少し、昔のエピソードも交えて話をする。

例えば、彼女と瑤太の祖父にして瓊子の伴侶たる善一に対する悪口は、前述の通り。他にも――これは善一の存命時に遡るが、善一の入院の際は病院の送り迎えの足代わりに使っていた瑠子に対し「先生が早く来いと言った」あるいは「先生が来るなと言っていた」と言われてもいない事、あるいは言われた事と真逆の事を言って瑠子に散々無駄足を踏ませた。更に、運転中の瑠子のスマートフォンにいわゆる『鬼電』をかけ、ひたすら「早く来い」と急かすという、危険極まりない事をした。暴挙は枚挙に暇が無い。
また瓊子の虚言によって、家族の立ち合いが必要な場に璃子や瑠子が同席できなかった事に対しては、瑠子だけが2時間3時間の説教を食らっていた。因みに璃子は『母が各方面に対して言う事が全く異なる』事実を知らず、それを妹である瑠子が散々訴えても、瑠子を嘘つき呼ばわりする始末だった。

「伯母さんも伯母さんで本当に大概だな。知ってたけど。そもそも何でお母さんがお祖母ちゃんの送り迎えをする必要があるんだよ。『ありがとう』も無ければ『すみません』も無いっつーのに。言う事聞く必要なんて無いってば」
「祖母ちゃんもガキじゃねえんだし、足とか腰とか傷めてる訳でもねえんだから、電車なりバスなり使って自力で行きゃいいだけだろ」

これは当時の彼女と瑤太の母に対する言葉である。だが瑠子は『言う事を聞く必要が無い』という発想にすら至れなかったし、そもそも送り迎えをしなかったらしなかったで、また数時間の説教が待っているからという、いわば学習性無気力によって、言いなりにならざるをえなかったのだ。

「そりゃそこまで洗脳されてるなら、外すのは困難を極めるわな」
「洗脳!?私、洗脳されてたの!?」
「自覚ゼロかよ母ちゃん」
「『ドメスティック』。つまり完全に閉鎖された中で植え付けられた習慣と思考なんだから、洗脳されてる自覚が無いのは当たり前だよ。家庭なんてブラックボックスだし、子育てなんて洗脳と紙一重なんだから。お母さんの場合は完全に洗脳だね。祖母さん側には洗脳という自覚が無いのが、たちが悪すぎるけど」
「…お母さんは、貴方達を洗脳していないよね?」
「してねえよ」
「してないよ。本当に洗脳していたら『自分は他人を洗脳していないだろうか』とか自分を顧みる事すらしないから」

これは当時を分析した彼女の言葉から成る親子の会話である。
なお運転免許を持っているのは、これまた先述の通り璃子も同様なのだが、「璃子は仕事が大変だし申し訳ないから」という理由で、璃子による瓊子の送り迎えは免除されていた。瑠子も同じく仕事をしている身なのだが、瓊子にとって『姉の残りカスで出涸らしで不細工で愚鈍な娘』である瑠子は「出来が悪いのに自分が面倒を見てあげているのだから好きに使っていい」存在だったのである。

瓊子の虚言癖の最悪の影響は、善一の危篤時と言えよう。例にもよって「すぐに来なくていいと先生に言われた」と真逆の事を娘達に伝えた事で、璃子と瑠子は父の死に目に会う事すらもできなかったのだ。

「本当に、息をするように嘘をつくな…」
「いやもう一種の病気じゃね?」

これは虚言癖に呆れた双子のコメントだ。
さて善一の死によって寡婦となった瓊子だが、翠子が没した時と比較しても、更に箍が外れたようなやりたい放題で、言いたい放題だった。弔問客及び善一側の親戚に対し、善一がどれだけひどい伴侶であったか、自分がどれだけ苦労して尽くしたかを、彼女が美斗に言った言葉を引用するなら『ある事一割、無い事九割くらいの割り合い』で、涙と共に語った。例にもよって『そもそも見合い写真が汚れてしまい、父に請われて仕方なく結婚した』話も出てきたのは言うまでもない。

「お祖父ちゃん側の親戚もいるっつーのに、よくまあ、あそこまでの悪口及び噓八百を並べられるもんだな…」
「俺、流石に祖父ちゃんが可哀想になってきたわ。てか、祖父ちゃんに悪いと思わねえのかな。結婚相手だろ?」
「それもあるけど。亡くなった人は弁解も弁明もできないのにね」
「言えてる」

これは、当時既にかなり人数が少なくなっていた使用人達を手伝っていた彼女と瑤太の会話である。
なお瑤太に対しては瓊子が「長男だから」という理由で手伝う必要は無いと言ったが、

「いや。だったら本来『お嬢様』のお姉ちゃんだって働く必要ねえじゃん。そのお姉ちゃん達が働いてんのに俺だけのんびりしてていいとか、おかしくね?」

と言い切って手伝いに回っている。

閑話休題。

彼女と瑤太が祖母を諫めるより前に、流石に見るに見かねた璃子と瑠子が悪口を止めにかかった。だが今度は、使用人達を手助けし飛び回っていた、後に『シルキー・シリーズ』として彼女が母と祖母の前に出す折り紙人形に矛先が向いた。曰く「人型の式神すら作れない中途半端な能力で恥ずかしい」。曰く「霊術士として表に出す事などとてもできない」。曰く「婿取りも望めない傷物の孫」。

「いや果物辺りじゃあるまいし『傷物』とかってやめてくれる?自分が人間以下にされた感があって物凄い不快なんだけど。そもそも義務教育すら終わってないのに婿取りとか何言ってんのさ。つか私は結婚する気なんか無いからね?何より、そうやって座っていられるのは、お手伝いさん達がいる事もそうだけど、一体何処の誰が霊術を使っているお陰なのかを少しは考えろよ。あと人型の式神は『作れない』じゃなくて『作らない』だから」

瑤太曰く「怒りの瞬発力が半端ない。『最終回主人公ダッシュ』並み」の彼女が操る式神の一つによって、瓊子は喪服の胸倉を掴まれ宙吊りにされる事態になった。折り紙人形に人間が吊り下げされているという、誠にシュールな光景である。母である瑠子が娘の悪口に怒るよりも早い反応だった。逆に、璃子と瑠子が揃って瓊子を解放するよう彼女を宥める程だった。

彼女は不承不承ながらも祖母を降ろした。万が一にも骨折すると大変なので、畳の上に落としたりはせずに。
因みにこれは祖母への慈悲ではない。骨折でもされたら、主に母が大変になる事が目に見えていたからだ。母がまた祖母にこき使われるのが嫌だったのだ。つまりは母の為に他ならない。裏を返せば、ここまで孫に慕われず思いやられない祖母は、そうそういないと言えよう。

なお、一般人である善一側の親戚は「本当に霊術士っているんですねえ」と、些か引き気味ながらも感心していた。

とりあえず、弔問客と善一側の親戚の面前で物理的に締め上げられた事は幾分か堪えたらしく、出棺の時までは瓊子は至って静かだった。出棺では棺に取り縋って号泣していたが、これは至極普通と言えよう。先入観無しに見れば。

「なあ、お姉ちゃん。俺、祖母ちゃんが悲しんでるように見えねえんだけど。つか、凄えはしゃいでね?」
「私も同じ事を思ってるよ。瑤太。お祖母ちゃんはお祖父ちゃんがいなくなって悲しいんじゃない。『夫を亡くした自分が可哀想』で泣いているだけさ。んで、『夫を亡くした可哀想な自分』が主役になれる…イベントって言い方は当てはまらないけど、お祖母ちゃんにはイベントだから、大はしゃぎしているのさ。大お祖母様の時と同じだね」
「あ。それ俺も覚えてるかも。まだチビだったけど」

このような感じで、孫2人は涙一つ流さず冷めた目で祖母を見ていた。

「話変わるんだけどさ。お姉ちゃん。人型の式神は『作らない』って言ってたのが気になるんだけど、何でか訊いていい?」
「いいとも。まあ単純に、人型にしたらスペースをそれだけ取るし邪魔だなってのもある」
「お手伝いさん達とぶつかったりとかしたら危ないもんな」
「そうそう。あと何より、本来なら人間ではない存在を人間に近い姿にして、自律思考を持たせて言葉でのやり取りもできるようにするってのが、ただ単純に気持ち悪い」
「気持ち悪い?」

彼女は弟に「うん」ときっぱりと頷いた。

「ちょっと話はずれるがな。妖魔を力で従わせて…この場合は式神というか使い魔の類にカテゴライズされるか。として使役するタイプの霊術士もいるが、元々の意志を持つ相手を屈服させて従わせるってのも、私としては気持ち悪い」
「お姉ちゃんさ。するしないは別として、そういう事はできんの?訊いていい?」

彼女はこれまた「いいとも」と快諾した。

「例えば緊箍児…孫悟空の頭の輪っかみたいなのを作れば、できん事は無いよ。やらないけど」
「お姉ちゃんは、そういうキャラじゃねえもんなあ」

彼女は「まあね」と返した。

「要するにだ。何て言うかこう、独立した存在にしたり、元から意志を持ってる存在を頼ったりするんじゃなくて、私と意識をリンクさせて、情報とかをネットみたいにすぐ伝えたりできる…分身みたいにした方が落ち着くからかな」
「分身の術か。忍者みたいでかっこいいじゃん」
「ありがとう。まあ『気持ち悪い』は私個人が勝手にそう思ってるだけであって、他の霊術士が人型式神や妖魔を使っている事に文句とかは言わないよ。どうするかはその人の自由だからね」

彼女は「選択の自由って奴さ」とあっけらかんとした口調で言った。そして何かを思い出す顔になる。

「大お祖母様が言うには、人型式神や妖魔を使っているのは『それだけの霊力がある』って事で、生きた人間を雇っているのは『それだけの財力がある』って事で、どっちにしろ霊術士のステイタスになるらしい」
「でも曾祖母ちゃんと曾祖父ちゃんは、ステータス?とかじゃなくて、困ってる人を助ける為に人を雇っていたんだろ?立派なもんだよなあ」
「それは私もそう思う。お祖母ちゃんの代になってから変になってるけど」
「それな」

伯母と母に付き添われる祖母に、双子はやはり冷めた視線を向けた。

「まあだから、お祖母ちゃんに何を言われようと、私は折り紙人形のままで行くよ。私には私のポリシーがあるし、何より、お祖母ちゃんの見栄の為に式神を作ってる訳じゃないからね」
「それでいいんじゃね?あとさ。折り紙の人形も俺はいいと思うぜ?可愛いよ」
「ありがとう」

このような顛末があった。

余談だが、遺産相続について記述しよう。
善一は、そもそも自分が病死するとは露程も思っていなかった。何せ、退院したらあれを食べに行くだの何処其処へ旅行へ行くだのと話していたくらいである。なので遺言状と言える物は無く、法に則って遺産を分配する事になった。
しかしそこでも、瓊子はごねにごねた。翠子の時と同様、年金が少ないのに遺産の取り分を削られたらどう生きていけばいいのかと、娘達を詰った。

愛玩子と搾取子という差はあれど、『お金の事で争うのは、最も醜く卑しい事だ』という、翠子と慈朗から受け継いだ精神は、璃子も瑠子も同じだった。なので姉妹は相続放棄した。
かくして善一の全財産と死亡保険金は瓊子のものとなった。死亡保険金については額が少ないと、これまた瓊子は文句を言っていたが。

「そりゃそうだ。だって、お祖父ちゃんが入っていた保険、傷害保険とかその辺がメインだったんだから」
「祖父さんは随分と保険をかけていたらしいが、
つまりはそのいずれも、およそ目的に合っていない内容だった訳か」
「かけ直そうにも、お祖父ちゃんも年齢が年齢だから無理だったし…。お祖母ちゃんは、いつも保険の偉い人が手土産付きで更新の手続きに来るって自慢していたけど、当たり前だよね」
「あー成程。自分達の会社が支払いを一切しないで済む保険に大枚はたいてくれているからか」
「正にそれ」

これは、善一の葬儀を思い返した親子のいつかの会話である。

さて瓊子の財産の管理は、珍しく璃子が進んで行なった。面倒事や雑事は全て瑠子任せだった璃子が。何せ瓊子が昔から雑用を瑠子任せにしている所を見ていたので、「妹はそのように使って良い」と誤学習してしまった結果だった。
しかし璃子は、よくよく目を光らせていた。例えば善一は無論だが、翠子や慈朗の法事の際も、翠子の時のような蕩尽はさせまいと、瓊子を時に叱り時に宥めと経費を抑えようとしていた。

「まさか参列者全員のタクシー代を持っていたとは思わなかったわ…」

だがこのように璃子の努力も虚しく、瓊子の散財は相変わらず続き、財産はあっという間に底をついたが。

こうして司家は、経済面でも零落していった。その全てを、瓊子は善一や両親のせいにしていた。
彼女は祖母の責任転嫁や嘘のひどさを、間近でずっと見ていたのである。