琴那か連絡してきたコンビニはうちから歩いて徒歩5分のところにある。この4年間、一番お世話になった店だ。
お天気アプリによれば、このあと雨は激しくなっていくという。さっさと合流して、さっさとアパートに戻ろう。
角を曲がると煌々と輝くコンビニの看板と、店内灯の光が目に入る。その前にポツンと佇む影がひとつ浮かび上がっていた。
「あー匠ー、おつかれー」
琴那はやたらニコニコした顔で俺を出迎えた。片手のコンビニ袋からはビールとストロング系の缶酎ハイ、それに乾き物やスナック菓子のパッケージが覗いている。
あの後、着替えだけは買っておいてくれとLINEを送ったけど、購入したのはそれだけじゃないらしい。
「お前、飲む気満々かよ……」
「あ、お金は気にしなくていいよ。泊めてくれるお礼で奢ったげる」
「いや、そうじゃなくて……」
白いプラ袋は、店でもらえる一番大きいサイズだ。相当買い込んでいる。
「そのお金あったらタクシーで帰れたろ?」
「あー、まーねー。でもこれで、持ち合わせなくなっちゃったから、今日はよろしくー」
琴那は俺のビニール傘に入ってきた。
「いや、お前の傘持ってきてるから」
閉じたままの傘を差しだす。琴那はそれを受け取るが、俺の横から離れようとはしなかった。
「おい」
「いいじゃん。寒いからさ、久しぶりにくっついて歩いてこ?」
「……」
これだよ。
気さくでノリのいい会話と、過剰なスキンシップ。それは、女子も男子も、先輩も後輩も関係なく、誰に対して同じだ。接している方はまるで親友、あるいはそれ以上の関係のように錯覚してしまう。
俺がコイツと付き合ったのも、もしかしたらこのぶっ壊れた距離感のせいだったのかもしれない。
そしてコイツは、この人懐っこさを使って、文芸創作愛好会を潰してしまった。
いわゆるサークルクラッシャーではない。複数の男メンバーと恋仲になってサークル内に亀裂を生むようなことをやっていたわけではない。むしろその逆で、琴那がいることで文創会は強い絆で結ばれた。そう考えることもできた。
ただひとり、俺を除いて。
「……そんな訳で、ヨリちゃん。正式にシュンスケと付き合うことにしたみたい。お似合いだよねー」
「ああ、そうかもな」
家までの道中、琴那はサークルメンバーの恋バナを聞かせてくる。去年の夏以来、会っていない奴ら。そしてこれから先も会うこともない奴らの関係。どうなろうと知ったことではない。なのにコイツはお構いなしだ。
いつもこんな感じだった。常にこいつが部の中心にいて、部内の人間関係を取り持ってきた。サークラとは真逆の存在だ。
なら、こいつが破壊したものはなんなのか? それは人間関係以外の全てだ。
俺が所属していた文芸創作愛好会は、うちの大学にいくつかある文芸サークルの中でも歴史ある会だ。
ン十年の歴史の中で、何人かプロの小説家が輩出されている。その中には、露川祠のような人気作家もいた。ファンタジー長編が昨年アニメ映画にもなった、現代エンタメ作家のトップランナーだ。
けどその栄光ある文芸創作同好会の歴史も、今や昔の物語。ここ十数年は、卒業生を含めてもプロデビューしたメンバーはいない。
そんな低迷状態に決定打を与えたのがこの女だ。
俺たちが付き合っていたのは、一年生の夏休みからの10か月程度。梅雨に入る頃に関係の解消を告げられ「良い友達」に戻らされた。
その直後から、文創をおかしくなり始める。当時、文創はどうにか文芸サークルの体をなしていた。が、琴那がそれすらも壊してしまった。
「創作論を語り合う会、やらない? 定期的にさ!」
最初はそんなことを提案してきたんだと記憶している。折しもコロナ禍によるステイホームの風潮で、飲み会が行われなくなった頃だ。文創メンバーはその会を口実にリモートで集まり、酒を飲むようになった。
が、その活動名とは裏腹に、居酒屋で創作論が語られることは一度もない。
自粛ムードが和らいだ後も、やれ飲み会やれBBQやれゲーム大会と、皆がキーボードに向かう時間が消費されていく。何もイベントがない日さえも、LINEやらZOOMやらでダラダラと雑談する時間が増えていく。それらの全ての中心に、琴那がいた。
結果、俺が四年生になる頃には、文創会はどこにでもあるただの飲みサークルへと成り果てていた。
突然の彼女の変貌に、もちろん俺は戸惑った。けどコイツはそんなことお構いなしで、俺の言葉なんて聞き耳も持たなかった。
こうして俺は二年生の時、大切だったふたつのもの、恋人と文芸創作同好会を失った。
「いやー、匠が引っ越してなくてよかったよー。雨に降られて途方に暮れてたときに、思い出してさー! そういえば近くじゃーんって」
「で、なんでこんな所にいたんだよ? この辺に住んでるわけでもないのに」
「それは、さ。まー、色々ありましてー」
「……ああ、男か。喧嘩して追い出されたとか?」
「お前さー!それ元彼のセリフじゃねーよー! そういう所にズバズバ切り込むんじゃねーよー!」
怒り口調とは裏腹にニコニコ顔の琴那。俺は思わず追撃を仕掛けてしまう。
「図星か?」
「ちーがーうー。違いますー!」
そう言いながら俺の肩をバシバシ叩いてくる。どういう訳か、それが全く嫌な感じがしない。
俺を振った女だ。サークルを滅茶苦茶にした女だ。俺は間違いなくコイツに、恨みや嫌悪感を抱いているはずだ。
なのにこうして話していると、暗い感情が驚くほど消えてしまう。砕けた口調に引っ張られて軽口を叩き、過剰なスキンシップを心地よく思い、いつの間にか二人で笑っている。あの頃の俺に戻ってしまう。
まさしく魔性だ。
志や趣味嗜好を等しくしていた俺たちに違うところがあるとすれば、それはこのコミュ力だった。まるで重力のように人を惹きつけて離さない対人スキル。文創はコイツがもつ、この奇妙な引力に引っ張られて、自壊してしまったのだ。
お天気アプリによれば、このあと雨は激しくなっていくという。さっさと合流して、さっさとアパートに戻ろう。
角を曲がると煌々と輝くコンビニの看板と、店内灯の光が目に入る。その前にポツンと佇む影がひとつ浮かび上がっていた。
「あー匠ー、おつかれー」
琴那はやたらニコニコした顔で俺を出迎えた。片手のコンビニ袋からはビールとストロング系の缶酎ハイ、それに乾き物やスナック菓子のパッケージが覗いている。
あの後、着替えだけは買っておいてくれとLINEを送ったけど、購入したのはそれだけじゃないらしい。
「お前、飲む気満々かよ……」
「あ、お金は気にしなくていいよ。泊めてくれるお礼で奢ったげる」
「いや、そうじゃなくて……」
白いプラ袋は、店でもらえる一番大きいサイズだ。相当買い込んでいる。
「そのお金あったらタクシーで帰れたろ?」
「あー、まーねー。でもこれで、持ち合わせなくなっちゃったから、今日はよろしくー」
琴那は俺のビニール傘に入ってきた。
「いや、お前の傘持ってきてるから」
閉じたままの傘を差しだす。琴那はそれを受け取るが、俺の横から離れようとはしなかった。
「おい」
「いいじゃん。寒いからさ、久しぶりにくっついて歩いてこ?」
「……」
これだよ。
気さくでノリのいい会話と、過剰なスキンシップ。それは、女子も男子も、先輩も後輩も関係なく、誰に対して同じだ。接している方はまるで親友、あるいはそれ以上の関係のように錯覚してしまう。
俺がコイツと付き合ったのも、もしかしたらこのぶっ壊れた距離感のせいだったのかもしれない。
そしてコイツは、この人懐っこさを使って、文芸創作愛好会を潰してしまった。
いわゆるサークルクラッシャーではない。複数の男メンバーと恋仲になってサークル内に亀裂を生むようなことをやっていたわけではない。むしろその逆で、琴那がいることで文創会は強い絆で結ばれた。そう考えることもできた。
ただひとり、俺を除いて。
「……そんな訳で、ヨリちゃん。正式にシュンスケと付き合うことにしたみたい。お似合いだよねー」
「ああ、そうかもな」
家までの道中、琴那はサークルメンバーの恋バナを聞かせてくる。去年の夏以来、会っていない奴ら。そしてこれから先も会うこともない奴らの関係。どうなろうと知ったことではない。なのにコイツはお構いなしだ。
いつもこんな感じだった。常にこいつが部の中心にいて、部内の人間関係を取り持ってきた。サークラとは真逆の存在だ。
なら、こいつが破壊したものはなんなのか? それは人間関係以外の全てだ。
俺が所属していた文芸創作愛好会は、うちの大学にいくつかある文芸サークルの中でも歴史ある会だ。
ン十年の歴史の中で、何人かプロの小説家が輩出されている。その中には、露川祠のような人気作家もいた。ファンタジー長編が昨年アニメ映画にもなった、現代エンタメ作家のトップランナーだ。
けどその栄光ある文芸創作同好会の歴史も、今や昔の物語。ここ十数年は、卒業生を含めてもプロデビューしたメンバーはいない。
そんな低迷状態に決定打を与えたのがこの女だ。
俺たちが付き合っていたのは、一年生の夏休みからの10か月程度。梅雨に入る頃に関係の解消を告げられ「良い友達」に戻らされた。
その直後から、文創をおかしくなり始める。当時、文創はどうにか文芸サークルの体をなしていた。が、琴那がそれすらも壊してしまった。
「創作論を語り合う会、やらない? 定期的にさ!」
最初はそんなことを提案してきたんだと記憶している。折しもコロナ禍によるステイホームの風潮で、飲み会が行われなくなった頃だ。文創メンバーはその会を口実にリモートで集まり、酒を飲むようになった。
が、その活動名とは裏腹に、居酒屋で創作論が語られることは一度もない。
自粛ムードが和らいだ後も、やれ飲み会やれBBQやれゲーム大会と、皆がキーボードに向かう時間が消費されていく。何もイベントがない日さえも、LINEやらZOOMやらでダラダラと雑談する時間が増えていく。それらの全ての中心に、琴那がいた。
結果、俺が四年生になる頃には、文創会はどこにでもあるただの飲みサークルへと成り果てていた。
突然の彼女の変貌に、もちろん俺は戸惑った。けどコイツはそんなことお構いなしで、俺の言葉なんて聞き耳も持たなかった。
こうして俺は二年生の時、大切だったふたつのもの、恋人と文芸創作同好会を失った。
「いやー、匠が引っ越してなくてよかったよー。雨に降られて途方に暮れてたときに、思い出してさー! そういえば近くじゃーんって」
「で、なんでこんな所にいたんだよ? この辺に住んでるわけでもないのに」
「それは、さ。まー、色々ありましてー」
「……ああ、男か。喧嘩して追い出されたとか?」
「お前さー!それ元彼のセリフじゃねーよー! そういう所にズバズバ切り込むんじゃねーよー!」
怒り口調とは裏腹にニコニコ顔の琴那。俺は思わず追撃を仕掛けてしまう。
「図星か?」
「ちーがーうー。違いますー!」
そう言いながら俺の肩をバシバシ叩いてくる。どういう訳か、それが全く嫌な感じがしない。
俺を振った女だ。サークルを滅茶苦茶にした女だ。俺は間違いなくコイツに、恨みや嫌悪感を抱いているはずだ。
なのにこうして話していると、暗い感情が驚くほど消えてしまう。砕けた口調に引っ張られて軽口を叩き、過剰なスキンシップを心地よく思い、いつの間にか二人で笑っている。あの頃の俺に戻ってしまう。
まさしく魔性だ。
志や趣味嗜好を等しくしていた俺たちに違うところがあるとすれば、それはこのコミュ力だった。まるで重力のように人を惹きつけて離さない対人スキル。文創はコイツがもつ、この奇妙な引力に引っ張られて、自壊してしまったのだ。