「卒業おめでとう。遥斗」
「ああ、工藤さんもおめでとう」
ぱりっと糊の効いた制服を着た工藤さんがニコリと僕に笑いかける。
思わず見上げると薄青い空に細長い筋雲が何本も浮かんでいる。卒業式にはとてもいい天気、だと思う。校庭には早咲きの桜がこぼす白い小さな花びらが風にのって舞い散っている。
思わずため息を漏らした。
今日でこの高校も卒業だ。3年過ごした校舎は程々に懐かしく、思い出も深い。色々なことがあった、本当に。そうして僕の思い出の6割ほどは、この眼の前にいる工藤ゆかりに埋め尽くされている。
3年間ずっと同じクラスだったから。工藤さんはそれは運命だという。
そもそも工藤さんと出会ったのは中学だ。そしてその頃から僕らはクラス公認で付き合い始めた。
冷やかされることはあまりなかったけれど、なんとなく暖かく見守られているような、そんな雰囲気。
そして僕らの中学のだいたいは地元の高校に進学する。何人か、県外の進学校に進学するやつも居るけれどもそれは例外だ。だから高校に入ってもその関係はずっと続いた。
けれども高校を卒業したら後はもうバラバラだ。大部分が東京や色々の場所の大学に進学する。
だからしばらくはお別れになる。僕は進学先で就職しようと思っているから、クラスメイトと今後親しくするのはお盆や正月に規制したときくらいだろう。そう考えると、なんだか様々な感情が押し寄せてきて目の端に少し涙が溜まってきた。
そこをバンと背中が叩かれた。
「よう斎藤。この後のカラオケ行くよな!」
「あぁ、もちろん。ごめん、そんなわけで工藤さんまた」
「相変わらずノロケてんな。まあいいじゃん、お前ら同じ大学に進学するんだろ」
「ええ、そうなの。羨ましいでしょう?」
「知るかよ。お幸せにな!」
僕と工藤さんは東京の同じ大学に入学するっていう情報は既にクラス中に知れ渡っていた。
この後、男子は皆でカラオケに行くことになっている。女子は女子でどこかのカフェで女子会をするんだそうな。うちのクラスは仲がいい。だからここで工藤さんとはお別れだ。
友達とそのまま高校の正門を出る。きっともう、ここに来ることはタイムカプセルを開けるときくらいしかないんだろう。何人もと連れ立って繁華街に向かう道すがら、もうこんな風にこの道を連れ立って歩くことも、毎日聞こえていた高校のすぐ近くの商店街の呼び込みの声を聞くことも、もうないのかもしれないと思う。そうするとリアルタイムで感じているこの感覚にすら既に懐かしさを覚える。この瞬間は次々と過去になっていっている、その実感。
それほど、この今にも過ぎ去ろうとしている高校3年間というものは僕にとって濃密だった。
とはいえカラオケは何の感慨もなく終了した。それで僕は親友の健吾と一緒に一次会で離脱することにした。この3年間。もっというと中学のころからの6年間をあわせて僕の真実の味方というのはこの健吾しかいなかったんだ。
「遥斗、お疲れ様」
「ああ、本当に。ふう。なんだかもうすごく疲れたよ」
繁華街とは少し離れた喫茶店に入る。
ここに入るとホッとする。少しレトロな、およそ高校生が立ち入るとは思えない喫茶店だ。コーヒーも600円と少し高い。けれども僕の安らげる場所はずっとここくらいしかなかった。
それでもここしかなかったのだ。逃げ場は。
「健吾は東京の大学にいくんだろ? 工学部だっけ」
「ああ。寂しくなるな」
「寂しい、か。それよりなんだかホッとする気分が大きい」
「そっか。お前はそうかもな。そういえば引っ越しはすぐするのか?」
「うん、もう明日には引っ越す。それで多分もう帰ってこない気がする」
「極端だな。でもまあ仕方がないか」
「そうだね。わかってくれるのは健吾だけだ」
健吾とはだいたいが同じクラスだったけれど、部活も違う。だから学校であまり話すことはない。けれども家は近所だったから、こんな風にたまにあって話をしていた。
毎日の愚痴をいったり健吾の部活の話を聞いたり、それが随分僕の気休めになっていたような、気がする。
多分健吾がいないと僕の高校生活は結構悲惨だった予感だ。健吾がいたからなんとかなった、ような。
それで僕は引っ越しの準備はほぼ完了している。
大学が決まったらすぐに寮の契約をして、それで家具なんかはだいたい備え付けのものでなんとかなるから、あとはほそぼそとした持っていくものをダンボールに詰めて発送したのが昨日だ。
だから明日新幹線で寮について、荷物を受け取ればそれで引っ越しは完了する。それで新しい生活が始まる。
今度こそ心機一転の生活を送るんだ。
「それで、バレてないよな」
「ああ。僕が行くのが東京じゃなくて名古屋の大学だってことを知ってるのは親と担任と健吾だけだ。だからバレてない、はず」
「春休み期間はどうやってごまかすんだ?」
「親戚の家に行くといってあるから多分大丈夫だと思う。二度と会いたくないけど着拒すると大変なことになりそうだから」
「ああ、工藤ゆかりはおかしい」
その名前を聞いただけで胃が逆流して頭がくらくらした。
僕はほぼ5年半ほどの間、つまり中学高校の大部分を通して僕と工藤さんは付き合っていると思われている。けれども付き合ってなんかいないんだ、少なくとも僕の主観では。
僕は工藤さんに告白したこともされたこともない。けれどもある日、話したこともない工藤さんに突然親しげに話しかけられて、クラスメイトの大部分から生暖かい目線で見守られていることに気がついた。
それでいつのまにか僕と工藤さんは付き合っていることになっていた。
僕はつきあってないといい続けてたけれど、照れているんだろうとか付き合ってることを秘密にしたいんだろうとか色々いわれてちっとも信じてくれない。
最初は健吾ですら最初は僕と工藤さんが”付き合っていない”ことに半信半疑だった。でも強引に毎日健吾にくっついて帰っていても相変わらず僕と工藤さんが付き合っていると皆思っていることに違和感を感じて、それで工藤さんが僕とデートをしたという日が健吾の家でダラダラしていた日とかぶっていたことから”付き合ってないこと”を漸く信じてくれるようになった。
それで僕と工藤さんはデートもプレゼントの交換なんかも何もしたことがない。なのに僕と工藤さんは順調にデートを重ねていて、しかもデートの日は僕が自宅にいる時や健吾の家にいる時とか、そういう日ばかりで一緒にいた健吾以外の人間に証明なんてできやしない。それでデートの写真は僕が恥ずかしがるから見せないんだっていうことになっている。
それで工藤さんは僕からプレゼントされたというアクセサリーや小物を身に着けていて、僕は工藤さんからプレゼントをされてるけど恥ずかしくて身に付けていないことになっている。
それでも僕が付き合っていないといい続けていると、だんだん酷いやつ扱いをされるようになってきてクラスに居づらくなっていく。しかも工藤さんは恥ずかしがるのは当然だって僕をかばうんだ。
1番気持ちが悪いのは工藤さんの意図が見えないことだ。
彼女らしいふりをするだけで彼女になろうとしているとは到底思えない。
仮に本当に僕と付き合いたいのなら僕に告白でもしてくるだろうと思う。気が弱くて僕に話しかけられないというタイプでは絶対ない。なにせ教室ではまるで彼女のように僕に話しかけてくるんだから。
それにデートに誘われたこともプレゼントを貰ったこともない。もちろんあげたこともないけれど。
それで頭がおかしくなりそうな中でなんとか過ごした。けれどもそれも今日までだ。
僕は大学はずっと東京に行くと言っていて、実際に東京の大学に合格した。そして聞かれたらその学校に行くとずっと話していた。
だから多分、工藤さんも僕がその大学に行く予定だと思っているはずだ。その、工藤さんも合格している大学に。
だから明日引っ越してしまえばそれっきりのはずだ。
それで迎えた新学期。
桜が既に殆ど散ってしまった入学式。僕は数年ぶりに穏やかな春休みを過ごして入学した新しい大学の生活。
僕は配られたプリントに従って必修のクラスの扉を開けて凍りついた。
どことなく華やかだった気持ちはあっという間に失われた。
「おはよう。遥斗」
「なんで……ここに……」
「なんで? 彼女なんだから当然じゃない。それより大学までクラスが同じなんてやっぱり運命的!」
どうして、工藤さんがここにいる。何故ここで再会する。もう二度と合わないと思っていたのに。
東京の大学にいるんじゃなかったのか。
どうして。どうして。その言葉がぐるぐると僕の頭の中をめぐる。
「まさか健吾が……?」
「健吾? 大学は先生に聞いたのよ。彼女なんだから教えてくれるに決まってるじゃない」
先生に?
あんなに誰にも言わないでほしいってお願いしたのに。
それでいつのまにか、本当にあっという間にクラスの中で僕と工藤さんが付き合っているという話が広まっていく。
それはなんだかもう僕の人生が工藤さんという色で真っ暗に染め上げられていくように。
これはいつまで続くんだ?
一生?
ずっと?
誰か助けて。
了
「ああ、工藤さんもおめでとう」
ぱりっと糊の効いた制服を着た工藤さんがニコリと僕に笑いかける。
思わず見上げると薄青い空に細長い筋雲が何本も浮かんでいる。卒業式にはとてもいい天気、だと思う。校庭には早咲きの桜がこぼす白い小さな花びらが風にのって舞い散っている。
思わずため息を漏らした。
今日でこの高校も卒業だ。3年過ごした校舎は程々に懐かしく、思い出も深い。色々なことがあった、本当に。そうして僕の思い出の6割ほどは、この眼の前にいる工藤ゆかりに埋め尽くされている。
3年間ずっと同じクラスだったから。工藤さんはそれは運命だという。
そもそも工藤さんと出会ったのは中学だ。そしてその頃から僕らはクラス公認で付き合い始めた。
冷やかされることはあまりなかったけれど、なんとなく暖かく見守られているような、そんな雰囲気。
そして僕らの中学のだいたいは地元の高校に進学する。何人か、県外の進学校に進学するやつも居るけれどもそれは例外だ。だから高校に入ってもその関係はずっと続いた。
けれども高校を卒業したら後はもうバラバラだ。大部分が東京や色々の場所の大学に進学する。
だからしばらくはお別れになる。僕は進学先で就職しようと思っているから、クラスメイトと今後親しくするのはお盆や正月に規制したときくらいだろう。そう考えると、なんだか様々な感情が押し寄せてきて目の端に少し涙が溜まってきた。
そこをバンと背中が叩かれた。
「よう斎藤。この後のカラオケ行くよな!」
「あぁ、もちろん。ごめん、そんなわけで工藤さんまた」
「相変わらずノロケてんな。まあいいじゃん、お前ら同じ大学に進学するんだろ」
「ええ、そうなの。羨ましいでしょう?」
「知るかよ。お幸せにな!」
僕と工藤さんは東京の同じ大学に入学するっていう情報は既にクラス中に知れ渡っていた。
この後、男子は皆でカラオケに行くことになっている。女子は女子でどこかのカフェで女子会をするんだそうな。うちのクラスは仲がいい。だからここで工藤さんとはお別れだ。
友達とそのまま高校の正門を出る。きっともう、ここに来ることはタイムカプセルを開けるときくらいしかないんだろう。何人もと連れ立って繁華街に向かう道すがら、もうこんな風にこの道を連れ立って歩くことも、毎日聞こえていた高校のすぐ近くの商店街の呼び込みの声を聞くことも、もうないのかもしれないと思う。そうするとリアルタイムで感じているこの感覚にすら既に懐かしさを覚える。この瞬間は次々と過去になっていっている、その実感。
それほど、この今にも過ぎ去ろうとしている高校3年間というものは僕にとって濃密だった。
とはいえカラオケは何の感慨もなく終了した。それで僕は親友の健吾と一緒に一次会で離脱することにした。この3年間。もっというと中学のころからの6年間をあわせて僕の真実の味方というのはこの健吾しかいなかったんだ。
「遥斗、お疲れ様」
「ああ、本当に。ふう。なんだかもうすごく疲れたよ」
繁華街とは少し離れた喫茶店に入る。
ここに入るとホッとする。少しレトロな、およそ高校生が立ち入るとは思えない喫茶店だ。コーヒーも600円と少し高い。けれども僕の安らげる場所はずっとここくらいしかなかった。
それでもここしかなかったのだ。逃げ場は。
「健吾は東京の大学にいくんだろ? 工学部だっけ」
「ああ。寂しくなるな」
「寂しい、か。それよりなんだかホッとする気分が大きい」
「そっか。お前はそうかもな。そういえば引っ越しはすぐするのか?」
「うん、もう明日には引っ越す。それで多分もう帰ってこない気がする」
「極端だな。でもまあ仕方がないか」
「そうだね。わかってくれるのは健吾だけだ」
健吾とはだいたいが同じクラスだったけれど、部活も違う。だから学校であまり話すことはない。けれども家は近所だったから、こんな風にたまにあって話をしていた。
毎日の愚痴をいったり健吾の部活の話を聞いたり、それが随分僕の気休めになっていたような、気がする。
多分健吾がいないと僕の高校生活は結構悲惨だった予感だ。健吾がいたからなんとかなった、ような。
それで僕は引っ越しの準備はほぼ完了している。
大学が決まったらすぐに寮の契約をして、それで家具なんかはだいたい備え付けのものでなんとかなるから、あとはほそぼそとした持っていくものをダンボールに詰めて発送したのが昨日だ。
だから明日新幹線で寮について、荷物を受け取ればそれで引っ越しは完了する。それで新しい生活が始まる。
今度こそ心機一転の生活を送るんだ。
「それで、バレてないよな」
「ああ。僕が行くのが東京じゃなくて名古屋の大学だってことを知ってるのは親と担任と健吾だけだ。だからバレてない、はず」
「春休み期間はどうやってごまかすんだ?」
「親戚の家に行くといってあるから多分大丈夫だと思う。二度と会いたくないけど着拒すると大変なことになりそうだから」
「ああ、工藤ゆかりはおかしい」
その名前を聞いただけで胃が逆流して頭がくらくらした。
僕はほぼ5年半ほどの間、つまり中学高校の大部分を通して僕と工藤さんは付き合っていると思われている。けれども付き合ってなんかいないんだ、少なくとも僕の主観では。
僕は工藤さんに告白したこともされたこともない。けれどもある日、話したこともない工藤さんに突然親しげに話しかけられて、クラスメイトの大部分から生暖かい目線で見守られていることに気がついた。
それでいつのまにか僕と工藤さんは付き合っていることになっていた。
僕はつきあってないといい続けてたけれど、照れているんだろうとか付き合ってることを秘密にしたいんだろうとか色々いわれてちっとも信じてくれない。
最初は健吾ですら最初は僕と工藤さんが”付き合っていない”ことに半信半疑だった。でも強引に毎日健吾にくっついて帰っていても相変わらず僕と工藤さんが付き合っていると皆思っていることに違和感を感じて、それで工藤さんが僕とデートをしたという日が健吾の家でダラダラしていた日とかぶっていたことから”付き合ってないこと”を漸く信じてくれるようになった。
それで僕と工藤さんはデートもプレゼントの交換なんかも何もしたことがない。なのに僕と工藤さんは順調にデートを重ねていて、しかもデートの日は僕が自宅にいる時や健吾の家にいる時とか、そういう日ばかりで一緒にいた健吾以外の人間に証明なんてできやしない。それでデートの写真は僕が恥ずかしがるから見せないんだっていうことになっている。
それで工藤さんは僕からプレゼントされたというアクセサリーや小物を身に着けていて、僕は工藤さんからプレゼントをされてるけど恥ずかしくて身に付けていないことになっている。
それでも僕が付き合っていないといい続けていると、だんだん酷いやつ扱いをされるようになってきてクラスに居づらくなっていく。しかも工藤さんは恥ずかしがるのは当然だって僕をかばうんだ。
1番気持ちが悪いのは工藤さんの意図が見えないことだ。
彼女らしいふりをするだけで彼女になろうとしているとは到底思えない。
仮に本当に僕と付き合いたいのなら僕に告白でもしてくるだろうと思う。気が弱くて僕に話しかけられないというタイプでは絶対ない。なにせ教室ではまるで彼女のように僕に話しかけてくるんだから。
それにデートに誘われたこともプレゼントを貰ったこともない。もちろんあげたこともないけれど。
それで頭がおかしくなりそうな中でなんとか過ごした。けれどもそれも今日までだ。
僕は大学はずっと東京に行くと言っていて、実際に東京の大学に合格した。そして聞かれたらその学校に行くとずっと話していた。
だから多分、工藤さんも僕がその大学に行く予定だと思っているはずだ。その、工藤さんも合格している大学に。
だから明日引っ越してしまえばそれっきりのはずだ。
それで迎えた新学期。
桜が既に殆ど散ってしまった入学式。僕は数年ぶりに穏やかな春休みを過ごして入学した新しい大学の生活。
僕は配られたプリントに従って必修のクラスの扉を開けて凍りついた。
どことなく華やかだった気持ちはあっという間に失われた。
「おはよう。遥斗」
「なんで……ここに……」
「なんで? 彼女なんだから当然じゃない。それより大学までクラスが同じなんてやっぱり運命的!」
どうして、工藤さんがここにいる。何故ここで再会する。もう二度と合わないと思っていたのに。
東京の大学にいるんじゃなかったのか。
どうして。どうして。その言葉がぐるぐると僕の頭の中をめぐる。
「まさか健吾が……?」
「健吾? 大学は先生に聞いたのよ。彼女なんだから教えてくれるに決まってるじゃない」
先生に?
あんなに誰にも言わないでほしいってお願いしたのに。
それでいつのまにか、本当にあっという間にクラスの中で僕と工藤さんが付き合っているという話が広まっていく。
それはなんだかもう僕の人生が工藤さんという色で真っ暗に染め上げられていくように。
これはいつまで続くんだ?
一生?
ずっと?
誰か助けて。
了