「相変わらず役に立たないな、警察は」
「そう言わないで。事あるごとに呼んでいたこちらにも非はあるからさ」
「そうかもしれませんけど……やっぱり市民を守るための組織ですし、脅迫状くらいは話してもいいんじゃないですか?」
「そうだね。」
「……」
「それよりも、探偵くんは何か気づいた事でもあるのかい? ずっと黙っているようだけれど……」
彼の言葉に、僕は探偵少年が未だ黙り込んだままだったことに気が付いた。視線を隣へと向ければ、どこか難しい顔で手紙を睨む様に見ている少年を目にする。少年は手紙の匂いを嗅いだり、引っ掻いたりして気になるところをチェックしていく。しばらくそうしていた彼は、岡名を見つめると確信を持った声で問いかけた。
「もしかしてこれ、ひがし以外にも届いていたんじゃないですか?」
「え?」
彼の言葉に、岡名は声を上げる。驚いた様子の彼に、僕は少年に呆れた視線を向けた。
「そんなわけないだろ。脅迫文が複数の人間に送られるなんて、そんなこと」
「でも、それならわざわざ複製する必要は無いと思うんだが」
「はあ?」
複製? 一体何を言っているんだ。
首を傾げる僕に、探偵少年は紙を撫でると何度も匂いを嗅ぐ。その仕草が何処と無く近所の犬に見えたが、向けられた視線にそんな気持ちもどこかへと飛んでしまう。美形の真顔ほど、怖いものは無い。
「この紙。糊でヨレているのかと思ったが、それにしては綺麗だと思ってな。触ってみると印刷されたものだと分かった。わざわざ複製するくらいだ。他にも複数の人間に送っていても、おかしくはないだろ?」
「印刷って……そんなこと、出来るわけがないじゃないか。そもそも、それが出来る機械は流通してないんだぞ?」
「出来るさ」
「……まさか」
探偵少年が笑みを浮かべ、岡名を見つめる。岡名は心当たりがあるのか、驚いた表情で口元を抑えていた。まるで、気づいてはいけないことに気づいてしまったかのような反応に、僕はハッとする。
「岡名さん。大学のサークル内に、機材は?」
「……ある。あるよ。ちゃんと、使える」
(うそ、だろ……)
ピタリと当てはまった推理に、僕は心底驚いた。どこでどう判断したのか。どうしてそんな発想が出来るのか。
(この少年……)
頭のおかしいやつだと思っていたけれど、もしかしたらかなり頭のいい人間なのかもしれない。
(……こいつなら、シャーロック・ホームズも越えられるかもしれない)
僕の頭の中で広がる、ロンドンの風景。そこに立っていたのは、かの有名な探偵ではなく、目の前の少し変わった後輩で。
(……逃しちゃ、いけない気がする)
僕は踊り出しそうになる脳内のペン先を抑え込み、必死に目の前の光景を目に焼き付けることにした。
――話を作るネタになると、そう確信して。
「それじゃあ、犯人は彼女たちの中に……?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
僕の言葉に、岡名が慌てた様子で声を上げた。
「た、確かに彼女たちの活動場所には機材が揃っているが、だからといって彼女たちが犯人だとは限らないだろう?」
「ほう。というと?」
「彼女たちの使っている教室は、生徒であれば誰でも使用できるんだよ。サークル活動も毎日やっているわけじゃないし、時々先生方も使いに来るから、インク量とかの判断は出来ないんじゃないかな」
探偵少年の鋭い視線を正面から受けながらも、彼は言葉を返す。手にはいつの間にか大学のパンフレットも持っており、それを広げながら説明をしている。
教室の位置と、機材のある場所。資料室の隣にある『怪奇現象執筆サークル』の文字に、岡名が嘘を吐いているとは思えなかった。
(しかも、この位置……人が多い場所を歩かないと行けない場所じゃないか)
「職員室、食堂、購買、資料室か……。人目を避けて行くのは難しそうだな」
「ううむ……」
悩ましい声で唸る探偵少年に、僕は苦笑いを浮かべる。
(……これには探偵くんもお手上げか)
さっきの出来事があって少しばかり期待をしたものの、やはり全てがわかるわけでは無さそうだ。僕はパンフレットから顔を上げ、岡名を見た。緊張した面持ちの彼は、どうやら反論を恐れているようにも見える。そんな岡名の様子も横に、探偵少年はうむむと唸り続けると、暫くして大きく仰け反った。
「だあああー! これだけじゃよくわからん!」
「流石の探偵もお手上げか?」
「いや、現場は実際に見てこそ見えてくるものがある!」
「は?」
意気揚々と声を上げる彼に、僕は首を傾げる。……つまり?
「大学に乗り込むぞ!」
「はあっ!?」
(乗り込むってなんだよ!?)
斜め上をいく探偵少年の言葉に、目を見開いた。大学に乗り込もうなんて、そんな話聞いたこともない。今時、悪戯でもしないぞと彼を睨みつければ、その奥で岡名が顔を輝かせている事に気が付いた。
「その手があったか!」
「ええっ⁉」
(賛成するのか、それっ⁉)
まるで名案だとばかりに目を輝かせる彼に、僕は頬を引き攣らせる。こんなの名案でも何でもない。はあっと重いため息が零れ落ちる。だめだ。探偵少年に関わるとすぐに流れを持っていかれる。
(……僕がしっかりしないと!)
こいつらいつかしでかしそうで、放っておく方が恐ろしい。僕は痛む頭を抑えながら、どうにかこの二人を説得する方法を考える。そんな僕を余所に盛り上がる二人は、いかにして大学へ侵入するかを画策している。
「門は飛び越えるのがカッコイイ!」
「いやいや、門番の目を盗みながら入っていくのもスリルがあっていいと思わないかい?」
「た、確かに……!」
「普通に許可取ればいいだろ」
駄目だ。これ以上この二人を自由にさせるのは危険すぎる。
(とはいえ、二人とも行く気満々だしな……)
どうにか大学に行かないで納得する方法はないだろうか。否、もし行くとしても出来るだけ穏便に行くことは出来ないだろうか。
「そういえば、岡名さんはよく大学に出入りしているんですよね?」
「うん? ああ、そうだね」
「どうやって入ってるんですか?」
僕の問いかけに、岡名は数秒間首を傾げると「あっ」と声を上げた。……どうやら自分がやっている方法を使おうとは、思い浮かばなかったようだ。
「もし何か言われるようでしたら、大学の見学とでも言えばいいでしょう」
(それなら穏便に済むだろうし、何より変な行動をとる必要も無くなる!)
一石二鳥だ、と内心ガッツポーズをとる。やることが決まったのが良かったのか、更なる盛り上がりを見せる二人に僕は安堵に息を吐く。向かう大学は一つ駅を飛ばした、二つ隣の町にあったはず。
(そう遠くないし、小遣いでも何とかなるだろう)
僕は財布の中身を思い出しながら、減ってしまう小遣いに眉を寄せた。……当分、新しい本は買えないかもしれない。そんな僕の心情に気づかず、二人はわいわいと楽しそうに当日の予定を話している。全ての元凶でもある探偵少年を見つめ、僕は大きなため息を吐いた。
「なんでここに君がいるんだい?」
「いたらダメなのか?」
「そういう訳では無いけれど」
苦笑いを浮かべる彼に、僕は箸で掴んだ卵焼きを頬張る。だしの味が広がるのを堪能しつつ、僕は空を見上げる。嗚呼、何て広く、青い空だ。
「そいつには何言っても無駄だぞ、ちゅう秋。僕が証人だ」
「何だって⁉ そんな事ないぞ!」
「本当のことじゃないか」
声を荒らげる探偵少年に見向きもせず、僕は母の作ってくれた弁当に舌鼓を打つ。うん、今日も美味しい。これで横で騒ぎ立てる人間さえいなければ、もっと美味いだろうに。
「聞いてないだろ!」
「聞いてる聞いてる」
きゃんきゃんと騒ぐ彼は、まるで近所のよく吠える犬みたいだ。小さくて可愛らしいコーギーを思い出しながら、僕はそ知らぬふりを突き通す。
「ふふっ。相変わらず仲がいいね」
「よくない!」
「もちろんだ!」
聞き捨てならないちゅう秋の言葉に僕は牙を剥いたが、同時に探偵少年が嬉しそうに微笑んだことで答えは二分してしまった。驚いて振り返れば、同様に驚いた目をした探偵少年と目が合う。
「なんで否定するんだ!」
「当然だろ。仲良くなった覚えないし」
「そうなのか!?」
ギョッとする少年に、今度は違う意味で驚いた。──まさか仲良くなっていると思っていたのか。こちらはほとんど巻き込まれているだけだというのに。
(どこでどう勘違いしたのやら)
僕には不思議でたまらない。
「まあまあ。彼は少し特殊だからね。仲良くなったと知覚するのに時間がかかるタイプなんだ」
「へえ」
「おいっ! 変な事言うなよ!」
「本当の事じゃないか」
面白いと言わんばかりに笑みを浮かべるちゅう秋に、僕は目を釣り上げる。一体どうしてそんな話になったのか。彼は話を誇張させる癖がある。
(確かに僕は友たちが少ないけれど……)
でも、それとこれとは関係が無いはずだ。僕はちゅう秋を睨みつけると、彼は心底可笑しそうに笑う。その表情に自分が相手されていないことを、何となく察してしまう。
「馬鹿にするなよな」
「してないさ。慎重深いほうが、友人として安心だからね」
「なんだそれ」
ちゅう秋の言い分に、堪らず笑みが浮かぶ。彼の考えることというのは、いつも独特で僕には及ばないことばかりだ。
「……」
「どうした、探偵少年。男が不貞腐れても可愛くないぞ」
「別に。なんでもない」
フィッと線を逸らす少年。その表情は、まるで仲間外れにされた事を気にしている様子で。
(変なところでガキっぽいんだよなぁ)
まあ、そういうところが憎めないところなのかもしれない。だから、こうして昼食に後輩である彼が自然と紛れ込んでいるのも、特に気にならないのだろう。僕は唐揚げを頬張りつつ、探偵少年を見る。味気のないコッペパンを頬張る彼の手元には、まだあんぱんやクリームパンが一つずつ握られていた。
(……よく食べるなあ)
「探偵くんは今日も購買かい?」
「ん? まあな!」
「よく金がもつよなぁ。羨ましいや」
「よく言うよ。君はその分本を買っているじゃないか」
「そりゃあまあ、そうだけど。でもたまには購買のパンをたらふく食べるのもいいだろ?」
ちゅう秋の言葉にバツが悪くなりながらも、僕は告げる。同じく毎日弁当を持ってきている彼は、「なるほどね」と笑みを浮かべる。……確かに、同じ弁当とはいえ、妻と呼ぶ彼女に作ってきて貰っている彼と僕とでは大きな差があるかもしれないけれど。
「まあ、父さんも母さんも忙しいからな」
「そうなのか?」
探偵少年はこくりと頷く。いつもより静かな彼に疑問が浮上するが、それを聞けるほど僕は彼との距離を掴めていない。
(……まあ、何かあれば言ってくるだろ)
家庭には家庭の事情があると、僕は自身に言い聞かせて最後の一口を頬張った。中庭はいつものように賑わっていて、同級生たちがサッカーをする喧騒を横目に、僕は新しい小説の設定に思考を巡らせる事にした。……無駄だとわかっていても、書きたい欲は収まらないのである。
──そして、ついにその日はやってきた。
「ここが、件の大学……」
目の前に立ちはだかる大きな建物に、僕は首を使ってめいっぱい見上げた。たくさんの人が行動しているのを見るに、この学校にはかなりの人が在籍しているらしい。
(思ったより大きいな……)
まるで警察署や消防署のようだ。僕は緊張に喉を鳴らすと、ふと周囲に自分以外が居ないことに気がついた。
「あれ」
確か待ち合わせ場所はここで間違いなかったはずだ。再び周囲を見回してみる。だが、やはりというか、待ち合わせしていたはずの人間の姿は見えない。
(どこに行ったんだ……?)
約束の時間はとうに過ぎているはずなのに、一体どこにいるのやら。もしかしたら集合場所を間違えてしまったのかもしれない。
(……仕方ないな)
このまま待っていてもいいのだが、向こうが動くようには思えない。何より、自分が“迷子”として発見されかねないことが何より嫌だった。僕は自分よりも遥かに大人に見える大学生の中を、縮こまりながら歩き出す。
「ったく……どこにいるんだよ……」
(大学前の門に集合って言ったのはあいつだっただろうに)
周囲には人、人、人……。皆、揃いも揃って楽し気に会話をしているのを時折盗み聞いては、苦言を零す。
(約束くらい守れないと、社会人になって大変だぞ)
時間は厳守。それが大人というものだと、父が言っていた。
「……そういえば、岡名さんもいないな」
ふと、予定が決まった日の事を思い出す。確か仕事の後で遅くなるかもしれないから、先に入っていてくれと言っていた気がする。待ち合わせ場所でもう少し待っていた方が良かっただろうか。——いや、でも。
(そもそも、この件は僕には関係の無いことだし)
そうだ。僕は巻き込まれただけで、僕自身がこの件の依頼を受けたわけではない。探偵少年は僕の事を子分みたいに思っているのかもしれないが、なると言った覚えもないから無効に決まっている。
そうともなれば、どんどんとこのまま帰ってもいいような気分になってくる。
帰って、ちゅう秋の家に転がり込んで遊んでもいいかもしれない。彼のことだ、仕方ないと言いながらも家にあげてくれるだろう。
(そうだ。そうしよう)
決めたらすぐに行動だ。僕は気を張って歩いていた足で踵を返すと、駅の方へと歩き始める。ここまで来てただ帰るだけというのも少し腹立たしい気もするが、この際それは飲み込んでやるとしよう。僕は彼の先輩なのだから。
「……」
そう、思うのに。
僕の足はなかなか前へ進まなかった。それどころか、縫い付けられたように前にも後ろにも行けない状態になっている。どうしてと問われれば、至極単純な事だった。
(……嫌な予感がする)
その一言に尽きる。
僕はここに来る計画を立てた日を思い出し、頬が引き攣るのを感じた。このまま帰って安息の時間をと思うのに……何故だろう。全然安心できる未来が見えない。
「……はあ」
こうなってしまえばもう、僕に勝ち目はなかった。元々、拒否権なんてあってないようなものなのだ。持っていた鞄を掛け直し、足をゆっくりと動かす。向かうのは、待ち合わせ場所だ。さっきまで重かった足は、軽々と動いてくれる。その反面、気分は重くなっていった。
(変なことをされて、学校に苦情でも来たら面倒だからな)
そう。それだけだ。僕は僕の高校生活を守るためにこの先に行くのだ。何度も何度も自身に言い聞かせ、来た道を戻り――僕は即座に後悔した。
「なにあれ?」
「さあ。何かやってんじゃね」
「テレビ? 何かの撮影?」
「そんな話聞いてないと思うんだけど」
「…………」
(何を、しているんだ……?)
何故か広がる人だかり。ひそひそと話す彼等の声は、好奇心に満ちている。そんな中で、僕は広がる光景に頭が真っ白になった。
目の前の光景が、一切頭に入ってこない。そもそも、何があってこんな状況になっているのか。僕は頭を抑え、腹の底からため息を吐き出す。……覆面を被り、警備員と揉めている男の背格好は、どこからどう見ても探偵少年のもので間違いないだろう。
「…………帰りたい」
今度こそ本心から零れ落ちた言葉は、周囲の喧騒に消えていく。心做しか胃もキリキリしてきた。
「不審な人物じゃないと言っているだろう!」
「いや、だからね。君、それが不審に見えるんだって」
「そんなわけが無い!」
「はあ……。じゃあそれは何のために被ってるの」
「変装だ。偵察にくるのだから、当然だろう?」
「普通は変装なんかしないの!」
警備員との会話が聞こえてくる。まるでコントのようなやり取りに胃が痛んでくるのは、きっと気のせいだろう。周囲ではクスクスと笑い声すらも聞こえてくる。これ以上目立つ前に、早く助けなくては。
(しかし……あれを助け出すのは難易度が高くないか?)
しかも、警備員の言っていることが正論すぎて説得できる気がしない。頼りになるのは、警備員と顔見知りである岡名の存在だが、見回したところまだ来ている様子はなさそうだ。……つまり、必然的にこの事態を収拾出来る人間は限られてくるわけで。
「だから、俺は探偵だ! そしてその依頼主がこの大学にいるんだ!」
「ハイハイ。君、どこの学校? 高校生だよね。親御さんは?」
「うぐっ」
警備員の取り付く島もない言葉に、遂に探偵少年が押し黙る。流石に学校や親を出されるのは、彼でも分が悪いと思うらしい。……よかった。周りを巻き込んでまで強行するような人間ではなくて。
とはいえ、そんな安堵も束の間。徐々に白熱していくやり取りに、ガヤガヤとうるさくなる周囲の声。これ以上騒ぎが大きくなれば、本当に調査どころではなくなってしまう。それじゃあ、本当にただの巻き込まれ損だ。それは困る。もうこれは強行突破するしかないと、僕は意を決して足を踏み出した。
「あれ。あんた、此処で何してんの?」
「げっ」
「えっ?」
ふと聞こえる声に、僕は足を止める。あろうことか、この状況で不審者である少年に話しかけた人物が居たのだ。これには驚きに足も止まってしまう。
だが、突然の登場人物に驚いたのは僕だけではなかったらしい。端正なはずの顔を一気に歪め、しまったと言わんばかりの反応をした探偵少年は、声を掛けて来た女子生徒を見て目元を引き攣らせている。覆面をしているからわからないが、もしかしたら頬まで引き攣っているのかもしれない。
(珍しい反応……)
見た事のない彼の対応に、僕は目を瞠る。しかも、探偵少年は女子生徒を見て僅かに後退っていた。こんな反応をさせる人物がいるのにも驚きだが、それよりも彼がそんな反応をする人物というものに興味が湧いて出てくる。“先輩”という存在にすら臆することなく接してくる彼の、唯一の弱点かもしれないのだ。僕はそっと二歩下がり、野次馬の中に紛れ込む。明らかな好奇心だが、許して欲しい。
「……あんた、その恰好何?」
「あ、えっと」
カツカツと歩み寄る女子生徒にタジタジになる探偵少年。慌てて覆面を外し、後ろに隠すが今更である。
「お、お前こそ、どうしてここに」
「此処、お姉ちゃんの通ってる大学なの。二人で喫茶店でも行こうって話してて、その待ち合わせ。あんたは?」
「い、依頼の調査に来てるだけだ!」
「ふぅん。そんな不審者みたいな恰好で?」
「ぐっ……こ、これは、変装で……」
「へんそぉ?」
不自然に上がるトーンに、探偵少年が視線を逸らす。ダラダラと汗を流しているのが見える。……少しばかり可哀想に見えてきたが、これはこれでいいお灸かもしれない。
板挟みになっているはずの警備員を見れば、突然出て来た知り合いに言及することなく、当然のように仕事を進めている。もうこちらに意識はほとんど向いていない様にも見える。
(あの女子生徒、結構来ているのかもな)
僕はそう思うと、改めて女子生徒を見た。高校生だろうか。制服を着ている。
(……ん? あれって、うちの高校の制服じゃ……)
「そんなんじゃ、憧れのシャーロックホームズにはなれないわよ」
「う、うるさいっ! 僕はまだ子供だから追い付いていないだけだ!」
「少なくとも、シャーロックなら変装で変質者になる事はしないと思うけれど」
「うっ」
(おお……よく言ったな……)
僕は女子生徒の言葉に、内心感嘆の意を吐く。こんなにハッキリものを言う女性は、早々いない。しかも彼のような美男子に、何の躊躇もなく。
(幼馴染か? それともクラスメイトだろうか?)
「君たち、知り合い?」
「いやっ」
「幼馴染です。すみません、知り合いがご迷惑を……」
「いやいや。気にしないでいいよ」
ここぞとばかりに話題に入ってきた警備員にも、彼女は大人の対応をする。……まるで破天荒な探偵少年とは真逆だ。僕は感心するように女子生徒を眺め──バチりと合う視線に僕はハッとする。
(目が、あっ……)
「ねぇ。あの人あんたの先輩じゃないの?」
「ん?」
「げっ」
女子生徒の指が僕のことをさし、探偵少年が振り返る。突然のことに驚いている間に、探偵少年とも目が合う。まずい。
(見てたのがバレた……!?)
盗み見なんて、やっていい事じゃない。僕は慌てて誤魔化すように、引き攣る顔でひらりと手を振った。周囲の人の視線まで刺さっているような気がするが、気のせいだろう。きっと……否、絶対に。
「先輩遅い!」
「ご、ごめん」
はははと苦笑いをしつつ、人の視線がなさそうな場所に少しずつ移動していく。しかしそれも、探偵少年が駆け寄って来たことで意味はなくなってしまった。しかも嬉しそうな顔で駆け寄ってくる彼に、盗み見をしていたことが罪悪感として押し寄せてくる。……帰ろうとしていたなんて言ったら、流石に可哀想だろうか。
「そ、それより、岡名さんは?」
「まだ来てない!」
「そ、そっか」
(見てたことはバレてないらしい。よかったよかった……)
いつもと変わらない様子の彼に、僕はほっと胸を撫で下ろす。……どうやら糾弾されることは無さそうだ。僕は後ろめたさに視線を逸らしていれば、ふと女子生徒と目が合う。にこりと笑みを浮かべる彼女は、どうやら人見知りはしない類の人間らしい。僕とは真逆だ。
「初めまして! アホ探偵の幼馴染やってます」
「なっ! あ、アホ探偵って、俺のことか!?」
「他に誰がいるのさ」
(に、賑やかだ……)
きゃんきゃんと目の前で騒ぐ二人に、僕はクラスで人気者に絡まれた気分を思い出した。
「ははは……仲良いんだね、二人とも」
「「よくない!」」
くわっと振り返り叫ぶ彼らに、僕は息を飲む。二人の大きな目が容赦なく僕を貫く。……怖い。
「そ、そう。それより探偵くん、そろそろ行かないと約束の時間になるよ」
「なんだって!?」
ほら、と腕時計を見せた僕に、食いつくように探偵少年が声を上げる。引き寄せられた腕にバランスを崩しそうになり、慌てて踏ん張る。「まずい!」と叫んだ彼は、そのまま僕の腕を掴み、走り出す。
「ちょっ、おい!」
「早く早く!」
「こらー! 君たち、待ちなさいー!」
警備員の声にも足を止めることなく、探偵少年は走り続ける。僕はといえば、その勢いに必死に着いていくことしか出来ない。驚いた人たちが何事かと振り返るのを、僕は他人事のように流していく。
(目立つの、嫌いなんだけど……っ!)
そんな思いも他所に、僕は緊張の欠けらも無い状態で大学に足を踏み入れてしまった。
「とーちゃくッ!」
「うっぷ……」
ズサササと廊下を横滑りしながら止まったのは、『怪奇現象執筆サークル』と書かれた張り紙がされた教室の前だった。振り回されすぎて混ぜられた胃の中身が一瞬込み上げ、それを必死に抑える。……地図で見た時は入口に近い距離にあったはずなのに、その倍以上を走った気がする。深呼吸をした僕は、後ろを振り返る。追いかけてきていた警備員も振り切ったのか、そこには誰もいなかった。
(……完全に怒られるだろ、これ)
もうこうなったらすべて目の前の男のせいにしよう。そうだ。それがいい。
「ここが事件現場か!」
「いや、事件現場ではない」
「たのもー!」
「おまっ──!」
ガラララッと勢いよく開かれる扉に、心臓が止まるかと思う。
(頼むから落ち着いて行動してくれ……!)
「あれ?」
「ん?」
仁王立ちで教室の前に立つ彼が首を傾げる。どうかしたのかと彼の視線の先を見れば、そこにはがらんとした教室が広がっていた。