僕は紺色の上品なスーツに身を包んで、ネクタイを締めるちゅう秋の姿を見て頭が痛くなってくる。……気のせいか、最近頭痛を起こすことが多くなっている気がする。
(まさか図書館から拉致られるなんて……)
「はあー……」
僕は数時間前のことを思い出して、重々しいため息を吐いた。

――数刻前。折角の休日という事もあり、いつものように図書館で本でも読もうと向かった僕は、暖房の効いた暖かい部屋で読書に耽っていた。昼を越え、気が付けば夕方になりかけているのを見て、僕は本を三冊片手に図書館を後にした。夕暮れの空を見つつ、夕食は何かなと考えていれば目の前に止まる黒塗りの車。驚いている間に急ブレーキがかかり、目の前で扉が開いたかと思えば、あれよあれよの間に連れ去られてしまった。硬直している僕の隣でちゅう秋が「図書館にいると思った」と笑っているのを、僕は異様に鮮明に覚えている。どこに行くのかの説明もないまま、車は走り続け、気が付けば高級そうな場所で着せ替え人形の如く今のスーツを着させられたのだ。
「ていうかこれ、どうするんだよ? 僕お金なんて持ってないんだけど……」
「心配しなくていい。俺のおさがりだから」
「は?」
「中学の時に父に押し付けられたんだけど、俺にはいまいち合わなくてね。よかったよ、君がいてくれて」
にこりと笑みを浮かべるちゅう秋に、もう僕は何も言う事が出来なかった。
(……想像以上の事が起きると人間、反応できなくなるんだな)
苛立ちにも嫉妬にも似た感情が僅かに浮かぶが、それも何だかどうでもよくなって霧散していく。自分の知らない世界がそこに広がっているように感じたのだ。
(もう……どうにでもなれ……)
「それじゃあ、行こうか」
ちゅう秋の言葉に、飛びかけていた意識が一瞬にして戻ってくる。ハッと息を吹き返した僕は、周囲を見回し誰も見ていなかったことにほっと安堵する。……これ以上情けない姿を誰かに晒すわけにはいかない。不意に見えた鏡に映る自身の格好に、背筋が自然と伸びる。……汚さないようにしないと。そして終わったら一発ちゅう秋を殴ろう。うん、そうしよう。衣装に罪はない。
僕は一人納得すると、今度こそしっかりとした自分の意思でちゅう秋の背を追う。慣れない靴に転びそうになったのは、悔しいから秘密だ。

「先輩、来てたのか!」
「なんでこいつまで……!」
会場に着いて早々頭を抱える僕を、目の前の原因が不思議そうに見つめてくる。何かあったのかと本気で心配しそうな彼に、「気にしないでくれ」と告げておく。
(こいつもいるなんて聞いてない!)