(どうして、ここに……)
来るなんて一言も言っていなかったのに。少年はそう呟いて後退る。――見慣れたとも、見慣れないとも言えないその姿は、彼の母だった。随分と見なくなった背中は、以前に見たものと変わらない姿で立っている。細い背中はボディガードの男が付いて回り、幸いにもこちらに気づいている様子はない。
(……こんなところでパーティーに出てるくらいなら、家に帰って自分の子供に顔を見せてやれよ)
ぐっと握った手で、溢れそうになった感情を抑える。子供なんてアクセサリー程度にしか思っていない事は既にわかりきっているものの、やはり言いたいことは募っているわけで。
ふと脳裏を横切る彼女の過去。仕事仕事、仕事。その合間にある知らない人間たちの会食やパーティーは、もう見慣れたものだ。――ひどい母親だと言えたら、どれだけよかったのか。時折見える、父の墓石の前で泣き崩れる姿を見て少年は視線を下げた。……すでに他界している父は、彼女にとって全てだったのだろう。だから何だと思う反面、必死に自分たちを養おうと頑張っているのを知っているから、憎むに憎めない。
(こんなもの見えなければよかったのに)
そうすれば、彼女を“悪者”だと言えたのに。少年は視線を下げたまま、その場を後にする。……人の過去なんて覗いたところで、自分に有利に働くとは限らないと随分前から知っていたのに。

「……真偉?」
「その声……紀偉?」
ふと鼓膜を揺らす声に、彼女は振り返る。白い髪が月に反射してキラキラと光っている。白魚の彼女は、たどたどしく声の主を見上げた。そんな白魚の彼女を見つめる瞳は、円らで青みがかっており、呼びかけた者の整った顔を引き立たせている。
「もしかして、見えてるの?」
「う、ん……」
戸惑いがちに返事をする白魚の彼女に、紀偉と呼ばれた女性が目を見開く。驚いたような、どこか悲し気な表情は、まるで憎しみと悲しさを綯い交ぜにしたような色をしていた。
「あれ? 紀偉と真偉じゃん。どうしてここに居るの?」
「本当だわ」
「朝紀と……朝真……?」
増える声に、視線を動かす。彼女たちの後ろから出てきたのは、同じく真っ黒なワンピースを身に纏った二人の女性。白魚の彼女よりも少し低い目線の女性は、黒髪を二つに括っており、その真っすぐで美しい黒髪は目が引き込まれるほど艶やかな色をしていた。その隣に居る女性は肩までの短い髪を揺らし、カチューシャを付けている。大きなリボンは可愛らしい彼女にぴったりだった。