ、ほぼほぼ同じようなことが過去にあったらしかった。
簡単な獣除けの柵に設けられた門扉を抜けてさらにてくてく歩き、扉に取り付けられた恐らく海竜を模したノッカーを叩いてしばらく待つと、誰何の声とともに扉が開かれた。
「はあい、どなたかしら」
顔を出したのはいかにも品のよさそうな小柄な老婦人で、おっとりとした顔立ちで、のんびりとした声をしている。
失礼だが、なんだか意外だなと思うくらいに普通のおばあちゃんである。服装も品はあるけれど別段高価そうでもないし、田舎のおばあちゃんといった感じ。
その目はまず一番背の高い私をあらあらと眺め、次いでそれより小柄なリリオとトルンペートあらあらと眺めて、少し考えてもしかして、と手を打った。
「マテンステロの娘が来るという話だったけれど」
「はい。私がリリオです。こちらは連れのウルウとトルンペート」
「あらあら、飛脚が手紙を持ってきてね、まだかしらまだかしらって待っていたのよ」
おばあさんは、たぶん彼女がメルクーロなのだろう、あかぎれの目立つ働き者の手でリリオの頬を撫でた。
「思ってたよりり小さいわねえ。ちゃんと食べてる?」
「ええ、人一倍」
「元気は一杯ね。それにほかの二人も、元気そう」
同じようにしてメルクーロさんはトルンペートと、少し背伸びして私の頬もそっと撫でた。それは何気ない所作だったけれど、そのわずかな間に何かを調べられたことが察して取れた。手のひらに僅かな魔力を感じ取ったのだ。
私は魔術師ではないけれど、けれど、《暗殺者》としての勘なのか、そのような細かなことにこそむしろ気が付くのだった。
とはいえそれは悪意のあるものではなくて、むしろ私たちが悪意あるものではないか調べているようであり、またどのくらいできるのかを平和的に改めたといった具合で、不快になるようなことでもなかった。
あらあらとメルクーロさんは楽しそうに微笑んで、それから家の奥に声をかけた。それは決して大きな声ではなかったが、よく通る声だった。
「マルーソ! マルーソ! 孫が到着したわよー!」
するとどたんばたんと騒がしくもの音がして、すぐにもガタイのいい老人が勢いよく戸を押し開けるようにして顔を出した。上背もあり、顔にはしわより傷が目立ち、簡素な服装は荒くれの漁師を思わせた。
しかしその顔には満面の笑みが浮かんでいた。そしてその笑みもまた、好々爺といった大人しい印象ではなく、近所の悪ガキのような活力にあふれたものだった。
「よくきたわしの孫!」
張りのある声でマルーソさんはそう叫び、順繰りに私たちを眺めた。そして小首を傾げたかと思いきや、ものすごい勢いで私たち三人をまとめて腕の中に抱きすくめてしまった。
「どれかわからんがみなよか娘じゃ! みなわしの孫じゃ!」
実に豪快な爺さんである。
リリオもトルンペートも全く驚いて、目を白黒させている。
そして、落ち着いているようで一番驚いたのは、この私だ。
私が大人しく腕の中に抱きすくめられてしまった、その事実に私は石になってしまうかと思うほど驚いて硬直していた。
だてそれはつまり、自動回避が発動しなかった、ということなのである。
敵意がなかったからかもしれないがあの勢いである。私は目で見て、避けようと考えたのだ。普段ならそれだけで自動回避が発動して、私は回避に成功するはずなのだ。
ところが気づけば私は腕の中に抱きすくめられて、よか孫じゃ可愛い孫じゃと頭を撫でられているのである。
つまりこの爺さん、幸運値か器用さか素早さかその組み合わせか、とにかく私の素の回避率百八十二パーセントを突破するとかいう荒業をいともたやすくこなしているのである。
マルーソ・ブランクハーラ。それはもしかしたらレベル九十九の私を圧倒するかもしれない、ものすごい爺さんなのだった。
用語解説
・マルーソ・ブランクハーラ
今年で六十歳になる、ブランクハーラの現当主。
総白髪だが、これは加齢ではなくもともとの白髪。
弓の名手で、海中の魚を射って捕まえることができる。
・メルクーロ・ブランクハーラ
今年で六十三歳の姉さん女房。入り嫁。
白髪交じりの赤毛で、目元にはそばかす。
マルーソの体格が良く、メルクーロが細身なため目立たないが、実は若干彼女のほうが背が高い。
熟練の魔術師で、マテンステロの魔術の師である。
豊かな味わい。豊かな食文化。
しかしそれは感じることができなければどこまでも薄っぺらなものに過ぎない。
市の露店で思いのほかがっつりと昼食を摂ってしまい、腹ごなしにのんびり歩いていこうかと向かった先の住所は、かなりの郊外だった。郊外というかもう完全に街門から抜けて、町から離れていた。
腹ごなしという目的をすっかり超えて無心に歩いて行った先には、ちょっとした貴族のお屋敷のような立派な建物があった。私は貴族の屋敷というものを実際には見たことがないのだけれど、トルンペートに言わせれば一般的な貴族の屋敷より簡素で、武骨で、質実剛健とした造りであるということだった。
問題は屋敷より、屋敷の裏に広がる森であり、山だった。聞けばあれら全てがブランクハーラ家の持ち土地であるという。
「貴族じゃあないんだよね」
「多分爵位持ってないだけで、地元有力者ではあるんでしょうね」
まあ仮に過去で戦争か何かで武功を立てたとして、爵位なんか授けられそうになっても断りそうではある。何しろ、生粋の冒険屋といううたい文句だ。帝国の役に立つことはしてやるかもしれないけれど、帝国の機構に組み込まれるのは良しとしないと言い張ったとしても納得できる。
そしてこれは後から聞いたところ、ほぼほぼ同じようなことが過去にあったらしかった。
簡単な獣除けの柵に設けられた門扉を抜けてさらにてくてく歩き、扉に取り付けられた恐らく海竜を模したノッカーを叩いてしばらく待つと、誰何の声とともに扉が開かれた。
「はあい、どなたかしら」
顔を出したのはいかにも品のよさそうな小柄な老婦人で、おっとりとした顔立ちで、のんびりとした声をしている。
失礼だが、なんだか意外だなと思うくらいに普通のおばあちゃんである。服装も品はあるけれど別段高価そうでもないし、田舎のおばあちゃんといった感じ。
その目はまず一番背の高い私をあらあらと眺め、次いでそれより小柄なリリオとトルンペートあらあらと眺めて、少し考えてもしかして、と手を打った。
「マテンステロの娘が来るという話だったけれど」
「はい。私がリリオです。こちらは連れのウルウとトルンペート」
「あらあら、飛脚が手紙を持ってきてね、まだかしらまだかしらって待っていたのよ」
おばあさんは、たぶん彼女がメルクーロなのだろう、あかぎれの目立つ働き者の手でリリオの頬を撫でた。
「思ってたよりり小さいわねえ。ちゃんと食べてる?」
「ええ、人一倍」
「元気は一杯ね。それにほかの二人も、元気そう」
同じようにしてメルクーロさんはトルンペートと、少し背伸びして私の頬もそっと撫でた。それは何気ない所作だったけれど、そのわずかな間に何かを調べられたことが察して取れた。手のひらに僅かな魔力を感じ取ったのだ。
私は魔術師ではないけれど、けれど、《暗殺者》としての勘なのか、そのような細かなことにこそむしろ気が付くのだった。
とはいえそれは悪意のあるものではなくて、むしろ私たちが悪意あるものではないか調べているようであり、またどのくらいできるのかを平和的に改めたといった具合で、不快になるようなことでもなかった。
あらあらとメルクーロさんは楽しそうに微笑んで、それから家の奥に声をかけた。それは決して大きな声ではなかったが、よく通る声だった。
「マルーソ! マルーソ! 孫が到着したわよー!」
するとどたんばたんと騒がしくもの音がして、すぐにもガタイのいい老人が勢いよく戸を押し開けるようにして顔を出した。上背もあり、顔にはしわより傷が目立ち、簡素な服装は荒くれの漁師を思わせた。
しかしその顔には満面の笑みが浮かんでいた。そしてその笑みもまた、好々爺といった大人しい印象ではなく、近所の悪ガキのような活力にあふれたものだった。
「よくきたわしの孫!」
張りのある声でマルーソさんはそう叫び、順繰りに私たちを眺めた。そして小首を傾げたかと思いきや、ものすごい勢いで私たち三人をまとめて腕の中に抱きすくめてしまった。
「どれかわからんがみなよか娘じゃ! みなわしの孫じゃ!」
実に豪快な爺さんである。
リリオもトルンペートも全く驚いて、目を白黒させている。
そして、落ち着いているようで一番驚いたのは、この私だ。
私が大人しく腕の中に抱きすくめられてしまった、その事実に私は石になってしまうかと思うほど驚いて硬直していた。
だてそれはつまり、自動回避が発動しなかった、ということなのである。
敵意がなかったからかもしれないがあの勢いである。私は目で見て、避けようと考えたのだ。普段ならそれだけで自動回避が発動して、私は回避に成功するはずなのだ。
ところが気づけば私は腕の中に抱きすくめられて、よか孫じゃ可愛い孫じゃと頭を撫でられているのである。
つまりこの爺さん、幸運値か器用さか素早さかその組み合わせか、とにかく私の素の回避率百八十二パーセントを突破するとかいう荒業をいともたやすくこなしているのである。
マルーソ・ブランクハーラ。それはもしかしたらレベル九十九の私を圧倒するかもしれない、ものすごい爺さんなのだった。
用語解説
・マルーソ・ブランクハーラ
今年で六十歳になる、ブランクハーラの現当主。
総白髪だが、これは加齢ではなくもともとの白髪。
弓の名手で、海中の魚を射って捕まえることができる。
・メルクーロ・ブランクハーラ
今年で六十三歳の姉さん女房。入り嫁。
白髪交じりの赤毛で、目元にはそばかす。
マルーソの体格が良く、メルクーロが細身なため目立たないが、実は若干彼女のほうが背が高い。
熟練の魔術師で、マテンステロの魔術の師である。