勇者パーティーから追放された魔法戦士ディックは何も知らない~追放した勇者パーティが裏で守り続けてくれていたことを僕は知らない~

 ~ 某王国王宮内 ~

 
「この部屋でお待ちください。」

 王宮の案内人に通された四人は客間であろう部屋で待機させられていた。

 部屋の内装は一言で言えば豪華絢爛。壁に設置されている絵画も隅っこに置かれているツボも椅子もテーブルも無駄に装飾が凝っており、見ているだけで目が痛くなってくる。
 
「叙任式も終わったんだから早く帰ってディックの体臭を嗅ぎながら読書したいわ」

 マリーの何気ない一言に三人が反応した。
 
「待ってください。今日は私の番のはずですよ。マリーさんは昨日だったはずでしょう?」

 ふざけんなと言わんばかりにマリーにつっかかるリシェル。
 
 マリーは隙あらば今日もディックは自分のものと言い出すのだ。
 
 ディックといくら一番近しいところにいたとはいえ、今は同じポジションのはず。
 
 これ以上の狼藉は許されない。
 
 そんないつも通りの会話をしていると四人を客間に呼び出した張本人が現れた。
 
「いやあ、お待たせしてしまって申し訳ありません」

 現れたのは王国宰相のコモドール。丸い、とにかく丸い。何を食べて育成したらその様な体型になるのか皆目見当がつかない程にまるい。
 
 そして私たちからディックを引き離しておいて、悪びれることもない態度にセリーヌが拳を握る。
 
「皆様を勇者パーティ認定するにあたって、一つお願いがあるのですよ」

 勿体ぶってないでさっさと要件を言え豚がというのは全員の共通認識である。
 
「ここにお一人足りていないと思うのですが、彼が…… 勇者パーティに相応しい人材か改めて確認させていただきたいのです」


 あいての コモドールの ちょうはつ!


 アリスの いかりのボルテージが あがっていく!
 セリーヌの いかりのボルテージが あがっていく!
 リシェルの いかりのボルテージが あがっていく!
 マリーの いかりのボルテージが あがっていく!

 そしてその言葉にアリスが反応する。剣は王宮に入る前に預けてしまったため手元にはないが、素手でも簡単に殺れる。
 
 アリスの殺気を見抜いたマリーはアリスを制止する。マリーの『待て』という目にアリスが『ふざけるな』と二人のアイコンタクトの応酬が行われている。
 
 その間にマリーの意図を汲んだリシェルが対応を始める。
 
「言葉の真意がわかりかねますが…… それはディックをパーティから外せと仰ってるのでしょうか?」

「端的に言えばそうなりますな。理由はお判りでしょうが、皆様はSランクなのに対して彼はDランクでしょう。勇者パーティは先陣切って魔王軍と戦っていただく王国の顔というべき存在。そこにDランクがいると国民が不安がります」

 なんだ、そんなことかとアリスが鼻で笑っている。

「魔王軍ごとき私一人でも壊滅させられますよ。ディックも守りながら魔王ごとき手刀で首チョンパして王国に持ち帰ればいいのですよね?」

「いえ、そんな簡単な話ではないのです。勇者パーティは王国の税金で活動が許可されています。従って、その中にあからさまなコネで入ったであろう人物がいると国民からの反発が予想されるんですよね」

 元々Sランクパーティの彼女等はディック以外に関心が薄いため、お金を使う事があまりないのだ。
 
 だから貯蓄に関して言えば、国家予算並みの財産を既に保有しているため、税金など使わなくても何ら問題ないと考えている。
 
「であれば私たちは税金については一切不要です。お金なら腐るほどあるので」

「お、お待ちください。そういうわけにもいかないのです。既に今年の予算は確保済みなのです。会議で通ってしまっているので確保した分は使わないといけないのです」

 何か焦っている? 私たちはいらないと言っているのだぞ? 何故税金を使わせようとするのか……
 
 マリーが感づいて三人にアイコンタクトを送る。『コイツ等多分私たちの経費申請を隠れ蓑して自分たちが経費の不正利用…… つまり横領でも企んでいるんじゃないか?』

 チッ、私たちを利用しようとするとはいい度胸だ。どこかのタイミングでお仕置きが必要だな、この豚

「そ、それに見事勇者パーティにより魔王討伐が終われば皆様にも爵位が与えられますし、王族や上位貴族への嫁入りも可能ですから権力も思いのままですよ」

 この言葉に四人が同時に反応した。
 
 これだ! ディック…… つまり男が勇者パーティにいる最も不都合な理由
 
 コイツ等の一番の狙い『勇者パーティの力を貴族に取り込もうとしている』
 
 セリーヌが『もう暴力で解決した方が早くないか?』とアイコンタクトを送る。
 
 リシェルは『落ち着きなさい、野蛮人。ステイ』とアイコンタクトを送る。
 
 アリスは『次にディックを侮辱したら止まるつもりはない』とアイコンタクトを送る。
 
 これ以上の引き延ばしを危惧したマリーが口を開く
 
「ではこうしましょう。ディックを魔王軍侵攻予定の二年後までにAランクに育て上げます。これなら問題ないでしょう?
 次に勇者パーティ用の予算についてですが、二年後まで某町にいる予定なのでその町限定で経費申請を行います。王都はでは一切使用しません。いいですね? 
 最後に王族、上級貴族への嫁入りの件についてはディックがAランクにならなかった場合如何様にもしてくださって結構です」
 
「ほ、本当ですな。言質は取りましたぞ。今更なかったはもう聞きませんからな。書記官、今の会話をきっちり記録しておけ」

 やはり三番目が一番優先度高かったようだ。他の事など些事と言わんばかりにコモドールは嬉しそうだ。

 マリーを除いた三人が驚愕している。『何勝手に話を進めているんだ』とアイコンタクトを送る。
 
 マリーは三人に『後で説明するから』とアイコンタクトを送る。

 コモドールは嬉しそうに『この辺で失礼します』と去っていった。

 同時にアリスがマリーを睨みつける。
 
「マリー、どういうつもりだ。ちゃんと説明しろ。僕がディック以外の男の元に行くなど有り得ないぞ」

「アリス、この件に関して元を辿ればあなたにも責任があるんですよ?」

「どういう意味だ?」

 アリスが全く気付いていない事にマリーは呆れている。これだから無自覚防衛システムは……

「ディックのターゲットはあなたが全て片付けてしまうでしょう? そのせいでディックは碌に経験が積めていないのよ? 少しは反省なさい」

 アリスは心当たりがあるようでいつもの様に自信満々に食って掛かってこれないようだ。タジタジしながらも何とか反撃を試みる。
 
「いや、しかしだな…… ディックが傷つくのはみんな嫌だろう? 僕はディックの血を見るのも嫌なんだ。メンタルが耐えられない」

「仮に傷がついてもどうにでもなる様にリシェルがいるんでしょう? 私だって本当はこんなことしたくないですよ。でもいい機会なんです。ディックを成長させるためのね……。
 それに暴力で片を付けるのは簡単。でもそれじゃあの豚に負けた気がするから嫌よ。真正面から奴らの策を叩き潰さないといけない。だから私たちがディックをAランクまで成長させるの。もちろん表立って手伝う事はしません。裏からサポートするだけ」
 
「そ、そんな…… 二年後まで碌にディックと関われないなんて私に死ねと言っているのか?」

「私だって辛いのよ! あなたたちだけじゃないの! 自分で出した案とは言え後悔してるの! でももう後には引けない!」

 普段冷静なマリーが珍しく感情露わにして叫んだ。マリーは既に血涙を流していた……。
 
 マリーの覚悟を汲み取った三人は『二年間必死に耐えよう。ディックに近づく女共は理由を問わず無条件で制裁』をスローガンに覚悟を決めた。




~ その頃のディック(四人とは別の部屋) ~

「ん~、このケーキ美味しいなあ。それにしても四人は遅いなあ。どこで何してるんだろう。このケーキをみんなで一緒に食べたいなあ。あっ、そうだ。このレシピ教えて貰えるようだったらみんなに作って上げたいなあ」




 ディックは知らない。ディックの為に王国の政治に利用されかけて立ち向かっている四人の勇者がいることを。
 
 ディックは知らない。ディック育成の為に血涙を二年間流す覚悟を持った四人の鬼軍曹がいることを。
 
 ディックは知らない。これからディックに近寄る女達を裏で制裁すると誓った四人の守護者がいることを。
~某王国某町の宿屋内~


 四人は現在生ける屍の様な状態になっている。
 
 『ディックがいない』この事実が四人に大きくのしかかっている。
 
 予想していたこととはいえ、想像以上にメンタルがやられている。
 
 たった数時間で見事にやつれたマリーは三人を呼んで現在のディックの状況を確認するために追跡用魔道具の視界を部屋の中に映し出した。
 
 「「「「こっ、これは!」」」」
 
 

~ 四人が気絶している時のディック(少し遡ります) ~


「追い出された……」

 つい数時間前まではこうなるなど誰が予測できただろうか…… ディックはあの時の会話を思い出す。
 
「そうだ、マリーは言っていた。僕のランクが問題なんだと。セリーヌも言っていた。僕が足を引っ張るのだと…… ならば、足を引っ張らないまで成長するしかない」

 そう決意したディックの足取りは自動的に冒険者ギルドまで運んでいた。
 
 意を決したディックは一人で冒険者ギルドの入口をくぐる。
 
 そこにはディックの姿を見て頭を抱える受付のハンスがいた。
 
 ハンスは『予定通り始まっちゃったかあ』という表情をしている。

 ハンスはアリスから弱みを握られていた。万が一にでもディックに女がいるパーティーを紹介しようものなら明日以降この街…… いや、この国にはいられない程のダメージを心に負う事になる。
 
 それだけは避けなければいけない。自分の味方はだれもいない。
 
 あんな性癖を晒される訳にはいかない。
 
 あれは笑われれるじゃすまないんだ。社会的に軽蔑…… いや、抹殺されてもおかしくない。
 
 しかもギルドマスターですら懐柔されているのだから。
 
 ハンスは自分の未来の為にアリスに従う道以外にないと既に理解している。
 
 
 
 失敗は許されない。



「やあ、ディック君。いらっしゃい、何の依頼を探しているのかな?」

「こんにちわ、ハンスさん。あの…… 僕強くなりたいんです。討伐系って何かありませんか?」

 ハンスの心臓が高鳴っていく。頑張れハンス。負けるなハンス。明日の自分の為に。
 
「ディック君に丁度いいのがあるよ。ゴブリン退治なんてどうかな。これならソロでも行けると思うよ」

「あれ?僕ソロって言いましたっけ?何で知ってるんですか?」

 マズイ、いきなりやらかした。
 
 どうする? どうする? アリスがどこで見ているかわからないのに迂闊な事は言えない。
 
 考えろハンス! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 
「あれ、ディック君。何してるんすか?」

 ハンスにとっての助け舟。それはディックの事を秘かに狙っていた少女、ロクサーヌであった。
 
 ハンスにとってロクサーヌは神か悪魔か?
 
 ハンスはロクサーヌがディックを狙っていることを知っている。
 
 頼むから今日はパーティーを組もうとか言わないでくれ

「あれ?ロクサーヌさんじゃないですか。こんちにわ。実は当分の間ソロ活動することになりまして……」

 ディックの表情は暗い。何か事情があるっぽい……
 
 しかし、ロクサーヌにとっては天の采配とも言えるこのシチュエーション
 
「てことはあの四人はいないってことっすよね。ラッキー」

 ハンスにとって一番最悪なパターンが来たアアアアアアアアアアアアア。
 
「ロクサーヌちゃん! 悪いんだけどさ、緊急で斥候を必要としているパーティーがあるの! お願い、そっちのヘルプに行ってほしいの」

 ハンスの慌てように胡散臭さを感じるロクサーヌ
 
「ハンスさん、何か企んでないっすか?」

 脂汗が止まらないハンス。クソッ、兎に角ディック君にはソロ活動してもらわないといけないんだ。
 
 落ち着けハンス! 冷静になれハンス! やればできる子!
 
「ディック君は強くならなきゃいけないんだ。ギルド職員としてはね、安全を確保してほしいからパーティー推奨なんだけどさ……
 ほら、彼の場合はパーティーメンバーが特殊でしょ? 少しでも近づきたいって言う彼の思いを尊重してやりたいんだ」
 
 ロクサーヌが突如真顔になって少し考え事をしているようだ。
 
「わかったっす。今日の所は引き下がるっす。ディック君、頑張ってくださいっす」

 うおおおおおおおおおおお、勝った、勝ったぞ。明日はまだこの国で生きていける。

「はい、頑張ります」

 『えへっ』と言いながらにっこりガッツポーズをロクサーヌに見せるディック。
 
 これで男の子なんだもんなあ。性別知らなかったら惚れるわマジで。
 
 ハンスが真面目にディックにドキドキしている。
 
 次の瞬間背中に悪寒の様なものが走り、すぐに我に返った。

「では、行ってきますね。ゴブリン退治」

 ディックは気合を入れるとギルドから出て行った。
 
 ロクサーヌはその様子を見守りながらディックがギルドを出ていくとハンスに振り返った。
 
「ハンスさん、今日は気分じゃなくなったので、お休みしますっす」

「そ、そう。残念だね。また何かあったら言ってね」

「わかったっす」

 ロクサーヌはそう言うとギルドから出て行った。
 
 まるでディックの後でも追うかのように……

 ディックは知らない。ディックを狙う女性はディックが思っている以上に多い事を。
 
 ディックは知らない。ディックを狙う男性もまれに登場する事を。
~ ゴブリンの洞窟に向かう途中 ~

「よーし、頑張るぞー」

 ディックが一人でえいえいおーをしていると、後方から猛ダッシュしてくる一人の少女がいた。
 
「ディックくーん、待ってくださいっすー」

 ディックがその声に気付き、振り返るとギルドで別れたはずのロクサーヌが走ってきていたのだ。
 
 ディックの近くまで辿りつき、肩で息を切らすロクサーヌは落ち着いてから口を開いた。
 
「ディック君、一人じゃ危険っす。やっぱり一緒に行きましょう」

「それは嬉しいんですけど、僕は早く強くなりたいんです」

「強くなりたいのは分かりましたけど、ソロに慣れていないディック君が多数のゴブリンと戦ったら、あっさり囲まれて痛い目に合いますよ?」

 そうだ、村を出てからずっと五人だったから一人で戦った経験がないんだ……
 
 ディックは如何に今まで四人にお世話されていたかをこれでもかというほど痛感している。
 
 ディックは少々悩んだ結果、ロクサーヌとペアでゴブリン退治することを決意する。
 
「わかりました。ロクサーヌさん、よろしくお願いします」

 その言葉を聞いたロクサーヌは口角を上げて『これはあの四人にもう勝ったも同然』かの様な表情をしていた。
 
「じゃあ、ウチがゴブリンの住処を下調べしておいたんで案内するっす」

「ありがとうございます。ロクサーヌさん」

 そしてディックたちはゴブリン洞窟内にたどり着いた。
 
「こ、この洞窟の奥にゴブリン達がいるんですよね……?」

 ディックは心なしか汗を掻いているようだ。
 
 勇者パーティ以外と行動するのは初めてだから緊張しているようだ。
 
 ロクサーヌはディックが緊張している表情を見て興奮しているのか舌なめずりしている。
 
「怖かったらウチにいつでも抱き着いて来ていいっすからねー」

「た、戦いに来てるのにそ、そんな破廉恥な事できませんよぉ」

 ゴブリン洞窟の奥まで行けば見ている者もいないし、叫んでも声も届かない事をロクサーヌは知っていた。
 
 洞窟の奥底でディックの心を手に入れる前に身を手に入れる気満々だった。
 
 あの四人さえいなければどうにでもなると考えていたのだ。
 
 実際ロクサーヌはディックの同年代とは思えない程凹凸の激しいボディラインをしてる上に愛嬌があり、コミュ力おばけで『~っす』を口癖とする後輩感を露骨に出してくる冒険者の間ではかなり人気が高い女性であったのだ。
 
 だが悲しいかな、ロクサーヌの好みは肉厚の暑苦しい男どもでは無くディックの様なヒョロイ草食動物なのだ。
 
 そしてロクサーヌは知らない。いや、ディックすら知らないのだ。
 
 超高性能小型追跡型魔道具が二人を監視していた事を……。
 
 そんな二人は監視の事を知らずに洞窟内を進んでいく。
 
 途中で二手に分かれている道を見つけるとロクサーヌは得意げに『こっちっす。間違いないっす』と方向を指示した。
 
 洞窟内は薄暗く、ほんのり蝋燭の明かりで照らされている程度の為、ディックは方向感が分かっていなくなり、ロクサーヌに従うしかなかった。
 
「ロクサーヌさん、待ってくださぁい」

 ディックが自分に従っている。いや、従う事しかできないという事実がロクサーヌを最高に興奮させていた!
 
(ディック君は今ウチの言う事ならなんでも聞いている…… ならチャンスはここしかないっす! 下調べしておいてよかったっす)

 ロクサーヌは半笑いで傍目から見たらとてもだらしない口元をしているが、ディックはロクサーヌの後ろにいる為に気付かれていなかった。
 
 少し先に進むと扉が見えている。素材は木で出来ており、作りはとても雑だ。
 
「ロクサーヌさん、この扉の先には何があるんでしょう?」

「ここは物置っぽいんっすよね。もしかしたらお宝あるかもしれないんで入ってみましょう」

「で、では僕から入りますね」

 ディックはゴクリを唾を飲み込むとキィと静かな音を立てる扉をゆっくり開いた。
 
 ディックが少しずつ中を覗き込むとゴブリンはいなかった。木箱が置かれているようでロクサーヌが言う様にやはり物置と思われる。
 
 敵がいない事の安堵からかディックがゆっくりと息を吐くと、ロクサーヌは突然ドアを閉めた。
 
「えっ? ロクサーヌさん? どうして急に閉めるんですか?」

 ロクサーヌが頬を赤く染めて『フフッ』とニンマリ顔をしている。
 
「もしかしてディック君ってゴブリンに見られながらするのが好きなんすか? 案外ハードコアなのがお好きなんすねえ」

「見られる? ハードコア? な、何の話ですか?」

 状況がまるで掴めていないディックは困惑している。アタフタしている。
 
 ゆっくりとディックに近づくロクサーヌ。
 
 そんなロクサーヌに若干恐怖を感じて後ずさりするディック。
 
 やがてディックは壁際に追い込まれていた。
 
「え? ちょっ…… ロクサーヌさん? なんか顔つきがちょっと怖いんですけど? 僕何かしましたか?」

 壁際に追い込んだロクサーヌは逃がさないとばかりに壁ドンでディックの逃げ道を無くす!
 
「するのは今からっす…… 大丈夫、すぐには終わらせませんけど……とーっても気持ちよくしてあげます。 ディック君は…… そうっすね、天井のシミの数でも数えておきます? うーん、でも声も聞きたいんすよねえ。なっさけないオスの泣き声とか……ね」

 などと舌なめずりしながら欲望全開で脳みその内容をフルオープンで口にしている。
 
 
 ディックは知らない。四人以外の女性に触れることは禁忌であると教えられてきた偏った性知識の持ち主であることを…… 四人の保健教師がいることを。
 
 ディックは知らない。いや、ロクサーヌも知らない。半径一メートル以内に入ると四人の仕置き執行人に通知が逝くことを。
~ ディックがゴブリン洞窟に向かっている最中の宿屋内 ~

「「「「こっ、これは!」」」」
 
 ディックが一人で『えいえいおー』等と不思議ちゃんな挙動をしている所をつい目撃してしまった四人
 
「「「「と、尊みが過ぎる」」」」

 その光景に四人は手を口に当てて号泣しかける限界オタ化していた。
 
「マリーは後で今のシーンだけ切り抜いて別動画として共有ストレージに保存しておいてくれ」

「リシェルはあの尊過ぎるポーズの部分だけ抜き出してスクショした画像を元にアルバム化してくれ」

「アリスは…… 大人しくしててくれ」

 唐突なリーダーシップを取り始めるセリーヌ達に悲劇が起きるのはまさにこれからであった。
 
 それはあの四人にとっての天敵――いや、忌むべき存在、呪っても呪っても呪い足りないとも言うべきあの撒いても撒いてもどこまでも追ってくる追跡魔、もはやディックのストー〇ーと言っても過言ではない女の声に脊髄反射した。
 
「ディックくーん、待ってくださいっすー」
 
 超高性能小型追跡機のスピーカーから四人が耳にしたディックを呼ぶ生クリームに角砂糖一万個ぶち込んだが如くの甘々しい声の主――ロクサーヌ
 
「あのメスガキ! まさかまさかとは思っていたけど、私達が別行動している事に速攻で気付いてんじゃないわよ!」

「ヤバイ、あいつディックと一緒にゴブリン洞窟に向かおうとしてる。穴場スポットであることを知ってたというの?」

「マ、マズイですよ。私もいつかディックとゴブリン洞窟をデートに使う予定だったのに!」

 マリーがブチギレている中、焦り過ぎたセリーヌとリシェルはゴブリン洞窟を利用する気満々であった事を声に出してつい暴露してしまう。
 
「ほう、セリーヌとリシェルとは後でじっくりと話し合う必要がありそうだね」

 そんな中でも冷静に仲間の声を聞いて自分ですら知らなかった穴場の情報をひた隠していた二人にお仕置きする気満々のアリス。
 
 セリーヌとリシェルは『しまった』とついポロリしてしまった事を後悔するも時すでに遅し。
 
 その直後の事であった――超高性能小型追跡機のモニターにノイズが走り出す。スピーカーから発する声も音割れがどんどん酷くなっている。
 
「ヤバイ、洞窟の中に入っていったから回線が細くなって向こうのデータを拾いきれない」

 マリーが焦りだす。このままでは洞窟内部で行われるかもしれない最悪の事態に対処しきれない。
 
 必死に対応策を考えるマリー。残りの三人は魔道具には明るく無い為、マリーの閃きに期待することしかできないポンコツ。
 
 『ハッ!』と閃いたマリーは現在追跡させている魔道具と同系統のモデルを三機バッグから取り出す。
 
 それと付属のマニュアルも三人に渡してマリーが説明を始める。
 
「あんたたちは今から渡した追跡機をマニュアル操作してゴブリン洞窟まで飛ばすの。アンタ達が操作する追跡機を電波の中継器とする仕組みを設定してディックに付けている追跡機に電波を送る必要があるんだけど、そもそも機能がないからソースコードを一から起こして書き上げてからモジュール化して追跡機に組み込む必要があるの。私は今からそれをやらなきゃいけないからアンタ達に構ってあげられる時間がない。自分たちでなんとか頑張りなさい」

 オタ特有の早口言葉に三人の顔が青ざめる。マリーの発言の意味の大半は理解できていないが、自身がやるべき事はなんとなく分かった。セリーヌとリシェルだけは……しかしアリスは宇宙語で突如話しかけられたかのように挙動不審になっていた。
 
 アリスは魔道具が苦手――所謂機械オンチなのだ。
 
 アリスがマニュアルと追跡機を交互に見ながら『え?え?え?』と言ってる間にセリーヌとリシェルは追跡機を起動してマニュアルを見ながら操作を必死に覚えている。
 
 刻一刻とディックへの危険が迫っている中(予想だがほぼ確定)、アリスは未だに追跡機の起動すらおぼつかない。
 
 マリーは空中に魔導キーボードを展開して『カチャカチャカチャ……、ッターン!』をひたすら繰り返している。
 
 未だにアリスは混乱している。キョロキョロしながら三人の動向を伺っているが、セリーヌとリシェルの方は追跡機の操作に慣れて来たのか部屋の中を縦横無尽に飛ばせるようになっていた。
 
 自分だけが何もできていない事に焦り、全身から震えと汗が止まらなくなっていた。その目には涙すら浮かべていた。
 
 セリーヌとリシェルは完全に慣れたのか、部屋の窓を開けてゴブリン洞窟に向けて追跡機を放った。それぞれモニターも出力できるし、キーボードも出力させる程慣れてきている。
 
 しかし、現実は非常である。アリスは何も進んでいるように見えない。
 
 その様子を横目で見ていたマリーはアリスに冷静に告げる。
 
「アリス、このままだとディックの貞操は私でもなくセリーヌでもなく、リシェルでもなく…… もちろんアリスでもない。横から突然湧いて出て来たロクサーヌに奪われるのよ? ディックが汚されるのよ? 純真無垢なディックが女慣れしてしまうのよ? 『やっぱりロクサーヌさん以外じゃ満足できないなあ』とか言われてもいいの?」

 マリーの死刑宣告とも言えるありえる現実の未来にアリスは顔を真っ青にして歯をガチガチ鳴らしながら震えている。
 
 アリスは死人の様な顔色で震えているが…… それでもギリギリで声を絞り出す。

「ヤダ…… ヤダヤダヤダ! ディックは僕だけのものなんだ! 僕だけを見て欲しいよ! 僕だけに溺れて欲しい! 僕だけを愛してほしい! 僕以外の女の名前を口にして欲しくない! 僕以外の女に触れてほしくない! 僕以外の女に汚されるなんて絶対嫌だ! 僕以外にディックの種で孕む女がいる世界なんて絶対に嫌だ! ロクサーヌどころか大切な幼馴染である君たち三人を始末してでもディックを手に入れるのは僕なんだあああああああああああああああ」

 アリスが世界に決意表明したその時! アリスの身体から光が迸る。その光の上空にはまるで女神の様な女性が佇んでいた。

 三人はアリスの聞き捨てならないセリフを聞いてこめかみに青筋を立てるものの、『まあ、いつでもこんなポンコツ始末できるやろ』と思い、アリスの発言を保留してアリスから出現したと思われる女性に注目していた。
 
 女性はアリスに向かって告げる。
 
『勇者よ、汝の想いは我に、世界に確かに届いた。故に願いを叶えよう。一つだけ申すがよい』
 
 アリスはその悲痛の想いを口にする。
 
「お願いします。僕に…… 僕に超高性能小型追跡機の使い方が理解できるようにして欲しい」

「「「ちげええええええええええだろおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」

 三人の強烈な突っ込みにアリスは『え?違うの?』とまるで理解を示していない。
 
「他にあんでしょーが! ディックひとりだけ街に転移させれば貞操の危機はなくなるでしょうが!」

 大人しいはずのリシェルの怒涛の突っ込みにアリスは『ハッ!』とするが、これもまた時すでに遅し。アリスは『ちょっ!まっ!』と言いつつも、もはやその願いは届かない。
 
 女性は『願いは叶えてやった。さらばだ』と光と共に消え去ってしまった。
 
 アリスは先程まであった悲痛な表情とは打って変わって今はとても清々しい表情をしている。
 
 何事もなかったかのように『さあ、挽回しようか』と三人に満面の笑みで答えるが…… 三人は『死ね!ポンコツが!』とアリスの不甲斐なさを懇切丁寧に指摘していた。
 
 
 
 ディックは知らない。世界の命運を変える女神を相手に一人のポンコツが全てを台無しにしたせいで三人の苦労人がいることを。
 
 女神がいなくなってからというもの、アリスの勢いはまさに圧倒的。
 
 つい数分前まで機械オンチだったとは思えない程の操作っぷり。
 
 マニュアルを読み込まなくても超高性能小型追跡機の起動が行えるようになり、操作も何度か試しただけでゴブリン洞窟まで飛ばせるくらいには成長している。
 
 本人はとても嬉しそうにしているが、先程の失態を三人は忘れておらずジト目でアリスを見つめていた。
 
「き、君たち…… いい加減に機嫌を直してくれないかな? 確かに願いの内容を誤ってしまった事は認めるが、もしかしたら今後もこの技能を生かす機会が来るかもしれないだろ?」

「生かす機会――それってまたディックがそういった目に会うかもしれないって事でしょ? こんな技能生かす機会なんて来ない方がいいのよ」

「アリスの言う事は一理ありますよ。二年もあるのに早速ディックがこんな目に会ってるじゃないですか。これからもドンドン起こりえますよ。そんな気がするんです」

 リシェルの『そんな気がする』は大体――いや、ほぼ当たる。
 
 特に自分たちが嫌だと思う事程良く当たるので、三人からは『死神リシェル』と呼ばれていたりするが、本人に直接言うと神官なのに死神扱いは流石に可哀想なのと呪われそうだしなので心の中だけに留めておく辺り、思いやりの心を持ち合わせていると本人達は思っているようだ。
 
「ヨシッ、行くぞ!」

 アリスの自信満々の叫びに部屋の窓を飛び出していったアリスが操作する超高性能小型追跡機。
 
 アリスは失態を無事に回避することができるのか!?
 
 ディックの貞操の危機を救う事が出来るのか?
 
 
~ アリスが超高性能小型追跡機を飛ばした後のゴブリン洞窟内(物置) ~


 ロクサーヌはディックの頬に手を添えていた。ディックの肌の感触を確かめているロクサーヌ。
 
「ねえ、ディック君。間近で見ると本当に可愛いっすねえ。女の子と間違えられたりしませんか? しかも――うわっ、肌が凄いキメ細やかだし、シミも一切ない。傍から見たら男にしておくには勿体ない逸材っすけど、今のウチからしたら男で良かったーって心底思うんすよね」

 とっくに超高性能小型追跡機から発せられるアラート通知条件である半径一メートル以内には入って入るのだが、電波が全く通っていない故に勇者パーティにはディックの危機がまるで伝わっていないのだ。
 
「ダッ、ダメですよぉ。お嫁さんになる人以外は触らせちゃダメって四人に言われてるんですぅ」

 ディックは赤面して呼吸を荒くしながらもなんとかロクサーヌに思いとどまらせようとするが、ロクサーヌにはそんなものお構いなしである。
 
「それはおかしいっすねえ。だってあの四人とは結婚してないのにディック君と毎日イチャコラしてるじゃないっすか」

「イチャコラ? が何かはよく分かりませんけど、みんなが言うのには『私達は家族枠だからセーフ』って言ってましたあ」

(どんなローカルルール展開してんすか、あの人らは…… ご都合主義にも程があるんすけどねえ。でも今のではっきりしたっす。ディック君の性知識の乏しさはあの四人達が情報規制していたからに他ならない。とんでもない害悪っすね。年頃の男の子であれば女の子の身体に興味津津であるべき――いや、そうでなければいけないのに)

 ならば今こそ自分がディックに異性の良さを教えなければならない。ロクサーヌに新たな使命感が湧き上がる。

 ロクサーヌはディックの首筋に顔を近づけて鼻尖を当てる。
 
「ひあぅっ!ハァ…… ハァ……」

 ディックは家族枠以外の女性と密着するのは生まれて初めてだったため、どうしていいかわからない。女性に暴力を奮ってはいけないと育てられているため、突き飛ばす事も出来ない。只々されるがままである。

(ヤッバ、めっちゃいい匂いする。ディック君の匂いを初めて嗅いだけど、そういうことだったんすね。マリーさんがしょっちゅうディック君の匂い嗅ぎまくってるから匂いフェチのド変態かと思ったけど――なるほど、これは納得っす)

「ごめんなさい、ディック君。ウチもう本当に我慢できないっす」

 ディックの匂いにやられたのか、我慢も出来ないロクサーヌはディックの首筋を舐めようとした
 
 
 その時!
 
 
~ 再び宿屋のお部屋内 ~


「アリス、まだなの?」

「すまない、もう少しなんだが……」
 
 マリーがアリスを急かすが、いくら急かそうとも超高性能小型追跡機にも限界がある。操作をマスターしたとは言えども、限界以上の性能は流石に出す事は出来ない。
 
 アリスとて歯がゆい気持ちにはなっているのだ。自分が先ほどまで足手まといでようやく操作ができるようになったいってもディックの危機が去った訳ではない。
 
 じれったい気持ちを抑えつつ、ようやく目的地が見えて来た。
 
「見えたぞ、マリー。こちらのモニターにゴブリン洞窟が映し出された」

「わかったわ。こちらも準備が整ったから各超高性能小型追跡機に追加モジュールを転送するわ」

 マリーは三人が操作する超高性能小型追跡機には今まで搭載されていなかった機能である電波中継器の役割を果たす為の追加用モジュールを転送後、有効化するための手順一式を三人に送っていた。
 
「アリスの馬鹿でも理解できるように丁寧に作ったつもりだから、リシェルとセリーヌは問題ないと思うわ」

「き、基準が酷いと思うんだが、マリー……」
 
 ぶつくさ言いながらマリーが用意してくれた手順書を見ながら各自作業を進めていくがアリスは超高性能小型追跡機の操作以外は変わらずポンコツだったため、マリーの手順書も理解出来ていなかった。
 
 その間にリシェルとセリーヌは作業を終わらせて超高性能小型追跡機を指定先の配置にも着かせた。
 
「マリー、すまないがコンソールの起動ってどうするんだい?」

「はぁ? 書いてあるでしょ、手順の最初の所を読んでないの? 飛ばして読んでない?」

 どうやらマリーの指摘が合っているようで、アリスは順序通りに手順書を読んでいなかった。いや、読めていなかった。
 
 女神への願いの内容は『知能指数を上げる事』にした方が良かったんじゃないかと思う三人であった。
 
 マリーの手助けもあり、ようやくアリスの方も作業が終わった所でモジュールの有効化を行った。
 
 最後の超高性能小型追跡機が中継器の役割を果たしてようやくディックを追跡している超高性能小型追跡機まで電波が通じる様になった……
 
 その時!
 
 ディックの超高性能小型追跡機からけたたましいビープ音が発生され、部屋の中に鳴り響いた。
 
 その音量たるや、鼓膜に異常が見つかるかもしれない程のボリュームでマリー曰く『設定ミスった』という事なのだから三人からしたらいい迷惑である。
 
 そしてそのビープ音の意味を理解していた四人。マリーが操作していた超高性能小型追跡機から送られてくる映像が回復した様でモニターに映し出されたその光景とは……
 
 今まさにロクサーヌがディックに抱き着いて首筋を舐めようとしていた瞬間だったのだ!
 
 アリスの さついのボルテージが あがっていく!
 セリーヌの さついのボルテージが あがっていく!
 リシェルの さついのボルテージが あがっていく!
 マリーの さついのボルテージが あがっていく!
 
 四人共、眼のサイズが通常の倍くらいに大きく見開き血走った状態でモニターに釘付けになっていた。
 
「コロス」「コロスシカナイ」「イマスグコロス」とアリス、セリーヌ、マリーの三人の意見が一致した瞬間だったが、三人とは別に無言でマリーの端末に近寄ってコンソールを開き、スタン用のコマンドを冷静に叩いた人物がいた。
 
 その名は『リシェル』
 
 リシェルの 10まんボルト!
 
 こうかは ばつぐんだ!
 
 あいての ロクサーヌは たおれた!
 
 その瞬間モニターの向こう側で『あぎゃっ!』と声が聞こえた瞬間ロクサーヌが倒れていたのだ。
 
「クッ、ククク…… クヒヒ…… ウヒヒヒヒヒヒ…… ケヒャヒャヒャ…… アーハハハハハハハハーハハハハハハハハハ」

 部屋中に響く不気味な笑い声。三人は夜に聞いたら絶対に眠れなくなるようなリシェルの笑い声で我に返り、引きつった表情でリシェルを見ていた。
 
 当のリシェルはというと…… 突然菩薩の様な微笑みで三人に諭すように待ったをかける。
 
「ダメですよ、まだ殺しては。ディックに手を出した以上相応の神罰が必要になります。そうですね――まあ千回生まれ変わっても私達とエンカウントする度に自ら死を懇願したくなる程の恐怖と絶望を味わわせる事は最低条件でしょうね」

 『死神リシェル』が顔を出している。暴走癖のあるアリスですらこの状態のリシェルには口を出したくない程の底知れぬ恐怖を感じてしまう。
 
 リシェルの場合、神の罰を与えるというより地獄に連れていくという方がしっくりくるんじゃないの? という突っ込みをしようものなら、きっとロクサーヌと一緒にお仕置きをされてしまいそうなので、黙っておくことにする三人だった。
 
 
 
 ディックは知らない。突然倒れたロクサーヌは死神の不評を買ってしまったからに他ならないという事を。
 
 ディックの目の前で突然『あぎゃっ!』と潰れた爬虫類の断末魔に似た声を上げて倒れたロクサーヌ。
 
 ディックはロクサーヌの攻めにどうしていいのか分からなかったため、目を閉じていたが寄りかかっていたロクサーヌが倒れた事に気付いた。
 
「あ、あれ? ロクサーヌさん? ど、どうしたんですか? しっかりして下さい」

 慌ててロクサーヌを起こそうと、膝枕の体制を取ってロクサーヌの頬っぺたを『ペチペチ』と叩くディックには一抹の不安があった。
 
(もしこんな場面四人に見られでもしたらどうしよう…… 未婚の女性に触れる事は世界の真実に触れるのと同等の禁忌だと散々言われてるのに――でも今は緊急事態だからきっと許してくれるよね)

 どんな理由、事情があったとしてもディックの事はともかくロクサーヌの事を許すはずがないのがこの世界の勇者パーティーなのである。
 
 そしてロクサーヌの断末魔に加えてディックのロクサーヌへの呼び掛けの音量もそこそこあった為、この洞窟内にいる別の生物がその反響した音に気付かないはずがなかった。
 
 そう、洞窟の主『ゴブリン』である。
 
 ディックは呼び掛ける事に必死になり、物置に近づいてくる足音に全く気付いていなかったのである。
 
 そして、扉は開かれる。
 
 扉を強引に叩いて開いたような音にディックは『ビクッ』と反応して音の方に顔を向けると、そこには多数のゴブリンが立っていた。
 
「そ、そんな。このタイミングで……」
 
 ゴブリンはディック達を見るやいなや、嬉しそうにニンマリして男性の象徴たる三本目の足がぐんぐん伸びているのがわかる。それはディックを孕み袋と見ているからに他ならない。
 
 ディックはその様子を見て生理的嫌悪しているのか、顔を青ざめて「ヤッ、ヤダッ」とやっぱり生まれた性別を間違えたんじゃないの? という程の艶めかしい声を出して震えていた。
 
 しかし、それも一瞬の事でロクサーヌが自分の太ももで寝ている事を思い出し、ロクサーヌを起こさない様に頭をゆっくりと地面に置いてディックが前に立った。
 
 これは四人から散々「男子たるもの女子を守るべし」と教えを受けて来たからに他ならない。のはずが、冒険者になってからは立場が逆転してる事に誰も気にしていないのは言うまでもない。
 
 多数のゴブリンの前に震えながらも立ち上がったディック。
 
 無事にロクサーヌの命と自分の貞操を守る事ができるのか!?
 
 
 ~ ロクサーヌが倒れた直後の宿屋内に戻る ~
 
 
 そこで四人がモニターで目にしたものとは――倒れたロクサーヌを介抱しようとディックの膝枕で眠っているロクサーヌという四人からしたら度し難い光景だった。
 
 四人は絶句していた。
 
 何故ならディック自らロクサーヌを介抱するというシーンを目撃してしまったからだ。
 
 確かに『女性には優しくすべき』という教育をディックに散々教えてきたが、何も自分達が見ている前で自分達以外の女にその成果を発揮する所を見るなんて夢にも思っていなかったであろう。
 
 そして、四人は同時に同じことを考えていた。『何故そこにいるのが自分ではないのか』と……

 だが、その考えは即座に終了せざるを得なくなる。
 
 モニターの範囲外から下卑た声がスピーカーを通じて入ってくる。
 
「マリー、先程のリシェルの笑い声の数倍汚くした声の主を移してくれ」

 死神リシェルは既に鳴りを潜めたため、散々ビビらせてくれた御礼と言わんばかりにアリスの子供じみたお返しなのであった。
 
 尚、リシェルは笑顔でこめかみに青筋を立てて『このポンコツ後でブッコロ』と考えているのは言うまでもない。
 
 マリーがモニターを指定の場所を移すと、そこに移っていたのはどう見てもディックに欲情している多数のゴブリン達の姿。
 
「ほう、ディックに欲情するそのセンスの良さだけは認めてやるが、ディックの貞操を散らそうものならば、その前に貴様らの命を散らす事になる」
 
 これだけは使いたくなかったが――もはや発動もやむを得まい。アリスが急速に魔力のチャージを始める。
 
 アリスが勇者だと言われる所以。それは世界でただ一人アリスのみが使用可能な究極広域生体破壊魔法である
 
 《私のディックに群がる(インディス)全世界の害虫共よ!(クリミネイト・)この輪廻の輪から(ジェノ)消え去るがいい(サイド)

 アリスとディック以外のありとあらゆる生命体――そう、人間を始めとした知的生命体のみならず全ての植物、動物等をこの世界から根絶してしまい、輪廻転生すら許さない為に代償はあまりに大きい。

 これならばアリスとディックが何時か死んで生まれ変わっても、何度でも出会えると考えているようだが、先の事や周りの事は一切お構いなしの魔法であるため、危険度は高い。
 
 ぶっちゃけ荒廃した世界になってしまうため餓死待ったなしである。
 
 ところがどっこい、単細胞生物アリスの考えなどお見通しなマリーさんは既に対アリス用カウンター魔法を開発済みだったのだ。
 
「アリス! アンタ、それを使うのだけは止めなさい。全く仕方ないわね」
 
 マリーも対抗して魔力をチャージする。
 
 それは――
 
 《私は世界の理を(オリジン)書き換える。(マジック・)そして私とディックが(リライト・)この世界の神となる(ザ・ワールド)
 
 この世界の理をマリーの思い通り――自由自在に改変できる魔法。マリーから言わせればアリスの魔法は所詮ただの幼稚な攻撃魔法でしかないため、その結果すら簡単に覆してしまう魔法。
 
 本人は使う気はないのだが、いつアリスからメンヘラが『こんにちわ』するかわからないため、発動トリガーをアリスの究極広域生体破壊魔法発動時に設定している。

 ディックがゴブリンと格闘中(?)に二人も世界を超個人的な理由で巻き込む戦いを行おうとしていたのである。

 宿屋が二人の魔力で地震でも発生したかのように震えだすと、下の階からどたどた愉快な足音を立てて上がって来た人物が部屋に飛び込んできた。

「アンタ等、さっきから何やってんだい! こんな狭い宿屋で散々どでかい魔力溜め込みやがって、ウチをぶっ壊す気かい!」

 入って来たのは宿屋のおかみだった。おかみはアリスとマリーを睨みつけながら顔の前で人差し指と中指を立てて呪文を唱えていた。

私の聖域を侵すものは(ワールドイズ)神とて許さぬ(マイン)

「「なっ!!」」

 宿屋のおかみの結界発動によりアリスとマリーの魔法はかき消されてしまった。

「『なっ!』じゃないわ。何ウチの宿の中で物騒な魔法唱えようとしてるんだい」

 おかみはマリーとアリスに拳骨を食らわせていた。二人は頭を押さえながら悶絶していたが、よろよろと立ち上がると事情を説明した。
 
「――という訳でディックのピンチなんです」

「そもそもディックを鍛え上げる為の追放劇だったんだろ? こんなことで介入してたら何時まで経っても強くなれないだろ」

「そうなんですけど、思ったよりゴブリンの数が多くてですね…… ディック一人だけではどうしようもない事態なんです」
 
 おかみが見ていたモニターに映し出されたのは、ディックが必死にゴブリンをロクサーヌに近づけまいと応戦している中の光景だった。
 
「ふむ、たしかにディック一人の手には余るね。セリーヌ、あんたちょっとゴブリン洞窟までササっと行って数を減らしてきな」

「い、今からですか? 間に合うかな……?」

 おかみは「大丈夫」というとセリーヌの肩に手を乗せて《たんぱく同化(バレなければ)ステロイド(問題ない)》を唱えた。

「アンタは元々足が速いだろ、これですぐ着くよ」

 セリーヌはおかみの身体強化を受けて、窓から飛び出していった。三人が窓に振り返った瞬間、もうセリーヌの姿は見えなくなっていた。



 ディックは知らない。ディックを救うために宿屋内で世界を幾度となく終わらせることの出来る魔法合戦の応酬が行われていたことを。
 セリーヌはおかみの身体強化もあり、早々にゴブリン洞窟に着いてしまった。
 
 躊躇う事もなく一気にゴブリン洞窟内部を突っ走るセリーヌの目の前には二手に別れる分岐があった。
 
 セリーヌはポケットからケースの様な物を取り出し蓋を開けるとそこに入っていたのは――ディックの体毛だった。
 
 セリーヌの趣味はディックから落ちた抜け毛を瞬時に見抜き、本人にバレる前に収集する特殊スキルを持っていたのだ。
 
 そして極めつけは体毛の部位すらも見抜く事が可能で保管時も部位毎に分けられているというこだわりの徹底ぶり。
 
 そしてその体毛の匂いを嗅ぐ事でディックの現在位置まで判別可能なセリーヌならではの専用スキルなのである。
 
 その名も――
 
 《世界のどこにいても(サーチ・ザ)ディックは()必ず見つけ出す(ワールド)
  
 
 そのスキルでセリーヌは既にディックの位置を補足済みであり、道中に見かけたゴブリンを素手で蹴散らしていく。
 
 その際は思い切り壁に叩きつけたり、派手な音を出したりせずといったまるで暗殺者の様な動きでゴブリンの数を減らしていく。
 
 ゴブリン達の注意は完全にディックに行っているため、後方などはまるで気にしていないからこそセリーヌが数を減らしてもまるで気付いていない。
 
 ディックでも対応可能と思われる数まで減らした所で一度引き返し、二手に別れる箇所の逆の方に進む事にしたセリーヌ。
 
 ゴブリン洞窟のはずなのに何か嫌な予感がするとセリーヌの直感が訴えている。
 
 奥に進めば進むほどに嫌な予感が強くなってきている。間違いない…… この先に何かいる。
 
 曲がりくねった道を進んでいくと徐々に明るくなっており、更に進んでいくと開けた場所に行きついた。
 
「何…… ここは?」

 中央奥には祭壇の様な凝った意匠のデザインの壇が飾られている。そのど真ん中には像が立っているが見たことがない像だった。
 
 ゴブリンが信仰でもしている人物の類だろうか? そもそもそんな知能がゴブリンにあったのかとセリーヌは少々驚きを隠せなかった。
 
 そして像の前で祈りを捧げている影はローブを纏っているせいか顔や体格ははっきりしないが恐らくゴブリンだろう。
 
 そしてそのローブを纏ったゴブリンの後方にローブは羽織っていない為、後ろからでもゴブリンとはっきりわかるが二十匹程同じように祈りを捧げている。
 
 セリーヌは音を立てないように少しずつ近づいていくが、その時黒い影が突然現れてセリーヌを吹き飛ばして壁に直撃した。
 
「ヘェ、オモイキリ蹴リ飛バシタケド、ソノ程度ノ損傷トハヤルナ」

 壁には吹き飛ばされたものの、攻撃は直前でガードしていた為、相手の想定よりもダメージは少なかった。

「いたたた、あたしがゴブリンの動きを見失うとは思わなかったわ…… 何者かしら?」

「オレノ名前ハ『ラスネラガル』。ゴブリン族ノ勇者ダ」

 セリーヌは正直驚いていた。ここまでの強さを持つゴブリンもさることながらまさか会話できる知能まで持っているとは思っていなかったからだ。
 
 目の前にいるラスネラガルもそう、祈りを捧げているローブを着ている奴もそう、ゴブリンはただの低レベル冒険者に狩られるだけでの存在ではなないと結論付けて頭を即座に切り替えた。
 
 一見頭が悪そうなセリーヌは戦いにおいて相手に対する判断及び切り替えがパーティの中で最も早いのだ。
 
 よって目の前にゴブリンも『ただの喋るゴブリン』ではなく『自分達への脅威を十分に持つ知的生命体』として判断した。
 
「成程ね…… それで、そのゴブリンの勇者さんはこんな所で何をしてるのかな? 見た所随分と物騒な儀式をしてるみたいだけど」

「我ラノ神デアル邪神様ニ祈リヲ捧ゲテイルノダ」

「邪神? 君達って魔王の配下じゃないの? 崇拝対象を変えたりしてるの?」

「ゴブリンノ全テガ魔王ノ配下デハナイゾ。一枚岩デハナイトイウ事ダ」

 まさかゴブリンの洞窟でこんな展開になるとは思っていなかったセリーヌは悩んでいた。
 
 この世界は女神リルデムールの一神教だと思っていたが、邪神なる別の神という存在がいたなんて夢にも思っていなかったからだ。
 
 それに魔物だからと言って魔王配下とも限らないという情報も重要であるため、さっさと宿屋に戻って情報の共有を行いたかったのだ。
 
 しかし、パーティメンバーに相談しようにも全員宿屋にいる上に今すぐ戻ろうものなら間違いなくディックが殺されてしまう。
 
 セリーヌの判断は……
 
「とりあえずここにいる全員ぶちのめしてから話をじっくり聞かせてもらおうかな」

「オモシロイ、ヤッテミロ」
 
 セリーヌは腰にぶら下げていた剣を抜いて構える。両者が見合ってラスネラガルに切りかかるが、セリーヌの剣撃を受け止めラスネラガルも攻撃を仕掛けるといった形で交互に仕掛けていく。
 
 両者の攻防はほぼ互角で致命打を与えられないまま切り結んでいく。一旦、お互い距離を取り直して再び構えなおす。
 
「オマエ強イナ、コンナ女初メダ。決メタゾ、お前ヲ俺専用ノ孕ミ袋ニシテヤル」
 
 その発言を聞いたセリーヌは『ガッカリ』と言わんばかりにため息を漏らす。
 
「はぁー、ガッカリだね。普通のゴブリンとは違うみたいだから感性や価値観が異なるのかと思ったけど、その辺は普通のゴブリンのままだね」
 
「何ガ問題ナノダ? 俺は強インダゾ。人間の女ダッテ強い男ノ方ガ嬉シイダロ」
 
「相手に求めるものが強さってそんなに重要な事? まあ、そういう男が趣味って女の子もいるのは否定しないけどさ、私は自分で言うのもなんだけど人間の中でもかなり強い部類だから相手にそんなものは求めないんだよね」

「意味ガワカラナイ」

 ゴブリンは常に戦いの中で生きていた種族。部族では強いものが正義になってしまうため、人間とは価値観が異なるようでセリーヌの言っている異性に求めるものをラスネラガルは意味を理解できないでいる。
 
「例えば家に帰って来た時に笑顔で出迎えてくれたりとか、一緒に手を繋いで買い物に出掛けたりとか、一緒に料理作ったりとかね…… うん、そういうのがあたしは好きなんだよね」

「スキ……? 全然ワカラナイ」

 セリーヌの表情はもはやガッカリを通り越して可哀想という表情になっている。
 
「好きって感覚分からないの? すぐ隣にいてドキドキしたりとか一緒に遊んでバイバイする時に胸がキューっと締め付けるような感覚。この感覚が分からないなんて可哀想だね、あたしから言わせたら生きてる上で半分以上は損してるね」

 ゴブリンは常に(以下略

「スキ? ソレ必要カ? 気ニ入ッタラ孕マセレバイイダケダロ」

 口を開けばすぐに孕ませるという言葉を出してくるラスネラガルにセリーヌはうんざりしていた。
 
「君達流に言えばさ、そりゃ究極的には好きな男に孕ませてほしいんだけどね。でもそこに至るまでの過程っていうか、邪魔者が多くて苦難の道のりだけどさ…… それを乗り越えて手に入れたい男がいるんだよ。そう、あたしはディックに恋してるからさ」

 ゴブリン(以下略
 
 しかし、ラスネラガルにも今の話の中で『ディック』が男である事、セリーヌが自分ではなくディックしか見ていない事に苛立ちを覚えていた。
 
「ディック…… ダレダ?」
 
 ディックの事を聞かれて一気に嬉しそうになるセリーヌ。セリーヌは頬を赤らめて昔を思い出していた。
 
「ふふん、それじゃ君たちに教えてあげよう。あたしとディックの出会いって奴を」


 ディックは知らない。自分の知らない所で嬉しそうに自分の事をゴブリンに語りだす幼馴染がいることを。
 あたしがディックと初めて出会ったのは、七歳の時だった。

 父親の仕事が行商人ということもあって売れる物、売れる場所があれば品物を仕入れては各地を回っていた。

 母親は早くに亡くして父一人だった為にお手伝いさんを一人雇ってはいたが、父も小さい子供を置いていけないと思ったのか父親の仕事に合わせて一緒に着いて行く生活を送っていた。

 そんな生活を送っていたものだから、どこかに引っ越しをして友達を作ってもすぐにサヨナラをすることになってしまう。

 これが繰り返されると小さいながらも「またこのパターンか」と理解してウンザリしてしまうので、もう友達なんて作らない方がいいんだろうなと考えていた。

 そんな考えを固めて七歳になった直後にまた引っ越しがあり次に辿り着いた村があった。

 村に着いてから引っ越しの荷物を荷ほどきしている時に視線を感じた。

 そちらの方に視線をやると隣の家の少年がこちらをチラチラ見ていた。

 その視線が鬱陶しかったから荷物を家の中に入れて荷ほどきの続きを行うと、流石に家の中までは覗こうとはしなかったみたいだった。

 作業が終わってすることもなかったから外に散歩に行くと、覗き見していた男の子が話しかけて来た。

「待ってー」

 あたしは振り向いてそっけない態度で話しかけて来た男の子に返答する。

「何か用?」

「僕はディック、君の名前を教えてよ」

「セリーヌ」

「セリーヌだね、お隣さんだからこれからよろしくね。良かったら村の中を案内するよ」

「よろしくはしないわ、どうせ直ぐ居なくなるし…… あたしには構わないでくれる?」

「来たばっかりでしょ? どうしてすぐ居なくなっちゃうの?」

 まただ…… 引っ越し先で毎回と言っていい程行われるこのイベント…… 説明するのも面倒だから男の子――ディックを突き放した。
 
「五月蠅いなあ、君には関係ないでしょ。いいから放っておいて」

 あたしは走って逃げた。追ってこない事が分かると、きっと初対面なのに突き放したあたしにガッカリしてるのかもしれないと思って少し胸が痛んだ。
 
 数日たったある日の事――
 
 お手伝いさんのリーザさんから森に山菜や茸が取れる場所を村の人から聞いたから一緒に行かないかと言われた。あたしもやる事ないし暇だったから着いていくことにした。
 
 森の中に入ってしばらくすると陽の光が届きにくいような暗い場所に差し掛かって怖くなってきたが、リーザさんが一緒だったから怖い気持ちはあっても何とか耐える事が出来た。
 
「セリーヌさん、そこに山菜が生えているか見て貰えますか?」

 リーザさんが指を刺した場所は崖の付近だった。あたしはゆっくりと近づきつつ山菜が生えていないかを確認した。
 
 が、それらしいものは見当たらなかった。
 
「うーん、見つからないなあ」

 暗いせいか中々気付きにくかったが、自分が崖すれすれにいたことが分かって怖くなり一旦引き返そうとした時の事だった
 
 
 
 『ドンッ』
 
 
 
 と何かに押されたあたしは崖の下に落下した。
 
 そこまで高さがある訳でもなかったけど、落下の衝撃で足を捻挫した痛みで立つことが出来なかった。
 
「……っ……、一体何が……」
 
 いったい私は何に押されたのか分からず崖の上を見上げるとこちらを覗いていたのは笑顔のリーザさんだった。
 
「あら、無事だったんですね。もっと勢いをつけた方が良かったかしら?」

「な、何で……? ど、どうして?」
 
 あたしは訳が分からなくなった。小さい頃からお世話してくれたリーザさんの事を母親の様に思っていたのに…… なんでこんな事になっているのか理解が出来なかった。
 
「『何で?』ですか…… 簡単です。あなたがいるとあの人は私を見てくれない。あなたが消えてくれればあの人は悲しみの余り私に依存してくれるようになる。そうすればあの人の心は私のモノになる…… そういう事です」

 あの人って…… 父さんの事? リーザさんが父さんの事を? 全然分からなかった。そんな素振りを見た事すらなかったから。
 
「この辺って実は村の人でも来ない様な場所だそうですよ。何でかって言うと、夜には肉食の獣が結構出るそうなんです。だから、あなたをここに置き去りにして獣の餌になって貰いまーす」

 この人正気なの? 何でそういう事が平気で言えるの? なんで…… そんなに嬉しそうなの? あたしがそんなに邪魔だった? 鬱陶しかった? だったら言ってくれれば良かったのに…… まさか殺したいほどに憎まれているなんて思ってもみなかった。
 
 あたしはきっと絶望していたんだと思う。信じていた人はあたしをここまで疎ましく思っている人だったなんて……。
 
「ま、待って…… 父さんにはあたしから説明するから置いて行かないで」

「ダメです。貴方が生きているだけであの人は貴方中心の生活になってしまう。だから大人しく死んでください、私の幸せの為に。そうですね、数日後に骨くらいは拾いに来て上げます」
 
 リーザさんは「フフッ」と笑いを漏らしながら一人村に戻っていった。
 
「お願い! 置いて行かないで!」
 
 何を叫んでも無駄だった。一人薄暗い森の中に取り残されて急に怖くなってきた。
 
 風が吹き木々が揺れて葉擦れの音が余計に怖さを増してあたしは耳を塞いだ。
 
「イヤ、イヤイヤイヤ! 誰か助けて!」

 そんなことを言っても誰も来ないのは分かってる。でも言わずには居られなかった。
 
 時間が経ち、寒くなってきた上にどんどん辺りは暗くなっていき、只でさえ薄暗かった場所が暗闇一色になるまでそんなに時間は掛からなかった。
 
 『夜には獣が出る』そう言われた事を思い出して声は出しちゃいけないと分かっていても、それでも怖くて泣いてしまった。
 
 暗くて、寒くて、心細くて…… 死にたくないって…… そんな時だった。
「セリーヌ!」

 私を呼ぶ声が聞こえる…… 幻聴? それでも構わない、獣が来ても構わない。あたしはもうこの声に縋るしかなかったのだから。
 
「たっ、助けて!」
 
「セリーヌ!どこにいるの?」

「崖の下にいるの!」

 声の主が崖の上にいた。ディックだった。
 
「良かったー、やっと見つかったよ。村じゃ大騒ぎだよ。セリーヌのおじさんが『セリーヌがいなくなったー』って村人総出で付近を探索してたんだ。セリーヌって村に来たばっかりだから多分村の人が来ない様な場所にも知らずに行くんじゃないかと思って来てみたんだけど正解だったね」

 あんなに突き放した態度を取ったのにどうして? と思ったけど、見つけてくれた安心感からあたしはまた泣いてしまった。

「よっ、よが……っだ……っ……」

 ディックは崖を軽々しくジャンプして降りて来て、あたしをおんぶしてくれた。ディックの背中はとても温かくて不安な気持ちが一気に吹き飛んで行った。
 
「ちょっと回り道すると崖の上に戻れるから我慢してね」

「うん、ありがとう」

 ディックは戻る途中に「何でこんな場所に来たんだい?」と聞いてきたので事情を説明した。
 
「なるほどね、お手伝いさんの仕業か…… このまま戻ると危ないかもしれないね。一旦村はずれにある教会に保護してもらおう。その間に両親と村長に話をしてくるよ」

 あたしはディックに言われるがまま教会に連れてきてもらった。教会の入口を叩くと同い年くらいの女の子が出て来た。
 
「あら、ディックじゃありませんか? どうしたんですか? ……ってその子は?」
 
「リシェル、急に来てごめんね。しばらくこの子――セリーヌを匿って欲しいんだけど、お願いしてもいい? あと、足を捻挫してるみたいだから治療もお願いっ」
 
 ディックはリシェルに事のあらましを説明すると、『は? その人正気ですか?』というリーゼさんの行いが理解できないという表情をしていた。また、事情が事情なので保護してくれる事になった。
 
 ディックはあたしを降ろすと走って行ってしまった。ディックの背中の温かさが無くなる事に心細さを感じていた時にジト目のリシェルに話しかけられた。
 
「貴方、セリーヌと言いましたね。最初に言っておきますが、ディックは皆に優しいのです。勘違いしてはダメですよ? 貴方にだけ特別優しい訳ではありませんからね」

 足の治療をしながら警告してくるリシェル。今ので直ぐに理解できた。この子はディックの事が好きなんだと。あんなに冷たくしたのにそれでも笑顔で優しくしてくれて温かくて…… なんかわかる気がする。
 
 ちょっとからかいたくなって「でもディックは君の恋人って訳じゃないでしょ? ならあたしにもチャンスはある訳だ」なんていうとリシェルは眉間に皺を寄せて「あ”?」なんて凄みをかけてくる。

 そんなやり取りをしばらく続けていたらディックが戻って来た。
 
「お待たせ。事情を説明してリーザさんを捕まえて大人たちは今村長の家に集まって会議してるよ。近いうちに街の方に移送して貰うんじゃないかな? だからセリーヌはうちにおいで。一人だと寂しいでしょ」

 リシェルの顔面が崩壊しかかっている。そんなリシェルは放っておいてディックの家に行くことにした。

「ディック、その…… この間は冷たくしてごめんね。あれにはちょっと事情があって……」

「そうなんだ。せっかくだから後で聞こうかな。まずは一緒にうちまで行こう!」

 ディックはあたしの手を握って家まで連れて行ってくれた。背中とは違う温かさがあった事は覚えてる。
 
 ディックの家に着いてからは安心感と空腹感のせいで盛大にお腹の音を鳴らしてしまった。恥ずかしくなって顔を手で隠してしまった。とてもじゃないけど今はディックの顔を見れない。
 
「フフッ、もう少し待ってて、すぐ作るからね」

「ディックって料理作れるの? 凄いね、あたしは全然だめだなあ」

「母さんの手伝いをしてただけだから一から作るのは今回が初めてなんだ。美味しく無かったらごめんね」

 ディックの初めての手料理かあ。何故だかその言葉に嬉しさを感じてしまった。

 ディックが料理を作ってくれている最中にさっきの事情について話をした。
 
「引っ越しが多いね…… そういう事情だったんだ。だから別れが辛くならない様にあまり仲良くしない態度をとってたって事なんだね」

「うん…… でも今回の事でまた引っ越しになっちゃうかも……」

「せっかく友達になれたのにそれも嫌だなあ…… よしっ僕もおじさんと話をしてみるよ。おじさんが仕事で村を離れる時はうちに住むか、僕がセリーヌの家に泊まりに行ったりすればきっと大丈夫だよ。それに頼りになる友達もいるしね。力を貸してもらおう」

 それってあのリシェルも含まれているんだろうか…… それはそれで不安だけど、ディックがいれば何故か安心すると感じていた。

「ありがとう、ディック。それと色々と迷惑を掛けちゃってごめんね」

「気にしないでよ、僕たちはもう友達なんだからさ、支え合っていこうね。よーし、出来たよ。味見した感じは大丈夫だと思うよ」

 『支え合っていこう』ってそういう意味で言ってるんじゃないんだから勘違いするな、勘違いするなと頭の中では分かっているはずなのに何故かにやけてしまう。
 
 変なこと考えるのやめようと思ってディックの用意してくれたシチューを口の中に入れる…… あー、ダメだ。今日のあたしは変だ。泣いてばっかりだ。
 
「ちょっ…… えっ? セ、セリーヌ? もしかして美味しくなかった? 吐き出していいんだよ」

「ちっちが…… ごっごめ…… おいじい…… ……っ……ぐすっ…… あったかくて……」

 母さんが死んでから父さんもあたしを育てる為に必死に働いてくれて、でも引っ越しが多いから友達を突き放して友達を作らない様にって、父さんが仕事で居なくてリーザさんと二人の生活も多くて…… あたしは自分でも気が付かない内に心が冷たくなっていったんだと思う。
 
 何があっても耐えられるようにって、辛い事にも平気な様にって本能的にそうしていたんだと思う。
 
 でも、ディックの手料理で全部それらが溶けていってしまうのを感じる。
 
 
 
 酷いよ、ディック…… あたしの今までの全部を台無しにして、あたしの心を掻き乱して…… 責任…… 取ってよね。
 
 
 
 この日、一人でいるのが怖くなったあたしはディックの家に泊めて貰う事になった。
 
 翌日になり父さんはあたしに謝ってくれた。そしてあたしは生まれて初めて我儘を父さんに告げた。
 
「父さん、あたしね…… もう引っ越しは嫌なの。離れたくない友達が出来たの、だから父さんが仕事で遠出してもこの村で待つことにするからね。絶対!」
 
 父さんは間を置かずに了承してくれて「我慢させて申し訳なかった」と言われた。

 それ以降は父さんが仕事で村を離れるときにはディックの家にお世話になったり、うちに泊まりに来てくれたりした。
 
 その時は必ずと言っていい程にあの三人がやってくる。
 
 ディックが言うところの『頼りになる友達』という奴らだ。
 
 あの事件以降、ディックが紹介してくれた邪魔者――もとい友人だ。泊まり以前に二人でいようとすると必ずエンカウントする厄介な存在でもある。
 
 アリス――
 
「セリーヌ、僕達を出し抜こうだなんて考えが甘すぎるよ」

 マリー――

「セリーヌのおじ様からはディックの家だけではなく、うちにも連絡を入れるようにちゃーんと伝えていますからね」

 リシェル――

「神はあなたを見張っています。ふしだらな行為を許すわけには参りません」

 全く…… 悔しいから口にはしないけど、この子達のおかげで私の心は冷たくなる必要が無くなった。



 そして、ディック――あの日ピンチを救ってくれたあたしのヒーロー。


 
 最初は「こんなの吊り橋効果でしょ。勘違いよ、勘違い」なんて自分に言い聞かせてたけど、時間を追うごとに、一緒にいる度に気持ちが高ぶっていくのが分かる。
 
 もう誤魔化しはきかない。
 
 認めるしかない。
 
 偽りたくない。
 
 君にとっては人助けなんて当たり前の行為だったのかもしれないけど、あたしにとっては人生で初めての経験であり、初めての感情。
 
 
 
 ディック…… あたしね、君の事が好きなんだ。
 
 
 
 君は鈍感すぎて全く気付いてくれないからあたしから言ってもいいんだけど、なんかそれも悔しいな。
 
 だからね、君を振り向かせて見せる。好きだよって言わせてみせる。
 
 恋する女はしぶといんだから、覚悟しておきなよ!