あくまでも、契約上の間柄という事で。《序》(※加筆版)

「瑤太。作戦会議だ」
「どうした。お姉ちゃん」

刀隠家次期当主来訪の報が司家母屋に来た時に、時間は遡る。
正座する姉につられるように膝を折る弟に、彼女は告げた。

「我々はとうとう祖母さん及び伯母さんと縁を切る事になる。だが今後、またお母さんに連絡されてはかなわない。だから瑤太。当日は…お母さんには悪いが、お母さんのスマホをこっそり持ち出してくれ。無論だが、お母さんには後で私が怒られる」
「…持ち出して、どうすんの?」
「祖母さんと伯母さんを着信拒否及びブロック、トークだとかのやり取りの履歴を全削除して欲しい。お母さんはそこまで思い付かない可能性が高いし、瑤太がやった方が確実だ。あと、瑤太も2人を着信拒否及びブロック、トーク削除するのを忘れないようになさい」
「あ。そっか。俺や母ちゃんだったら連絡先消すよりも、着拒とかにした方が確実か」
「私は祖母さんと伯母さんのスマートフォンからお母さんと瑤太の連絡先とトーク履歴だとかを削除して、どの機能からもアプリからも、二度と連絡先を復活できないようにする。ここは2人で分担したい」
「でもさ。お姉ちゃん。祖母ちゃんと伯母さんのスマホのロック外せないだろ?番号とか教えてくれるとも思えないし」
「大丈夫だ。私には機械関係専用の式神がいる。その名も『名探偵の手足(ベイカーストリート・チルドレン)』。私の本業がネット関連なのは知っているだろ?」

言って彼女は、自分のスマートフォンの中を動き回る小さな式神達を見せた。
「はい。おしまい」
「お姉ちゃん。こっちも終わったぜ」

祖母と伯母の前にスマートフォンを放り出す彼女に、片手を挙げて瑤太は声をかけた。彼女は「ありがとう」と瑤太に親指を立ててみせる。呆然とする瓊子と、未だ痛みに呻き畳に伏す璃子を、彼女は無感情に見下ろした。

「そういう訳で、もしも今後、葬式だとか用事がある場合、必ず私を通してもらう事になるから。お母さんと瑤太に連絡しようとしても無駄だよ。私の連絡先しか残してないから。つまり窓口は私ね。――さて、お母さんも瑤太も、荷造りはきちんとしてあるよね?」

祖母と伯母の事を忘れたように、彼女は母と弟に呼びかけた。先述の通り、引っ越しにあたって重量がある荷物の搬出は、式神にこっそりやらせてはいた。だが必要最低限の物は、自分達の手で纏める必要があったのである。

「まあ忘れ物をしたとしても、式神に取ってこさせるだけだけど。さあ行こう。もうここにいなくていい。いざ新天地だ」

彼女は家族を促し立ち上がる。弓弦がいち早く動き、次期当主とその伴侶一家の為に襖を開けた。客間の出入り口で、彼女達親子は室内を振り返る。

「お世話になりました」
「どうもお世話になりました」

瓊子達に頭を下げる母に倣い、双子も揃って頭を下げる。美斗は優雅に、弓弦は慇懃に一礼して、襖を閉めた。室内には、倒れ伏す璃子とへたりこむ瓊子のみが残された。
「この離れともお別れだね」

自分の荷物を手に、彼女は離れを振り返った。

「『住めば都』とは言うし、都の元を作って下さったのは大お祖母様だけど、住んで都としてくれたのは、全部お母さんの努力と工夫のお陰だったね」

子供達が心地よく過ごせるように、母が心を砕いて住まいを整えてくれた事を思い返しながら、彼女は言った。頷く瑤太の目は、心なしか瞬きが多くなっているように見える。

「なら、次の所も、住んで都にすればいいよ」

潤んだ目で、瑠子は子供達に笑顔を見せた。彼女達は「そうだね」と頷く。
瑠子の両隣に双子は並び、離れに頭を下げた。また屋敷の門の前でも、屋敷自体に頭を下げる事も忘れなかった。
「書類の上での手続きはしてしまいましたけど、本当に良かったんですか?」

新居へ向かうリムジンの中、彼女は美斗に問いかけた。屋敷の前に停まっていたリムジンには彼女と美斗が、瑠子と瑤太は自家用車に、それぞれ分かれて乗り込んだのである。

「先程の行為は見ましたでしょ。私は怖い所がある女ですよ」
「全ては御母堂を想いやった事だろう?」
「そりゃあ」

彼女は、自分が傷を負わされた事については、今や何も思ってはいない。伯母の「自分は子供も霊術も夫も失ったのに、何故妹には子供がいて、その一人は霊術も持っているのだろう」という理不尽な思いから来る八つ当たりと、それが曾祖母の死の原因となった事と、一連に対する祖母の態度に怒っていただけだ。傷を負わされて以来、ずっと。

「『焼骨牡丹』は伯母専用に組んだ仕掛けでしてね。母と弟を連れて家を出る時、絶対に発動させてやろうと思っていたんです。まあ使うのは私が思うより早かったですけど。若君様が連れ出してくれたお陰で」

美斗は悲しげな顔になった。

「その『若君様』と呼ぶのはやめてくれ。君は俺の従者でも何でもない。伴侶なのだから。俺の事は、美斗でいい」
「若君様が若君様だから若君様と呼んでいるだけであって、別に他意はありませんよ。いかん。『若君様』でゲシュタルト崩壊しそうになってきたな。名前呼びは、慣れたらまあおいおいという事で」
「そうか…」

美斗は肩を落とした。

「しかし、伯母君の仕打ちや君の傷の事までは知らなかったとはいえ、君が手を汚さずとも良かったのに」

伯母に向けていた彼女の眼差しは、冷たいと表す以前に温度が無かった。『ごみを見るような目』という表現も当てはまらない。ただひたすら、路傍の石を見る眼差しだった。あのような目を自分に向けられたらと想像すると、美斗は胸が押し潰されるような気持ちになった。同時に、彼女から路傍の石を見る目を向けられる花婿にはなるまいと美斗は誓った。

他者の手足を切り落とし、酒甕に放り込んで命を断つ等の数多の残虐行為で知られる武則天にまつわる言葉を、式神を動かすキーワードに使っていた事、何より、そのようにして式神を動かす準備をずっと続けていた事を見る辺り、彼女の怒りの程が窺える。それは理解できるが、彼女の手で全てをやらせてしまった事に、美斗は悔しいような悲しいような、あるいは寂しいような想いを抱いていた。

引っ越しや手続きについて、式神を通し何処までも事務的なやり取りしかできなかったのは、必然的な事だ。しかし、他ならぬ伴侶が抱えていたものを、共に分かち合いたかった。何より、出会って以来、彼女がにこりともしてくれないのも寂しい。義弟こと瑤太が「お姉ちゃん、表情筋が動かないのがデフォルトなんで…」と言っていた辺り、美斗を信用していないから表情が変わらない訳ではない…と思いたい。

ただ一つ言えるのは、母親や弟に対する思いやりも、『敵』と認識した相手に対して慈悲も容赦も無いのも、全て彼女の顔だという事だ。
そんな彼女は何の事も無さそうに応じる。

「生まれながらの人類として、端くれとはいえ霊術を扱える者として、何より一連を把握していた者として、私の全ての誇りをもってして、個人的な復讐を果たしただけですよ。なので若君様が手を汚す事も下す事もありません」

彼女は「もう一つ」と付け加えた。

「うちの祖母は悪口が大好きでしてね。若君様が何かしようものなら、刀隠の悪口をそこかしこで吹聴するでしょうよ。ある事一割、無い事九割くらいの割り合いで。あ。うちの祖母、極度の虚言癖持ちでもあるので」
「そうだったのか」
「祖父の存命時然り亡くなった後然り『シルキー・シリーズ』についても然り、各方面に対して言う事が全く異なりますからね。やれやれ。我々というか特にうちの母親が、あの虚言癖にどれだけ振り回されてきた事か」

彼女はげんなりとした顔と遠い目で、深々と溜め息をついた。
少し、昔のエピソードも交えて話をする。

例えば、彼女と瑤太の祖父にして瓊子の伴侶たる善一に対する悪口は、前述の通り。他にも――これは善一の存命時に遡るが、善一の入院の際は病院の送り迎えの足代わりに使っていた瑠子に対し「先生が早く来いと言った」あるいは「先生が来るなと言っていた」と言われてもいない事、あるいは言われた事と真逆の事を言って瑠子に散々無駄足を踏ませた。更に、運転中の瑠子のスマートフォンにいわゆる『鬼電』をかけ、ひたすら「早く来い」と急かすという、危険極まりない事をした。暴挙は枚挙に暇が無い。
また瓊子の虚言によって、家族の立ち合いが必要な場に璃子や瑠子が同席できなかった事に対しては、瑠子だけが2時間3時間の説教を食らっていた。因みに璃子は『母が各方面に対して言う事が全く異なる』事実を知らず、それを妹である瑠子が散々訴えても、瑠子を嘘つき呼ばわりする始末だった。

「伯母さんも伯母さんで本当に大概だな。知ってたけど。そもそも何でお母さんがお祖母ちゃんの送り迎えをする必要があるんだよ。『ありがとう』も無ければ『すみません』も無いっつーのに。言う事聞く必要なんて無いってば」
「祖母ちゃんもガキじゃねえんだし、足とか腰とか傷めてる訳でもねえんだから、電車なりバスなり使って自力で行きゃいいだけだろ」

これは当時の彼女と瑤太の母に対する言葉である。だが瑠子は『言う事を聞く必要が無い』という発想にすら至れなかったし、そもそも送り迎えをしなかったらしなかったで、また数時間の説教が待っているからという、いわば学習性無気力によって、言いなりにならざるをえなかったのだ。

「そりゃそこまで洗脳されてるなら、外すのは困難を極めるわな」
「洗脳!?私、洗脳されてたの!?」
「自覚ゼロかよ母ちゃん」
「『ドメスティック』。つまり完全に閉鎖された中で植え付けられた習慣と思考なんだから、洗脳されてる自覚が無いのは当たり前だよ。家庭なんてブラックボックスだし、子育てなんて洗脳と紙一重なんだから。お母さんの場合は完全に洗脳だね。祖母さん側には洗脳という自覚が無いのが、たちが悪すぎるけど」
「…お母さんは、貴方達を洗脳していないよね?」
「してねえよ」
「してないよ。本当に洗脳していたら『自分は他人を洗脳していないだろうか』とか自分を顧みる事すらしないから」

これは当時を分析した彼女の言葉から成る親子の会話である。
なお運転免許を持っているのは、これまた先述の通り璃子も同様なのだが、「璃子は仕事が大変だし申し訳ないから」という理由で、璃子による瓊子の送り迎えは免除されていた。瑠子も同じく仕事をしている身なのだが、瓊子にとって『姉の残りカスで出涸らしで不細工で愚鈍な娘』である瑠子は「出来が悪いのに自分が面倒を見てあげているのだから好きに使っていい」存在だったのである。

瓊子の虚言癖の最悪の影響は、善一の危篤時と言えよう。例にもよって「すぐに来なくていいと先生に言われた」と真逆の事を娘達に伝えた事で、璃子と瑠子は父の死に目に会う事すらもできなかったのだ。

「本当に、息をするように嘘をつくな…」
「いやもう一種の病気じゃね?」

これは虚言癖に呆れた双子のコメントだ。
さて善一の死によって寡婦となった瓊子だが、翠子が没した時と比較しても、更に箍が外れたようなやりたい放題で、言いたい放題だった。弔問客及び善一側の親戚に対し、善一がどれだけひどい伴侶であったか、自分がどれだけ苦労して尽くしたかを、彼女が美斗に言った言葉を引用するなら『ある事一割、無い事九割くらいの割り合い』で、涙と共に語った。例にもよって『そもそも見合い写真が汚れてしまい、父に請われて仕方なく結婚した』話も出てきたのは言うまでもない。

「お祖父ちゃん側の親戚もいるっつーのに、よくまあ、あそこまでの悪口及び噓八百を並べられるもんだな…」
「俺、流石に祖父ちゃんが可哀想になってきたわ。てか、祖父ちゃんに悪いと思わねえのかな。結婚相手だろ?」
「それもあるけど。亡くなった人は弁解も弁明もできないのにね」
「言えてる」

これは、当時既にかなり人数が少なくなっていた使用人達を手伝っていた彼女と瑤太の会話である。
なお瑤太に対しては瓊子が「長男だから」という理由で手伝う必要は無いと言ったが、

「いや。だったら本来『お嬢様』のお姉ちゃんだって働く必要ねえじゃん。そのお姉ちゃん達が働いてんのに俺だけのんびりしてていいとか、おかしくね?」

と言い切って手伝いに回っている。

閑話休題。

彼女と瑤太が祖母を諫めるより前に、流石に見るに見かねた璃子と瑠子が悪口を止めにかかった。だが今度は、使用人達を手助けし飛び回っていた、後に『シルキー・シリーズ』として彼女が母と祖母の前に出す折り紙人形に矛先が向いた。曰く「人型の式神すら作れない中途半端な能力で恥ずかしい」。曰く「霊術士として表に出す事などとてもできない」。曰く「婿取りも望めない傷物の孫」。

「いや果物辺りじゃあるまいし『傷物』とかってやめてくれる?自分が人間以下にされた感があって物凄い不快なんだけど。そもそも義務教育すら終わってないのに婿取りとか何言ってんのさ。つか私は結婚する気なんか無いからね?何より、そうやって座っていられるのは、お手伝いさん達がいる事もそうだけど、一体何処の誰が霊術を使っているお陰なのかを少しは考えろよ。あと人型の式神は『作れない』じゃなくて『作らない』だから」

瑤太曰く「怒りの瞬発力が半端ない。『最終回主人公ダッシュ』並み」の彼女が操る式神の一つによって、瓊子は喪服の胸倉を掴まれ宙吊りにされる事態になった。折り紙人形に人間が吊り下げされているという、誠にシュールな光景である。母である瑠子が娘の悪口に怒るよりも早い反応だった。逆に、璃子と瑠子が揃って瓊子を解放するよう彼女を宥める程だった。

彼女は不承不承ながらも祖母を降ろした。万が一にも骨折すると大変なので、畳の上に落としたりはせずに。
因みにこれは祖母への慈悲ではない。骨折でもされたら、主に母が大変になる事が目に見えていたからだ。母がまた祖母にこき使われるのが嫌だったのだ。つまりは母の為に他ならない。裏を返せば、ここまで孫に慕われず思いやられない祖母は、そうそういないと言えよう。

なお、一般人である善一側の親戚は「本当に霊術士っているんですねえ」と、些か引き気味ながらも感心していた。

とりあえず、弔問客と善一側の親戚の面前で物理的に締め上げられた事は幾分か堪えたらしく、出棺の時までは瓊子は至って静かだった。出棺では棺に取り縋って号泣していたが、これは至極普通と言えよう。先入観無しに見れば。

「なあ、お姉ちゃん。俺、祖母ちゃんが悲しんでるように見えねえんだけど。つか、凄えはしゃいでね?」
「私も同じ事を思ってるよ。瑤太。お祖母ちゃんはお祖父ちゃんがいなくなって悲しいんじゃない。『夫を亡くした自分が可哀想』で泣いているだけさ。んで、『夫を亡くした可哀想な自分』が主役になれる…イベントって言い方は当てはまらないけど、お祖母ちゃんにはイベントだから、大はしゃぎしているのさ。大お祖母様の時と同じだね」
「あ。それ俺も覚えてるかも。まだチビだったけど」

このような感じで、孫2人は涙一つ流さず冷めた目で祖母を見ていた。

「話変わるんだけどさ。お姉ちゃん。人型の式神は『作らない』って言ってたのが気になるんだけど、何でか訊いていい?」
「いいとも。まあ単純に、人型にしたらスペースをそれだけ取るし邪魔だなってのもある」
「お手伝いさん達とぶつかったりとかしたら危ないもんな」
「そうそう。あと何より、本来なら人間ではない存在を人間に近い姿にして、自律思考を持たせて言葉でのやり取りもできるようにするってのが、ただ単純に気持ち悪い」
「気持ち悪い?」

彼女は弟に「うん」ときっぱりと頷いた。

「ちょっと話はずれるがな。妖魔を力で従わせて…この場合は式神というか使い魔の類にカテゴライズされるか。として使役するタイプの霊術士もいるが、元々の意志を持つ相手を屈服させて従わせるってのも、私としては気持ち悪い」
「お姉ちゃんさ。するしないは別として、そういう事はできんの?訊いていい?」

彼女はこれまた「いいとも」と快諾した。

「例えば緊箍児…孫悟空の頭の輪っかみたいなのを作れば、できん事は無いよ。やらないけど」
「お姉ちゃんは、そういうキャラじゃねえもんなあ」

彼女は「まあね」と返した。

「要するにだ。何て言うかこう、独立した存在にしたり、元から意志を持ってる存在を頼ったりするんじゃなくて、私と意識をリンクさせて、情報とかをネットみたいにすぐ伝えたりできる…分身みたいにした方が落ち着くからかな」
「分身の術か。忍者みたいでかっこいいじゃん」
「ありがとう。まあ『気持ち悪い』は私個人が勝手にそう思ってるだけであって、他の霊術士が人型式神や妖魔を使っている事に文句とかは言わないよ。どうするかはその人の自由だからね」

彼女は「選択の自由って奴さ」とあっけらかんとした口調で言った。そして何かを思い出す顔になる。

「大お祖母様が言うには、人型式神や妖魔を使っているのは『それだけの霊力がある』って事で、生きた人間を雇っているのは『それだけの財力がある』って事で、どっちにしろ霊術士のステイタスになるらしい」
「でも曾祖母ちゃんと曾祖父ちゃんは、ステータス?とかじゃなくて、困ってる人を助ける為に人を雇っていたんだろ?立派なもんだよなあ」
「それは私もそう思う。お祖母ちゃんの代になってから変になってるけど」
「それな」

伯母と母に付き添われる祖母に、双子はやはり冷めた視線を向けた。

「まあだから、お祖母ちゃんに何を言われようと、私は折り紙人形のままで行くよ。私には私のポリシーがあるし、何より、お祖母ちゃんの見栄の為に式神を作ってる訳じゃないからね」
「それでいいんじゃね?あとさ。折り紙の人形も俺はいいと思うぜ?可愛いよ」
「ありがとう」

このような顛末があった。

余談だが、遺産相続について記述しよう。
善一は、そもそも自分が病死するとは露程も思っていなかった。何せ、退院したらあれを食べに行くだの何処其処へ旅行へ行くだのと話していたくらいである。なので遺言状と言える物は無く、法に則って遺産を分配する事になった。
しかしそこでも、瓊子はごねにごねた。翠子の時と同様、年金が少ないのに遺産の取り分を削られたらどう生きていけばいいのかと、娘達を詰った。

愛玩子と搾取子という差はあれど、『お金の事で争うのは、最も醜く卑しい事だ』という、翠子と慈朗から受け継いだ精神は、璃子も瑠子も同じだった。なので姉妹は相続放棄した。
かくして善一の全財産と死亡保険金は瓊子のものとなった。死亡保険金については額が少ないと、これまた瓊子は文句を言っていたが。

「そりゃそうだ。だって、お祖父ちゃんが入っていた保険、傷害保険とかその辺がメインだったんだから」
「祖父さんは随分と保険をかけていたらしいが、
つまりはそのいずれも、およそ目的に合っていない内容だった訳か」
「かけ直そうにも、お祖父ちゃんも年齢が年齢だから無理だったし…。お祖母ちゃんは、いつも保険の偉い人が手土産付きで更新の手続きに来るって自慢していたけど、当たり前だよね」
「あー成程。自分達の会社が支払いを一切しないで済む保険に大枚はたいてくれているからか」
「正にそれ」

これは、善一の葬儀を思い返した親子のいつかの会話である。

さて瓊子の財産の管理は、珍しく璃子が進んで行なった。面倒事や雑事は全て瑠子任せだった璃子が。何せ瓊子が昔から雑用を瑠子任せにしている所を見ていたので、「妹はそのように使って良い」と誤学習してしまった結果だった。
しかし璃子は、よくよく目を光らせていた。例えば善一は無論だが、翠子や慈朗の法事の際も、翠子の時のような蕩尽はさせまいと、瓊子を時に叱り時に宥めと経費を抑えようとしていた。

「まさか参列者全員のタクシー代を持っていたとは思わなかったわ…」

だがこのように璃子の努力も虚しく、瓊子の散財は相変わらず続き、財産はあっという間に底をついたが。

こうして司家は、経済面でも零落していった。その全てを、瓊子は善一や両親のせいにしていた。
彼女は祖母の責任転嫁や嘘のひどさを、間近でずっと見ていたのである。
そろそろ、時間を現在に戻そう。

彼女がした事は、母を傷付けられて以来の十数年に渡る怒りと、自分の誇りをかけての復讐劇だった。しかし、ここで第三者即ち刀隠が介入する余地を作らなかったのは、「あくまでも自分個人の復讐」である事も大きいが、刀隠への弊害を鑑みた上での行動でもあったのである。それを理解できない美斗ではなかった。

「…つまり君は、刀隠の事も考えて自分で復讐を?」
「今や落ち目を通り越して死にかけの死に体と言えど、司家も霊術士の一族の一つですからね。まあ刀隠からすれば吹けば飛ぶような一族でしょうけど、悪い噂は無い方がいいですから」
「…君は今までずっと、そうやって御母堂と義弟を守ってきたんだな…」

美斗は神妙な口調で呟き、静かに首を横に振る。

「いや全く、君は『鞘』である為に生まれてきたような人だ。霊術士達の筆頭として、俺の横に並ぶに相応しい」
「あくまでも、契約上の間柄ですけどね」
「…それなんだが、幾つか頼みがある」
「はい」

改まった様子で彼女に膝を向ける隣の美斗に、彼女も居住まいを正して膝を向けた。

「契約上の間柄と君は言うが、俺達は夫婦だ。御母堂と義弟を守る為に、君一人が矢面に立つ必要は、もう無い。これからはどうか、何事も俺に相談して、俺を頼って欲しい。頼っていいんだ。君の力になりたい」
「…はい。そうですね。自分で抱え込まないようにしようと思います」

真摯な口調に彼女は律儀かつ慎重に返す。
続いて美斗は「それと」と頭痛を堪えるような顔になった。

「…君の父親の一件は、察するに余りある。男性不信は決して拭い切れないかもしれないし、現実の男に失望しているからこそ、物語の中の男を愛するようになったのだとも思う」
「そうですね」

美斗の言う事は的を得ていたので、彼女は首肯した。
美斗は深刻さに満ちた、同時に鬼気迫ると言っていいような表情で、彼女を真っ直ぐに見据えた。

「だが頼む!君の不信感が晴れるように精一杯努力するから、物語の中の男に対するように、俺に恋をしてくれ!」
「つまりオタクとして愛する者…キャラクターはいてもいいから、三次元即ち若君様を好きになって欲しいと」
「そうだ」

ぽく、ぽく、ぽく、と音がしそうな間の中、彼女は考えた。

「オタクを理解できなくても許容をしてもらえるなら、それに越した事はありません。何せ辛い時苦しい時に心の支えになってくれたコンテンツを親だと思いついていくのが、オタクの習性の一つですので」
「一つなのか」
「オタクの生態は色々ありますよ」

彼女はこれでも大真面目に話している。

「刀隠の一族の本性が付喪神、つまり…あー。馬鹿にしている訳でも差別している訳でもなく。本性が人間ではない以上、人間の男性に当てはまらない所も多いと思います。心変わりをしないとか。その点を理解していけば、少なくとも付喪神の男性に対する不信感は無くなると思います。まずは相互理解からですね」
「あ、ああ!ゆっくりでいいから、俺を好きになってくれればいい!」

感極まって思わず彼女の手を取った美斗だが、その瞬間に彼女に変化が起きた。彼女は「キャッ恥ずかしい!」と叫び、座ったままだというのに思い切り跳び上がって距離を取ったのである。一転して真顔になり「すみません。慣れていないもので」と謝ったが。
ぽかんとした美斗は、同時に彼女の意外な一面に気が付いた。

この花嫁、相当に奥手であるらしい。
先導するリムジンを見ながら、瑤太は運転席の母に言った。

「母ちゃん。もう大丈夫だからな」
「うん」
「もう祖母ちゃんや伯母さんの事とか考えなくていいからな」
「うん」
「祖母ちゃんや伯母さんの機嫌を気にしたりとか、機嫌を取ったりだとか、もうしなくていいからな」
「…うん」
「あの2人が『いる』って事、もう気にしなくていいんだからな」
「うん」
「これからは自由だから、皆で自由にやろうぜ。祖母ちゃんや伯母さんの目を気にしなくていいんだから、好きな所とかにもいっぱい行こうな」
「うんっ」

頷いた拍子に流れた涙を、瑤太は母に断りを入れてティッシュで拭った。優しく「今までずっと頑張ってきたよな。お母さん」と言って。

このようにして、親子は2つに分かれて、それぞれの新生活を始める事となった。
これは、ある一家の話である。

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