チャイムの鳴ったタイミングで体育館へ戻ると、誰よりも先に天音がこちらへ駆け寄ってきた。
「春希くん、本当に大丈夫だった?」
「ただの捻(ねん)挫(ざ)だし、しばらく安静にしてれば治るわよ」
 俺の代わりに、宇佐美が説明してくれる。
「ごめん、心配掛けて」
「いちゃつくのはいいから、早く着替えて戻ろうよ。次の時間は、あんたたちが司会やるんでしょ? 遅れたらダメじゃん」
 宇佐美の指摘によって思い出した。次は修学旅行の自由時間に行動する班を決めるのだ。ほぼ何も仕事をしていないから忘れかけていたけど、曲がりなりにも俺は天音と一緒に委員をやっている。今日の進行も二人で務めなければいけないらしい。
「あんたたち、やっぱり同じ班で行動するの?」
「そのつもりだよ。もう春希くんの予約も取ってあるし」
「工藤ごときにわざわざ予約取らなくても、一緒になれると思うんだけど」
 いがみ合うような仲だけど、その点では宇佐美は俺と同意見らしい。工藤ごときという言葉は引っかかったが、彼女は春希という人間のことを天音よりも理解している。
「他のメンバーは風香を誘おうと思うんだけど、春希くんはあの子のこと大丈夫?」
「なんでいちいち俺に許可を取るんだよ。天音の決定に従うって」
「そう? じゃあ、風香は決定ね」
 決まった途端、彼女はどことなく嬉しそうにはにかんだ。風香という名前のテニスラケットの女の子とよく一緒にいるところを見かけるから、特別仲が良いんだろう。最近はこちらに対する当たりも和らいできたし、特に異論はなかった。
「一対四は春希くんがかわいそうだから、男友達を誰か誘ってよ」
「じゃあ、明坂でいいんじゃない? 話したことあるの、あいつぐらいだし」
「それじゃあ、男枠は隼(はや)人(と)くんで。まだ許可もらってないから、どうなるかわからないけど」
 どうやら明坂は、明坂隼人という名前らしい。もしかすると、天音は俺よりも彼と仲が良いのかもしれない。
 残るメンバーはあと一人だが、それは後ほど決めようということになった。いつまでも動き出さない俺たちを見て、宇佐美がうんざりした表情を浮かべたからだ。気にせずに、さっさと戻ればいいのに。
 一応、怪我をした俺のことを気遣ってくれていたのかもしれない。
勝手だけど、そう解釈することにした。

 授業が始まる前、担任教師は椅子に座る俺のところへやってきて、おもむろに足元を見た。靴下を履いていない右足には、宇佐美に処置してもらった時の包帯が巻かれている。
「さっき聞いたけど、怪我したらしいな」
「あ、はい……」
「すぐ治りそうか?」
「どうでしょう……しばらくは痛いままだと思います」
「そうか。それじゃあ、一応修学旅行の時は保健委員を付けておくか」
 友人たちと談笑していた宇佐美を担任教師が呼んでくる。なんとなく嫌な予感がしたが、それは外れなかった。
「宇佐美、修学旅行の自由行動の時、工藤と一緒に回ってやれ」
「……はい?」
「保健委員だろ? 何かあった時、助けてやってくれ。保健室の先生から聞いたけど、手当てしてやったんだろ?」
「そうですけど……」
「それじゃ、頼んだ」
 事務的に用件だけ伝えると、担任教師は黒板の前のパイプ椅子に座り込み、チャイムが鳴るのを待ち始めた。取り残された俺たちは、お互いに顔を見合わせる。それから弾かれたように、目の前でため息を吐かれた。
「もう友達と約束してるんだけど」
「……悪い」
「なんであんたなんかのおもりをしなきゃいけないのよ……」
 そんなことを言われても困るが、たぶん俺が怪我をしたのが悪いんだろう。それからすぐにチャイムが鳴って、とぼとぼと彼女は自分の席へと戻っていった。すべて話を聞いていた天音は、こちらを振り返って苦笑いを浮かべてくる。
「まあ、真帆って本当はいい子だから。決まったからには楽しも」
「……俺は別にいいんだけど」
 どちらかというと、彼女がかわいそうだ。さっきまで話をしていた友人たちに詫(わ)びている宇佐美を見ていると、申し訳なさが積もった。

「おいおいなんだよこの謎メン。というか宇佐美も姫(ひめ)森(もり)も、春希のこと嫌いなんじゃなかったの?」
 メンバーが決まった途端、デリカシーという言葉が辞書に載っていることを知らないらしい明坂が、空気も読まずに発言する。初めて知ったけど、テニスラケットの女の子は姫森というらしい。
「私は天音に誘われたから。というか、嫌いなんて今まで一言も言ってない。周りの空気読んでただけだし。だいたい、私はあんたみたいなデリカシー皆無の人間の方が嫌いよ」
言葉の暴力を浴びせられ、泣きそうな顔になる明坂。今のは彼が悪いから、慰めの言葉は掛けなかった。
「……というか、女の子の方が多そうだったから来てやったのに、やべえ奴しかいねぇじゃねーか。高槻さんは、春希の彼女だしよー……」
「そういう発言するから嫌われるんじゃない? というか、宇佐美は俺が誘ったから」
「なんで⁉」
「だって、宇佐美がいた方が賑やかになりそうじゃん」
 やべえ奴という発言が宇佐美にも聞こえていたんだろう。今にも『死ね』と言い出しそうだったから、一応のフォローは入れておいた。そのおかげかは知らないけど、彼女は矛を収めてくれたのか、代わりにこれ見よがしにため息を吐く。
「最近、保健委員としての仕事が増えたから。誰かさんが発狂したり、倒れたり、怪我したりで忙しいのよ。そのたびに呼ばれてたら、一緒のメンバーになった人たちがかわいそうじゃん」
「工藤も真帆も、前からそんなキャラだったっけ」
「やめてよ。工藤と一緒のくくりにしないで。あくまで仕方なく、だから」
「まあまあ、せっかく一緒のチームになったんだし、仲良くしてこうよ! ほら、アドレスも交換しとこう! グループ作ろう!」
 必死になって場を取りまとめようとしている天音が、なんだかおかしかった。
 それからあらためて、みんなでアドレスを交換する。とはいえ、女子三人は既に交換しているようだ。どうやら三人とも、同じ中学に通っていたらしい。男の俺と明坂が、女性陣にアドレスを教えた。
流れで宇佐美と交換した後、適当なメッセージが送られてきて確認すると、『ウサミミ』というふざけた名前が表示された。
「ウサミミて」
 思わず渇いた笑いが漏れる。案の定、宇佐美は眉を吊り上げて「後で殺すから」と、呪いの言葉を吐いてきた。追い打ちを掛けるように、包丁を持ったウサギのスタンプを連打してくる。本当に物騒な奴だ。
「ウサミミって、かわいいからいいと思うけどな」
 キレ散らかしている宇佐美とは違って、天音はよほどそのやり取りが面白かったのか、口元を押さえて笑っていた。ということは『あまねぇ』という名前も、自分でかわいいと思ってるから付けたんだろうか。
 そして名前をもじっている二人とは違い、姫森は『ひめもりふうか』というシンプルな名前。女子高生とはかくあるべきだと感心していたら、一言コメントに『推ししか勝たん』と書かれている。どういう意味かはわからなかった。
「とりあえず、ちゃちゃっと回る場所決めようよ。時間なくなっちゃう」
 言いながら、天音は修学旅行で向かう場所の地図を机の上に広げた。それから教室の隅っこで輪になりながら、当日のプランを決めていった。
 本音を言うと、修学旅行へ行くのが楽しみだと思っている自分がいて、なんとなく憂鬱な気分になった。この気持ちは、春希が抱くべきものだからだ。彼の機会を奪っているような気がして、笑おうとするたびに申し訳なさが押し寄せてきた。
 そんな複雑な思いを見透かしたのか、そうじゃないのかはわからないけれど、天音はこちらを見つめてきて「春希くんも、一緒に決めようよ。楽しんでいいんだよ」と笑いかけてきた。
「私、このお店のパフェ食べたーい!」
もう気分を切り替えたのか、宇佐美は女子みたいな甘ったるい声で主張する。
そのおかげで、少しだけ元気をもらえたような気がした。