前回のあらすじ
タコの静かな味わいを楽しむ三人。
でもこれだけじゃちょっと物足りないかも。
章魚のサシミ、というのは、なんだか不思議な味わいでした。
何しろ見た目が強烈ですから、きっと味わいも強烈なんだろうと思っていたのですけれど、サシミにされた身はむしろ朝方の初雪のようにまっさらで、口にしてみた時の味わいは、烏賊よりももっとかすかで曖昧で、ともすればすっと通り過ぎてしまいそうな静かな味わいでした。
最初は何だろう、味がしないなと思うくらいなのですけれど、くにゅりくにゅりと何とも言えぬ不思議な歯ごたえを楽しんでいるうちに、じんわりとその味が口全体にしみわたってくるのでした。
成程これは面白い味わいでした。
三人並んで黙ってくにゅりくにゅりと章魚をほおばっている姿ははたから見たら全くおかしいものかもしれませんけれど、しかし真剣に向き合って初めて感じ取れる味わいなのでした。
私たちは結局食べ終えるまで無言でそうしてくにゅりくにゅりと静かな味わいを楽しみ、そして一息ついたのでした。
「ふう……美味しかったですけれど、ちょっと疲れました」
「今までにない味わいだったわね」
確かに素晴らしい味わいと言っていいのですけれど、慣れない私たちには難しい味わいでした。
ここはひとつ、頭を使わないで味わえるような単純なものはないかなと鼻を巡らせたところで、香ばしい香りに気付きました。
何かな何かなとこの魅力的な香りに顔を向けると、そこでは何ということしょう、豪快にも烏賊が丸々一匹網の上で焼かれているではありませんか。
正確には中身を抜かれて、切れ目を入れられた胴体とひとつながりになった足を焼いているようでしたけれど、これがまた恐ろしく香ばしい良い匂いをさせているのでした。
「イカ焼きかあ」
ウルウがのぞき込んだ先で、烏賊の足が炙られてくるんと先を丸めます。
「お客さん、食べてくかい?」
「是非!」
私が頷くと、店の人が小さな壺を取り上げて、中のたれを刷毛で塗りつけました。そうして裏返すと、何ということでしょう、先ほどまでよりもはるかに良い香りが広がるではありませんか。これは、なんでしょうか、醤油と、砂糖と、とにかくおいしいものです!
表裏としっかり焼かれた烏賊が、食べやすいように輪切りにされて皿に盛られ、私に差し出されました。代金を支払い、早速私はウルウ直伝のハシをつけました。
こんがりと焼きあげられた烏賊は、生の時とはまるで違う味わいでした。生の時はピンと張りがありながらもくにゅりくにゅりとした柔らかな食感でしたけれど、焼かれた時はふっくらとした、しかし確かな歯ごたえが出て、力を込めて噛むと、ぷっつりと噛み切れるのでした。
トロリととろけるようだった甘味は、焼かれることによってぎゅうっとしまって、うまみとして昇華したように思えました。そしてこのうまみが、表面に塗りつけられたたれの香ばしい香りと相まって、食べているのにお腹がすくというすさまじい破壊力を醸し出すのでした。
「イカそのものの形だけど大丈夫みたいだね」
「これだけ犯罪的な香りがしてたら我慢できませんよ!」
「そりゃ結構」
ウルウとトルンペートも一皿ずつ注文し、この素晴らしい料理に舌鼓を打つのでした。
単純ですけれど、しかし隣人史に残して然るべき画期的な発明と言っていいでしょう。
もしも烏賊を最初に見るのがこの烏賊焼きの姿であったなら、生の姿を見ても気持ちが悪いなどと思うことはなく、純粋に美味しそうと思えたことでしょう。
また、ウルウが提案してくれて、バージョで購入した唐辛子の粉を少しかけて食べてみると、これがまたたまらない組み合わせとなりました。ピリッとした辛さが香ばしさの中にうまく絡んで、ついつい後を引く仕上がりです。
「こう、丸のままのイカの姿を見るとね、イカ飯を思い出す」
いつものようにウルウが静かに語るので、なんですそれと尋ねてみれば、こういうことでした。
「イカの中身を抜いてさ、米を詰めるんだよ。他の具材を一緒に詰めてもいい。ゲソとかね。それを、醤油と出汁で炊くんだよ。そうするとイカのうまみが米にしみこんでさ。それをこう、輪切りにすると、もちもちに炊きあげられたご飯がみっちり詰まってさ……うん、どうしたの?」
「そんな話されたらお腹すくじゃないですか!!」
ただでさえイカ焼きの香ばしい香りで食べているのにお腹がすくという悪循環に陥っていたところです。これは一杯や二杯イカ焼きを食べたところで足りません。
しかも寄りにも寄って米を使うとかいう時間のかかる料理の話をするなんて、ああ、生殺しです。
ウルウは困ったように眉を下げて、それから、近くの店をちらっと見て、こう提案しました。
「新しいイカの食べ方を教えるんで、ちょっと場所貸してくれません?」
乗りのいい南部の人たちは、よし来たと協力してくれました。
ウルウは外套を脱いで動きやすい格好になって、それから近隣の店にも声をかけて、材料を調達しました。小麦粉に、卵に、硬くなった麺麭に、そして烏賊。
ウルウはつたない手つきながらも、店の人のやるのを見ていたのでしょう、正確に烏賊の中身を抜いて、内臓を取り外し、皮をはぎ、胴体を輪切りにし、ゲソの吸盤を取り外しました。そして全体に軽く塩を振り、下味をつけているようです。
それから全体に粉をまぶし、溶き卵をつけ、そして硬くなった麺麭を卸し金で卸したものを全体にまとわせました。
そして近くの屋台で使っていた揚げ油におもむろに投入したのでした。
「ほほう、烏賊の麺麭粉揚げか!」
「面白いことを考えるな」
「烏賊でできるならほかでもできるんじゃないか?」
露店の人たちが面白そうに眺める先で、手早く奇麗なキツネ色に揚げられた烏賊が取り上げられ、まるで積み上げられた黄金のように輝くのでした。
店の人たちが真似するように新しく作り始めるのを尻目に、私の手元にその黄金の輪が差し出されました。
「はい。イカリングフライ」
「いかりんぐ……?」
「おいしいの」
早速私はこの黄金色の輪にかじりつきました。食感は焼いたものと似ていますが、しかしもっと水分があってぷりんぷりんとしています。そしてぎゅっと圧縮されたようなうまみが、揚げ油の良い香りとともに口の中にいっぱいに広がるのでした。
また麺麭粉揚げといいましたか、衣のざっくりかりかりとした歯ごたえがまたたまりません。烏賊自体の柔らかくプリッとした歯ごたえと、衣のざくざくかりかりとが口の中でまじりあい、これは、そう、たまらなく、
「お酒が欲しくなります!」
「そう言うと思って」
私の空いた手に、さっと麦酒の満たされた酒杯が差し出されました。
「お昼だから、一杯だけね」
神が降臨なされたような心地でした。
用語解説
・麺麭粉揚げ
カツレツ。フライ。
パン粉をまぶしてたっぷりの油で揚げる揚げ物。
タコの静かな味わいを楽しむ三人。
でもこれだけじゃちょっと物足りないかも。
章魚のサシミ、というのは、なんだか不思議な味わいでした。
何しろ見た目が強烈ですから、きっと味わいも強烈なんだろうと思っていたのですけれど、サシミにされた身はむしろ朝方の初雪のようにまっさらで、口にしてみた時の味わいは、烏賊よりももっとかすかで曖昧で、ともすればすっと通り過ぎてしまいそうな静かな味わいでした。
最初は何だろう、味がしないなと思うくらいなのですけれど、くにゅりくにゅりと何とも言えぬ不思議な歯ごたえを楽しんでいるうちに、じんわりとその味が口全体にしみわたってくるのでした。
成程これは面白い味わいでした。
三人並んで黙ってくにゅりくにゅりと章魚をほおばっている姿ははたから見たら全くおかしいものかもしれませんけれど、しかし真剣に向き合って初めて感じ取れる味わいなのでした。
私たちは結局食べ終えるまで無言でそうしてくにゅりくにゅりと静かな味わいを楽しみ、そして一息ついたのでした。
「ふう……美味しかったですけれど、ちょっと疲れました」
「今までにない味わいだったわね」
確かに素晴らしい味わいと言っていいのですけれど、慣れない私たちには難しい味わいでした。
ここはひとつ、頭を使わないで味わえるような単純なものはないかなと鼻を巡らせたところで、香ばしい香りに気付きました。
何かな何かなとこの魅力的な香りに顔を向けると、そこでは何ということしょう、豪快にも烏賊が丸々一匹網の上で焼かれているではありませんか。
正確には中身を抜かれて、切れ目を入れられた胴体とひとつながりになった足を焼いているようでしたけれど、これがまた恐ろしく香ばしい良い匂いをさせているのでした。
「イカ焼きかあ」
ウルウがのぞき込んだ先で、烏賊の足が炙られてくるんと先を丸めます。
「お客さん、食べてくかい?」
「是非!」
私が頷くと、店の人が小さな壺を取り上げて、中のたれを刷毛で塗りつけました。そうして裏返すと、何ということでしょう、先ほどまでよりもはるかに良い香りが広がるではありませんか。これは、なんでしょうか、醤油と、砂糖と、とにかくおいしいものです!
表裏としっかり焼かれた烏賊が、食べやすいように輪切りにされて皿に盛られ、私に差し出されました。代金を支払い、早速私はウルウ直伝のハシをつけました。
こんがりと焼きあげられた烏賊は、生の時とはまるで違う味わいでした。生の時はピンと張りがありながらもくにゅりくにゅりとした柔らかな食感でしたけれど、焼かれた時はふっくらとした、しかし確かな歯ごたえが出て、力を込めて噛むと、ぷっつりと噛み切れるのでした。
トロリととろけるようだった甘味は、焼かれることによってぎゅうっとしまって、うまみとして昇華したように思えました。そしてこのうまみが、表面に塗りつけられたたれの香ばしい香りと相まって、食べているのにお腹がすくというすさまじい破壊力を醸し出すのでした。
「イカそのものの形だけど大丈夫みたいだね」
「これだけ犯罪的な香りがしてたら我慢できませんよ!」
「そりゃ結構」
ウルウとトルンペートも一皿ずつ注文し、この素晴らしい料理に舌鼓を打つのでした。
単純ですけれど、しかし隣人史に残して然るべき画期的な発明と言っていいでしょう。
もしも烏賊を最初に見るのがこの烏賊焼きの姿であったなら、生の姿を見ても気持ちが悪いなどと思うことはなく、純粋に美味しそうと思えたことでしょう。
また、ウルウが提案してくれて、バージョで購入した唐辛子の粉を少しかけて食べてみると、これがまたたまらない組み合わせとなりました。ピリッとした辛さが香ばしさの中にうまく絡んで、ついつい後を引く仕上がりです。
「こう、丸のままのイカの姿を見るとね、イカ飯を思い出す」
いつものようにウルウが静かに語るので、なんですそれと尋ねてみれば、こういうことでした。
「イカの中身を抜いてさ、米を詰めるんだよ。他の具材を一緒に詰めてもいい。ゲソとかね。それを、醤油と出汁で炊くんだよ。そうするとイカのうまみが米にしみこんでさ。それをこう、輪切りにすると、もちもちに炊きあげられたご飯がみっちり詰まってさ……うん、どうしたの?」
「そんな話されたらお腹すくじゃないですか!!」
ただでさえイカ焼きの香ばしい香りで食べているのにお腹がすくという悪循環に陥っていたところです。これは一杯や二杯イカ焼きを食べたところで足りません。
しかも寄りにも寄って米を使うとかいう時間のかかる料理の話をするなんて、ああ、生殺しです。
ウルウは困ったように眉を下げて、それから、近くの店をちらっと見て、こう提案しました。
「新しいイカの食べ方を教えるんで、ちょっと場所貸してくれません?」
乗りのいい南部の人たちは、よし来たと協力してくれました。
ウルウは外套を脱いで動きやすい格好になって、それから近隣の店にも声をかけて、材料を調達しました。小麦粉に、卵に、硬くなった麺麭に、そして烏賊。
ウルウはつたない手つきながらも、店の人のやるのを見ていたのでしょう、正確に烏賊の中身を抜いて、内臓を取り外し、皮をはぎ、胴体を輪切りにし、ゲソの吸盤を取り外しました。そして全体に軽く塩を振り、下味をつけているようです。
それから全体に粉をまぶし、溶き卵をつけ、そして硬くなった麺麭を卸し金で卸したものを全体にまとわせました。
そして近くの屋台で使っていた揚げ油におもむろに投入したのでした。
「ほほう、烏賊の麺麭粉揚げか!」
「面白いことを考えるな」
「烏賊でできるならほかでもできるんじゃないか?」
露店の人たちが面白そうに眺める先で、手早く奇麗なキツネ色に揚げられた烏賊が取り上げられ、まるで積み上げられた黄金のように輝くのでした。
店の人たちが真似するように新しく作り始めるのを尻目に、私の手元にその黄金の輪が差し出されました。
「はい。イカリングフライ」
「いかりんぐ……?」
「おいしいの」
早速私はこの黄金色の輪にかじりつきました。食感は焼いたものと似ていますが、しかしもっと水分があってぷりんぷりんとしています。そしてぎゅっと圧縮されたようなうまみが、揚げ油の良い香りとともに口の中にいっぱいに広がるのでした。
また麺麭粉揚げといいましたか、衣のざっくりかりかりとした歯ごたえがまたたまりません。烏賊自体の柔らかくプリッとした歯ごたえと、衣のざくざくかりかりとが口の中でまじりあい、これは、そう、たまらなく、
「お酒が欲しくなります!」
「そう言うと思って」
私の空いた手に、さっと麦酒の満たされた酒杯が差し出されました。
「お昼だから、一杯だけね」
神が降臨なされたような心地でした。
用語解説
・麺麭粉揚げ
カツレツ。フライ。
パン粉をまぶしてたっぷりの油で揚げる揚げ物。