「誰がわざわざそんなことを……」
「うわんを従える人の仕業だろうね」
ちゅう秋の言葉に、僕は振り返る。彼は犯人を既に知っているかのようだった。
「うわんって、さっき言ってた犬の妖怪だよな? そんなの、普通の人間が従えられる訳が…」
「出来る人間は結構いるんだ」
残念だけど、と続けるちゅう秋は、苦虫を噛み潰したような表情でこちらを見つめる。どうしてそんな顔をするのかと問えば、彼は苦笑いをした。誤魔化すようなその仕草に違和感を覚えたが、それを問うことは出来なかった。
ちゅう秋は、小さく咳払いをするとぐるりと僕たちを見回す。
「みんなは知っているかい? “lake's Jumping fish☆”の話」
「らいく……?」
「“lake's Jumping fish☆”。ちょっとした御伽噺さ」
ちゅう秋はそう言うとゆっくりと僕たちを見回し、話し始めた。

──かつて、百年に一度の満月の夜に湖水へと住処を移すため、飛び魚たちが冒険へと出たことがあったそうな。
彼らが冒険をしに出た日はとてつもない満潮で、隣接した湖と海がつながるほど潮が上がっていたのだとか。しかし、彼らの冒険は前途多難だった。速い潮の流れ、飛魚たちを襲う巨大魚の出現、群れ同士での足の引っ張り合い。そんな壁がいくつもいくつも立ちはだかる。しかし、終ぞ彼らは湖水へとたどり着くことは出来なかった。
それから更に百年。海からの度重なる潮に砕かれた湖水との壁により、彼らは海路を得る事が出来た。湖水で育った翔び魚たちの子孫は、喜び勇んで先祖の産まれた海に帰る。海に宿った魚たちの帰巣本能が今、呼び覚まされるのだ。
この話は、そんな湖水の翔び魚を前世に持つ女子高生のお話である。現代は湖水ふちの陸に暮らす女子高生は、毎晩夢見る水面(ほしぞら)に想いを馳せる日々を送っていた。誘われた彼女は、来世は湖水に帰る事を願った。そっと静かに。
彼女は思い出す。毎晩絶え間なく翔んだ、水面(ほしぞら)を。友人と、親と、子と、恋人と。上にも下にも広がる星空を、私たちは本能の赴くままに翔ぶ。それがどんなに気持ちよかったか。彼女は思い出す。翔ぶひれの長い小魚たちは、とても美しかったと。
だが今はもう、水面を翔ぶ事は出来ない。陸の生き物と生まれ変わった私を、大切な仲間たちみんなは置いて言ってしまう。私は独りぼっちだった。
あの煌めきに溢れた水面(ほしぞら)を翔ぶ美しい仲間たちを、私はもう見ることは出来ないのだろう。悲しみに一人、打ちひしがれる人魚は、静かに空を見上げる。暗い空には大きな満月だけが輝いていた。