他人からはそうは見えない。いつも通りの無愛想に感じられるのだが、長年いっしょにいる私には分かる。一見、普段と同じなようでも天気雨のような怒りの放出がある。
「本命が誰かなんて、そんなの知ったことか! そもそも、あらぬ場所でやろうとするのが悪いんじゃろが。何じゃ、そのガキは。ちょっとワシ出かけてくる」
「百花外出るのきついんでしょ! ちょ、やめなってば! 目を血走らせて行かないで!」 本命云々のところまで言った。一度、何もかも百花にぶちまけたかったのだ。
 どうにか彼を止めることはできたが、『いっそ、神の力を全部使って……』と物騒なことを言っていた。
「そもそも若人は溢れるものがあるとはいえ早すぎるじゃろ。そういうのは男がちょっと考えるべきなんじゃないのか。まだ高校生じゃろ。高校生じゃぞ。責任なんて取れるのかって話じゃ。うちのほのかが悲しんだらどうするつもりじゃ、あんぽんたんめ」
「うちのほのかって」
 そういう言い方、してくれるんだ。
 何となく、この神様は冷淡な奴だと思ってたけど違ったのかな。実際は感情表現が下手くそなだけで、中身は……。
「ねえ、百花。ちなみに私の本命の人って、誰だか分かる?」
「知らんわ、そんなもの。ふんっ、誰であろうとそいつも憎たらしい。そもそもじゃな、こんな小さき子をたぶらかしておいて」
「ユー」
「ん?」
 私は百花を指さして言った。
「あなただよ。私が、好きなのは」
 本命は、と。
 百花に告白した。

 15

「……それをあいつは大笑いして返答したんだよな」
 思い出すだけで腹が立つ。いや、想像してた通りだけどさ。
 大学の食堂でたぬきうどんを食べる私。
 あまり人はおらず、友達の多いグループとかは外に出ておしゃれな店で食べるらしいからね。私はその例外だ。
『お前、ショタコンだったのか』
 それをあんたが言う?
 いや、確かにあんたの見た目はそうだよ。百花はどっからどう見てもショタの姿ですけども。だからってさ、それを本人が言うかね。それに中身は何千年も生きた妖怪じゃないの、あいつと当時は思った。
『そんな子供のような見た目のワシに恋したのか。はははっ、それって恋なのか? えらく単純な娘じゃのう』
『な、何よ。笑うことないじゃないの!? わ、私は』
『止めた方がいい』
 ワシに恋なんかするな、と百花は言った。
『ワシは永遠の子供じゃぞ』
『そ、それが何』
『一生ここから出られない。ちょっとブラリとするだけでキツいワシじゃ。ようは永遠の引きこもりじゃよ』
『それが、何だっての。私は』
『私は?』そのあと、何を言うつもりだ? と。百花は聞く。『ほのかはワシと違う。お前は外の世界で生きていくべきだ』
 そのあとも何か言おうとクチを開こうと……するんだけど、百花の表情を見て何も言えなくなる。顔を背けて、表情をゆがめた。まるで、心底悲しいことがあったかのように。外に出られない、そのことがどれほど彼の心に傷跡を残しているのか。
 彼が神様になった過去を、簡単にだが聞かせてもらう。
『ワシは昔から神だったわけじゃない。元は人間だったんじゃよ。ワシは、生まれながらにして不自由な体してての。豪農の家だったから捨てられることはなかったが、畑仕事も何にもできんくて。やがて村に飢饉が起こると何故お主の息子はのうのうと生きている。何もしてないくせに。ずっと寝てるだけのくせに、とな。あろうことか、ワシを生け贄にして捧げろと言い出す者まで現れた』
 当時は人の数がイコールで武力になる。
 村人を抑えきれなかった豪農の家は渋々要求に応える。百花も、その方が良いと彼からも後押しした。恨まれながら生きながらえるより、生け贄の方がマシだと。
 彼は神様がいるとされる山奥の滝の前で放置される。餓死するまで。
 もちろん食べ物も何もないし、病気がちな彼は逃げることもできない。そのまま、彼は亡くなった。百花曰く、最後は犬に食われた気がすると言っていた。あまりにも痛すぎるので思い出したくないと言っていたが。
 だが、彼は神として復活してしまう。
 村人達が願ったらしい。やがて、自分達が生け贄に捧げたくせにあの行為は間違えだったんじゃないかと恐怖し、百花が祟らないようにと神に祭り上げたのだ。そして、その後も長い年月をかけて飢饉や自然災害が起こると百花に願った。助けてくれ、と。自分達はその声に耳を傾けなかったくせに。百の花を代わりに生け贄にして――。
『元より、ワシは助けを求めはせんかったよ。無駄なことって、分かっておったから』
 そして言う。
『ワシにとっての世界――人生は広い畳の部屋から見える縁側の向こう側が限界じゃった。それがワシの世界の果て。それをようやく超えたと思ったら、山奥の滝で生け贄に捧げられた。こんなのが、神様と言われるワシの中身じゃよ』
 だから、と。
 百花は言う。
『こんなワシを、好きだなんて言わんでくれ』

 16

 私はあの家があったと思われるところに行った。
 現代の私、大学三年生になった。
 帰りに行くのではない、逆だ。二度と帰らないために。本当の意味で卒業するために行った。海に近いあの田舎町に。
「百花のバカアアアアアアアアアアアッ!」
 私は辺りを一望できる丘から叫ぶ。
 あの家があった辺りをうろうろしても、あの家を見つけることはできなかった。やはり、何らかの力が働いてるのだろう。もう二度と私はあの家に足を踏み入れることはできない。うるさい、知るか。
「今、就職活動の真っ最中! でもコミュ障の私だから絶賛大失敗中! もう死ぬほど散々悩んで、だけどここに来たのは帰りに来たんじゃないからね、バカアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
 私は卒業するために来た
「何が、好きだなんて言わんでくれ、だよ! ふざけんな、馬鹿! あんたが自分のこと大嫌いでも私は昔からほんとに子供の頃からあんたのことが大好きだったんだ!」
 大泣きしながら、いい歳をした奴がと誰かに見られたら思われるだろう。うるさい、知ったことか。
「どうせ……あんたは、私に会わないんでしょ。分かってるよ。でも、区切りは……つけなきゃいけないから。私はあんたのこと大好きだけど、この気持ち、絶対変えるつもりはないけど……卒業は、するから」
 私は涙を拭ってその場から離れる。
 で、帰りの電車に乗ってまた東京に帰っていった。東京が私の帰る場所になっていた。
「……百花」
 一応、本を開くのだが頭に活字が入ってこない。気づけば、ぽつりとあいつの名をつぶやいていた。何が卒業するだよ、できてないじゃない。
「………」
 本当は、もう一度会いたかった。

 17

 春。
 桜が散り、その前に宴会をやる機会があればよかったけど私にはなかった。慌ただしく過ぎていく日々。仕事に追われて、それどころじゃなかったのだ。
「それじゃ、榎戸ちゃん。あの先生のことよろしく頼むね」と編集長に言われて、毎日走っている。
 私は大学を卒業した。ほんとに大人になり、就職大失敗の嵐も乗り越えて就職した。
 だが、就職したのは出版社だった。大手で私の好きな作家の本も出てる……と思ったのが運の尽きだ。これがもう激務という激務で、寝る間も惜しんでばかりの毎日。作家も作家で精神がアンバランスな者が多く、とくに新人は才能が尖るとて性格まで尖ってるのも多く、苦労のしっぱなし。そのくせ、経済不況で本の売れ行きも良くなく、ほんと大変だ。
「……やだぁ、もうやだぁ。あの家に帰りたい。助けてぇ、百花ぁ」
 百花が聞いたら、馬鹿か己はと苦言を呈するだろう。私は平日の昼間、作家のお宅にうかがい、作家のやる気を鼓舞しての帰宅の途中。最近は原稿をデータでもらうのだが、それで苦労が解消されることはなく、文芸誌の締め切りを破る可能性のある作家の元に行き、一件一件、解決していく。それだけが仕事じゃなくそれ以外にも雑用があったりと苦労が続いていた。
「……はぁ」だけど、悔しいことにやりがいはあるんだよな。ほんと、理不尽な職業だよ。やっぱり本が好きなんだろう。それの制作に携わるのは苦労は絶えないけど、嫌ではない。
 私は馴染みの喫茶店に寄り、アイスコーヒーを注文する。そこはサードウェーブ系に影響されてるお店で、シングルオリジンの個性ある農園のを出してくれたりする。
「おいしい……」
 だが、百花の頃にいたときには飲めなかった味だ。
 時代は変わり、百花の思い出も薄らいでいく。それが少し寂しい。思い出って、物体じゃないからずっと掴み続けることはできないんだ。
「せっかく出版社に入れたのにな」
 理由は単純。いや、本が好きだからって気持ちももちろんあるよ?
 でも、最初に浮かんだ動機は。
「百花に、読んでもらえると思ったから……分からないけどね」
 あいつ、ミステリーでも文芸でも海外のでも日本のでも何でも読んでたけどさ。でも、だからって偶然私が手がけた本を読むかは分からない。何せ、世の中には一生かけても読み切れないほどの本があるのだから。それに、あいつには私が関わった本を知る術はないし。連絡なんて、してないし。本には編集者の名前まで書かないしさ。
 そもそも、私はあの家をとっくに出たんだから。
「………」
 卒業、か。
「卒業できてるのかな」
 未だに、あいつのこと忘れられないんだけど。

 18

 私は三十を超えていた。
 出版社に入社した当初はすぐにこんな仕事辞めてやると思っていたのに、気がついたら三十路だ。あー、時が経つのは怖い。早い、早すぎるよ。
「榎戸さんって、生まれどこですか?」
「海。すっごい田舎でさ」と軽快に話す私。大学生の頃にこの舌があったらまた違ってたかな。個人経営の小さな居酒屋。そこのカウンターで担当している作家の人と談笑していた。
「いいなー。俺ずっと東京なんで田舎って憧れますわ」
「うわっ、性格悪い。それってね上から目線になってるからね。気をつけなよ」
 私はタコわさびをちょびちょびやりながら飲んでいる。
「海の近くって塩害ひどいんでしょ?」
「……そう、らしいね」
「え、らしいねって。近くに住んでたんですよね」
「私、神様といっしょに暮らしてたからさ」
 ふと、正直に漏らしてしまった。この作家さんに話してみたら、どういう反応になるかなと閃いてしまったのだ。理由は分からない。
「マジで!? え、え、どんなすか? やっぱそれって異界みたいなとこで暮らしてたんですか」
 やたらと食いついてきた。多少酔ってるのもあるのかもね。何かもう、今なら世界の救世主が現れてもすんなり受け入れるかもしれない。
 私は本当にあったことをベラベラ話していた。作家くんの方もノリノリでさ。
「いいっすよ。それ、次の作品で書いちゃってもいいですか!?」
「……て、言ってたけどさ」
 後日、私は小説投稿サイトを見る。
 あいつ、よりによってうちの文芸誌じゃなくてネットに載せやがった。あの野郎……書くならうちのでさぁ。書籍化するとき絶対他のは断れよ?
 くっ、しかも結構おもしろいしさ。私が話してたのまんまも多いけど。上手くアレンジしてやがるよ、あいつ。
 ははっ……昔は、私達だけの物語って言ってたんだけど。気がついたら、大勢の人に読まれる話になってた。おかしい。何がどうして、こうなったのやら。
「でも、そうか」
 これで、百花の存在は世界中に知られるのか。それほどこの話が読まれるとは限らないけど。でも――もう、あいつにとっての世界ってあの家だけじゃなくなるよね。
「ありがとう、百花」
 気がついたら、その言葉をクチにしていた。
 正直、あの居酒屋で話すまで大分百花のことは忘れていたけど。あいつに多大な恩があるのにさ。……百花は、それが卒業って感じで言ってたけど。
「これで、本当に卒業できた気がするよ」
 あいつを外に出すこと。それが、私にとっての卒業だったのかな。そうだ。私だけじゃ駄目だったんだ。外に出るのは。物語なら――あいつと私の物語なら、いくらでも外に出せるから。
 ちなみに、あの作家くんが私から聞いた話をまとめて小説にしたの。題名は『神様といっしょにいて卒業するまでの日々』だってさ。いや、卒業って単語が聞いてる内に強く響いてくれたのなら、それはそれで嬉しいんだけど。……違うんだよなぁ。
「話を聞いただけの人と、そりゃ解釈が違うのは当然か。私だったら……そうだな」
 と、投稿サイトのコメント欄をのぞいていると、「あっ」と感じるコメントを発見する。
『ワシも、正直言うとほんとはもう一度会いたかった』
 だが、と続きが綴られている。
『これを読んだら、その必要もないことが分かった。お前さんはとっくにワシから卒業できてると。そして、それがワシが多大な影響を及ぼしてると感じたから。……感謝しろよ』
 あの野郎。パソコンかスマホ、使えるのか。いや、私がいたときも触ってたな。
「………」
 私も、もう一度会いたかった。
 だけど、私もこのコメント見たらその必要がなくなった。何て言うんだろう。離れていてもつながってるというか。会えなくても悲しくない、なのかな。うまく言語化できないけど……多分、あいつといた日々が忘れたくても忘れられないほど、こびりついてるんだろうな。私の心に。
「じゃあね」いや、違うな。「………」
 きっと、あいつと再会することはないだろう。
 神様と人が会うなんて、世界の理としては正しくないだろうし。
 違うな。そういう世界のルールとかじゃなくて、単純に、これが多分私のとっての卒業だったんだ。無理して別れの言葉を言うより、お礼を言う方が性に合ってる。
 私は神様に育てられた。これまでもらった彼の愛情を返す形で。
「ありがとう、百花」
 私の心は、ちゃんと卒業できたよ。

(了)