勇者パーティーから追放された魔法戦士ディックは何も知らない~追放した勇者パーティが裏で守り続けてくれていたことを僕は知らない~

 あたしがディックと初めて出会ったのは、七歳の時だった。

 父親の仕事が行商人ということもあって売れる物、売れる場所があれば品物を仕入れては各地を回っていた。

 母親は早くに亡くして父一人だった為にお手伝いさんを一人雇ってはいたが、父も小さい子供を置いていけないと思ったのか父親の仕事に合わせて一緒に着いて行く生活を送っていた。

 そんな生活を送っていたものだから、どこかに引っ越しをして友達を作ってもすぐにサヨナラをすることになってしまう。

 これが繰り返されると小さいながらも「またこのパターンか」と理解してウンザリしてしまうので、もう友達なんて作らない方がいいんだろうなと考えていた。

 そんな考えを固めて七歳になった直後にまた引っ越しがあり次に辿り着いた村があった。

 村に着いてから引っ越しの荷物を荷ほどきしている時に視線を感じた。

 そちらの方に視線をやると隣の家の少年がこちらをチラチラ見ていた。

 その視線が鬱陶しかったから荷物を家の中に入れて荷ほどきの続きを行うと、流石に家の中までは覗こうとはしなかったみたいだった。

 作業が終わってすることもなかったから外に散歩に行くと、覗き見していた男の子が話しかけて来た。

「待ってー」

 あたしは振り向いてそっけない態度で話しかけて来た男の子に返答する。

「何か用?」

「僕はディック、君の名前を教えてよ」

「セリーヌ」

「セリーヌだね、お隣さんだからこれからよろしくね。良かったら村の中を案内するよ」

「よろしくはしないわ、どうせ直ぐ居なくなるし…… あたしには構わないでくれる?」

「来たばっかりでしょ? どうしてすぐ居なくなっちゃうの?」

 まただ…… 引っ越し先で毎回と言っていい程行われるこのイベント…… 説明するのも面倒だから男の子――ディックを突き放した。
 
「五月蠅いなあ、君には関係ないでしょ。いいから放っておいて」

 あたしは走って逃げた。追ってこない事が分かると、きっと初対面なのに突き放したあたしにガッカリしてるのかもしれないと思って少し胸が痛んだ。
 
 数日たったある日の事――
 
 お手伝いさんのリーザさんから森に山菜や茸が取れる場所を村の人から聞いたから一緒に行かないかと言われた。あたしもやる事ないし暇だったから着いていくことにした。
 
 森の中に入ってしばらくすると陽の光が届きにくいような暗い場所に差し掛かって怖くなってきたが、リーザさんが一緒だったから怖い気持ちはあっても何とか耐える事が出来た。
 
「セリーヌさん、そこに山菜が生えているか見て貰えますか?」

 リーザさんが指を刺した場所は崖の付近だった。あたしはゆっくりと近づきつつ山菜が生えていないかを確認した。
 
 が、それらしいものは見当たらなかった。
 
「うーん、見つからないなあ」

 暗いせいか中々気付きにくかったが、自分が崖すれすれにいたことが分かって怖くなり一旦引き返そうとした時の事だった
 
 
 
 『ドンッ』
 
 
 
 と何かに押されたあたしは崖の下に落下した。
 
 そこまで高さがある訳でもなかったけど、落下の衝撃で足を捻挫した痛みで立つことが出来なかった。
 
「……っ……、一体何が……」
 
 いったい私は何に押されたのか分からず崖の上を見上げるとこちらを覗いていたのは笑顔のリーザさんだった。
 
「あら、無事だったんですね。もっと勢いをつけた方が良かったかしら?」

「な、何で……? ど、どうして?」
 
 あたしは訳が分からなくなった。小さい頃からお世話してくれたリーザさんの事を母親の様に思っていたのに…… なんでこんな事になっているのか理解が出来なかった。
 
「『何で?』ですか…… 簡単です。あなたがいるとあの人は私を見てくれない。あなたが消えてくれればあの人は悲しみの余り私に依存してくれるようになる。そうすればあの人の心は私のモノになる…… そういう事です」

 あの人って…… 父さんの事? リーザさんが父さんの事を? 全然分からなかった。そんな素振りを見た事すらなかったから。
 
「この辺って実は村の人でも来ない様な場所だそうですよ。何でかって言うと、夜には肉食の獣が結構出るそうなんです。だから、あなたをここに置き去りにして獣の餌になって貰いまーす」

 この人正気なの? 何でそういう事が平気で言えるの? なんで…… そんなに嬉しそうなの? あたしがそんなに邪魔だった? 鬱陶しかった? だったら言ってくれれば良かったのに…… まさか殺したいほどに憎まれているなんて思ってもみなかった。
 
 あたしはきっと絶望していたんだと思う。信じていた人はあたしをここまで疎ましく思っている人だったなんて……。
 
「ま、待って…… 父さんにはあたしから説明するから置いて行かないで」

「ダメです。貴方が生きているだけであの人は貴方中心の生活になってしまう。だから大人しく死んでください、私の幸せの為に。そうですね、数日後に骨くらいは拾いに来て上げます」
 
 リーザさんは「フフッ」と笑いを漏らしながら一人村に戻っていった。
 
「お願い! 置いて行かないで!」
 
 何を叫んでも無駄だった。一人薄暗い森の中に取り残されて急に怖くなってきた。
 
 風が吹き木々が揺れて葉擦れの音が余計に怖さを増してあたしは耳を塞いだ。
 
「イヤ、イヤイヤイヤ! 誰か助けて!」

 そんなことを言っても誰も来ないのは分かってる。でも言わずには居られなかった。
 
 時間が経ち、寒くなってきた上にどんどん辺りは暗くなっていき、只でさえ薄暗かった場所が暗闇一色になるまでそんなに時間は掛からなかった。
 
 『夜には獣が出る』そう言われた事を思い出して声は出しちゃいけないと分かっていても、それでも怖くて泣いてしまった。
 
 暗くて、寒くて、心細くて…… 死にたくないって…… そんな時だった。
「セリーヌ!」

 私を呼ぶ声が聞こえる…… 幻聴? それでも構わない、獣が来ても構わない。あたしはもうこの声に縋るしかなかったのだから。
 
「たっ、助けて!」
 
「セリーヌ!どこにいるの?」

「崖の下にいるの!」

 声の主が崖の上にいた。ディックだった。
 
「良かったー、やっと見つかったよ。村じゃ大騒ぎだよ。セリーヌのおじさんが『セリーヌがいなくなったー』って村人総出で付近を探索してたんだ。セリーヌって村に来たばっかりだから多分村の人が来ない様な場所にも知らずに行くんじゃないかと思って来てみたんだけど正解だったね」

 あんなに突き放した態度を取ったのにどうして? と思ったけど、見つけてくれた安心感からあたしはまた泣いてしまった。

「よっ、よが……っだ……っ……」

 ディックは崖を軽々しくジャンプして降りて来て、あたしをおんぶしてくれた。ディックの背中はとても温かくて不安な気持ちが一気に吹き飛んで行った。
 
「ちょっと回り道すると崖の上に戻れるから我慢してね」

「うん、ありがとう」

 ディックは戻る途中に「何でこんな場所に来たんだい?」と聞いてきたので事情を説明した。
 
「なるほどね、お手伝いさんの仕業か…… このまま戻ると危ないかもしれないね。一旦村はずれにある教会に保護してもらおう。その間に両親と村長に話をしてくるよ」

 あたしはディックに言われるがまま教会に連れてきてもらった。教会の入口を叩くと同い年くらいの女の子が出て来た。
 
「あら、ディックじゃありませんか? どうしたんですか? ……ってその子は?」
 
「リシェル、急に来てごめんね。しばらくこの子――セリーヌを匿って欲しいんだけど、お願いしてもいい? あと、足を捻挫してるみたいだから治療もお願いっ」
 
 ディックはリシェルに事のあらましを説明すると、『は? その人正気ですか?』というリーゼさんの行いが理解できないという表情をしていた。また、事情が事情なので保護してくれる事になった。
 
 ディックはあたしを降ろすと走って行ってしまった。ディックの背中の温かさが無くなる事に心細さを感じていた時にジト目のリシェルに話しかけられた。
 
「貴方、セリーヌと言いましたね。最初に言っておきますが、ディックは皆に優しいのです。勘違いしてはダメですよ? 貴方にだけ特別優しい訳ではありませんからね」

 足の治療をしながら警告してくるリシェル。今ので直ぐに理解できた。この子はディックの事が好きなんだと。あんなに冷たくしたのにそれでも笑顔で優しくしてくれて温かくて…… なんかわかる気がする。
 
 ちょっとからかいたくなって「でもディックは君の恋人って訳じゃないでしょ? ならあたしにもチャンスはある訳だ」なんていうとリシェルは眉間に皺を寄せて「あ”?」なんて凄みをかけてくる。

 そんなやり取りをしばらく続けていたらディックが戻って来た。
 
「お待たせ。事情を説明してリーザさんを捕まえて大人たちは今村長の家に集まって会議してるよ。近いうちに街の方に移送して貰うんじゃないかな? だからセリーヌはうちにおいで。一人だと寂しいでしょ」

 リシェルの顔面が崩壊しかかっている。そんなリシェルは放っておいてディックの家に行くことにした。

「ディック、その…… この間は冷たくしてごめんね。あれにはちょっと事情があって……」

「そうなんだ。せっかくだから後で聞こうかな。まずは一緒にうちまで行こう!」

 ディックはあたしの手を握って家まで連れて行ってくれた。背中とは違う温かさがあった事は覚えてる。
 
 ディックの家に着いてからは安心感と空腹感のせいで盛大にお腹の音を鳴らしてしまった。恥ずかしくなって顔を手で隠してしまった。とてもじゃないけど今はディックの顔を見れない。
 
「フフッ、もう少し待ってて、すぐ作るからね」

「ディックって料理作れるの? 凄いね、あたしは全然だめだなあ」

「母さんの手伝いをしてただけだから一から作るのは今回が初めてなんだ。美味しく無かったらごめんね」

 ディックの初めての手料理かあ。何故だかその言葉に嬉しさを感じてしまった。

 ディックが料理を作ってくれている最中にさっきの事情について話をした。
 
「引っ越しが多いね…… そういう事情だったんだ。だから別れが辛くならない様にあまり仲良くしない態度をとってたって事なんだね」

「うん…… でも今回の事でまた引っ越しになっちゃうかも……」

「せっかく友達になれたのにそれも嫌だなあ…… よしっ僕もおじさんと話をしてみるよ。おじさんが仕事で村を離れる時はうちに住むか、僕がセリーヌの家に泊まりに行ったりすればきっと大丈夫だよ。それに頼りになる友達もいるしね。力を貸してもらおう」

 それってあのリシェルも含まれているんだろうか…… それはそれで不安だけど、ディックがいれば何故か安心すると感じていた。

「ありがとう、ディック。それと色々と迷惑を掛けちゃってごめんね」

「気にしないでよ、僕たちはもう友達なんだからさ、支え合っていこうね。よーし、出来たよ。味見した感じは大丈夫だと思うよ」

 『支え合っていこう』ってそういう意味で言ってるんじゃないんだから勘違いするな、勘違いするなと頭の中では分かっているはずなのに何故かにやけてしまう。
 
 変なこと考えるのやめようと思ってディックの用意してくれたシチューを口の中に入れる…… あー、ダメだ。今日のあたしは変だ。泣いてばっかりだ。
 
「ちょっ…… えっ? セ、セリーヌ? もしかして美味しくなかった? 吐き出していいんだよ」

「ちっちが…… ごっごめ…… おいじい…… ……っ……ぐすっ…… あったかくて……」

 母さんが死んでから父さんもあたしを育てる為に必死に働いてくれて、でも引っ越しが多いから友達を突き放して友達を作らない様にって、父さんが仕事で居なくてリーザさんと二人の生活も多くて…… あたしは自分でも気が付かない内に心が冷たくなっていったんだと思う。
 
 何があっても耐えられるようにって、辛い事にも平気な様にって本能的にそうしていたんだと思う。
 
 でも、ディックの手料理で全部それらが溶けていってしまうのを感じる。
 
 
 
 酷いよ、ディック…… あたしの今までの全部を台無しにして、あたしの心を掻き乱して…… 責任…… 取ってよね。
 
 
 
 この日、一人でいるのが怖くなったあたしはディックの家に泊めて貰う事になった。
 
 翌日になり父さんはあたしに謝ってくれた。そしてあたしは生まれて初めて我儘を父さんに告げた。
 
「父さん、あたしね…… もう引っ越しは嫌なの。離れたくない友達が出来たの、だから父さんが仕事で遠出してもこの村で待つことにするからね。絶対!」
 
 父さんは間を置かずに了承してくれて「我慢させて申し訳なかった」と言われた。

 それ以降は父さんが仕事で村を離れるときにはディックの家にお世話になったり、うちに泊まりに来てくれたりした。
 
 その時は必ずと言っていい程にあの三人がやってくる。
 
 ディックが言うところの『頼りになる友達』という奴らだ。
 
 あの事件以降、ディックが紹介してくれた邪魔者――もとい友人だ。泊まり以前に二人でいようとすると必ずエンカウントする厄介な存在でもある。
 
 アリス――
 
「セリーヌ、僕達を出し抜こうだなんて考えが甘すぎるよ」

 マリー――

「セリーヌのおじ様からはディックの家だけではなく、うちにも連絡を入れるようにちゃーんと伝えていますからね」

 リシェル――

「神はあなたを見張っています。ふしだらな行為を許すわけには参りません」

 全く…… 悔しいから口にはしないけど、この子達のおかげで私の心は冷たくなる必要が無くなった。



 そして、ディック――あの日ピンチを救ってくれたあたしのヒーロー。


 
 最初は「こんなの吊り橋効果でしょ。勘違いよ、勘違い」なんて自分に言い聞かせてたけど、時間を追うごとに、一緒にいる度に気持ちが高ぶっていくのが分かる。
 
 もう誤魔化しはきかない。
 
 認めるしかない。
 
 偽りたくない。
 
 君にとっては人助けなんて当たり前の行為だったのかもしれないけど、あたしにとっては人生で初めての経験であり、初めての感情。
 
 
 
 ディック…… あたしね、君の事が好きなんだ。
 
 
 
 君は鈍感すぎて全く気付いてくれないからあたしから言ってもいいんだけど、なんかそれも悔しいな。
 
 だからね、君を振り向かせて見せる。好きだよって言わせてみせる。
 
 恋する女はしぶといんだから、覚悟しておきなよ!
 セリーヌは顔を赤らめながら「えへへっ、これがあたしとディックの馴れ初めだよ」と言いながら頬を手で押さえて恥ずかしがっている。
 
 ラスネラガル以外のゴブリン達もセリーヌの回想を聞いてポカーンとしている。
 
 ようやく周辺の空気に気付いたセリーヌは辺りを見渡して自分の想定と違ったことに疑問を抱く。
 
「あれ? 結構キャーキャー言ってくれてもいい話だと思うんだけど、ゴブリン達には受けが良くないのかな?」

 ラスネラガルも我に返ったようでため息を尽きながら口を開く。
 
「俺タチニハ人間ノ感情ハワカラン。タダワカッタ事モアル…… ディックを殺セバ、オ前ハ俺ノモノニナルッテコトダ」

 ラスネラガルは気付いていなかった。いや、知らなかったのだ。セリーヌに、いや勇者パーティのメンバーに最も発言してはならない言葉をうっかり口にしてしまった事を。

「オイ、お前今なんつった? ディックを…… どうするって?」

 大気が震えている…… 儀式を行っていた大広間はセリーヌの殺気に満ち溢れており、ラスネラガルとローブのゴブリンを除いた全てのゴブリンは泡を吹いて全員気絶してしまった。

「クッ…… ナンダコイツは、本当ノ力ヲ隠シテイタカ! ムルグ、邪神様ニ贄ヲ捧ゲロ」

 ローブを着たゴブリン――ムルグは呪文を唱えだすと邪神像が黒く光り出して先程までムルグと共に祈祷していたゴブリン達がその光に吸い込まれていく。
 
 邪神像の光はラスネラガルに照射され、ラスネラガルの全身にタトゥーが刻まれたかの様な模様が浮かび上がっていた。
 
「フゥ…… コノ状態ノ俺ハ先程ノ五倍ハ強イゾ。ソシテ、コノ武器ヲ使エバサラニ強クナル」
 
 ラスネラガルの前方の空間が歪み、そこから一本の黒い剣が出現した。
 
「聖剣ノ対局トナル闇剣アンブレイカブルソードダ。コノ世ニ一本シカナイ闇属性最強ノ一振リダ。ワカルカ? 人類最強ノ勇者ガ光属性ノ聖剣ヲ使ウノデアレバ、ゴブリン族ノ至宝デアル俺様ガ使用スル闇属性ノ闇剣の恐ロシサガ」
 
 懇々と闇剣アンブレイカブルソードの凄さを語るラスネラガルだが、セリーヌは無反応である。それどころか欠伸までし出す始末。
 
「ふわぁ~、うんうん凄い凄い。確かにアリスも聖剣持ってたね。強さ的にはそれと同じくらいって考えたらいいのかな?」
 
「ソウダ、聖剣ニ唯一肩ヲ並ベル事ノ出来ル世界デ唯一ノ剣ダゾ」

「聖剣だの闇剣だの…… そんなちゃちなおもちゃであたしに挑もうという時点であたしの力がまだ理解できていない証拠だよ」

「オモチャダト? ソノ言い方ダトマルデ聖剣を持ッタ勇者ヨリ、オ前ノ方ガ強イト聞コエルンダガ聞キ間違イカ?」

 『その言葉を待ってました』と言わんばかりにセリーヌはニヤニヤしている。
 
「人類の至宝と言われたアリスは確かに強いよ。だって女神にまで勇者って認められるくらいなんだからさ。でもね、君は勇者パーティの面子の事をまるで理解出来ていない」

「ドウイウ意味ダ?」

「アリスはね、剣も使えれば攻撃魔法も使えるし、回復魔法も使える万能タイプ…… なんだけど、攻撃魔法に関してはマリーには勝てないし、回復魔法に関してもリシェルに及ばない…… そして、こと近接戦闘においてアリスはあたしに勝てたことがない。この意味が解る?」

「ソレガ本当ダトシテ俺ノ剣ガ屈スル事ハナイ。アンブレイカブルソードハソノ名ノ通リ破壊不可能ナ分聖剣ヨリモ強イ。ツマリ世界最強ナンダ!」

「へぇ、アンブレイカブル(破壊不可)ねえ…… じゃあ、その剣と世界はどっちが硬いのかな?」

「世界? 何ヲ言ッテルンダ?」

「フフフ、アハハハ、アハハハハハハハ…… 君に教えてあげるよ、真の絶望と恐怖をね」

 その時のセリーヌはとっても悪そうな顔をしており、実はコイツが魔王なんじゃない? と思われても仕方がない表情をしていた。
 
 利き腕を天に掲げて「来い!《世界断絶剣(ワールドエリミネイト) インフィニットマックスハート》」と叫んだ。

 セリーヌの手からは閃光が走り、光が止んだその手にはセリーヌの身長と同じ長さ程の大剣が握られていた。
 
「お久しぶりです。我が主(マイマスター)

「久しぶりだね、はーちゃん」

 剣が喋っているという事にラスネラガルも驚愕しているのか、時が止まってしまったかのように放心状態になっている。
 
我が主(マイマスター)、前回は私を使用すると世界地図が書き換わるからあまり呼ばないようにするって言ってませんでした? あれから一年経ってないですけど?」
 
「なんかね、はーちゃんを差し置いて世界最強を名乗っている剣がいるらしいからはーちゃんに見てもらおうと思って呼んだんだよ」

 はーちゃんは剣なので表情はわからないが、セリーヌの発言により憤ってるのはよくわかる。
 
「はぁ? どこの愚か者ですか? 私を差し置いてそんな寝言をほざくなど、身の程を教えてやらないといけないようですね。どこにいます?」

 セリーヌはいやらしいほどにニッタニタしながら「アイツ」と言いながらラスネラガルを指さした。
 
「んー? あれは闇剣ですか――ガッカリですね。あの程度の小枝で私に挑むなど…… いや、むしろ私に対する侮辱ですらあります」

「あたしがはーちゃんを扱っちゃうとさ、この洞窟も一瞬で崩壊しちゃうからお願いしてもいい?」

「構いませんよ」

 はーちゃんはセリーヌの手から勝手に離れて宙に浮いている。本人の意思で動くことが可能なようで空中を飛ぶこともできる様だ。
 
 ボスの様な佇まいでラスネラガルの前にゆっくりと移動する。ラスネラガルもはーちゃんの持つ独特な雰囲気に本気の構えを取っている。
 
「あ、ごめん。一つ言い忘れてたんだけど、ディックもこの洞窟にいるからバレない様にアイツを仕留めて貰えるかな?」

我が主(マイマスター)…… 聞き忘れてましたが、いい加減ディックさんはもう堕としてメロメロにしたんですよね? あれからどうなったのか進捗確認させてください」

 セリーヌは先ほどの魔王的表情から一転して恋する乙女の様に真っ赤な顔をしてアタフタしている。
 
「え、えーっと…… ま、まだです。あの三人が邪魔さえしなければ、そろそろいい雰囲気には持っていけると思ってるんだけど……」

「はぁー、まだそんな事言ってるんです? 一年前と全然変わってないですね。我が主(マイマスター)はいい体つきしてるんですから夜這いでもしてモノにしちゃえばいいんですよ」

「よ、よ、夜這い!! ダ、ダメだよ。ディックにはあたしの事を好きって言わせてからって決めてるから……」
 
「えー! 私はお二人を見ててやきもきするんで「イイ加減ニシロ」」

 ラスネラガルははーちゃんと戦うかと思いきや唐突な恋バナが始まってしまったせいか苛立っていた。
 
 逆にセリーヌとはーちゃんは恋バナを邪魔されたせいか揃って「「あ”?」」とラスネラガルに苛立っていた。
 
「私と我が主(マイマスター)の恋バナを邪魔する愚か者はウマに蹴られて――いえ、私に切り裂かれて死ねばいいんです」
 
 はーちゃんとゴブリン族の勇者ラスネラガルの戦いが今始まる!
 
 

 ディックは知らない。すぐ近くで自分の恋バナを展開している一人と一本の乙女がいること。
「恋も愛も知らぬ哀れな畜生に私自らが貴方に慈悲を与えてあげましょう。泣いて、跪いて、世界と私に感謝しながら…… 死んでいきなさい」

 はーちゃんは『来いよ』と言っているのか、刀身をゆらゆらと左右に揺らしている。

 完全なる上から目線と挑発の様な挙動にラスネラガルも我慢の限界が来ているようで完全にお怒りモードである。
 
《闇の刃》

 ラスネラガルは刀身に黒く染まった刃をはーちゃんに飛ばすが「フンッ」と一喝しただけで消し飛んでしまった。

 はーちゃんには こうかが ない みたいだ……

「勘弁してくださいよぉ、飛ぶ斬撃なのは理解しましたが、そんなそよ風に御大層な名前を付けて私の呼吸で消し飛んでしまう技なんて技にあらずですよ。改名しておいてくださいね」

 はーちゃんは剣なので表情はわからないが、セリフを聞いている限りではもしも人間であればニヤニヤしてるだろうというのは容易に想像が出来る。

 一方、ラスネラガルは自慢の技をかき消されてしまい悔しそうに歯ぎしりしている。
 
 だが彼は諦めない。ラスネラガルは闇剣を両手で掴み振り上げて全魔力を込めており、先程とは比べ物にならない程に刀身が黒く染まっている。
 
 やがてその黒い魔力は龍の形を模し始めた。龍の大きさは徐々に大きくなり、大広間の半分は埋め尽くすであろうサイズまで膨れ上がった。
 
「俺ハゴブリン族ノ希望ヲモタラス存在ナノダ! コンナ所デ負ケル訳ニハイカナインダアアア」

無慈悲な(ルースレス・)蹂躙劇(マルトゥリトゥメント)

 振り上げられた剣を振り下ろすと同時に魔力で作られた龍がはーちゃんに向かって一直線に襲い掛かる。
 
「なるほど、畜生風情がよくぞここまで頑張りました。私にはもったいないのでご友人であろう彼にプレゼントしてあげる事にしましょう」

 龍とはーちゃんが交差するその瞬間――はーちゃんは自身を揺らすと目前まで迫り来ていた龍は進路を変更して、ただ一人呆然と状況を眺めていたムルグに突っ込んでしまった。
 
 そしてムルグを貫いた龍は後方にあった邪神像すらも破壊してしまった。
 
「ムルグウウウウウウ」
 
 ラスネラガルの悲痛な叫びはもはやムルグには届かない。彼は消滅してしまったのだから。
 
「フフ、ご安心ください。貴方もすぐに彼の元へ送って差し上げますよ」

「ナッ?」

 はーちゃんは既にラスネラガルの目の前まで移動していた。剣を振り下ろせば接触可能な至近距離まで詰めていたのだ。
 
 ラスネラガルは悲しみよりも驚きの方が勝っていたのか、呆然とした表情で目の前に迫っていたはーちゃんに対して動くこともできずに眺めていた。

「さようなら…… 次に生まれ変わる時は是非とも愛を知る事の出来る生物に生まれ変わってくださいね」

 本人の意思ではどうにもならない事を願いつつ、はーちゃんはその身を振り下ろしてラスネラガルはその命の終りを迎えた。
 
「お疲れ様、はーちゃん」

「私の事よりもディックさんは大丈夫なんですか?」

「ここに来る前に大分数を減らしておいたから問題ないよ」

我が主(マイマスター)の事だからてっきり全滅させていると思ったのですが違うのですか?」

 今まで群がる敵はディックに到達する前にみんなが蹴散らしてしまっていた事しか知らないはーちゃんはディックに対して敵を残している事に疑問を持っていたのだ。
 
「うん、実はね――」

「――なるほど、でもそれって追放の必要なくないです? 我が主(マイマスター)達がそのまま鍛えてあげれば解決するような気がしますけど……」

「ごもっともなんだけど、いざディックを目の前にするとどうしても甘くなっちゃうんだよね。だから無理にでも突き放さないとダメなんだよ…… 主に私達がね」

「あー、すごい納得」

 そんな会話をしている間にアリス達は何をしているかと言うと――


~ ちょうどその頃の宿屋内 ~


「ああああ、ディック!!! 避けてえええええええええ」

 残った三人はディックがゴブリンと戦っている所を超高性能小型追跡型魔道具から送られてくる映像をモニター越しに覗き見…… もとい応援していた。
 
 モニター越しのディックが動くたびに同じ挙動を追従する様に三人も動いている。傍から見るとマヌケな行動ではあるが本人たちは至って真面目なのだ。

「ちょっとアリス! すぐ傍で大声出さないでよ」

「なんて心臓に悪いんだ…… 自分で戦っていればこんな思いせずに済むのに……」

 アリスは自分の胸を手でグッと握りしめて息切れを起こすのではないかというほどに呼吸が荒くなっている。

「わかります。これも神の意思だと言うのですか? なんという苦しい試練をお与えになるのでしょうか……」

 リシェルは神に祈り始めているが、アリスと同様に苦しそうにしている。

「でも逆に今がチャンスなのよ。ディックがゴブリンに集中している今がね」

「どういう意味だ? マリー」

「ディックの視線はロクサーヌから外れている。そしてアラート範囲内の一メートル以内にいる。つまり緊急コマンドは未だに継続して使用可能という事よ」

「えっと…… すまないが、何が出来るのかもう一度教えてくれないか?」

 アリスは戦闘以外に関してはポンコツで物覚えもよろしくないのだ。
 
 ついこの間緊急コマンドについて習ったはずなのに既にアリスの頭からは全部抜け落ちている。
 
「対象を私達の元に飛ばしてくることが出来る『キャピタルパニッシュメント』を使うわ。これは転送魔法陣をその場で構築して使用するから時間が掛かるし見られるとすぐバレちゃうんだけど、ディックがこっちを見ていない今がチャンスなの!」
 
 マリーは「引数に私達が今いる空間座標を指定して――」とブツブツ呟きながらキーボードを『カチャカチャカチャ……、ッターン!』と叩くとロクサーヌの全身を覆う程の魔法陣が展開され始めた。
 
「クッ、少し時間が掛かりそうかも。ディックが気付く前に転送魔法陣を完成させないと」

 魔法陣を展開させつつもディックは着々とゴブリンの数を減らしている。
 
「ま、まだなのか? マリー」
 
 残り三匹……
 
「もうちょいで行けそうだから焦らさないで」
 
 残り二匹……
 
「マリー急いでください! ディックがゴブリンを全滅させちゃいますよ」
 
 残り一匹……

「分かってるから!」

 残り一匹のゴブリンにディック渾身の一撃が炸裂する!
 
「「マリー!!!」」

「完成した! キャピタルパニッシュメント、実行開始!」

 実行開始と同時にロクサーヌは映っていたモニターから瞬時に姿を消して、マリー達の目の前に瞬間移動してきた。
 
「あっぶな! ギリギリだったけど、ディックにバレる前に成功したわ」
 
 ディックはというと、最後のゴブリンを倒して振り返ったものの、ロクサーヌがいない事に気付いてキョロキョロしながら慌てている。
 
 モニター越しに「えっ? ロ、ロクサーヌさん? ど、どこですか?」と聞こえてくるが、当の本人は既にそこにはおらずマリーたちの目の前にいるのだ。
 
 マリーはこのままだとディックが洞窟内を探し回るだろうと察して超高性能小型追跡型魔道具にメモを書かせていた。
 
 メモを書き終えてディックの目に映りやすい様な高さの場所からひらひらと紙を落とすと、それに気付いたディックが紙を拾って読み上げていた。
 
「『ロクサーヌは安全な場所に避難させた。ディックもその場から早急に離れる事』って…… あれ? いつの間に人が来てたんだろう? それに誰だろう?」

 ディックは頭を捻りながらも辺りを再度見渡すがやはり人影も気配も何も見当たらない為、どこかの親切な人が助けてくれたのだろうと考えてその場を後にした。
 
 後顧の憂いも必要なくなった事から、ロクサーヌに専念できると考えた三人は悪魔も裸足で逃げだす様な笑顔でロクサーヌの目の前に突っ立っていた。
 
 マリーは人差し指を立てて魔法で水玉を作り出していた。それをぐーすか寝ているロクサーヌの顔面に目掛けて『バシャッ』と食らわせた。
 
「ブホッ、ゴホッ、ゴホッ…… 鼻に水入った…… ん? あれ? ここは? ディック君? ディックく――」

 ロクサーヌが目を覚まして目の前の足元に気付き顔を見上げるとそこにいたのはディックではなく、ロクサーヌ曰く『ディックに付きまとっている四人組』の内三人がそこにいたのだ。
 
 なぜ自分が洞窟ではない場所にいるのか、なぜこの三人が目の前にいるのかと状況が理解できないロクサーヌは「な、な、な、なん……で」と狼狽えていた。
 
 三人はニタニタしながら揃えて口にする。
 
 


「「「ようこそ、地獄の一丁目へ」」」




 ディックは知らない。助けるはずのロクサーヌはゴブリンに蹂躙された方がマシだったという悲劇をこれから味わう事になる事を。
「な、なんでアンタたちがここにいるんっすか!」

 三人は「何言ってんだ? コイツは」とため息をついて呆れている。
 
「何でここにいるのか? ですって…… 少しは周りを見て自分の置かれている状況くらい考えたら? 男とヤル事しか頭にないパッパラパーだと状況把握能力が欠落してしまうのかしら? 脳みそピンク色にするのも程ほどにしておきなさい」

「ここは君が気を失う前にいた洞窟ではない。僕達が泊っている宿屋だよ。起き上がりとはいえ、すぐ分かるものと思ったけど…… もしかして周りの状況も理解できない程僕達に怯えているのかな? これはこれでお仕置…… 躾の甲斐があるよねえ」

「彼に手を出した大罪人にはしかるべき神罰が下るでしょう…… いえ、神をも恐れぬ不届きものには地獄すら生温い。まずはその身を持って知るといいでしょう、私達が地獄以上の恐怖を教えてあげます」

 ロクサーヌは三人に言われ放題の内容については一旦気にしない事にして、マリーが言ったように落ち着いて状況把握することにした。
 
 一息ついて改めてキョロキョロと周りを見渡すとここは洞窟ではない事がわかる。そしてアリスは「僕達が泊っている宿屋」と言っていた。つまりここはいつもの街だ。
 
 方法は分からないが今は確かに戻ってきている事を理解した。
 
「なるほど、ウチは気を失う前は洞窟にいたはず…… そしてアンタ達がここに居るって事はウチが誰といたかも把握済みって事っすね」

「でなければわざわざアンタをここに呼び寄せる訳ないでしょ。そして私達が言いたい事ももう分かるわよね? ディックは諦めて手を出すなら他のオスにしておきなさい」

 ロクサーヌは勝機でも見つけたのか「ククッ」と笑い余裕を見せている。

「それは可笑しな話っすねえ。ディック君とアンタ達は同じパーティー…… 『だった』かもしれませんけどね、そもそもディック君とそういう関係に誰ともなってないでしょ? ならディック君との関係にどうこう言われる筋合いないんじゃないっすか?」

「『だった』じゃないわよ。今もディックは同じパーティーメンバーよ。今は諸事情があって一人で頑張ってもらってるだけ」

「ふーん、諸事情っすか……」

 ロクサーヌは考えていた。四人にとって自分達よりも大切なディックを意味もなく突き放すはずがない。確かに事情はあるという事に関して嘘はなさそうだと。
 
 そしてディック自身も『実は当分の間ソロ活動することになりまして……』言っていた事から裏も取れている。
 
 けど納得いかない点もある。ディックが関わる話であればお得意の力技で自分達の我を押し通すはずなのにその節が見られない。
 
 一体何があったのか…… そういえばこの間王宮に呼び出されていたはず。その時にディックに関わる何かがあったのだと推測した。ちょっとカマをかけてみよう。
 
「そういえばこの間王宮に呼び出されてましたよね? 何かあったんすよね?」

 ロクサーヌの発言にビクッとした三人は同時に『このアマ気付いてる』とアイコンタクトを送り合っていた。

 ポーカーフェイスがド下手くそな三人は汗をダラダラ垂らしながらわざとらしくニコニコしている。
 
「そ、そ、そんな事ないわよ。大体何の根拠があってそんな事言い出してるのよ!」
 
 わかりやっす…… これでハッキリした。王宮で何かあったな…… 王都に向かい情報収集するべきだと判断した。あとはどうやってこの状況を抜け出すべきか――斥候として一人で行動する機会も多く、捕まったとしても簡単に口を割らない様な拷問訓練も散々叩き込まれたロクサーヌに生半可な拷問は通用しない。
 
 しかし相手は規格外の連中の為、闇の世界も渡り歩いて来た自分ですら思いもよらない方法で行われる可能性もある。

 暴力に訴えるなら儲けもの。それに関しては赤子の時から仕込まれてきたから問題ない。問題は精神に作用する拷問…… 元より失う者のない自分にとって未知の領域。

 いや…… 一つだけあった。今更何を女々しい事をと思っているとマリーが途端に真面目な顔で問い詰めて来た。
 
「アンタさ、何でディックなの?」

 来るとは全く思っていなかった質問に度肝を抜かれたロクサーヌは思いもよらない声を上げていた。

「え?」

「あんまりこういう事言いたくないけどアンタモテるじゃん。別にディック相手じゃなくても良くない? アンタ好みの草食系男子なんて冒険者以外なら結構いると思うんだけど……そこからつまみ食いすればいいじゃん」

 マリーが言う様にロクサーヌはモテる。真面目、不真面目問わず多数の冒険者から、街のチンピラや半グレは当然の事であるが引きこもりがちの少年、青年ですらロクサーヌを見れば顔を赤らめてしまうほどである。
 
 ちなみに四人はというと…… 基本は誰も近寄って来ない。殺気というか近寄るなオーラが凄く気配に敏感ですらない一般人ですら本能的に避けてしまう。
 
 たまに自分の実力を勘違いした冒険者が自分ならと近寄ってくるが瞬殺されて再起不能又はそれに近い状態にされてしまうため、それ以降に寄ってくることはない。
 
 四人は顔の造形だけならロクサーヌといい勝負をしている。体型を含めると勝負になりそうなのはセリーヌかリシェルになるが、それでも四人に寄ってこないのは単純に恐れられているからに他ならない。
 
 闇の世界を生きてきた連中、王宮の騎士団ですら四人に目線を合わせない。合わせたらそれは死を意味するから…… 故に彼らは四人と同じ空間に出くわそうものなら瞬時に壁の一部に擬態する。

「やっぱウチみたいな見た目だとそう思われて仕方ないとは思ってるんすけどね…… ウチこう見えて初物(未経験)っすけど」

 三人の声量で宿全体が飛び上がってしまうのではないかという程に驚愕していた。

「「「ええええええええええっ!?」」」

 アリスは こんらんしている!
  
 マリーは こんらんしている!
 
 リシェルは こんらんしている!
 
「ハハ…… やっぱそう思うっすよね」
 
 いつも他人からそう思われがちのロクサーヌはとっくに諦めていた。男受けしそうな身体と服装であれば遊んでいると思われるに決まっていると。
 
 むしろそれ以外の目線で見られたことが無い事も理解している。ただ一人を除いては……。
 
 かつて所属していた組織で暗殺者として仕事をしていた際にターゲットを垂らし込む為にもその身体を使っていたから本人も否定しにくい所がある。
 
 ちなみに組織に所属していた時のロクサーヌのモットーは『犯られる前に殺る』である。
 
「ちょっとまだ信じられないけど初物(未経験)なのはいいとしましょう。でもまだ肝心の答えを聞いていない。もう一度聞くわよ『なんでディックなの?』」
 
「それを話しするにはまずは根本的な勘違いを訂正する必要があるみたいっすね」

「根本的な勘違い?」

「ウチは別に草食系が好きなわけじゃないんすよね。好きになった男の子が草食系だったと言うだけの話っす」

 三人は今の言葉で悟った。『嫌な予感がする』と……
 
 いつ? どこで? ほぼ一緒にいるから気付かないなんてことはないはずなのに…… 残りのタイミングで出会っていた?
 
 しかもフラグを立てていた? ロクサーヌを相手にフラグを立てる? そんな簡単な女じゃないだろ、コイツは……
 
 アリスは絞り出すような声でロクサーヌに確認する。
 
「『好きになった男の子』がディックだとでも言うつもりか…… いつだ? どこで君たちは出会ったんだ? そして何をしたんだ!」
 
 ロクサーヌはキョトンとしている。
 
「アリスさん…… 覚えてないんすか? あの場にあなたも居たっすよね?」

「「アリス、ギルティ!」」

「ちょ、まっ…… ロクサーヌ! キミィ、適当言ってないだろうね?」

「アリスさん…… マジでディック君以外何も見てないんすね…… 呆れるどころかある意味感心するっす。良いっすよ、アリスさんも忘れてるみたいから話しましょうか。あの寒い冬の日の事を……」


 ディックは知らない…… というか気付いてない。ロクサーヌが周りでどう思われていたのかという事と自分にガチで想いを寄せられていたことを。
 ウチがまだ暗殺者として闇の仕事に従事していた頃の事だった。

 当時所属していた組織の名前は『ギルガリーザ商会』と商会なんてついてはいるが、裏ではこの国では禁止とされている奴隷の取り扱いから非合法の薬の売買、挙句の果てに暗殺稼業にも手を出しており一部貴族からかなり重宝されていた。

 もちろんバレない様に表向きはこの国で最も勢力のある商会を普通に運営していた。食品から雑貨、冒険者用の武器に防具など分野を問わず様々な商品を取り扱って貴族のみならず平民の利用者も多数いるため、まさかこの商会が裏でこんな事をしているだななんて誰もが疑わなかっただろう。
 
 そしてウチはその組織の暗殺部隊に所属していた。
 
 物心ついた時から既に組織に所属しており、上司が言うには赤子の頃に母親らしき女から売られたとの事だった。
 
 そんな話を聞かされた所で「だからなんなの?」という感想しか出ない。
 
 だってそんな場所で育って暗殺稼業が当たり前の生活を送っていたから…… 子供が母親と手を繋いで仲良く買い物なんて場面を見ても心が揺れる事もないし、母親に対する感情も何もなかった。
 
 まあ、所謂『無関心』ってやつ。
 
 そんなウチでも一つだけ人間らしい感情が残っていたらしく、実はロマンス小説を読むのが趣味だったりするという我ながら頭の中身がお花畑なんだなと自覚はあったりする。
 
 初めて読んだ時の次の展開どうなるんだろうというドキドキ感を何度も味わいたくて色んな小説を読むのが趣味となっていた。
 
 それでも現実はこんなんだし、自分にとっての運命の人が現れる訳もなく、期待する事もなくて仕事が入ったらターゲットを暗殺する日常を送っていた。
 
 ウチの場合、暗殺する対象は例外が無い限り基本的に『男』がターゲットになる。
 
 それは何故か? 男の目を引くような容姿と体型をしていただけのただ単純な理由。
 
 上司や一緒に育ってきたはずの同僚もある程度の年齢を超えて肉体的にも成長すると誰もが()()()()目で見てくるようになる。
 
 毎回手で隠したり、見るなよという視線を送るのも面倒だから「好きに見れば?」という態度を取ると遠慮なくガン見してくる奴が多くて正直気持ち悪いし嫌悪感もある。
 
 だから仕事の時は仕方なく肩や腰に手を回させる事はあっても絶対にヤラせる様な事は絶対しないし、訓練がない時もわざわざ男達から姿を隠すようにしてきた。
 
 小説の様に運命的な出会いがあって劇的な恋に落ちるなんて事は自分には無縁だととっくに諦めていた。
 
 そんなウチの人生に劇的ともいえる事件が起きた。
 
 あれは今から一年半ほど前の話……
 
 その時請け負っていた仕事が一旦ひと段落して休日に街を歩いてた時の事。
 
 目の前を歩く一人のオッサンがウチの身体を上から下まで眺めながらニチャアと口角を吊り上げて汚らしい笑顔をしている。
 
 流石に慣れたもんで、視線に気付いても知らんぷりして通り過ぎようとしたら話しかけて来た。
 
 わざとらしくため息をついてやったけど、そんなのお構いなしとばかりにフラフラ歩きながら話しかけてくる。
 
 どうやら真昼間から酒を飲んでいるようだ。話しかけられた息が凄い臭くてウチが鼻を抑えながら後退してしまうほどだった。
 
「ねえねえ君さあ、ダメだよーそんなドスケベボディを真昼間から晒しちゃってさあ、前途ある青少年たちが君を見てみんな前かがみになっちゃうじゃないか。これは指導の必要がありそうだね…… うむうむ、近くの詰所まで来てもらおうかな。そこでおじさんの聞かん棒でお説教しないといけないかなあ?」
 
 これは最早ナンパですらなく、ただのセクハラだった。
 
 会話の必要性もないと思ったからオッサンの脇を素通りしようとするが、全く諦めないオッサンはウチの腕に手を伸ばしてきたからオッサンの腕を捻り上げて蹴りで吹き飛ばしてやった。
 
 オッサンは近くの木箱に頭から突っ込んで気を失ったのか動かない。
 
 ウチはすっきりとしてその場から離れて行きつけの本屋で新作のロマンス小説を購入してルンルン気分で帰宅した。
 
 
 
 後日、上司が血相を変えてウチを呼び出してきた。
 
 何事かと思った。仕事の失敗はないから緊急の仕事なのかと思った。
 
 でもそうではなかった。
 
 どうやら先日蹴り飛ばしたオッサンは最近商会の幹部に上がって来た人らしい。
 
 表で実績を出して幹部になった事で裏の事業を一部任されることになったらしいのだが、その任された仕事として暗殺部隊の司令官に着任したのだったらしい。
 
 オッサンは部隊員の資料を読み漁っていたところ、手を出そうとして失敗した女…… つまりウチがいることを知ったらしい。
 
 どうやらオッサンは難癖をつけてウチを呼び出そうとしているとのことで、上司に当日に何があったのかを散々聞かれた。
 
「あんなのただのセクハラ親父ですよ。それに司令官に着任する前の話ですよね? なんとか折り合いつきませんか?」
 
 上司は左右に首を振る。どうやらウチの訴えは無駄らしい。
 
「そういう問題じゃなくなっちまってる。着任前後云々とかそういう話ではなくて、『任務達成率トップなのをいい事に司令官に手を出した身の程を弁えない女』として幹部中に広まってるらしい。このままお前を庇い続けたら俺達にまで被害が広がっちまう。すまねえが、お前が折れてくれ」
 
 手を出した事は認めるが、それ以外は全て捏造だ。そして上司の顔を見ていると最早庇い様のない事実上の死刑宣告だ。こんな仕事をしてるのだし、いつでも死ぬ準備はしていた。だから「まあしょうがないか…… 処刑は受け入れるとして、せめて一度でいいから恋愛してみたかったなあ」程度に考えていた。
 
 すると上司はまた首を左右に振った。
 
「いや、処刑ではないらしい。お前が愛人になることを条件に許してくれるらしい。それも拒否する場合は性奴隷にすることも辞さないとの事だ」

 目の前が真っ暗になった。自分にとってそれは死ぬ事よりも受け入れがたい事だった。人間として残った最後の感情をこんな形で奪われることになるなんて…… だからウチの出した答えはこれ以外にあり得なかった。
 
「お断りします。そんなことをするくらいなら自ら命を絶ちます」

 上司は最初からそう言う事が分かっていただろう…… 指をパチンと鳴らすと自分の左右と後ろに計五人の同僚に押さえつけられて布を口の中に突っ込まされた。
 
 ならば息を止めて窒息死してやろうと思ったが、それすらも想定内だったらしい。上司得意の傀儡魔法で無理矢理呼吸させられていた。
 
 身動きも取れず、舌を噛むこともできず、息を止めて死ぬ事をすら許されない。
 
「すまないが、お前という優秀な人材に死なれる訳にもいかない。大人しく司令官の愛人になってくれ」
 
 ウチはもうあの汚いオッサンに身も心も凌辱され、死ぬ事も許されないまま任務も遂行しなければならない人形にならなければならないらしい。
 
 だったらせめて…… 感情も奪って人の心を無くしてほしい…… そう願わずにいられなかった。
 
 そしてそのまま五人の同僚に連行されることになった。ウチが連れていかれた場所は司令官の寝室ではなく、商会の持ち倉庫だった。
 
 なんでこんな場所に? と思ったら倉庫の中にオッサン…… 司令官が待ち構えていた。
 
「良く来たなあ…… 綺麗な部屋とベッドで愛してもらえるとでも思ったか? あの時の痛みはまだ忘れておらんぞ…… 娼婦に捨てられた野良犬らしく倉庫内の汚らしい地面で輪姦してやろうと思ってな…… 私が受けた痛みの何十倍…… いや、何百倍にもしてお前の女として、人間としての尊厳も徹底的に全て踏みにじってやるよ。私が満足したらお前らにもくれてやる。お前らもコイツに散々舐められていただろう? 暗殺者である前にただの女である事を『わからせ』てやれ」
 
「「「「「ありがとうございます!」」」」」

「もし妊娠でもしたら何度でもお祝いボディーブローで強制堕胎させてやる。徹底的に蹂躙してやらんと気が済まんから喜びに打ち震えろ…… 簡単に廃人にもさせんからな。お前が人生に諦めてその綺麗な顔面をボコボコにして全裸土下座で死ぬまで私に忠誠を誓わせてから足の指の爪の垢を舐めさせても許さんからそのつもりでな」
 
 たしかにウチはまともな人生を歩んでいなかったと思う。だから死刑にされたとしても受け入れるつもりはあった。
 
 だけど…… その結果がこんなクズ野郎共に良い様にされる人生だったなんて…… 神様もひどいよ、ウチよりもこんな奴等に味方するというんですか?
 
 ウチはどうなったとしても…… せめて、せめてコイツ等にも裁きを食らわしてやってください。
 
 なんてね、今まで一度も祈った事もない神に祈るなんてウチもどうかしてる。
 
 そうだ…… それほどまでにどうしようもない事態であることを理解してしまってるんだ。
 
 そんなウチの願いが神様に届いたのか…… 倉庫の外から声が聞こえて来た。
 
「すみませーん、誰かいませんかー? あのー、お届け物なんですけどー」
 
 司令官も同僚たちもギョッとしている。まさかこんな場所に人が来るなんて思ってもいなかったから。
 
 普段この倉庫は商会の人間しか来ないうえに今日は誰も寄せ付けない様に言っていたと思う。
 
 だからここに誰かが来るという事は外部の人間しかいない。司令官もそれを分かっているだろう、急な訪問者に焦っていた。
 
「オイ、何でこの場所に人が来るんだ! お前ら黙らせて来い」
 
 司令官が思ったより大きな声が出てしまったのか、外にいた人物に声が届いてしまったらしい。
 
「あれ? やっぱり人います? お届け物でーーす。 えーっと…… ここにあるドアから入れるかな?」

 のほほんとしたマイペースな声に全員気が抜けているのか、一部始終を呆然を眺めていた。
 
 そしてドアが開けられて「すみませーん、勝手に入っちゃて…… 声が聞こえて来たので誰かいると思ったので、荷物のお届けに上がったんですけどー」とキョロキョロしながら申し訳なさそうに入って来た。
 
 声だけ聴いても少年なのか少女なのか判断に迷う。
 
 
 
 そしてその姿を見た時…… 
 
 
 
 やっぱり男の子か女の子かどっちかわからない。
 
 
 
 そしてその少年? 少女? こそが後のウチの初恋の相手であり運命の相手と思っているディック君だったのだ。
 倉庫の中に入って来た子はウチ達の光景を見て絶句していた。

 それは当然の事だ…… 年端もいかないであろう子がこんな汚らしいレイプ直前の現場に居合わせて、まともな反応をする訳がない。

 しかしその子はウチ達の予想を遥か斜め上を行くセリフを口にしたのだ。

「さっ、寒くないんですか!?」

「「「「「「「は?」」」」」」」

 たしかに今は季節で言うところの冬だし、司令官は自ら上半身を既に脱いでいたし、ウチも脱がされかけている状況になっていたから傍目から見たら寒く感じるかもしれないけど…… 他にもっと言うべき事があるのでは? という見解は全員一致してると思った。
 
「い、いえ…… その…… 確かに冬でも布でこすって免疫力を上げる健康法があるとは聞いた事はありますが、この目で見るのは初めてでしたので…… ちょっとびっくりしちゃいました。えへへ」

 ウチは未だに理解が追い付いていない。この状況で「えへへ」と言えるこの子の胆力なのか空気の読めなさは想像を絶している。
 
 それは数々の修羅場を乗り越えて来たウチですら初めての経験だった。
 
 それは同僚たちも同様で信じられない様な表情をしていたが、直ぐに正気に戻ってこの子の処遇を考えてるようだった。
 
「どうせ見られてしまったんだ。この子…… 良く見たら滅茶苦茶可愛いな。この娘も頂いちまうか」
 
「それいいな。じゃあ、俺はこの子から頂くぜ」

 やっぱり女の子なの……? それにしては何か違和感があるような……? いや…… でも…… うーん、まさかウチが一目で理解できない様な子が存在するなんて思わなかった。
 
「司令官、いいですよね?」

「好きにしろ。私はこのクソメスを屈服させる事しか考えてないからな」
 
 荷物を抱えた子は「え? え?」と何が何だかわかっていない様な表情をしている。
 
 この子、この期に及んで本当にこの状況を理解できていないの? 能天気とかそういうレベルではなく頭が病んでるんじゃないかと思ってしまう。
 
 むしろ司令官以上にこの子に対するストレスすら溜まって来た。
 
 同僚はこの子の手を引いた後に突き飛ばしてウチの隣に並べようとした……
 
 その時だった。
 
 ウチの隣に並んだ瞬間に持っていた荷物を思い切り司令官にぶつけたのだ。
 
 荷物をぶつけられて倒れた司令官以外はみんな呆然としていた。
 
 頭がイカれた(疑惑の)女の子(?)がいきなり真面目な顔をして荷物をぶん投げたのだ。そりゃみんな度肝を抜かれるよ。
 
 そしてその子はウチを庇うような体制で立っていた。
 
「全く…… いい大人が大勢で一人の女性を襲うなんて何を考えているんですか? 恥ずかしくないんですか?」
 
「「「「「「ええええええっ!?」」」」」」
 
 ウチもついつい声を上げちゃったよ。だって素で頭が狂ってると思ってたもん。
 
 まさか…… 演技だったとは思わなかった。ある意味で凄い才能を持ってる。
 
 そしたらその子は上着を脱いでウチに被せてくれた。
 
「もう少しだけ我慢しててくださいね」
 
 そんな台詞と同時に見た表情はまるでウチを迎えに来てくれた王子様の様な優しい顔をしていた。
 
 そう思ったらウチは思いっきり顔が熱くなってしまった。絶対ロマンス小説の読みすぎだよ。
 
 こんな時に何を考えてるの。この子は女の子なの……に…… いや、違う。上着を脱いで露わになった筋肉を見た時にハッキリした。
 
 この子は間違いなく男の子だ。女とは違う筋肉のつき方をしている。さっき感じた違和感はこれだったんだ…… 
 
 性別がハッキリして余計にドキドキしてしまった。
 
 だって初めてだったから…… 異性から劣情を催す様な表情もなく慈しむというか、壊れ物を優しく扱ってくれるような表情を向けられたのは……。
 
 それに誰かに守られるというのも生まれて初めての経験だった。どうしよう…… 誰かに守られる事がこんなに嬉しいって思わなかった。
 
 いや、落ち着いてロクサーヌ。お前はそんな安い女じゃなかったでしょう。
 
 それに…… 彼一人でこの状況を覆せるとも思えない。
 
 司令官は数に入れないとしても、手練れの現役暗殺者が五人もいるんだよ。
 
 彼もそれを分かっているのか、緊張した表情で五人の同僚を見ている。
 
 司令官は荷物をぶつけられて頭が回っていたようだけど、ようやく目が冴えたみたいで完全に怒り心頭だった。
 
「許さんぞ!そのガキもロクサーヌと一緒にこの世の地獄を見せてやれええええ」
 
 司令官がそういうと同僚たちも彼をターゲット認定して襲い掛かろうとしていたが……
 
 バッコーーーン と突然衝撃音が倉庫内に鳴り響いてた。
 
「今度は何なんだ!」

 音が発生した場所に目をやると入り口が壊されていた。今の音は入口を壊した音のようだった。
 
 そこからは人が一人追加で入ってきたようだった。
 
「倉庫内に入ってから百八十秒経過したにも関わらず出てくる様子がないから心配で来ちゃったよ」

 そう声に出して入って来たのは…… 今度こそ間違いなく女の子だった。身体は…… 随分貧相で胸もないのだけれど、声も相まって流石に性別はハッキリしていた。
 
「ア、アリス? だ、ダメだよ…… 扉を壊しちゃ」
 
「どうしても君が心配になってしまってね…… まさかとは思うけど、ディックのあまりの可愛さに性別をガン無視して襲って来る様な身の程知らずがいないか確認の必要はあると思ったのさ」

「そうなんだね…… あ、ありがとう。実は丁度いいタイミングだったりするんだけど、ドアは壊さないで欲しかったかな」

「ん? 丁度いい? それはどういう……」

 アリス? ディック? 確かその名前って…… いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。

 アリスと呼ばれた女の子はウチ達とディックと呼ばれた少年の立ち位置を目にした途端に顔面に青筋を立てて闇の世界で生きて来たウチらですら戦慄を覚える程の殺気を向けられていたんだ。
 
「へぇ、本当に懸念した通りの状況になってるとは思わなかったよ。半分は冗談のつもりだったんだけどね…… まさか僕のディックに劣情を催すだけでなく刃物を向けるだなんて命知らずがいるなんてね…… 生きて帰れると思わない事だよ」
 
 ウチは余波だったから大きな影響はなかったけど刃物を持っていた同僚達は思いっきり殺気を浴びせられたせいか刃物を落としてしまい全員が呼吸困難に陥って苦しんでいるようだった。
 
「アリス! その辺にしておかないとみんな死んじゃうよ」

「だってディックに刃物を向けたんだよ? 全員死んで然るべきなのさ。いや、死すら生温い…… どうにかして永遠の苦痛と生き地獄を味わわせる方法はないものだろうか…… あとでマリーに相談してみよう」

 暗殺者のウチですらドン引きするような内容を平然として語るこの女の子…… アリスと呼ばれていた。
 
 ディック…… アリス……
 
 間違いない。この名前は半年ほど前から冒険者活動を開始したとされる新進気鋭の若手冒険者パーティメンバーの名前だ。
 
 冒険者は時にウチらの仕事の障害になる可能性もある事から最新の冒険者情報は常に仕入れていた。
 
 特に有力な冒険者の存在は。
 
 そして、ウチの調べだとこの若手冒険者パーティーは歴史上最速でランクを上げ続けている連中だったのだ。
 
 と言ってもどうせウチと同年代の若造だし、ちょっと才能があって周りからチヤホヤされているだけのありがちなイキリパーティなのだと思っていた。
 
 
 でも実態は違った。
 
 
 特にこのアリスに殺気を向けられて思った。
 
 とんでもない化け物だと…… 命が惜しいならこれは敵に回してはいけない。正直、今も体の震えが止まらない。
 
 生まれて初めて自分の本能が叫んでいる。「この化け物に出会ったら任務を捨ててでもその場を離脱しろ」と……。
 
 なるほど、周りの冒険者達が彼女につけた二つ名も今なら納得できる。
 
 傍若無人な態度にそれ見合うだけの能力はまさに彼女に相応しい。
 
 『暴君 アリス』
 
 そしてディック…… 君にも二つ名がつけられていることを知っている?
 
 この二つ名はなんの冗談なのかと思った。
 
 まあ、名誉か不名誉なのかは一旦置いておくけど。
 
 最初見た時にウチも女の子だと勘違いしてしまった。
 
 そしてその態度から男性が見たらガッツポーズを取って大喜びするんだろうなあって思った事から案外この二つ名に間違いはないのかもしれないとも思った。
 
 『お嫁さんにしたい冒険者ナンバーワン ディック』
 
 本人に実際会ってみて実は案外しっくり来たりもするとも思ってしまった。
 
 
 
 
 でもね、さっき見せてくれた君の表情は今も鮮明に思い出せるんだよ。あの時の優しい笑顔はウチにとって間違いなく理想の『王子様』だったんだから……。
 
 ウチがそんな悦に浸っていて夢見心地でいる間にアリスはディックに説得されて倒れた五人の同僚にこれ以上手は出さないと約束したものの、司令官については扱いは別の様だった。
 
 アリスは(おもむろ)に倒れている司令官に近づき頭をゆっくりと踏みつけた。
 
「君さ、いい加減に寝たふりをするのを止めなよ。バレないとでも思ったかい? だとしたら僕の事を相当舐め腐っているようだな。見た所この無作法者達の親玉の様だが、犬どもに碌な躾も出来ない様な飼い主には相応のお仕置きが必要かもしれないね。それが嫌ならまずは返事をしたまえ…… でなければその頭が熟れた果物が木から落ちるかの如く汚らしく破裂することになるよ」
 
 アリスの言う通り司令官は寝たふりをしていた。アリスの殺気でバタバタと倒れていく現役暗殺者達を目の当たりにして恐怖を感じたからの行動だとは思うけど、何を血迷ったのか開き直り始めていた。
 
「くっそー、貴様ら! どこの何方(どなた)様に手をあげたのか教えてやろうか? アァン?」
 
 反抗してきた態度を見てアリスは嬉しそうにしている。
 
「へぇ、それは怖い怖い。それでは貴方様はどこのえらーい御方なのか無知なるボクに教えて頂けますか?」

 アリスの足に少しずつ力が入り始めたら司令官の頭がミシミシ音を立て始めた。
 
「痛たたたたたた! 顔、顔、顔! 潰れてしまう」
 
「早く、教えて頂けるんでしょう? 早くしないとどんどん足に力が入ってしまいますよ?」
 
「クソがっ! 聞いて驚け、私は()()『ギルガリーザ商会』の幹部なんだぞ!」
 
 しかし 辺りはシーンとしている!
 
 聞きたがっていた当のアリス本人は額に皺を作ってしかめっ面をしている。しまいには首を横に倒して頭を捻っているようだけど、どう見ても頭から『?』の文字でも浮かんでそうな表情をしてる。
 
 まさかとは思うけど…… 知らない? いや、そんなまさか。だって子供からお年寄りまで幅広い年齢層に支持されているこの国一番の大手総合商会だよ…… 無知にも程があるでしょ。
 
「ディック、すまないが『ギルガリーザ商会』について教えてくれないか?」

「総合商会…… つまりは何でも取り扱ってるって事。僕達が普段食べてる食料品から子供向けのお菓子だったり冒険者用の武具、日用雑貨とか色々あるよ。むしろ取り扱ってない商品がないかも?というくらい沢山の商品があるんだよ。ていうかさ、アリスもこの間一緒に食材を買いに行ったじゃないか」
 
「あっ、二日前に一緒に買い物に行ったアレか! いや、すまないな…… ディックと二人で買い物当番だったから久しぶりに腕を組める喜びが大きすぎて他の事など全く何も覚えていなかったんだ」
 
「そ、そうなんだね。喜んでもらえて何よりなんだけど…… 出来れば、次回はちょっと覚えていて欲しいかな」

「フフッ、善処するよ」

「貴様ら! 何こっちをガン無視して二人だけの空気作り始めとんじゃ!」

 司令官の事は心底ムカついて大っ嫌いだけど、今だけは「よく割り込んだ」と言ってやりたい。
 
 やっぱりこの二人ってそういう関係なのかなあ…… でもディックの反応を見てると受け身の姿勢と言うか一歩引いている様に見えなくもない……。
 
 どうにかして確かめるチャンスが欲しいけど、今割り込もうとすると怒りのアリスの矛先をこちらい向けてしまう恐れがあるからちょっと無理……。
 
「はぁ…… 君さあ、僕とディックの間に割り込むとか何様のつもりなんだい? あまりふざけていると寿命を余計に縮める事になるよ? ――そういえば、君に聞いていなかったけど、何故ディックを襲ったのか理由をいいたまえ」

「そいつは()()()だ。本来の目的はそいつの後ろにいる女だ」

「ついでだと? 僕のディックをついで扱いしたのか? キミィ…… そんなに早死したいのか! そうか、そんなにお望みならば今死ぬか」

 違ああああう! そうじゃないでしょ! 突っ込むところはそこじゃない! 彼はウチに巻き込まれただけ! いえ、ウチを…… ウチなんかを助けてくれようとした『王子様』なの。
 
「す、すみません! すみません、すみません! そこに倒れている女が目的でしたが、間に割り込んだ方が美しかったために欲情してしまいましたぁ!」
 
 アリスの間近から殺意を受けて司令官もプライドも何もなくなってきたわね。アリスも満足げにニンマリしている。
 
「そうだよなあ? 美しいだろう、僕のディックは! フフ、君は実に見る目があるね。よろしい、君の処刑はしばし延期するとしよう」

 処刑することは変更されないんだ…… それにしてもなんて感情が忙しい女なんだろうか。一緒にいると絶対疲れるし友人になりたくないタイプ……。
 
「では、次は君だ。ディックの後ろに隠れている女…… そう、キミだよ。どうやらこの状況の原因はキミの存在のようだが本人から説明してもらえるかな?」

 とうとうウチの番になってしまった。アリスの視線がウチを捉える。ウチはその視線とバッチリ目があってしまった……。
 
 目が合っただけなのに明確に死をイメージさせる目の奥にあるどす黒い何かがウチの中に入ってきた。身体が動かない、震えが止まらない、息苦しい…… 同じ人間と目が合ってるだけとは思えない…… なんなの、()()は……。
 
「ヒッ! ウチ…… いえ、私は…… その」
 
「アリス!」

 ディックの割り込みに「ハッ!」と我に返る。この状態が続いていたら間違いなくウチも同僚達と同じ様に昏倒していたと思う。
 
 ディックはウチの怯えた表情を確認すると「僕から説明しますから落ち着いて頂いて平気ですよ」なんて言ってくる。だからその顔は反則だってば……。
 
「僕が倉庫に入って来た時にこの女性が襲われていたところだったんだ。だからとぼけたフリをして近づいて間に割って入ったところにアリスが入って来た感じだね」

 アリスは先程の死の目線とは違って品定めする様にウチを見だした後、ディックに視線を移して呆れた様に頭を抱えていた。
 
「ディック…… 君はまたやらかしたのかい?」

「えっ? どういうこと?」

「だから、君はこういった事件にホイホイ自分から首を突っ込んだ挙句、彼女の様な『被害者』を増やす事になるんだ。気をつけたまえよ」

「僕が首を突っ込んだら被害者を増やす? いや、違うよ! 彼女が被害にあっていたから助けようとしただけで……」

「いや、そうじゃないんだ。ああああ! もう! ディックはどきたまえ、僕が彼女と話をする」

 アリスはウチの目の前までやってきた。しゃがんで顔を近づけてきて、ウチにだけ聞こえる様に話しかけて来た。
 
「いいかい? ディックはこういう男なんだ。だから勘違いしてはいけないよ。彼は無自覚に老若男女問わず人を助ける癖があるんだ。君に思うところがあって助けた訳ではない事を覚えておくんだ」

 あー、『被害者』ってそういう意味なんだ。男女関係の機微が疎いウチですらこのザマだから、思春期真っ只中の女の子相手にこれをやらかしたら舞い上がっちゃうよねえ。アリスの懸念も最もだ。
 
 それでも…… ウチにそういった視線を向けてこないのも彼しかいないから…… 可能性は薄くてもかけてみたい。
 
「あの…… 貴方達は付き合ってたりするんですか? 恋人だったりしますか?」

 アリスは今日一番の満面の笑みを私に向けてくる。
 
「やっぱりそう見えるかい? いやあ、君は見る目があるなあ! ディック、僕達は周りから見ると恋人同士にしか見えないらしいよ。これはもう夫婦と言っても過言ではないよね?」

 いや、断じてそこまでは言っていないが、ディックは顔を真っ赤にしながら顔を手で隠してモジモジしている。
 
「いや、ちがっ! そっ、そういう関係じゃないから! 幼馴染なんです! 家族の様な…… そんな感じなんです。僕にお嫁さんとか早すぎるよぉ……」

 今の所はアリスの一方通行でしかない。であれば、まだ付け入るスキは残っていそう。ディックにウチの女の部分を意識させれば望みは繋がるかもしれないなんて考えてたらディックに話しかけられてしまった。
 
「あの、お姉さん…… そもそもなんで襲われてたんですか? なんか理由とかあったりします?」

「へあっ? ご、ごめんなさい! 考え事をしていたもので聞いてませんでした。もう一度お願いします」
 
 あっぶな、疚しい事を考えている最中に話しかけられたもんだから心臓が口から飛び出るかと思ってしまった。

「この人たちに襲われていた理由を聞きたいんですけど、話したくないから無理に聞き出したりはしません」

「大丈夫ですよ。それは――」

 ウチが商会の裏にある暗殺部隊に所属している事、司令官との出会いから上司に呼び出しを受けて、出された条件を跳ね除けてここまで呼び出された経緯を二人に話した。
 
「――チッ、クズが。表向きはどれだけ堅実な商売をしていようが、裏でこんな真似をしている様であればやはりお仕置きが必要だね。マリー達に連絡をとろう」

 アリスは上着の胸ポケットから手のひらに収まるサイズの四角い箱の様な物を耳に当てていた。
 
「あぁ、マリーかい? 僕だ。ちょっと相談があるんだが――」

 え? まさかあれ遠隔通信魔道具? そんな馬鹿な! この間ウチの商会から発売された通信魔道具だって背中に受信機を背負うサイズで重量も相まって売れ行きが滅茶苦茶悪いのに…… そんな大きさで通信できるの? うそでしょ? どこでそんなものを……。
 
 そんなものがあったらもっと仕事やりやすくなるのになんて考えていたらアリスの通話が丁度終わっていたようだった。
 
「マリーも以前からあの商会については胡散臭さを感じていたらしくて独自に調査していたらしい。君が言っていた暗殺部隊以外にもこの国で禁止となっている『奴隷売買』、『禁止薬物の製造、販売』に加えて『競合他社への圧力に脅迫』も日常的にやっているみたいだね。全く…… 犯罪の総合商会でもあったわけだ。扱わない商品が無いに加えて行っていない犯罪も無いくらいに清々しい程の商売スタンスだね」

 最新の技術でも足元に及ばない程の魔道具を独自に開発し、調査能力も国家レベルを簡単に超えていく……。そして本人の魔法使いとしての力量は宮廷魔導士を全員まとめて片手で秒殺するとも聞いた事がある。
 
 それが――『異端魔女 マリー』
 
 噂には聞いていたけど、実際目の当たりにすると噂以上だわ。
 
「マリー達とはギルガリーザ商会本部前で待ち合わせする事になったよ。君はどうする?」
 
 ウチ? ウチは…… やっぱり我慢ならない。散々商会の為に尽くしてきたのに、ぽっと出のオッサンにウチを売るような真似を許す幹部陣をぶん殴って辞表を叩きつけてやらないと気が済まない。
 
「ウチも連れて行ってください」
 
「念のために言っておくが、最悪の場合は今日で商会の終焉を迎えるかもしれない。その現場に居合わせる覚悟は出来ているかい?」

「勿論です。むしろ商会長の顔面に辞表を叩きつけやらないと気が済みません」

「へぇ、いい覚悟だ。ならば付いてくるといい」

「じゃあ、あの人も連れていく? なら担いでいかないとね」

 ディックが指していたのは司令官だった。まあ、当事者だしね。どうせ自分に都合のいい言い訳をするんだろうけど、その辺りはきっと彼女たちがなんとかしてくれるのだろうと思ってる。
 
「全員連れて行くよ。ただ、ディックは彼らに触れてはいけないよ。僕のディックに彼らの体液で汚されるかもしれないんだからね。方法もちゃんと考えてあるさ」

 そう言うとアリスは魔法の詠唱を始めた。すると、同僚と司令官の全員の身体が宙に浮き始めた。
 
「これは……?」

「重力魔法の応用だよ。荷物運びにも使えると考えれば中々使い勝手のいい魔法だと思わないかい?」

「やっぱりアリスは凄いや。僕ももっと頑張らないと」

「いやいや、ディックにはもっと大事な役割があるだろう? 僕をお姫様抱っこしてベッドまで連れて行って朝まで愛し合うという大事な役割がね」

「ちょっ、ア、アリス?」

 うーん、やっぱりこの人達に任せて大丈夫か不安になって来た。
「ディック、この道で合ってるのかい?」

「うん、後はここを進めばギルガリーザ商会本部が見えて来るよ」

 アリスが先頭になって気絶している司令官と同僚達を空中にぷかぷか浮かばせながら運搬して歩いていくと、その存在に気付いた人達は勝手に道を開けていく。
 
 異様な光景に驚いて道を開けているのか、アリスに本能から恐怖しているのか判らないけど、真後ろから見ていると勝手に道が開かれていくので、とても気分がいい。
 
 そんな王様気分も束の間、気がついたら商会本部の目の前まで来てしまった。
 
 入口の前には三人の女性がこちらを見ていた。
 
 一人目は小柄で白衣を纏っており、眼鏡をかけている。目つきは鋭く気が強そうな女の子。研究者のコスプレをした…… 杖を所持している所から魔法使いなんだろうか? パッと見た感じは一番年下の様だけど、一番態度は大きく見える。
 
 二人目はウェーブの掛かった金髪女性で修道服を羽織っている。色っぽい顔つきだけでなくおっぱいが滅茶苦茶でかい。ウチもそれなりに自信があるけど、間違いなくウチよりでかい。職業はシスターかな?
 
 三人目は健康そうな褐色肌の女性で笑顔が眩しい。随分と軽装の様だけど、立ち振る舞いから剣士だと思われる。スピードで翻弄するタイプなんだろうか。にしてもおっぱいが結構大きい。金髪女性程ではないがウチと同レベルか。
 
 あれ……? この組み合わせってたしか…… と思っていたらアリスが三人に話しかけていた。
 
「君達の方が先についていたんだね。待たせてすまないな」

 やっぱりディック達のパーティーメンバーだったんだ。小柄な少女がこちらに近づいてくる。

「私達もつい先ほど到着したばかりだから気にしなくていいわ。えっと…… その宙ぶらりんになっている連中がディックに粗相したお馬鹿さん達かしら?」
 
「あぁ、この場で見せしめに公開処刑を何度してもズタズタに切り裂いても四肢を捥いで眼球を刳り貫いて鼻と耳をそぎ落としても尚足りない程に罪深い連中さ」
 
 こっわ…… 何言ってんの? この人…… 暗殺者のウチよりえぐい事を平気で口にするこの人は相変わらずヤバすぎるでしょ。
 
 うわっ、しかもまたあの闇よりも暗い目が垣間見えたのでウチは速攻で目を逸らした。感情でいとも簡単に左右されるとかディックが関わると病みすぎでしょ闇だけに…… なんつって。
 
 しかし小柄の少女はそんな目をしたアリスに全く気にすることなく対応している。
 
「アリス、前から言ってるけど怯える人がいるからその目は止めなさい」

 いや、怯えるどころではないが? 目を見ただけで息苦しくなって昏倒するレベルだよ? ウチらですらこれなのに一般人が食らったら昇天すること間違いなしだよ? もう少し基準を下げてあげてね。
 
 というかこの少女はアリスの視線に動じもしない…… つまりはアリスと同格の存在ということになる。
 
 恐らくこの少女こそが『異端魔女 マリー』なんだと思う。
 
 見た目は研究者の真似事をした痛い子供なんだけど、実際は世界の技術レベルをひっくり返す程の超天才児。
 
 お次はあの金髪女性……
 
「そうですか…… そうですか…… この方たちがディックに精神的苦痛を与えた罪人達ですね。ククッ…… イヒヒヒヒ…… ケヒャヒャヒャ…… アハハハハハーハハハハ…… ふう、落ち着きました。神への贄として生きたまま全身を切り刻んで差し上げましょう。指の先からじっくりと一ミリ単位で切り刻んで上げます。あなた方の苦痛の悲鳴すら神への供物となるでしょう」

 こっわ…… 何言ってんの? この人…… 情緒不安定過ぎん? アリスよりタチ悪い内容を口にしていた気がするのは気のせい? 彼女の雄叫びにも似た笑い声は背筋が凍るほどに恐ろしかった。まるで物語に登場する悪魔の様な笑い声…… ん? 悪魔?
 
 そうか、彼女の二つ名には最初「なんだこの矛盾は?」と疑問を持っていたが今ので理解したよ。周りの見る目は正しかったのだと。
 
 『神の下僕を自称する悪魔 リシェル』
 
 見た目の麗しさと本性は一致しない良い典型かもしれない。
 
 最後は褐色肌の女性は……
 
「何はともあれディックが無事でよかったよ…… クンクン…… ん? ディックさあ、昨日五時間半しか寝てないよね? ちょっと睡眠不足じゃないかな? それに肩と腰に疲労が溜まってるみたいだね、後でマッサージしてあげるよ」

 後ろからディックに抱き着いて頭の匂いを嗅いでる…… ちょっと! アンタ何やってんのよ、どきなさいよ!

「あ、ありがとう。あのさ、セリーヌ…… 周りの人も見てるし外で密着するのは出来れば控えて欲しいんだけど」

「絶対ヤダ! だって君、今日ずっとアリスと一緒だったでしょ? それにマリーから聞いたよ、ディックが荷物配達の途中で女の子を助ける為に暴漢達の間に割り込んだって? そりゃ体に疲労も溜まるよね」

「いつも思うんだけどさ、なんで僕の睡眠時間と身体の疲労具合が判るの……?」

「そんなの簡単だよー、ディックの身体の匂い――特に判りやすいのは頭皮を嗅ぐだけでなんか判るの。もしくは汗とか舐めても判るよ。ちなみに抜け毛の匂いを嗅いだら現在の居場所まで判るんだから…… 迂闊な行動しちゃダメだからね」

 こっわ…… 何言ってんの? この人…… 匂いを嗅いで睡眠時間が判る? 身体の疲労具合が判る? 抜け毛で居場所が判る? もしかして保管でもしてるの? そう考えたら背筋に悪寒が走った。一番爽やかでまともに見えたのは一瞬で、一番ヤバイ特技の持ち主だった。
 
 『破壊の化身(デストロイヤー) セリーヌ』
 
 そんな彼女だけど、ウチが聞いた話では聖剣を超える剣を保持しており、一度振るうと地図が書き換わる程の威力があるらしい。この二つ名はそこから来たとか聞いたけど、本当かは不明。ただ、あのアリスの仲間という時点で割と信憑性はある。
 
 ディックのパーティーメンバーを一歩離れたところから見ていたところ、視線を感じた。
 
 まるで隠そうともしない…… いや、隠す必要もないのかウチに対する警告と敵視の視線を送って来たリシェルが近づいてきた。
 
「貴方の事はマリーから聞いています。最初に言っておきますが、ディックは皆に優しいのです。勘違いしてはダメですよ? 貴方にだけ特別優しい訳ではありませんからね」

 その台詞を聞いたセリーヌはディックに抱き着いたまま首だけこちらに向けて笑っていた。
 
「リシェル、君は初対面の人にはそれを言わないと気が済まないの? アタシと初めて会った時も同じ事言ってたよね」

「当たり前です! セリーヌみたいな勘違い女がこれ以上増えてしまっては困ります! 貴方もいい加減にディックから離れなさい!」

「ヤダ!」

 そんな他愛もないやり取りをしていたらマリーが近づいてきて「そろそろ行くわよ」と言って商会本部に入っていった。
 
 ウチ達も遅れない様にマリーの後について行った。
 
 先に入ったマリーは受付嬢に何かを耳打ちしているようで、何を言われたのか顔面蒼白になった受付嬢が「す、すぐに確認してまいります。少々お待ちください!」と言い残して奥に入っていった。

 マリーはその様子を見て満足そうにしていたが、ディックは気になったみたいでマリーに尋ねていた。
 
「ねぇ、マリー。あの人に一体何を言ったの?」

「ディックも覚えておいた方がいいわよ、この世界の九割の出来事は情報と暴力で方が付くものよ。あの受付嬢は既婚者にも関わらず、商会の幹部と不倫関係にあるの。あぁ、別に脅したわけじゃないのよ、ただ「私はその事を知っている」という事を教えてあげただけ…… そしたらあんなに顔を真っ青にしちゃって…… フフッ、人様に言えない事はするものじゃないわね。ディックはそんな不誠実な事をしないって知ってるからね」

 ちょ、ちょ、ちょっと! 少女の口から出てはいけない単語を色々と聞いた気がするのだけど? ディックを信じてるみたいな事を言ってるけど、目はめっちゃ据わったままディックを見つめている。
 
 一番理性的に見えて、一番ヘラってのは彼女なのかもしれない。そんな重苦しい雰囲気の中、受付嬢が戻ってきて「確認が取れました。ご案内しますのでこちらへどうぞ」と受付嬢について行く。
 
 案内された先に巨大な扉…… 今日は商会の幹部が集まって会議を行っているらしい。この扉の奥に主要メンバーが全員いる訳だ…… 辞表を叩きつける準備も出来ている。
 
 そして扉は開かれる…… いざ出陣!