翌日早朝、メッセージで集合場所は駅前だと言われ、渋々『了解』と書かれたスタンプを押した。文字を打つのが面倒くさい時、こういうスタンプは重宝する。
 事前に彼女から言われた通り、動きやすい服装を部屋のクローゼットから探してみたけれど、ちょうどいいものがなかった。そもそも春希は服をあまり持っていないようで、仕方なく白いTシャツにジーパンというデートらしくない服装で家を出る。
 約束の時間より二十分ほど早く着いたつもりだったけれど、天音は既に待ち合わせ場所の駅前ショッピングモールの前に立っていた。上はマウンテンパーカーを着て、下はショートパンツを履いている彼女は、制服姿を見慣れているせいかどこか新鮮だった。普段はハーフアップで長い髪をまとめているけど、今日はポニーテールで一つ結びにしている。頭には、つばのついた帽子をかぶっていた。
 こちらに気付くと「おはよ!」と元気良く挨拶して、いつもの笑顔を見せる。

「ごめん、待ち合わせ時間、間違えた?」
「ううん。時間より二十分も早いよ。杉浦くんは律儀だね」

 こいつはいったい何分前からここにいたんだろう。

「一応聞いとくけど、天音に限って楽しみで夜は眠れなかったから早く来たとか言わないよな?」
「ううん。普通に寝たし、いつも通りの時間に起きたよ。ただ杉浦くんはここら辺のこと覚えてないだろうから、待たせると不安にさせちゃうかなって。だから、ここに来たのは今から十分ほど前」

 どうやらこちらのことを気遣ってくれていたらしい。素直にお礼を言うと、彼女は威嚇するみたいに両手を左右に広げた。いきなりどうしたんだろうと、身構える。

「ところで、私服姿の私を見た感想は?」
「今から野球の応援にでも行くの?」
「何そのくそつまんない感想。面白くないからやり直し」

 理不尽にもやり直しを要求され、思わずむっとする。満足する回答が得られなければ、このやり取りは永遠に続くのだろうか。

「制服姿の方が見慣れてるから、新鮮だった」
「普通。それも面白くない」

 何も面白いことを言えなくて、いつの間にか冷めた視線を向けられていた。ここで機嫌を取っておかなければ、この後のデートで尾を引きそうだったから、少しは真面目に考えることに決めた。

「……セーラー服も女の子っぽくていいけど、今日の爽やかな服装もいいと思ったよ。なんというか、普段着崩さずにちゃんとしてるから、そういう一面もあるんだって少し意外だった。薄っすら化粧をしてるし、ボーイッシュな服装なのに、今日も同じくらいかわいいね」

 満足してもらえるような言葉を選びはしたけれど、それは紛れもない本心だ。
ほとんどの女子生徒がスカートのウエストを折り曲げたりしている中で、天音だけは普段から何も校則を違反していなかった。規律を無視してまでかわいさを作る必要もないくらい彼女は整っていて、その正しさのようなものを貫くのが天音の本質なんだと思っていた。だから肌の露出の多い格好で来るなんて想像もしていなかったし、人並みにお洒(しゃ)落(れ)に気を使っていることも今まで知らなかった。
 そんな、精一杯の拙い感想。最悪気持ち悪がられるかもと思ったが、天音は化粧の載った薄桃色の頬を両手で隠して、それから体ごと後ろを向いた。

「えっ、どうしたの?」
「……ちょっと、休憩」

 待ち合わせ場所からまだ一歩も動いていないというのに、おかしなことを言う。もしかして、照れているのだろうか。再び天音がこちらを向く。綺麗な頬がほんのり上気して汗が滲んでる。その証拠に、手のひらで自分の顔を扇いでいた。

「そんなに恥ずかしがるなら、変なこと言わせるなよ」
「ちょっと待って、今のは不意打ちでびっくりしただけだから!」

 かわいいという言葉なんて、いくらでも言われ慣れていると思っていた。だからあえて濁したりせずストレートに言ったのに。その反応のせいで、こちらまで調子が狂わされる。

「とりあえずさ、行くなら早く行こうよ。バカップルに思われるのも嫌だから」
「そういうこと、思ってても言わない!」

 憤(ふん)慨(がい)した彼女に苦笑すると「まったくもう」と、照れていたのを誤魔化すように笑った。それから帽子をかぶり直すついでに、しばらくの間指先で前髪を整える。
 彼女の気が済むまでそれを見守り、目的地へと歩き出した。


 休日に呼び出され連れていかれた場所は、巷(ちまた)の高校生が集うお洒落なカフェやショッピングモールなどではなく、ラウンドスリーという複合型エンターテインメント施設だった。
アミューズメントコーナーのけたたましい音が遠くで鳴り響く中、彼女は慣れた手つきで受付の機械を操作し、お昼十二時までスポーツ・アミューズメント施設で遊び放題という土日プランを二人分選択した。
 お金を渡すために財布を取り出そうとすると「これちょっと持ってて」と言われ、肩に提げていたサイドバックを手渡してくる。そうして手を塞がれているうちに、彼女は手早く二人分の料金を支払ってしまった。

「よし。このレシートを係員さんに見せれば、リストバンドと引き換えてくれるから」
「よし、じゃないよ。そういうのは男がやるもんだろ」
「誘ったのは私だから。それに、そのお金は春希くんのでしょ? 杉浦くんが使うのは泥棒だよ」
 
 ぐうの音も出ない主張だが、払わせてしまうのは申しわけないなと考えていると、「アルバイトしてるから、巷の女子高生よりはお金持ってるよ、私」と胸を張った。

「それって、友達と遊ぶためのお金だろ。俺に使ってもいいの?」
「杉浦くんは、一応私の彼氏だよね。それに君が思ってるより、お金がたくさん余ってるんだよ。友達と遊ぶためにアルバイトしてお金貯めてるのに、アルバイトの人手が足りなくて最近友達と遊べてないから」

 最近ノリが悪くなったねと言われていたのを思い出す。

「それ、本末転倒じゃん」
「だよね、私も最近そう思うんだー」
「君は友達が多そうだから、財布からどんどんお金が逃げていきそうだね」
「そうそう、そうなの。お金ないって断ればいいのに、一年の頃はお誘い全部受けちゃってて。そのおかげで、お友達はクラスメイト以外にもたくさんできたんだけど。優先順位を付けるのがとても難しいね」

 友達があまりいない人からしてみれば、それはとても贅(ぜい)沢(たく)な悩みに聞こえるんだろうけど、彼女からしてみれば深刻な悩みなんだろう。人気者ゆえの、葛(かっ)藤(とう)。

「というわけで、私のわがままに付き合ってくれてるお礼に、今日のお代は私に持たせてね。普段からも、申し訳ないことさせてるなって自覚あるし」
「自覚あったんだ。ないのかと思ってた」

 思わず皮肉を言うと、笑顔で無視される。
というより、むしろこちらの方がお世話になっている。彼女のおかげで、春希のふりができているんだから。

「ありがとう」

 素直にお礼を言うと、彼女は「どういたしまして」と微笑んだ。
 リストバンドを引き換えて入場し、「最初は何する?」と俺が訊ねる間もなく、天音は「バッティング行こうか!」とノリノリでエレベーターの方へ向かって行った。今日は一応、彼女のことをエスコートしなきゃいけないのかと不安に思っていたけれど、どうやらその必要はまったくないらしい。この調子じゃ、俺がいなくても勝手に一人で満喫しそうなテンションだった。


 屋内最上階にあるバッティング場は、雨が降っている時でも屋根があるので問題なく遊べるようになっている。今日は晴天だけど、そのおかげで日光に悩まされる心配はなさそうだった。
 バッティング場では自分たち以外にもカップルが何組か遊んでいて、そのほとんどは彼氏がバッターボックスに立ち、彼女が外で応援しているか興味なさそうにスマホを触っている。
うちの彼女と言えば、彼氏を差し置いてバッターボックスに立ち、金属のバットを握っていた。百三十キロの球を軽々と打ち返す姿は、周囲のカップルの視線を集めていた。

「君、野球経験者なの?」
「まさか、昔ちょっと弟と遊んでただけだよ」

 ちょっとのレベルじゃないようにも見えるけど、それはきっと天音の運動神経がずば抜けて高いからだろう。反射神経が特に優れているのかもしれない。何はともあれ、俺には彼女の打つボールをしっかり目で捉えることすらできなかった。
一ゲームが終わると、客が並んでいないのを確認して「それじゃあ、もう一回やってもいい?」と律儀に訊ねてくる。こちらは実際にプレイするよりも彼女の姿を見ている方が楽しいから、譲ってあげた。
 四ゲームを続けて打った後「あー楽しかった!」と言って、ようやくバッターボックスから退出する。けれど、まだ打ち足りなさそうだ。代走を誰かに任せれば、彼女一人で野球の攻撃を担当できるんじゃないだろうか。

「杉浦くんも、やってみなよ」
「俺はいいよ」
「私が教えてあげるから」
「やるにしても、この球速は無理だ。少し下げよう」

 情けない話だが、からかわずに了承してくれて、九十キロ設定の場所へと移動する。他に客が並んでいないのを確認して、まずはゲームを始めずに彼女から簡単にバットの持ち方や体重移動のコツを丁寧に指導してもらった。どこをとは言わないけれど、彼女は男みたいな性格をしているのに、出るところはちゃんと出ているため、あまり集中はできなかった。

「ちょっと、真面目に聞いてる?」
「聞いてるよ。左足から右足に体重移動するんだろ?」
「それじゃあ、前に進まなくて後ろに下がるから」

 確かに、言われてみればそうだ。素直に納得していると、呆れたようにため息を吐いてくる。

「クラスの人気者の天音さんが手取り足取り教えてるっていうのに、杉浦くんときたら」
「……ごめん、次はちゃんとやるよ」

 しかしそれからもいまいち集中はできず、なんで天音に心を乱されなきゃいけないんだという理不尽な思いが胸中に渦巻いた。きっと男というのは、総じてそういう生き物なんだろう。
邪念を払いつつ真面目に話を聞いて、彼女に「一回やってみ」というお許しをもらったため、一人でバッターボックスに立った。

「最初は打てなくていいから。言ったこと意識して、飛んでくる球だけはちゃんと見てるんだよ」

 あの行き当たりばったりな性格の天音をして、案外面倒見はいいんだよなと上の空で思う。それは弟がいるからこそ、なんだろうか。
 彼女が教えてくれたことを体で思い出し、それなりの速さで飛んでくる球を一打目から当てることができた。芯でミートしたのか、先ほどの天音のように高く白球が打ち上がる。それをぼんやり眺めていると「やるじゃん!」と、彼女の方が嬉しそうにガッツポーズしていた。
 しかし、高く打ち上がったのは最初と次の二球目くらいで、二十球のうち六割ほどしかバットに当たらなかった。教えてくれたのに、がっかりさせるだろうなと思いながら打席をから退くと、思いのほか天音の機嫌がよくて「初めてにしては、上出来だよ!」と慰めてくれた。

「杉浦くん、運動神経良いかもね」
「天音の教え方が上手いからだよ」

 実際、本当にそう思う。これも勝手なイメージでしかないけれど、彼女はバレーも野球もすべて感覚でやっていると思っていた。それは大きな間違いだったようで、おそらく基礎の部分は理論的に理解しているし体に染みついているんだろう。

「なんで部活やってないのに、そんなに上手いの?」

 当然の疑問をぶつけると、特に誇ったりせずに「だって、授業で先生がちゃんと教えてくれるから」と答えた。この人はたぶん、本当に素直な人なんだ。

「もしかして、弟さんが野球部だったり?」
「昔って、小学生の時だからね。私が年上だったから、いろいろ自分で調べて教えてあげてたんだよ。そういう習慣が染みついているから、基礎だけはいつもしっかり覚えてるの。だから君みたいに初見で驚いたり、部活動に勧誘してくる人はいるけど、結局は物事の上澄みをすくってるだけだから、一本真面目にやってる人からしたら、鼻で笑われるレベルなんだよね」

 まったく嫌みのない言い方に、感心すらした。よく誰かに教えている時に一番物事が身に着くと言うけれど、それを習慣的に無意識にやってきたんだろう。それでも運動神経に恵まれていなければ、できないとは思うけど。
懇切丁寧に指導してくれた時は、自分で打つよりも楽しそうにしていた。これがごく一般的なデートなら、立場は逆だろう。それでも、楽しんでくれているなら俺は気にしない。

「もし良かったら、今度はバスケを教えてくれない?」
「バスケ?」
「どうせ上手いんだろ? 昨日、実は悔しかったんだ。ちょっとは見返したい」
「あー杉浦くんめちゃくちゃかっこ悪かったからね」
「言うなよ、ほとんど初めてだったんだから」

 言い訳をすると、珍しく声を出して笑った。とても不覚にも、そんな彼女のことをかわいいと思ってしまう。

「君が上手くなりたいって言うなら、私なんかで良ければ教えてあげるけど。でも康平は中学の頃からバスケ部だから、見返すのは難しいかもよ?」
「それでも、バスケはチーム競技だろ? ちょっとでも上手くなっておけば、一応は試合に貢献できる」
「それもそっか」

 天音は帽子をかぶり直し、執拗(しつよう)に位置を整え始める。
 それをしばらく見守っていると、チラと一瞬こちらの様子をうかがってきたと思えば「それじゃあ、私に振り落とされないように頑張るんだよ」と楽し気に言った。
 彼女と本当に付き合う人は、きっと毎日が華やいで、楽しいんだろう。

 ふと、思った。