母が亡くなったという報せを聞いたのは、私が十歳になったある冬のことでした。
 季節外れのはぐれ飛竜が、吹雪の向こうから不意に顔を出して、母を一口に食べてしまったのだと、そのように聞かされました。飛竜はそのまま飛び去ってしまい、いまもまだ見つかっていないのだと。

 沈痛な顔をした侍女頭から報告を聞いたときに、私の胸に去来したのはあまりにも呆気ないなという、空虚な思いでした。言葉を飾ることもせず、取り繕うこともせず、まっすぐに、ただただ簡潔に知らされた内容に、幼い私はただ、そう、そうなのねと頷くことしかできませんでした。

 母が死んだ。
 そのことが、うまく噛み砕けませんでした。ただただ頭から丸のみに飲み下してしまって、後からじんわりと理解されていくような、そのような心地でした。

 人が死ぬということは、辺境ではあり触れているというほどではないにしても、決して縁遠い話ではありませんでした。春に知り合ったものが、次の春には見かけなくなっていることも、少なからず経験していました。幼心にさえそうだったのですから、きっと実際にはもっとたくさんの人たちが次の春を迎えることなく、冬に負けていったのでしょう。

 どうして、とか。
 なぜ、とか。

 そう言った言葉はでてきませんでした。
 ただ、もう二度と母には会えぬのだという、その思いばかりがぐるぐるとお腹の中で巡っては消えていき、そして最後にはただぽつんと、母は死んだのだという一言だけが、小骨のように喉元に刺さっていました。

 そうでした。
 思えば私は母の死に涙一筋もこぼすことがありませんでした。
 ただ勘違いしないでほしいのは、それが私が悲しまなかったということではなく、悲しむよりも前にただただ呆然としてしまって、涙を流す機会を逃してしまったという方が正しいように思われました。

 それに何より、わたしよりも父の嘆き悲しむ姿が印象的でした。
 私がうまく母の死を噛み砕けないでいる間に、死というものに慣れた父は母の死を受け入れ、同時に受け入れ切れず、噛み砕き、なお噛み砕ききれず、飲み下し、その上で臓腑を焼くように焦がれているのでした。
 父は冬の氷のようにかたくなな人でした。でもそれは情が薄いからではありませんでした。胸の中の炉の灯を絶やさぬように、ぎゅっと唇を締め上げて、一人薪をくべるような人でした。

 父は私たちに涙を一筋も見せませんでした。泣き言もの一つも漏らしませんでした。
 それでも私たち兄妹は、父の嘆き悲しむ背中を見ていました。父は一言も、ほんの一言も、語る言葉を持ちませんでした。ただ黙りこくって、()()が過ぎ去るのを待って耐えているようでした。それは私たちが見る父の初めての弱音だったのかもしれませんでした。嗚咽にならない嗚咽だったのかもしれませんでした。

 珍しく良く晴れた日、私は母が消えたという空を仰いでいました。
 夜空はどこまでも広く、広く、青黒く広がっていました。そしてそこには宝石をちりばめたような星々や、神々がのぞく覗き穴のようにぽっかりと白々とした月が輝いていました。

 人は死ぬと星になるのだと、人族の古い言い伝えにあるそうです。或いは、空の星々こそ、冥府の神のあやす死者たちの寝床なのだとも。
 もしそうだとするならば、母の星はいったいどれなのでしょうか。死んだ母は、あの星空のどこにいるのでしょうか。数えても数えきれない星々の中でそれを探すのは、とてつもない徒労のように思えました。

 かあさま。

 ぽつりとつぶやいた言葉に呼応するように、きらりと星が瞬きました。それはしゅるしゅると尾を引いて、鮮やかに輝きながら南の空へと飛び去っていきました。

 流れ星が消える前に三度願い事を言えたら、その願いが叶う。そんなことを信じる年ではありませんでした。
 しかし私は確かに、その星に運命を見たのでした。
 あの星の落ちた先に、きっと私の運命があるのだと、幼心に私は確信したのでした。

 いまでもそんな子供じみた運命を信じているのかと言われれば、そうだとも言えますし、そうではないとも言えます。おとぎ話を素直に信じるほど子供ではなくなりましたけれど、けれど、私は確かにこうしていま星を手にしているのですから。

 私の星。星空から零れ落ちた時の歯車。
 あなたはいつだって私の胸に、希望を与えてくれるのだから。