ある日部屋の片付けをしていると、本棚の奥、埃を被った古びた本を見付けた。
 見たことのない冊子だ。長い年月が経っているのか、日光を避けて仕舞われていたはずのそれは、少し紙が黄ばんでいた。

 この本は降り積もる埃の下で、どんな物語を眠らせていたのだろう。私は優しく起こすように、手で軽く埃を払う。

 古い紙と埃の匂いを感じながら、私はそっとページを捲り始める。その度に、隙間に入り込んだ埃が光を受けて、キラキラと宙を舞った。

 それは一人の少女が、家族や友人と共に成長していく物語だった。

 最初は白黒、少女の両親から物語は始まる。ページが進むにつれて、彼女の世界が色を帯びる演出だった。時折手書きの文字が添えられて、物語に温かみを与える。

 春の桜の下、夏休みの海水浴、秋の紅葉狩り、冬のかまくら作り。少女の何気ない日常が、特別なものとして切り取られる。

 私は時間を忘れて見入った。本の中の少女は成長し、やがて大人の女性となっていく。
 彼女は幼き日の面影を残したまま美しく育ち、ある一人の男性との出会いを経て、彼との日々を日常としていった。幼少期にあれだけ一緒に遊んだ友達の出番は、すっかりなくなっていた。

 そして辿り着いた最後のページでは、彼女が生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。
 女性と男性、二人分の手書きの文字で、新たな命の誕生を喜ぶ言葉が記されていた。

 読み終わった余韻に、私は深く息を吐く。分厚いそれは平坦で、壮大な物語だった。何せ人一人の半生が綴られていたのである。
 ドラマチックな事件があるわけでもなく、異世界に飛ばされたりするわけでもない。散りばめられた伏線が回収されるわけでもない。
 けれどそのありきたりな日常が、どれも彼女を慈しむ愛に満ちていた。私は主人公の女性へと、思いを馳せる。

「あら、懐かしい」

 不意に声が聞こえて、私はようやく顔を上げる。
 振り返ると、先程まで手元の本の中で主人公を張っていた女性の、十五年後の姿がそこにあった。


*****


 物語の主人公だった女性は、笑顔で私に近付いてきて、懐かしそうに手元の本を覗き込む。

「それ、何処にあったの?」
「本棚の奥の方」
「あらやだ、すっかり埃まみれね」
「うん……それだけの年数が経ってるってことでしょ」

 降り積もった埃の厚みの分、彼女は此処に描き切れなかった新しい物語を生きてきた。

「ふふ、そうねぇ。今じゃ写真はデータ管理だものね……便利な時代だわ」
「でも、こういうアナログなのも良かったよ」
「あら、そう?」
「うん。私のも作りたいくらい」

 私はすっかり画面の中に移行した、物語の続きを思い浮かべる。
 最後のページの赤ん坊は、今や十五年間この人生の主人公なのだ。この本には満たないまでも、そこそこの冊子にはなるだろう。
 私は記憶の欠片達を手繰り寄せて、今しがた見終えた彼女の物語と重ねた。

「じゃあ、今度一緒に作りましょうか」
「うん! これと同じ、手書きのメッセージを添えられるやつがいい」
「ふふ、そうね。お父さんにも一言書いて貰いましょう」
「書いてくれるかなー……」
「大丈夫よ。きっと懐かしくて、泣きながら書いてくれるわ」
「えー?」

 私はスカートの上に積もった埃を払い、立ち上がる。重たい冊子を、その物語の主人公だった母へと手渡した。

「……また見せてね、お母さんのアルバム」

 母は、本の中で見た幼い頃と変わらぬ笑顔で、穏やかに頷いた。