窓ガラスがガタガタと揺れている。風が強くなり、3月の雨は嵐の様相を呈していた。

「う……」

 編集会議。その四文字が琴那の口からこぼれたことで、俺は肺を押し潰されそうな感覚を覚えた。
 毎年11月に文創は、全員の作品を載せた機関誌を発行する。去年の夏休み、その編集会議の場で、俺は問題を起こし、そしてサークルを脱退することになった。
 以来、今日まで俺は文創のメンバーと会っていない。今日コイツが押しかけてこなければ、生涯会わないはずだった。

「こんな低いレベルじゃ、本になんて出来ない。そうアンタは言ったよね?」
「……」

 突きつけられた事実に、俺は無言の返答をするしかない。

「このままじゃ、歴代文創の恥さらしだ、なんてことも言ってたっけ」
「……」
 
 琴那の言葉は、すべて事実だ。
 俺はあの日、それらの言葉を同期のメンバーに投げつけた。
 
「そんなこと言った人に、先輩たちの肩を持つ資格があるとでも?」

 琴那がそう言った瞬間、俺の中で何かに火が付いた。

「……お前さあ、いい加減にしろよ」

 コイツにだけは言われたくない。コイツにあの事を非難されるのは我慢ならない。

「そういうの全部、お前のせいだろうが?」
「アタシの?」
「ああ、そうだよ。お前が訳の分からねえ飲み会やらレクリエーションやら。みんなの書く時間なにもかも奪って……サークル全体のレベルが下げてよ。堕落させやがって、俺は……!」

 負の感情が脳から直接、口の外に飛び出してくるような感覚だった。文章として成り立っていない。俺の感情そのままに言葉断片だけがから出てくる。

「ふーん、見解の相違がありそうだね?」
「なんだと?」
「アタシに言わせりゃ、最初から文創はレベル低かったよ。それをアタシのせいにされるのは心外かな」

 反撃の言葉が出てこない。こいつの言葉に同意してるからじゃない。呆れてるからだ。どの口が言うんだ、本当に。

「……少なくとも、俺たちが二年生のころまでは、みんな真面目に創作に取り組んでいたはずだ」
「本当にそう思ってる?」

 初期露川を知らない先輩、メモ癖を呆れた目で見るメンバーたち。確かに思うところがないわけじゃない。それでも。

「それでも、みんな書いていた。それだけでも、今とはまるで違う」
「書くだけなら個人だってできる。サークルでやるのは刺激を与えあうためじゃない? アンタはそう思ったことないの? 例えば露川世代のようにさ」

 露川世代……。
 ああ、そうだ。何もかも琴那の言うとおりだ。あのバックナンバーを読んで以来、露川祠が在籍していた時代の文創が俺の理想だった。だからこそ俺は、あの3人のように文創を去らず、どうにかしてあの頃の文創に近づこうとあがいていた。

「アタシさ、アンタが一年の頃から文創を変えようとしていた事は知ってたよ。先輩や同期にオススメの小説の話をしたり、それとなく相手の作品のアドバイスをしようとしたり」
「よく見てたんだな……」
「当然でしょ。彼氏、だったんだから」
「彼氏、ね」

 その言葉に、不意に不安が込み上げてきた。一年生の夏に告白されて以降、俺なりにコイツのことを想ってきたつもりだった。
 けど、10ヶ月後に別れを告げられて以降、コイツの行動は不可解なものばかりだった。一体俺はどれだけ、コイツのことを理解してあげられたのだろう?
 
「それにさ、アタシ観察は得意なの。アンタや祠ちゃんみたいなメモ魔にはなれなかったけど、それには自信がある。だから人の行動の裏にどんな望みがあるのか、ある程度理解できるつもり」
「望んでいること、ねえ」

 あの時、琴那は何を望んでいたんだろう。俺に、そして文創に……。
 
「そういう点では匠は落第だよね。頑張ってたのはわかるけど、相手が望んでいないことばかり押し付けていた。だったから何も変えられなかった。それどころか次第に、みんなとアンタの距離は開いていった」

 まったく、その通りだ。反論のしようがない。少しずつでも文創を変えていきたかった。けどその思いが空回りし続けていた。

「で、その挙句が夏の編集会議ってわけ」

 就活もひと段落して、四年生は書く時間が増えたはずだ。そして三年生もまだ自由に使える時間が潤沢な季節だった。なのに誰も動こうとしなかった。まだ真面目に書いていたころに過去作を適当に選んで、それ掲載すればいい。そんなことを本気で考えてる奴もいた。

 事ここに至って、俺は焦っていた。このままだと本当に最低な機関誌になる。文創数十年の歴史の中で汚点となるような本になってしまう。よりもよって俺の代の本が、露川世代と対極にあるような駄作になってしまう。
 だから強めの言葉を使った。「こんな低いレベルじゃ、本になんて出来ない」「歴代文創の恥さらしだ」
 全部、今コイツが言ったとおりだった。そのくらいわないと届かない、もうそういうところまで来ていると思っていた。

 結果、俺は編集委員を外された。機関誌に俺の作品を載せる場所は無い。そう宣告もされた。

 事実上、俺は創文をクビになった。
 
「結局、アンタは4年間独り相撲を取り続けてたってわけ」
「きっかけが、きっかけさえあれば変わると思っていたんだ。少なくともみんな、創作に対する熱はあった……」

 そう答える自分の声の、あまりの力のなさに驚いた。ふるえ、かすれ、ひどく弱々しい音だ。
 
「きっかけ? シェヘラザードのファイナリストじゃ不十分だったのかな?」
「そのファイナリストが率先して書かなくなったんだ。そういう意味では、みんな変わったよな?」

 やりきれない気持ちをどうにかしたくて、俺は渾身の皮肉を琴那にぶつけた。けど、コイツは全く動じた様子も見せない。

「ふぅん。堕落、ねー」

 つい今しがたまで琴那の目に宿っていた怒気のようなものは消えていた。そこに代わりに入ったようなものもなく、琴那はその空虚な視線を天井へ向け、そのまま黙ってしまった。

「……なぁ琴那。なぜだ? お前、昔はマジではすごかったじゃん。何で急に書くのをやめた? なんで急に文創を潰す側になった?」
「だからー、それは見解の相違だって」

 琴那はちょっとうんざりしたような声音で答える。顔は天井に向けたままだ。

「あいつらは最初っからクズだった。匠にそれが見えてなかっただけ」
「なら、そう思った理由を教えてくれよ! 何があったんだ?」

 俺と別れた直後からの変貌。あのサークル破壊の引き金になったのは俺なのか?
 そう考えたこともあった。辻褄も合う。元彼への当てつけで、俺が大切に思っていたものを破壊する。考えられない話じゃない。けど、あまりに不愉快な推測になるのでこれまでは、深く考えるのを避けてきた。
 けど、それ以外の何かがあったんじゃないか?
 琴那の話ぶりから、俺はそんなことを考え始めていた。

「ふう……」

 琴那は深いため息をつく。それから十秒程度の沈黙。その後ようやく視線を水平に戻し、俺の顔を見てきた。

「何があったか、ね。いいよ。答えても」

 黒く、大きな瞳には異様な光が宿り、それが俺の目を貫いていた。

「その代わり、全部受け止めなさいよ?」