今宵は満月。
月光に照らされた鈴虫たちが合唱していたり。
時折肌を刺すような冷たい風が吹いていたり。
そんな秋の始まりの、とある日。
ひとりの男が、鈴を転がしたような鳴き声に合わせるように、身体を左右に揺らして歩いていた。
酒気を含む息を吐きながら歩みを進めるこの男。実は数刻前に好いていた女に既に旦那がいた事実を知った滑稽な奴だった。愚かなことに昨日までそれを知らずにこの男は手元に適当な女を見繕って、好いている女の気を引こうとしていたほどに救いようもない馬鹿でもある。
さらに女の腹にはやや子がいると知った男は、恥ずかしさと悔しさから無闇に酒を煽りに煽った。誰が止めても「酒を持ってこい」と騒ぎ立てるばかり。
その結果、目の焦点も合わないほどに酔い潰れた。邪魔だと店を追い出されて今に至る。
ここは京の室町。男は暗い夜道の中を提灯も持たず、眩い月の光だけを頼りに実家へ戻る道を歩んでいた。
呂律も回らなければ、足もとも定かではない。加えて酒の影響で睡魔に襲われている男は、所々でぷつんと意識が途切れることもしばしば。それでも帰るべき場所に戻っているのは、人間としての本能だろう。
そしてまた、再び瞼が自然と落ちてきて、足に力が入らなくなってきたその時。
突然一本の糸を引いたような冷風が男の脛を掠めた。冷たい、というよりかは雪を溶かした水のような痛い温度に反射的に目を瞑る。
そして、次に目を開けた瞬間。
男は声にもならない叫びを上げた。